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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第52杯「うちは貧乏」

ぼくは小学生のころ、「うちは貧乏」だと思っていました。なぜなら、うちには自家用車がなく、テレビも15インチの小さなものしかなかったからです。

車がなかったので、当然、市内の移動にはバスを、市外への移動には国鉄を使っていました。学校行事の帰りとか、友達の親が厚意で車に乗せてくれることがあったけれど、これが嫌だったな。バスで帰った方が気楽でした。今でも、当時の生活習慣が染みついており、市内での移動は、出来る限りバスを利用します。車で出かけないことで、外食する際に飲酒できるし、酒屋等で試飲や立ち飲みを楽しめます。出張したときも、時間があるときはタクシーを使わず、路線バスや電車等の公共交通機関を利用します。路面電車があれば、必ず乗車します。路線や時刻表を調べる楽しみがあってオツなものです。行き先は決まっていますが、興味をそそるものがあれば、途中下車して行ってみます。車がなかったので、ぼくは、できる限りバスと徒歩で移動したい、筋金入りの「バス愛好者」となりました。

テレビが15インチと小さい上に、あまりテレビを見ない家風だったのか、ぼくは、怪獣ものをテレビで見た記憶があまりありません。「帰ってきたウルトラマン」が金曜夜7時から放送されていたのは覚えています。もっとも、何で「帰ってきた」が付くのかは分かりませんでした。怪獣ものをあまり見ていないので、幼稚園のお絵かきの時間に怪獣の絵が描けなくて困ったことを鮮明に覚えています。その後も、ずっと絵を描くのが苦手で絵心のかけらもありませんでした。また、手先が器用ではないので工作も楽器も苦手で、夏休みの宿題で絵日記とか工作を課されるのは厳しく、とても苦労しました。夏休み終盤にまとめて描いたり作ったりするので、まともなものはできたことがありません。リコーダーやピアニカは全く上手にならず、ピアニカで演奏できたのは「きたかぜさん」と「きらきら星」くらいで、歌詞をドレミ式音名に書き換えて覚え、鍵盤にもドレミファソラシと書き込んで、ようやく演奏できました。40年以上経った今でも「きたかぜさん」のドレミ式音名を覚えています。苦手意識は大変なものでした。要するに、ぼくは生まれつき芸術的な才能に乏しく、テレビが小さい上に、あまり見なかったことで乏しい才能は全く開花しなかったということでしょう。