メディア旭川 連載記事
世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』
第149杯「昭和歌謡」
昭和35年、池田勇人が首相となり、国民所得倍増計画で日本経済は生き返りました。池田は、がんに罹患し、昭和39年の東京オリンピック後、後継に佐藤栄作を指名し(池田裁定)、昭和40年に亡くなります。佐藤は昭和47年に首相退任し、田中角栄が首相となります。いわゆる三角大福中の時代に突入します。旭川市長は、昭和38~49年は五十嵐広三でした。
ぼくは、昭和41年に出生していますが、昭和40年代前後は、日本が元気だったと思います。「昭和歌謡」も、日本が元気だった昭和40年代前後が最盛期と思います。日本レコード大賞が、もの凄く権威がありました。司会は高橋圭三、審査委員長は服部良一、こうでなくてはいけません。尾崎紀世彦「また逢う日まで」、ちあきなおみ「喝采」、森進一「襟裳岬」、布施明「シクラメンのかほり」などの名曲。ぼくの母親が、都はるみ「北の宿から」の大賞受賞をテレビで見て、感涙していたのを今でも覚えています。紅白歌合戦は紅組白組の真剣勝負でした。ぼくの記憶では白組司会は山川静夫アナが多かった。そして、藤山一郎が指揮をしての「蛍の光」で締めて、年越しでした。レコード大賞は、八代亜紀「雨の慕情」、細川たかし「北酒場」「矢切の渡し」レコード大賞連覇で取る人が取って、ひとつの区切りがついた気がします。
昭和歌謡は、暗い歌が多いと思います。さくらと一郎「昭和枯れすすき」希望が全く出てこない歌。藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」どストレートに私の人生暗かった。過去形だから改善されたのかな。ちなみに、藤圭子は、デビュー前、旭川市に住んでおり、最初にアド街で旭川を取り上げた回に出演しています。石橋正次「夜明けの停車場」嫌いでもなく、別れたくないのに、なぜ別れて1人で旅に出るのか不明。内藤やす子「弟よ」更生しない弟の歌。グレープ(さだまさし)「精霊流し」亡くなった人をしのぶ歌を明るめに歌う。さとう宗幸「青葉城恋歌」も同じ。石川さゆり「津軽海峡・冬景色」北海道に帰ることが後ろめたい感じ。
ザ・キングトーンズ、内山田洋とクールファイブ、シャネルズ(ラッツ&スター)は、ベースに共通性を感じます。
最近、午年生まれで一回り上のО先生と夕食を摂った後、スナックに行くことがあります。ぼくの場合、カラオケをするときはA川ですが、О先生にAの店やPに連れて行ってもらいました。当然、2人とも昭和歌謡を歌います。

