読んだら捨てる委員会--サッカー編--

本棚が大変なのですよ


■number578:Confederations Cup 2003 Preview--日本代表総力特集I(2003.06)

・ハンブルガー高原
→相変わらずトガってる。
「日本のFWは決定力低くねーよ。ジーコ代表になってからまともなセンタリング上がってないし。」
CFをロメロに奪われ、左WGorサブという立場に対する愚痴。

・レッジョ中村
→どってことないインタビュー。いつもの中村さん。

・パルマ中田
→当然本人が応じるはずもなく、北澤と植木がインタビューに答える形w
植木「昔は終始キツい顔だったが、今は時折やわらかい表情を見せる」
植木「ローマに移籍してからコマとしての動きを覚えた」
北澤「『俺は』から『俺はね』に変化した」
植木「リーダーとしてやろうとしていたが、表情とか、しゃべり方がすごくワザとらしい
植木の指摘が的確すぎるwww
北澤の言う、ヒデはピッチ内外で言動がクールだがプレーは闘将、という点も頷ける。
植木「俊輔ならヒデと共存できる」は?
植木「ヒデはキープできるが俊輔も小野もキープできん。だから2人とも所属チームで司令塔やってない

・フェイエ小野:CMFwithボスフェルト時代
→「ディフェンスする時間が長いのでもっと前でプレーしたい」いつもの小野さん。

・韓国
ソルギヒョンって2002W杯でそこそこ活躍したけど、アンデルレヒト残留だったのね。
コエーリョ韓国代表新監督「韓国の選手はボール奪取能力に優れているがボールキープ力がダメ」
日本との比較では「積極的で非常に攻撃的なメンタリティを持っている」
つなぎ志向のポルトガル人と縦に早い韓国との相性はあまり良くなさそうだw

・小笠原サントス+ゴン鈴木で●0−1韓国
・小笠原ヒデ+ゴン鈴木で●1−4アルゼンチンのプレイレポート
金子「トルシエタイプの監督では勝った手柄は日本人ではなく監督のものになる」
杉山「何の指示も送らないジーコと、90分指示を送り続けたビエルサは対照的

・次世代ボランチインタビュー
阿部「どうしても前に行くよりも守備が目に行ってしまう」
阿部「一番楽しいのは、サイドチェンジのボールが決まったとき」
縦パス(スルーパス)が決まったとき、ではないのがこの選手らしいというかw
後に代表でCBや守備専アンカーになったのは、なるべくしてなったというべきだろう。

森崎兄弟は和のほうが攻撃的で浩のほうが守備的だと思っていたが、本人達の意識は逆のようだ。
和「ボランチしかできない。ヘディングできない。」
浩「自分が点を取らないと。トップ下がいい」

・高橋尚子
疲労骨折って肋骨だったのか。
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高原の本音ぶっちゃけ愚痴インタビューと、植木のヒデ観察は一読の価値あり。特に後者。
金子さんは何だかんだ言いつつも、一つの文章で一つはウム!と言わせる文がある。
逆にマニア志向すぎて損をしているのが西部さん。個人的には好きなライターさんなのだが。
この回はなかなか読みごたえがあった。



■number530:見る前に跳べ!

カズ「日本人初のCL出場者になりたい。奥寺さんの場合はチャンピオンズカップ」
ズーカーのミーハーぶりが微笑ましいw

小野「日本のトップ下の考えとはえらい違い。こっちはトップ下はストライカーって感じだからさ。」
トップ下=司令塔幻想が日本は特に強いと思う。まあリケルメやジダンみたいなのもいるが…。

小野がフィリピン戦で大怪我をしたと思っていたが、内側側副靭帯3カ月だった。思ったより軽いじゃん。
リハビリ担当は苦しかったときの記憶を呼び覚ますスイッチ、選手とは負の関係。

稲本「トップ下のいないアーセナルのサッカーに戸惑っている。フラットな中盤。」
稲本「セーフティーを心がけた」
↑ベンゲルには積極性と攻撃力を評価されてアーセナル加入となったのに、何を言っているのだww
チームの中で何を期待されているのか、いまいち分かってないんじゃないのか。
稲本が通った単位制の高校は週2出席でおk、体育授業はガンバの練習。世の中、結構何でもアリだな。

トルシエ「調子が完全でない中村を何故選んだのかと、誰も批判しない」
ライターの田村修一が「誰もが愛する俊輔」と書いてしまうあたり、中村を取り巻くマスコミの異常さが垣間見える。
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この回はあまり内容が無い。



■number740:スペインを極める。

南アフリカW杯予選が終わった頃。
ブトラゲーニョ「シャビがボールを失うのは10回に1回。これはCMFとしては信じられない確率です。」
シャビの一人称が『僕』で、イブラヒモビッチの一人称が『俺』になっている件についてw

カカ「イタリアとスペインでは、ピッチ外のサッカー熱はイタリアの方が上。スタジアムの雰囲気はスペインの方が上。」
中村「個人的にはフォルランは大好きなFW。得点パターンが豊富で、これといった形がない。」

パク・カンジョとキングカスの仲の良さが笑える。
カンジョ「カズを車で送るときは、いつもガソリンを空っぽにしておいた」
カンジョ「韓国代表でカズダンスを踊ったら顰蹙を買った。」
ちょwwカンジョwwww
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スペイン代表、バルセロナ、レアルでの旬な選手を一通り抑えた企画。無難。



■number750:日本サッカー マイ・ベストゲーム

カズ:決められない。誘導的に92アジアカップのイラン戦。
オフトはカズが中盤に降りてくるのを嫌ったが、カズは無視してプレイしていた。

ゴン:99年1stの鹿島1−2磐田、藤田Vゴールの試合。
前年は鹿島に5戦5敗だったこともあり、この試合。意外な選択ではある。

エトーのインタビュー
「ナンバーは過去4度、彼を取材したが、一度として予定通り終わった例はない。」



■number755・756・757:日本代表、真価を見せろ!

南アフリカW杯直前特集。表紙は本戦では出番の少なかった中村。
時期的には韓国とセルビアに完敗した後で、イングランドとコートジボアール戦で阿部アンカー1トップシステムを試す前。

中澤「森本や本田は支えを必要としない図太さを持っているけど、ヨシカツさんが入ることによって
   様々な個性で構成される集団がグッと引き締まるのは間違いないです」
長谷部「今まで続けてきた自分達のサッカーを捨てて負けてしまったら、どれだけ後悔するんだよ。」
→結果的に岡田監督は自分達のサッカーを捨てて勝ったわけだw

松井「オシム監督に、守備は遠藤に任せてお前は守備しなくて良い。どんどん前へ行けと言われた。」
→全員守備・全員攻撃の権化という印象があるオシムでもこんなこと言うんだね。

岡田武史「クライフと対峙したときは、とにかくキック精度が凄かった。一流選手はキックの精度が違う。」
岡田武史「攻撃ではアーリークロスを上げる、2列目がニアに走り込む。カウンターリスク考えると1トップがいい。」
岡田武史「日本の将来のために、若手をW杯で使おうなんて全く考えてない。」

日本代表23人のレビューがやたら細かくて的確。これは中西と戸塚のどちらが書いたのだろう?
本田をストライカー、中村を唯一無二の存在と書いてるあたり疑問な点も多いが、頷ける点も多い不思議なレビューだ。
この部分だけは切り取りで保存しておくことにする。

オシム「ペナに入っていく勇気のある選手は日本では佐藤勇人だけ」とはどういうココロか?
オシム「カメルーン戦は、これが人生最後の試合と思えるかどうか。」
オシム「現実レベルでフェアプレーは何の役にも立たない。」

中田英が皮膚炎で代表合宿に現れなかったというのは口実で、実はW杯に出る気が無くなっていたという話。本当か?w

柳沢「僕の場合、いいシュートを打ってもなかなか入らなかったりする。
    狙ったところの逆だったりダフったりすると入るケースが結構ある。」
柳沢「ドイツのときはあまり思い出せない。」
柳沢「2人の化け物(カズ&ゴン)に追いつきたい」
タフなのかそうでないのか、よく分からない人だw

カズ「(ジーコの唾吐きの件について)当時の日本ではまだH&Aの感覚が根付いていなかった。(中略)
   この問題に関して僕は多くを語るべきじゃない。」
このへんのバランス感覚に優れてるよね、カズは。

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読み応えのある良い回だった。



■number664:日本サッカー 黄金の行方。

2006年11月。ドイツW杯後。
岡田「仏W杯のチームはヒデが怪我をしたら他に攻め手がなかった。それならイチかバチか小野の才能に賭けるか、と。」
トルシエ「確かに才能は認めるが、どうして周囲は小野を王様のように扱うのか。」

稲本「日本はまだ世界とガチンコ勝負で勝てるレベルじゃない。」
稲本「相手のことより自分達のサッカーをしようというのが強すぎた。」

小笠原@メッシーナ「細かくタタタタっと止まれ。ガッと踏み込んでターンすると滑るぞとアドバイスされた。それが一番の発見」

信藤「79年組からはトップクラブで欠かせないような選手は出てこなかった。ここを超えないと世界レベルには行けない。」

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稲本はいつものヘタレ発言。稲本も高原もあまり飾らずにインタビューに答えている(ように見える)ので面白い。
逆に大黒クラスになると達観していて語ることが殆ど無いww
この回は…そこそこ。




■number654・655・656:日本代表 魂をドイツへ。

2006年7月、W杯直前。カズ&ヒデ対談という昔からのサッカー好きには堪らない企画。
こうしたら代表がもっと良くなる点について
カズ「1対1の局面でもっと勝負していくことなんじゃないかな。」
カズ「経験を積むと1試合の重みが同じになっていく。世界クラブ選手権だから力が入りすぎる、なんてことはなくなる。」
W杯メンバーから直前に漏れたことはもう消化できてるのだろうか。

西部「23人ほとんどがボールプレイヤー。戸田や明神のようなボールウィナーが1人もいない。」
西部「極論すれば、この4年は日本がブラジルになろうとした期間。現実にはポルトガルの手前で止まっている。」

巻はエクアドル戦後、ジーコに「もう代表に呼ぶことはないだろう」と言われたとか?

ユース代表をブルキナファソの孤児院に連れて行ったトルシエの功績。

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とにかくカズ&ヒデ対談の回。フランスW杯前だと中田英は『カズより城を使って欲しい』という発言を繰り返していたが、その後のカズとの対談では話やすそうにしている。




■number:world cup special issue3 日本サッカーは死んだのか。

2006年7月臨時増刊号。表紙はブラジルに負けてピッチに寝転がる中田英。

88ユーロ準決勝ではドイツ選手がオランダとのユニフォーム交換を拒否。
唯一トーンがクーマンにユニフォームを渡したら、クーマンはそれで尻を拭くジェスチャーをしたとかw

面白い文を書く人がいると思ったら小田嶋隆さんだった。

戸塚「中村を3試合フル出場させたのは今大会でジーコが犯したもっとも重大なミスだった」
ブラジル戦のファール数はオーストラリア25回、クロアチア21回、日本9回。この視点は無かった。
原博実も同様の中村ディスり。

小野が小笠原に「昨日は俺らの世代が出たら勝てたな」
これはいくらなんでもネタとしか…。

ザガロ「アトランタ五輪決勝ではリバウドが中盤で2度ボールを奪われ、全て失点につながった」
この後1年ほどリバウドは代表落ちしてたよなw

川端「文字通り不動のFWだったダエイ」

・クラウチは198cm。なんだ、オレと10cmも変わらないじゃん。だがこれで70kgなのは凄い。
・リケルメの代表初招集は1997年。98W杯で代表入り落ちしたことは話題にならなかったが、02のときは騒然とした。

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敗者の弁が雄弁であるはずもなく。
ジーコが駄目だったから負けた、チームの雰囲気が悪かったから負けたという論調が目につくが、
普通に実力負けしたという話なんじゃないか?←それだと話が広がらないか。

日本代表の話とそれ以外の話は別々の特集にしたほうが良いんじゃないかと思った。この回はそこそこ。



■number621:Strike new europe チャンピオンズリーグ特集

2005年02月。表紙はエトー。
野球のレポ「野茂をルール違反だと糾弾していたメディアが、今度はルールに沿っている上原や井川も責めている。これこそルール違反だ。」
→野球おやじに理性を期待するのは無理だよ。

西部「ロナウジーニョは笑っているだけでバルセロナの歴史を変えつつある。」
↑西部さんは時々すごいハズレ文章を書く。異常にロナウジーニョ&エトー&デコinバルサが持て囃されていた頃。

「モウリーニョはドログバ、ロッベン、カルバーリョといった超一流ではない選手を中心に補強している」
↑これはもっと評価されるべき点。マンU、アーセナルの補強戦略も経済的。



■number735:2009-2010 European Football

2009年09月。表紙はレアル移籍の決まったクリロナ+カカ。
しかし2人のインタビュー+レアルの特集は今一つ。

一方でバルセロナの座談会。「小兵が多いのでセットプレーでの守備がネック。」これは確かに。
マラドーナ、シュスター、アレシャンコ。…アレシャンコって誰だ?と思いきや、80sのスペイン人DFらしい。

中澤のインタビューで、「カズに髪を引っ張り回された」エピソードもここに掲載されている。
W杯前のノルウェー戦で●0−3に終わり、トルシエに罵倒されて代表落ちを覚悟したらしい。

以前のFC東京監督ハラヒロミ「ウチは攻撃的だけど、なかなか点が入らない」ワロタ。
確かに4−2−3−1はポゼッションの割には点が入らないシステムだ。

エスパニョールのデ・ラ・ペーニャはシーズン中でも練習はほとんどしないとのこと。テラ地蔵www



■number501:euro2009 欧州選手権総集編

無難な記事の多い号。
湯浅さんのテンションを抑えた分析が掲載されていて違和感を感じたw



ここからは数年ぶりの更新。


■number553:Worlld Cup 2002 Final(2002.07)

・金子「マルコス(ブラジルGK)にも注目が集まるべき。」→同感。

・ロナウドはBest8のイングランド戦後、左太腿に違和感があり精密検査していた。次のトルコ戦は67分で退く。

・カーン「今回はショル、ヴェルンス、ノボトニーらレギュラー不在で残念だった。」

・お杉「(トルコ戦の)ロナウドのシュートはお洒落とはいえないトゥキックだった。」という噴飯もの記述。

・ベンゲル「大会に失望。大会前からアルゼンチンは上に行けないと思っていた。FWもDFも遅すぎるため。バティストゥータはもう国際レベルではないしクレスポもスピードに欠ける。」

・三渡洲アレサンドロの父親は元ゴイアス他のサッカー選手。

・原博実「今大会で最も印象的な試合はポーランド3−1アメリカ。」→マニアック!

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・バティストゥータに関しては他の記者も衰えを指摘していた。調べてみると00-01ローマ優勝時は28-20だが、01-02は23-6、02-03は24-6で急に落ちたのだろうか。



■number:World Cup countdown series1「世界戦記 2002」(2001.06)

・0-5フランス、0-1スペインショックの後。

・中田ヒデ「やっぱり僕がFWに入っちゃうと厳しい」「前に2トップがいないと攻撃が成り立たない」

・乙武さんの中田ヒデ取材は勝手に乙武さんが代弁しすぎでイマイチ。

・稲本&明神「グアルディオラは凄かった。」

・トルシエ監督になりスタメンを外された川口は代表辞退寸前に至ったが、アルディレスとの電話で思いとどまった。カンボジア一人旅で謙虚になった。 → なんて面倒くさい人…。

・読売クラブでの最初のシーズンを左ウイングで終えたカズ「サイドに開いてもパスが来ない。武田は律儀な性格だから呼べばパスするけど、他の選手からはあまり来ない。」 → 中央偏重に辟易してた模様。

・アスカルゴルタ「俊輔はサイドでのプレーを嫌がった。」「バルサ時代のストイチコフは左利きでも右ウイングを務めた。」「(代表は)いまの段階では結果を求める必要はない。」

・アスカルゴルタはボリビア代表監督時代、94W杯開幕戦でドイツと対戦していた(0-1で敗戦)。コロンビア代表の28試合連続無敗記録を止めたのもアスカルゴルタのボリビア。サンディ、クリスタルドといった名前が懐かしい。

・エメ・ジャケのフランス代表に対して「フランス・フットボール」は好意的、「レキップ」は非常に否定的。「どうして大会の1年前からメンバーを固定する必要があるんだ?」

・ヒディンクが韓国代表監督でしていること;
4−4−2とゾーンディフェンスの導入
李榮杓イ・ヨンピョを左ウイングバックからボランチへ。 高宗秀コ・ジョンスをトップ下から左サイドハーフへ。
宋鍾国ソン・ジョングクを代表に抜擢。
理想に合ったDFが見つからない。

・黄善洪は98W杯直前に右ヒザを怪我をして代表辞退を申し入れたが、グループリーグ第3戦に間に合えば良いと言われ却下された。

・ラウールのインタビュー。アトレティコのジュニアユース出身だけあって、子供の頃に憧れていた選手の1人にフットレ!を挙げていた。バルダーノ、ヒディンク、カペッロらにはMF起用されていた。

・マッカーシーとフォーチュンは13歳の頃ケープタウンでチームメイト。ドクター・クマロは南アフリカ屈指の人気。



■number536:GET THE BIG YEAR(2001.11)

・金子「ネヴィル・サウスオールがいた頃のエバートンが大好き」 → サウスオールは長年エバートンで活躍したGK。渋い。

・CLベスト16チームのレビューだけは保存しておきたい内容。ポルトの1トップを務めるペナはリーグ得点王。

・興味深いのは前年初優勝したボアビスタ。「ディフェンスの要の代表CBリトスが抜けたが新加入のパウロ・トゥーラ&ペドロ・エマヌエル中心にずば抜けた安心感」。3トップは左からマルテリーニョ、シウバ、ドゥッダで後2者は元柏レイソル。中盤は左からプチ、サンチェス、グラウベル、DFは左からクエヴェド、トゥラ、Pエマヌエル、フレシャウト、GKリカルドはW杯出場していた。この布陣に載っていないペレイラがよく点と取っているらしい。
→海外サイトではマルテリーニョは右ウイングらしく上記雑誌記載は誤り。正しくはトップ下にエルウィン・サンチェス、右ウイングにマルテリーニョ、左ウイングにドゥッダ。
 →ちなみに優勝シーズンはこんなん。
       Silva(Whelliton)
Duda(Quevedo)      Martelinho
       E.Sanchez
  Rui Bento     Petit
Erivan(Quevedo)       Rui Oscar(Frechaut)
   P.Emanuel   Litos
       Ricardo
中盤3枚は底にRui Bentoで右Petit、左Sanchezのパターンも。中盤にPedro SantosやFrechautを起用することも。


・ガラタサライは「とにかくよく走るFWウミト・カラン」「精度の高いキックを誇るアリフ・エルデム」。

・パナシナイコス;「守備を引き締めるヘンリクセン」。布陣を見ると右WBにミカエルセンもいる。オリサデベについての記述で、「このクラブには、その功績から神様と崇められる37歳のポーランド人FWがいる」。
→誰かと思って調べてみたらヴァジハ(Krzysztof Warzycha)という選手で、1989-2004在籍の得点王3回という活躍だった。

・マンUは2001-2002にあたり、34億でVNR、51億でベーロンを獲得するという過去例をみない高額な買い物をした。

・ディステファーノはコロンビアのミジョナリオスからRマドリーに移籍。自陣での守備もしっかりして「労働者」とも呼ばれ、一人で何でもする選手だった。コパやジジらとは両立しなかったが、例外的にプスカシュとは並び立った。

・杉山茂樹がノリノリ。グアルディオラ>>シャビをぶちまけ「バルサでスタメンを張る域には達していない選手」。大好きなイルレタインタビューでは何故か一般人の息子にまでインタビューする意味不明ぶり。

・イルレタ「今期は各ポジションに選手が2人ずついる。エメルソン←セルヒオ、ドナート←ジョロビッチ、フラン←アマビスカ、マヌエル・パブロ←エクトル。」「昨季のCLリーズ戦ではドナートとマウロ・シルバを怪我で欠いたのが痛かった。」 → 当時この2人は相当に高齢だったと思うが。

・85-86からリーグ5連覇したレアルの「キンタ・デ・ブイトレ(禿げ鷹の世代)」はブイトレと呼ばれたブトラゲーニョ、ウーゴ・サンチス、ミッチェル、バルダーノの4人で形成する破壊的アタックライン。

・1971のCLで準優勝したパナシナコスは選手全員がアマチュアだった。ゲームメーカーのMFドマゾフ、192cmのCFアントニアディスらを擁した。オリンピアコスはアテネ隣町の人口25万人港町ピラエウスのチーム。

・ボルトン川口、同室のプロシネツキとスーパーまで歩いて歯ブラシを買いに行く心温まる?エピソード。


■Number511:国家再建(2000.12)

・京大医学部卒のボクサー川島実さんのインタビューが素直すぎる。「受験勉強の成果を試すため、一番偏差値の高い学部を受けた。医学部にいる間はうっと場違いな所にいるとう違和感が強かった。」国試に2回落ちたとのこと。

・ルシェンブルゴ監督には脱税、愛人、年齢詐称と様々なスキャンダルがあり、W杯南米予選の低迷とシドニー五輪での敗戦で解任。

・ケビン・キーガンの最大の失敗はW杯予選ドイツ戦でCBサウスゲイトを守備的MF起用したこと?

・ゼーマンのチームはセリエAで4度リーグ最多得点をマーク。94-96ラツィオと97-99ローマ。


・ヒディンクのインタビューが面白すぎる。
「98W杯のブラジル戦ではファン・ホーイドンクが本来PKのファールを受け、後日主審から謝罪された」
「スペインのメンタリティーはオランダより守備的。スペインサッカーを攻撃的にしてるのは優れた外国人ストライカー。私のバレンシアにもペネフとミヤトビッチがいた。」
「当時も今もスペイン人の良いFWは数少ない。スペイン代表が攻撃的でない原因もそこにある。」
「オランダサッカーは攻撃的だが、国民性とは共通せずサッカーに限った話。一般の国民性は守備より。」
→どれも面白い。20点以上取ったミヤトビッチのバレンシア時代は知っていたが、監督はヒディンクだったのか。そしてペネフも在籍してたとは。アトレティコとセルタで活躍したのは知っていたが。それにしてもスペイン人FW涙目な言われよう。


・世界代表監督名鑑も良い特集。
(1)ウルグアイ代表監督になり、選手の長髪やピアスに寛大になるパサレラ。
(2)エメルソン・レオンは74W杯オランダ戦でミスをしたマリーニョを殴ったという有名な話があるらしい。
(3)80s〜90sのチェコの英雄ヨセフ・ホヴァネツは攻撃的MFの後はリベロへ。
(4)若くしてスロベニア代表監督になったカタネッツは5年のサンプドリア在籍で最終年に優勝して引退。
(5)グネスはトルコ史上最高のGKで無失点記録の保持者。
(6)ロマンツェフは選手時代スパルタクの左SBで代表10capあり。
(7)元ウイングのペトコビッチは代表43cap、アビスパ福岡でコーチも務めた。
(8)アトランタ五輪でナイジェリアを優勝させたボンフレーレは一度辞任したが、また復帰。
(9)南アフリカ代表の外国人監督は1人目がトルシエで2人目がカルロス・ケイロス。


・トルシエの練習はシャドー形式を徹底して繰り返し、紅白戦などの対人練習がまったくない。五輪アメリカ戦のトルシエ采配に疑問を呈する服部「あれはどうかな」。さらに服部「アジアカップ決勝でヤナギを代えたのは凄い。確かに彼は全然乗れていなかったから、どうするんだろうと思っていた」。

・金子「(82年W杯には)ソ連には生きた伝説となりつつあったGKダサエフがいた」

・杉山「ポルトガルは右ウイングの宝庫。フィーゴ、Sコンセイソン、シモン。一方でオランダは左ウイングが充実。オーフェルマルス、ゼンデン、バウマ。イタリアは左右ともに見当たらず、せいぜいモリエロくらい。日本も思い当たるのは帰国直後のカズくらい。攻撃サッカーを標榜するのにウインガー不在とは?アレックスの帰化が待たれる。」
 →この頃の杉山はマトモだった?バウマ(ボウマ)はSB/CBだと思っていたが、本当に若い頃はウイング起用されていたらしく、徐々にポジションを下げていったようだ。

・フランス人テニスプレイヤー、デキュジスについて「フランス人には珍しく、はにかみ屋でシャイな性格が多くの日本人選手との交流を生んだ」。


■Number498:EURO2000preview(2000.06)

・「イングランドは代表MF中、唯一の左利きで中盤左サイドレギュラーのウィルコックスが怪我でユーロ絶望。親善試合ブラジル戦では代わりにワイズが務めたがいまいち。次はマクマナマンが起用されるか?」
→ウィルコックスが代表レギュラーなときなんてあったっけ?と思ってしまった。ウィルコックスで検索すると、渋いサイトが結構ヒットするね。そして2000年のルシェンブルゴ時代にサンパイオ、フランサ、アウダイールがスタメン出場していた驚き。アウダイールなんてこのとき34歳じゃないか?

・CL決勝R3−0バレンシア。デルボスケ体制になりエルゲラをDFに下げて3バックにしたら安定した。

・エメ・ジャケのインタビュー「euro96では試合の数時間前に起こった出来事に私がまったく対応できずチェコ戦に敗れた」。これをインタビュアーはデシャンの欠場とラムシ起用だとしている。「ブラジルはCKのポジショニングが悪く、ニアポストがしばしばエアポケットになる。その弱点を衝いた」。

・euro84でピクシーはこれまで一度もしたことのないマンマークを志願し、プラティニに付いたという話。「誰かのマークについたのは僕の人生でもあの一回きり」。…本当かいな。84年当時ジャイッチは引退し、後継者のスシッチも衰えていた。

・イタリア:トップ下フィオーレを実力不足とする評論家と、期待するジローラモが好対照。

・オランダ:ペーター・ボス「4-3-3だと右ウイングに人材がいない」。小倉「右のサイドハーフがいない。Rデブールぐらいしか」。2人とも右サイドの人材難について言及している。中盤の底にボスフェルトが台頭してきた。

・スペイン:クレメンテ時代は全くスタメン予想できなかったが、カマーチョになって固定され予想できるようになった。84ユーロGKアルコナーダなどGKが鬼門。
→アルコナーダは知らない選手だった。代表68capだが178cmしかないらしい。チームはほぼソシエダ一筋。

・ベルギー:レーケンスからワセイジュに監督交代。2トップはEムペンザとクロアチアから帰化した大砲ストルパール、スーパーサブにニリス。「右から精力的なジュノー、左から精度の高いクロスを供給するレオナールが援護」。

・松田直樹インタビュー。「遊び惚けていた」「妻に感謝」「韓国遠征で自ら代表離脱したことは今から考えると恥ずかしい」
→その後ジーコジャパンでも自ら代表離脱し、妻とは離婚。


■Number452:クラブシーンへようこそ。(1998.09)

・オーウェンの父はエバートンで数試合出場した元サッカー選手。オーウェンはエバートンファンでアイドルは元エバートンのリネカーだった。ファウラーやマクマナマンも子供の頃はエバートンファンだった。

・W杯後、PSVはレギュラー7人が移籍。

・ハインケスは92-94ビルバオ監督で、Rマドリー就任にあたりお気に入りだったカランカをアルコルタと交換で加入させた。しかし心臓疾患が見つかる等で戦力外となる。

・アーセナルのベンゲル(1):就任1年目はチームを変えないようにした。レギュラーは不調や怪我以外では変えず、最初の試合のハーフタイムでは何も話さなかった。

・アーセナルのベンゲル(2):本格的な改革は2年目から。チームの調整はフランス人を最大5人獲得することでバランスを取った。まずアネルカ、ヴィエラ、ガルデ。翌年にプティ、グリマンディ。
→ ガルデという選手は忘れていたが、主にサブとして結構試合出場していた。

・アーセナルのベンゲル(3):プティはもともとサイドバックで、モナコでの最後はリベロだった。アーセナルでボランチにコンバートした。

・アヤックスの育成ではスピードを最重視する。他の技術は後からでも伸びるが、スピードだけは伸ばしにくいため。

・黄金期のアヤックスの記述で「ピート・カイザー」という知らない選手の記載あり。調べると左ウイングで1961-74アヤックス一筋。しかし74W杯ではレギュラーでは無かった選手らしい(途中でレンセンブリンクに奪われたようだ)。サカつく04では登場しないな。

・ペルージャ中田(1):MFマニコーネはジェノアでカズとチームメイトだった。「スクラビーは当時チェコで最強の選手だったしパドバーノは後にユーベに引き抜かれた。」カスタニェール監督は元ペルージャのCFWで、ペルージャの監督しては何度もクラブを上のリーグに昇格させている。レナト・クーリは77年ユーベ戦で試合中に死亡した選手で、セリエAでただ一人の試合中に亡くなった選手である。

・ペルージャ中田(2):マテラッツィが多額の移籍金を残してエバートンに移籍。インテルから来たウルグアイ人のリヴァスは未知数。LBコロンネッロは初のセリエA。RBゼ・マリアは数多いパルマからの移籍組の1人で怪我で出遅れ。中盤を組み立てるマニコーネ。ストラーダは中田と似た選手。トバリエリ、メッリ、ラパイッチ。注目はBのアンコナから加入のエルチェグ。



■Number444:欧州最終決戦(1998.05)

・仏W杯1m前、CL決勝ユーベvsレアル直前号で両チームの記事多し。

・4月の親善試合ブラジル0−1アルヘン。スタメンはRo-Roコンビにライー&デニウソン、ゼ・エリアス&サンパイオ(ドゥンガ出場停止)。この試合内容はロマーリオ、ライー、ゼ・エリアスらのW杯メンバー落ちに影響したことだろう。

・杉山茂樹ノリノリ。特に2トップ論が読ませる。「デルピエロ、ラウール、ストイコビッチなどMFをこなせる選手がFW起用される傾向の中、異彩を放つのがユーベのジダン」「1人しか使われないストライカー受難の時代」(ともに大意)などは同意。

・「小倉隆史が語る欧州ストライカー図鑑」が面白い。以下は小倉氏の弁。
「バティーに昔ほどの怖さはない」
「デルピエロに高さはない。そもそもヘディングで競りに行ってない」
「クライファートのイマジネーションについては、あんまり評価しない」
「ユーベの2トップ(デルピエロ&F.インザギ)は、それほど上手くいったとは思わない」
「オリベイラはダァーと行って、そのまま終わる(単調)というイメージがある」
「ウェアは、ボールを持って相手をなぎ倒していくイメージだから、そういう選手がいるチームはリズムが出にくい」
Heightのスペル間違い。高さの採点がおかしい。
(低すぎ)バティ4、カシラギ4、モリエンテス3.5、サモラーノ3
(高すぎ)ボクシッチ4.5、インザギ4、ロナウド4、ミヤトビッチ&ベルカンプ3.5

・インテル論。「50年代に2度インテルにスクデットをもたらしたステファノ・ニエルスは両親がハンガリー人であるフランス生まれのFWだった」「91年と94年にUEFA杯を制したときのチームは、マテウス、ブレーメ、クリンスマンを擁するドイツのチームだった」
→ニエルスは知らんかった。インテル在籍:マテウスは88-92、ブレーメは88-92、クリンスマンは89-92。94は関係ないのでは?

・井原インタビュー。バレージ「キャプテンは冷静に、できるだけ黙っているように努めなくてはならない」
→怒鳴らず叱咤せず、黙々とプレーするバレージに共感する井原。



■South Africa2010 world cup special issue1:日本代表、歓喜の咆哮(2010.06)

・2010W杯初戦のカメルーン戦に勝った直後に出た号。

・35歳のファン・ブロンクホルストはこのW杯で引退。31歳マルケスは代表引退。
→あれ、8年後のW杯にもマルケスは出場してたぞ。
・日本人記者曰く、オランダの弱点は2つ。ベテラン左SBファン・ブロンクホルストのスピード不足。CBマタイセンの守備力。

・反町監督のインタビューが面白い号だった。
「エトーを右サイドから動かさなかったカメルーン代表監督の無策に助けられた。」
「カメルーンのファール29回(主に本田へ)は異常な数字で、これにも助けられた。」
「右利きの選手は、右からのクロスを頭で合わせるのが得意。清水での岡崎もそうで、数字にはっきり出ている。だから五輪代表では左サイドに配置した。」
→後にザッケローニは右サイドに置いていたぞ…。
・意外と?本田を評価する反町。五輪代表での本田は最初左WB→後に右WG起用となった。
・サイドバックとしての内田の守備力は評価しない反町。

スペイン代表キャンプ通信。チーム最年少ハビ・マルティネスの動きが素晴らしい。21歳にしてビルバオの主将、U−代表でもキャプテンを務めていた。レイナとの不仲が噂されていたビクトル・バルデスの態度が柔和になった。





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