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北海道経済 連載記事

2014年8月号

第53回 弁護士の記憶力と表現力

司法試験に合格して、弁護士として活動するためには膨大な法律を覚えなければならず、優れた記憶力が不可欠と考えられがちだが、小林史人弁護士によれば、ほかにも重要な要素があるという。(聞き手=本誌編集部)

弁護士や裁判官、検察官など法曹になるためには、優れた記憶力が必要という印象があるようです。私個人も、記憶が不得意と感じたことはありません。かといって、円周率を何万ケタも覚えるような記憶力は全く不要です。

弁護士が知識として頭の中に入れておかなければならない情報には、法律や判例、訴訟に関する手続などがあります。私は旧制度の司法試験を経て弁護士になる過程で、かなりの法律や判例を記憶しました(現行の司法試験制度のほうが問われる知識の幅は広いのですが、昔ほど深い知識は必要ありません)。ただ、法律の条文を一字一句、そのまま記憶しているわけではありません。また、そのような覚え方、いわば「点の記憶」では旧司法試験には合格しなかったでしょうし、弁護士として活動するのも困難です。法律がどのような社会的な背景の下で制定されたのか、条文の字面の裏にどのような考えが込められているのかを含めた「線の記憶」なら、比較的頭の中に入ってきやすいですし、過去に前例がないケースに法律がどう適用されるのか考えることもできるので、日々の弁護士業務でも知識を役立てることができます。

では、記憶力がどれだけ弁護士業務に影響を与えるのでしょうか。端的にいえば、記憶が得意な弁護士の方が裁判に勝つ可能性が高いのかといえば、そうでもありません。通常、裁判の準備のためには十分な時間が用意されるので、「この状況に適用される法律や判例は、たしかここに書いてあったはず」といった情報のありかを覚えていれば、実際にその書籍なり資料を参照して調べて主張すればいいわけです。逆に、情報があること自体を知らなければ、依頼者のために本来なら主張できたことを主張しないまま裁判が終わってしまう可能性があります。

現在までに、多くの法律が制定・改正され、また膨大な判例が裁判所によって積み上げられてきました。そのうち重要なものは、既に頭の中に入っているはずですが、人間の記憶力には限界があり、また年齢を重ねるにつれて記憶力は衰えていきますので、単純な知識の量だけを比較すれば、弁護士に成りたてのころがピークだったように思います。これは弁護士に限らず、どんな職業の人にもあてはまる傾向でしょう。それにもかかわらず、ベテランや中堅で若手以上に活躍できる人がいるのは、蓄積した経験を生かして裁判官を説得し納得させる訴訟活動ができているからです。もちろん法律や判例の知識があることも「説得力」の要素ですが、判断する裁判官も人の子ですから、法廷では法律や判例の知識を列挙するだけでなく、「社会通念(常識)上、このような判断が妥当」と裁判官に納得してもらうことが非常に重要です。民事裁判では裁判官が一般市民と同じ目線で、一般市民感覚・感情に照らし合わせて、まず、裁判の結論を決め、それから法律や証拠で「理由付け」をしていると思われますので、社会通念の観点から裁判官を説得する力量が弁護士の力量であり、知識だけではなく経験を生かすことが重要です。当然のことですが、金の亡者として長く活動していても、裁判官から軽んぜられてしまうだけなので、そのような経験に意味はありません。