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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第45杯「偉人」について

ぼくは、「数学」は苦手だったのですが、「数字」には異常な興味をもっており、小学校に入る前から世界の国々、日本の都道府県・市町村の「人口」や、歴史上の人物(偉人)の「生没年」等の数字を百科事典から抽出して整理していました。「人口」の多い・少ないランキング、「生没年」から没年齢を算出し、偉人の短命、長生きランキングを作ったりして楽しんでいました。ちなみに、当時作成したランキングによると、日本人短命偉人第1位は島原の乱の天草四郎の16歳であり、長生き偉人第1位は徳川家康側近の僧、天海の107歳です。また、外国人短命偉人第1位は中世期フランス百年戦争のジャンヌ・ダルクの19歳、長生き偉人第1位は石油王ロックフェラーの98歳です。「生没年」に関して、不思議に思ったのは「紀元前」という概念です。プラトンとかアリストテレスは、「紀元前」で生没年が表示されており、当時の人々は「紀元前」という年号を使い、毎年1年ずつ減っていくカレンダーを使っていたのかなと思っていました。古代ローマの皇帝オクタビアヌスは、紀元「前」に生まれて紀元「後」に没しており、紀元前から紀元後に切り替わるときのカレンダーはどんなものだったのか、とても気になりました。「偉人」の伝記本(偕成社・児童伝記シリーズ全50巻)もほとんど読破しました。「偉人」とはエライ人の意味と思っていましたが、当時、伝記本を読んでも、なぜエライのか分からなかった人もいます。例えば江戸時代後期の僧、良寛です。児童伝記シリーズの良寛の巻のサブタイトルは「子どもが大すきな、やさしい坊さん」で、毎日、子ども達と遊んで暮らし、食べ物は里の人にもらっていた人が、なぜエライのか分かりませんでした。後に良寛は「書」が有名と知りましたが、自己流で気ままに書いていたとのことなので、なぜ「偉人」とされているのか現在でも分かりません。人格者だったとは思いますが、歴史に名前を残すほどの人ではないような気がします。蛇足ですが、日本の場合、平均寿命が短い時代も僧呂は長生きで、粗食が長生きの秘訣とよく言いますが、これは誤りと思います。残っている肖像画からすると僧侶は総じて体格が良いように思われ、粗食と言いつつ隠れて栄養のあるものを食べていたのではないかと思います。栄養学の上でも粗食では長生きはできません。