ああっ無・・・情

 


 ここは地の果ての六畳間 一人寝て一人死ぬも 我れの物語

 わたしは八牟田雄一。
 今年六十才、独身で子無し。六畳二間のアパート暮らしだ。
 早期定年退職の募集に応じて、数年前から無職になった。以来、ほとんど引きこもりな生活をして、いつしか年金をもらう年になっていた。
 うつ病で病院にかかった時期もあったが、すぐに行かなくなった。人と会わなければ、心は平穏だから。
 その日は弟の家で夕食をいただいた。
 うつ的なわたしが、唯一外で会える人たち。
 弟の八牟田耕二は七つ年下で、立派な妻帯者。弟から十も年下の妻は四十代半ば、六十男の目には若さが眩しい。看護師の娘がいて、妻の母と4LDKの家で同居している。
 妻の妹が来て、その日は女だらけだった。弟が兄のわたしを、男の応援として求めたのだ。
 午後9時が過ぎて、わたしは帰る事にした。
 女だらけの賑やかな空気は、わたしは苦手だ。足が動くうちに帰るが勝ちと決めた。
 その帰りの夜道、頭痛が来た。少し酒も入っていた。
 胸が苦しくなって、立ち止まった。
 と、後頭部に衝撃があって、何もわからなくなった。


四月


 わーわー、ごーごー、騒がしいのは風の音か波の音か。ゆらゆら、がたんがたん、揺れているのは地震か津波か。
「・・・や・・・た・・・さん、やむ・・・さん、八牟田さん」
 音の中に人の声が混じっていた。わたしを呼んでいる。
 どう応えよう。そう思って、口を動かそうとするが、うまくできない。
「や・・・む・・・た・・・ゆう・・・いち・・・」
 やっとの思いで、自分の名前を言った。
 目がぼやけている。
 実は、わたしが見ていたのは天井だった。視野にはランダムな凹凸がある吸音ボードの天井だけ。
 他を見ようとしても、眼球が動く範囲は狭い。首を動かしたいが、首が体のどこか・・・思い出せない。
「手、動きますか? 足はどうですか?」
 問いかける声がした。
 手・・・足・・・それ何?
 まるで記憶喪失だ。手や足が分からない。

「あにき」
 弟、耕二の顔が視野の半分をおおった。
「やあ」
 いつもの返事をした。
 病院に入って、すでに三日目だった。入院当日にも来てくれていたらしいが、覚えていない。
 道ばたで倒れて、ポケットの財布には健康保険証が入っていた。携帯電話の登録番号から、同じ八牟田姓で弟へ連絡が行った。
 現在の病状を解説してくれた。脳幹出血があり、ほぼ全身麻痺。だが、意識はある。酸素吸入と点滴をしている。
 一日に二度のオムツ交換をしている・・・らしい。時々、視野が揺れるように感じる。それが、オムツ交換のようだ。
 なぜ倒れたのか?
 実は、自動車と接触していた、と耕二が言う。
 ふらふら歩きながら、交差点の横断歩道を渡っていて、立ち止まった。そこへ、信号無視の乗用車が来て、接触して転倒した。
 耕二は警察で、監視カメラとドライブレコーダーの画像を見てきた。
「途中で立ち止まっていたけど、まだ青信号だった。あにきに過失は無い」
 ふーん、わたしは鼻声で応えた。記憶が無いし、感情も湧かない。
 耕二は帰り、妻の美枝さんが残ってくれた。
 入院は長期になるだろう。タオルや下着など、細々の品を用意しなければならない。
 アパートへ行けば、全部ある。が、あの部屋の惨状を知られるのは辛い。贅沢は言えない、全て頼まなくては。
 はあ、小さなため息。あきらめが肝心だ。

「こんにちは」
 女の声。美枝さんが挨拶を返して、彼女の妹の好美とわかった。まだ三十代か、四十になったばかりの女盛り。
 数年の別居生活の末、この春、正式に離婚が成立。湧き出る色気は、恋人募集中の看板をかけて歩くよう。
「義兄さんの保険、入院保障が付いてないわ」
 好美は保険の外交員をしている。彼女に頼まれ、一番安い生命保険に加入していた。
「死ねば、出るんだろ。なまじ生きてるから、みんなに迷惑かけるね」
「迷惑なんて、全然かけてないわ」
 美枝さんが謝るかのように言う、迷惑かけてるのは事実なのに。
 金の心配は確かだった。入院費は三割負担、いくらになるのか見当も付かない。無職になって数年、預金残高は少ないはず。
「自動車事故だし、向こうの保険から金が出るわよ」
「他人のフトコロをあてにする趣味は無いな」
 自動車保険の支払いは、決して自動的には起きない。申請と調停、裁判と和解・・・あれこれ、面倒な手続きが山脈のように続いてあるはず。気力も体力も無い身で、そんな事にかかわりたくない。
「預金が無くなったら、そこで退院するさ。どこか、公園の木で首吊りして、保険金で葬式をしてくれ」
「首吊り・・・だなんて、不吉な事を言わないで」
 美枝さんの声に、少し泣きが入った。苦手な雰囲気だ。
「首吊り、ですかあ。どうやって、首を吊るつもりかしら。あたしは手伝いませんよ」
 好美に言われて、自分は全身麻痺と思い出した。
 自殺もできないとは。どちらかと言えば、わたしは無神論者だ。今さら、カトリックに入信するつもりは無い。
「事故直後は寝たきりでも、数週間か数ヶ月で全快する例はあるわ。十代、二十代では、けっこう多いはずよ」
「義兄さんは六十だよ」
 美枝さんは、わたしを元気づけようとする。好美は現実派だ。
 女に無縁の人生だった。今のわたしで良い事があるとすれば、毎日女の人に世話をやいてもらっている事か。
 だとしても、オムツ交換は情け無い気分。
 う・・・
 オムツを想起して、変な感覚を覚えた。
「どうしたの?」
 心配した美枝さんが、顔を寄せてきた。息が鼻にかかる、あと数センチで接吻になりそう。弟の奥さんと、それはマズい。
「もしかしたら、おしっこ・・・出たかも」
 えっ・・・姉妹の声がハモった。
 感覚があるのは顔面だけ、他は無い。何か別の事を、小便と勘違いしてる可能性がある。
「あ、本当に出てる」
 美枝さんが言った。と言う事は、オムツを開けて確認したと言う事。姉妹に全部見られた訳だ。
「ナースコールね。回復事例は報告すべきよ」
 好美が嬉しそうに言う。
 看護婦たちに見られるのは慣れていたが、この二人に見られて、わたしは落ち込んだ。


五月


 ベッドの頭側を少し起こしてくれた。
 頭の両側を枕で支え、両脇にも枕を入れて体を支えている。
 水平に視界が広がった。目で見て、手足が胴につながっていると知った。でも、目を閉じると、また手足は行方不明になる。
 酸素マスクが取れた。心肺機能は正常らしい。腎臓も健康らしく、毎日オシッコがいっぱい出る。
 点滴は続いている。脳出血の薬が入っているようだ。
 つまり、点滴を外せば、脳がどうかなって死ねる訳だ。しかし、点滴の針を抜きたくても、全身麻痺の身では手が動かない。
 食事は流動食、噛む力が無いので、固い大きな物は食べられない。
 とっとと死んでしまえば、と思う。でも、なかなか死ねない。
 むう・・・
 変な感覚が来た、何だろう。
「また、オシッコ?」
 美枝さんが敏感に反応して、小さなオムツを出す。くるりとチンチンに巻く尿取りパットだ。
 カーテンを引いて目隠し。鼻歌で寝間着の前を開き、慣れた手でオムツを開く。
「きゃっ」
 美枝さん、両手で口をふさいだ。
 オムツの中に塔が立っていた。尿取りパットを取ると、それは勃起していた。
「す・・・すごい」
 弟のを見慣れているはずなのに、美枝さんは目を丸く見開いている。
「これも、回復してきたから・・・かしら」
 久しぶりに見る我が勃起だが、自分の物とは思えぬほど亀頭が膨らんでいる。若い頃なら、痛さに転げ回っているような張り切り方だ。
 美枝さんは人差し指で、わたしのチンチンをつつく。バネのように、ぷるるんと震えた。
「感じます?」
 はい、と答えたかった。が、残念にも、ほとんど感じない。
 へそ下100メートルの彼方で、何かに触れているような感じはあった。何も感じないよりは、良い傾向だろうか。
 頭を起こしていて、美枝さんのする事が丸見え。弟の妻と浮気している気分になってくる。
「あっ・・・あらら」
 風船から空気が抜けるように、我がチンチンがしぼんで行く。
 亀頭は小さくなって、包皮の中へ隠れてしまった。ついに、子供サイズまで縮んだ。
「ああ、危なかったわねえ」
 美枝さんが尿取りパットをチンチンにかぶせた。
 ナースコールはしなかった。


六月


「美枝さん、メモをとってよ。詩を作ってみた」
「詩を?」
 笑いながら、美枝さんはサイドテーブルのメモ帳を取る。本来は連絡用だ。

 柔らかい時計をながめて全身麻痺 オムツ交換を二時間待つ

 あははは、書きとめて、美枝さんが笑った。腹をかかえて、少し苦しそう。
「やわらかい時計・・・て、何よ」
「昔、どこかで読んだ詩に、こんなのがあった。それをもじってみた」
 ふーん、と美枝さんは小首を傾げ、他には、と催促してきた。

 パンのみで生きるにあらず 点滴の一袋にて一日を生きる

 陽の光 窓より天井に差し 全身麻痺の我を見おろす

 うーん、美枝さんの顔が沈む。笑いたいのを、無理にがまんしてるようにも見えた。
「余裕ができた証拠よね。先月は、ちょっと暗かった」
 美枝さんが笑みをくれた。こちらも笑みを返したかったが、顔の筋肉は思うように動かない。
 顔の表情筋は首の筋肉に支えられている。首の筋肉は肩や胸、背中の筋肉につながっている。首から下が麻痺しているので、顔の筋肉だけで動く範囲は、とても小さい。
「こんにちはー」
 女の声は好美だ。
「ちょっと、警察に寄ってきた」
 保険屋として、わたしの事故を調べているのだ。
 問題が起きていた。
 事故当時の運転者と自動車の所有者が違い、賠償責任を押しつけ合っているらしい。裁判所の判例で、運転者に賠償能力が無い場合、自動車の所有者が保険を使って賠償する事になっている。しかし、それは判例でしかない。所有者が同意しなければ、自動車保険から賠償はされない。
 保険金の支払いは民事であり、警察は民事不介入が原則の組織だ。
「どうでもいい。あてにしてないよ」
「保険屋としては、少しくらいは、あてにして欲しいわ」
 好美は大きな胸と尻を振り、男のわたしに媚びを売る。こうして保険を売っているのか。
 美枝さんが短冊に詩を書いてくれた。達者な毛筆の字だ。
 言葉は陳腐でも、このような形になると、ありがたくなって見える。不思議な気分。
 あう・・・
 変な気分。またオシッコか。
「はいはい、ちょっと待ってね」
 美枝さんが尿取りパットを準備し、目隠しのカーテンを閉めた。
「きゃっ」
 好美がオムツを開いて声を出しかけた。両手で口をおおい、つばを呑む。この辺の仕草は姉と同じだ。
 我がチンチンが勃起していた。この前より雄々しく見えた。
「義兄さんたら、あたしに欲情したの? いけないわねえ」
 好美は腰を振り、顔に尻を寄せてきた。視野の四分の一ほどが丸い肉で占められた。
「感じます?」
 以前と同じように、美枝さんがチンチンを指でつつく。
 何か感じれたら良いのだが、あいにく全身麻痺の身である。我がチンチンが何をもって勃起したか、その理由を所有者は知らない。
「姉さんたら、男は・・・こうすると喜ぶのよ」
 好美が唇を亀頭に寄せた。ふう、と息を吹きかける。
 亀頭の先端、尿道口に透明な滴が現れた。主人を無視して、チンチンが勝手に反応している。
「ビデオで見たまんまね。こんなふうになるんだ」
 美枝さんの目が潤んでいる。トロンとした眼差しで、舌を亀頭に這わせた。
 好美の目も尋常ではない。その唇がチンチンの幹に接した。
 アダルトビデオなら、女二人がかりのフェラに、男が悶えて身をよじるシーン。しかし、悲しいかな、わたしは何も感じてない。
 チンチンが勝手に女たちを誘惑していた。
 ついに、美枝さんがチンチンを口に含んだ。頬が丸く膨らむ。
 好美が頭突きして、美枝さんから亀頭を奪う。がば、と幹まで深々と呑み込んだ。
 我がチンチンは二人の唾液でドロドロ。また、絵美さんが亀頭を呑んだ。
 うっ、美枝さんが唸った。ううう・・・チンチンを口に入れたまま、しばし苦悶する。
 ぷはっ、美枝さんが亀頭から口を離す。間髪入れず、好美が口を付けた。
「の、飲んじゃった」
「姉さん、男の人は、残り汁を吸われると感じるのよ」
 ちゅうちゅう、好美が尿道口に舌を入れて、口を押し広げた。漏れ出る白い汁を、美味しそうに嘗め取る。
 チンチンは堅さを失い、ゆっくりと縮んだ。
 射精したらしいが、何も感じなかった。全く別の生き物が、たまたま股間に生えただけのよう。
 濡れティッシュでチンチンは清拭された。尿取りパットをかぶせて、またオムツの中にしまわれた。
「義兄さん、あたしたち、いけない関係になったわね」
 うっとりした目つきで、美枝と好美の姉妹が左右から唇を寄せてきた。
 わたしは胸の奥底で、以前とは違う感覚を覚えた。
 どくん・・・どくん・・・
 それは心臓の鼓動だった。胸の下、十数メートルの地下で心臓が脈打っていた。
 本当に、自分の心臓だろうか。錯覚のような気もする。
 美枝さんに頼み、短冊の詩を追加してもらった。

 ここは天国か地獄か 姉妹にオムツを替えてもらい 柩のようなベッドに寝る


七月


「あのアパートは引き払うしかないよ。おれの家に来れば良い。親父の部屋が空いてる。設備もある」
 耕二が宣告した。
 全身麻痺の身では、全て任せるだけだ。反論は無い。
 すでに、アパートの荷物整理が進んでいるらしい。退院後を見据え、弟は動いていた。
 厚生年金の書類が届いていた。手続きも弟に任せる。
 点滴が取れて、朝昼晩と、大量の薬を飲む。食道や胃が薬焼けしそうだ。
 リハビリが始まっていた。
 体の動かし方を思い出させる、と言う訓練だ。理学療法士が腕と足を動かす。わたしは全身麻痺ゆえ、ただ身をまかせる。感覚的には、頭が揺さぶられるだけだ。

 リハビリを終われば汗も吹き出し 理学療法士を涼みて送る

 美枝さんに頼み、短冊の詩を追加した。
「この詩、汗かいてるのは、どっち?」
「向こうだけだよ」
 私が答えると、美枝さんはクスと笑った。
 今のところ、リハビリは成果無し。始まったばかり、と言うのもあるだろう。
 病室とリハビリ室の往復は車いすだ。頭を支えるヘッドレスト付き、ちょっと豪華なやつ。
 院内を動けば、いつもと違う景色がある。
 エレベーターで一階に降りると、売店があった。店は狭く、車いすは入れない。
 もどりかけて、本棚を見つけた。少し年季の入った本が並んでいた。
 どんな形であろうと、再利用可能な物は便利だ。わたしの再利用法は存在するのだろうか。


八月


 網走北見 そして旭川 流れ来たる病い人と隣りて眠る

 悲しきは常磐町と言う地名 旭町さえ川向こうにあり

「ちょっとねえ、詩が暗いわ」
「ごめん」
 美枝さんに怒られた。気分を詠むのが詩であれば、これが今の気分だ。
 介護保険の面談があった。まだ六十なのに、六十五才以上の老人と同じあつかい。面白くない。
 脳出血による全身麻痺は、若くても介護保険の対象になる。弟の家で世話になるためには、必要な手続きだった。
「八牟田さん、これ見て」
 看護婦が新聞を持って来た。わたしが記事になっている、と言う。
「全身麻痺の歌人・・・」
 妙な書き出しの記事だ。
 新聞の投稿欄に短歌の部分がある。わたしの愚作を、美枝さんが投稿したのだ。
 数日前、変な来客があった。あれが新聞記者だったらしい。
 見知らぬ人と会うのは御免なので、わたしは寝たふりをした。美枝さんが応対して記事が出来た。
 写真が載っていた。寝たふりのわたしの横で、美枝さんが誇らしげに立っている。彼女が良いなら、これで良し。

 全身麻痺歌人の記事を他人事のように読み 義妹の笑みぞ嬉し

 新しい客があった、保険会社の人。
 事故を起こした運転者の裁判が決着、自動車の所有者が保険での賠償を同意したのだ。
 入院費補償と治療費補償があり、退院後に入院費補償が支払われる。わたしは無職だったので、休業補償は無い。
 項目がいっぱいある。聞いていて頭が痛くなってきた。
 それとも、大量の情報を素人に浴びせ、あえて思考停止を図っているのか。気分が悪い。
 あまり長く話したくない。簡単に希望を言った。
 わたしへの補償より、わたしの世話をする弟夫妻への補償を求めた。
 それは、ちょっと・・・向こうの言葉が途切れた。保険の範囲を超えた要求だったのか。
 また短冊に詩を追加した。

 全身麻痺 動かぬ手足に慣れ 今さら何を補償賠償


九月


 ついに退院の日が来た。
 でも、全身麻痺は相変わらず。ベッドから車いすへ、すべて他人まかせで移動した。
 車いすのままで、リフト付きのタクシーに乗った。
 車窓から街を見た。二度と自分の足で歩けない道を、感慨も無く横目でながめた。
 タクシーは旭橋を渡り、国道を下る。
 元町、大町、春光、末広・・・おめでたい地名が並んでいる。
 下あごを支える器具が外れた。車の振動で、口が開いたままになった。
 全身麻痺の身だけに、大きく開いた口は、自力では閉じられない。首に力が無いせいだ。
 見覚えのある家並みで、タクシーは止まった。口を閉じてもらい、リフトで降りると、弟の家の前。スロープで玄関に入る。

 新しい住まいは、美枝さんの父親が寝ていた部屋だ。
 車いすから、クレーンで介護ベッドへ移った。天井のクレーンレールは、隣室の風呂までつながっている。
「設備は全部、お父さんのためにしたの。気合い入れて作ったのに、半年で逝っちゃった」
 昨年、美枝さんは実父を亡くした。
 脳溢血で半身麻痺、老齢もあって寝たきりになった。入院中に家を大改造して、在宅介護に備えていた。
 父の死後、美枝さんは介護の資格を取り、パートで働いた。父を介護しきれなかった悔いを、働きながら癒やした。
 そして、今度は夫の兄だ。
 介護に明け暮れる人生、かわいそうに思えてしまう。
 その夜は、家の静かさに、時間も忘れて眠った。

 朝、ヘルパーが来てオムツ交換。
 美枝さん一人では、わたしの体は重過ぎるのだ。病院と同じように、二人がかりで作業した。
 耕二が出勤し、美枝さんの母親がデイサービスへ行くと、家に二人きりとなった。
 昼食は、美枝さんの刻み食。流動食から少し前進した。
「義兄さん、実は、謝らなくちゃいけないの」
 スプーンを口に運びながら、美枝さんがすまなそうに言う。
 わたしの介護をするため、美枝さんはパート勤めを辞めていた。家のローンが、ボーナス払いの月に預金残高不足になった。わたしの預金から不足分を補ったのだ。入院の時、銀行のカードを美枝さんにあずけていたから、出金と入金は簡単だった。弟の耕二は知らないらしい。
「役に立てたんだね、問題無しだ」
 預金通帳を見せてもらうと、わたしの残高は、十万以下になっていた。
「入院費補償は来月か、再来月ですって。年末のボーナス払いに間に合うかしら」
 主婦は生活の心配ばかり。眉間によったしわが、むしろ可愛く見えた。
 食後は薬タイム。大量の薬をゼリーに入れ、デザート感覚で飲む。
 ・・・・
 ちょっと変な気分。
「オシッコですか、ちょっと待ってね」
 美枝さんが機敏に動いた。新しい尿取りパット、清拭用のウエットタオル、オムツ用のゴミ箱を出した。
 化粧ガラスの内窓を閉じて目隠し、オムツを開く。
「きゃっ」
 美枝さんは一歩退き、息を荒げた。
「もう、いけない人ね」
 我がチンチンが勃起していた。ピンクの亀頭が艶々と光る。
 しかし、残念にも全身麻痺なのだ。主人の意思を無視して、チンチンは雄々しく起立していた。
 美枝さんがチンチンを口にした。舌を這わせ、唇で吸う。
「義兄さんのビデオでは、こんな事もしてたわ」
 ブラウスの前を開き、ベッドに乗ってきた。ふたつの乳房でチンチンをはさみ、亀頭を口に入れる。
 前のアパートにはエロビデオが何本かあった。見られていたと知り、恥ずかしくもあり、今さらとも思った。
 気持ちいい・・・と言いたかった。でも、何も感じない。
 はっはっ、いよいよ美枝さんの息が荒い。
 チンチンから手を放すと、美枝さんは体を起こし、スカートをまくった。下着を下ろすと、黒い茂みが見えた。
「お願い、して・・・してっ」
 美枝さんが顔に跨がってきた。いわゆる顔面騎乗と言うやつ。
 鼻が茂みの奥、肉の割れ目に入った。これは少し感じた。
 湿った肉ひだの奥、膣の入り口を嘗めてあげたいけれど、舌が唇から外へ出ない。これも全身麻痺の悲しさ。
 せめて美枝さんの匂いを力一杯嗅ぎたいのに、強く息を吸う事もできない。
「ああ・・・だめよ。でも、したい、がまんできない」
 美枝さんが腰を上げた。湿った肉が遠のいた。
 股を開いたまま、チンチンの上へ行く。ああ、そっちでは感じないのに。
「うう・・・ああっ」
 美枝さんはチンチンをにぎり、腰を落とす。
 亀頭が美枝さんの中に入って行った。顔を紅潮させ、腰が痙攣のように震えた。
 美枝さんが両手をつかみ、乳房をもませる。手もだめだ、感じない。
 どさっ、体をかぶせてきた。
 唇を重ね、舌が口の中へ入ってきた。うん、これは感じる。
 舌をからめ合った。つばが混じる。
 美枝さんの息が鼻にかかった。鼻の穴に息が吹き込まれ、頭の芯まで突き抜けた。
「義兄さん、あなたは初めての男よ。こっちの方は、した事無かったんだから」
 美枝さんが鼻を舌で愛でる。好い感じだ。
「ああっ、来てる。ううう・・・」
 美枝さんが体を起こした。私の口を閉じてくれて、体を離す。さらに身を反らせて、股が見えた。
 チンチンが入っているのは、肛門の方だった。初めて、と言う意味が理解できた。
 ベッド両側の手すりを持ち、美枝さんは腰を持ち上げた。ぴっ、閉じかけた肛門から白い汁がもれた。
 どくどく、胸の奥の床下の貯蔵庫の隠し扉の中で、心臓が脈打つのを感じた。


十月


 医師と看護師が帰った。
 月に一度の訪問診察と言うやつ。
 後遺障害の認定作業が始まっているらしい。自動車保険の支払いに係わる重要な事だ。
「年金が来てるよ」
 耕二が手紙を持って来た。
 厚生年金の報せだった。来月が初回の振り込みだ。さしたる金額ではないが、預金残高がゼロになる危険は回避できただろう。
 耕二はベッド横のイスに腰掛け、しばらく無言でいた。顔色が悪い。
 はあ、大きなため息をついた。
「あにきが入院してから、ずっとツキが無い。何もかも、うまく回らなくなった」
「ごめん」
 弟の愚痴に、謝るしかできない。全身麻痺の身では、猫の手の代わりにもならず、手助け一つできない。
「あにき、いっそ死んでくれ。おれも、すぐ死ぬから!」
 耕二の手が視野の下に入った。
 歯を食いしばり、しわが寄った眉間が割れそうだ。こんなに苦しんでる弟に、兄として何ができるのか。
 耕二が両手を上げて、数歩退いた。
「すこしは苦しそうな顔しろよ・・・力一杯、首を絞めているのに!」
 脱力して、耕二は座り込んだ。視野には、頭のてっぺんだけが残る。
「ああ、やっぱり、締めてたのか。ごめんな、よく分からんかった」
「全身麻痺だっけ・・・へへ」
 耕二は自嘲した。
 美枝さんが言ったのを思い出した。ボーナス月に金が足りなくなったのだ。弟の仕事は詳しく知らないが、収入が大きく減っている。その上、こんな全身麻痺の兄がいては、いよいよ家計が回らなくなる理屈。
「ほんの三年前には、こんな事になるなんて、想像もしなかった」
 ぐすっ、耕二は鼻をぐずらせた。
「なあ・・・やっぱり、おまえは、おれを殺すべきだ。おまえには、おれを殺す理由がある。ただし、家の中はマズい」
「ああ、確かに、家の中はダメだよな」
 家の外で、事故を装って殺すのだ。生命保険を取るには、それが良い。
「でも、理由って、何だよ?」
 耕二が首を傾げて、立ち上がる。
 わたしは、全身麻痺ながらチンチンが起つ事を明かした。そして、耕二の妻、美枝さんと不倫関係にあると告白した。
「美枝が・・・フェラ? シックスナインにアナル? お・・・おれだって、やってもらった事は無いぞ」
「美枝さんには言ってないけど、いくらチンチンに奉仕してくれても、何も感じないんだな。それが残念でたまらんよ」
 まさか、と耕二は目を見開く。
 勃起しても、感じない。射精しても、感じない。それが信じられない顔だ。
「殺したくなったか?」
「おおっ、ぶち殺してやるぜ!」

 耕二は男だけに力持ちだ。一人でわたしをベッドから車いすへ移した。
 家を出て、道を行く。
 閑静な住宅街、車の通りは多くない。道路に車いすが飛び出し、事故になる可能性は小さそう。
 狭い坂を登ると、石狩川の堤防だった。
 木々の葉は、緑色がくすんでいた。あるいは、赤や黄色が混じったマダラ模様。
「この坂、車いすが暴走して、電信柱なんかに衝突すれば、けっこう死ねるんじゃ」
 わたしの提案に、耕二は手を振って否定的な答え。
「途中で、車いすが横倒しになるよ。こいつは重心が高いからね」
 堤防の上はサイクリングロードになっている。走る自転車を横目に、こちらはゆっくり進む。
 携帯電話を操作しながら、スポーツ自転車が迫った。
 これと衝突して死ねる・・・と思いきや、自転車は華麗なハンドルさばきで、こちらを躱して行った。
 気分を変えて、河川敷公園に降りた。
 川面を吹く風は、冷たさを感じる季節。
「誤って、車いすが川に落ちて、溺れ死ぬ・・・は?」
 うーむ、今度の提案にも、耕二は同意してこない。
「助けるふりして、おれも川に入る必要があるよな。水、もう冷たいだろうな」
 向こう岸の堤防の先、大雪山の稜線は白い。雪の季節が近い。

 結局、わたしたちは家に帰ってきた。
 わたしをベッドにもどし、耕二はイスで頭をかかえた。
「なぜ、止めたんだ?」
「あにきが死んだら、事故の賠償が入らなくなるかな、と思ってさ」
 わたしに意見は無い。金の工面は弟夫妻に任せきりだ。
 とたとた、かわいい足音がした。
「ただいまー」
 美枝さんの声。耕二が留守番する間、買い物に出かけていたのだ。

 雨上がり にごる石狩に軽風立てば あおぐ大雪の嶺 白き冠

 新しい詩を短冊にしてもらった。この家に来て初めての作。
 短冊を壁に飾る。短冊に混じって新聞の切り抜きもある。
「ずいぶんあるなあ」
「全身麻痺歌人と、有名だもの。その内、テレビが来るかも」
 美枝さんが胸を張る。ははっ、耕二が笑った。
 ・・・
 変な気分になった。
「あ、オシッコ? ちょっと待ってね」
 美枝さんが尿取りパットを出す。耕二はゴミ箱をベッドに寄せた。
「あ・・・」
 オムツを開いて、美枝さんが固まった。
 勃起だ、我がチンチンも固くなっていた。
「すごいな、本当に起つんだ。全身麻痺のくせに、おれよりデカいや」
 耕二が感心してくれた。
 美枝さんは動かない。ただ、夫の前でうろたえていた。
「どうした? いつものようにやれよ。全部、聞いているよ」
 耕二が促した。
 ベッド横で立ちつくす美枝さん。我がチンチンも起ちっぱなしだ。
 とん、耕二が美枝さんの背を押した。顔がゆらりとチンチンに落ちて来た。
 両手をチンチンの根元にそえ、舌を這わす。
 いい・・・と答えたいが、実は全く感じない。耕二も知ってるから、視野の端でニヤニヤ笑うだけ。
「美枝、艶っぽいぜ。この次は、おれにもしてくれよ」
 夫にほめられ、美枝さんの舌遣いが大胆になる。ついに、亀頭を口に入れた。
 ぱん、耕二が美枝さんの尻をたたいた。
「ううー、がまんできん。おれもやるぞ」
 視野の端にある美枝さんの下半身。耕二の手がスカートを落とし、パンツを下げた。
 ふぐっ、チンチンをくわえた美枝さんの顔が歪む。耕二の腰が、美枝さんの尻に密着していた。
「後ろからするなんて、初めてだな。いや、おまえとは何ヶ月ぶりだっけか」
「ばかっ、今年はおろか、去年だってしてないわ」
 二人が荒い息で言い合う。数年ぶりの夫婦和合のようだ。
 ううっ、美枝さんが息を詰まらせた。おおおっ、耕二が吠えた。
 我がチンチンが射精して、美枝さんが飲んだらしい。
 感じないのが悲しい。わずかに、胸の地下何階かあたりで心臓が脈打つのを感じた。
 美枝さんが口を開き、チンチンを放した。舌で尿道口をなめ、残る滴をぬぐい取っていく。
「おれの方も頼むよ」
 耕二が言った。美枝さんは向き直る。
 濡れて光る耕二のチンチンを、美枝さんは美味しそうに口にした。我がチンチンをくわえていた時より、幸せそうな顔だ。
「あにきで良かった。これから、時々は三人でしよう」
「そうね。あたしたち、ずっと一緒に暮らのよ」
 美枝さんは二本のチンチンを手にして、交互に頬ずりした。

 後ろから尻を突かれる嬉しさに 数年来の夫を見直す

 ふと着想したが、この詩は短冊にしないでおこう。 


十一月


 義母がデイサービスへ行くと、家には美枝さんと二人きり。静かな空気が心地良い。
 窓の外、白いものが降ってきた。
 昼食、美枝さんがスプーンで口に入れてくれる。食後はゼリーの服薬。
「あと、何か欲しいものは?」
「おっぱい」
 美枝さんが眉を動かし、ブラウスの前を開いた。
「困った赤ちゃんね」
 体を寄せ、乳首を口に入れてくれた。あいにく、吸う力は弱い。舌で乳首と乳輪の凹凸を楽しんだ。
 プルルル・・・携帯電話が鳴った。
「えっ!」
 美枝さんの顔が引きつる。
 間近だけに、わたしにも電話の話が聞こえた。耕二が倒れた・・・らしい。

 弟、八牟田耕二は小さな箱に入って帰って来た。
 わたしは葬式に行かなかった。全身麻痺だし、大勢が集まる場の空気には耐えられない。
 ベッド正面に小さな祭壇を作ってもらい、そこに位牌を置いてもらった。
 順番が逆だろう・・・

 数珠も持てぬ全身麻痺 あやふやな念仏をとなえ 白雪の降る

 新しい詩を詠んでみた。弔いにもならず、むしろ自己嫌悪が来た。
 美枝さんが位牌の回りを花で飾った。
「義兄さん、あたし、お風呂に入りたい。一緒しましょ」
 いつになくアクティブな美枝さん、わたしに是非を言う間を与えない。
 オムツまで取られて、裸にされた。クレーンのネットで吊り上げ、レールに沿って浴室へ。
 入浴介助のため、洗い場が広くとられた特製の浴室。二人で入っても、まだ余裕がある。
「お風呂かい、わたしも手伝うよ」
 美枝さんの母、節子が出しゃばる。
「お父さんの風呂は、よくやったもの。美枝をあたしと間違えてた、まったく」
 娘は母に逆らえない様子。母娘が裸になり、三人でお風呂になった。
 ヘルパーの入浴介助では、彼らは服を着ている。こちらだけが裸で、病院を思い出す。
 やはり、風呂は裸で入るものだ。
 美枝さんの乳房が、湯滴を乗せて揺れる。節子さんは七十才過ぎ、垂れた乳房が腹に達していた。
 ・・・・
「あっ、あららら」
 義母の悲鳴か、歓声か。
 枕をしていたので、我がチンチンの勃起する様がよく見えた。
「そう言えば、雄一さんは、まだ六十なのね。おうおう、こんなに張って、かわいそうに。徳川家康は六十過ぎても子作りしたのよ」
 ほほっ、胸と腹を揺らし、節子さんは嬉しそう。
「あの人の浮気には、ずいぶん泣かされたものよ。ついに、ついに復讐の時が来たわ」
 義母さんは、ひょいと腹に跨がり、どすと腰を落とした。
 あああっ、婆さんの枯れた声が響いた。
 わたしは何も感じてない。チンチンよ、七十過ぎの婆穴が嬉しいか・・・感じずに、心の中で毒づいていた。
「ごめんなさい、義兄さん」
 美枝さんが唇を寄せてきた。舌をからめ、こちらでは幸せを感じた。
 風呂上がり、新しい詩を詠んだ。

 一日をただ寝て過ごす我が身には 遠足がわりか隣室の風呂


十二月


 妹の好美が来た。今日は留守番をする。
 夫が死んで、美枝さんにはやる事が一杯だ。健康保険の切り替え、年金の切り替え、土地家屋の名義変更・・・
「行ってらっしゃーい」
 好美に送られ、美枝さんは出て行く。全身麻痺が家にいるので、留守番無しでは出かけられないのだった。
 珈琲をコップに、好美はベッド横で文書をチェックし始めた。
「あっ、厚生年金が入ったのね。入院費補償も来たか。おっ、また入選したんだ」
 新聞を広げて、八牟田の名を見つけた。
 病院では気付かなかったが、好美は香水がキツい。美枝さんは無臭を心がけて部屋を掃除する、心得が違う。
 ピンポーン、ドアチャイムが鳴った。
「叔母さん、いらっしゃい」
 勝手に上がって来たのは、美枝さんの娘、紅一。
「叔父さん、久しぶり。お母さんの相談を受けて、診察に来ましたよ」
 彼女に会うのは、あの日以来か。相変わらず背が高い。
 しかし、看護婦が診察とは意外だ。実は、わたしの勘違い。紅一は医者の方だった。
「まだまだインターンだけどね。新人の医者よりベテランの看護婦、と良く言われるのよ」
 耕二が自慢の娘だった。モデル級の容姿だけでなく、こっちの方が自慢だったのか、と納得した。
 医大への進学は大層な金がかかる、と都市伝説がある。耕二が抱えた多額のローンは、家だけでなく、娘の学費もあったのか。
 紅一は、まず訪問看護と訪問診察のカルテをチェックした。
 次に、わたしの目と口を診る。着物の前を開き、電子血圧計と聴診器を使った。
 ベッドが水平にされた。枕があるので、視野の下端で自分の腹を見た。
「うーん、あたしの耳じゃ、まだ何も聞こえないや」
 笑って聴診器を外し、オムツ開いた。
「叔母さんは、これが勃起するのを見たのね」
「うん」
 女二人に下半身を見つめられた。我がチンチンは陰毛の中で寝たままだ。
 好美さんが娘の紅一に相談していたのだ。全身麻痺なのに、勃起するのは異常ではないか、と。
 むくむく、チンチンが動いた。
 紅一は聴診器を付け、血圧計も起動した。
 まだ二十代前半の若さに、チンチンは興奮してるのか。左から右へ、身をよじるようにして、じわりと大きくなる。
 ついに、チンチンは頭をもたげ、起ち上がった。包皮がむけ、亀頭が姿を現す。
「あ・・・」
 好美が息をはずませた。
 しかし、期待に反し、チンチンは脱力して寝てしまう。
「せっかく紅ちゃんが診てくれてるのに」
 好美はベッドに乗りかかり、柔らかいチンチンを口に入れた。はぐはぐ、舌をフル回転で嘗めまくる。
 チンチンは力を取り戻し、ふたたび起ち上がった。
 やったね、と好美が笑うと、続けて、と紅一が手で合図した。
 女たちは自慢げながら、残念ながら、わたしは何も感じてない。首から下は別人に等しい。
 ついに、チンチンは完全な起ち姿となった。亀頭が桃色にてかり、尿道口に透明な滴が湧いてきた。
 紅一は定規をあてた。
「長さ21センチ、太さは根元で4センチ、亀頭部が最大で・・・」
 医師の目は、あくまで冷静だ。反して、好美の目が潤んできた。
「紅ちゃんのためなら、えええい、今日は大サービスよ」
 好美がベッドに上がった。もう下着まで脱いで、股の黒毛が丸出し。
 チンチンをにぎり、股にあてがうと、ゆるゆる腰を落とした。私の下の毛と好美の下の毛が擦れ合った。
「ついに、とうとう・・・やっちゃった。義兄さん、あたしは愛人2号よ!」
「2号?」
 好美の言い方に、紅一の眉が動いた。でも、聴診器は動かさない。
 ずんずん、好美の腹が揺れた。下から見ると、意外な下腹ぽっちゃりさん。普段はコルセットで腹を締め上げてたのか。
 はっはっふっふっ、好美と一緒にベッドが揺れて、わたしの頭も揺れる。わたしが感じるのは、これだけだ。
「ああっ、来た・・・来たっ」
 好美が腰を震わした。たぶん射精だろう、わたしは感じないが。
「どうしましょ。よく考えたら、今日は危険日だわ。もし、できちゃったら、男として責任とってよ」
 好美は勝手な事を言いつつ、体を倒して、顔を寄せて来た。まだ下は繋がったままだろう。
 うん、むむむ・・・舌をからめる濃厚なディープキス。下あごが落ちて、自分では閉じられない角度に開いた。
 くくく、紅一はふくみ笑いで、あごを閉じてくれた。
「伯父様ぁ、正直に答えて欲しいの、正直に」
 左右から女の顔が迫る。
「どんな風に感じたの? はっきり答えて、ね」
 医者の質問には、正直に答えるだけ。が、少しためらいもあった。
「どんなかと言うと・・・はっきり言って・・・わからない。特に感じなかったし・・・」
「そう、そうでしょ、そうよね」
 紅一が笑った。好美が目を丸め、鼻をこするように迫った。
「感じなかった・・・て、何よ! 天にも昇る気持ちとか、言い方はあるでしょ」

 女たちに囲まれて年の暮れ 全身麻痺ゆえ清らかに過ぐ

「清らかに・・・てさあ、煩悩丸出しっ」
 新しく詠んだ詩を、女たちは笑った
 夕食では、母娘三代の女たちが揃ってにぎやか。
「義兄さんたら、何も感じてなかったの!」
 美枝さんは意外と言う顔で、わたしをギンとにらんだ。
「順を追って説明します」
 紅一が皆をなだめてくれた。
 全身麻痺の男性が勃起するのは、決して珍しい事ではない。もっとも、ほとんどは半勃起まで。わたしのような完全勃起は、とても珍しい状態である。
 血管破裂による病的勃起の疑いを持ったが、診察の結果、それは無かった。
 平常時、勃起時、射精時、それぞれで心拍の差は大きくなかった。キスの時、興奮して心拍が上がっていた。ここから、チンチンの興奮が脳に伝わっていない、と推察できる。
「叔父さんは、脊髄神経の興奮が勃起となり、射精となっているようね。脳とは断絶があるわ。さすが、全身麻痺ね」
 医者の意見に、素人は黙って聞くだけだ。
「脳が興奮しないのは、とても良い事です。へたに興奮すると、脳出血が再発して・・・今度は助からないわ」
「ひえっ」
 美枝さんが小さな悲鳴。
「感じてくれないのは、少し悲しいげと、それも天の采配なのね」


一月


 朝の淡雪かがやきて部屋を照らし ガラス窓に咲く氷花三つ

 全身麻痺 口には刻み食ばかり もちを食わずに松の明け

 弟がいない事が、すっかり日常となった。
 詠むのは自分の事ばかりだ。あいつが死んでから、さほど日が経っていないのに、なんと言う薄情者か。弟を詩にしてみたいのに、まだ形にならない。
 生きるのに飽きたが、死ぬ事もできない。この先、何のために生きるのか。
「お手紙よ」
 美枝さんが来た。
「後遺障害認定の件・・・やっと来たのね」
 好美が手紙を取り上げ、ふんふんと読む。
「これで、やっと賠償請求にかかれるわ。生命保険も請求できる」
 保険屋らしく、今後の事を言ってくれた。
「今年の秋過ぎには、障害者の認定もしましょ。年金が割り増しになるのよ」
 へー、美枝さんが肯いた。
 耕二が死んで、あいつの生命保険はローンに消えた。現在、この家の収入は、わたしと義母の年金だ。
 とりあえず、賠償金が入るまでは生きていよう。美枝さんのために、そう思った。

 ピンポーン、ドアチャイムが鳴った。
「八牟田雄一さんのお宅ですね、沖常奈々です」
「おきつね・・・さん?」
 名前に聞き覚えが有るうよな、無いような・・・
 ベッド横に来て、奈々は頭を下げた。紅一と同年配くらいか、社会人としては若手の部類だろう。
「あの日、運転していて、あなたと接触しました」
「ああ、あの!」
 入院直後、警察が病室へ来て、彼女の名前を言った。やっと思い出した。
「君のキャリアをジャマする気は無い。用事が済んだら、帰ってくれ」
「わたしのキャリアは吹っ飛んで、何処か遠くへ無くなりました。あなたが全身麻痺になったからです」
 あう、わたしはうめいた。
 こんな爺い、いつ死んでも良いものを。あの夜、わたしと遭遇したばかりに、あたら若い娘の人生が狂ってしまった。
「わたしは、あなたが民事訴訟を起こさないように、人質として来ました」
「みんじ・・・何?」
 事故の事は忘れたいのに、まだ何か残っているらしい。
 美枝さんが間に入った。
「うちで何かするために来たのね。介護の経験はあるかしら?」
 奈々は黙して首を振った。
「じゃ、慣れてね。ちょうど、さっきから臭うの」
 美枝さんはベッドを水平にして、わたしのオムツを開いた。尻は遠いが、臭いが来た。
「あの、ゴム手袋とかは?」
「自分の子供のお尻を世話するのに、いちいちゴム手袋なんて、ありえないしょ。さあ、始めましょ」
 わたしを子供あつかいする美枝さん、面白くない。尻の始末を他に頼る点で、赤ん坊と共通するところはある。
 頭が揺れる。オムツ交換で感じるのは、揺れと臭い。
「さあ、尿取りパットを付けたら終わりよ」
「ひゃっ」
 美枝さんの指示の後、奈々が悲鳴をあげた。
 ・・・
 変な感覚だ。勃起したらしい。
 枕が低いので、視野の下端に亀頭が見えた。奈々の顔が引きつっていた。
「こんなに大きくなるなんて、全身麻痺なのに?」
「うん、まあ、時々だけどね」
 奈々の唇が震えている。単なる驚きか、それとも恐怖か。
「あらら、今日はあいさつだけみたい」
 チンチンが小さくなり、わたしの視野から消えた。美枝さんは尿取りパットをして、オムツを閉じた。
 奈々は胸をおさえて深呼吸をひとつ。

 優美なおさかなになり 泳ぐ夢見る 喜久子の歌を聴くは幻


二月


 義母がデイサービスに行き、美枝さんが用事で出かけた。
 今日は、わたしと奈々の二人だけだ。
 沖常奈々は国会議員の政治事務所に勤めていた。事故の乗用車は、その事務所の物だった。
 わたしが損害賠償訴訟を起こせば、国会議員の名に傷が入る・・・と言う訳で、それを阻止するのが任務で来た。
 そんなつもりは無いのに、余計な心配をする人たちだ。なまじ法律に詳しいから、そうしてしまうのか。
「昔、車いすの国会議員がいたね。全身麻痺の国会議員はあり、だろうか?」
「立候補に問題は無いと思います」
 奈々の答えは事務的だ。
 ははは、顔が動かないので、声だけで笑った。
 たかが交通事故、毎年何千人も死んでいる。その何倍も重傷者が出るだろう。いちいち国会議員が気にする事だろうか。
 難しい事を考えて、頭が痛くなってきた。

 親不孝を裏返し親孝行と読ませる店あり 親も無く親にもならぬ我は用無く

 奈々に頼み、新しい短冊を作ってもらった。
 力強い毛筆の字で、美枝さんとは違う達筆の女だ。
「もう少し作が貯まれば、本が作れますね」
「まさか、全身麻痺のわたしにサイン会をやらせる気かい」
 奈々のありえない提案に、ありえない提案で答えた。でも、彼女の目は、けっこう本気みたい。
 ・・・
 変な気分だ。
「オシッコですか、少し待って」
 奈々は慣れた手つきでオムツを開く。覚えの速さは若さゆえか。
「きゃっ」
 奈々の手が止まった。尿取りパットを押し上げ、チンチンが勃起していた。
「いつ見ても、すす、すごいわ」
 目を見開いて、奈々はチンチンに吸い寄せられるよう。
 いつも思うけれど、勝手に女を誘惑するな、我がチンチンよ。桃色の亀頭は誘蛾灯じゃないぞ。
 ついに、奈々は鼻と唇でチンチンを愛撫し始めた。
 何も感じないのが恨めしい、腹立たしい。
 ふんふん、鼻で大きな息をし、奈々はチンチンを頬張る。慣れた手つきに見えた。
「もう、だめ・・・・あたし」
 奈々はベッドに上がって来た。すでにパンツまで脱いで、へそ下の黒い三角が見えた。
 ああっ、あーっ、大きな声を上げ、奈々は騎乗位で腰を振る。髪まで振り乱して、アメノウヅメの命の踊りを見るかのようだ。
 
 美枝さんが帰って来た。
 部屋に入ると、鼻をひくと動かし、奈々へキツい眼差しをやった。


三月


 窓の外に動く物がある。
 鳥だ。冬の終わり、エサを探して来たのか。
 首をすぼめ、体を丸くして、団子が跳びはねるようだ。
 また短冊を書いてもらった。

 つらら格子の向こう側 まん丸なる鳥たちよ 動かぬ手など啄むか

 温かき日差しを浴びて寝入り 目覚めれば日遠く 冷めた布団

「明るくなったし、もうすぐ春ね」
 美枝さんが柔らかな笑みをうかべた。
 弟の死が遠くなった。たまに夢で会う耕二は、ただ笑みを浮かべているだけだ。ちょうど、美枝さんと同じ顔をしている。
「こんにちはーっ」
 奈々が来た。肩をいからせ、目がかがやいてる。何事か、と警戒してしまった。
「新聞社も乗り気でした。全身麻痺の画家とコラボして、個展の場所を貸してくれそうです」
 政治家の近くで仕事をしてきた女は、こうした手配に慣れていた。これが政り事と言うものか。
 余計なお世話だ・・・と、突き放すには、彼女の笑顔がまぶしい。
 奈々が新聞を持って来た。全身麻痺の画家がインタビュー記事が載っていた。
 投稿欄には「八牟田雄一」の名前があった。
 またまた、入選してしまったようだ。他の投稿者は何をしている、少し怒りがわいた。

「郵便、来てるよ」
 好美が封筒を手に来た。
「生命保険、支払額のお知らせ・・・よし、ほぼ満額だ」
「やっと、なの」
 美枝さんが呆れ顔で応えた。
「仕方ないしょ。後遺障害の認定は、入院から半年後に始まるわ。これ、法律だから。それから保険金の算定をしてると、結局、こんなになっちゃうの」
 ひえ、また美枝さんは首を振る。
「あと、もう一通は・・・損害賠償の金額確定のお知らせ。おおっ、多いね。あたしゃ、この半分くらいと思ってた」
 ちらり、好美は奈々を見やる。
「なぜ、半分と思ったの?」
「だって、義兄さんは六十才だし、無職だし、若くないもの」
 好美は書面を持って、わたしの前に来た。いっぱい数字が並んで、どれが確定なのか分からない。
 また、好美は奈々を見た。何かを疑っている目だ。
「この金額で不満が無ければ、署名捺印して送り返して、手続き終了よ。どうする?」
「金の事は、わからない。美枝さんが、それで良いなら、そうしてくれ」
 わたしは目を閉じた。面倒には係わりたくない。
「不満があれば、いよいよ民事訴訟の手続きね。金が取れるまで、何年もかかるけど」
 薄目で美枝さんを見た。やはり、困っている様子。
 奈々も緊張した顔。彼女の任務を考えれば、それは当然か。
「これまで待たされたんだもの、ゆっくり考えてから、どうするか決めましょ」
 美枝さんは両手を上げて、今日の判断を見送った。
 あはは、好美が笑った。
 詩が浮かんだ。

 百万千万の賠償金も 全身麻痺では使う手も無し じっと天を見る

 夜、義母が寝てしまえば、家で起きているのは、わたしと美枝さんだけだ。
「賠償金を元に、わたしを老人ホームに入れて、美枝さんは自分の人生を探せば良い。まだ若いし、新しい男が見つかるよ」
 つくろい物の手を止めず、美枝さんは笑みを浮かべる。
「紅一が、ね。義兄さんの事、臨床研究のテーマにしたい、と言ってたわ」
 こんなわたしに、何かできる事があるらしい。動かないから、やり易いという場合もあるか。
「紅一のためになるなら、何でもするよ」
 ・・・・
 変な気分。しかし、いつもの変と違う。
「オシッコなの?」
 美枝さんはてきぱきと尿取りパットを用意し、オムツを開いた。
 ばん、パットを押し上げ、チンチンが勃起していた。
「ああ、だめ・・・耕二さん、ごめんなさい」
 美枝さんはブラウスの前を開き、乳房でチンチンをはさむ。さらに、口で亀頭を愛でた。
 うう・・・顔が熱い。血が頭に上ってきた。
「義兄さん、おチンチンを貸してね。ふしだらな女で、ごめんなさい」
 美枝さんはベッドに上がって来た。下着を脱いで、股の肉を指でかき開く。
 ずぶずぶ、チンチンが美枝さんの中に収まった。
「あああ、大きい」
 美枝さんは体をかぶせてきた。唇を重ね、舌をからめた。
「み・・・え、さん」
 わたしは声を出した。しかし、うまく言葉にならない。
 いつもと違う反応に、美枝さんが顔を上げた。
「どうしたの、感じてる? もっとキスしたい?」
 違う、と首を振りたいが、首は動かない。まばたきして、何か伝わるだろうか。
 ぎゅっ、膣が収縮した。チンチンが締められ、血が頭に上がる。
「感じてるの・・・チンチンで?」
「うん、さっきから」
 ぎゅぎゅっ、さらに美枝さんは膣に力を込めた。
「あっあああっ」
 美枝さんが声を上げた。
 チンチンが脈動していた。振動が体を伝わり、頭まで揺らしていた。
 射精だ。女の中に出すなど、何年ぶりの感覚か。
 この一年、何度もしていたはずだが、わたしは全く感じなかった。脳とチンチンの神経が断絶していたからだ。
 今、神経がつながったのだ。
「また、少し直ったのね」
 美枝さんが優しく接吻した。
 生きていて良かった・・・男として、生を実感した。
 しかし、紅一の予言を思い出した。脳が興奮すると、脳出血が再発して、今度は助からない、と。
 勃起や射精は、心臓と血管に大きな負荷をかける。その負荷が脳に達する状態になった。
 今度こそ死ねるかもしれない。しかし、まだ死ねない。
 賠償金を受け取ってない。あれを美枝さんに渡すまで、死ねない。
 新しい目標ができた。

 義妹と体を重ね つながりて死ぬるなら 種を何処に残すかや

 また短冊にできない詩を思いついていた。




< 終わり >  

作中の詩は公田耕一の作をもじって作った。

主人公「八牟田雄一」の名前も「公田耕一」のもじりである。

2015.3.16

OOTAU1