おめでとう! ここは隠し部屋です よかったら見てって!

ここでは ぷ〜とぷ〜ぱぱとの出会いからのことを書こうかな〜と思います

初心忘れるべからずということで

出会いからグループ交際へ

あれは 私がまだ19のころ あるライブステージでライブ喫茶があることを知る 

友達とさっそく出かけてみたその時コーヒー代を払い忘れた私達は後日払いにいく

そしたら いきなり 鈴木一平ライブのビラ配りを手伝わせられその中にぷ〜ぱぱが・・

ぷ〜ぱぱは たまにそこの喫茶店でライブをしてる人らしい

最初は名前も覚えられずその時来てた服がたしか赤のトレーナーで

私達は“赤い人”と呼んでいた

でも1度もそこの喫茶店でぷ〜ぱぱのライブを見たことはなかったなあ 

始めのうちはなぜか私と友達とぷ〜ぱぱとその時やっぱりビラ配りをしていた

男の子の4人で行動するようになった もっぱら夜のドライブ どこへ行くわけでもない

ただ走ってるだけ でもなぜか車の中の4人は楽しかった いつも4人だった

本当に清いグループ交際って感じ もうみんな20歳こえてるのに!不思議な関係でした

  始めてぷ〜ぱぱと2人で行ったのは 上川にあるエスポワールの鐘

なんとなく 私は意識し始めていたのかな?ぷ〜ぱぱはどうかわからないけど・・・



はじめての朝

そう 2人で知床のほうまでドライブしたのです 夜になっちゃてぷ〜ぱぱは

眠いと言い続け そのへんのホテルに入ってしまったのです・・

朝を迎えました とっても気持ちのいい朝でした

すご〜くいい天気だったの 摩周湖を見て しっかり見えましたよ 霧はなかったです

知ってる?霧の摩周湖ははっきり見ちゃうとお嫁に行くのが遅れるって言うんだよ!

でも私は21歳で結婚しました



いっしょに暮らそうか

ぷ〜ぱぱは会社の寮に住んでました 私はもちろん親といっしょです

ぷ〜ぱぱは寮を出たいと思ってて 私は親元を離れたいと思ってて どちらからとなく

“いっしょに住もうか”となったのです それから 部屋探しが始まりました

案外すぐ見つかって引越し家の親は反対はしませんでした父は文句あったみたいだけど

好きな事やりなさいと認めてくれました 朝から夜までず〜といっしょで

  あの時は今考えるとキャピキャピしてたんだなあと思います

引越したのがぷ〜ぱぱの誕生日だったと思う それから半年 私の体が・・・



妊娠そして結婚

私は具合が悪くて起き上がれないほどになったのです 風邪が流行ってたので

  悪い風邪にかかったんだと思ってました その時私は病院で働いていました 

赤十字病院の看護助手 看護婦さんのお手伝いみたいな感じです ようするに雑用係 

先生に薬をだしてもらい 点滴もしてもらいました 仕事中に・・・でもぜんぜん治らず

  母が産婦人科に行きましょうと言ったのです さすがです 2ヶ月と言われました 

母はあんまりつわりがひどいのでおろすことも言いました でも産みたかった! 

ぷ〜ぱぱに電話すると最初不機嫌な声だったのが 2ヶ月だっての言葉に今すぐ帰る

と言って実家にいる私を迎えにきました 喜んでくれたみたい すぐ親に電話して

籍入れるからということになり 1987年2月14日に入籍2人で出しました

私は仕事を続けられずに退職 私の様子を見てぷ〜ぱぱは私の親に

一緒にすんでもいいですか?と私を連れて私の親のうちへ引越し 

さらに式を挙げなくちゃと式場探し 私は昔から担任の先生に言われてた

  結婚式は仏滅にするべきだと 仏滅ならすぐ見つかった ホテル側でも一番いい料理 

衣装 部屋 スタッフをだしてくれる上に衣装代会場代は半額といった

とってもいい条件でやってくれた一番広い会場なので広々と使ってゆっくりできたと思う

つわりと戦いながらだったけどよかった

  1987年5月10日(日)仏滅 挙式&披露宴 無事終了 

新婚旅行は行ける状態ではなかったので ぷ〜ぱぱの親が行く予定の温泉旅行に

いっしょに連れて行ってくれた なんとか つわりも治まってて 楽しんでこれた 

おとうさん おかあさん ありがとうございました って感じでした



そういえば結婚前に

ぷ〜ぱぱと1度だけ一緒にライブをやりました 私はキーボード ぱぱはギターで

緊張して間違えるし 考えてたMC忘れるし 大変なライブだったけど 楽しかったなあ

ぷ〜ぱぱはその後仲間を作ってバンドを組みました ドラムをやってました

練習見にいったなあ 結婚してからは結婚式のバンドのアルバイトで

ベースとかもやりました それは見たことなかったです

最近はぜんぜんやってなくて ギターたちもほこりをかぶってます

もうそろそろ長男がバンドとかやってもいい年になってるけど どうかな?



結局

ぷ〜ぱぱの親は旭川じゃないし 今は私の親と同居 

プロポーズの言葉もないままだけど 

まあ今考えると一緒に暮らそうっていうのがそうかな?

ただいまお金はないけど 幸せな毎日を送っていますので 

ぷ〜ぱぱを選んで正解ってとこでしょうか?