科学夜話

 矛と盾と書いて矛盾。
 科学は日常に潜む矛盾を見つける事で発展してきたと言える。

 矛盾、すなわちパラドックスを言った第一の人は、ギリシャのゼノンだ。故に、ゼノンのパラドックスは殊に有名である。
 ゼノンはいくつかのパラドックスを説いたが、最も知られているのが「最も速き者が最も遅き者に追いつけない」というアキレスと亀のパラドックスだ。その内容は、いちいち書く必要が無いほど人々に知られている。いやはや・・・・・

 なぜアキレスは亀に追いつけないのか?
 これは、ギリシャ時代は時間についての概念が未発達だった事に起因する。ギリシャ時代の時間の最低単位は一日だ。特殊な例として、日の出から正午までと、正午から日没までの半日があったくらい。
 ゼノンは、時間の概念を外して議論を組み立てた。移動にまつわる変数は三個ある。移動する距離、移動する速度、移動する時間の三個だ。3っつの内、どれかひとつが欠けても、議論はパラドックスに陥る。
 アキレスと亀の競争が、エジプトのアレキサンドリアからギリシャのアテネまでなら、当時でも議論が可能だった。アキレスは1日に40キロ走り、亀は1日に1キロ歩く。亀が100キロアテネよりから出たとして、アキレスは3日目に追いつき追い越している・・・・という具合だ。
 しかし、これがコロセウムの中に入ったとたん、議論が成り立たなくなる。アキレスも亀も半日以内に100メートルを走ってしまう。誰の目にもアキレスの足が亀より速いのは明らかなのに、数学的に論証できないのだ。当時の時間の最低単位内に決着がついてしまう競争は、以後永きにわたってタブーとされた。

 アキレスと亀の競争に決着がつくのは、分秒を計れる機械時計が発達してからだ。アキレスは1秒に10メートルを走る、亀は1分に1メートルを歩く。さて・・・・という具合に、現代では両者の競争にパラドックスは生じない。


 日常の中に疑問を持ち、矛盾を発見した人ではガリレオ・ガリレイが有名だ。
 ある日、彼は教会の天井を見上げ、シャンデリアが規則正しく揺れるのに気づいた。振り子の等時性を発見した瞬間だった。
 ふりこの等時性の発見は機械式時計の発達を呼び、分を計れる時計を人間は手に入れた。
 振り子を研究する内に、彼はアリストテレス以来の落体論に矛盾を見いだした。
 ギリシャの哲人アリストテレスは言う、物は自身の重さに等しい力で下に落ちる、と。だが、振り子の振幅間隔は錘の重さに依存せず、吊りひもの長さに比例するのだ。大きな矛盾の発見である。
 従来の議論では、重い物はより速く落ちるはずである。したがって、より重い錘をさげた振り子は速く振れるはずだった。
 ピサの斜塔で実験したら、重い物も軽い物も同じ早さで落ちてしまう。矛盾の存在を実験で明らかにする実験科学の始まりだ。
 実験を繰り返し、ガリレオは加速度と慣性の概念を作り、ギリシャから続いた落体論を拡張して、物体が前後左右上下に運動する様子を記述する方程式を編み出した。それまで漠然と考えられていた力の作用と物体の運動に、数学的な裏付けを行った。今日、ガリレオの相対性原理と呼ばれるものだ。

 ガリレオは自身の理論を拡張して天体の運行を説明しようとした。
 慣性の法則をあてはめ、地球の自転を人間が知覚できない事は、比較的簡単に説明できた。天空の回転速度が365分の1になった。画期的な事だった。
 当時、すでに地球と月、地球と太陽の距離や大きさの比較が、かなり正確にわかっていた。太陽は地球よりはるかに大きく、小さな地球を中心にして太陽が回るのは理屈に合わないと考えた。しかし、地球が太陽を巡る公転を知覚できないのは慣性の法則で説明できても、落体の法則と公転の間には深刻な矛盾を生じた。
 物体が地球の中心に向かって落ちる落体の法則に従い、月が地球に落ちてこないのはなぜか? 地球が太陽に落ちないのはなぜか? 当時は、天の法則と地の法則が違うと考えられていた。
 ガリレオは実験で、静止している大地の上と動いている船の上で運動の法則は変わらない、と確認していた。この結果から、大地の上でも天上でも運動の法則は同じと確信していた。落体の法則も変わらないはずだった。しかし、月は落ちてこないし、地球は太陽に落ちないのだ。
 ガリレオの一派は、当時の常識を代表するカソリック教会と対立し、そして敗れた。


 ガリレオから少し遅れて、天体の運行に関する重大な理論が登場した。
 ケプラーの法則だ。
 膨大な天体観測のデータから導き出された結果は、惑星は楕円の軌道をとり太陽は楕円の焦点にある。軌道中の惑星の速度は太陽の近くでは速く、遠くでは遅い。
 数学者は、ケプラーの法則から天体間の遠隔作用の方程式を引き出した。太陽と惑星は未知の力で引き合っている。力の大きさは惑星の重さに比例し、距離の二乗に反比例する。
 ハレーは天体を観測しながら悩んでいた。時折、不定期に太陽に接近する天体がある、彗星だ。
 彗星にもケプラーの法則は当てはまるだろうか?
 ハレーの問いに、アイザック・ニュートンは答えた。その問題は解決している、と。
 ニュートンは、ガリレオの落体の法則とケプラーの法則の両方を知っていた。ふたつの方程式は、とてもよく似ていた。地の方程式と天の方程式の相似は偶然か、必然か。
 ニュートンは結論した。二つの方程式は同じものだ、と。万有引力のアイディアで、二つの方程式をひとつにした。木から地面に落ちるリンゴも、地球を回る月も、太陽を回る地球も、そして彗星すらも同じ方程式で運動を記述できるようにした。
 地球の自転と公転を矛盾無く説明できる時代の始まりだった。


 ニュートンの理論は良くできていたが、説明できない現象も多かった。「波」はニュートンを悩ます問題のひとつだった。
 ニュートンは音速の研究で成果を上げ、光の研究では反射望遠鏡を作るなどの事もした。波は部分的にガリレオの相対性原理に従いながら、作用の衝突や合成といったところで別の様相を見せた。ひとすじ縄では、波の正体にせまれない時代だった。
 当時は、空気や水は連続体と認識されていたので、物体の中を摩擦も無く通過できる特別な性質を考えなければならなかった。
 音や光と同様、熱もやっかいだった。熱を伝える何物かとして、「熱素」が考えられていた。ろうそくで実験すれば、熱は光と同じように速いもので、鏡で反射させる事すらできる。しかし、物体に浸透して温度を上げるあたりは、光とまったく違う性質をもつ。同じ物で熱い時と冷たい時で重さが変わらないので、熱には重さが無いらしい。加熱すると、ほとんどの物は膨張するので、熱には一定以上の大きさがあるようだ。重さは無いが、大きさはあると推測された。

 ニュートンの死後100年、天体の観測から光の速度は有限であるとわかった。光速度を確定しようと、多くの科学者と技術者が競う時代が始まった。
 同時代から、磁気と電気にまつわる研究も始まった。やがて、磁気と電気と熱と光が相互に変換可能なエネルギーとして認識が深まっていった。

 ニュートンの理論と電気磁気の理論には、深刻な矛盾があった。ふたつの理論をつないで、矛盾無く説明できる仕組みを見つける試みが始まった。整列した重さの無い微細な粒子が仮定され、「エーテル」と名付けられた。力が粒子から粒子へ伝わっていく様子が「波」として観測される、という理屈だった。
 19世紀末にマイケルソンとモーレーがエーテルを観測しようと、大がかりな実験を行った。地球はエーテルの中を動いているから、極方向と赤道方向ではエーテルに対する相対速度が違うので、光速はわずかに違うはずと推定し、その速度差を検出しようとした。これ以上は無いという精度の設備を用いながら、ついに光速度の差は観測はできなかった。
 なぜ、速度差は観測できなかったのか? ローレンツが巧妙な方程式を編みだし、観測装置がエーテルの圧力で縮んだとした。しかし、これによって、光ではエーテルを観測できないジレンマに陥った。

 時代は20世紀に入った。スイスの特許局に勤める若者が、小さな論文を書いた。電磁気学の見地からガリレオの相対性原理を見直す内容は、結論としてローレンツが作った方程式と同じものだった。しかし、縮んだのは装置ではなく時間だったとして、エーテルの仮定を必要とせず、観測結果の再評価を求めるものになっていた。
 学生時代の彼を怠け者と評した大学の老教授は、論文の内容に驚き、賞賛した。アルベルト・アインシュタインが物理学の第一線へ華々しくデビューした。
 後に特殊相対性理論と呼ばれるようになる論文は、著者自身が予想もしなかった深さと広がりをもっていた。辺縁部が光速に近い速度で回る回転体の上で、ユークリッド幾何学に反する状態になると予測された。時間どころか空間にたいする認識も改めなければならない。さらに、質量とエネルギーが相互に変換可能とも予測して、量子力学的観測で放射線崩壊で起きる質量保存則の破れすら説明した。

 事態の拡大を他人まかせにせず、アインシュタインは理論の一般化を目指した。ガリレオの相対性原理を見直す理論の一般化とは、ガリレオの原理を下敷きとしたニュートンの理論を見直す事となった。
 必要な数学的道具はすでにそろっていた。怠け者の学生だった者にとって幸いだった。
 ドイツのガウスとリーマンの師弟が、非ユークリッド幾何学を曲がった空間の幾何学としてまとめあげていた。絶対幾何学とも呼ばれる新しい数学を、アインシュタインは友人グロスマンの助けをかりてものにした。万有引力を空間の曲がりとして、記述し直したのだ。
 一般相対性理論は光を物差しにして世界を測る新しい理論の登場だった。以後、神の視点から世界を測る理論は科学の最前線から退場した。


 アインシュタインの相対性理論はよくできていたが、ミクロの空間と物性を扱う量子力学とは相性が良くなかった。空間の曲がりはマクロな宇宙を表すには良かったものの、ミクロな世界では空間の曲がりは議論すらできない。量子力学はニュートンの理論へもどって、万有引力を重力量子として扱おうと試みるしまつだ。
 科学者たちはケースバイケースで相対性理論と量子力学を使い分けしながら、綱渡りのように世界を理解しようとしている。
 相対性理論の解には、時折「無限大」や「無限小」が出てくる。量子力学では、このような解は理論の発散と呼ばれ、理論そのものが間違っているとされる。
 相対性理論で無限解が多く出るものでは、ブラックホールが有名だ。ホールの中心では物質密度が無限大で重力も無限大、大きさは無限小の特異点が表れる。量子力学的解釈なら、理論が破綻していると批判されるところだ。観測不能の現象ゆえ、未だに理論は訂正されずにいる。

 相対性理論と量子力学をむすぶ努力はいくつかある。
 光線、または空間そのものを一定のルールで折りたたむと素粒子になる、とする考え方は代表的だ。問題は、おりたたむルールの構築だ。
 従来の量子力学では、素粒子を仮想的に無限小の点としてあつかっていた。理論の発散として最も忌み嫌う状態を許してきたのだ。素粒子の大きさを有限にできれば、多くの困難が解消して、相対性理論との橋渡しも簡単になるはずなのだ。
 量子を固い粒子とせず、一定の空間に影響をおよぼす雲のような存在とする一派もある。雲と言っても、それはものすごく小さいもので、ほとんど点に等しい大きさなのだけど。
「ひも理論」も、量子の大きさを有限にしようという試み。ひもの振動が量子の種類を表すとして、10次元とも26次元ともいう高次空間の数学と格闘する者もいる。

 相対性理論のロマンチックな予測で、タイムマシンは人々の興味をそそる。時間を見直す理論は、ついに時間の逆転すら可能という一派があるのだ。量子力学では因果律の破れとして問題が提起されるところ。
 原因があって結果がある、物理学における因果の法則は数学的ではない。原因と結果をイコール記号でむすぶのが数学的な美しさなのに、現実世界の原因と結果は一方通行で相互に変換できない。
 相対性理論は数学的に組み上げられているので、時間の流れをひっくり返しても成立する。量子力学では確率の概念を強く用いて、時間軸の非可逆性を主張する。無理矢理過去にさかのぼっても、確率がはたらいて同じ過去へは行けないと言うのだ。
 多くの科学者は、タイムマシンについては量子力学の見解を是としている。過去から現在に至る確率と、現在から過去へさかのぼる確率をピタリと一致させる「ハインゼンベルグの悪魔」とも言うべき存在ならば、タイムマシンは可能だろう。

 重力を空間の曲がりとして表した理論は、時間の流れを逆転させて反重力の存在を想起させる。ブラックホールに対するホワイトホールは代表例だ。
 アインシュタイン自身も、この問題は感じていたようだ。宇宙論を展開する時に、重力場だけでは宇宙がつぶれてしまうのを防ぐため、重力に対抗する斥力を方程式に加えている。ハッブルが宇宙の膨張を発見して、加えた斥力の項を削除する事態になった。
 方程式の数学的対称性から見れば、重力が引っ張るだけというのは違和感が残る。観測事実として、重力は一方向の力で電磁気力のような双方向性は無い。困ったものである。

 重力波は空間を光速で伝搬するという。同じく光速で伝わる電磁波と、どう違うのだろう。数学的には、空間を同じ速度で伝わる力が複数種類あるという状態は、おもしろくない。
 あえて違いを探すなら、電磁波は物体を押すプラスのエネルギーであり、重力波は物体を引っ張るマイナスのエネルギーだ。人間は電磁波をあやつる数々の手段を手に入れたが、重力波は目途すら無い。


   

未完