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世論遊論 『酒と泪と男と司法試験』

第1杯「司法試験-こんな試験だった」

「なぜ弁護士になろうと思ったのか」と、よく聞かれます。ぼくは、数学と物理がどうも苦手で、旭川東高2年から3年になるときに、文系を選択しました。ちょうどその頃、北海道知事に選出された横路さんが弁護士ということもあって、弁護士という職業に漠然とした憧れを抱きました。社会的弱者や少数者の力になれる―。それに、弁護士は事務所を構えて独立できる、地方自治に参加して、地元のための仕事もできると考えていました。そこで、当時、「弁護士の4人に1人は中央大」と言われ、司法試験に強かった中央大学に入学しました。

中大に入学したものの、司法試験がどういう試験なのか、全然知らず、六法全書を覚えればなんとかなるだろう程度に考えていました。就職活動の時期を迎え、バブル景気全盛のころで、就職が良かったので、学生時代には司法試験を目指していた人も、大方、就職しました。ぼくは、あまり勉強していなかったので、司法試験の難しさを知らなかったし、いずれ北海道に帰ろうと考えていたので、東京での就職には興味がなかったこともあり、安易に司法浪人を決めてしまいました。

当時の司法試験は、①択一(5肢選択マーク)式(5月第2日曜日実施、憲法・民法・刑法各20問)②論文式(7月下旬3日間実施、憲法・民法・刑法・商法・訴訟法選択・法律選択の6科目各2問2時間)③口述式(10月中旬、6科目を1日1科目ずつ実施)の3段階で①択一式は約6倍、②論文式は約7倍、③口述式は1.1倍、合格率は2%ほどでした。中大・早稲田・東大の3強時代でしたが、中大は5000人受験して80名、早稲田は3500人受験して80名、東大は1700人受験して80名が合格するような状況でした。大学4年の時(平成元年)に初めて択一式の模擬試験を受けたところ、数千人中、下から4番目で、これは合格までに何年かかるのだろうと思いました。この年、初めて司法試験の択一式を受験しましたが、当然のごとく不合格でした。この後は、真面目に勉強して、受験しましたが、卒業1年目も2年目も択一試験に合格できませんでした。このころは、全く合格が見えず、安易に司法浪人したことを後悔したものです。

酒の味を覚えたのは、司法浪人してからで、友人の兄貴に飲ませてもらった緑色のボトルに入った黄色いスコッチウィスキーを気に入り、自分で探して買って飲むようになりました。