99回目の首吊り

 新しい縄を拾ってきた。
 古い縄と結んで長くした。
 両手で延ばして、具合をみる。
 ビニールの縄は結んでも、すぐにほどける。縄の繊維がすべるのだ。つないで長くするには向かない。やはり、縄は昔ながらの物が良い。船乗りであればロープの結び方は何十通りも熟知して、ビニールだろうと麻だろうと使いこなすのだろうが、あいにくと、わたしはカナヅチで海は好かない。
 力をこめ、ビンと張ってみた。なかなかしっかりしている。これなら少々の重量を吊しても大丈夫だろう。
 すっかり宵闇がおり、暗くなった空をバックに、公園の木立が街灯に照らされていた。残念な事は、星のまたたきが少ない事か。一応は市街地にある公園だけに、周囲の明るさで、星空は貧相になる。わずかに1等星以上の明るい恒星だけが、街の明かりに負けず、地上まで存在を誇示して輝いている。
 あの木にしよう。
 わたしは縄を手に立ち上がった、首吊りのために。
 これで何度目か、途中で数えるのも止めた。あえて回数を付けるなら、99回目としておこう。いつも、今度こそ、と思う。わたしの長くはない人生と同じで、首吊りすら失敗続きなのだ。


 わたしの名前は・・・・・忘れた。
 歳も、いつしか気にしなくなった。
 ある朝に、家を出て、会社を捨てて、たった一人で歩き始めた。以来、語り合う人は無い。喉が渇けば公園の水飲み場へ行き、腹が減ればごみ箱で弁当の食い残しをあさる。野良の犬や猫やカラスと同じ、ただ肉体を維持する本能だけで生きてきた。わずかに残った人間らしい思考力が、自殺の衝動であろうか。
 急がなくても、そのうち病気などで死ぬはずだ。老化という必ず訪れる運命もある。しかし、ただ待つよりは、ひとつくらいは、自分から行動を起こす事があって良いだろう。


 木の根元に座り、縄に結び目を作り、一方に首を入れる輪とする。この輪がうまく作れない。輪の形にはなっても、いざ首吊りの段でほどけて墜落したのは何度あったろう。
 ごきっ、座っていて腰に痛みがきた。首吊り失敗で墜落して痛めたところだ。
 足から落ちて、膝や足首を痛めた事もある。倒れて背中も打ったし、肩も打った。全身が、首吊り失敗の傷跡だらけ。服を着て吊るせいか、外傷より捻挫のほうが多い。もっと高い枝で吊れば、変形の飛び降り自殺になったのかもしれないけれど、あいにくと、わたしは木登りが苦手だ。
 なんとか輪ができた。何度も失敗してきたが、最近はうまく作れるようになった。何事も慣れか。
 首の傷跡が、かすかに痛んだ。
 どんと首を吊るまではできても、輪が絞まらない場合がある。輪から首が抜けて墜落、これも間抜けな失敗だった。輪が大き過ぎたのだな。頭を入れるぎりぎり最小にするのがこつだったようだ。首筋には縄の痕が残って、数日は消えなかった。
 輪があごにひっかかり、首を絞めてくれなかった事もあった。もがくうちに枝が折れて墜落した。数日は物が噛めなくなった。縄の輪を喉仏より下にかけて吊れば、あごにかかる前に、首が絞まるはずだ。
 頭上の木を見上げる。
 次なる課題は、枝の選定だ。
 わたしの体重を支えきれず、枝が折れた事を指折り数えて、少し気が滅入った。ぐにゃりと枝がしなって下に曲がり、足から地面にソフトランディングした事もあった。これも間抜けな失敗だった。
 見かけの太さだけでは、木枝の強さは計れないようだ。庭師あたりなら、木の種類などから枝の堅さや強さを見分けられるのだろうが、あいにくと、わたしは植物にうとい。
 目をこらすと、街灯の影に折れた枝の跡があった。以前、首吊りをして折れた木だ。ここは験をかついで、となりの木へ移動した。もう失敗には疲れた。
 ごそり、ベンチの下に動くものがあった。
 のら猫ではなく、人間だ。この公園の住人で、居住期間だけなら、わたしより長いだろう。もっとも、ほとんど話した事など無いので、名前も知らない。
 縄を持ってうろつくわたしに、一度だけ話しかけてきた事があった。
 ここで自殺されては、警察が来て、住んでいられなくなる・・・・・彼は言った。
 当然の抗議だと思った。ホームレスと人は言う。徘徊するように、毎日寝所を変えるやつもいる。また、彼のように一ヶ所に定着して動かないやつもいる。ホームレスも様々である。
 彼の風貌は、昔であれば仙人と呼ばれただろう。何ヵ月か、あるいは何年か伸ばしっぱなしの髪と髭、当然洗ってない。着ているものは、汗と垢と埃を吸って、ほとんど真っ黒だ。よって、臭いも相当なものだ。まあ、わたしも同じようなもののはずだが、やはり他人の臭いは気になる。
 何度か失敗するうちに、彼は見ているだけになった。よせ、と手を振る仕草も消えた。抗議しても無駄と悟ったか、あるいは、いつも失敗するわたしに呆れたか。
 見てないで手伝え、と叫びそうになった。しかし、と考える。自殺幇助という罪状が存在する。近くにいるだけの他人を、犯罪者にするつもりはない。刑務所に入れば、自由と引き替えに衣食住が保証されるけど。
 やはり、死ぬくらいは独力で成し遂げたいものだ。もとより、他人と関わるのが嫌で、こんな生活を始めたのだし。
 早く死にたい・・・・・・
 すでに、社会的には、ほとんど死んでいるはずだ。
 捨てた家族が、捜索願いを出して、わたしを探しているかもしれない。この近所の住民が、わたしらを追い出す機会をうかがっているかもしれない。少なくとも、あの仙人くずれの先輩ホームレスは、わたしが余所へ行くのを願っている。
 蜘蛛の糸のように細いつながりが、まだ残っている。
 すべてを断ち切るには、死が一番確実だ。
 縄の一方の端に小石の重しを付け、ひょいと投げた。投げる事、三度目で枝にかかった。拾ってきた椅子を足場に、むすび付ける。
 頼りなく揺れる椅子の上で、さらに背伸びしての作業は、ちょっとアクロバティックで危ない。背伸びという姿勢が、また腰痛を呼び覚ます。腕を肩より高い位置で動かすので、首と肩もミシミシときしんで痛い。
 なんとか結び終えて、両手で引いた。これは丈夫な枝だ。ビクとも揺れない。
 疲れた。
 椅子に座って、枝にむすんだ縄を見上げた。
 風が無いので、縄は揺れもしない。
 息が落ち着かず、ドキドキドキ、胸が痛い。揺れているのは、わたしの方だ。このまま心臓麻痺になったら、これはこれで間抜けな死に方かもしれない。
 ここ数日、まともに物を食ってない。それで体を動かしたから、心臓がオーバーワークになっているのか。縄を見上げながら、首を吊る体力と気力の回復を待つはめになった。病死と違い、自殺はエネルギーを使う。そのエネルギーが尽きかけている・・・・・困った事だ。
 星が見えない。栄養失調で視力が低下したか、いわゆる鳥目か。
 ふう、と息をついた。
 胸の痛みは少し楽になってきた。今度は腹が痛い、痺れるようだ。吐き気もするが、口から出るのは空気だけだ。
 全身から力が抜けて、立ち上げれない。せっかくむすんだ縄を見上げる気力も無い。
 このまま死んだら、昔の漫画のラストシーンのようになる。いやいや、垢と塵で、どす黒く汚れたわたしでは、あの漫画と違いすぎる。第一、わたしは何も為さず、あらゆる事から逃げてばかりだった。すべてを為し終えて、あの主人公は真っ白に燃え尽きたというのに。
 椅子に座っているのもつらくなり、わたしは地面に寝転がった。
 自分の意志薄弱を嗤ってしまう。関が原の戦いで名を上げた可児才蔵は、甲冑に身を固めて座ったまま逝ったという。弁慶も立ったまま往生した。やはり、わたしは名も残せない雑兵だ。いや、脱走兵か。


 ブーン、蚊の羽音がした。
 二度ほど耳元に寄ってきて、羽音は消えた。こんな死にかけの血はうまくない、と敬遠したのなら、蚊は正しいだろう。
 息が楽になった。
 どうも、また死ねなかったようだ。
 栄養失調による血糖低下か、あるいは血圧降下というやつか。初期症状であれば、数時間も寝ていれば回復するはず。ホームレスとなって長いから、そんなのは病気の内に入らない。
 早く死にたいと願いながら、なかなか体が死んでくれない。困ったものだ。
 実は、とっくに死んでいて、無限地獄に落ちているのでは、と疑いたくもなる。地獄の様相を描いた絵図は洋の東西を問わずに数多い。けれど、すべて空想の産物だ。本物の地獄が現世と見分けがつかないとしたら、いや、現世こそが苦痛に満ちた地獄だとしたら、死後の世界に希望を見る人の悲しみは尽きないではないか。
 ぽつり、頬に冷たいものを感じた。手に、頭にも来た。
 雨だ。
 夜空が低いと思っていたら、雨雲が上空を覆っていたようだ。
 ぽつぽつぽつ、雨つぶで顔が濡れる。
 全身が濡れてしまうと、雨上りに体温が低下して凍死・・・・という事もありえる。体力が低下した今のわたしなら、眠るように死ねるかもしれない。
 ホームレスになったばかりの頃は、寒さが苦手だった。始めは皮膚に針が刺さるような痛みがあり、やがて筋肉が収縮して、体中の骨と関節がギシギシと悲鳴をあげた。雨の夜は少しウトウトするばかりで、眠ることなどできなかった。ジーンと頭蓋骨が陥没するような痛みがくると、このまま死ぬと覚悟したものだ。
 苦しみながらの死は、なるべくなら遠慮したい。
 雨つぶが上着の表面をすべって流れ、なかなか中へしみ込んでこない。汚れのせいだろうか。拾って数か月も洗ってないから、汚れが布の上に幕を成しているのは当然か。着物がたっぷりと水を含んでくれないと、水の蒸発作用で体温を失うという段にならない。困ったものだ。
 もっと強く降れ、とわたしは願った。
 口を開けて仰向けに寝ていれば、雨が口から入って溺死できるかもしれない。
 コップ半分の水が肺に入れば、人間は溺死するという。肺の機能を止めるには、少しの水で十分なのだ。だから、ほんのわずかな水でも気管へ入れば、人間の体は激しい咳で吐き出そうとする。今のわたしなら吐き出す力も無く、そのまま肺が水没して溺死となるかもしれない。
 ぽつん・・・・・ぽつん・・・・・
 雨がやんでしまった。
 天は我を見放したか、と昔の映画のセリフを思い出した。
 雨雲が通り過ぎて、また空が暗くなってきた。星がままたいている。
 全身がしっとりと濡れている。寒気はこない。放射冷却が弱い、凍死には遠い現状。
 あきらめて、わたしは上体を起こした。
 足に力がはいらず、立ち上がれない。心臓が悲鳴をあげて、まだ寝ていろと促す。
 わずかに腰を浮かしたところで、わたしは俯せに倒れた。濡れた地面を舐めて、にがい泥水が唇にしみた。
 手足を縮めて俯せになるのは、実は放射冷却に強い寝方らしい。多くの四足動物たちの寝相でもある。布団をかぶる人間だけが、仰向けに寝る。


 わいわい・・・・人の話し声が聞こえた。
 久しく他人と話してないせいか、声が遠いせいか、内容までは聞き取れない。
 わたしは体を起こし、四つ這いで声の方へと動いた。また立てないので、犬か猫になった気分。家を捨て会社を捨て、人である事を捨てた者としては、いいかっこうだ。
 薮をくぐって見ると、公園の端に四人ほどの背中があった。
 おうおう、どうどう・・・・・耳が遠くなったのか、相変わらず話の内容はわからない。あまり楽しげではない、何か威嚇するような感じの声だ。
 キラリ、光る物があった。アーミーナイフか日本刀か、かなり大きい刃物だ。
 ひいひい、小さな泣き声が上がった。
 並んだ背中の向こうに、四つ這いで動くものがあった。
 いじめだろうか、恐喝だろうか、あるいは強盗だろうか。事件の現場を見てしまったようだ。
 昔、わたしも同じだった。
 いつもいつも土下座していた。ごめんさい、すみません、と壊れたレコードプレーヤーのように言い続けた。繰り返し、また繰り返して、シーソーのように頭を下げて謝っていた。わたしの上司も同じ相手に頭を下げていたけど、後でわたしを叱りつけた。わたしはひとつの件で、いつも二重に頭を下げていた。頭を下げなければ叱られ、下げたら、また叱られた。
 上司の声は凶器だった。わたしの胃袋と十二指腸を切り刻んだ。トイレに駆け込んだら、真っ黒なドロドロのタール便があふれるほど出た。
 死んだ気になって、死に物狂いで、と死をたとえに出すのが好きな人だった。声を聞くのもいやになり、逃げるには死ぬ事だと思った。何度か会社で死のうと思って死にきれず、ある朝、出社途中の道で全てを捨てた。カバンと携帯をごみ箱に放りこんで、あても無く歩きだした。
 ナイフを持ったのが振り向き、こちらに歩いてくる。
 見つかった・・・・
 てめえ、くそが、と怒鳴ってナイフを振りかざす。
 ここが死に場所か・・・・・
 わたしは木につかまりながら、立ち上がった。
 街灯の明かりを反射するナイフに見惚れた。刃渡りは30センチ以上あろうか、映画でランボーがベトコンの首を切り裂いたような大物だ。
 いよいよ死ねるのか、と唾をのんだ。手や足を切られるのは不本意だ、死ぬのに時間がかかる。心臓を一突きが好い、ものの数秒で意識不明となって逝ける。首筋への袈裟掛けも、日本の剣術では必殺の切り方だ。頚部の大動脈を断ち切れば、大出血で脳は瞬間的に虚血状態となって、そのまま逝ける。痛みも苦しみも感じる間は無い死に方。
 踏み込まなければならない、ナイフの一撃が致命のものとなるためには。
 わたしは一歩踏み出した。
 手を切られないよう、両手はダラリと下げた。
 あごを上げて、のどが見えるようにした。これで首筋を切りやすくなったはずだ。
 背をのばし、胸をはる。心臓を突きやすくなるだろう。
 右へ左へ、ナイフの切っ先が振れる。わたしは目で追う。
 もう一歩、わたしは踏み出した。
 切っ先が鼻をかすめた。あと少し、ほんの数センチ。
 鼻そぎは、嫌だ。大昔の刑罰のひとつで、出血から呼吸困難をまねいて死にいたるのに、やたら時間がかかるらしい。失血死ではなく窒息死なので、苦しむのは想像に難くない。
 喉が良く見えるよう、さらに少しあごを上げた。右手のナイフで袈裟掛けに切られるには、頭を右に傾けて左の首筋をあらわにしたほうが良さそうだ。
 鼻ではなく、喉をかき切って欲しい。
 ごすっ、横腹に衝撃がきた。前かがみになり、たたらを踏んでこらえた。
 顔を上げると、ナイフを持ったやつが遠くに退いていた。替わって、左右に立つやつが蹴ってきたようだ。
 どす、ばし、にぶい衝撃が尻に背中に来た。たまらず、倒れた。
 いわゆるホームレス狩りだろうか。
 ナイフは、ただの脅し。生かさず殺さず、弱者をいたぶって喜ぶやつらのようだ。
 きちんと空手やボクシングを修めた者でもなければ、パンチやキックに威力は無い。なまくらな打撃は痛みこそあれ、死を予感させるものではない。
 ぎゃはははは、笑い声が小さくなって、また静かになった。
 大の字で星空を見上げながら、体の具合を点検した。打撲はひどくない、以前からの腰痛のほうがきつい。倒れる時に、またひねったようだ。何か持病があったり、偶然にも急所に打撃が入れば、致命傷もありえたかもしれないが。
 あいつらは、はずれだった。


 右足をひきずりながら、木の下にもどった。
 枝にむすんだ縄の輪が、早く来いと誘っている。
 右のひざから足首にかけて、筋肉がつっている。腰痛のせいだ。この足では、椅子の上に立つのもおぼつかない。痛みがひくまで、首が吊れない。
 首吊りを直前で思い止まったのは、これまで何度あったろうか。いつもいつも、何か小さな理由を見つけては止めて、これまできてしまった。今の腰痛も、強い意志さえあれば克服できる程度かもしれない。その強い意志の力で、首を吊って・・・・・
 自己矛盾におちいり、わたしは座り込んだ。
 強い意志があれば、そもそも家を捨てる事も、会社を捨てる事も無く、ホームレスなどになってやしない。
 首吊りもできない意志薄弱、それがわたしなのだ。
 トーマス・エジソンは言った。発明は1パーセントの発想と99パーセントの汗である、と。
 今のわたしなら、エジソンの言葉を言い替える事ができる。社会を成すのは1パーセントの成功者と99パーセントの挫折者である、と。わたしは、明らかに99パーセントの側だ。いや、99パーセントからも落ちこぼれた員数外であろうか。
 若い頃には、色んな夢があった。あれもやりたい、これにもなりたい、すべてが可能性の内にあった。夢は破れ、可能性は失われた。わたしが得たものは、ボロボロの体と疲労した心だけだ。人生というパンドラの箱から夢はすべて逃げ失せて、ただひとつ、自殺への願望だけが残っている。
 かのエジソンも、また挫折者になりかけた。小学校に入学して、わずか三ヵ月で退学した。白痴、またはそれに等しい愚か者として、教師は幼い彼を見捨てて学校から放り出した。幼いエジソンを救ったのは、彼の母親だ。
 わたしには、誰もいなかった。誰かが、救いの手を差し伸べていてくれたのかもしれないが、わたしには何も見えなかった。そのまま社会からこぼれ落ち、こうなってしまった。母の助けが無ければ、エジソンがなっていたかもしれない姿に。
 くんくん、わたしの鼻が動いた。
 空腹が食物の匂いをかぎつけた。動物的本能が、わたしの体を動かそうとする。
 公園の外を歩く人影を見た、カバンを持っている。遅い帰りの会社員だろうか、昔のわたしを思い出す。
 その人影が立ち止まった。公園の入り口、まるでわたしを呼んでいるかのようだ。
 公園の入り口横には時計塔が建っている。時刻は午後11時3分。人を見たら、いやでも視界に入った。
 ホームレスになった時、時計とも縁を切ったのだ。明るくなったら起き、暗くなったら眠る。原始人と同じ、自然の変転のリズムで生活してきた。
 わたしは立ち上がった。
 呼んでいる、と感じたのは食物の匂いのせいか。
 右足をひきずりながら、わたしは歩く。
 遠い・・・・・わずか十数メートルのはずが、数百メートルのようだ。
 人影は動かない、待っているかのように。
 わたしは足を止めた、間は数歩だけのところ。
 街灯の影になっているが、彼の顔が見えた。
 若い顔だ。ホームレスになる前のわたしより、もう少し年下だろうか。その目に悲しみがうかがえた。
 普通の人はホームレスを見て嗤うか嬲る、時には怒りだす。罵声をあびせられ、石を投げ付けられるのは慣れている。事実、さっき殴られて蹴られたばかりだ。
 哀れみの目は苦手だ。
 ぐう、腹の虫が鳴った。
 哀れみにすがれ、と腹の虫が命令する。
 彼の右手の紙袋から甘い匂いがしていた。こんな匂いを間近にかぐのは何日ぶりか、いや、何ヵ月ぶりだろう。
 わたしは両手を差し出した。やや背をかがめ、よくある物乞いのポーズをとる。
 彼は動かない。
 物乞いのポーズがわからないのかもしれない。太平洋戦争直後のような昔と違い、駅前の路上に物乞いをする乞食はいない時代だ。
 右や左のだんなさま、あわれなこじきでございます・・・・・戦争で手や足を失った者たちは、働く機会も無く収入の途を絶たれて、ただ物乞いするしかなかった。死線をくぐり抜けて、やっとの思いで生き延びても、生活するには厳しい現実がのしかかった。法が彼らを守らなくても、人々は彼らを助ける義務を感じて、物乞いに応えてめぐんだ。
 わたしは傷痍軍人ではないから、国のため誰かのために負ったキズは無い。物乞いしたところで、同情を買うような過去が無い。つらいところだ。
「にいちゃん、人生の先輩に何かめぐんでくれ。良い事があるかもしれないよ」
 ひさしぶりに言葉を口にした。自分が人間だったと再確認する。
 うん、と彼は首肯いて、右手の紙袋を差し出してきた。
 ぽん、わたしの両手に紙袋が乗った。
 あたたかい・・・・
 甘いにおいと温もりが染みた紙袋を開けると、四個のどら焼きがあった。焼きたてだ、家族への土産だろうか。
 どら焼きを、ひとつ取り出した。甘味が手の皮膚を透して全身に広がる。
 ふいに涙がにじんだ、甘味のせいだ。
 わたしは甘いものが大好きだった、子供の頃は。大人になって、辛党になった。でも、それは酒好きの同僚に合わせるポーズだった。本当は、ずうっと甘党だったのだ。甘いものが好きと言うと、がきっぽいと侮られるから、辛党のふりを続けた。自分を偽り続けた。偽り続けられなくなって、すべてを捨てるしかなくなった。
 彼は仕事帰りにどら焼きを買った。自分に正直に、ずっと甘党で生きてきたのだろうか。
「明日は・・・・もしかしたら・・・・たぶん・・・・」
 彼の声に、わたしは顔を上げた。
 仕立ての良さそうなスーツ、ネクタイをゆるめてリラックスした感じだ。ワイシャツの衿に汗がにじんでいた。ややくたびれた革靴の爪先が、彼の仕事ぶりをうかがわせる。
 彼と目が合った。
 涙こそ流してないが、彼は泣いていた。
「明日になったら、わたしはあなたの仲間入りです。ふがいない後輩を、よろしく指導お願いします・・・・」
 わたしは気付いた。彼の目にあったのは哀れみでも、同情でもない。ホームレスのわたしに、明日の彼自身を見て泣いていたのだ。
 紙袋のどら焼きを見た。四個のどら焼きは、彼と彼の妻、彼の二人の子供たち。どら焼きを喜ぶなら、子供は小学校の低学年か。土産を捨てるのと同時に、彼は家族を捨てようとしている。
 わたしは紙袋を押し返した。
「いや・・・・けれど・・・・」
 彼が受け取りを拒否する表情を見せた。わたしは手を振り、手に残る一個のどら焼きで十分と伝えた。彼の分はもらえても、彼の家族の分まではもらえない。
「わしは反面教師だよ。見習う必要の無い、見習っちゃいけない先輩だ」
 言って、唇を噛んだ。
「あとわずかだが、まだ今日が残ってる。それを捨てて、明日の事を考えてるのか! それを持って帰れ、待ってる人がいるだろう?」
 時計を指差し、怒鳴った。時刻は11時23分、あと半時間で明日になる。
 大声を出した反動か、喉が痛くなった。つばを飲み込もうとして、咳が出た。らしくもない説教をして、罰が当たったのだろうか。
 どきどき、心臓が高鳴る。捨てた妻の顔が、子供たちの笑みが目蓋に浮かんだ。あと一歩踏み止まれずに、すべてを駅前のごみ箱に捨てた後悔がよみがえって、体を右に左に揺さぶる。
 わたしは彼に背を向けた。
 ぐきっ、体を回す時、右の足首に痛みがきた。腰を落として、なんとか倒れずにすんだ。膝まで痛みだした。
 罰だ、すべてを途中で捨てた罰だ。これから死ぬまで、何度も後悔にさいなまれるのだろう。泣きたいけれど、涙腺は感情に反応しない。嗚咽をもらしたいのに、衰弱した胃袋はゲップも吐き出さない。悲しみは体の外に漏れず、ひたすら体内を駆け巡って、心臓を針で突きまわす。
 首を回して見ると、まだ彼は公園の入り口に立っていた。
 早く去れ、こっちに来るな!
 わたしは首を振り、しっしっ、と後ろ手で追い払う。
 背中に彼の視線が刺さるように感じた。腰痛の勘違いかもしれない、と背をのばす。天を仰いで、とうに死んでいたはずの自分を思った。自殺しきれない意志薄弱が、腰痛を口実にして、わたしを無限地獄に縛り付けて放さない。
 足をひきずり、わたしは公園の奥へ歩いた。一歩ごとに、ビキンビキンと腰に電気が走る。
 痛みに足を止めた。
 半分だけ振り返ると、公園の入り口に人影は無くなっていた。
 彼は去った。
 手に残るどら焼きに鼻を近付けた。甘い香りが、一瞬だけど腰の痛みを和らげる。
 なんとか縄の下にもどり、椅子に腰掛けた。
 はあ・・・・深く息をついた。右足の太ももから膝下のふくらはぎまで痛い。弾力を無くした筋肉が、今にもピシッと音をたてて千切れそうだ。
 ごそごそ、音がした。ベンチの下から、公園の先輩が這い出てきた。
 のび放題にのびた髭と髪はほこりにまみれ、煤けて縮れた毛糸のよう。泥で黒くなった上着は重そうに揺れる。普通の人からすれば、わたしと彼を見分けるポイントはあるだろうか。合わせ鏡のように見えるかもしれない。
 あうあう、彼がわたしに手を出してきた。やや背をかがめ、物乞いのポーズ。
 ホームレスがホームレスに物乞い・・・・理由がわからず、首をかしげた。どら焼きの臭いに誘われてきた、と気付くのに数秒かかった。空腹は臭覚を鋭敏にする。彼も甘党だったようだ。
 ほいよ、わたしは気軽に右手を出した。臭いだけなら、いくらでも分けてやる。と、そのつもりだった。
 あっ、声をあげた時には、わたしの手からどら焼きが消えていた。
 彼はどら焼きを奪うと小走りに去り、またベンチの下にもぐって背を向けた。
 唖然と、わたしは彼を見るだけだった。
 半分残せよ、と言いたかったが、無駄と悟った。どら焼きを半々に分けるのは人の理性だ。彼は人を捨てているから、獣の本能のままに目の前の食物に反応したのだ。
 しょうがないなあ・・・・・
 空っぽになった右手を鼻に寄せると、どら焼きの甘い臭いが残っていた。
 半々に分けようと思ったわたしには、人の理性がもどっていた。その事に感動していた。どら焼きをめぐんでくれた彼に感謝しよう。
 今は遠い公園の入り口を見た。もちろん、だれもいない。
 彼は、無事に家に帰り着いただろうか・・・・
 彼が帰ってくれていれば、わたしが自殺できずに生きていた事にも、少々の意味が発生する。挫折寸前の状態から立直ってくれれば、わたしが家族を捨ててホームレスになった事にもわずかな意義を見いだせる。さらに、成功者への道を進み始めてくれたら、わたしが会社のトイレで死にきれなかった事だって・・・・
 わたしの挫折が、彼の成功につながったとしたら。
 色即是空、万物流転、個にして全。
 忘れていた難しい言葉が頭をめぐった。若い頃には意味の無い念仏か呪文でしかなかった言葉の群れが、あらたな命を得て、わたしの体の中で躍動している。
 エジソンの言葉を、もう一度言い替えよう。
 1人の成功者は99人の挫折者と失敗者に支えられている、と。
 挫折も失敗も、決して無意味な事象ではない。それは成功の合わせ鏡だ。失敗を否定する事は、同時に成功も失う事だ。ひとつの成功例があるとして、それがなぜ成功したかを検証するために、99の失敗例が必要になるのだ。
 とは言え、前の会社の上司が成功するための失敗例には、わたしはなりたくない。どら焼きをくれた彼が成功するための失敗例ならば、なりたい。
 ゴーン、遠くから鐘の音が響いてきた。
 振り返り、時計を見た。長針と短針が重なりあっている、午前0時になった。
 今日は昨日になり、明日が今日になった。
 わたしは立ち上がり、星がまたたく東の空を見た。
 夜明けは、まだ遥かに遠い。



<おわり・・・または、未完>




後書き
吾妻ひでお著「失踪日記」にインスパイアされた作です。
失踪したいと思いながら、結局、今の今まで年をくってしまいました。果たされなかった願望を、作品にこめております。


2007.10.08
OOTAU1