科学夜話

「幾何学を解せざる者は、この門をくぐるべからず」
 古代ギリシャ、今から2500年前、ピタゴラス学派の門には三角形の図とともに、この文句が刻まれていたと云う。
 板の上に線を描いて、それを直線と見なして議論ができるか? あるいは、このへんが曲がっていて直線ではない、と突っ込みをいれるか? そこが、幾何学を解する者と解せざる者の差である。

 ピタゴラス以前の幾何学は、どうだったのだろう?
 幾何学とは測量術であり、また建築術の一部であり、また天文学の一部であった。
 ギリシャ以前の幾何学は、直線にまつわる学問だった。直線を考察し、直線を征服するために、多くの労力が費やされた。直線を語らずして、幾何学を語るべからずだ。
 二本の直線の交点として、直角があった。直線と直角を考察した究極の成果が、あの巨大なピラミッドだ。

 直線とは何か?
 離れた二つの点を結ぶ真っ直ぐな線・・・・・では、表現として不十分。
 離れた二つの点を結んで、最短距離を表す線。
 最短距離、と言うところが重要だ。それ以外の線は曲線と分類される。そうした分類がされたのも、ギリシャ時代である。

 現実の世界で、最短距離を求める方法が必要だ。
 三脚を立てて、糸を垂らしてみよう。糸は繊維のより合わせで、微妙に曲がりねじれている。糸の先に錘を付けてのばす。重力の助けを得て、縦の直線となった。
 横は、水を使う。溝を掘って水を入れると、横の直線が作れる。書いて字のごとく「水平」になる。
 このふたつの手法は、現代でも測量術の基本だ。

 もうひとつの道具は、北極星。天空の星である。
 ひとつの三脚を立てておく。南側の離れたところで、三脚の頂点と北極星が重なって見える位置を探す。
 北極星と三脚、そして観測者を結ぶ直線ができた。しかし、三脚と観測者の間の地面は凸凹なので、線を引いても凸凹だ。直線になっていない。
 ここで使う幾何学は、現代では投影幾何と呼ばれている。北極星と三脚、そして観測者を結ぶ仮想の直線に、真上から光を落とす。光の影が地面にできる。影は地面の凹凸のままの曲線であるが、真上から見下ろせば直線だ。こうして、地面に直線が引けた。
 ピラミッドの土台は、こうして測量された。
 三脚を東西に移動して、また北極星を観測すると、南北に走る平行線が得られる。
 東西に線を引くのに、星は使えない。春分の日と秋分の日には、太陽が真東から上り、真西に沈む。年に二回の機会では、工事に不適だ。
 平行線に直角に交わる直線を引くには、コンパスを使う。3対4対5の比率の直角三角形は、エジプトで多用されたので、これも工事現場にあっただろう。
 注意深い観測と作業で、一辺が150メートルにもなる正四角形が大地に作られた。

 石を切り出し、四角にする課程でも水が使われた。平面を出すためだ。
 石の表面に水を張り、水平面を基準として石を磨いた。窪んでいれば水が溜まる。出っ張りは水から出ている。ならして、平らにしてゆく。
 ピラミッドの土台も、同じく水を使って平らにした。石を積む土台が傾いていては、途中で崩れてしまう。
 すべて手作業だ。昔の人は根性があった。いや・・・・他の手法が無かっただけ。

 千年以上の時を経て、北極星を使う測量術は日本に伝わった。
 奈良や京都の南北にはしる大路は、エジプト伝来の技術だった。鎌倉は山に囲まれて北極星が見えないので、神社裏手の山の頂を目印として、大路が測量された。


 エジプト幾何学の成果を足場として、ピタゴラスは三本の直線で閉じられた三角形の研究ができた。
 四角、五角、六角・・・・と、直線で囲まれた多角形は、すべて複数の三角形に分解できた。任意に描いた三角形も、ふたつの直角三角形に分解できた。ピタゴラスにとって直角三角形は聖なる図形だった。
 三角形をふたつの直角三角形に分解する事は、後に三角測量へと進化する。
 残念な事に、ピタゴラスの時代、数は整数と分数だけであった。三辺の比が整数になる三角形だけが幾何学の対象だった。

 ピタゴラス没後、百年がたった頃、割り切る事ができない数として「無理数」が認知されるようになった。
 円周率や平方根の登場だ。計算法が確立した、とも言える。建築の世界では、アーチの設計が可能になり、ローマ帝国の建築物はアーチだらけになった。
 三辺の比が整数ではない、あらゆる三角形を測れるようになり、いよいよ三角測量が実用化される。
 とは言え、三辺がなす角度の関係を計算するのは、現代でも難儀なものだ。サイン、コサイン、タンジェントという三角関数の表が、実用的な形でつくられたのはピタゴラスから千年後のインドだった。

 インドで革命的な計算法が発明された。現代では一般的となった「十進法」だ。
 計算が劇的に速くできるようになり、三角関数表の完成は十進法のゆえだった。三角測量はあらゆる物を対象にできるようになった。
 地球の直径、地球と月との距離、月の直径、地球と太陽の距離、太陽の直径までが測量された。

 十進法と三角関数表がヨーロッパに伝わったのは、また時間がかかった。
 成果は、地動説となった。地動説の証明に、新しい計算法と精密な三角測量のデータが役立った。
 幾何学は完成したかに見えた・・・・・



 18世紀のドイツに天才が現れた。
 ガウス、磁気の強さの単位に名を残す人物だ。長年の慎重な推考の末、彼は幾何学の新しい可能性を見いだした。彼だけではなく、同時期のロシアにも同じ考えにたどりついた者がいた。
 三角形の内角の和は、180度ではないかもしれない。それが結論だった。
 三角測量は三角形の内角の和が180度であるのが大前提だ。それが違うなら、三角関数表は書き換えなければならない。地動説の証明がゆらぐかもしれない。

 ガウスは小数の生徒だけと研究を進め、三角形の内角の和が180度より小さくなる場合の幾何学を展開していた。この場合、任意の直線に対する平行線は1本だけではなく、何本でも存在しえる。常識が通用しない世界があった。
 ガウスは数学者というだけでなく、天文台の所長であり、地図を作る仕事もしていた。三角測量は重要な道具だ。大事なのは、実際の世界で三角形の内角の和は何度あるか、という事だ。
 
 ガウスの生徒であったリーマンが、地球の上では、厳密にはギリシャ以来の幾何学が成立しない事を明らかにした。地球が丸いためだ。時は19世紀になっていた。
 丸い地球に上では、三角形の内角の和は180度より大きくなる。一辺の長さが1万キロの正三角形を地球の上に描くと、内角の和は270度にまで広がる。
 リーマンは地球の上で成り立つ正しい幾何学を作った。球面幾何、あるいは楕円幾何と呼ばれるものだ。
 この世界では、二本の平行する線は存在できない。地球の上で言えば、平行を設定したはずの直線は、1万キロ先で交差する。二角形という、独特な図形になる。二角形の内角の和は360度より小さい。360度になると、二本の直線は重なって、一本になってしまう。長さは約4万キロだ。直線の長さに限界があった。

 リーマンは投影幾何を使い、球面と仮想的な平面との関係を研究した。そして、次の段階へと進んだ。
 師ガウスが研究してきた内角の和が180度より小さくなる場合と、ギリシャ以来の180度の場合と、自分が見いだした180度より大きくなる場合を統合できる、と考えた。統合のためには、幾何学は三次元だけでは足りず、任意のn次元まで拡張しなければならない。今日に、リーマン幾何、あるいは絶対幾何と呼ばれるものだ。
 ガウスは優秀な生徒を褒め、天文台の所長など、あらゆる名誉をリーマンにゆずった・・・・・
 ところが、リーマンは結核で若死にしてしまう。当時は死病だった。同時期、日本では沖田総司が結核で死んだ。
 地球の上での幾何学は解決したが、地球の外では未解決のままだ。
 地動説を証明したニュートンの万有引力理論は、外惑星の発見をうながし、いよいよ盤石のものになっていた。


 20世紀になり、リーマン幾何学を現実の世界で使う方法を考える者が現れた。アインシュタインだ。
 彼は新しい幾何学を現実の世界に当てはめるために、直線の定義を改める事にした。
 直線とは二点を結ぶ真っ直ぐな線・・・・ではなく、二点を結ぶ最短距離を表す線。これが、ギリシャ以来の定義だ。
 この定義を変更するために、アインシュタインは少し考えた。いやいや、ほとんど何も考えなかった。
 古代エジプトのピラミッド建設で行われた事を、現代の天文学者がしている事を、そのまま認める事にしたのだ。素直と言えば、実に素直なアイデアだった。
 天体が光を放つ、その光を望遠鏡で天文学者が見る。その光の経路が最短距離であるとした。地上に引いた線であれば、横から見て曲がっているか検証もできる。しかし、天体と望遠鏡を結ぶ線を横から見るのは不可能だ。
 観測可能な事柄だけが科学の対象である。天体の観測においては、光をもって最短距離を示す線とする事は、しかたないと言えば、他にしかたないのであった。

 光は時間的に有限の存在だ。
 従来の幾何学に時間の概念は無い。二点を結ぶ直線は、瞬間的に存在した。
 しかし、光は光源の星を出て、秒速30万キロで空間を進み、望遠鏡をのぞく天文学者の目にとどく。太陽の光は地球まで8分もかかる。となりの恒星からは4年半もかかる。
 またたく星と同じように、直線がユラユラ揺れる存在になってしまった。
 どのように、何によって揺れるか? それを明らかにするのが科学だ。

 物理的存在としての光は、エネルギーを持っている。そのエネルギーの量は周波数に比例している。
 そのエネルギーが問題なのだ。
 アインシュタインは先の特殊相対性理論を展開する中で、質量とエネルギーの関係を明らかにした。両者は相互に変換可能な物理量だ。見た目は違うものの、同じ性質を持っている。質量が慣性力を持つなら、エネルギーも慣性力を持っている。同様に慣性を持つなら、同様に重力の影響をうける事になる。
 光が重力の影響をうけるとして、どういう事が起きるのだろう。

 仮に直径が1光年ほどある惑星を想定してみよう。この惑星の表面重力は偶然にも地球と同じであるとしよう。
 地表に高さ10メートルの棒を立てる。棒の先端から、地面と平行にレーザー光線を発射する。標的は、30万キロ離れた所に立てた高さ10メートルの棒だ。
 直径が1光年もある惑星なので、30万キロという距離は平面の上と同じだ。
 さて、光は1秒間に30万キロ進む。地球の1G環境下では、物体は毎秒9.8メートルの落下加速度を得る。
 このため、標的の棒には、地上から20センチのところにレーザーが当たる。光が30万キロ進むうちに9.8メートル落下したのだ。
 その軌跡をたどれば、放物線になっている・・・・・とするのは、ニュートンの万有引力理論的見解。
 アインシュタインの一般相対性理論では、この光の軌跡は「観測可能な直線」であるとされる。観測可能な・・・・と言うところが重要だ。
 では、棒の先端どうしを結び、地上から10メートルを保った線は何か。ニュートン的には空間に引かれた直線だ。しかし、実際に描くのは不可能。彼はキリスト教徒だったから、神の定規が引いた線、とでも言うだろう。
 アインシュタインならば、観測した直線を仮想の平面に投影した線と表現するはずだ。神に頼らず、人間が手にできる道具で世界を見るのだ。
 この惑星では、直径が1光年もあるのに、地平線は驚くほど近くに見えるはずだ。

 ニュートンの理論では説明できなかった内惑星の動き、水星の近日点の移動は、アインシュタインの理論では説明できた。
 ニュートンの理論は、弱い重力の下で長い時間を観測する場合に、今も有効だ。強い重力の下で、ごく短い時間の運動を解析するなら、新しい理論のほうが有効だった。

   

未完