科学夜話

 昔々のギリシャにて、哲学者デモクリトスは言ったとさ。物を砕いて砕いて砕いてゆくと、最終的に砕くことが不可能な物にいたる。この分割不可能な物が世界を造る究極だ、と。
 原子論の始まりだった。
 同じ時代に、別の事を言った者もいた。物は土と水と空気からなり、火を介して各状態を移動する、と。物質の多重性というか多相性を表した考え方だった。
 どちらの考えも、当時は観念の域を出なかった。証明不能の事象だからだ。

 2000年の時が流れて、化学が発達した。
 あらゆる物質が研究されて、塩の元素、砂糖の元素、水の元素などが研究された。それらが酸や熱を加えると、状態が変わり、ついには別の元素になる様子があった。塩や砂糖の元素の内部に構造がある、と推測された。
 18世紀の後半、ついに突破口が開かれた。
 化学者たちが純粋酸素の抽出に、次々と成功した。しかし、従来の原子論が適応できない部分が出てきた。抽出前の体積と抽出後の体積が合わない。酸化反応後の体積も予測と違っていた。

 体積の問題を解決する重要なアイディアを出したのはフランスのアボガドロだ。抽出された酸素は原子二個がつながった「分子」だと見抜いた。単体の酸素原子は化学的に不安定で、他の原子と酸化反応で結びつき、安定するのだ。世界は、いくつかの原子が複雑な化学反応で多様な分子を造っている。
 が、そのフランスで革命が起こり、彼はギロチンにかけられる。
 共産革命は、始まりから血塗られたものだった。テロリズムは共産革命の暗黒政治を語源としている。
 レーニンとスターリンのロシア革命でも4000万人以上が虐殺され、毛沢東の文化大革命では5000万人以上が虐殺された。カンボジアのポル・ポトも虐殺した。共産主義は最高の科学だから、他の知識は必要ない、と彼らは主張して古い知識人を抹殺した。
 ナチスドイツのヒトラーはユダヤ人を300万人殺したと言うが、それが小さく見える。まして、南京事件の30万人は虐殺と言うのも恥ずかしく感じるほどだ。

 19世紀になると、多くの原子が発見された。メンデレーエフが元素周期率表で未発見の原子の質量や化学的性質を明らかにした。
 が、新たな謎が持ち上がる。なぜ原子の質量に周期的性質があるのか。
 分割不可能なはずの原子に内部構造がある、それ以外に説明は無かった。

 原子の内部を見る事は、21世紀の現代でも不可能だ。理由は簡単、光が原子の中に入れないからだ。光を原子に当てると、表面でカツンとはじかれて反射するか、ツルリとすべって屈折するかなのだ。
 140億年前、ビッグバンで宇宙が膨張し始めた。ある時点で膨張を続けるところと、止まってしまったところができた。現代でも膨張しつづけているところは空間と呼ばれ、光が自由に飛び回れる。止まってしまったところが原子となった。原子の中は、わたしたちが知る空間とは性質が違う。

 19世紀は電磁気学が発達した時代である。
 19世紀末、電気で電子を発生させ、磁石で操る事が可能になった。電子線が真空のガラス管に置かれた羽車を回す実験は有名だ。電子には質量がある。しかし、原子ではない。
 電子線は光が通らない薄膜の向こうにある写真乾板を露光させた。より貫通力のある電子で原子の中を見る試みがなされた。しかして、電子はほとんど何の抵抗もうけずに原子を通り抜けてしまった。逆の意味で、何も見えない。
 注意深く観察すると、ごくごく少数の電子がとんでもないところに飛んでいるのが確認された。原子の中にとても小さな固い芯があるらしい。原子核の発見だ。原子の種類とは原子核の種類なのだ。原子核の整然とした周期は、原子核に内部構造があるからだ。
 しかし、電子では原子核の中は見られなかった。光が原子の中に入れないように、電子は原子核の中に入れないのだ。プラスとマイナスの電気的性質で原子核と電子は常に引き合っていながら、空間的性質により合体できない。やむなく、電子は原子核の周囲にとどまり、原子を全体として電気的に中性にしている。

 20世紀に入ると、原子核の研究は本格化した。
 電子では原子核の中を見られないので、放射性崩壊で生じた裸の原子核を他の原子核にぶつけてみた。原子核がこわれ、中身が飛び出した。こわれた原子核のかけらを寄せ集め、データの上で元の原子核を推論するのだ。
 原子核はプラスの電気を帯びた陽子と、電気的に中正な中性子からなる。不思議に、陽子だけ中性子だけの原子核は存在しない。陽子と中性子は1対1で組み合わさって安定し、中性子が足りなかったり多かったりすると原子核は不安定になる。鉄より重い原子核は、不安定さが急に増す。
 磁石のプラス極とプラス極は反発しあう。ヘリウム以上の重い原子核内では、プラスの電気を持つ陽子が複数存在する事になる。なぜ安定していられるのか、が問題となった。
 電気の反発力を超える強い力が原子核の中で働いて、複数の陽子をつなぎとめているとしか考えられない。糊のような働きを持つ力を素粒子の形で理論化すると、案外とうまくいった。中間子論の出現だ。
 この強い力を乱して、原子核を不安定にする力もある。強い力との比較から、弱い力と呼ばれた。以後、原子核の中は、瞬間的に現れては消える素粒子の動物園と化す。
 強い力と弱い力の研究は、不安定な原子核の連鎖分裂反応へと進み、ついに原子爆弾を産み落とした。ボタンひとつで数万人が一瞬に死ぬ時代の始まりだ。科学が行き着く果てかと思われた。

 20世紀の後半になると、粒子加速器が造られ、原子核の外で裸の陽子を実験できるようになった。
 陽子が電子を吸収して中性子になり、中性子が電子を放出して陽子に変わる様が観測されると、陽子と中性子の内部構造がうたがわれるようになる。原子核内部の素粒子動物園を整理できるか、と期待された。
 また、反粒子が続々と発見された。電子には反電子が、陽子には反陽子が、中性子には反中性子が。素粒子動物園は益々混雑をきわめる。もっとも、反陽子と反中性子からなる反原子核は、まだ確認されていないようだ。わたしたちの宇宙では、反粒子はごく少数派であり、反原子や反分子をつくれるような環境に無い。
 粒子と反粒子の対消滅は、宇宙が始まった初期のうちに終わってしまったらしい。今の宇宙は、とても安定して見える。
 テーブルサイズの装置で核分裂連鎖反応が確認されてから、20年とたたずに核爆弾が出現した。対消滅の現象が確認されてからずいぶんになる。未だに、惑星をも壊す対消滅爆弾は理論の域を出ない。単に、必要が無いからだろうか。

 陽子や中性子の内部構造を調べるこころみは、遅々として進んでいない。中を見る術が無いからだ。
 粒子加速器で陽子衝突をおこなっても、現れるのは概知の粒子ばかり。陽子の中にあると推測される粒子は、一向に姿を見せない。
 わたしたちの住む空間と原子の中の空間が少し違うように、陽子内部の空間はさらに違うのかもしれない。陽子内で安定していた粒子は、わたしたちの空間に出た瞬間に別の物へ変化している可能性がある。その変化が完全にランダムならば、変化前の状態を知ることはできなくなる。
 しかし、観測を根幹とする現代科学にとり、観測できない物は科学の対象から外れる。現代において、神や宗教は科学の対象ではない。神を信じる人間の心理や言動は科学の対象であるが。

 未完