78年アルゼンチン代表

<1次リーグ>
○2-1ハンガリー
ルケ+ベルトーニで逆転勝ち。交代は右WGハウスマン→ベルトーニ、バレンシア→アロンソ。オルティス不出場。

○2-1フランス
パサレラPK+ルケ。またハウスマンが右WGスタメン。バレンシア→アロンソ→オルティス初出場。今度はベルトーニ不出場。
●0-1イタリア
ルケが怪我で欠場しケンペスCFW起用。ベルトーニ+バレンシアがスタメン。オルティス初スタメン→ハウスマン初サブ。

<2次リーグ> 最終戦は疑惑の大勝→得失点差でブラジルを上回る。
○2-0ポーランド
ケンペス2。左ベルトーニからの高いクロスをヘッド。
ケンペスのお笑いハンドpk→ダイナのpkをフィジョルがセーブ。
バレンシア→ビジャ初出場、右WGハウスマン→オルティス。左ベルトーニ出場でこの日もルケ欠場。
△0-0ブラジル
ルケ復帰で初の「決勝型」。アルディレス怪我→ビジャ、オルティス→アロンソ
○6-0ペルー
ケンペス2ルケ2タランティニ、ハウスマン。ラローザ初スタメンで怪我アルディレス欠場。ベルトーニ→ハウスマン、ガジェゴ→オビエド。

<決勝>
○3-1オランダ:ケンペス2ベルトーニ。アルディレス→ラローザ、オルティス→ハウスマン。


この布陣はブラジル戦と決勝のみ。当初のスタメン:右WGハウスマン+OMFバレンシアが右WGベルトーニ+左WGオルティスとなり、ケンペスがFW/左WGからOMFに移動した。

よく出た13人。

■Leopoldo Luque
リーベルのスター髭CFW。GLから大活躍。怪我と家族の不幸により第3、4戦は欠場。

■Ren(e) Houseman (Huracan) レネ・ハウスマン(オウセマン表記も)
1953年7月。165cmのドリブラー。主に右サイド。オルテガとマラドーナを足して2で割ったような感じ。
73〜80ウラカンで73年はメノッティ監督+アルディレスとリーグ優勝する。先先途先×途途。

■Daniel Bertoni (Independiente)
Sevilla, Fiorentina, Napoli and Udinese ■Oscar Ortiz (River Plate);
■Mario Kempes (Valencia)
■ホセ・ダニエル・バレンシア
1955年。75-88コルドバ。攻撃的MF過多。最初の4試合にスタメン出場の後、ぱったり出場なし。先先先先×××。

■Osvaldo Ardiles (Huracan)
ビジャと共にトットナム入り。日本! ■Am(e)rico Gallego (Newell’s Old Boys),アメリコ・ガジェゴ
1986トヨタカップでもプレー。中盤守備役。El Tolo。

■Jorge Olgu(i)n (San Lorenzo)
右SB。 後に日本で監督。 ■Alberto Tarantini(free agent)
髪モジャ左SB。W杯時にはボカと金銭問題で揉めており所属なしだった。 代表唯一のゴールをペルー戦で挙げる。 Birmingham City在籍時に仲間と喧嘩して退場する&観客を殴ろうとする、等で物議を醸す。 ■Luis Galv(a)n (Talleres)
『最も低身長で優勝したW杯CDFコンビ』。チーム最年長だが30歳。 ■Daniel Passarella (Cpt, River Plate)
『最も低身長で優勝したW杯CDFコンビ』。後にフィオレンティーナやインテルにも在籍している。 ■Ubaldo Fillol (River Plate)
‘The Duck’後にAマドリーでもプレー。


<残り:交代で出た3人> ■ノルベルト・アロンソNorberto Alonso
1953年1月。
リーベルのアイドル。監督の意思に反して軍事政権に推されて代表入りした噂あり。攻撃的MF過多。愛称Beto(ベト)
1986トヨタカップでもプレーした中盤の司令塔。代表での不遇は Ricardo Bochini と比較される。
途途××途××。

■Omar Larrosa (Independiente)オマール・ラローザ
1947年。攻撃的MF過多。ラスト2試合に出場、いずれもアルディレスに代わってスタメンと途中出場。

■リカルド・ビジャRicardo Julio Villa
1952年。攻撃的MF過多。4、5試合目にハーフタイムからバレンシア/アルディレスに代わって出場。×××途途××

アルディレスと共にトットナム入り。78-83。


<出場機会なし>
<選ばれなかった人> Quique Wolff (Enrique Wolff) メノッティが海外組でも呼ぶ可能性のある3人とした1人。当時はReal MadridでCDFとしてプレーしていた。 Osvaldo Piazza メノッティが海外組でも呼ぶ可能性のある3人とした1人。サンテチェンヌで活躍していたCDF。 Bianchi Juan Jos(e) L(o)pez:JJ Lopez 1950年。リーベルのアイドル1970-81。 ・


https://www.bbc.co.uk/blogs/timvickery/2012/02/argentinas_class_of_78_deserve.html https://www.goal.com/en/news/1717/editorial/2009/02/19/1116924/where-are-they-now-argentinas-1978-world-cup-winners ■■