58年ブラジル代表

その前のブラジル代表にも触れよう。
・1930年 → 実質的にリオ州選抜チームで出場。←サンパウロ州協会が選手提供を阻んだ。
 4グループ総当たり戦→best4はトーナメント。●ユーゴ、○ボリビア
・1934年 → プロ化してすぐ。選手提供を拒むクラブが多かった。
 トーナメントのみ。●スペイン
・1938年 → ベストメンバーで初参戦。CFレオニダスとCBドミンゴス・ダ・ギアが有名。
 トーナメントのみ。○6-5ポーランド,△&○チェコ,●1-2イタリアで3位。

1950年ブラジル代表

・沢田啓明さん著『マラカナンの悲劇』(新潮社)がとにかく詳しい。必読!

・当初予定では出場国16。開催国ブラジルと前回優勝イタリアは予選なし

・32か国が予選に出場。勝ち抜いた14か国は
 欧州7枠:Eng,Sco,Tur,Yug,Swi,Swe,Sp(ユーゴ以外の東欧諸国は不参加。ドイツは参加拒否された)
 南米4枠:ボリビア、チリ、パラグ、ウルグ(アルゼンチン等の予選不参加のため予選なしで参加決定
 北米2枠:Ame,Mex
 アジ1枠:インド(他国のキャンセルにより予選なしで参加決定
・その後、ScoとTurが出場辞退→FIFAが予選敗退のPorとFraに出場打診しFraが出場へ。

・1950-05-22、組み合わせ抽選会。Bra,Ita,第1回優勝のUru,母国Engがシード国
 G1:ブラジル、ユーゴ、メキシコ、スイス
 G2:イング、アメリカ、スペイン、チリ
 G3:イタリア、スウェーデン、パラグアイ、インド
 G4:ウルグアイ、ボリビア、フランス
・この後、インドが旅費困難で辞退。フランスも日程不満が受け入れられず辞退。
→グループにより4か国、3か国、2か国と歪になり、FIFAがグループ再編成しようとしたが、
 試合数減少を懸念したブラジルが拒否してこのまま強行へ。

・元々は1949年開催予定だったが、準備不足で1年延期となった。

・会場は6か所。決勝リーグはリオとサンパウロのみで実施。
 レシフェ(イーリャ・ド・レチーロ)2万
 ベロオリゾンテ:新築した。
 リオ:新築した。→マラカナン
 サンパウロ:パカエンブー7万。1940
 クリチーバ:ドリバウ・ブリット・エ・シウバ2万。1947
 ポルトアレグレ:エスカリプトス2万。1931


<ブラジル代表の軌跡>
・1947年〜:フラビオ・コスタ代表監督がヴァスコの監督も兼任。47年,49年優勝
・1948-03:ヴァスコ、南米クラブ選手権で優勝
・1949-04:ブラジル、南米選手権で優勝
・03-23:代表候補38人招集。その後アラシャーで2か月の長期合宿。練習試合5試合。
05-06:●3-4Uru:Ad,Zz 05-07:○2-0Par:Pinga2 05-13:△3-3Par:Pinga,マネッカ、バウタザール 05-14:○3-2Uru:Ad,シッコ,or 05-18:○1-0Uru:Ad ・06-05:出場登録選手22人を発表。
     チームのベースはヴァスコ。リオの選手14人、サンパウロの選手6人。


       アデミール27 シッコ28  (バウタザール24)    マネッカ24 (フリアッサ25)          (フリアッサ25)    ジャイール29  ジジーニョ27            (アデミール27)      ダニーロ29           バウエール24            (エリー29)    ビゴッジ28     アウグスト29        ジュベナウ26                バルボーザ29 FWアダオジーニョ27、2cap FWアルフレッド30、0cap(MFとも) FWロドリゲス24,2cap MFルイ27,27cap MFノロンハ31,15cap DFネナ29、5cap DFニウトン・サントス23,5cap GKカスティーリョ22,2cap Ademir  145 M(右インナー)S(左インナー)YWPU Baltazar 2345MS Chico   145              YWPU Maneca  23  MS(右インナー起用)  YW Friaca  2345(右WG本職)M(左Wg)S(左Wg)  PU アルフレッド        S(右WG起用) Jair   1   M第2戦は筋肉痛で欠場  YWPU Zizinho  14              YWPU Rodrigues23(inside leftと書かれている) ?Pinga  23(左WGと書かれている) ?Tesourinha 1(strikerと書かれてる.right winterと。175R) Noronha  1(MFともDFともleft back)  S Bauer  23         S(サンパウロコンビ)YWPU Danilo Alvim2345  M              YWPU Ely    145(DFとも)M Rui Campos 1(DMF)     S(サンパウロコンビ) アウグスト       MSYWPU Juvenal 2345   MSYWPU Bigode 2345   M  YWPU Nena  23(MFともDFとも) N.Santos 1245 ?Mauro Ramos 1 Barbosa  145    MSYWPU Castilho23 Pinga:Jos(e) L(a)zaro Robles 最初はMFと左WG、ヴァスコ移籍後は左WG。左足のシュート精度◎。 Considered one of the best left-footed players ever 50年に代表初招集されたがリザーブチームだった。 Oswaldo Cruz Cup, against Paraguayでブラジル5点中3点取ったが W杯代表には落選。 Tesourinha Carlitosとのポジション争いのため右WGに移動して開花。 アダオジーニョ、テソウリーニャ、カルリートスの3トップで40年代大活躍。当時のインテルナシオナルの異名は"Road Roller""Compressor Roller" アダオジーニョ 1950W杯メンバーだが出番はなし。 大会直前の怪我で バウエール→エリー シッコ→右WG控えのフリアッサを左へ ジジーニョ→アデミールをCFから右インナーへ。バウタザールCF起用 https://www.netvasco.com.br/mauroprais/futbr/c1950.html ■メヒコ ・バウタザールの3点目は割と遠くからのヘディング。 ■スイス ・アルフレッドの点は右45度から。流れてきたボールをフリーで右足(アウト?)一閃。 ・左後ろ?からのクロスを下がりながらバウタザールのヘッド、割と遠くからゴール。 ■ユーゴ ・至近距離から右足で流し込んだアデミールの得点。 ・近くから右足でゴロでシュート、ジジーニョ。 ・左足で狭いニアに蹴りこんだファインゴール、アデミール。 ・ループスルーパスでGKと1vs1をあっさり決めた。
<大会前情報>
・58→62のスタメンがほぼ不変だったのと対照的に、前回54年W杯メンバーの生き残りはわずか5/22人。
 →GKカスティーリョ、CDFマウロ、RBジャウマ・サントス、LBニウトン・サントス、OMFジジ。

・このとき出番が無かったのはマウロ1人で残りの4人は3試合フル出場。

・ニウトンSとカスティーリョは50W杯にもメンバー入りしていたが、このときは出場機会なし(文献によってはここの記載に誤りがある)。

・54年W杯時にブラジルのベストプレーヤーと言われた右WGのジュリーニョは、55年にフィオレンティーナ移籍した影響で代表落ち。W杯本選での代表合流を打診されたが、予選で出場していないためジュリーニョ側が遠慮したという。

・W杯予選で活躍したCDFのエヴァリストは57年にバルセロナに移籍。W杯本選に出場する約束をバルセロナと交わしたが、スペインのW杯不出場によりバルセロナ出場のカップ戦がW杯期間中に開催となり、バルセロナ側がチーム離脱を拒んだ。

・左WGはカンホテイロかペペが出場すると思われたが、カンホテイロは素行上の問題と●により代表落ち。ペペはW杯前のテストマッチInter Milan戦での負傷と4-3-3への順応面での懸念により?、メンバー入りしたもののW杯では出番が無かった。


<大会中>
・大会が進むにつれ(3試合目から)、フラメンゴコンビの出番がなくなる。
 CDFのジーダ → ペレ、右WGのジョエル → ガリンシャ。

・同じく3試合目からDMFもジノ・サニ → ジトへ。言わばペレとのサントスコンビと言える。

・ ・有名なマゾーラ(アルタフィニ)→ペレ。 ・何気に全試合出場の左WG/OMザガロも大会前は1st choiceではなかった。  Canhoteiroの招集が規律面で見送られ、  Pepeが大会前のInter Milan戦で怪我(大会メンバーではあったが出番なし) ・右SBはジャウマ・サントスが有名だが今大会は出場1試合のみ。De Sordiが出場した。 ・Jijiのパートナーはジノ・サニからジトに変わった。 ババが最前線で伝統的なCFWの役割。 ペレはやや引き気味。 右ウイングのガリンシャ。左のザガロ。 ジジが攻撃め。後にレアルMでディ・ステファノと衝突。playmaker ジトが守備め。 右ジャウマサントス。 左ニウトンサントス。 オルランド。 ベリーニ。 ジウマール。 Jos(e) Jo(a)o Altafini(Mazola)当時19歳、初戦で2ゴール。 ★ババ ・CFW。中央よりやや左側でプレーすることが多かった←→ペレ。
★ペレ ・当時はブラジル全国での大会は無かったため、リオの選手の殆どは代表で会うまでペレのことは知らなかったという。 ・第3戦から出場。中央よりやや右側でプレーすることが多かった←→ババ。 ★ザガロ ・前述の通り、カンホテイロとペペを抑えて左WGとしてフル出場。 ・W杯の1か月前にセレソンデビュー。この親善試合パラグアイ戦で躍動し2ゴール。 ★ジーダ ・ジーコにとってのNo.1アイドルと言われるフラメンゴの英雄的ストライカー。 ・ザガロによるとジーダは怪我を抱えてW杯に臨んでいたという。 ★ジノ・サニ 途中でスタメン落ち。 ペレとサントスの僚友。 4年間ACミラン。マン・オブ・ザ・マッチに。 読売ヴェルディで与那城ジョージの補佐。58年サントス組ではペペも読売に来たね。 62年はマイナーチェンジ。58年のような大会中の変更もそれほど無し。 ・ペレの怪我→代役アマリウドが活躍。 ・CBはゾジモとマウロへ。  オルランドはボカに移籍して代表落ち。  キャプテンはベリーニからマウロへ。 左のザガロがより引き気味で4−3−3とも見える。 ・決勝戦でガリンシャの出場停止が取り消される。 ○2-0Mex: △0-0Chz:ペレ大腿筋肉を負傷。



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