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北海道経済 連載記事

2020年2月号

第119回 司法浪人時代を振り返る

旧司法試験が行われていた時代、弁護士になるためには長年の浪人生活を経るのが当たり前だった。今回の法律放談ではある事故をきっかけに社会の関心が集まった司法浪人の生活を振り返る。(聞き手=本誌編集部)

昨年10月末、雪の積もった富士山に登る様子をネットで生中継していた47歳の男性が、足を滑らせて斜面を滑り落ち、死亡する事故がありました。この男性は軽装で、登山の経験もほとんどなかったとみられています。

この事故をきっかけに、いわゆる「司法浪人」に社会の注目が集まりました。男性は弁護士になることを目指して、東京の小さなアパートで暮らしながら勉強を続けており、ネット中継は社会との数少ないつながりだったようです。

旧制度の下で司法試験が行われていた時代、合格率は1〜3%台でしたから、何度も挑戦するのが当たり前でしたし、私も11回目の挑戦で合格しました。当時、一緒に勉強していた仲間の中には、合格した人もいれば、合格せず、法律事務所の事務員、法廷の警備員、裁判所の書記官、(裁判所書記官から選任される)簡易裁判所の判事など法律と関わりの深い仕事に就いた人もいます。

もう一つの転身先が地方公務員上級職です。多くの地方自治体が25〜26歳までとの募集条件を定めているため、司法試験に合格できないと、25〜26歳で最初の選択のタイミングが訪れることになります。多くの人はフルタイムの仕事に就きながらも勉強を続けましたが、司法試験に合格できた人は少数派です。

司法試験への挑戦を続けるなら、いつまでも仕送りに頼るわけにはいきませんから、多くの人はアルバイトで生活費を稼ぎます。司法浪人に人気のあったバイトは警備員です。決められた時間、施設内をパトロールすれば、残りの時間を勉強に充てることができる理想の職場でした。

さて、司法浪人が長期化しがちだったのは、法律に関する知識が増えるほどかえって合格しづらくなる傾向があることが一因でした。旧司法試験は短答式試験、論述式試験、口述試験の3段階から構成されていましたが、勉強を重ねて法律についての知識が増えると、論述式試験の回答に子細な情報を盛り込んでしまい、重要な部分についての記述が手薄になってしまうためです。

また、字がきれいかどうか、速く書けるかどうかといった法律とは関係ない能力によっても合否が左右されていたような気がします。

さて、司法改革が推進された結果、現在は法科大学院(ロースクール)を中心とした新しいしくみの下で法曹が養成されています。浪人生活の長期化を防ぐため、法科大学院を卒業後5年で5回までしか受験できない「五振ルール」も導入されました。しかし、五振して受験資格を失ったあと、もう一度法科大学院に入り直し、再度資格を得てから再挑戦する人もいます。

私の友人の友人は、司法試験に何度も挑戦し、ようやく合格した直後に交通事故で全治3ヵ月の重傷を負い1ヵ月入院しました。友人が見舞ったところ、「交通事故でケガするよりも司法試験に落ちて受験生活を続ける方がずっと辛い」と言ったそうです。司法試験に落ちて、受験生活から脱出できないことは、それほど辛いものなのです。