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北海道経済 連載記事

2026年1月号

第190回 無理が通れば道理が引っ込む

神ではなく、人によって作られる法や、人によって営まれる裁判制度は万能ではない。限界を示す例として、対立する夫婦間の子の引き渡しが挙げられる。 (聞き手=本誌編集部)

社会に生じるさまざまな対立を、合理的に解決し、正義を守るのが法や裁判の狙いですが、解決するとは限りません。「無理が通れば道理が引っ込む」といった状態に陥ることもあります。

その代表的な例が、夫婦が仲たがいして、いずれも離婚を望んでいるが、親権をめぐって争っている状況です。親にとり我が子はかけがえのない存在ですし、配偶者に対しては「可愛さ余って憎さ百倍」の感情が高ぶっていますから、相手に子どもだけは渡したくないと考え、その子を連れ去ることがあります。子を連れ去られた方は、家庭裁判所に子の引き渡し調停を申し立てることになります。調停では子どもの健全な成長を優先して、本人の意向・年齢・性別・性格・就学しているかどうか、生活環境も検討したうえで、双方による話し合いが行われます。

調停が不成立なら、家事審判へと進みます。仮に家事審判で「いま子どもと同居している親から、別居している親に子どもを引き渡すこと」を命じる審判がなされたとしましょう。同居中の親が従えばいいのですが、我が子との絆は法律や論理で説明できるものではありません。「どうしても子を渡したくない」と考えた同居中の親が審判を無視し、子の引き渡しに応じないこともあります。無論、弁護士はこうした親の過激な行動に賛同しませんし、依頼人を説得しても裁判所の判断に応じない場合には、代理人を辞任するしかありません。

こうした状況で裁判所が子の引き渡しを強制することも、ないわけではありません。たとえば子の生命身体に危険が切迫している場合です(人身保護請求)。そのような事情がない場合、子を渡さない親に対して、金銭の支払いを命じて(一種の制裁金)、心理的な圧力を加え、引き渡しを促す制度もあります(間接的な強制執行)が、支払わないと開き直られ、差し押さえる財産もない場合、功を奏しません。最終的には、執行官が同居中の親による子の監護を解いて、もう一方の親に子を渡す強制執行する道もあります(直接的な強制執行)。

しかし、子に危険が及ぶ特異な状況を除けば、裁判所による直接的な強制執行は望み薄でしょう。実際にそこまでエスカレートする事例はほとんどありません。

裁判所が十分な検討を経て「同居中の親からもう一方の親に子を引き渡すべき」との結論に達したのに、それが実現しないのは、法や裁判制度の欠陥や機能不全が原因でしょうか。そうとは言い切れません。自然科学なら多くの場合、問題を突き詰めて考えることで皆が一致する正解が見つかるのでしょうが、法学は社会科学の一分野であり、皆がそろって賛同できる正解が存在しないために、当事者間で妥協できる場所を探すこともあり得ます。

子の引き渡しをめぐり直接的な強制執行がほとんど行われていないのも、そこまで強硬な手段を使ったところで、子どもは幸せにならないと、裁判官も引き渡しを求めている親も気が付いているためでしょう。まさに「無理が通れば道理が引っ込む」ですが、結果的にそれが唯一の妥協点になることもあり得ます。