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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第73杯「親の仇(かたき)」

ぼくは、高校に入ってから数学が苦手になり、理系に進むことを断念し、文系に進むことにしました。そして、司法試験を受験して弁護士を目指そうと思ったのです。司法試験は最難関の国家試験とされていましたが、数学よりは簡単だろうと高をくくっていました。 ぼくは司法試験に強い中央大学に進みました。大学3年のころ、1学年下の後輩で、自分は司法試験に合格して、親の仇を討つと言っている者がいました。聞けば、後輩の父親は40歳過ぎまで司法試験を受験し続けて、断念したそうです。ところが、後輩の祖父が高齢になり、少し認知症が入ってきたのか、息子である後輩の父親に「今年は(司法試験は)どうだったんだ?」と尋ねるようになった、亡くなるまで尋ねていた、それを見ていたから、自分が司法試験に合格して仇を討ちたい、と言っていました。司法試験は親の仇なのです。少し大袈裟ですが、当時の司法試験は一生をかけたもの、親や子どもの人生にも影響があったのです。ぼくは、大学4年の時から司法試験を受験したのですが、その直前に初めて第一関門の択一試験(60問5肢選択マーク式)の模擬試験を受け、全力で解いて、結果は14点で下に3人しかいませんでした。これはショックでした。5肢選択式なので適当にマークしても20%の確率で正解になります。60問あるので12点は取れるわけで、全力で解いて14点とは全く話になりません。当時2万人以上が司法試験を受験し、中央大学出身者は5000人以上受験していました。中央大学の最終合格者は80名位でしたから、択一模試でほぼ最下位の自分が最終合格するのに一体何年かかるのだろうと思い、夜空を見上げて、合格は月よりも遠いと思いました。実際、40歳を過ぎても受験を続けている人が何人かいて、20年勉強しても合格できない人がいる現実に恐怖を覚えました。こんな話もあります。ある司法試験合格者が交通事故に遭遇して受傷し、全治3か月で入院しました。見舞いに行った者が「司法試験の受験生活と交通事故での入院生活とではどちらがツライか」尋ねたところ「受験生活」と即答したそうです。 幸い、ぼくは、時間はかかったけれど、合格できたので、両親が認知症になる前に朗報を伝えることができ、あの世に行くまで心配をかけずに済み、長男には、ぼくの仇を討ってもらう必要はなくなりました。それだけで十分です。