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北海道経済 連載記事

2015年9月号

第66回 冤罪のリスク高める司法取引

国会で今会期中に「司法取引」制度の導入が盛り込まれた刑事訴訟法改正案が成立する見通しとなった。司法手続きのスピードアップが目的だが、今回の法律放談は、司法取引に伴う深刻なリスクに注目する。(聞き手=本誌編集部)

刑事訴訟法の改正案に、「合意および協議の手続き」という節が含まれています。汚職や脱税、談合などの経済犯罪、銃器・薬物犯罪などに問われた被疑者または被告人が、他人の罪について情報を警察や検察に提供した場合、刑を軽くするしくみであり、簡単に言えば「司法取引」です。ただ、改正案に盛り込まれたのは他人の罪について情報を提供する取引だけで、自分の罪をすぐ認める見返りに刑を軽くし、裁判をスピードアップする米国のような司法取引が検討されているわけではありません。

現在の刑事訴訟法の下でも、当局の求めに応じた情報提供をした被疑者については、「司法取引」に類似した行為が行われているのが現状です。例えば窃盗犯グループの一人がリーダー格の犯人について取り調べで供述すれば、反省しているとみなされて刑が軽くなるでしょう。

犯罪について共犯者や第三者から提供される情報が常に正確なら、真相を究明するために有効なのですが、そうとは限りません。近年では厚生労働省の障害者郵便不正事件で元係長の容疑者の虚偽の供述にもとづき上司だった村木厚子元局長(現在の厚労事務次官)が逮捕されたことが問題になりました(裁判では元係長が供述内容を覆し、元局長の無罪が確定)。司法取引が日本にも取り入れられれば、減刑を狙って虚偽の情報を警察・検察に提供する被疑者・被告人が増加することも十分に考えられます。

実際、米国ではこうした行為が問題視されています。DNA鑑定技術を用いて死刑執行済みの事件、長期刑の判決が確定した事件を再度調査したところ、冤罪が次々と明らかになりました。その一部では、減刑狙いの虚偽情報提供者(スニッチ)が誤審の原因になったと見られています。

刑事訴訟法改正案には、スニッチを防ぐため、「虚偽の供述をした者は5年以下の懲役に処する」との条項も盛り込まれました。しかし、この罰則のために、いったん虚偽の供述をしてしまった人物は最後まで「本当の情報を提供した」と言い張ることでしょう。

そもそも、司法取引制度の導入は、障害者郵便不正事件のような冤罪の防止を目的に設置された法務省の法制審議会特別部会が提言したものであり、この部会には冤罪の被害者である村木厚労事務次官も参加しています。しかし、被疑者や被告人にとって減刑という見返りは魅力的であり、そのために虚偽供述をすることは人間として、むしろ自然とも言えます。したがって、司法取引制度の導入の結果、狙いとは逆に、冤罪を増やしてしまう可能性が高く、拙速に導入を認めることなく、慎重に検討を続ける必要があります。

刑事訴訟法改正案には盛り込まれていませんが、いつか日本にも米国のような自分の罪も対象にした司法取引制度が導入されれば、罪を認めた途端に裁判は終わるはずです。その反面、真相の究明よりも司法手続きの効率が重視されるようになり、本当に起きた「真実」とは大きく異なる「事実」が法廷で認定されるようになるでしょう。