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北海道経済 連載記事

2016年8月号

第77回 呑まざるべき和解案

民事訴訟の多くは和解で終了している。今回の法律放談は、和解協議の実態と和解協議における弁護士の対応について。(聞き手=本誌編集部)

民事訴訟では勝ち負けよりも、お金や権利といった実質的な利益を獲得することがより重要な目的になる傾向があり、裁判のうちかなりの比率で判決ではなく和解によって終了します。

裁判所は、原告側被告側双方の主張・立証を踏まえて和解案を作成します。これに双方が同意すれば和解調書が作成されます。和解に応じる義務はなく、原告側被告側のうち一方でも和解案に同意しなければ通常の裁判手続きが継続され、判決が言い渡されます。一方、双方が合意した和解には強制力があります。和解したのにこれを実行しなければ、もう一方は強制執行をすることができます。

裁判所は双方の主張・踏まえ、双方にとり受け入れが可能と思われる和解案を示すわけですから、多くの場合その内容は法律に照らし合わせても、社会通念上も妥当と言える内容です。そのような状況で和解案を蹴って、最後まで法廷で争ったとしても、依頼者が和解案よりも有利な条件で勝訴するのは望み薄です。ですから、状況をわかりやすく説明したうえで、依頼者にも和解を勧めるのが適切だと言えるでしょう。

しかし、すべての和解案が公平・適切だとは限りません。感覚的には、裁判所から示される和解案の20~30%には、まだ議論の余地が含まれているように感じます。特に遺産分割のように当事者が多数存在する場合は、多数派に配慮した内容になることが多いように思います。また、公平性を追求するあまり、法的根拠が曖昧だったり、稀に裁判例を見落としたりすることもあります。私も一度、裁判例の見落としに遭遇したことがあります。このような場合は、和解を蹴ったとしても、その後の主張・立証次第で、和解案よりも有利な判決が得られる可能性が十分にあります。このような状況のときは安易に和解に応じるべきではありません。

ところが、現実の法曹界では裁判官に「従順」な弁護士もいます。法的根拠が曖昧であるにもかかわらず、自分の依頼者に大幅に譲歩を求めるような和解案の内容でも、あっさり受け入れて和解しているようです。

必要以上に労力をかけたくない等、いろいろな理由があるのでしょうが、気になるのは裁判官提案の和解案を蹴って裁判官に抵抗するようなことはしない、とする弁護士です。裏でそのように明言している弁護士もいます。裁判官に抵抗することは無駄な抵抗と考えているのかも知れません。また、破産管財人に選任される等、弁護士が裁判所から仕事をもらうこともあり、事件数が減り、弁護士の数が急増した昨今、こうした仕事は弁護士にとって貴重です。裁判官に抵抗したくないと言う弁護士は、個々の案件で裁判官に抵抗すると、裁判所の自分に対する評価が悪くなり裁判所から仕事をもらえなくなると考えているのかも知れません。

しかし、依頼者は自分の主張を裁判所に認めてもらうために弁護士が100%の力を尽くしていると信じているはずです。まだ議論の余地が残っているのに、これを依頼者に秘して和解案を丸呑みするようでは、弁護士が何のために存在しているのかわかりません。