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北海道経済 連載記事

2012年9月号

第30回 退屈でも面白い民事裁判

「裁判」は民事と刑事に大別されるが、弁護士の活動内容は、民事と刑事では大きく異なる。今回の「辛口法律放談」はそれぞれの裁判のやりがいと難しさについて。(聞き手=北海道経済編集部)

法曹関係者や事件の当事者でなければ、法廷に入った経験のある人は少数派ではないかと思いますが、裁判は原則的に公開されており、誰でも傍聴することができます。

刑事裁判の進み方は基本的にドラマや映画のなかに出てくるものと同じです。被告人は必ず出廷することになっており、証人もしばしば登場します。検察側、弁護側からの質問に対し、被告人や証人が激しい感情をあらわにすることもあり、サスペンスドラマのような芝居がかったものではないにせよ、ときには迫力のある応酬も繰り広げられます。

一方の民事裁判は、専門的な法律知識をもたない一般の方が傍聴しても退屈でしょう。出廷するのは当事者双方の代理人を務める弁護士だけであることが通常です(代理人を立てない本人訴訟は別ですが)。意見の陳述も、「書面の通り」の一言で終わってしまうことが多く、傍聴人には肝心の書面の内容が公開されていません。しかも、民事裁判の大半は判決に至らず、途中で和解が成立します。ドラマに民事裁判がほとんど登場しないのも、退屈な法廷の様子が影響しているのかもしれません。

しかし、弁護士にとっては民事裁判こそ力の見せ所です(と私は思います)。法廷でのやりとりは退屈でも、民事裁判では相手の代理人も民間の弁護士ですから、双方の弁護士の優劣が判決や和解内容に比較的強く反映される傾向にあるからです。

これとは対照的に刑事裁判では、どんなに弁護人が有能で、法廷で雄弁をふるっても、それによって、結果が変わることは、ほとんどないと言ってよいでしょう。国家が国民に対して刑罰権を行使することは、重大な人権侵害であり、弁護人の良し悪しで結果が変わることは、適正な刑罰権の行使とは言い難いからです。実際、起訴前の取り調べの中で犯行を認めた被告人については、国家権力を代表する検察官の主張が、ほぼその通り裁判官に認められ、判決が下されているのが現状です。民事裁判のような駆け引きの余地はありません(駆け引きをしても結果に反映されない)。

量刑についても、類似した他の事件での一般的な水準(量刑相場)に近いところで落ち着くケースがほとんどです。刑事裁判でも弁護人が被告人のために最善を尽くすのは当然としても、それが被告人にとっての具体的な利益(無罪判決や執行猶予、刑期の短縮など)につながりにくいのです。

刑事裁判で弁護人の優劣が反映される場面をあげるとすれば、刑事裁判と並行して行われる被害者との示談交渉でしょう。加害者と被害者の示談交渉がまとまって謝罪や賠償が行われれば、判決内容にも影響してきますし、苦痛や被害が金銭的に補填されることは、被害者やその家族にとっても大きな意味を持ちます。

大半の刑事裁判において弁護人の優劣は結果に反映されません。しかし、冤罪の防止という意味で国家権力に対峙する弁護人の弁護活動は不可欠です。特に被告人が容疑の一部または全部を否認している場合は、弁護人の力量が判決内容、さらにはその後の被告人の運命を大きく左右することになります。検察官の主張を切り崩し、無罪判決や減刑を勝ち取ることは、極めて困難であるだけに、これが達成できた時は、被告人だけでなく弁護人である弁護士にとっても大きな喜びです。