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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第80杯「ぼくの先祖」

自分のルーツを知りたくなって、父方の戸籍を遡って調べたことがあります。

現存する最も古い戸籍は、江戸時代後期のものでした。それによると、父方の先祖は現在の長野県の軽井沢あたりで暮らしていたようです。その後、富山県に移動し、明治40年、祖父が5歳の時に北海道に渡り、現在の占冠村双珠別に移住しました。

祖父は営林署に勤めていたと記憶していますが、先祖がどのような仕事をしていたのか、なぜ、北海道に移住したのかはわかりません。「小林」姓は長野県に多いこと、武士や商人で「小林」姓はあまり聞かないこと、家紋はありふれた「五三の桐」で、どこの誰だかわからない人が、紋付を着るときに用いられる家紋とされていることからすると、先祖は、長野県軽井沢近辺の農民であったと思われます。

軽井沢にある浅間山は江戸時代に20回噴火したとされ、噴火のたびに飢饉に見舞われていたことからすると、先祖の暮らしは苦しかったものと推測されます。家督を継がない三男坊が、生活苦に耐えかねて、富山県に移住し、その後新天地を北海道に求めたものと思われます。占冠村双珠別という土地は、現在でも、北海道の最寒地の一つであり、山あいにありますので、移住者の暮らしは厳しかったものと思います。おそらく、山あいに小さな畑を作って営農し、山林を管理し、炭焼きをして生計を立てていたのではないでしょうか。

祖父は営林署に勤め、父の兄弟も公務員等で僻地で堅い仕事に就いていた人が多いので、先祖は真面目で欲がなく、目立たない人だったと思います。父は郵政関係の公務員で、母は教員で、やはり公務員でしたから、おそらく、労働組合関係の活動を通じて、知り合ったものと思います。こうしてようやく、ぼくまでたどり着きます。

父方の真面目で欲がない性格に対して、母方は若干頭がキレるので、学歴、出世等で上昇志向が強い性格であり、その2つの性格が自分の中に並存していることになります。すなわち、ぼくは、衣類に金をかけず、装飾品は身に着けず、いつも同じ格好をし、家庭菜園では手入れしなくてもできるものを栽培し、日常は、真面目につつましく生活しています。

他方で、興味のあるものには徹底的に凝り、人に影響されず独自の路線で、金と時間をかけて執着する傾向があります。司法試験の受験、弁護士稼業、居酒屋巡り、高校野球の観戦などがその例です。