ニートの奇妙な感情

または私は如何にして口汚く鹿島を応援するようになったか



 私は鹿島アントラーズのファンだ。数年前には鹿嶋町に行き、カシマスタアジアム詣でもした。今でもテレビで鹿島の試合があれば、大抵観戦している。

 私の鹿島ファン歴は、1993年8月にヴェルディ川崎戦をテレビ観戦したことから始まる。私はまだ高校1年でサッカーには興味がなく、チャンネルを合わせたのは単なる気まぐれだった。観たいバラエティ番組が無いし、今年開幕したJリーグというものを少し観てみようかなぁ、程度だったように思う。

 当時のヴェルディ川崎は三浦カズ、武田、北澤、ラモスといった日本代表のスター選手達を擁し、系列の日本テレビの強烈なプッシュもあって野球でいうと巨人のような存在のチームだった。やっているサッカーも中盤から華麗にパスを組みたてて対戦相手を圧倒するという華のあるもので、人気と実力を兼ね備えていた。日本一のチームは?と問われれば、殆どの人がヴェルディ川崎と答える時代が(一部の人は苦虫を潰したような表情で答えるだろうが) 確かにあった。その頃から10年以上が経ち、本拠地移転や改名で東京ヴェルディとなり、J2常連に転落した今となっては隔世の感がある。

 そんなヴェルディ川崎を相手にして、件の試合の鹿島アントラーズは劣勢の中で奮闘した。必死にボールに喰らいつき、いわゆるプロフェッショナル・ファールを繰り返していた。

 中でもとりわけ目を惹いたのは、ブラジル人助っ人のジーコとアルシンドである。素人目で見ても、彼らのテクニックは群を抜いていた。ボールを持ったときの落ち着きとプレー精度が明らかに他の選手とは違うのだ。そして何と言っても、彼らのプレーは本当に汚くて見苦しかった(褒め言葉w)!彼らは明らかに自分達が悪いファールをしても、平気な顔で審判に悪態をついていた。そしてひとたび審判が微妙な笛を吹いて自分達に不利な判定を下そうものなら、すぐさま審判を取り囲み、今にも掴みかからんばかりの勢いで審判に喰ってかかっていた。アルシンドに至っては、たまに審判を突き飛ばして退場するほどだった。

 トーナメント戦や高校野球と異なり、日常化の度合いが高いプロスポーツのリーグ戦に於いて、ここまで恥も外聞もかなぐり捨てて執念深く勝利を希求するスポーツ選手はいただろうか?アルシンドとジーコの有無を言わせぬ迫力に魅せられ、かくして私は鹿島アントラーズのファンになった。今にして思うと、彼らはサッカー後進国の審判技術に対して抱いた不満を直情的に表しただけなのだろうし、そんなことをしても判定は覆らないのだから、彼らの行動は利害を考えると褒められたものではない。しかしながら、彼らのそんな態度は兎にも角にも、私の眼には勝利への執念に映ったのである。

 Jリーグ開幕〜4年目くらいまでの鹿島vsV川崎戦は、いま思い出しても相当殺気立っていたと思う。横浜MvsV川崎はよく『伝統の一戦』と形容されたが、鹿島vsV川崎戦は一部で『因縁の一戦』と呼ばれていた。例えばJリーグ2年目の対戦で鹿島がVゴール勝利した試合では、ヴェルディ川崎の選手はラモスを除いた全員が試合後の挨拶を拒否してピッチを後にしてしまった。

 現在のJリーグでは、試合前の段階から入れ込んだ選手同士が睨みあうようなことはまず無い。現在の状況が普通だとは思うが、それでも昔のなりふり構わぬアルシンドの姿を思い出し、懐かしく想うことがある。トモダチナラ、アタリマエー。そんな太古の時代のお話。



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