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北海道経済 連載記事

2012年7月号

第28回 疑わしきは罰せず?罰する?

最近の名張毒ぶどう酒事件の再審請求取り消しをめぐって注目を集めた「疑わしきは罰せず」との原則。今回は、この原則が、刑事裁判では必ずしも厳格に適用されるとは限らず、むしろ民事裁判で反映されている傾向について。(聞き手=北海道経済編集部)

刑事裁判には「疑わしきは罰せず」という大原則があります。冤罪は被告人の人権に回復不可能な侵害をもたらすため、刑事裁判は慎重に行うべきであり、「間違いなくこの人物が犯人だ」という確証がない限り、有罪判決を言い渡すべきではないという意味です。

ところが、数多くの刑事裁判に被告人の弁護士として関わってきた経験から言えば、現実の法廷でこの原則がどれだけ徹底されているのかは疑問です。前科のある被告、とくに暴力団関係者に対しては、「疑わしい」だけで有罪判決が言い渡されているのが現実です。例えば、薬物事件の裁判で被告人が「飲んだ酒の中に薬物が入っていたのに気が付かなかった」と主張し、別の人物が酒の中に薬物を入れたと証言したとしても、被告人に同種前科があれば自発的に飲んだと認定され、有罪判決が言い渡されています。

交通事故等の過失犯にも、「疑わしきは罰せず」の原則が適用されにくい印象があります。被害者が死亡して、目撃者がいないうえに物証が乏しく、被害者の一方的な過失によって事故が生じた可能性がある場合でも、被告人の過失行為が事故の直接的な原因になったと認定され、有罪判決が言い渡されることが少なくありません。これは被害者や遺族の処罰感情に、裁判官が配慮しているためでしょう。密室で起きた性犯罪の刑事裁判で、被害者の証言が全面的に採用され、「疑わしい」被告人に厳しい判決が言い渡される傾向にあるのも、被害者の処罰感情に配慮した結果と言えます。疑わしいが絶対的な証拠のない被告人を原則通りに無罪放免していたのでは、社会が納得せず、司法制度への支持が揺らぐことも避けられません。このような現実を前に、原則が棚上げされているのが実態です。

奇妙なのは、刑事裁判でより厳格に適用されるべき「疑わしきは罰せず」の原則が、むしろ民事裁判において、立証のハードルを高くする形で反映されるケースが目立つということです。ある会社で経理部長がお金を使い込んだとしましょう。会社が返還を求めて経理部長を訴えたとしても、民事裁判で返還が命じられるのは、経理部長が遊興費に当てたことが領収証で証明されている場合など、完全な「クロ」の部分に限られます。消去法からすると使い込んだ人間が経理部長以外に考えられない場合でも、原告である会社が実際の使い込みを領収書等で証明しなければ、経理部長に返還を命じる判決が言い渡されることは、ほとんどありません。被告である経理部長は、正当な用途にお金を充てたことを立証する必要さえなく、端的に言えば「わからない」「知らない」と法廷で述べるだけで充分です。不正行為を証明する責任が原告側にあるためです。

「疑わしきは罰せず」という原則が、むしろ民事裁判に反映されていることについては、社会正義の観点から疑問であることが少なくありません。薬害C型肝炎の被害者が高い立証のハードルの前に敗訴した例もあります。被害者の救済という観点からすると民事裁判に「疑わしきは罰せず」の原則を反映する形で立証のハードルを高くすることは、本末転倒というのが、私の率直な思いです。