男がたたない

 男が起たなくなる日、それは突然に来る。
 ほとんどの場合、ある日、そうなっている自分に気付く。いつからなのか、わからない。そして、あきらめてしまう。
 この物語の主人公は、起たなくなって、なお諦められない男だ。その悪あがきの一部始終である。


第1章  そして、起たなくなった


 美瑛留ケンはAV男優、中でもサオ師と呼ばれるスペシャリストだ。
 今日もケンは絶好調だ。
 AVは女が優先の世界。女の裸をたっぷり見せる。それも男優の仕事。
 男と女がからむ体位で、他から最も女が良くみえるのは、女上位。中でも、騎乗位は人気が高い。
 今日の女優は小柄な栗見マミ、背は小さくとも乳はデカイ。騎乗位で揺れる乳房が絶品だ。
 女優が小柄ならば、えいっとケンは腰を浮かせた。レスリングブリッジで背まで浮く。空中騎乗位だ。
 次いで、マミの両足を抱えて立ち上がる、駅弁スタイルだ。
 駅弁、駅のホームで売る弁当は、今ではワゴン売りがほとんど。首にバンドをかけ、箱を吊す駅弁売りは絶滅寸前である。列車の窓が開かなくなったのも、影響している。
 ともあれ、AVの世界では、駅弁ができる男優はA級、ちょっとギャラも高い。
 女を対面座位から空中に持ち上げる駅弁スタイルは、男の強さを誇示する体位でもある。問題は、女の乳房が隠れてしまう事。
 ケンはマミの腰を支えて反っていく。マミもケンの手をつかんで、背を反らす。
 二人の胸が離れて、男と女のY字バランスができた。これなら揺れる乳房を、カメラでねらえる。
 ぷちぷち、時々ペニスの中で、何かがちぎれるような音がする。女の体重の半分をペニスだけで支えているのだ、色々あって当然だろう。少し痛むけど、気にする暇は無い。
 ケンはカメラの後ろにいる監督を見た。
 ゴーとサインが来た。
 マミをマットに降ろし、屈曲位で攻める。揺れる乳房と女の股を、同時にカメラに入れる体位だ。
 腹の奥から尿道を上ってくるものがある。
 ペニスは勃起中、膨張した海綿体で尿道は閉じている。閉じた尿道をこじ開けながら、精液は外に出る。すさまじいパワーを使う仕事だ。
 どどんどどん、マミの膣に精を出した。たっぷり中に注ぎ込む。
 マミの股にカメラが寄った。
 射精が終わった。ケンはゆるりとペニスを抜いた。ぴょんと、亀頭がはねた。
 抜いたら、素早くカメラに場をゆずって後ろへ下がる。カメラは膣からあふれる精液と、うっとりするマミの表情を撮る。
 サオ師は自分の都合で射精できない、すべて監督の指示のもとにする。それができるから、この業界で十年以上も稼いでこれた。
 ケンはタオルをもらって、汗をぬぐおうとした。息が、動悸が苦しい。
 監督がケンの肩をたたいた。マミの表情が硬いらしい、ほぐさなければならない。
 ケンは再度カメラの視野に入った。
 マミに寄り添い、乳房をもみ、唇を合わせて舌をからませた。マミの手がケンのペニスをつかむ、すでに柔らかくなっている。
「カット!」
 監督の声が響いた。

 ふーっ、スタッフから息がもれた。
 スタイリストが寄ってきて、マミにバスタオルを渡す。股間を拭いて、床に精液が落ちない配慮もする。
 栗見マミは次のシーンに備え、メークをやり直し。頭のてっぺんから足の先までやるので、時間がかかる。マミのスタイリストは、所属プロダクションからの派遣だ。
 男優は、ほとんどが所属無し。電話一本で呼び出される日雇い仕事。
 倉本監督は、撮ったばかりのビデオを再生してチェックする。俳優の前では怒った顔を見せないので、仏の倉本と言われる。が、俳優が入ってないスタジオでは怒声を響かせるので、鬼の倉本とも呼ばれる。
 スタジオを片付けるのは助監督以下の仕事だ。次のシーンを準備するため、これからが忙しい。ビデオ収録中が休憩の代わりになる。
 動悸がおさまらない。
 ケンは一人でシャワーを浴びた。
 ぬる湯を浴びながら、床に座り込んだ。まだ息が荒い。
 歳かな・・・・ふと、思った。
 興味本位で新聞広告に応募して、この業界を知った。月に一度、あるいは週に一度、スタジオに顔を出すようになった。
 会社がつぶれて、本格的に入った。始めは照明と小道具担当だ。カメラ写りが良い、とほめられて男優へ転向した。以来、十数年だ。
 気がつけば、四十を過ぎる歳になっていた。

 今日の仕事は終わった。服を着て、屋上に出た。
 スタジオは地下一階地上四階建て、私鉄駅前の普通のビルを流用している。全ての窓をカーテンと板で塞いであるので、見た目は少し異様だ。
 気分が悪い、少しめまいがする。
 陽を浴びながら横になりたい気分。
 灰皿を通り過ぎると、撮影現場に出くわした。
 屋上の隅にマットを置き、その上でやっていた。
 こちらは女優と男優、監督兼カメラマンとレフ板兼雑用係の四人だけ。青空の下でやるので、アオカンと呼ばれる種類のAVだ。
 ジャマにならぬよう物陰に腰を下ろし、なつかしい思いがする風景をながめた。
 暖かい。陽差しの心地よさに眠気がきた。
 眠る・・・・ただ闇の中を落ちた。夢の無い眠り・・・・・
 肩をたたかれ、目を覚ますと、裸の男がいた。
 アオカンをやっていた男優だ。タバコを要求する仕草、ポケットから出して箱ごと渡した。ビルの中は禁煙なので、吸う時は外に出るしかない。
 身に着けているのはコンドームひとつのみ。それでタバコをふかすのは、ちょっと間抜けな風景。
 コンドームを着けるのは、生入れNGという女優側の都合による場合がある。が、まだ彼は若いので、外出しと中出しという射精制御がうまくできないのかもしれない。
 カメラは女だけを撮っている。青空オナニーだ。
 レフ係が呼んだ。タバコをもみ消し、彼はカメラの前へ。またアオカン再開だ。
 絡みの前にタバコをやるのはマナー違反。彼がゴム着き男優を卒業できない訳かもしれない。

 気分が直ったので、ケンは玄関に向かった。
「ああ、ケンさん、良かった。ひとつ、お願いします」
 階段の途中で、倉本監督の助監督が手を引っ張る。またスタジオに入った。
「3Pの予定が、男優が来なくて。連絡もつかないし」
 ケンは3Pが苦手だ。他の男と協調できない。
 苦手でも、監督に「やれ」と言われれば、やるのが俳優と言うもの。栗見マミを間に入れて、対する男優は富樫と言う若手だ。
 出したばかりで、精液がうまく出ない可能性を監督に言った。うむ、と頷き、監督はスタッフの一人を指名した。射精専門の男優をスタンバイさせた。
 射精専門は、汁男優と呼ばれる。女優から「お汁さん」と言われる事もある。ほとんどの場合、彼らが画面に出るのは下半身だけ。射精の瞬間だけ出演、というのも珍しくない。美瑛留ケンがAV男優になった時も、これがスタートだった。
 簡単な打ち合わせの後、監督からスタートと号令がかかった。
 栗見マミが両手を広げた。
 画面両側から、ケンと富樫が入る。左右へのダブルフェラで始まった。
 富樫のペニスはキンキンに反っている、亀頭の色はピンクで若い。
 ケンのは・・・・しぼんだままだ。
 ちょっと焦る。自分の手をそえてしごく。でも、反応が無い、サオ師ともあろう者が。
 マミも焦れてきた。
 がぶっ!
 あぎっ、ケンが声を上げた。
 次いで、必殺のアッパーカットがあごに、ではなく、陰嚢にヒットした。
「それでも男ですか、軟弱者ぉっ!」
 マミは叫んで、さらにケンの玉袋としなびたペニスを踏む。ぐりぐりと足首をひねって踏みつぶす。
 若い頃なら、こんな事をされると、逆に勃起したはず。なのに、今日のケンはピクとも反応しない。
「さあ、起てっ! 起つんだ、ジョーッ!」
 打ち合わせと全く違う展開に、カメラもマイクも狼狽えていた。
 ただ、監督の倉本だけは、目を潤ませていた。
「ああ、おれは今、猛烈に感動している。あのマミちゃんに、こんな面があったなんて。隠れた才能を発掘してしまったぞ!」

 結局、ケンは起たなかった。
 噛まれて、殴られて、踏みつぶされた痛みで、一時間以上も立ち上がれなかった。ペニスは衝撃に強いものの、睾丸は弱いのだ。ついでに痛覚も敏感だ。
 起たない、汁も出ない男優にギャラは出ない。これは業界の常識。3Pの方は、ただ働きになりかけた。実際、何もしなかったのだが。
 帰り際、監督がポケットマネーから万札を三枚にぎらせてくれた。この辺が、仏の倉本の所以だ。


第2章  今、そこにある危機


 スタジオを離れれば、AV男優の美瑛留ケンは存在しない。
 阿部勤、職業フリーターな四十男がいるだけだ。
 日が暮れて、アパートに帰り着くと、窓が明るかった。
「おかえり」
 元気な声で出迎えてくれたのは、向井真理子。内縁の妻と言うか、同棲を始めて三年目だ。
 真理子は元AV女優。もっとも、出演作は1本だけ。初出演の収録中から泣き出して、終わっても泣きやまない。頼まれて、阿部が個人的になぐさめた。ラブホテルで、カメラの無い部屋でなら、彼女は笑った。
 以来、阿倍のアパートに住み着いた。
 晩飯はステーキだ。
 職業柄、体臭が強くなる食事は避けるようにしている。ステーキでは、ソースやタレが体臭の元とわかり、味付けは塩コショウだけにしている。焼く時の油も、肉の脂身を使う。
「今日、お父さんが来たの」
「ここに?」
「ええ。住所、教えてたのね」
「おれは人さらいじゃない」
 実はしばらく前、阿部は真理子の父に会っていた。その父が、美瑛留ケンが出演したDVDを持っていると知り、変なところで意気投合したものだ。
 でも、娘の事は別。家出娘の将来を考え、二人は答えのない解決策を探した。
 阿部は大口にステーキをほおばる。真理子のフォークが止まった。
「明日、うちに帰る事になったの」
「そっか。よく話し合うんだね」
 帰る、と自分から言ってくれた。
 真理子は二十代半ば、やり直せる歳だ。二十歳近くも年が離れた、いかがわしい職業の男と縁を切り、再出発の道が開けるなら、喜ぶべきだろう。
「明日はオフだ。駅まで送るよ」
 阿部は最後の一切れを口に入れ、茶を飲んだ。肉の脂を分解する緑茶は、ステーキに相性が良い。

 明け方、布団の中で何かが動く。
 真理子がすり寄ってきた。
「今日はオフよね。ね、最後に、もう一度しよ」
 壁のカレンダーを見た。今日と明日、明後日まで予定が入ってない。珍しい三連休だ。もっとも、早朝や深夜に電話で呼び出される場合もある。
 まあ、昨日の失態が伝われば、狭い業界だけに、仕事が飛び込む事は無いだろう。
 同棲していながら、真理子としたのは数えるほどしかない。仕事が優先だからだ。
 真理子の肩に手を回した。
 別れの一番だ。深く忘れられないほどの思い出を刻むか、あっさりとあいさつ程度にすますか。考えて、成り行きにまかせようと、唇を重ねた。
 互いの下着を脱ぎ、布団の外に投げた。
 阿部は手を乳房から下腹へ滑らせる。陰毛は薄く柔らかい。その下の割れ目に指を這わせると、外側にあふれそうなほど湿っていた。
 内太ももに手をやると、真理子は自ら足を開いた。
 体を反転させ、体を重ねる。両ひざで真理子の足をM字に開かせ、股を合わせた。阿部の首に爪が立つ、少し痛い。
 真理子が腰を突き上げて、早くとねだる。
 しか、しかし・・・・
 二人の下腹と股間は密着していた。陰毛がこすれ合う。
 が、阿倍の起つべきものが起たない。
「どうしたのよ?」
 真理子が二人の間に手を入れた。萎えたまま、小さく柔らかいペニスに触れた。
 ぐにぐにと握り、また擦った。でも、何も起こらない。
 パン、と阿倍のほおに平手打ちがきた。膝蹴りで横に転がされた。
 真理子は布団から飛び出した。
「あたしなんかじゃ、起たないっての? バカにすんなあっ!」
 半泣きで身支度し、真理子は部屋を出て行った。
 阿部としては、起たないのは不本意だった。
 それでも、真理子が自ら出て行ったのは望むところ。家に帰るだろう、と期待した。
 まだ、朝は早い。布団をかぶって、また眠りに落ちた。

 目が覚めると、夕方だった。
 汗をかいて、ひどく喉が渇いていた。布団のシーツをはがして洗濯機に放り込み、冷蔵庫からスポーツドリンクを出して胃に流し込んだ。
 シャワーを浴びると、腹がグウと鳴った。
 阿部は夕暮れの街に出た。
 ふと、スナック「ゆい」の前で足が止まった。
 何か食いたいと思っていたが、飲みたいとも考えた。明日はオフなのだ。
「いらっしゃ・・・・じゃなくて、今日は、お休みですよ」
 ドアをくぐると、疲れた顔のおばさんが応えた。
 振り返ってドアを見れば、確かに定休日の札が出ていた。さらによく見れば、おばさんではなく、化粧してないママさんだ。休みに掃除をしていたのだ。
「飲みたいなんて、明日は休みのようね。マリちゃんは一緒じゃないの?」
「真理子は帰ったよ、家に。きのう、お父さんが来てったし」
「帰ったの、家に! それは目出度いわ、今夜は二人で祝い酒しましょ!」
 スナック「ゆい」のママは、芳賀由衣の名で活躍した元AV女優だ。実は本名と言う。3P、4P、浣腸、カストロ、SM、と何でもやったらしい。三十過ぎてもAVに出る女優は珍しい時代。今で言う、熟女系の走りだった。
 ちなみに、美瑛留ケンが初めて生中出しをした相手が、芳賀由衣だった。それが彼女の引退作となった。
 AVでの稼ぎを元手に、芳賀由衣はこの店を手に入れた。当初は、ずいぶん繁盛したらしい。
 そして、十数年、芳賀由衣は時の流れの中で生きてきた。歳は五十を超えたと聞く。
「また一人、女の子が、まっとうな道に帰りました。実におめでたい事です」
 ぐいいーっ、と由衣はグラスを飲み干した。
 阿部はつきあい程度に、ちびりと口を付ける。
「今日は特別な日だし、やるよぉ!」
 由衣が阿倍の手を引いた。キッチン裏の休憩室に連れ込まれた。
 三畳ほどの部屋は、本来は店に勤める女が着替える所。鏡台と細い姿見まである。
「ちょちょっと、姉さん、何を?」
「男と女が狭い部屋で二人きり、他にする事あんのかい」
 由衣が服を脱ぐ。ワンピースの下には、肉に食い込んだブラジャーとパンティーだけ。胸、腹、腰、と歳相応に下ほどサイズが大きい体型は、正しく五十女のものだ。
 三段腹の白い肉塊が、どすこい、と阿部にのしかかった。
「現役男優のテクニックとパワー、とくと味わせてもらうよ」
 阿部は抵抗できない。由衣のするがまま、裸にむかれた。
 由衣は69の体位で阿部の上になった。ジャバ・ザ・ハットの尻尾のような尻と太腿が、阿部の頭をはさんで被さった。息ができない。
「ケンちゃん、舌を休めないで、ちゃっちゃと舐めるの」
「舐める、と言っても」
 ゼリーのような肉の壁を手でかき分ける。秘められた女の場所が、なかなか発掘できない。
 由衣は得意のバキュームで、ペニスと陰嚢を吸い上げ、丸ごと口に入れた。
 ・・・・・・・
 三分経過。
「どうなってるの・・・ぜんぜん大きくなって来ない」
 由衣は小さいままのペニスをつまみ、首をひねった。
 現役AV男優ともあろう者が、心因性勃起不全であろうはずがない。ならば、原因は一つだ。
「あんた、インポになったのね。だから、マリちゃんに捨てられたんだ」
「そんな、そんな事は無いっす。ちょいと調子が出ないだけです」
「これは、絶対に異常よ」
 由衣は阿部の上から下り、あらためて全身の状態を見た。
「こんなあたしを相手にするんだもの、半分までしか勃起できないとか、射精にいたらないとか、普通の人でも考えられる。でも、これは異常過ぎるわ」
 由衣はペニスの先を指ではじいた。
 阿部は半身を起こし、自分自身を見下ろした。陰毛に隠れてしまいそうな姿に、ちょっと危機を感じた。
 昨日のスタジオで、今朝の真理子との事で、勃起しなかった理由を探した。
「インポじゃ男優できないよ。病院へ行きなさい」
「今日は、たまたまですよ。そ、たまたま・・・」
「そう思いたい気持ちは、痛いほどわかるけど、ね」
 由衣は阿部を抱き寄せた。子をあやす母の仕草だ。


第3章  それでも、おれは起ってこない


 阿部はアパートに帰ってきた。
 冷蔵庫を開け、奥から箱を出した。
 中身は強精剤各種盛り合わせ。多くはもらい物だ。捨てずに置いたのは、仕事が何本も重なった時のためにだ。
 封を切って錠剤を飲み、栓を開けてドリンクを飲んだ。病院の袋が出てきた。中は有名なバイアグラ。これも飲んだ。
 ソファーに座り、待つ事、暫し。
 股間に触れるが、何も起こらない。
 また冷蔵庫に行き、ドリンクを手にした。
 と、世界が歪んで、阿部は倒れた。息が苦しい、胸が痛い。
 吐き気がした。這ってトイレへ、便器に顔を突っ込んだ。
 胃液が逆流して、口から鼻から出た。酸で鼻が焼けて痛い。手探りで水を流した。
 顔を洗おうと洗面台に向かい、鏡を見ると、鼻血が出ていた。死相かと思った。
 口と喉をうがいで流し、タオルで鼻を押さえ、布団に倒れた。頭がしびれる、視界が狭い、胸が痛い、動悸がおさまらない。
 死ぬかもしれない、と不吉な予感が来た。
 死んでもかまわない。けれど、その前に、もう一度起ってくれ、と股間を叩いた。
 起て、起て、と股をたたく内に、睡魔が来た。
 目が覚めると、すでに夜が明けていた。
 立ち上がる気力がわかない。
 布団の側にドリンクの箱が落ちていた。注意書きを読んだ。
 本品を服用後、性的な刺激を受けて、勃起を導く・・・・他の精力増強剤との併用を控えて・・・・体調が悪い時は、ただちに使用を止め・・・・病院へ・・・・
 一度に多種を飲み過ぎたらしい。
 女と触れ合うまで勃起しないのは、AV男優の職業病だ。十代の頃なら、空想だけで勃起して射精まで行けたのに。

 阿部は街に出た。もう昼が近かった。
 昔、精力剤を飲んだ時は、翌日まで悶々とした気分が残った。ならば、今も少しは効いているはずだ。
 朝から営業しているソープランドに入った。
 待合室のソファーは、ややくたびれていた。高級店ではないので、内装を云々する場所ではない。
「ユウナと申します。よろしくお願いします」
 三つ指ついてあいさつするのは、二十代、たぶん後半と思われる細身の女。
 今日、阿部が求めるのは、若さではない。
「実は」
 阿部はベッドで正座し、ユウナに頭を下げた。
「どうも、その、ここしばらく起たないんだ。君の経験とテクニックで、起たせてほしい」
「起たない・・・・ので、起つようにする、と」
 ユウナの目色が変わった。
 格安ソープの顧客には、障害者が多く含まれる。盲人、半身麻痺、知的障害、とユウナも障害者と付き合ってきた。さすがに、勃起不全は初めてだ。
 勃起不全に近いのは老人だ。七十、八十の年寄りが杖をついて、男の性で一時の憩いを求めてくる。
「あなたの悩みは、わたしの悩み。さあ、一緒に戦いましょう」
 ユウナは立ち上がった。
 ・・・・・
 約二時間後、二人は正対して頭を垂れた。
「お疲れ様でした」
「いえ、お役にたてませんで、申し訳ございません」
 二人は、また頭を下げ合った。
 延長料金を払って、あれこれオプションプレイを試したが、結局、阿部は起たなかった。
 店を出ると、太陽が黄色く見えた。
 疲労だけは、たっぷり感じた。

 駅前のネットカフェに入った。
 個室を選び、ハンバーガーとコーヒーカップを手に、パソコンの前に座った。
 外国につなぐと、モザイク無しのエロ写真とエロビデオが見放題だ。
 しかし、阿部は起たない。
 起たないエロに意味は無い。存在価値も無い。
 あきらめて、勃起不全を検索した。
 文章は苦手ながら、フェロモンという単語に注目した。十代後半に、最も濃く放出される性ホルモンの一種らしい。女が発するフェロモンを感じると、男は発情する、とある。
 古代ギリシャの哲人ソクラテスは、五十歳過ぎてから結婚した。妻は十代の若さ、三人の子をもうけた。
 若い頃は後家好みと云われた徳川家康、関ヶ原の合戦後には、妾が若くなる。七十過ぎて、最後にとった妾は十代前半だった。若いフェロモンを肌を接して感じ、若返りを試みたのかもしれない。
 カフェを出た。夕暮れが近い。
 街を見渡せば、濃いフェロモンを発する女たちがあふれていた。彼女らと付き合えば、フェロモンの作用で起つかもしれない。
 声をかけようとして、あきらめた。
 阿部には、いわゆるナンパの経験が無い。
 スタジオへ行けば、いつも女が用意されていた。お膳立てが整っている女とやる、それがAV男優だ。スカウトはした事が無い。
 雨が降ってきた。
 休みは明日まで。明後日になって、まだ起たなければ、失業だ。
 それどころか、インポが直らなければ、AV男優を廃業しなくてはならない。AVでやれる事があるとすれば、ホモビデオの・・・・美瑛留ケンの尻は、まだ童貞である。
 ビルのひさしで雨宿りしながら、天を仰ぐ。
「おじさん、ひま?」
 女の声がした。
 探すと、足下にしゃがんでいる女がいた。歳は十代半ばか、肌が透けるようで、幼く見える。
「ひま、と言えば暇だ。この先、ずっと暇になるかも」
「雨宿りするくらいだもんね、暇だよね」
「暗くなるよ。早くお帰り」
「帰るとこなんか、無いもん」
 阿部はデジャブを感じた。
 真理子を思い出した。
 ビデオ撮りを終えて、泣きやまない彼女をラブホテルに連れ込んだ。そこで、彼女は言った。もう、家へは帰れない、と。
「こんな所で、うろうろしてたら、悪いおじさんにひっかかるぞ」
「おじさん、悪い人?」
 女は阿部のズホンのすそをつかんだ。
「体調が、ね・・・・悪い人だよ」
 雨が強くなってきた。

 路地の奥から、ラブホテルに入ってしまった。
 女の名は林明美、たぶん本名だろう。歳は18才で、フリーターと言うが、家出娘にしか見えない。
 阿部の同意も得ず、明美はルームサービスで食事をオーダーした。
 風呂から上がると、バスタオル一枚を体に巻いて、来た二人分の食事を一人で平らげた。
 ふーむ、とソファーで阿部は待っていた、若いフェロモンの作用が始まるのを。
「おじさん、やっぱり調子悪いの?」
「まだ、来ない」
「何が、来ないの?」
 阿部は股間を指して、首を振った。勃起の兆候が感じられない。
「おじさん、聖人君子には見えないけど」
「おれだって、そんな者には、頼まれたって成りたくないな」
「じゃ・・・・インポだ!」
 ズバリ指摘されてしまった。
 別に、望んでインポしてる訳ではない。今はそうだが、直ると期待して、女といるのだ。勃起した時、すぐにできる環境を整えただけだ。
「で、いつ起つの?」
「知らん」
「ほれほれ、若い女だよ。今日は出血大サービス、出玉解放無制限、朝までやりほーだい」
 明美はバスタオルを開き、大きくない乳房を揺らし、小さめの尻を振って誘う。陰毛は見逃すほど薄く、はみ出た赤いヒダがわかるほどだ。
「よしっ、やるか」
 阿部は立ち上がり、服を脱ぐ。直に肌を接すれば、フェロモンの作用が早まるかもしれない。
 ・・・・・
 そして、約二時間後。
 二人はベッドに並んで寝ていた。
「起たなかったね」
「ああ。また、ダメだった」
 阿部はAV男優として、全てのテクニックを使おうとした。けれど、前戯までしかできず、時間が過ぎた。勃起しなければ、体位四十八手を知っていても、意味が無い。
「すごかったなあ。お尻の穴まで舐められたの、初めてよ」
「誉めてくれて、ありがとう」
 あれだけやって、起たなかった。フェロモンに反応しない体が恨めしい。
「ああ、でも、なんか悔しい。男を起たせられなくて、女の価値って何さ」
「きみのせいじゃない。これは、おれの病気だから、たぶん」
 阿部は自分で自分をにぎってみた。ぐにゃぐにゃな柔らかい肉塊が股間に付いている。袋の中で、少し固いのは睾丸だ。亀頭とペニスは、押せば腹の肉に埋没しそうだ。
 明美が体を寄せてきた。乳房を腕に押しつけ、足をからませる。
「病気は、あせってもしかたないよ。こうして、じわっ、と若いエキスを染み込ませれば、突然、ポンと起つかもよ」
「じわっ、とか」
 阿部は身をまかせる。若い女の肌は温かく、接しているだけでも気持ちよい。
 時計を見ると、もうすぐ日付が変わる頃だった。
「今日は帰ろう」
 阿部は立ち上がった。
 ホテルの出口に来ても、明美は阿部の腕から離れない。
「帰るって、どこへ?」
「アパートだ」
「あたしも行く」
「そっちは、そっちの家へ帰れよ」
「帰るとこなんか、無いもん」
 また、デジャブな言い合いになった。
 と、肩をたたく手があった。数人に囲まれていた。
「お二人さん、署まで同行願います」
 警察手帳を示して、駐車していたパトカーへ連れられた。

 深夜にもかかわらず、警察署は混雑していた。
 取り調べ室の机を挟んで、阿部と対するのは高木巡査。ドア前に一人立ち、記録係がドア横にいる。
 阿部の容疑は、児童買春。又は、強制わいせつ。
 高木によると、林明美は16才なのだった。
「あの子、ルームサービス取ったり、風呂使ったり、ずいぶんホテル慣れしてるようだったなあ」
 阿部のつぶやきに、高木の顔が曇る。
 林明美は養護施設から脱走し、売春を繰り返す常習犯だった。
 警察が街に放置した地雷を踏んだ、と言うか、罠にかかった、と言うべきか。どちらにしろ、あの時、阿部はリスクを承知で、若い女を求めた事に間違いは無い。
「でも、何もできなかった」
 まさか、と高木は疑う。
「起つモノさえ起てば、何だってできた。でも、起たないんだ」
 阿部は明美の体に、指一本すら挿入てない。入り口は舐めたけれど。それだけでも、強制わいせつは成立する。相手が未成年だけに、両者合意の上でも、まずいらしい。
「夜勤の婦警だっているだろう、連れて来い。おれを起たせろ。起ったら、百万でも二百万でも好きなだけ罰金を払ってやる。さあ、おれを起たせろぉっ!」
 阿部は天に・・・・いや、夜なので、月に向かって吠えた。が、下の方は小さいままだ。
 落ち着け、座れ、と高木がなだめた。

 阿部は留置所前のベンチで待たされた。
 大捕物があったせいで、今夜の留置所は満杯だった。
「おーい」
 檻の中から呼ぶ声に振り向くと、倉本監督がいた。
「ロケ先で通報されてしまってな、スタッフもキャストも、一網打尽よ。しばらく活動自粛だな」
 倉本の逮捕は数年ごとに繰り返している。檻の奥には、見知った顔が並んでいた。
「おまえさんは?」
「児童買春とかで、取り調べの途中です。若いとは思ったけど、16とは」
「そいつは豪気だな。歳を取ったせいか、十代と二十代の差がわからんようになった。おれだって若い頃は、15と16の違いが見えたもんだが」
「同感です」
 休みは今日まで。この件で正式に逮捕となれば、阿部はAVでは再起不能だ。すでに勃起不能の身であるけれど。
 夜明け近く、阿部は釈放となった。
 条件は病院へ行く事。当面は観察が付く。林明美の聴取でも、阿部が不能だったという事で一致していた。
 警察署の玄関に、向井真理子が来ていた。
 真理子は家に帰らなかった。帰る前に一稼ぎしようと、またスタジオに顔を出した。そこで、美瑛留ケンが起たなくなった事故を知った。アパートにもどると、警察から電話が入った。
 真理子は帰る機会を逸した、と阿部はため息をついた。
 阿部自身は、明日以後の仕事は全てキャンセルしなくてはならない。これから、あちこちに電話で忙しくなる。概ね、午前中に終わるだろう。


第4章  病院へ逝こう


 インポテンツ・・・・勃起不全が行く病院は、心因性なら精神科だ。
 阿部が向かったのは泌尿器科。真理子がくっついて来た。
 その待合室は、老人ホームかと思われる様相だった。四十男の阿部は、まるで若造だ。
 診察前に、血圧測定に採血と採尿があり、心電図を取り、レントゲンを撮った。初診は健康診断のごとし。
 しばらく待って、診察室に呼ばれた。
 医師は四十代と思われる女性、名は発根美久、細い眼鏡が顔をきつくしている。名字で呼んだ方が似合いそうな威厳がある。
「勃起しない、と。いつからですか?」
「数日前です。その午前中は起ちました。それで、午後から、起たなくなりました」
「普通は、何年ほど前からとか、何ヶ月前ほど前からとか、言います。午後から、と言う訴えは初めてです」
「そうですか」
 発根医師は机のパソコンを見た。採血や採尿のデータが出ている。
「何らかの体調不良が、勃起不全の原因となるのは、良くある事です。ご自身が気にとめない病気の現れかもしれません。かぜをひいても、起たなくなりますからね」
 阿部は、ここ数年は風邪すら患ってない。逆に大病が隠れているかもしれない。
「糖尿病はボーダーライン上、高脂血症はボーダーライン上、高血圧もボーダーライン上、動脈硬化も進行中、と。おやおや、慢性病のデパートみたい」
 ずきずき、発根の言葉が阿部の胸に突き刺さる。
「そちらに寝て、脱いでください」
 発根の指示に、阿部はドキリ。女性の前で下半身をさらすのは、仕事柄慣れているはずなのに。
 ベッドで横になり、ズボンとパンツをひざまで下げた。
 発根は医療用の薄いゴム手袋をした。AVと違い、生の手で患者に触れるのは無い。
 女の細い指がペニスをつまんだ。
「触れてます、わかりますか?」
「は、はい」
「触覚はあり、と」
 ライト付きルーペで、ペニスを観察する。
 昔なら、触れられただけで勃起したはずなのに、全く反応無し。自分に自分で呆れてしまう。
「湿疹は無し、疥癬の痕が少し、性病は兆候無し」
 観察報告の声は、実に事務的。大阪弁でしゃべる自動販売機の方が色っぽいくらいだ。
 ペニスを持つ指が、亀頭を左右から押した。パクと先の口が開いた。
「尿道はきれい、ですね。問題無し、とても良いおちんちんです」
「良くない、です。まるで起たない、役立たずです」
 阿部の反論に、発根の眼鏡がキラリと光った。
「とても役に立っています、おしっこの出口として。もし、常に勃起したなら、尿道は閉じて、おしっこを排出できません。腎機能は正常で活発ですから、おしっこは膀胱に溜まるばかり。三日で死にますよ」
「三日で?」
「一日目は下腹が痛い、ですむかも知れません。二日目には、おしっこが腎臓に逆流して、尿毒症が始まります。全身倦怠で身動きならなくなります。三日目、腎臓か膀胱が破裂して、腹の中におしっこが流れ出すか、血管におしっこが混じってショック状態になります。ショック死なんて、きれいな言葉もありますが、昔風に言うなら、狂い死に、です」
「くるい・・・しに・・・それは、まずい」
 でしょ、と発根が笑みを投げた。
「いつも起ってなくても、いいんです。たまに、たまには起って欲しいんです」
「たまには、そうですね。健康な男性が精神的安定を得るために、勃起が重要な要素なのは確かです」
 発根が勃起を認めてくれて、阿部はひと安心した。
「勃起を阻害する要因を、ひとつづつ根気良くつぶしていきましょう。気長に、ね」
「気長に、ですか」
 即日、スパッと直るかと期待してたのだが、あてが外れた。
 女医物、看護婦物はAVで人気のある分野だ。阿部も多く出演した。けれど、今日のようなシチュエーションは無かった。倉本監督に話せば、きっと喜ぶだろう。

 発根医師はマッサージを勧めた。
 紹介状を持って、指定の店を訪ねた。民家を改造して、マッサージ店を開いてる所だった。
 玄関の看板を読むと、腰痛間接痛から始まり、一番下に勃起不全があった。
 待合室にはガラスケースが置かれ、トロフィーが入っていた。何かの競技で勝利したものらしい。額入りの写真は、水着姿の女性だ。水泳選手かと思いきや、靴を履いている。「ドナ・松本」と名札が付いてた。
「どうぞ」
 呼ばれて、治療室へ。
 マッサージ師は阿部と同じ背丈、筋骨隆々たる女だった。あの写真は水泳選手ではなく、プロレスラーと気付くのに時間は要らなかった。
「勃起不全。やや高血圧、動脈硬化が進行中。バイアグラ等の激的効果のある薬は、心臓麻痺や脳出血を起こす可能性あり、要注意」
 ドナは紹介状を読み上げた。
「薬を使い、一時的に起っても、意味はありませんね。あなたは若いし、きちんと体を治しましょう」
「はい、よろしく」
 阿部は肩をすぼめて頭を下げた。昔、柔道黒帯の女優とAVを撮った事を思い出した。
 ドナは阿部の手を診て、足を診た。体の末端の血流を測る。マッサージ師らしく、機械より生身の手で診断する。
「上を脱いで、そこへ寝て、うつ伏せに」
 阿部はベッドに寝る、なぜかうつ伏せだ。下ではなく、上が裸。
 ドナの手が首にかかる。頭と首の付け根をなぞった。
「インポと申しましても、脳の前頭葉の異常から来るものは、心因性などと言われます。で、後頭部の側の、小脳や脳幹などから来るものは、脳源性と言われる場合があります」
「つまり、脳みそで起たない、と」
 後頭部の下、頸椎の上端にドナの指がかかった。
「痛ければ、言ってください」
 うぐっ、阿部はうめいた。すでに痛い。
 ドナの指は、頸椎のツボを押しながら、ひとつづつ下の骨へ移動する。背骨に移り、さらに下へと行くと、肩胛骨のあたりで、また痛んだ。
「起たなくなる前に、何か体調異常を感じませんでしたか? ひどい目眩とか、耳鳴りとか、吐き気とか。あるいは、手足の麻痺とか、一時的に」
「一時的に、目眩とか、ですか。そう言われれば、あった、かな」
 ドナの手がズボンをおろした。尻が丸出しになった。
 ふたたび、指は背骨にもどり、腰のツボを押した。また痛い。尾てい骨の付け根まで、全部痛かった。
「おちんちんは、心臓の身代わりに止まったのですね。運が良かった」
「心臓の身代わりに、ですか!」
「胃や十二指腸が身代わりになったら、七転八倒の苦しみです。おちんちんだから、静かに済んでます」
 AV収録の現場で、吐血した男優がいた。尻から赤い血を噴いた女優もいた。どちらも鬼気迫る顔で悶絶した。阿部は幸運な方らしい。
「ああっ、美瑛留ケンさん!」
 黄色い声に顔を上げると、細身の助手が部屋に入ってきたところ。
「あたしです、毛利由貴。ほら、去年、二回ほど仕事したでしょ」
 彼女は、元AV女優らしい。しかし、言われて、すぐに思い出せるものではない。美瑛留ケンは、年に二百人の女と共演している。記憶に残るのは、複数回したとか、特別な事件がからんだ時くらい。
「ああああ、脱糞ユキちゃん!」
 女優の潮吹きや放尿は、AVの重要なアイテムだ。毛利由貴は豪快な放尿で売り出した。美瑛留ケンは、彼女の放尿を顔で受ける役をした。その時、おしっこに続き、彼女は脱糞してしまった。美瑛留ケンは、顔から胸にウンコを盛られた。
「その節は、失礼しました」
「ど、どういたしまして」
 由貴はぺこぺこ頭を下げる。あの時も、ごめんね、と笑顔で無理矢理に決着した。
「そう言えば、あんたは、そんなアルバイトもしてたっけ」
「半年だけです、ほんの。十本と、少ししか出てませんから」
「そんだけ出てれば、たいしたもんだ。なんで、辞めたの? うちより稼ぎは良かったろうに」
「くっさーい男優とやらされて、嫌になりました」
「病気持ちは、体臭も独特だからね」
 ドナは毛利由貴の過去を知りながら、助手にしていた。
 AV男優と女優は、スタジオの外で会ったら無視し合うのが礼儀のひとつ。黙っていてくれた方が、この場合は良かった。
「うちの子がお世話になっていたようで。ならば、腕によりをかけて施術せねば」
 ドナは腕を回し、大魔神の形相で力こぶを作った。
「うちの先生は、現役時代、女だてらにジャイアントスイングとか、アルゼンチンバックブリーカーとか、吊り天井固めなんかが得意技だったんですよ」
 由貴が自慢げに言った。
 SMもAVの需要な分野のひとつ。美瑛留ケンは何度もM男として、女王様に仕える奴隷を演じた。しかしながら、筋肉自慢の女王とは未経験だ。

 阿部は警察署へ出向き、診断書を提出した。起訴保留の手続き書類がそろった。
 ついでに、まだ留置中の倉本監督と面会した。
「ドナって先生、侠気があるなあ。ビデオに出てくれんかなあ、脱がなくて良いから」
「しばらく、活動自粛のはずでは」
「現場に出なけりゃ問題なし。監督なら、おまえがやれ」
「わわ、わたしが!」
 倉本は、まるで懲りてない。まだまだAVをやる気満々だ
 思わぬ要請に、阿部は絶句した。心の準備ができてない。

 警察の帰り、コンビニでパンと缶コーヒーを買った。
 その出口で、缶のプルタブを開けた時、ズボンのすそをつかむ手があった。
「見いつけた!」
 振り向くと、林明美がしゃがんでいた。
 阿部は振りほどきたかったが、手足を動かすと缶からコーヒーがこぼれそうだ。
 結局、明美はアパートまでくっ付いて来てしまった。同居の真理子と目で火花を飛ばした。
 すぐ警察に電話、向こうでも探していた。今日の未明、養護施設から脱走の通報が入っていた。
 さて、やって来た施設の係官は女性だが、ハイジを鞭打つ家庭教師のような感じ。
「あたしは、ここに居るもん。おじさんを癒して、必ず起たせるもん」
 明美は阿部の腕に縋り付いて離れない。色が黒ければ、昔流行ったダッコチャン人形だ。
 自分が為すべき事を見出したのなら、不良少女が立ち直るきっかけとして大事にしたい。
 問題は、その相手がAV男優だという事。未成年ビデオは地下流通で一定の人気がある。その方へ引き込まれる危険を回避できるのか。
「施設がだめなら、家に帰せば」
 阿部の提案に、係官は首を振った。
 林明美の父は、ヤクザで刑務所に服役中、罪状は殺人と放火で無期懲役。母は、自殺未遂を繰り返したあげく、薬物中毒で精神病院に措置入院中だ。親戚筋は、勘当しているとして、関わろうとしない。帰るべき家庭は、とっくに崩壊していた。
 そんな状況で、明美は施設に入れられた。その環境に馴染めず、脱走を繰り返す。
 阿部のところに居る、と明美は自分の選択を主張した。
 AV男優ながら、今は不能である。今日の通報でわかるように、警察との関係は良い。
 係官は明美を置いて、帰ってしまった。

「ここはね、オトンが通ってたとこ。先生が美人なんだって」
 明美が鍼灸院を紹介した。ヤクザな父親が、子猫のように大人しくなる唯一の相手だったらしい。
「西洋医学がだめなら、やっぱり東洋医学っしょ」
 明美に手を引かれるまま、老人ホームに隣接する建物が目的地だった。
 藤枝鍼灸院を経営するのは、藤枝須美子、四十手前な細身の女。切れ長の目が妖しい。
 またしても、阿部は女性の前に下半身をさらして、ベッドに寝た。
「突発性の勃起不全とは、また珍しい。普通は、勃起の間隔が三日から十日へ、さらに一ヶ月へと進行するのですが」
 細い指が、阿部のペニスをつまんで、引っ張り、つかみ、圧した。
 須美子の手は、下腹の中央に関心を移した。膀胱が圧迫され、もらしそうだ。
 また、へその両脇へ移る。ゆるゆると下へ動き、陰嚢の横を通って、内股を滑ってひざに達した。
「針を打ちます。その後で、灸を」
 先ほど、須美子がなぞった筋に沿って針が打たれた。へそから、内股まで。
 針が筋肉を貫通して、まるで動かない。へそから下が切り取られたかのようだ。下腹を使わず呼吸しようとすると、ほとんど喉だけで息をつくかたち。
「針を打って、このように緊張してしまうのは、その経絡に乱れがあるからです。体が治れば、楽に息ができるようになります」
 まな板の上の魚にように、阿部は口をパクパク動かすだけ。あと針が一本打たれたら、ひでぶっ、と体がはじけてしまいそうだ。
「あっっ、オトンの手紙だ」
 明美が事務机の上のハガキを見つけた。発送元住所は刑務所。真理子も見入った。
 ・・・・ぼくわあなたに変をしました・・・あなたのめが変しい・・・ぼくのおもいわ・・・・
 ラブレターらしい。読むのが恥ずかしくなって、ハガキをもどした。
「も、もう少し漢字を多く使うと、読みやすくなると思うけど」
「すみません」
 真理子が苦言、明美が小さな声で不必要な謝罪をした。
「今から千五百年ほど前、漢字は鍼灸術と共に大陸から日本へ伝わった、とされてます」
「そんな昔からあるんだ」
 須美子が解説した。
「中国では、魏・呉・蜀の三国が争っていた頃です。戦争難民が海を渡って、日本に来たのです。人と共に、文字と各種の技術が伝わりました。現代に直接つながる鍼灸術は、江戸時代の初期に伝わったようです。清に滅ぼされた明の難民が渡ってきたからです」
「江戸時代は鎖国なのに、難民が来るんだ」
「あの水戸黄門さんの家庭教師とも言うべき人が、明から来た人です。始めは、清と戦うため、日本に援軍を求めに来た使節でした。国が滅びて、帰れなくなったんですね」
「日清戦争は江戸時代にも起こりかけたのね」
「実際の戦争は、二百年以上も後の明治時代に、でした」
 真理子と明美は、意外と歴女らしい。須美子と共に歴史談義に花が咲いた。
 阿部は針だらけの腹をさらし、三人の話を聞きながら、ただ天井をながめていた。
 早く針を抜いてくれ、と願った。声が出ない。


第5章  いわしの頭も信心から


「ここは、水虫から糖尿病まで病気治癒で有名なところ、らしいけど」
 真理子は鳥居をくぐって、境内を見渡した。
 人がいない。阿部と真理子と明美と、三人だけだ。風が木立を揺らす音しかしない。 
 朝起神社は、五百年前の大津波の際、村人がこの丘に登って助かった故事を起源とし・・・
 看板が神社の由来を解説していた。
「なるなる、大災害の後には疫病が流行るもの。津波が引いた後には、病院みたいな所になって、それから病気に御利益がある、と言われるようになったのかな」
「医学がだめなら、いよいよ神頼みかい」
 神社行きは真理子の案。阿部は気乗りしない。
「神様なら、他に似たような御利益が売りの寺や教会があるよ」
「教会はイヤ」
 明美の言葉に、真理子は拒否の反応。
 真理子の母は、敬虔なキリスト信者だった。それが、ある年から狂った。家中をキリスト様とマリア様で飾り立て、お祈りを家族に強要するようになった。いつも通う教会に来た新しい牧師が、それの原因らしい。反発が、家出となった。
「一神教を捨てて、アミニズムへ回帰ですか」
「心理療法よ。儀式を通して病気治癒への強い決意を、体に叩き込むの」
「それって、催眠療法と言うんじゃ」
 境内には、百年以上も年輪をきざむ大木がある。朽ちて倒れた切り株は、そのままベンチに利用されている。
「オカンも何か信心ぽい事してたなあ」
 明美が思い出を語った。
 明美の母は、毎朝、テーブルに小銭と札を並べ、預金通帳を開いては何事かつぶやいていた。その内に、手首を切って自殺未遂。精神病院へ入った。
「それは、確かに・・・・自分だけの神様を崇めてたのかも」
 聞きながら、頭痛が来そうな話だ。
 拝殿に向かい、一礼。お賽銭を投げ、鐘を鳴らして、手をたたき、また一礼。
「五円玉ひとつって、まずくない?」
「良いんだ。御縁をありがとう、御縁をよろしく、の五円だよ」
「いくらなんでも、少な過ぎじゃ」
「賽銭の額で御利益が変わるような神様なんざ、手を合わせる価値も無いね」
 神を恐れぬ阿部である。女二人は、けっこう気にしている。
 拝殿に背を向け、帰ろうとすると、何かを感じた。
「たき火でも、してるのかな」
「これは、香を焚いているのよ」
 どこから流れて来る香りか、ちょっと特別な雰囲気だ。
 しばし足を止め、香をたしなむ。
「ね、なんか悶々としない?」
「しない」
 真理子が肩を寄せた。阿部は間髪入れずに否定した。
「古代ギリシャのアポロン神殿では、巫女が大麻の煙を部屋に満たして神託を受けたらしいわ」
「大麻って、麻薬になる大麻かい。ロックコンサートの気分かね」
「近いかも」
 古代、大麻は女たちの秘法だった。ギリシャの頃より千年もすると、東は日本、西はヨーロッパに到るまで普及していた。出産の苦しみを和らげるため、使用された記録がある。あるいは、新婚初夜、破瓜の痛みを軽くするために。
 五百年ほど前、大麻からアヘンが抽出されると、それは男たちの商売道具となった。ついには、イギリス対中国のアヘン戦争まで起きてしまう。 
「五円分の御利益かな」
 明美がはやした。

 三人で街を歩く。
 明美は昼の街が珍しい。以前は、補導を気にして、出歩くのは夜が多かった。
 オモチャ屋の前を通り、洋服店の前を往復し、宝石店の前で足が止まった。
「買わないぞ」
「違うよ、オトンの事を思い出したの」
 宝石店らしく、ショーウインドにはネックレスやイヤリングをしたマネキンが並んでいた。明美は真珠に見入った。
「オトンは、ちんちんに真珠を入れて自慢してた」
「おれは、しない」
「手術のショックで起つかも」
「おれは、しない」
 阿部はペニスの改造手術を拒否した。真珠ではなく、シリコン等の骨を入れて、無理矢理に勃起の形にする手術を知っていた。そうまでしても、所詮は偽の勃起だ。
 偽の勃起は、酷使すると折れる。哀れにも、くの字に折れたペニスを下げた元男優を知っている。直すには、前の骨を除去し、新しい骨を入れなければならない。貧乏なAV男優には、二度目の手術は不可能な事だった。
 しかも、美瑛留ケンはシリコン入りのおっぱいが嫌いだ。自分の体にシリコンを入れるなど、考えたくも無い。
「あれ、何かしら」
 真理子が店の奥を指差した。
 三人の女が、何やらわめいている。手にナイフ、拳銃らしき物がある。
 店員は両手を上げていたり、床に伏せていたり、イスの陰に小さくなっていたり。
「く、訓練かな、強盗の」
「じゃあ、あちこちにカメラがあって、後で反省会やって、だよね」
 びしっ、ショーウインドのガラスにひびが入った。点を中心に蜘蛛の巣ように広がった。
「鉄砲は、実弾入りか。なかなか迫真の訓練だね」
「じゃましないように、早く行こう」
 うん、と二人は店前から離れようとして、明美を捜した。店の玄関の向こう側にいた。
 阿部は明美を呼ぼうとして、店の玄関前を横切るかたちになった。
 どすん、出てきた三人組と衝突、重ね餅に倒れた。
「ばっきゃろ、気いつけろい!」
 野太い声が出た。女装した男の三人組だった。
「ああっ、美瑛留ケンだ」
「きゃっ、ケン様っ」
 男たちの目が光った。
 阿部は手を引かれ、腰を持ち上げられ、店前のクルマに押し込まれた。タイヤをきしませ、クルマは発進した。中は男五人がひしめいている。クルマで待っていたドライバーと、強盗の三人と、掠われた阿部だ。
「ケン様、お会いしとうございました」
「あなたのために、手術の費用を稼いだのよ」
 男たちは、普段から女装で仕事をしていた、いわゆるオカマバーで。趣味が高じて、ついに女になりたいと願うようになったが、性転換手術の費用が無い。ついに、行きつけた宝石店で強盗をする事になった。
「ケン様のビデオはみんな持ってるわ。本物の女になって、ケン様と共演するのよ」
 ホモビデオは未経験、出たいとは思わない。
「そこ、左へ」
 やっとの思いで、阿部は言葉をねじり出した。
「はいっ、ケン様の行きたいところなら、どこまでも」
 ガツン、ボコン、ギシンギシン、あちこちに当たりながら、クルマは走る。乗り心地は悪い。
「そこ、また左、門をくぐって」
 門から入ると行き止まりだった。警察署の玄関前だ。宝石店から通報があり、警官とパトカーが出動間際でひしめいていた。
 阿部は窓から脱出して、警官の側に。
「ひどいわ、だましたのね」
「ああん、ケン様のいけず」
 野太い声で女装の男たちは泣いた。
 宝石強盗事件は、こうして解決した。
 お賽銭をケチったせいかな、と阿部は少し反省した。

「ここ、どうかなあ。神経痛、リューマチ、勃起不全・・・・この温泉、良さそう」
「ドロドロの湯は美肌に良し、だって」
 真理子と明美は温泉のパンフレットを見て、盛り上がった。
 強盗に入られた宝石店は、金銭の代わりに温泉への招待状をくれた。三人で二泊三日、のんびりできる。
 女二人をアパートに捨て置き、阿部は夜の街を歩いていた。
 なんとしても、起たない。
 ホモになるか、オカマに走るか。あるいは、出家して色即是空の道に進むか。人生の瀬戸際が迫っている。
 どすん、すれ違いざま、肩が触れた。
「おおう、気いつけろ!」
 男が向き直り、阿部を威嚇してきた。古風な因縁の付け方だ。
「なんでえ、その目は。わりゃあ、舐めとるんか、ああ」
 最も聞きたくない言葉が来た。女を舐めるのは慣れてるが、男はごめんだ。
「てめえっ、死にてえか。ああ、ぶっ殺したろか」
 男はナイフを出した。刃渡りは20センチ以上、背がギザギザで鋸を兼ねた登山ナイフだ。
 ここで死ぬのか、と阿部は思った。不思議に心は静かだ。
 死ぬにしても、街の害虫を一匹ほど道連れにすれば、誰かが誉めてくれるかもしれない。
 阿部は半歩間を詰めた。
 男がナイフを振った。殺す、のセリフの割に腕が縮んでいる。
 強姦ビデオに出た時、ナイフのあつかいを演出された。切っ先を相手の肩から首筋にはわせろ、と教えられた。または、へそ下から脇腹へ突き上げる。切っ先を相手の視界に入れないのが、殺しのテクニックだ。威嚇なら、切っ先を相手の視界に入れたまま、胸から鼻先へ突き込む。
 この男は、実際のケンカでナイフを使った事は無いのだろう。または、せいぜい、相手の服を裂く程度に使っただけ。
 さらに、半歩詰めた。
「けっ、今日は見逃してやらあ」
 男がくるりと背を向け、足早に去った。
 死にそこなった・・・・・・
 空を見上げた。ネオンと街灯の光に負けず、ひとつ星が輝いていた。火星か、木星か、あるいはシリウスか。
 また、阿部は歩き始めた。



< おわり >