ごとごとしゅうしゅう、黒い石炭の煙と白い蒸気を噴きながら、機関車が減速しはじめた。
ぎぎぎぎ、鉄のレールと車輪がきしむ。がしゃんがしゃん、客車と客車の連結器とバッファーが激突して縮み、列車が止まった。
早朝の静岡県沼津駅に一人の学生が降り立った。名は川端五郎。
学生帽には金色の校章が輝いている。しかし、着ている物は、さして上等ではない。色のぼけた袴の尻には大きなツギがあり、すそにも色あせた布があててある。荷は左手に風呂敷がひとつ。包んである柔らかい物は着替えで、堅い物は皮のカバン、中身は本だ。懐の袋にノートと鉛筆、あとは財布。
師からもらった大雑把な地図を広げ、はてと周囲を見回した。
地図には、上に三角の富士山、下に舌をたらしたような伊豆半島があり、中間の沼津から道が半島へ描かれている。南へ海沿いに淡島、内陸に入って修善寺とある。そこが彼の目指す処だった。
駅を出て、地図にしたがい、富士を背に南へと歩き始めた。右手に駿河湾があり、左手に伊豆の山々がそびえている。
西暦1926年、天皇が崩御され、年号が大正から昭和になった。
その翌年である。
一日目
川端五郎は靴を脱ぎ、下駄にした。
田舎道では、履き慣れた下駄のほうが歩きやすい。街を外れると、故郷にも似た田園と雑木林が広がっていた。
どれほど歩いたのか、初めての道で見当もつかない。
八月の末、まだ太陽は高く、じわりと汗がにじむ。
どどどど、土埃をまいて乗り合い自動車が追い越して行った。
旅の醍醐味は遠回りにあり、寄り道こそ人生の糧なり、と師は言った。今日、歩いているのは、まさしく遠回りの道だ。
鳥居が立っている。参道の入り口だ。
その横に湧き水があった。ヒシャクが置かれている。手足を清めて参れ、と言う事か。
ぐびぐび、三杯ばかり腹に流し込んだ。
腰掛けるにちょうど良い石がある。日陰なので、腰を下ろして休む。急に疲れを感じた。
待ってましたとばかり、頭から汗が噴き出した。ぬぐってもぬぐっても切りがないほど。
ぶーん、ハエが寄ってきた。
手で払うと、かわして、また寄ってくる。つかんで潰そう、と手を出すけれど、逃げられる。宮本武蔵の真似は無理だった。
道の先で、荷馬車が止まっていた。牽いていた馬を替えるところ。
呆とながめていると、馬喰たちも五郎に気付いた。小柄で痩せた親父が寄ってきた。やや右足を引きずるような歩き方だ。
「おい、学生さん、何か用かよ」
「いえ、ただ、懐かしく思いまして。田舎にいたころは、馬引きに憧れたものです」
「学生さんが、馬喰になりたかった、てか」
はい、と五郎は頷く。親父は顔をしわだらけにして笑った。
「おれはよ、こう見えても、日清戦争じゃあ、兵隊で大陸に行った事もあるんだぜ。源田佐太郎一等兵である」
親父は直立不動となり、ぴしと敬礼して見せた。右肘を肩の高さに張り、陸軍式の敬礼だ。
「日本と清の戦争ですか」
えへん、と源田は薄いひげをなでた。
「まあ、やってた事は、今と同じよ。荷馬車を押して引いて、荷物を担いで下ろして、穴を掘って埋めて、そんなばかりだったな」
「鉄砲や大砲を撃つばかりが、軍の仕事ではないでしょう。陣地を造るのも、兵糧を運ぶのも、戦の内ですよ」
五郎に言われて、おう、と源田は胸を張り直した。
日清戦争は三十年以上前の明治27年(西暦1894年)、19世紀の出来事だ。五郎は教科書か新聞で読んだだけ、田舎では噂も聞いた事が無い。
「長崎や佐世保では、清の艦隊が来てよ、開戦前から大騒ぎしてたんだぜ」
「はあ」
「兵隊の数、大砲の数、戦艦の数、何をとっても清の方が多くて大きかった。まともに考えたら、勝てる戦じゃあなかったぜ。ただひとつ、兵隊の士気だけは上回ってたかもしれねえ。よくやったもんさ」
がははっ、と源田は笑った。
大国の清と、まっこう戦った日本。戦いを受けて立つには、相当の覚悟が要ったはずだ。
西暦1840年、清はイギリスと戦う、アヘン戦争だ。開国の道を日本より早く進んだ。フランスやロシアと渡り合い、軍備を強化した。周囲を見渡し、戦って勝てる相手として、日本を標的とした。日本を属国として配下に置き、ふたたびアジアの王になろうとしたのだ。
しかし、清の巨大な軍隊は、広い帝国に分散していた。日本軍は一点集中で戦い、勝利した。清皇帝の権威は地に落ち、革命で市民政権が建ったと思いきや、新たに皇帝を名乗る者が出てきたりする。
「中国は、なかなか落ち着きませんね。隣国ながら、困ったものです」
五郎は首を振った、戦争の話題は苦手だ。
「まだ、ロスケやメリケンが虎視眈々と狙ってるしな。いや、わしらも油断したら、背中を撃たれかねんでよ」
源田は指鉄砲を突きつけ、ぐいと目をくれた。
日清戦争や日露戦争で、アメリカとイギリスは日本の側に立ってくれた。日本が朝鮮を併合する時、アメリカはフィリピンを手に入れた。アメリカがシナ大陸へ足を伸ばすのに、もう日本は必要無い。今後はアメリカが競争相手になる、と見る人は多い。
明治の末から、十年ごとに外国と戦争になる。また、そうなるのか。
「その足は、戦争で?」
「あ、いや、これは、清から引き上げてきた時に、な。桟橋でぶつけて、ほっておいたらよ、いつの間にか、このザマさ」
「戦い終わって、油断するとけがをする、ですね」
「そそ、そういうこった」
正直な親父だ、五郎は破顔した。法螺のひとつも吹けば良いのに。もしかしたら、もっと曰くのあるケガかもしれないが。
おーい、荷馬車の方から呼ぶ声があった。出発の準備ができたようだ。源田は手を振り、立ち去る。
五郎はひとつ頭を下げ、馬喰たちへの挨拶とした。
あーあ、そいっとな、やーれ、しゃんしゃんしゃーん・・・・
歌か囃子のような声が聞こえてきた。女が合唱している。
さっき来た道の方を見た。
女が四人、男が二人の一団が来た。声を出しているのは先頭の女、後ろの三人が合いの手を入れる。
と、彼らの足が止まった。
さっきの源田が、駆け足で戻ってきた。
「よよよよ、ねーちゃんたち、どこまで行くんだい? おれらは修繕寺から湯河原へ抜けるんだ、一緒しねえかい」
女たちは顔を見合わせ、声も無い。連れの男が答えた。
「私らは淡島の宿へ向かう途中です。そこで仕事を探し、次は長岡へ。修善寺へは、その後です」
「あんたにゃ、聞いてない」
源田は男が答えたのが不愉快な様子。視線をうろうろさせ、石に腰掛けた五郎へ目を飛ばしてきた。
「学生さん、何を見てんだよ」
「わたしは、ここにいただけです。路傍の石と捨て置いて、お話し合いをどうぞ」
源田は小さく手招きする。意味がわからず、五郎は座ったまま首を傾げた。
女の一人が振り向いた。若い、と言うよりは幼さが残る顔。助けて、と呼んでいるような目。
おーい、荷馬車の方から呼ぶ声があった。馬喰の頭が手を振ってる。
「じゃ、じゃあ、またな」
源田は背を向け、また小走りに仕事にもどって行った。
「どうも、ありがとうございます」
「いえ、わたしは何もしてません」
ハンチング帽を取り、男が礼を言ってきた。五郎は謙遜して言葉を返した。
一行は背の荷をおろし、小休憩を入れた。
彼らは春から夏にかけ、甲府で仕事をしていたらしい。伊豆の大島に家があり、そこまでの道々に仕事をしながら帰る、のだとか。つまり、今は旅の流れ芸人と言うわけだ。
師からもらった地図を見せ、修善寺までの道を尋ねた。彼らも頭をかかえた。
富士山の絵があり、舌のような伊豆半島が描かれ、その中ほどに×印で修善寺とある。
「普通、こんな地図では、行きようが無いですよ」
一行の長、賢治が頭をかいて言う。
「旅の醍醐味は回り道にあり、寄り道こそ旅の本懐、と先生は言いました」
夜行の汽車で東京から一緒に来た師は、早朝、熱海で降りた。五郎だけが沼津まで乗って、修善寺の旅館で落ち合う手はずである。
やっかい払いされた、と女たちが笑った。意味がわからず、五郎は戸惑うだけ。
彼らには、修善寺は通り道だ。行ける所まで、五郎は一緒に歩く事になった。
五郎が加わり、一行は女が四人、男が三人の七人になった。
海を右手に見ながら歩く。波は静かで、風もおだやかだ。
「わたしは名前の通り、川端の水呑み百姓の家に生まれました。小作人の五男坊です。小学校で成績を村の長者様に認められ、中学校へ進む事を許されました。中学で、講師に来ていた康成男爵に認められました。今は、東京で男爵の家に居候しながら、高等学校に通っています」
五郎は自己紹介する時は、いつもこう言う事にしている。
中学の時、東京で大地震があった。大正12年の関東大震災だ。
男爵の家も被災して、急に帰る事になった。人手が要る、と五郎を奉公人として東京に連れ出した。以後、男爵の家から学校に通っている。
「お勉強ができるのですね」
「田舎でこそ、まあまあ出来る方でした。でも、東京に来てみたら、わたしなど下の下で。上を見ればきりが無く、下を見れば誰もいない、と言う有様です。厭気がさして、帰りたいと言いました。で、男爵に怒られました。おまえは田舎と東京の一部しか知らないから、そうゆう事を言うのだ。旅をして、世界の広さを知れ、と」
「そうして、伊豆に」
はい、と五郎は頷いた。皆、口を手でおおい、声を押し殺して笑った。
女たちは踊り子だ。歳が上から、きぬよ、ひばり、さゆり、ももえ、と名乗る。
上のきぬよは三味線を背負って、五郎の母に近い歳。一番下のももえは、歳を数えて十四、中学に入るかどうかの年頃。無垢な笑顔がまぶしく感じた。
菊之助だの長十郎だの、男まがいの通り名を使う芸妓は多い。聞いただけで女とわかる名前は、むしろ好感がもてた。
男は、一行の長を勤める賢治。踊り、歌、芝居に囃子、なんでもやる。昔は東京にいて、その頃からハンチング帽を好んでいるらしい。新劇で舞台にも立っていた、と言う。
あと、荷担ぎの権蔵。無口で大きな体、髪は薄い。見た目には用心棒のようだ。
「ほら、淡島が見えてきました。長岡へは峠越えの道です。今からでは日が暮れてしまいます」
賢治の案内に、五郎は頷き、ふと島の左右を見渡した。
湾の入り口に、どんと亀の甲羅のような島がある。湾と港を風や波から守る島だ。
「島か・・・・蛭ヶ小島はどこいらでしょうか?」
「蛭? 島?」
「平治の乱に破れて、源の頼朝公は伊豆の蛭ヶ小島に流されます。それは、この近くか、と思ったもので」
きぬよが首を振った。
「古い言い方ですが、今で言う村、縄張りと考えてみて下さいな」
「蛭ヶ小・・・村、または縄張りですか」
「だから、海や川にあるとは限りません。実は、山の上かも」
言われて、左手の山並みを見た。
平治元年(西暦1159年)の末から翌年にかけて、京の都は騒乱のまっただ中にあった。源平の争いと言うより、日本の首都をめぐる公武の戦いである。戦いの結果、平家が政治の実権を掌握し、上皇をはじめとする公家方は執権から滑り落ちた。源氏の将は捕らえられ、あるいは殺された。源頼朝は若年を理由に罪が減じられ、伊豆へ流罪となる。
「蛭の子だなんて、お墓みたい」
ひばりが言った。
「蛭が、お墓なのですか?」
五郎が問うと、女たちが顔を見合わせた。
「お墓だとすれば、特別なお墓ね。生まれた時、息をしてなかった子。日満ちず、流れてしまった子。そういう子たちのためのお墓。女だけが通うお墓ですよ」
仏教では水子と言う。しかし、女たちは「水」と言う表現に納得しない。出産は命がけ、血まみれになる大仕事だ。生まれそこなった子は、つぶれた蛭のように、赤い血の中だ。
生まれそこない、名も付かずに死んだ子の供養は、もっぱら女の仕事になる。
「女たちだけが通う墓に、頼朝公が流されて、そこで北条政子と出会い・・・・うん、理屈は合う」
一人で納得する五郎。
淡島を向かいにする港町、賢治が案内するままに宿へ入った。
持ち合わせが少ないので、一番安い部屋をたのんだはずが、二階に上がると、床の間付きの二間の部屋に通された。番頭の顔を見直せば、ご心配なくと頭を下げる。学生帽が効いたのかもしれない。
便所を探して、一階へ降りた。
廊下の端で、賢治を見つけた。そこは布団部屋だった。薄暗い中で、彼らは荷物をほどいていた。
「宿賃も払わず泊めてもらうので、どこだろうと文句はありません。今夜、お座敷が入りました、稼がなくては」
女たちが着替え始めた。あわてて、五郎はそこを離れた。
便所の格子窓から空を見れば、雲がまだらな朱に染まっていた。夕暮れだ。
窓の向こう側は裏庭、釜焚きの煙が流れてきた。
庭に出て、釜の方へ歩いた。焚いていたのは、年は五十過ぎの男。背は低いが、肩が広くて首は太い。
「ああ、今日のお客さんだね。風呂が頃合いになるのは、まだかかる。先に飯を取りなせえ」
「いえ、そうじゃなくて。好い匂いだな、と思いまして。木の香りは、やはり好い」
「木の匂いが、そうかね」
男は薪を釜に足す。パチッ、火の粉が飛んだ。
「沼津まで汽車で来たのですが、どうにも、石炭の煙が苦手なんです。目や喉に、ちくちく刺さるようで」
「石炭が苦手かい」
釜の火をのぞいた。熱を浴びて、顔に汗がにじみ出た。
「確かに、国内炭は良いとは言えねえな。煙は多いし、油はドロドロ出るし」
「石炭にも種類があるんですか、木みたいに」
うん、と男は頷いた。
「おれは、日露戦争の頃は戦艦に乗ってたのさ。仕事は、やっぱり釜焚きだったけどな。嶋勤介二等兵であります」
嶋は腰を落としたまま、軽く敬礼した。脇を締めた海軍式の敬礼。
顔を正面から見て、嶋の右目がつぶれているのに気付いた。肌には火傷の痕もある。火の粉を浴びたためだろう。
「初めに乗った訓練船では、国内炭を焚いてた。煙は濃いし、油は出るし、臭いは強いし、嫌になったねえ。いよいよバルチック艦隊が来るとなって、戦艦へ配置換えだ。艦もイギリス製だったが、焚く石炭までイギリスから輸入してた。これが、煙は少ないし、油も出ない、臭いだって薄い。おれら、張り切ったねえ。んで、敵艦隊を撃破、大勝利さ」
「日本の石炭と、イギリスの石炭が違ったのですね」
うむ、と嶋は答えた。
日本の石炭は、せいぜい数千万年前の木が成った新しい物だ。イギリスのは数億年前の木が成った物で、石炭としての熟成度が高い。本来は古く深い地層にあるのだが、北ヨーロッパは氷河時代に地表面が深く削られていて、古い地層が浅いところにある。
「今では、国内炭を使っても、イギリスに負けない戦艦が造れるようになった。わずか二十年で様変わりだよ」
五郎が教科書で知る日露戦争は、ただ勇ましい勝利ばかり。終戦協定の段階で、イギリスとアメリカが日本の邪魔をした、と言う話しさえあった。戦争の現場は逆で、ずいぶんイギリスの世話になっていたようだ。
部屋にもどると、夕食の膳が運ばれてきた。つい、財布の中を心配してしまう豪華さ。
しかし、飯の椀を見て、目を丸くした。やや黒みがかった粒、黄色い粒がある。
箸でつまんで口に入れた。麦と稗の飯だった。
「あの、これは?」
仲居に尋ねた。
「はい、実は、ここで働く者の飯でございます。お気にめしませんでしたら、普通のお客様用の白い飯に替えます」
「いえいえ、これで結構です」
五郎は麦飯を食べ始めた。ぷちぷちと歯ごたえがある、なつかしい味だ。
「実は、宿帳にある男爵様の家に電話させていただきました。お家の方が、せっかく旅に出たのだから、故郷の味を恋しがるかもしれない、と申されました。私どもが思い当たる田舎飯は、これくらいでございます」
なるほど、と五郎は二度頷いた。
川端の水呑み百姓の家に生まれ育った。小作人の五男坊だ。飯と言えば、稗か粟、芋くらい。麦飯は贅沢な方だ。白い米の飯は年に一度、正月に食べられれば良いほうだった。
東京に出てきてからは、いつも米の飯だった。江戸患いになっていたのかもしれない。
軍隊に入れば、毎日白い飯が食える。貧しい田舎の男たちは、それが魅力で入隊する。農作業に追われて、まともに学校へ通わず、軍隊へ入って、やっと読み書きを教わる強者もいるらしい。
五郎は高等学校の生徒なので、現在は兵役免除の立場。卒業が迫れば、軍隊か就職かで選択の時が来る。
じゃじゃん、三味線の音が聞こえた。
半分開いた窓から外を見れば、きぬよが玄関前で演奏し始めたところ。あっそれそれ、ひばりとさゆりが合わせて踊る。ももえの手振りが、なかなか合わない。きぬよが三味線の手を止め、始めからやり直した。
賢治がおおげさな身振りで太鼓を打つ、新劇仕込みの芸だ。権蔵は出し物の荷を背に、提灯を持った。
宴会がある旅館までの道中が始まった。
「お座敷ですね、今日はいくら稼げるかね」
仲居が膳を片付けながら言った。
「学生さん、女遊びはおやりにならないので?」
「麦飯が好きな貧乏人です。本を一冊買えば、財布は空です」
「女より、ご本ですか」
三味線と太鼓の音が遠くなった。仲居も下がり、五郎は風呂敷を開いた。皮のカバンから本を出す。
座布団を枕に本を開いた。
風呂から上がると、布団が敷いてあった。
ごろり、横になるが、なかなか寝付けない。
ぶーん、ハエがまとわり付く。団扇で払いのける。あきらめて起き上がり、机で本を読んだ。
日露戦争から十年たたない西暦1913年、物理学の世界で大きな事件があった。電子の波動性が確認されたのだ。第一次世界大戦中には、日食の観測から一般相対性理論の有効性が明らかになった。西暦1921年、アインシュタインが光電効果理論でノーベル賞を受ける。
原子物理学が花開いた時代。観察しなければ、原子の真実はわからない。が、観察という行為が、その原子に影響を与えてしまう。ミクロの世界の探求の難しさは、方程式にまとめられた。ハインゼンベルグやシュレーディンガーの理論は、量子力学の重要な柱だ。
ふと、日中に起きた源田と踊り子たちの事を思い出した。あの時、五郎は観察者の立場にあった。五郎がいなければ、源田はもっと荒々しく女たちに迫っていたかもしれない。五郎の存在が、彼の行動に影響したのだ。原子の世界を表す理論が、人間の行動にも適応できると思うと、少しおかしくなった。
ぶーん、またハエが寄ってきた。原子核を回る電子のようだ。
二日目
目が覚めたら、もう明るかった。腕時計は七時を過ぎていた。
一階へ降り、便所で用をたす。帰りがけ、布団部屋をのぞくと空だった。
仲居に聞けば、踊り子の一行は夜明けと供に立ったらしい。寝坊したのが悪いのだが、置いてけぼりが寂しかった。
朝飯を終えると、矢も盾もたまらなくなった。追いかけよう、と決めた。
宿を出る時、番頭が握り飯を包んでくれた。昨日と同じ、麦飯の握りだ。
風呂敷を左手に提げ、海沿いに道を行くと、乗り合い自動車に追い越された。土煙で、ひとしきり足が止まった。
道路標識に従い、坂道を登る。振り返ると、淡島が下に見えた。
きつい坂を登り続けて、ひざが笑いかけた。じっくり行けば、必ず追いつける、と自分に言い聞かせた。
じゃんじゃん、じゃんけんポンで、あいこでしょ・・・・
歌が聞こえた。あの子たちが歌っている。
坂の途中に茶屋があった。
前に、さっきの乗り合い自動車が停まっていた。ボンネットを開け、エンジンを冷やしている。坂道で加熱したようだ。
店の前の長いすに、自動車の客が休んでいる。彼らに向かい、あの子たちが芸を披露していた。
じゃまにならぬよう、離れた場所で木にもたれ、足を休めた。
運転手がボンネットを閉じ、エンジンをかけた。バルバルバル、黒い煙を車が吐いた。
客が後ろの席に着き、車は動き出した。店の人と踊り子たちが頭を下げ、手を振って見送った。
車がトロトロと坂道を上って行く。
静かになって、五郎は茶屋に入った。
「思いがけず、小遣いが稼げました」
賢治が頭をかいて言った。
五郎は一休み入れて、また一行へ加わった。
峠を越えて、海が見えなくなった。神社の前を通り過ぎると、大きな宿が見えてきた。
賢治が挨拶に入った。と、首を振りつつ、すぐ出てきた。
「近くに、政府のお偉いさんが来ているようです。わたしらのような流れ者は、今は立ち寄り無用です。このまま修善寺へ行きましょう」
伊豆の長岡には、政府要人の別荘がいくつかあった。彼らが滞在中は、周辺の警備が厳しくなる。
ゆるい坂道を下る。
二人連れの警官とすれ違った。五郎は軽く会釈した。賢治と女たちは、腰を曲げて頭を下げた。
水音が聞こえた。伊豆半島を南から北へ流れる狩野川だ。
河原で休みを入れる事にした。ちょうど正午である。
「あまり水へ寄らないように。上流で雨になると、急に水嵩が上がります」
賢治が忠告した。
丸い岩の上に立ち、五郎は河原を見渡した。えぐれた谷のようになっている。昔の洪水の跡と見れば、そういう地形だ。
一行のところへ戻ろうとして、転んだ。女たちが笑った。
照れ隠しに、右前回り受け身と左前回り受け身をした。中学の頃から、柔道は得意な科目だ。
「あれ、踊りかと思えば、すこし違うのね」
「柔道です」
きぬよが寄ってきた。踊りと言われて、口をへの字に曲げた。
「あたしも、ちょいとするのですよ」
音も無く寄り、左の袖を取ってきた。お返しに、右手で襟をつかむ。
と、その右手首を取られた。ぴき、電気が腕から首筋に走った。
きぬよは両手で五郎の右手を取る。逆にひねり、振った。
腰をひけば、かえって肩まで極まる。ひねりに合わせ、身を投げて一回転、振りほどいて間を入れた。
「あらあら、うまく逃げましたね」
「女とあなどり、油断しました」
脇を締め、じわりと寄る。相手を捉えるには、やはり腕を伸ばす事になる。また手首をつまかれた。
手首を極められ、ひじが曲げられない。こらえようとするところを、ポンと足を払われた。
きぬよは手を離した。間を入れて、五郎が立つのを待つ。
学校でやってきた柔道とは違う攻めだ、対処の仕方がわからない。
五郎は腰を低くかまえた。足払いを警戒しつつ寄る。
懐へ飛び込み、密着すれば、男の力でなんとかなるはず。あと半歩のところまで寄ると、女の胸が急に迫った。
がつん、あごを掌底で下から突き上げられた。首を抱え込まれ、下あごを捻られると、首が極まった。
レスリングで言うフロント・ヘッドロックの状態。プロレスの世界チャンピオン、エド・ルイスは自著の中で語る。最も簡単に人が殺せる技である、と。
「ま、まいった・・・・」
動かない口から、やっと言葉を出す。
きぬよは手を離し、五郎の頭を子供のようになでた。
「よろしい。潔い子は好きよ」
五郎は噴き出す汗を手でぬぐう。きぬよは涼しげに笑っていた。
「そんなに強いのなら、昨日、馬喰に絡まれた時に」
「ああ、そうね。相手が一人だけなら、やりましたけどね」
なるほど、五郎は頷く。
源田の後ろにいた馬喰仲間は、遠目に見ても強そうだった。戦いを避けるのも兵法の内だ。
川沿いの道を上流へと向かう。
五郎は七人のしんがりを歩いた。ズキッ、首とあごが、まだ痛んだ。
からから、車輪の音が近づく。上流の方から、人力車の列が来た。
先頭を行く賢治がゆずり、道の脇にのいた。皆がならい、立ち止まって待つ。
人力車が間近に来た。先の二台には芸妓が乗っていた、次の二台には荷物のトランク。
芸妓はすれ違い時に、すこし目配せ。口元に微かな笑みがあった、仕事上の習い性であろうか。
ももえがポカンと口を開け、憧れの眼差しを向けていた。
車の列が過ぎ、また一行は歩き始めた。
日が山の稜線にかかる前に、石造りの橋を渡る。修善寺の門前町に入った。旅館が建ち並び、人通りも賑やかだ。
賢治に案内され、川沿いに旅館街を歩いた。師が待つ旅館が近くにあるはずだ。
ベンチに座り、日笠を差してキセルをふかす人物に見覚えがあった。
「先生っ!」
五郎が先生と呼ぶのは、庇護者でもある康成男爵だけだ。
「ありゃりゃ、もう来たのか。もう二日三日ほど、山の中を迷ってるかと思ったのだが」
男爵はキセルから灰を捨て、立ち上がった。
五郎が賢治の一行を紹介する。
「わたしの生徒が世話になりました。ありがとうございます」
口ひげをなでて、ゆっくり頭を下げる男爵。賢治はひざに頭をぶつけるような礼を返した。
「ご一緒させていただき、楽しい旅でした」
きぬよは一歩下がり、微笑んで礼をした。貴人に近づき過ぎないようにするのは、古くからの作法。
太陽が山にかかり、温泉街は急に暗くなった。
五郎は旅館に入り、男爵の部屋で茶をいただいた。
「ほうほう、あの女が、かように強かったと」
「まったく、まいりました」
五郎は、きぬよとの遣り取りを話した。
「おまえの柔道は、けっこう本物なんだが、なあ。あっちの技は、古流の型と言うべきものかもしれん」
「こりゅう、ですか?」
「柔道ではなく、柔術と言ったほうが良いな」
明治15年(西暦1882年)、嘉納治五郎が柔術の諸流派の技を統合して、講道館柔道を起こした。肉体と精神の鍛錬を目的として、学校の授業に取り入れやすいよう、課程を整備した。
古くからの柔術は、刀や槍などの武器を使わない武術の総称である。戦場での鎧組み討ちなどは、その典型だ。個々人の勝ち負けより、敵を倒す事を優先し、必要なら殺す事も有りうる。
柔道と柔術では、使う技は同じに見えて、戦いの目的が全く違う。
「旅芸人の女が、そこまで技を使うとは。没落士族の末裔であろうか、の」
「しぞく?」
明治となった時、新政府は武家社会を解体した。元武士は士族と呼ばれた。
大名には爵位が与えられたが、その他の者は他の市民と同格とされた。開拓地で苦難の道を歩んだ者は多い。新しい社会に適応できず、世捨て人になった者もあっただろう。
「古来より、柔術武術に長けた武家の女は多い。有名なところでは、巴御前であるな」
「巴御前!」
寿永2年(西暦1183年)源平合戦の最中、比叡山を越えて京の都に入城した木曽義仲の軍。その中に黒髪も鮮やかな女武将がいた、巴御前である。彼女は記録の中で、少なくとも二人の男と馬上で組み討ちとなった。
一人は、鵯越の逆落としで自分の乗馬を担いで坂を下りた強力の主、畠山重忠。巴は鎧の袖を引きちぎられたが、そこから逃げた。
もう一人は、大力と評判の恩田八郎師重。この男は首をねじられ、落馬して死んだ。
「同じ頃では、板額御前も有名だ」
建仁元年(西暦1201年)、越後国で城資盛が挙兵して鳥坂城に籠もり、鎌倉軍と戦った。資盛の姪、板額御前は大弓から剛矢を射た。矢盾をも割られて、押し寄せる兵は後退した。しかし、多勢に無勢の戦い、城は落ちて、彼女は鎌倉へ連れて行かれた。
浅利義遠が板額を妻にと申し出て、許された。後、甲斐に住んだと云う。
「甲斐と言うと、今の山梨ですね」
賢治らの一行は、山梨から来た。つい、きぬよが板額御前の子孫に思えてきた。
「甲斐の名の猛女もいたぞ」
男爵が言うと、五郎は身をのり出した。
天正18年(西暦1590年)豊臣秀吉は二十万の軍を率い、伊豆の山を越えて小田原を攻めた。その小田原の支城のひとつが武蔵の忍城、城主の娘が甲斐と言う名の姫であった、当時十九歳と云う。
この城を攻めたのは、石田三成と大谷吉継の二万。城にいるのは、わずかに二千あまり。後、真田と上杉の勢が加わり、計四万の兵が城を囲む事になる。
戦いが進んで、三宅惣内兵衛高繁と言う男が、姫に一騎打ちを申し込んだ。おれが勝ったら妻になれ、と事実上の求婚である。
なんと、姫は戦いを受けて立った。弓で三宅の喉を射貫き、落馬させた。もちろん、そのまま絶命した。
「甲斐姫か・・・昔は、恋の告白も命がけだったんですね」
「うむ。見事にふられたし、な」
夜、男爵の供をして、宴席に出た。
主催するのは財津と言う太めの紳士、軍関係の事業で財を成したらしい。外国の客人も同席した。
ヘンリーと言うアメリカ人が、新聞を手に自慢を始めた。ニューヨークに百階建ての高層ビルができるらしい。土台が工事中と言う建築現場の写真と、塔のような完成予想図がある。後に、エンパイアステートビルとなる建物だ。
五郎は、下段にあるプロレスの記事に注目した。エド・ストラングラー・ルイスとジョー・ステッカーの世界選手権の試合だ。
第一次世界大戦の後、アメリカは好景気に沸いた。プロレスが人気になり、エド・ルイスは大統領より稼ぐ男と有名である。彼が作ったチャンピオンベルトは1万ドルベルトと呼ばれ、評判になった。
五郎の関心は、プロレスそのものにある。
大正10年(西暦1921年)、アメリカのプロレスラーが来日した。アド・サンテルはアメリカ国内で日本人柔道家と数度も戦い、すべて勝利した。ジュードー・ワールドチャンピオンを自称して、本家の国へ挑んできた。
講道館は他流派との戦いを認めない。庄司彦男らが破門を覚悟で、靖国神社の相撲場にて対戦した。結果は、サンテルの一勝一分け。
「遠来の客人に花を持たせた、そういう事だろ」
東京中の新聞が大騒ぎした事件だが、男爵には過去の出来事だ。すっかり忘れかけている。
「余興の支度が出来たようです」
財津が言うと、襖が開いて、三味線が奏でられた。
五郎には見知った顔があった。踊り子の二人は、ひばりとさゆり。後ろを見れば、きぬよが三味線、太鼓はももえ、笛を賢治がやっている。
「噂の柔術名人は、どなたですか」
財津が聞くので、五郎は三味線の女を指した。男爵から話を聞いていたらしい。
「わたしも若い頃は、関口流を学びました、強くは成りませんでしたが」
がはは、財津は丸い腹をたたいて笑った。
「アイエム、ステートチャンピオン」
ヘンリーが赤ら顔で話しに乗ってきた。
母国ではレスリングの猛者だったらしい。上着を脱ぎ、シャツの袖をまくると、太い腕と肩の筋肉を誇って見せた。
「よし、やれい。庄司四段の仇を取れい!」
五郎の肩をたたき、男爵が拳を上げた。
庄司さんは死んでない、と五郎は知っていたが、言ってもムダだろう。上着を置いて、立ち上がった。
ふうっ、ヘンリーの息が酒臭い、すでにかなり飲んでいる。が、右手右足を前に出した構えはピシリと決まっている。
五郎も右足を半歩前に出し、間を詰めた。
赤勝て白勝て、場違いな声が上がる。賢治と踊り子たちは応援に回った。
ヘンリーが上体を低くして迫る。へその下へタックルを仕掛ける、レスリング独特の姿勢だ。
がっ、太い腕が組み付いた。左足を抱えて押し倒す勢いだが、踏ん張ってこらえた。
五郎は背中からベルトをつかみ、ヘンリーを持ち上げた。あわてて、ヘンリーは手を離す。五郎も手を離して、間を取った。
ベルトをつかむ技はレスリングに無い。一方、柔道では相手の帯をつかむのは、正当な技である。
ヘンリーは体を立て、左腕を取りにきた。前からのクオーターネルソンだ。
腰を引くと、かえって腕が極まる。五郎は左腕ごと体で押し込む。
ヘンリーは腰を引いて、ベルトをつかませまいとする。ならば、とシャツをつかんで引き寄せ、足を払った。
ふたたび間を入れる二人。
ヘンリーは大きく息をつき、目をしばまたせた。
五郎は肩を回した。剛力で締め上げられ、痛みが走る。
あえて痛む左手で、ヘンリーの右手を引いた。よろけるように、筋肉の山が腕の中に入って来た。
ヘンリーの右手と頭を脇に抱え込み、前からの肩固めに極めた。首に体重を乗せ、膝を畳に落として締めた。
ぐぐぐ、息とも声ともつかぬ音をもらし、ヘンリーの動きが止まった。
「それまで、勝負あった!」
男爵が声を上げた。
五郎は手を離した。二人とも座り込む。ぷはっ、またヘンリーが酒臭い息を吐いた。
「ユーアー、ジャストドランク。ノットコンディション」
「メイビー、ソーリー。ナウ、ユー、ウイン」
五郎の叱咤に、ヘンリーが自嘲気味に両手を上げて降参のポーズ。
勝つと思うな、思えば負けよ、負けて元々と、その胸の・・・・
二人の健闘をたたえて、踊り子たちが歌い始めた。
「両名、天晴れ」
財津が上機嫌で扇子を振った。
時間が来て、余興の芸人は退席する。
五郎は追って、廊下に出た。
「今日は、昼間に、ご教授をありがとうございました。おかげで勝てました」
財津からもらった寸志の袋を、きぬよに差し出した。
「こちらこそ、ありがとうございます」
踊り子たちが頭を並べて下げた。つられて、五郎も下げた。
男爵と財津は、連れ立って外の店へ繰り出した。今夜は遅くなるだろう。
五郎は酔い醒ましに風呂へ行こうと思った。旅館の大浴場は閉まっていたので、川沿いの岩風呂へ行った。
裸電球ひとつの明かり、薄暗い湯に、一人でつかった。
虫の音と川面の水音、木のざわめきが時々。騒々しい宴会の後だけに、静けさが体に染み入るよう。
ぱたぱた、足音がした。
見ると、女だ。つい、電球を背にした裸に見入ってしまった。
「あら、あなたでしたの」
その声は、きぬよだった。
「す、すみません」
小声で詫び、五郎は背を向けた。きぬよが湯に入ってきた。
「先ほどは、過分な物をいただきました、ありがとうございます」
「いえ」
袋の中身は知らない。五郎は闇につつまれた川を見る。
「先生があなたの事を、士族の末裔では、と言ってました」
「しぞく? ああ、武士の士族ですか。まあ、三代も前を見たら、大勢の方が士族とかへ族とかと繋がるでしょ」
過去を詮索されて、嬉しくないように聞こえた。
がやがや、わいわい、大勢の声と足音がした。また女のよう。
つい、そちらを見た。旅館の仲居たちだった。
ざふんざぶん、遠慮無く湯に入ってきて、五郎を囲んだ。
「あらあら、男爵様の書生さんよ」
「あたしを東京へ連れて行って」
乳房を腕に押しつけ、女たちは勝手に騒ぐ。五郎には母親と同年配の女たちばかりだ。
「おまえさんたち、急いでおくれ。お客さんがお待ちだよ」
脱衣所の方から声があった。女たちは尻から湯をたらし、岩風呂から去った。
静かになって、五郎は浴槽の縁に腰掛けた。少しのぼせてしまった。
「大変だなあ。こんな時刻に、また宴会があるのか」
ふうと息をつく五郎に、きぬよが首を振って語りかけた。
「温泉宿の飯盛り女が、ね、夜の夜中にする商売は、昔からアレですよ」
「あれ、と言うと」
「男と女が布団の中でする、アレです」
そこまで聞いて納得した。昼は旅館の仲居として働き、夜は泊まり客相手の娼婦になるのだ。芸妓と遊ぶほど金が要らないから、温泉では安い遊びである。
「さっきの話の、続きをいたしましょう」
きぬよが寄ってきた。湯の中におろした足に、乳房をすり付ける。ずきっ、ざわめく股間を、慌てて手ぬぐいで隠した。
「あたしの祖父は、さる大名の江戸屋敷に勤めていたそうです」
江戸の徳川幕府が倒れて、まだ六十年も経っていない。三代前に武士だった家は、確かに多かった。
名を大潮平六郎と言った。剣術指南役を務めるほどの腕前、実直だけが取り得の性格であった。そこへ、身に覚えの無い嫌疑がかけられた。弁明下手もあり、ついに遠島の刑を受けて、八丈島へ流された。当時、伊豆の島々は流刑島であった。罪の重さで、江戸から遠い島へ流される。
ほどなく、嫌疑は晴れた。いや、倒幕運動が高まり、腕の立つ平六郎が必要とされたのだ。しかし、平六郎の足は大島で止まり、江戸へ帰らなかった。自分を貶めた者への処罰無しに帰っては、意地が立たない。
平六郎は島の女と夫婦になった。やがて明治となり、新政府は伊豆を流刑地から解放した。
新政府の要請を受け、平六郎は軍に参加した。西南戦争では、人斬り平六と恐れられた。その息子は平一、きぬよの父だ。日清戦争で大陸へ行き、行方不明になる。脱走兵の娘と汚名を受けながら、踊り子に身を落としても、きぬよは父の帰りを待っている。
きぬよは五郎の足を抱くようにし、太ももを枕にした。ふと、冷たいものを感じた。汗なのか、涙なのか。
三日目
妙に寝付けず、夜明け前に布団から出た。
朝靄の中、橋のところで、賢治と踊り子らに会った。荷を背負い、出発の様子だ。
「長居しますと、地元の芸妓さんたちに睨まれます。私らは、もう行きます」
「昨夜は、ありがとうございました」
礼を言われ、五郎も礼を返した。
山の方へと去る後ろ姿を、いつまでも見続けてしまった。彼らは天城山を越えて、下田街道を下り、大島へ渡る。
宿に戻り、布団の上で大の字になった。
朝食の時間になった。
男爵と膳を向かい合わせに座る。昨夜の酒が残っているのか、男爵は茶をすするだけ。残りを五郎に押しつけて来た。
踊り子たちが出発した事を伝えると、うーむと唸った。
「で、おまえは、どうする?」
「どうする、と言いますと」
「つまり、ここの残り、温泉三昧をするか。または、彼らを追って、伊豆の山を踏破するか、だ」
師の問いかけに、五郎は口を開けたまま、答えが出ない。
「本を今日読んで、今日役立つ知恵を授かる事もある。しかし、十年経って、やっと役立つ場合もある。人との出会いも同じだ。今日会って、今日良かったと思える事もある。が、十年経って、あの時会えて良かったと思える事もある」
「はあ・・・・」
「どちらにするか、おまえが決める事だ。わしのせいにするな、よ」
男爵は茶を飲み干すと、ごろり、座布団を枕にして横になった。
どうするか、考えながら食べた。食べながら、腹に何かがわき上がる。自分の膳が片付き、男爵の膳に箸を付けた。
ばくばく、がちがち、ふたつの膳を平らげて、腹が決まった。
「行きます!」
「おう、行くか」
男爵は起き上がり、荷のトランクを開けた。
「八月とは言え、山の気候をなめてはいかん。下手すると、凍えるからな」
マントを出して、五郎の肩にかけた。
宿を出たのは、もう九時を過ぎていた。山を見ると、西南の風が強い。
歩き始めて、暑さにマントを脱いだ。風呂敷を左手に、右手の小脇にマントを抱え、川沿いに上流を目指した。
たった一人で歩く初めての道だ。どれくらい来たのか、距離がつかめない。ゆるい上り坂を進んでいる、わかるのは、それだけだ。
腕時計を見た。正午が近い。
雲は厚く低くなり、風が木の枝をあおって、暗くなってきた。
雨つぶが顔をポツポツと叩く。マントを肩にかけ、帽子を深くした。
と、突然に土砂降りとなった。道脇の木にもたれ、雨をしのぐ。
さらに雨は強くなる。もっと大きな木の下へ移った。しぶきで道が見えない。
幸いに、雷は聞こえない。大木に寄り添っていても安全だろう。
また、腕時計を見た。秒針が停まっていた、水が入ったのか。
覚悟を決め、目を閉じた。雨が上がるのを待つしかない。
気がつくと、雨が止んでいた。風の音も聞こえない。
濃い霧が辺りを包んでいた、一丁先すら見えない。白い闇のようだ。
暑さは感じない、雨上がりで気温が下がっている。喉が渇いて、かすかに聞こえる水音の方へ進んだ。
小川に出た。澄んだ水の流れだ。
音の方へ歩くと、滝があった。細いが、高い。水が霧の中から落ちてくる。
水の中を黒い物が漂っていた。手足がある、人のように見えた。
水に踏み込んで近づくと、バシャッ、しぶきを立てて消えた。魚だったようだ。
こんな小川に、人と見間違うような大きな魚がいる。自分の目が信じがたい。
滝壺の方の水面に、今度は白いものが漂って見えた。ゆるゆると近づいてきた。
ぷかり、女が水面に顔を出した。目が合った。五郎は動けない。
「もし、そこなお方。後ろの着物を取ってくださいな」
言われて、振り向くと、木の枝に薄い着物がかかっていた。手に取り、振り向かずに差し出した。
手が軽くなった。肩越し、半分だけ振り返ると、もう女は帯を締めて立っていた。早い、少し残念。
「あの寺が焼けてから、普通の人は、ここに近付かないものですが」
「わたしは、雨に降られて、道に迷ったらしく」
五郎の弁に、女は静かに頷く。こちらへ、と手招きするので、従った。
女に笑顔は無い。悲しげな目が印象に残る。
ばしゃっ、また水がはねた。大きな黒い物が前を通り過ぎた。
「あれは、サンショウウオです」
「あの大きいのが!」
五郎の故郷にもサンショウウオはいた。だが、手の平くらいの大きさだ。
かつて、オオサンショウウオは日本の各地にいた。明治期以後、急速に数を減らして、平地の川から姿を消した。料理の本で紹介された珍味であり、乱獲された可能性がある。昭和の頃には、山奥で希に見られる程度になってしまった。20世紀末には、ほとんど絶滅に近くなる。
水上から見ると、手足があるので人間と見間違う事がある。人が溺れたのか、と手を出すと、鋭い爪と歯で攻撃される。川の妖怪カッパは、オオサンショウウオを擬人化したものとする説があるくらい。
霧の中、崖を登った。
滝の上に、焼け跡があった。黒く焦げた柱と土台の石が、草の合間にあった。
「わたしは、川端五郎です。名前の通り、川端の水呑み百姓の五男坊です」
五郎は、いつもの自己紹介をした。女は何も言わず、前を歩き続ける。
「あなたは、この辺に住んでいらっしゃるのですか? 一緒の方は?」
女の足が止まり、霧に包まれた前方を指さした。
「ここを真っ直ぐ進めば、街道に出ます。さあ、お行きなさい」
五郎は指さす方を見た。相変わらず、白い霧ばかりだ。
「あなたは?」
「何も聞かないで。わたしの事を、誰にも言わないで。そうしてくだされば、あなたの旅を、陰でお守りいたします」
なぜ、と問おうとしたら、もう女の姿は消えていた。五郎は霧の中で一人になった。
しかたなく、指差した方へ足を向けた。
と、つまづいた。
四つ這いになった。もう少しで頭を地面にぶつけるところ、危なかった。
「あんた、大丈夫かね」
呼ばれて、見上げると、簑を背負い笠をかぶった男がいた。
日差しに、つい目を閉じ、また開ける。霧は無かった。
「ひどい雨だったねえ。行き倒れかと思っちまったよ」
五郎は立ち上がった。いつの間にか、街道に出ていた。
「おい、大丈夫かい。ほら、そこの茶屋で休んでいきな」
道の先に茶屋がある。言われるまま、茶屋の前の長いすに腰かけた。ひさしの下に入ると、少し涼しく感じた。
手を振り、男は山の方へ歩いて行った。
霧も女も、幻のように消えた。夢かと思い、頬をつねると痛かった。
老婆が茶を出してくれた。
女の事を聞こうとして、口を閉じた。誰にも言わないで、と女は願っていた。
何かの事情で他人と会いたくないのだろう。存在を知られたくないとすれば、犯罪者か。でも、迷った五郎を助けようとしてくれた。少なくとも、性根から悪い人ではない。
「また、雨が来るかもしれんぞ。入ってもらいな」
家の中から声があり、老婆も誘う。五郎は立ち上がって、目の前の物に身がすくんだ。
梁と柱の間に蜘蛛の巣がある。その中心に、大きな蜘蛛がいた。足の差し渡しが半尺もある。
「女郎蜘蛛だよ。見かけはそんなだけど、悪さはしねえ。ほっときな」
「じょおうぐも?」
「女郎だよ、女郎の蜘蛛だよ」
糸を紡いだ巣が風で揺れた。黒と黄色の足の蜘蛛は動かず、ただじっとしている。ジョロウグモは八月から九月にかけて体が成熟する。最も体と巣が大きくなる時期だ。
蜘蛛と目が合ったような気がした。五郎は茶屋の中へ入った。
ほどなく、小雨が降り出した。
囲炉裏の前に老人が座っていた。中へ入るよう、促してくれた人だ。
「ちと、臭いかもしれんがよう、がまんしてや」
婆さんが言う。
爺さんが五郎へ頭を下げた。ケガか病気か、足が不自由らしい。便所に行くのもままならない様子だ。
腕時計を見た。まだ正午前で止まっている。
パタパタと雨が屋根を叩く。ギギギイ、風で柱がきしんだ。
「あばら屋ですまんのう。今年の台風は、やり過ごせるか不安じゃて」
五郎は生まれた家を思い出していた。
昨年、故郷の家は柱が傾き、つっかえ棒を足してしのいだ。今年は保つか、不安になった。
「下の川岸で、焼け跡を見ました」
「ああ、浄蓮寺の跡だよ。滝の近くは危ない所だ、去年も一人死んだ」
爺さんの言葉に、五郎は息を呑んだ。
オオサンショウウオに近づき過ぎて、攻撃されたか。冷たい滝の水で心臓麻痺を起こしたか。去年ばかりでなく、何人も死んでいるだろう。
「雨宿りさせて下さい」
表で声があった。聞き覚えのある声だ。
見ると、賢治と踊り子の一行だった。目が合い、軽く会釈。
「いけませんよ、学生さん。あんな流れ者と目を合わしちゃ」
婆さんが間に入り、首を振った。老人が袖を引き、こっちを向けと言う。
「こんな帽子をかぶってますが、実は川端の水呑み百姓の五男坊です。皆さんと変わりません」
「いよいよ、いかん。頑張って、ここまでなりなさった。ふいにしちゃ、なりません」
茶屋で旅人を相手に商売していて、変な言い方だ。
あるいは、滝で会った女と関係があるかもしれない。何も聞くな、誰にも言うな、と願いが耳に帰ってきた。
部屋の奥に、小さな仏壇があった。写真と勲章が飾ってある。
「息子じゃい。日露の戦争でな、大連の近くで戦死した」
婆さんが自慢げに言った。爺さんは顔を伏せたままだ。
「敵の弾に当たって死んだなら、少しは自慢になるんだが。帰ってきたのから聞いたら、塹壕の中で凍死してたそうな」
「凍えて、ですか」
健康なら耐えられる寒さでも、疲労や病気が重なると、死に至る事がある。まして戦場だ。ケガもしていただろう。
西暦1904年に起きた帝国陸軍とロシアの戦闘では、戦死者よりも病死者のほうが多かった。兵站の崩壊だ。食料の補給は滞りがちで、栄養失調から、脚気を病む者が続出した。ケガや病気で後方に下がっても、看護の体制が不備だった。
ロシアの太平洋進出を阻むのは、イギリスとアメリカにも利益があった。それだけに、戦費の追加支援をしぶったイギリスとアメリカを恨む声がある。金を出しても血は流さぬ国、と新聞は両国をなじった。
その十年後、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線で、ロシアの兵站が崩壊した。前線に食料が届かず、餓死者まで出た。兵は銃を捨てて逃亡し、軍は総崩れになる。首都モスクワの市街では、パンをよこせ、と市民がデモを始めた。ついにロシア皇帝は退位した。帝国を滅ぼしたのは、敵国の大砲ではなかった。
「ありがとうございました」
踊り子たちの声。雨が上がり、彼女らは出発した。
五郎は仏壇に手を合わせ、老夫婦に礼を言って、ゆるりと立ち上がった。
店から出る時、雨滴が光る蜘蛛の巣を見た。相変わらず、大きな女郎蜘蛛が真ん中に陣取っていた。
「気をつけてな。近頃、伊豆の山中も物騒になった」
「熊が出るんですか」
婆さんが見送りに出てきて、不安げな言い方。
「物盗りが出るらしい。脱走兵とか、噂があるで」
昔から、伊豆は流刑の地だ。裁きで流されて来る者がいれば、罪から逃げて来る者もいる。滝の女の事情も同じだろうか。
じゃあ、五郎は手を振り、別れを告げた。
道の他、人跡が無くなった。
勾配が急になる。峠が近い。
トンネルがあった。天城山隧道だ。その前で、賢治と踊り子たちが休んでいた。
「いつの間にか、追い越していたとは、まるで気付きませんでした」
「河原で飯を食べたり、休みながら来ましたので」
峠の手前で再会できた。望外の事だった。
「さあ、できた」
権蔵が二つの提灯に火を灯した。
一行はトンネルに入った。
隧道は長さ四百メートル以上で、中は昼でも暗い。石造りの壁を、冷たい風が音をたてて叩く。完成は明治37年(西暦1904年)の事、伊豆の北と南をつなぐ交通の要となった。
乗り合い自動車か馬車が来たら、すれ違いに苦労する幅だった。幸い、何事も無く出口に達した。
しばらく立ち止まり、目を慣らしてから外に出た。
「ここからは下り道です。日暮れ前には、河津の宿に入ります」
権蔵が提灯を片付け、一行は歩き始めた。
と、賢治が五郎の肩をたたいた。
「そんな歩き方では、足を痛めます。少し腰を落として、ひざを使って歩くんです。上り坂では、誰でも自然になる姿勢です。下り坂だと、皆さん気付かないんだなあ」
賢治の勧めに従い、やや腰を低くして歩いた。傾斜は違うが、階段を下るのと同じ理屈の歩き方だ。
伊豆と山梨を往復して会得した歩法であろう。歩き方ひとつが、生活に直結している。
葛折りの道を谷底へ下って行く。水の音が近付いた。
「この辺は七滝と言いまして、滝の下に、すぐまた滝があるんです。滝の近くの岸には、温泉が湧いてますよ」
賢治は案内が嬉しそうだ。
「昔は隠し湯でしたが、あの隧道が開通してからは、すっかり人気の温泉です。わたしらの商売も、そのおかげです」
谷から吹き上げる風が心地良い。谷は太平洋までつながっている、海風だ。
うーん、ももえがしゃがみ込んだ。
「ほら、もう少しだから」
きぬよが、立てと促す。大島と山梨を往復するのは、ももえは今年が初めてだったらしい。
五郎は小さな背中に手をやり、その荷物を取り上げた。
「ほら、これで軽くなった」
ももえが疲れた顔で見上げた。
「甘やかさないで下さいな」
「わたしも男なので、女の子の前では、良い格好をしたくなるんです。我が侭をさせてください」
きぬよと賢治が頭を下げた。五郎はももえの荷を手に提げ、先頭に出た。
ぽん、背中をたたかれた。振り向くと、ももえが追いついて来た。
「昨日の宴会で、外国の方と話してましたね。すごいです」
「ああ、ヘンリー氏ですね。日本に長いらしく、わたしの発音を良く理解してくれました。本国から来たばかりの人では、ああいきません」
五郎は笑って種明かしをした。実際、ヘンリー氏は日本語で話せる人らしい。
「あたし、英語のお話しを聞いたの初めてで、すっごく驚きました」
ももえが袋から古い本を出して見せた。手帳大の辞書、英語の日常会話が記されている。
ページをめくると、書き込みだらけ。ずいぶん使い込まれている。末尾のページに、樋口一郎伍長と名が書いてあった。
「となりの叔父さんでした。戦争で死んで、次郎叔父さんからもらいました」
ももえは明るく語る。きっと、次郎叔父さんと仲が良いのだろう。
西暦1914年に始まる第一次世界大戦、日本は連合国軍としてシナ大陸の戦闘に参加した。多国籍軍の中にあり、通訳の役割は各所に必要とされた。
樋口伍長は英会話を身につけ、さらなる出世を目指したが、銃弾に倒れた。役割を果たせなかった辞書が、遺品に混じって島に帰ってきた。
「軍隊で、戦いながら勉強してたんだ。あなたも、芸をしながら勉強ですね」
「いえ、あたしは、時々本を開くだけで、勉強だなんて」
旅の芸人では、学校に通うのも難儀な事。学生の身分が、ももえには憧れらしい。
滝の音が近付いた。
川沿いの斜面に貼り付くような旅館、瀧ノ上館に着いた。
待ってたよ、と番頭が賢治を迎えた。
一行宛の電報があり、さゆりに手渡しされた。それを読むと、むっ、口を一文字に結んだ。
「今夜のお座敷は、休むかい」
「いえ、出るから」
きぬよの問いに、さゆりは気丈な答え。何やら悪い報せのよう。
腕時計が動いた、水が抜けたらしい。玄関脇の柱時計で時刻を合わせ直した。
賢治が五郎を呼んで、番頭に紹介した。
「こちらは東京からいらした学生さん、良い部屋を頼みますよ」
「いや、安い部屋でお願いします」
白髪頭の番頭は、愛想笑いで頷いた。
「こんな場末の旅館に、高い安いはありません。川の音が好きな方は下の階に、風の音が好きな方は上の階に、とお勧めしております」
「両方聞ける部屋がいいな」
五郎は難題をふっかけたつもり。が、番頭は愛想を崩さず、こちらへと手を向けた。
陽が山にかかり、谷間は急に暗くなった。明かりは旅館だけだ。
五郎は建屋の端の部屋に通された。川の音と風の音が一緒に聞こえる。
「窓下の河原に、温泉が湧いてます。明るくなったら、入ると良いでしょ」
言われて、窓から下を望んだ。湯気の前に衝立があり、浴衣がかかっていた。誰か入っている。
あまり見てると、のぞきと間違われそうで、頭を引っ込めた。
今から入ると、出る頃には真っ暗。よほど夜目が利かないと、帰り道がわからなくなりそうだ。
浴衣に着替え、服を洗って干した。朝には乾くはず。
机に向かって本を読もうとした。座ったとたん、足に痛みが来た。
腓返り、と言うやつ。慣れない山道を歩いたせいだろうか。
痛みが軽くなった頃、夕餉の膳が来た。うまく座れず、足をくずして食べる事になった。
食事を終え、また本を開こうとした。
「学生さん、一番いかがかな」
将棋盤を持って、髪の薄い親父が部屋に来た。名は寺尾、この旅館の主人と言う。
「すみませんねえ、よろしくお願いします」
仲居が茶と菓子を置いて行った。断り切れず、相手をする。
三手ほど進むと、歌が聞こえてきた。宴会が始まった。踊り子の一人、ひばりが歌っている。
うたはちゃっきり節ーい、おとこは次郎長ーお・・・
ひばりの名は伊達ではない、天まで届きそうな声が谷間に響いている。
「ひばりちゃんは好いねえ。遠い朝鮮から来て、色々苦労を重ねて、声に艶と張りがある。わたしがねえ、もうちょい若ければ、後妻に欲しいところだよ」
寺尾は踊り子たちの事情に明るいらしい。
「ううむ、そう来たか」
五郎が一手指す毎に、寺尾は長考する。
待つ間、ぼんやり窓の外を見た。かすかな稜線の上に星がまたたいていた。
「さあ、これでどうだ」
寺尾の声に、五郎は将棋盤の異変を見た。さっきと駒の配置が違う。
さては、と思ったが、相手は旅館の主人だ。そのまま続けた。
「ううむむ、なかなかやるな」
また寺尾は長考に入った。
「おっ、今度は、さゆりちゃんの歌だね」
寺尾が言うので、また歌声に耳を傾けた。
ふじの高嶺に降る雪もーお、いずの河津に降る雪もー・・・
やさしい声が聞こえた。歌い手により、かくも歌は違って聞こえる。不思議な事だ。
「さあ、そちらの番だよ」
寺尾の催促に盤へ目をもどすと、まただ。あるはずの無い駒が、ポンと置かれていた。
この主人、ズルい手の常習犯らしい。これでは相手がいなくなるだろう。
あえて、不満は口にせず、盤に向き直った。
宴会が終わるまでに、三番やって、五郎の三連勝だった。
「いやはや、さすがに、あんたは強いなあ」
頭をかきかき、寺尾は将棋盤を持って退散した。
静かになった部屋で、五郎は大の字に寝て腰を伸ばした。修善寺から歩いたのより、将棋三番の方が腰に来た。
四日目
目を覚ますと、時計は四時過ぎだった。
カーテンを開けると、空には明るさがあるが、谷間は暗いまま。滝と川の水音ばかりが響いている。
手ぬぐい一本を手に、薄暗い廊下を渡り、河原に出た。空の明るさが川面に映り、足下は明るい。
河原の岩風呂の前の衝立は、意外と低かった。五郎の腰までだ。
浴衣と下着をかけて、湯に足を入れた。体が冷えていたせいか、けっこう熱く感じた。
湯の中に入れば、低い衝立は風景が見えて良い。一度肩までつかり、あとは胸下までの半身浴とした。
ちちち、ぽーぽー、鳥が目を覚まして鳴き出した。あいにく、鳥の種類にはうとい。どういう鳥だか、見当もつかない。
湯の心地よさに、つい眠気が来た。
と、ぱたぱた、足音が近付く。
「あら、あなたでしたの」
声に振り向くと、きぬよがいた。躊躇無く浴衣を脱ぐと、風呂の縁にしゃがみ、湯を体にかける。
「ごめんなさいね。こんな年増の裸じゃ、見ても楽しくないでしょ」
五郎は端へ逃げた。
「ほら、こっちは若いから、見応えがあるわ」
きゃあ、奇声を上げたのは、ひばり、さゆり、ももえの三人。もじもじしながら、浴衣を脱いだ。
風呂の一番奥で、浴衣をかけた衝立から遠い。女をかき分けなければ、風呂を出られない。
「けど、その、下の毛の量も年の功に準じるのでしょうか」
言ってから、へたな話題を振ったと反省した。
「確かに、ねえ。姉さんは濃いなあ。ももえは産毛に色が付いたくらいだし」
ひばりとさゆりが、一緒になって笑う。ももえが頬をふくらました。
「嘘か真か、確かめようはありませんが、西洋の貴婦人は下の毛を剃り落とすそうです」
まあ、と女たちは顔を見合わせた。
体の毛を剃り落とす習慣は、古代エジプトに始まる。王族と神官たちが、衛生のために行ったらしい。肌を傷つけない精度の高い刃物を必要とするため、限られた人だけができる行為だった。
高精度の剃刀が東に伝わり、仏教の僧が剃髪に使うようになった。剃刀と供に、仏教は千年かけてインドから日本に伝来する。永く西洋では、剃刀を使うのは医療行為であった。
西洋絵画では裸婦像が多くある。そこに下の毛が描き込まれる事は、ほとんど無い。絵画を見る貴族たちが、下の毛を嫌ったと見るべきか。
19世紀、日本から浮世絵が西洋に輸出された。女性の下の毛を描き込んだ異国の絵が、大いに受けた。浮世絵の描写を西洋的に解釈して、印象派の絵画が始まる。
「下の毛が無い女は、もう毛が無い・・・・儲けが無い、と言って商売人は嫌うもんです」
きぬよが顔をしかめる。ももえは口を尖らしていた。
「どうせ、あたしは子供よ」
ふうう、五郎は大きく息をした。冷たい空気を吸いたかった。
これ以上はだめ、と上がる事にした。
風呂の縁に足を上げて、すべった。がつん、頭を石にぶつけた。
目から火花が飛んで、ぎゃあ、と悲鳴が谷間に響いた。
頭に手ぬぐいを巻き、五郎は旅館に戻った。
廊下で賢治に会った。
「ここから少し下流の宿で、お座敷に呼ばれました。近くなので、出発は昼過ぎです。ご一緒、しますか」
「はい、ぜひ」
生返事で一礼して別れ、部屋に帰ると、痛みで大の字に倒れた。手ぬぐいを取ると、頭に大きなコブができていた。
頭をおさえながら、窓から下を見た。
河原の衝立から、ひばりとさゆりが手を振っている。衝立が低いので、二人とも乳房がまる見え。
五郎は風呂から上がりかけて、滑って転んだ。女たちに尻の穴のシワまで、しっかり見られたはずだ。今更、恥うんぬんも無い。
と、衝立の横に、ももえが出た。全裸で手を振る。
力無く手を振り、次に隠れろと手を払うようにした。きゃはは、三人は笑って衝立の陰に入った。
ひとつ息をつき、また畳の上で大の字になった。
谷間にも陽が入ってきた。
朝餉が出る頃には、コブの痛みは引いていた。
食事が終わって、本を開いた。ふと、太陽を見上げた。
なぜ、太陽は明るく輝き、熱を放つのか・・・・・昔の人は考えた。太陽は石炭の塊で、それが燃えているのだ、と。
18世紀、酸素が発見され、燃焼の原理が明らかになった。石炭が燃えているのなら、太陽は濃い酸素と二酸化炭素に包まれているはずだ。ならば、その空気の層がベールになり、太陽はぼやけて見えなければならない。現実には、太陽の輪郭はくっきりと見える。太陽と地球の間には、ほとんど空気が無いのだ。
また、燃焼の過程で、石炭は体積を減らしていく。しかし、ここ数百年間の観測で、太陽の直径は減っていない。
19世紀末、フランスのベクレルとキューリー夫妻により、放射性物質が発見された。酸化反応によらず、強力なエネルギーを放射する物質がある。西暦1903年、三人はノーベル賞を共同で受賞した。彼らの名は、後に放射線を計る単位となる。太陽が放射性物質の塊ならば、熱放射に空気は必要無い。輪郭がくっきり見える説明になる。
分光観測により、太陽の表面は水素とヘリウムがほとんどを占める事がわかっていた。放射性物質があるとしても、それは太陽の奥だ。物質が放射性崩壊して、水素やヘリウムが放出され、それが太陽の表面に溜まっているようだ。
だが、放射性崩壊の過程で水素やヘリウムを放出した分、物質は体積が増える。ここ数百年間、太陽の直径は増えていない。
太陽について判明しているのは、地球からの距離、直径、表面の温度くらい。まだまだ謎だらけだ。
五郎は本を閉じ、また寝転がった。
昼餉に茶漬けを食べた。出発前なので、軽めにすます。
玄関で賢治と待ち合わせた。
支払いの段で、番頭が五郎の手を押し返し、耳元でささやいた。
「昨夜は、主人のヘボ将棋に付き合いいただき、ありがとうございます。あの事は、内密にお願いします。くれぐれも、内密に」
言われて、あのイカサマ将棋を思い出した。
寺尾は本当に当家の主人だった。番頭に事の次第を知られているようでは、ヘボなイカサマも本物だ。
七人が旅館を出たのは、午後二時過ぎだった。
道は南に向かって下り坂。少し行くと、谷が開けて藁葺き屋根がひとつふたつ見えた。
川に近い低い所に小さな家があった。高い方には、屋根を重ねた大きな家がある。故郷の風景に似ていた。
川端五郎は、川端の水呑み百姓の家に生まれた。小作人の五男坊だ。高台を見上げると、大きな地主の家があった。
ある日、地主が五郎の家に来た。米俵一俵を置き、五郎を奉公人に出せ、と言った。五郎は地主の家から学校に通った。
地主の家には、小作人の子が何人も奉公に来ていた。学校から帰ると、奉公人としての勤めがあった。勤めが終わってから、皆と勉強だ。
地主が病に倒れ、息子が継いだ。彼は奉公人を学校へやるのに批判的だった。小作人に学問は要らぬ、と成績が振るわぬ子は次々と学校を辞めさせられた。中学校を卒業したら、五郎も一奉公人になるはずだった。
学校で講師をしていた康成男爵が、五郎に目をかけてくれた。寸でのところで、五郎は高等学校に進む事ができた。
「先生がいなかったら、地主の家で馬の世話をしていました」
苦笑いで、故郷の思い出に首を振った。
坂を登ってくる行列がある。葬列だ。
賢治が道の端にのいて頭を下げた。皆もならって、道をゆずった。
喪服の列の中程、四人がかりで担がれた棒に樽が釣られていた。棺桶だ。
五郎は手を合わせ、黙して頭を下げる。
葬列が過ぎ、また一行は道にもどった。
「白木の樽か、御大尽様の葬式ですね」
ふっ、つい口を歪めて息をついた。
五郎が小学生の時、祖父が死んだ。数ヶ月前から寝たきりで、その数日前から、股にあてた布が赤黒く染まった。便ではなく、血だった。家に酸っぱい臭いがあふれた。
駐在と医者が死を確認して、父と長兄が遺体を大八車に乗せた。死に装束は筵が一枚と、手に麦飯のにぎりがあった。寺の住職の指示で、寺の裏に埋めた。
父と長兄が穴を掘る間に、五郎は祖父の手から麦飯を取って食べた。ひもじくて、それが目的で寺まで行ったのだ。知ってか知らずか、父と長兄は何も言わなかった。
ふと、右手を見た。
あの麦飯のにぎりが、そこにあるような気がした。
「よいお話ですねえ」
賢治が言った。
「最期に飯を孫に与えた。その孫は努力を重ね、高等学校の生徒になった。お爺さまは草葉の陰で、きっと喜んでますよ」
「まだ学生です」
五郎は首を振った。
河津の町に入った。まだ陽は高い。
旅館の造りは小さいけれど、さほど年月を経ていない。峠の隧道より後に建てられたようだ。
玄関で客数人が新聞を見て、へーほー、と唸っていた。東京で見る大判の刷りではなく、片手で持てるチラシのような紙だ。
五郎は一枚買った。
伊豆の修善寺で殺人事件、と云う記事。ううむ、五郎も唸ってしまった。
賢治と踊り子たちは、奥の布団部屋へ行く。仕事の準備だ。
部屋に案内された。玄関の真上だ。出入りする人の声と音が聞こえる。
寝転んで手足を伸ばした。ここ数日、歩きづめだった。今日は運動不足のためか、体がフワフワと軽い。
賢治がやって来た。
「実は、今夜だけでなく、明日の夜もお座敷がありそうです。わたしたちは二泊しようと思います。そちらは、いかがでしょうか」
「じゃあ、わたしも」
五郎は頷いて、賢治に新聞を見せた。
「あの財津さんが死んだようです」
「財津さん?」
修善寺で起きた殺人事件、被害者は財津一郎。一昨夜の宴会に出席していた金持ちだ。容疑者は、日清戦争では財津の部下であった元陸軍一等兵、金井由吉。動機は天誅、又は逆恨み。
日清戦争の折り、財津軍曹は金井と供にシナへ渡った。戦いの最中、財津は他人の手柄を横取りして報告した。上層部へ告発しようとした同僚を、中国人の殺し屋を雇って始末した。その同僚は行方不明とされた。金井は命令不服従の嫌疑で逮捕された。
戦後、財津は横取りした手柄で勲章を得て、その信用を元手に事業を興した。
除隊後の金井は定職に就けず、ひたすら財津への恨みを積んでいた。三十年目にして、ついに凶行に走った。
むう、賢治は新聞を手に、口をへの字にした。
「いやはや、他人事とは思えない」
昔、賢治は東京の舞台に立っていた。新しい花形として、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。近寄る女は数知れず、ほとんど手を付けた。
新作の初演を控えた日、裏方の男に殴られた。顔は腫れ上がり、役は別の者に割り振られた。
裏方の男は、賢治が手を付けて捨てた女の兄だった。仕返しをしようとしたら、逆に刺された。傷は深く、長の入院となった。
退院しても、賢治は舞台に戻れなかった。身持ちが悪いヤツは舞台のジャマ、と追放同然に放り出された。
運良く、別の舞台に上がる機会を得た。しかし、すぐ悪い癖が出た。支援者の娘に手を付けた。やくざ者に監禁され、指を落とすか、去勢するかと脅された。二度と都市の舞台には立たない、と念書を書いて放免された。
「で、伊豆に帰ってきた訳です。すべて、自分がまいた種から来た事、誰も恨めません」
へへへ、小さく肩を揺らし、賢治は新聞を返してきた。
「皆さんを追って出なければ、わたしも事件に巻き込まれたかもしれません。命拾いしました」
「少しでも、お役に立てましたか」
五郎が礼を言うと、賢治も恐縮して頭を下げた。
陽が山にかかると、台所から良い匂いが流れてきた。ぐう、と腹が鳴る。
ペペンペペン、三味線の音に窓から下を見た。
きぬよを先頭に、踊り子たちが玄関前で列をなした。賢治が大きな身振りで笛を吹く、多芸だ。
五郎が上から手を振ると、踊りながら会釈を返してきた。見物人が集まって来た。
一曲終わり、二曲目を奏でながら、宴会のある旅館への道中が始まった。人も一緒に動いて行く。
温泉街とは言え、修善寺に比べると静かだ。芸人が少ないのだろう。
行列が遠くなり、風と川の音が聞こえるようになった。
夕餉の膳を腹にしまい込み、本を開いた。
西暦1919年、イギリスのラザフォードは放射線を窒素原子に当て、別の原子ができる現象を確認した。放射性物質でなくても、放射性崩壊が起きた。
アメリカなどで、電離してイオン化したガスの原子を、強力な電磁石で磁場をかけ、人工の放射線を作る試みが始まっている。放射性崩壊を人為的に起こそうと言うのだ。原子物理学が錬金術になる可能性がささやかれた。
現状では、大きな重い原子核が壊れて、小さな軽い原子核へ変化する核分裂の過程が確認されている。金は重い原子だ。それを造るとなると、複数の原子核をひとつにする、核融合とでも言うべき過程が必要だ。しかし、そのような現象は、未だ確認されていない。
人工の放射線を発射する装置は、後に粒子加速器などと呼ばれるようになる。
それを造るには、強力な電磁石が必要だ。鉄のコアに銅線を何重にも巻いて巻いて、電磁石を作るのだが、問題がある。投入した電力が抵抗で熱になってしまい、肝心の磁力にならない。鉄と銅に含まれる不純物が抵抗の元だ。溶鉱炉の温度を上げるだけでは、鉄の純度は上がらない。溶けた鉄は砂糖水と同じで、不純物の砂糖を外に出そうとしない。不純物を取り除く後処理に、高純度の鉄を作る技術の核心がある。
現在、空気は窒素と酸素が大部分を占める。けれど、原初の昔から窒素と酸素だったとは限らない。別の物から変化してなった可能性を、科学は明らかにしようとしている。
川端五郎は水呑み百姓の家に生まれた。今は高等学校に通う学生だ。千年前から水呑み百姓だった訳ではないし、千年後も水呑み百姓であるはずがない。原子が変化するように、人間も変化するはずだ。
「川端さま・・・・五郎さま・・・」
呼ぶ声に、目を覚ます。本を読む内に、布団の上で眠っていた。
襖が開き、浴衣の女が現れた。ひばりだ。
「あ、お仕事は?」
「終わりました」
時計を見ると、十時を過ぎていた。街は静まりかえっていた。この辺、修善寺と違う。
「姉さんに言われて、考えてたんです。おととい、過分な物をいただいたので、少しでもお返しをしないとね」
「ああ、あれですか」
財津からもらった寸志の袋を、そのまま、きぬよに渡した。中身は知らない。
「あたし、按摩は得意なのよ。ささ、うつ伏せになって」
いや、と断りを入れる間も無く、五郎は布団の上でひっくり返された。
「朝、頭のてっぺんから足の先まで、全部見合ったでしょ。今さら、恥ずかしがる仲でもなし」
どん、ひばりは背中に跨がり、指を五郎の背骨に沿わせた。間に浴衣一枚あるとは言え、男と女の肌が接した。
ぽきぽき、ひばりの指がめり込む度、五郎の筋肉と骨が音を立てた。
「あらあら、けっこう凝ってる」
「すみません」
五郎は弱々しく答えた。
揉まれる内に、全身が弛緩して行く。また眠気が来ていた。
「前の旅館の寺尾さんが、ひばりさんは朝鮮から来た、と言ってました」
「お喋りな小父さんだ。まあ、本当よ。パクチョンの家に生まれたの」
「ぱ・・・ぱく、ちょん?」
「朝鮮で・・・・小作人の事を、そう呼ぶの」
漢字で書くと「白丁」となる。朝鮮の社会制度上の身分だ。
両班と呼ばれる貴族階級が上にあり、何段階かあって、白丁は一番下の階級である。姓は無く、名だけ名乗る事ができる。着物に制約があり、色柄のある物は着られない。色褪せた白っぽい物を着ているので、白丁と一目で判別できる。学問は許されず、ほとんどが文盲だった。
日清戦争勃発の翌年、西暦1895年、下関で講話条約が結ばれた。その中で、大清属朝鮮国は独立し、大韓帝国となった。
しかし、変わったのは国名だけ。国の実態が変わるのは、西暦1910年の日韓併合以後だった。身分制度は廃止されたが、都市を離れると、昔ながらの生活が続いていた。
「親からもらった名は忘れた」
ひばりは悲しい目で言った。
王が住む都で何か騒動が起きた事は知っていた。夜空に大きな彗星が現れた。それが白丁の家に関わりがあるはずも無く、領主の下で農業に従事していた。白丁の女は大人になって出世しても、領主の館で下働きになるか、都で妓生になるか。
ある日、村に仲買人が来た。容姿の良い女を捜していて、ひばりも選ばれた。字は知らないので、仲買人に教えられるまま、何枚かの書類に署名した。両親がいくばくかの金を受け取り、ひばりは仲買人にあずけられた。馬車に乗り、村を出た。涙は出なかった。
釜山の港から船に乗った。船内で新しい着物をもらった。赤や青の色鮮やかな着物を身に着け、心は躍った。もう白丁ではない。
「東海の小さな島国で働く、と仲買人は言ってた。でも、嘘だった。日本の方が大きな国だったよ」
横浜の妓楼に入り、ひばりの名を貰った。学問を積めば、より稼げる。先輩に言われて勉強した。日本で読み書きを身に付けた。契約書を読めるようになり、十年の年季奉公を確認した。
妓楼は実力主義の社会、ひばりは軍人なら将校を相手するまでに出世した。ある日、朝鮮出身の陸軍大尉、高木が来た。ひばりが白丁の出と知ると、足蹴にして部屋から追い出した。軍服を着ていても、朝鮮人を差別して卑下するのは朝鮮人だった。
十年の年季が明け、ひばりは自由を得た。これから稼ぎを貯め、独立への準備と張り切った。
と、朝鮮の親から手紙が来た。借金したので金送れ、と催促だった。ひばりの親は白丁で文盲だ。手紙が書けるはずはない、誰かの代筆だ。
大正12年(西暦1923年)の9月、大地震が起きた。妓楼は燃えて倒れた。
ひばりは生き残った。手元にある荷物と預金通帳を風呂敷に入れ、列車に乗った。朝鮮へ、故郷へ帰るため。
けれど、ひばりは伊豆で列車を降りた。朝鮮へ帰れば、白丁に逆戻りする。結局、故郷を捨てた。
「そうして、きぬよ姉さんに拾われたのさ」
くー、五郎は寝息をたてていた。ぽん、頭を叩いた。
「あっ、そうだ」
五郎が素っ頓狂な声をあげた。
「豊臣秀吉の軍が朝鮮を攻めた時、国を測量して地図を作りました。そうしたら、日本が朝鮮の倍も大きいと知り、とても驚いたそうです。その時まで、朝鮮の方が大きな国と思われていたんですね。あなたの仲買人が、大昔の感覚で日本を小さな島国と言ったとすれば、間違いだけど、嘘とは言い切れませんよ」
「豊臣が・・・・て、いつの事?」
「今から、三百年以上前です」
かはは、ひばりは笑った。
五日目
窓の明るさに驚き、時計を見たら六時前だった。
ひょいと起き上がり、窓を開けた。昨夜の按摩が利いたのか、体が軽い。
便所で用をたす。格子窓から河原が見えた。
川縁に大きな男の背中があった、権蔵だ。石に腰掛け、何か作っている様子。
近寄ると、権蔵が気付いた。
「おはよう。財津が死んだってね」
大きな手で、小さな紙の人形を作っていた。
「おれだけの葬式をしよう、と思ってね。かつての上官だし」
権蔵も日清戦争で銃を取っていた。財津の部隊には伊豆の者が多かった。
「鉄砲があったと言っても、おれら下っ端の兵隊には、弾は貴重品さ。一発二発撃ったら、突撃だ。銃剣で斬った刺したの乱戦だよ」
弾丸の支給には、部隊によって差があった。弾が尽きて、権蔵は乱戦の中、部隊とはぐれた。数日、戦場をさまよって、やっと合流できたと思いきや、脱走の疑いで逮捕された。後方へ送られ、そのまま終戦となった。戦勝の名誉とは無縁の帰国だった。
朝鮮が独立すると、すぐロシアが南下して来た。樺太を経由して、ロシアが北海道へ上陸する懸念が強まる。北の地は開拓地から要衝へと、認識を改められた。権蔵も仕事を求めて渡った。出自怪しい連中に混じり、昼は仕事で夜は博打の生活だった。金が貯まる訳も無し。
明治中期から、北海道では炭鉱の開発が相次いでいた。大正年間には、生産が本格化する。鉄道、道路、橋やトンネルの建設で、多くの人が出稼ぎに来た。ある者は、そのまま定住した。日韓併合後は、多くの朝鮮人が働きに来た。
第一次大戦が始まると、本州が人手不足になり、権蔵は帰ってきた。しかし、まともな職を得られぬまま、伊豆にもどった。
「気がつけば、もう五十過ぎだ。あちこち、体もガタガタさ。きぬよや賢治と歩くのも、今年が終いかな」
戦場から生きて帰った、歳を取って死ねる、これに優る幸運は無し。権蔵の顔は涼やかだ。
新たに紙の船ができた。人形を乗せ、川に浮かべた。流し雛だ。
水の流れのまま、船は小さくなり、やがて見えなくなった。流れの先は太平洋だ。
きぬよとさゆりが、タライを抱えて来た。
「お早うございます。何か洗い物があれば、一緒にしますよ」
「いいえ、自分でやります」
軽く挨拶して、退散した。
部屋に戻ると、直に朝餉となった。
食べて、茶を飲んだ。ふと、茶から水を連想した。
一口に水と言っても、井戸水と雨水が違うように、川の水と海の水は全く別物だ。
五郎は川端の水呑み百姓の家に生まれた。家では、川の水を汲み置いて使っていた。一度煮沸した白湯は貴重品で、一日に何杯も飲めない。家の誰かが熱を出して寝込むと、地主の家から井戸の水を分けて貰う事ができた。その水は美味かった。
東京では、水道の水ばかり飲む。美味いと感じた事は無い。酒造りでは、水が大事と云う。地震や地滑りで水質が変わってしまい、酒造りを諦める例があるらしい。
西暦1870年、ドイツのコールラウシュが「純水」を造った。普通の水に40回以上も蒸留を繰り返して、水とは全く別の液体を造った。それは電気を通さず、鉄を錆びさせなかった。よく知られている水の性質は、水に溶けた不純物の作用なのだ。
20世紀になると、発達した蒸気機関を利用し、より高温高圧で大型の蒸留器が作られた。純水の量産が可能になった。純水に任意の化合物を溶かし、様々な特性を持つ水溶液が作られるようなった。近代化学工業の出発点だ。
西暦1918年、ドイツのハーバーはアンモニア合成法を確立した功績で、ノーベル賞を受けた。空気と水と石炭から全てを作る、とさえ言われる技術だ。しかし、ハーバーは毒ガス製造の責任者として、戦争責任を追及された時期があった。
西暦1921年、フランス、パリのモード店のひとつ、シャネルから「5番」と名付けられた香水が発売された。前世紀から続く科学者の苦労を、ファッションとして形にするのがフランス流。
目を覚ますと、昼が近かった。つい、うたた寝をしていた。
また、故郷の夢を見た。帰るべきか、否か。迷いが夢になっている。
ひばりは故郷を捨てた。その決断が自分にもできるか、どうか。
昼餉には握り飯をもらった。皿に三つ並んで、海苔巻きと胡麻かけ、鰹節を頭に乗せたの。見せる造りだ。
茶をすすり、本を開いた。片手に握り飯は便利。
食べようとして、口の前で手が止まった。故郷の家を思い返せば、なんと贅沢な食事か。
「こんにちわっ」
元気な声で、ももえが入ってきた。
「ねっ、しましょ」
持ってきた将棋盤に、箱から駒を広げた。抗しきれず、盤に向かう。
ぱちぱち、歩だけを並べていく。はさみ将棋だ。
軽い気持ちで始めたのだが、あれれ、と思う間に負けていた。
むむむ、気合いを入れて盤と向き合う。が、また負けた。
「強いなあ。こんなに強いなら、本格の将棋だって。そっちは、やらないのかい」
「樋口の叔父さんの遺品に将棋盤があって、次郎叔父さんと少しやりました」
ももえは小首を傾げる。色々な思いが湧き出るかのよう。
「なら、できるんだ」
歩以外の駒を盤に置き、並べていく。ももえの顔がきびしくなった。
互いに飛車角前の歩を進める。数手進めて、ももえの強さを知った。
五郎とて、将棋の試合に出るほどではないが、学校では一目置かれる将棋指しだ。その男が、十四ばかりの女の子に押されていた。
「こんなことにいた」
声に二人の手が止まる。
「今夜の出し物の練習だよ、遊んでる暇は無いからね」
きぬよが目を吊り上げて言う。ももえは口を尖らかし、無言の抗議。
そでを引かれて、ももえは立ち上がった。五郎は小さく手を振る。
部屋から出る間際、ももえは五郎を振り返った。頭を下げて見送った。
一人になり、はあぁ、大きく息をついた。
握り飯を腹に入れ、本を開いた。
康成男爵が出資している鋳物工場を訪ねた事がある。先の大地震では、ほとんど被害をうけず、幸運に恵まれた工場だ。
溶鉱炉で鉄を溶かしていた。鉄の温度を聞くと、知らない、と職工たちは答えた。親方が溶けた鉄の色合いを見て、よし、もう少し、と決めるのだ。
溶けた鉄を型に流し込む。砂を固めた型の成分が、鉄に溶け込まないか心配になった。
鉄が冷えて、型から物を取り出す。不出来な物は捨て、良い物を磨き、窯で焼き入れする。陶器造りと同じような工程だ。
窯の温度を聞くと、知らない、と職工たちは答えた。親方が窯をのぞき、火加減を決めるのだ。
焼き上がり、窯から出すと、物にもよるが、井戸水に浸して冷やす。水は鉄を錆びさせるのに。昔からしている、と職工たちは答えた。
あの親方が倒れたら、井戸水の質が変わったら、工場は立ちゆかなくなる。男爵に出資の危険を苦言した。
「それを改善する事こそ、おまえの仕事だ」
男爵は満足そうに笑った。
大正6年(西暦1917年)、鋳物の世界に新しい技術の波が来た。ダイカスト法を使う会社が東京にできた。
それはプレスマシンのように鋳物を量産する技術だ。今のところ、銅や錫など、融点の低い金属で鋳物を生産していて、鉄鋳物と競合していない。今年、アルミニウムの鋳物を試作して注目を浴びた。重さが鉄の半分以下という軽さは、今後の発展が期待できる。
気がつくと、夕暮れが近付いていた。
玄関前の中庭の向こう側で、広間の障子窓が開けられた。宴会の準備が始まった。
仲居が来た。夕食が遅れる、と言う。宴会の準備で追われているらしい。
かまわない、と答えた。
陽が山にかかり、谷間が暗くなってきた。向かいの広間に人が入り、にぎやかな声が聞こえる。
「お待たせです」
仲居が夕餉の膳を持ってきた。
はて、と首をひねった。昨日より、皿の数が二つ多い。
「宴会の料理を、少し、ね。ないしょ、ですよ」
ほほほ、いたずらな笑みで、仲居はご飯を椀に盛る。
じゃんじゃん、三味線の音が響き、よっはっ、かけ声が聞こえた。早くも余興が始まった。
窓を少し開けると、賢治が手を振り上げ、軽妙な腰つきで踊るのが見えた。
「昔は東京で鳴らしたらしいけど、こんな所で安い芸人になって、まあ」
「おかげで、本物の芸を間近で見られる」
「そんな言い方もありますかね」
ごゆっくり、と仲居は下がった。
風呂は五郎だけだった。小さな宿だけに、宴会で総出のよう。
両手両足を広げ、大きな浴槽を独り占めだ。
人目が無いので、ついでに下着を洗った。
裸に浴衣一枚で部屋に戻る。下着は衝立にかけた、明日の朝までには乾くだろう。
股ぐらが落ち着かないけれど、男一人なら問題無し。
とたとた、かわいい足音が近付いて、ももえが現れた。
「いたいた。ねっ、昼の続き、しましょっ」
駒を指すしぐさで、将棋をせがんできた。
「でも、お座敷は」
「この先は大人の芸をする、と言う事で、あたしだけ先に上がりになりました」
何の事か、と窓を開けて向かいを見た。
障子が閉められて、広間をうかがえない。でも、宴会は続いているようだ。
「しかたないね、やりましょうか」
五郎は将棋盤を出した。浴衣のすそが開かぬよう、正座で対する。
十手ほど進むと、もう圧されて来た。つい長考してしまう。
「さあ、そっちの番よ」
催促され、あわてて指す。悪手を打ってしまい、また長考してしまう。
ぎぎぎぎ、歯ぎしりしても、状況は変わらない。どんどん圧されて行く。
「さあ、早く」
ももえがせかす。しかし、逆転の目は限りなく小さくなり、もう打つ手が無くなってきた。
五郎は浴衣のすそを直し、両手を床につき、頭を下げた。一度見た名人対決を真似てみる。
「まいりました」
王手の詰みまで数手あるが、負けは負けだ。
わーい、ももえは手をたたいて満面の笑み。
どやどや、大勢の足音が来た。
「おおお、いたな」
賢治が赤ら顔で現れた。きぬよ、ひばりも顔が赤い。
酒が入る芸だったのなら、子供を加えないのは理解できた。
「お手合わせ、ありがとうございました」
「こちらこそ、勉強させていただきました」
ももえは丁寧に頭を下げた。五郎も礼を返した。
皆は帰り、静かになった。将棋盤をかたづけるていると、まだ誰かいると気付いた。
さゆりだ。徳利をのせた盆を持ってきていた。
「ももえの面倒を見ていただき、ありがとうございました。ついては、お願いがあって、まいりました」
ほとんど酒は呑まないのだが、一口くらいなら、と付き合う。
「実は、秀坊が死にました」
「ひでぼう?」
さゆりは大島に生まれ育った。十五歳で漁師の裕次郎と夫婦になった。翌年、子供を孕んだ。が、子が産まれる前に、裕次郎は海で死んだ。三角波が船を砕いたのだ。
産まれた子を秀樹と名付けた。なので、秀坊と呼んだ。乳離れすると、親にあずけた。賢治に誘われ、踊り子になって稼ぐ事にした。兄弟が欲しかったから、賢治と事実上の夫婦暮らしをしてきたが、いつまで経っても兆しは来ない。
「あいつは・・・・東京で女遊びが過ぎて、種無しになっちまったんだ」
さゆりは賢治を諦めかかっている。そんな時、一昨日、電報を受け取った。
ヒデボウ、シス・・・・
五才になったばかり、子供は症状の進みが早い。気が付いた時には手遅れだった。島の医療は貧しく、幼子を救えなかった。
「だから、秀坊を産み直すんです。あなたの子種を下さい」
「子種を!」
さゆりは部屋に来る前から酔っていた。酔いの上の軽口にしては、目が刺すように痛い。
五郎は、水呑み百姓の五男坊だ。しかし、上の兄のうち、二人は早逝していた。三郎は十才の時、転んでケガをして、それが膿んで死んだ。四郎は三才の時、高熱を出して死んだ。また産めば良い、と母は気丈に言ったらしい。そうして、五郎は世に生をうけた。
「わ、わたしは旅の者で、また伊豆に来るとは限りません。子が出来ても、父無し子になって」
「あたしは踊り子。旅の途中で誰かの子を孕むのは、よくある事です。父無し子なんて、大島には珍しくもない」
さゆりの夫は漁師だった。海が荒れたら、死ぬのは漁師の運命だ。
「実は、わたしは貧乏ゆえ、東京で女遊びはした事が無く」
「あたしがお願いしてるのは、遊びではなく、お仕事よ。男と女がする、大事なお仕事」
断り切れない・・・・五郎は抗弁を諦めた。さゆりは年こそ同じくらいながら、人生経験は何倍も深い女だ。
「さて、準備しましょ」
さゆりは布団を敷いた。枕をふたつ、汗ふきの手ぬぐい、水差しも用意する。
「えと、その、何も知らず、ふつつかでありますが、頑張りますので、よろしくご指導のほど、お願いします」
五郎は正座して頭を下げた。
さゆりは笑った。花嫁の言葉を、男が言ったからだ。
電灯が消されて、部屋は闇になった。
「さあ、始めましょ、為朝さん」
「ためとも?」
「大島の女は、父無し子は為朝さんの子と言う事にするの。ももえも為朝さんの子よ」
静かだ。闇の中で、ただ二人の息だけが聞こえた。
六日目
目覚めると、一人だった。布団の中で裸だ。
時計は六時前、窓の明かりが眩しい。
衝立の下着を着け、枕元の浴衣を羽織る。下半身のムズムズは尿意だ、急いで便所へ駆け込んだ。
手を洗っていると、仲居と目が合った。横幅もたっぷりな正方形な体格の女。
「昨日は、遅くまでご苦労様でした」
にやにや笑いで腰をぶつけて来た。
「もう一日泊まって、今夜は、あたしといかが」
「考えておきます」
愛想笑いで逃げて、部屋にもどった。荷物を片付け、出発の準備をする。
出発は八時前だった。
「道は二つです。このまま、川沿いに進んで海に出て、海沿いの道を下田へ行きます。もう、ひとつは」
賢治は前を指した手を、右に振った。
「あの山を越えて、下田へ行きます。わたしは、いつも山越えですが」
五郎は肯いた。一行は河津の谷を背にして、西側の山を登る道へ。
中腹まで来て、賢治が真西の山道を指した。
乗り合い自動車が通うなだらかな道から、獣道へ入った。木々の間に、人が通う痕跡がある。地図には無い旧道だ。
「尾根から、大島が見えますよ」
女たちが嬉しそうな声で言う。
五郎は先頭に出た。ぐいぐい、坂を登る。木の丈が低くなり、空が広くなった。
頂に出た。天城山から連なる稜線の上に立つ。吹き抜ける風がマントをひるがえした。
南に海が広がっていた、太平洋が陽光に輝いている。水平線が丸く見えた。
東よりの水平線に大きな島がある、大島だ。島の中央には三原山。火山の大きなカルデラがある、遠目には頂が二つあるかのよう。大島の西側には、家来のように島が点在している。伊豆七島と呼ばれる群島だ。
手をかざし、島の海岸線を見た。町や港を探した。
はあはあ、かわいい息が聞こえてきた。
「わーい、大島」
ももえが歓声を上げた。
「うーん、見えない」
五郎はあきらめ、島を凝視するのを止めた。
「何が見えないの」
「鎮西八郎は島の港で凧を揚げ、こちら側と連絡を持ったらしいのですが、わたしには港すら見えない」
「船乗りには、見える人がいるよ」
ももえは胸を張る。
ももえの両親は船に乗っていた。夫婦で貝や海藻を採っていた。ある日、島の沿岸にクジラが現れた。手漕ぎの小舟は逃げ切れない。クジラに船を砕かれ、海に落ちたところをシャチの群れに食われた。遺体は手と足の破片が岸に流れ着いたのみ。七歳の時だった。
シャチは群れで狩りをする。時に、クジラを標的にする。多くは子供のクジラだが、年を取って泳ぎの遅いクジラも狙われる。シャチに囲まれて逃げるうちに、島の近くに迷い込み、小船に衝突したのだろう。クジラ漁をしない者には、クジラの王がシャチの家来を連れているように見えてしまう場面。
山の上から見えるのは穏やかな海。しかし、そこは厳しい生存競争の場だ。常に、人が魚を食べる側とは限らない。
「クジラやシャチは大砲で粉々にしてやりたい。為朝さんのように、船を沈められるほどの弓が使えたら、あたしだって」
ももえの眦がつり上がる。双眸が切れ上がっていたと云う為朝のようだ。
ふうふう、息を切らして、皆が上がってきた。
「二人とも、何を話してたの」
「ちょっと、為朝さんの事を」
きぬよの問いに、ももえは海を見据えたまま答えた。
鎮西八郎源為朝は京で起きた平治の乱で戦った。保元元年(西暦1156)の事である。負け戦となった。
捕らえられた為朝は、弓を持てぬよう腕を痛めつけられた。そして、伊豆大島に流された。島の女と夫婦になり、男の子をもうけた。
腕の傷が癒えた為朝は、伊豆七島を統べる王のように振る舞った。
嘉応2年(西暦1170年)、為朝討伐の軍が大島に押し寄せた。為朝は得意の弓を放ち、軍船一艘を沈めた。しかし、討伐軍が上陸してみると、為朝は自ら腹を切り裂いて死んでいた。武士が切腹して自害した最初の例と云われる。
ひばりが群島の西の端を指した。山の無い平たい島があった。
「あれは神津島、おたあ様の島よ」
「おたあ?」
天正20年(西暦1592年)、豊臣秀吉の軍は朝鮮に上陸、唐入りの行軍が始まった。半年後、小西行長の軍が平壌に入城した。しかし、朝鮮王は国を捨て、明へ逃亡していた。
詳細は不明だが、おたあが小西に拾われたのは、この時だ。小西が帰国する時、おたあも連れ帰った。彼の養女となった。小西はキリシタン大名であったので、彼女もキリシタンとなり、ジュリアの洗礼名を得た。
慶長5年(西暦1600年)、関ヶ原の戦いで西軍は敗れ、捕らえられた小西は斬首された。小西家は廃絶とされたものの、女たちに具体的な沙汰は無く、おたあは伏見城で奥勤めを続けていた。
徳川家康が伏見城に泊まった時、おたあを見初め、駿府城へ連れ帰った。彼女は薬草の知識が豊富であった。自ら薬を調合するのが趣味の家康とは、気が合うところが多々あった。
慶長17年(西暦1612年)、キリスト教に禁教令が布告された。おたあは棄教を拒否し、伊豆へ流罪となった。
はて、五郎は小首を傾げた。
「徳川家康は朝鮮との講和の時、何千人もの捕虜を帰している。おたあ様も、望めば帰れたはずだ」
「もしかしたら、あたしと同じ白丁の子だったのかも」
おたあの身の上を、ひばりは自身に重ねていた。日本で身に付けた全てを、朝鮮へ帰れば捨てる事になる。
ああっ、五郎は頭を抱えた。
「人の事は言えない。おれだって、学校を辞めて、どの面下げて故郷へ帰るんだよ」
伊豆へ来る前、五郎は康成男爵に叱られた。世界の広さを知れ、と旅に連れ出された。
「あれ、おかしいぞ。流罪にするにしても、なぜ、伊豆だったんだ?」
もう一度、五郎は首をひねる。
流刑島は日本の各地にある。鹿児島の南には、平家物語に出てくる鬼海ヶ島がある。島根の北には、後鳥羽上皇が流された隠岐ノ島。新潟には金山のある佐渡ヶ島、等々。
徳川家康は江戸と駿府を何度も行き来した。途中、よく熱海に泊まった。熱海から伊豆七島は目の前だ。
「流刑にしても、手元から放さなかったんだな」
五郎は立ち上がり、また大島と神津島を見た。明治の世になると、伊豆は流刑地ではなくなった。今は自由に往来できる島々だ。
「ここからは下りです。日暮れ前には、下田です」
賢治の言葉で、一行は歩き始めた。
細い道を下ると、また木々の間を通るようになった。
「もう少し行くと、水が湧いてます。そこで休みましょう」
水と聞いて、額の汗を感じた。風が無いせいだ。
と、賢治が足を止めた。
五郎が首をのばして見ると、道の先で寝ている男がいる。かなりの大男だ。
細い道だから、一人が座れば通る事はできない。彼を避けようにも、急斜面は足が滑る危険が大きい。
峠の茶屋で、物盗りの噂を聞いていた。
五郎は皆を押しのけ、列の先頭に出た。
ざっざっ、わざと足音をたてて、男に近付いた。ぎろり、男が目を開けた。
「昼寝のジャマだよ」
「通行のジャマです」
「通りたきゃあ、勝手に通れ。ただし、通行料を置いてきな」
五郎は周囲を見渡した。仲間が隠れているかもしれない。斜面の上の木陰に、少なくとも一人いる。
振り返ると、権蔵も周囲を警戒していた。後ろは彼にまかせ、前に向き直る。
「通行料を支払いましょう。わたしは柔道を少しやります。この体で支払います」
「あにおっ、高くつくぜい」
五郎は男が立ち上がるのを待った。足場が不安定な場所では、重心が低い方が有利だ。
おおおっ、男は奇声と共に両手を高く上げた。威嚇のつもりらしい。
五郎は両手をおろして近づいた。風呂敷を持つ左手を固く握りしめる。
男が右手を出してきた。
下から風呂敷で手を叩いた。ガン、中の本が固い音をたてた。
身を沈めて踏み込む。男の左脇の下へ拳を入れた。
ごっ、にぶい音がした。
どんなに太っても、脇の下に肉は付かない。皮一枚下には肋骨がある。まして、左の脇下は心臓に近い急所だ。
あうう、男が痛みに目をつぶった。
五郎は風呂敷を捨て、男の懐に飛び込んだ。内股を手ですくって、ひっくり返した。
どたた、男は斜面を転がり落ちた。
五郎は風呂敷を拾い、息を整える。別の足音が迫ってきた。
「やいやい、よくも兄弟分を」
ひげの小男が刀を抜いて道に出てきた。目が異様な光りかただ、人殺しの目か。
「覚悟せいや。おれっちは、なあ、日清戦争で中国人を百人以上も斬り殺してきたんじゃい」
五郎は半身に構えた。
小男は屁っ放り腰で刀を向けている。切られても、いきなり致命傷にはならないだろう。
「日清戦争かい。おれも行ったぜ」
権蔵が女たちを押しのけ、五郎の横に来た。
「百人斬り殺すには、刀が百本必要だなあ。銃剣で突き殺すなら、一本でもできるかな。けど、一人二人も突き殺すと、手足が萎えて、立つのもつらくなる。わら人形と違って、本物の人間は暴れるし、悲鳴をあげるし、血が噴き出すから」
権蔵は右の口元を歪めて言う。
「シナへ行って覚えたのは、大ボラの吹き方かよ、キンペー。声でわかったぜ、種宇金平だろ」
「ご、ごん兄いっ」
ぽろり、小男の手から刀が落ちた。
「あっちは東野正平だな。わかってる、博打だろ」
大男が登ってきた。二人とも権蔵の前では、借りてきた猫のように背を丸めた。
権蔵は懐の財布から、いくばくか小銭を出して渡した。二人は頭を下げ下げ、足早に下田の方へ去って行った。
「すまんかった。シナで一緒だった奴らだ。脱走の疑いで、一緒に営倉入りした仲さ。十と何年かぶりに会ったよ」
やれやれ、権蔵はため息をひとつ、皆に頭を下げた。
一行は、また歩き始めた。
清水の音が聞こえてきた。
川を左手に見ながら歩くと、大きな道に出た。乗り合い自動車が通う道に合流した。
谷間の道を行くと、川は広くなり、幅が百メートルほどの池になった。家もいくつかある。
池の岸辺に地蔵がある。ももえが花をそえ、手を合わせた。
「これは、お吉さん。昔、この辺りで、お吉さんが身を投げたの。それから、お吉ヶ淵と言われるのよ」
「お吉ヶ淵、ここが」
静かだった。風の音も聞こえない。
安政4年(西暦1957年)、アメリカから来ていた総領事タウンゼント・ハリスは体調を崩して伏せった。幕府は看護婦を求め、下田の人気芸妓、お吉を妾として雇う。三ヶ月ほどの看病で、ハリスは回復した。お吉の生活は豊かになっていった。
文久2年(西暦1862年)にハリスは帰国する。お吉の人生が暗転し始めた。結婚しても破綻し、髪結いや居酒屋を営んでもダメになった。酒に溺れるようになり、ついに物乞いに堕ちた。
明治23年(西暦1890年)の春、お吉は溺死体となって発見された。死骸は三日も河原に放置されたと云う。
「三日も・・・とは。ライ病とでも疑われたのかなあ。いや、医学的にはハンツェン病だっけか」
五郎は池の水面を見つめた。青い空と白い雲を映して鏡のよう。
西暦1873年、ノルウェーのアルマウェル・ハンセンがライ病患者の体から病原菌を発見した。以後、伝染病としてライ病は知れ渡る。
明治22年(西暦1889年)、静岡県御殿場市に神山復生病院が建てられた。ライ病患者のための最初の療養所だ。
西暦1917年、イギリスで投薬による治療が試みに始められた。今のところ、病気の進行を遅らせる効果が報告されている。
「酒で体を壊して、肌が見るかげなく崩れてしまうのは、よくある事よ」
きぬよが病気の話しにダメを入れてきた。
ももえは地蔵の頭をなでた。
「お吉さんは、英語ができたのかな」
「英語、ですか。それは、きっとそうです。相手は英語が母国語の人だし、英語が堪能であれば、看病がうまくいくはずです」
ぴょん、ももえが跳ねた。
「あたしも英語ができるようになれば、領事や大使様のお妾さんになれるかな」
「昔の事なので、妾と言う事になったのでしょう。今なら、通訳とか、外交官とか、そんな職業がありますよ」
「がいこうかん、か」
ももえは樋口伍長の辞書を取り出し、ちらと開いて見た。
お吉ヶ淵から、また川は細くなり、南へ折れた。谷が開けると、下田だった。
まだ明るい内に、町へ入った。掘り割り沿いに行くと、港に出た。
大きな船が二艘泊まっていた。
案内所で聞くと、大島行きと品川行きは、どちらも明朝の出発だ。
一行は近くの宿へ入った。
そこは板間と座敷に雑魚寝する所だった。宿と言うより、船便を待つ客ばかりの待合所だ。
奥の角では、博打をする男たちが輪になっていた。金平と正平の姿を探したが、ここにはいないようだ。
「あなたは、こんな所はいけません。ちゃんとした宿を紹介します」
五郎は賢治に外へ引き出された。ももえが左手にすがりつく。
「後で、活動へ連れて行って下さい。甲府じゃ、見られなかったから」
「そうですね、良いですよ」
安請け合いして、分かれた。
賢治の案内で宿の玄関をくぐった。
番頭に活動写真をやっている小屋を聞いた。と、賢治は番頭と話がはずむ。五郎は仲居に導かれ、部屋に入った。
茶漬けを夕飯にもらう。腹が温かくなり、つい眠気が来た。
窓の外が暗くなってきた。ももえとの約束を思い出し、宵の街へと出た。
修善寺とは違い、浴衣姿を見かけない。ここは港町、昼の仕事を終えた男たちの賑わいだ。
待合所の前に、ももえがいた。きぬよが一緒にいる。
がばっ、ももえが左手に抱きついてきた。
「ひどいんです。今日は仕事は無し、と言ってたのに」
「仕方無いだろ、急にお座敷が入ったのだから」
「でも、だって」
ももえは口を尖らして、懸命の抗議。
「活動を見ても、お座敷の前に帰れば、なんとか。あるいは、お座敷の後で見に行く、とか」
五郎は折衷案を言ってみるが、二人の顔は否定的だ。
「そんなに見たいなら、行けば良いさ。もう、いい加減、子供でもないし。帰りは、明日の朝でね」
「あした?」
きぬよは五郎に向き、頭を下げた。
「では、川端様、うちの娘をよろしくお願いします」
「いや、しかし、たかが活動ですから。そんなに遅くはなりません」
「よろしくお願いします」
きぬよは念を押して、また頭を下げた。
気が付くと、ももえが何やら迷っている様子だ。
口を一文字にして、大きく何度も深呼吸する。そして、五郎を向いた。
「ごめんなさい。あたし、お座敷に行きます。もう、いつまでも子供じゃないし」
ごめんなさい、と頭を下げ、ももえは待合所へ入った。
振り向き、また頭を下げた。その顔が、急に大人びて見えた。
目的を失い、五郎は暗くなった街を歩いた。
もう子供じゃない・・・・ももえの言葉が胸につかえていた。
おれは子供か、大人か。自問しても、答えは出ない。
人だかりに足を止めた。活動写真の小屋の前だった。
演目のポスターは洋画と邦画の二本立てだ。どちらも、東京で見ていた。
一本はチャーリー・チャップリンの「黄金郷時代」、アメリカでの公開は西暦1925年。日本で公開されたのは去年だ。
もう一本は「稚児の剣法」とある。東京では、今年の春に公開された。
主演・林長二郎、監督・犬塚稔、撮影・円谷英二、この作品で一本立ちした若い者たちの作品。斬新な撮影と演出が評判を呼んで、大ヒットとなった。
もっとも、古参の弁士には受けが悪い。掟破りにも、主役の顔を逆光で撮る。上から撮ったり、下からあおったり、画面の切り替えが多い。夢の場面では、弁士無用と客から声が来る。
ももえが見たかったのはチャップリンか、林長二郎か。
高等学校の図書館では、船便で来るアメリカの新聞が読めた。映画の世界に、新しい時代の波が押し寄せようとしている。
今年の5月、チャールズ・リンドバーグが大西洋横断飛行に挑戦したニュース映画は、アメリカの一部劇場では音付きで上映された。ハリウッドでは短編のトーキー映画が多く作られている。初の長編トーキー映画「ジャズシンガー」が制作中で、公開は近いらしい。
ふう、息をついて、五郎は小屋を通り過ぎた。
七日目
びーん、甲高い羽音、蚊が寄ってきた。団扇で追い払う。
目を開けると、窓の外が青くなり始めたところ。
空気を入れ換えようと、窓を開けてドキリ。大きな蜘蛛の巣があった。
巣の中心に、大きな蜘蛛がいた。峠の茶屋でも見たジョロウグモだ。
ぴん、蜘蛛と目が合ったような気がした。そっと、窓を閉めた。
朝餉は軽くすませた。六時過ぎ、宿を出た。
埠頭へ行くと、気の早い人が船を待っていた。
船は二艘、すでに煙突から煙を吹いて、どちらも出航準備が進んでいる。
大きく新しい方が品川行き。小さい方は大島行き、細く高い煙突は小型石炭ボイラーの特徴だ。
西暦1906年、イギリスで新しい戦艦ドレッドノートが就役した。大砲の配置が話題になったが、革新的だったのは動力だ。重油ボイラーと蒸気タービンを組み合わせ、動力部門の大幅な省人化と小型化を実現した。
西暦1912年、石炭ボイラーとレシプロ機関の四万トン巨大客船タイタニック号が就航した。が、処女航海で氷山に衝突、沈没する。第一次世界大戦では、姉妹船のブリタニック号が機雷に触れて沈没した。以後、大型の石炭動力船は造られていない。
日本海軍では、大正8年(西暦1919年)から建造が始まる新型駆逐艦が、重油動力で一本化された。翌年、戦艦長門が竣工し、海軍の主な艦艇は新世代へと進んだ。世界の海軍が大艦巨砲主義で踊った時代。
大正11年(西暦1922年)、アメリカの首都ワシントンで、史上初の多国間軍縮条約が締結された。
石炭動力船は燃料費の安さを利点に、離島航路などで生き続けている。
賢治を見つけて、あいさつした。
「やあ、天気が良くて、船は予定通り出そうです。こんなに風が薙いだ日が続くのは珍しい」
きぬよに、ひばりに、さゆりに礼をした。権蔵とも会釈を交わす。ももえを探すと、岸壁の端でしゃがみ、波を見ている。
「おはよう」
声をかけると、ぺこり、小さくお辞儀を返してきた。
「昨日、古本屋で、こんなのを買いました」
懐から新聞紙の包みを出して開いた。
手帳大の本が二冊、将棋指し手集の初級編と上級編だ。ももえの腕前からすれば、初級編は復習みたいなもの。上級編には、彼女も知らない手が載っているはずだ。
「これは?」
「あなたに、と買いました。大島の女流名人になって、東京へ来てください」
ももえは本を受け取り、胸に当てた。
「ありがとうございます、大事にします」
「いや、いっぱい書き込んで汚して良いんです。ボロボロになるほど読み込んで、使い込んでもらう事が、本の幸せのはずです」
はいっ、ももえの顔に輝きがあふれた。
乗船の案内が始まった。浮き桟橋から、右の艀は大島行きの船へ。左の艀は品川行きの船へ。
五郎は立ち上がり、桟橋へと向かう。
「あの」
ももえの声に立ち止まり、振り向いた。口を振るわすようにして、何か訴えるような顔。
「さ・・・サンキュー、サー。ジス、フュウデイズ、ウイグラッド・・・トゥ、ハブア、トリップ・・・・ウイズユー」
片言ながら、確かに英語だった。五郎は向き直り、ももえを見据える。
「イッツ、ワンダフルジャーニー、ウイズユー。アイサンクス、フォー、ユアカインドネス」
彼女に伝わるよう、ゆっくり言った。
「えっと、プリーズ、サムデイ・・・ウイルユー、カムトゥ、オーシマ、プリーズ。その・・・エニタイム、ユーアー、ウエルカム」
「サンキュー、ソーマッチ。ウイウイル、シュアリィ、ミートアゲイン」
五郎は右手を差し出した。英語の会話の締めは、握手が普通だ。
ももえも右手を出し、そっと合わせた。
「プロミス?」
「マイプロミス」
五郎が手に力をこめると、ももえは両手で握ってきた。
ぶんぶん、握り合った手を二度振り、ももえは離れた。駆け足で右の艀に乗り、賢治の横に並んだ。
五郎も左側の艀に乗った。
艀から船に乗り移り、振り向いた。ももえが手を振っている。こちらも手を振り応えた。
どどどっ、蒸気タービンエンジンが動き始めた。向こうの船でも、ごんごんごん、蒸気ピストンが起動した。
ざざざ、スクリューが水を掻くと、じわり、船が動き始めた。品川行きが先行する。
突堤を抜け外海へ出ると、ぐらり、船の揺れが大きくなった。手すりを握り、足を踏ん張る。
スクリューの回転が落ちた。船は左へと回頭し、北へ進路を取る。
五郎は船尾へ行った。港から追うように、大島行きの船が出て来た。
向こうの船の舳先に、誰かいる。懸命に手を振っていた。
ももえだ。
五郎も応えて手を振った。
どどど、スクリューが回転を上げ、船が加速した。
大島行きは東へ向かう。たちまち、小さくなって行く。
船の左手を見た。陸地が、伊豆半島が少しづつ離れて行く。
高く見える山は、天城山だろうか。はたと、滝で会った女の言葉を思い出した。
「何も聞かないで。わたしの事を、誰にも言わないで。そうしてくだされば、あなたの旅を、陰でお守りいたします」
あれ以来、天候はおだやかだ。
もう少しお願いします。と、黙して手を合わせた。
船室に入り、隅に腰をおろした。
新聞を読んでいる男が、ずるずると寄ってきた。
「よう学生さん。あんたなら、どこの株を買うかね」
新聞の株式欄を開き、五郎に見せた。首を振って答えにした。
「わたしは自分を磨くので精一杯です。投資する先があるとしたら、何よりも自分自身です」
「おおっ、そいつは頼もしいや」
蜜柑をひとつ置いて、男は別の相手を探して離れた。
「実は、この株はね」
男は熱心に勧誘している。
康成男爵の家にも、株を勧誘する者たちが出入りする。五郎がいると、必ず意見を求められた。
株式市場では数字しか見えない。工場へ直接投資する方が、相手が見えて良い。と、答える事にしている。
今日、五郎は小さな投資をした。ももえに将棋の指し手集を渡した。
さて、どうなるか・・・
康成男爵も川端五郎に投資している。奉公人として引き取り、高等学校へと進ませた。
これも、どうなるか・・・
開きかけた本をしまい、目を閉じて、揺れる船とエンジンの振動に身をまかせた。
今は、伊豆の旅を反芻する時だ。
< おわり >
後書き
元ネタは、有名な「伊豆の踊り子」です。
昨品が発表された昭和2年の読者には常識で、作中に入れる必要が無かった事柄を集めてみました。
2014.8.14
OOTAU1
|