66年W杯優勝イングランド代表

△0−0ウルグアイ
○2−0メキシコ:B.チャールトン、ハント:コネリーを外して右にペイン起用。ボールをピータースへ。
○2−0フランス:ハント2:キャラハン起用。

○1−0アルヘン:ハースト:ウイング断念。グリーブス怪我でハースト。
○2−1ポルトガ:B.チャールトン2:
○4−2西ドイツ:ハースト3ピータース


 
左:決勝トーナメント、右:グループステージ。

・ラムゼー監督の任期中、上左画像の11人で戦ったのはわずか3試合。それがW杯ベスト8、ベスト4、決勝だった。W杯決勝で得点を挙げた2人 -- ハーストとピータース -- などは66年まで代表でプレーしたことが無かった。ワイドに開いたウイングを配置しない布陣は当時としては(特にイギリスでは)画期的で評判を呼んだ。

・ラムゼー監督の就任初戦でスタメン出場した11人のうち、W杯メンバー22人に入ったのは7人。うちW杯決勝に出たのは攻撃のB.チャールトンと守備のムーアの2人だけであり、大きく面子が変わったと言える。B.チャールトンはラムゼー監督就任前から代表25ゴールを挙げて絶対的エースとして君臨していたが、ムーアの立場は磐石とは言えないものだった。代表での門限破りや所属チームとの契約問題はムーアの立場を危うくし、66年の親善試合3試合ではムーアの代わりにハンターが起用された。少数派ではあるが、ウルブスのフラワーズの方が優れていると公言するグリーブスのような意見もあった。なおハンター、フラワーズともにW杯22人に召集されている。

初戦2-5フランス
Springett,Armfield,Ronald Henry(LB),Moore(RHB),Labone(CHB),Flowers(LHB)
Connelly(RW),Charlton(LW),Robert Smith(CF),Robert Tambling(IR),Greaves(IL)

・RBは怪我がちのアームフィールドのポジションをコーエンが奪っていた。

・グループステージでコネリー、ペイン、キャラハーと3人の右ウイングを起用したが、結局は断念。

・当時のFIFAは5月末までに40人の選手リストの提出を、7月3日までに22人の選手リストの提出を要求していた。ラムゼー監督は4月7日に暫定的な選手リストを早々と作成。最終的に落ちた18人は ▼Gordon West, Everton; ▼Tony Waiters, Blackpool; ▼▼Keith Newton, Blackburn Rovers; ▼Chris Lawler, Liverpool; ▼Paul Reaney, Leeds United; ▼▼Gordon Milne, Liverpool; ▼Marvin Hinton, Chelsea; ▼John Hollins, Chelsea; ▼Tommy Smith, Liverpool; ▼Terry Venables, Chelsea; ▼Barry Bridges, Chelsea; ▼▼Peter Thompson, Liverpool; ▼Peter Osgood, Chelsea; ▼Derek Temple, Everton; ▼John Kaye, West Bromwich Albion; ▼Fred Pickering, Everton; ▼Joe Baker, Nottingham Forest; and ▼Gordon Harris, Burnley
日本人としては名古屋の監督をしたミルンとイングランド代表監督のベナブルスがお馴染み。

40人からまず28人へ。▼の選手が落ちて▼▼の選手は残り、さらに▼の選手のうち3人分はreplacementとして
Bobby Tambling(ラムゼー初戦に出場), Chelsea, for Barry Bridges;
John Byrne, West Ham United, for Fred Pickering;
Brian Labone, Everton, for Marvin Hinton.→Laboneは後に怪我で辞退。結婚式のため辞退という説も。

22人+ニュートン、ミルン、バーン、タンブリング、トンプソンの27人だった。

・背番号は1〜11がスタメン、12〜22がサブと目されていた。実際には第1戦ではハーストではなくハントが出場。


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