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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第107杯「人生の分かれ道」

居酒屋で飲んでいると、いろいろな職種の人と他愛もない会話ができるのが良いところです。あるとき、高校時代の成績について話題になりました。

言い出したのは某医師であり、高校時代の成績が今一歩だったことを今でも気にして悔いているようであり、「下から数えた方が早かった」ことは事実らしいのですが、そのような表現には抵抗し、「真ん中位だった」と強弁していました。

ぼくは、成績は悪くはなかったが、特別良かったわけでもなく、今の時点では、あまり関心がなく、どうでもよいと、言いました。

高校で部活動の顧問を務めて全国大会に導いた某教師が「俺は高校時代400番以下だった」と言った上、某医師に「今、成功しているのだから、そんなにこだわらなくていいじゃない」と申し向けましたが、某医師は耳を貸さず、やはりこだわるようでした。

そういえば、70歳を過ぎた関西出身の某弁護士は「高校入学時は200番だったが、その後すぐに30番以内になり、大学受験時まで、それを維持した結果、京都大学に現役で合格した」と言っていたことを思い出しました。古稀になっても鮮明に覚えているのだから、高校時代の成績は、一生ものなのだと思います。大学のブランドについても同じで、こだわる人は、一生こだわるものなのでしょう。

ぼくの場合は、大学受験浪人しても国立大学には合格できませんでした。某有名私大には合格しましたが、地味な中央大学を選択しています。当時は、国立大学に合格できなかったことに悔いが残っていました。また、司法試験になかなか合格できなくて、某有名私大に行って就職した方が良かったなどと考えたりもしました。その後、司法試験に合格できたので、そのようなことは考えなくなりました。他の大学に行っていたら司法試験を目指さなかったかもしれないし、目指しても合格できなかったかもしれません。中大での様々な人との出会いがなければ司法試験に合格できなかったと考えており、中大を選択して良かったと思っています。したがって、高校時代の成績や大学のブランドは良いに越したことはないという程度の認識で、あまり興味がありません。

大学選択は、ぼくの人生の最初の分かれ道で、司法試験合格につながる選択ができましたが、司法試験合格への道のりは長くて厳しく、分かれ道に差し掛かって選択を迫られることもありました。折に触れて述べます。