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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第96杯「判官びいき」と「浪花節」

「判官びいき」という言葉は、弱い方に味方・肩入れする、同情する、応援する、という意味で使われています。日本人の特徴的な心情といわれています。判官とは、平安時代の検非違使の尉のことですが、「判官びいき」の判官は、九朗判官と呼ばれた源義経のことを指します。源義経は平家討伐で功績があったのに、兄である源頼朝から恨まれ迫害されて、不遇な最期を遂げたことから、人々が義経に同情して、ひいき(贔屓・肩入れして優遇すること)したことから、「判官びいき」という言葉が生まれたとされています。

日本人は、スポーツの試合でも「判官びいき」であり、負けている方、実力的には劣る方を応援する傾向があると思います。例えば、高校野球で強豪校よりも、地方の無名校を応援することなど。「やせ蛙負けるな一茶これにあり」小林一茶の有名な俳句です。体が弱く病弱な長男を勇気づけるために詠んだとされています。この句が後世に伝えられたということは、日本人は「判官びいき」なのでしょう。

「浪花節」という言葉があります。浪花節で語られるように、義理人情を重んじ、行動すること、銭・金では動かないことをいいます。例えば、FA宣言すれば年棒が高額になるのに、年棒が安くても長年世話になったチームに残留することでしょうか。また、ヤクルトの高津監督の采配は、功績のあるベテランの起用法が絶妙で、ある意味、浪花節的です。FAの権利を取得した選手を自由契約にしてしまう日本ハムとは好対照です。

弁護士は、「判官びいき」を仕事にできるところが良いところです。ただし、裁判で社会的弱者が社会的強者に勝つ、番狂わせを起こすことは、口で言うのは簡単ですが、心情だけでなく客観的な根拠がなければ非常に難しいことです。弱い方に味方して肩入れしても、弱者は敗者になる、また、救済されないことが多いのが現実です。満足できる結果が出なければ、やらない方が良かったことになり、味方して肩入れすることがかえってあだになり、依頼者の不満が大きくなることもあります。それでも、銭・金ではなく、浪花節・手弁当で仕事をすれば、依頼者は納得すると思いますが、それでは弁護士事務所の経営が成り立ちませんので、そういうわけにはいきません。手弁当で仕事をするのは例外です。「判官びいき」「浪花節」は、理想ですが、これらを貫くのはとても難しいことです。