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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第4杯「背水の陣」

平成7、8年も論文試験に合格できませんでした。司法浪人生活も8年目となり、30歳になってしまいました。このころ、突然、花粉症を発症し、毎年2月末から4月末まで症状がおさまらず、勉強に多大な影響を与えました。また、年齢とともに試験の時にプレッシャーがかかるようになり、試験の最中に考え過ぎた結果、裏目の答案を書いて失敗する傾向にありました。そこで、思い切って、今までの自分の受験勉強方法論を一旦全部捨て、一からやり直すことにしました。具体的には、暗記重視・詰め込み式をやめて、基本的知識から推論するスタイルに変えたところ、答案練習会では、成績優秀者の常連となり、合格しないとおかしいといわれるところまで行きました。そのような状態で、平成9年度の司法試験を迎えるのですが、油断したのか、年齢のせいなのか、はたまた、花粉症のせいなのか5年連続で合格していた択一試験に落ちてしまいました。この辺りから、脳力・体力とも下り坂となり、以後、本当に苦労しました。平成10年度は、択一試験に復活合格するので精一杯で、論文試験時にピークを合わせることができず、今一歩の出来で、不合格でした。平成8年度から、合格者700名の2割程度を受験回数3回以内の受験者に優先的に割り当てて合格させる制度が導入され、総合順位で自分よりも下の者が合格する現象が生じるようになっていました。平成12年度からは、選択科目が廃止され、民事訴訟法と刑事訴訟法が必修となることが決まり、平成11年度に合格できないと、考査委員の追っかけまでして強化した国際公法が無駄になる一方、刑事訴訟法を一から勉強する破目になります。猛烈な逆風が吹き荒れ、非常に追い詰められました。

合格できなかった場合の身の振り方を考えるようになり、酒好きなので、杜氏を目指して酒蔵に住み込みで働けないかなとか、北海道に帰って農場や牧場で住み込みで働くとか、青年海外協力隊に志願して国連の平和維持活動に参加するとか、そんなことを考えていましたが、結局は、司法試験続行の方がまだ確率はいいだろうと考え直す毎日でした。平成10年度も不合格になって、環境を変えた方が良いのではと思い、住み慣れた中大近辺(多摩センター)から、司法試験会場である早稲田大の裏(西早稲田)に引っ越しました。受験会場、受験予備校、全て徒歩で行けるようにして、背水の陣を敷きました。