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北海道経済 連載記事

2011年9月号

第18回 旧司法試験制度を振り返る

さまざまな問題を指摘されながらも、新しい法曹養成制度が社会に定着しつつある。今回の法律放談は、小林弁護士の経験した旧司法試験制度を振り返る。(聞き手=北海道経済編集部)

新司法試験と並行して行われてきた旧司法試験が、昨年度で終了しました。いまも司法試験に合格するのは大変ですが、旧司法試験は合格率1~2%台の極端な「狭き門」でした。以前は約500人に抑えられていた年間合格者は、1990年ごろから増加しはじめ、99年には1000人の大台に達したものの、若手を優先する特例枠が設けられたこともあり、「ベテラン」にとってはなおも狭き門でした。

旧司法試験は、幅広い法律の基礎知識を問う第一次試験(大学や短大で一定の単位を取得すれば免除)と、より高度な二次試験からなり、一般的に「司法試験」という言葉からイメージされたのは二次試験のほうです。二次試験は短答式試験(毎年5月に実施、5肢選択式60問)、論文式試験(7月)、口述試験(10月)の3段階でした。これを1年で全てパスしなければならず、不合格となると、また、短答式から受け直しとなります。私の場合、4回目の挑戦で初めて短答式試験に合格、論文式試験に合格するのにさらに7回かかりました。口述試験は1回でパス。最初に司法試験を受けてから、11回目での挑戦でした。

旧司法試験の最大の問題点は、合格までに長い時間がかかるということです。1990年には合格者の平均年齢が30近くまで上昇したのですが、これは、多くの若者が20代の貴重な時間を試験勉強に費やしたということを意味しています。10年以上努力してからあきらめる人も多く、個人的にも社会的にもあまりに大きな損失でした。

私は中央大学卒ですが、当時、中大からは毎年約5000人が司法試験を受けていました(ちなみに早稲田は約3500人、東大は約1800人)。このうち現役の学生は600人程度で、残り4400人は卒業生です。新たに司法浪人になる卒業生は年間200人程度でしたから、単純計算すれば4400人が「蓄積」するまで22年。それほど長期間、司法試験に挑み続ける人が多かったということです。

もうひとつ、結果が運に左右されがちであることも問題でした。論文式試験は憲法、民法、刑法などに選択科目を合わせた6科目についてそれぞれ2問、2時間を使って答えるしくみでした。ある程度ヤマを張って準備しないと、合格レベルの答案は書けません。逆に言えば、ヤマが当たるまでは不合格が続きます。

受験生の感じる年齢的なプレッシャーは、年ごとに大きくなります。とくに女性の場合、結婚や出産のタイミングとの関係で、その傾向が強かったように思います。緊張のためか、最初のうちはパスしていた短答式試験に落ちるようになる人もいました。

これらの欠点の反面、旧司法試験を経て法曹になった人は、長い時間をかけて勉強しているので、一般的に豊富な法律知識を備えています。新司法試験は合格までの時間が短く、一部の合格者の法律知識が不十分との指摘があります。なお、新司法試験制度の下では、3回不合格すれば、再び法科大学院を修了しない限り、受験資格を失います。個人の職業選択の自由を侵害しているとの見方もあるでしょうが、社会的にみれば新制度のほうが効率は高く、不合格者にとっても他の進路に転じることを促すきっかけになるでしょう。(談)