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北海道経済 連載記事

2017年1月号

第82回 えん罪産む「人質司法」

近年、警察や検察が罪のない人物を逮捕・起訴し、裁判でも被告人の無罪の主張が認められず、長期間の服役のあと再審で無罪判決が下される事態が相次いでいる。今回はこうしたえん罪とはやや意味が異なる「広義のえん罪」に注目する。(聞き手=本誌編集部)

近年社会の注目を集めている一連のえん罪事件には、被告人(起訴前は被疑者と呼ぶ)が犯行を否認しているにも関わらず、その主張が警察、検察、裁判所に認められず、不当に罪を負わされたという共通点があります。一方、身に覚えのない犯罪について、被疑者が犯行を「自白」し、それが真実とは別の「訴訟上の事実」として確定することがあります。いわば「広義のえん罪」です。

なぜそんなことが起きるのか。それは、被疑者が罪を認めたほうが、否認するよりも経済的、社会的に有利に働く可能性があるためです。

100万円以下の罰金・科料に相当する比較的軽微な刑事犯罪では、逮捕・勾留されて身柄を拘束されていても、被疑者が犯行を認めれば、起訴猶予ないし略式裁判による罰金の処分で、短期間のうちに釈放されるケースが大半です。一方、犯行を否認すれば、勾留延長され、逮捕期間を含めて最長で23日間身柄を拘束された上、正式裁判にかけられる、すなわち起訴される可能性が高まります。起訴された場合、起訴後も勾留され身柄拘束が継続するのが通常です。保釈請求が認められ、保釈金を裁判所に納付すれば裁判の日まで釈放されます。平成28年度には、清原和博容疑者が起訴後に保釈されています。高畑裕太容疑者は起訴前に被害者と示談が成立したため、起訴されずに釈放されています。

長期間の勾留は、被疑者・被告人の仕事や生活に大きな影響を与えます。この時代、病気やケガでもない社員が10日も20 日も休むのを認めてくれる会社はそうないでしょう。失業後の再就職も困難です。あくまで無罪を主張して、それが裁判で認められるとしても、失業してしまっては元も子もないと考えた被疑者が、うその自白をすることは十分に考えられます(ただし、被疑者が警察での取り調べで「自白すれば略式起訴で済ませる」と言われたとしても、正式起訴か略式起訴か決めるのは検察官ですから、うその自白が被疑者に有利に働くとは限りません)。

被疑者の身柄を一種の「人質」にしてうその自白を促す日本の司法制度の問題点は「人質司法」と呼ばれます。最もこの問題が顕在化するのが、大都市圏の通勤電車で多く発生している痴漢事件です。痴漢犯罪では、たとえ犯罪の事実がなくても、被害者の主張を物証や目撃者の証言で覆すことは困難であり、否認すれば勾留が長期化するおそれがあることから、略式裁判による30万円程度の罰金を受け入れて、うその自白をしてしまう人が少なくありませんでした。2007年の映画「それでもボクはやっていない」(周防正行監督)では、このあたりの事情が描かれています。

しかし、一部の痴漢事件の裁判で無罪の判決が出たこと、痴漢事件では罪証隠滅の恐れがないことから、東京地裁は現在、痴漢で逮捕された被疑者の勾留申請をほとんど認めておらず、捜査は被疑者が釈放された状態で行われるようになっています。

今後、こうした傾向を他の事件、他の地域にも広げ、「人質司法」を解消していく必要があるでしょう。