駆けめぐる久麗爺




 昔々、空が落ちて来ると心配した人がいた。人々は無視するか、嘲笑した。だが、それが現実になる時が来た。
 全長数百キロの巨大な宇宙船が地球の衛星軌道上に現れ、そこから数十キロサイズの小型宇宙船が群れを成して大気圏に降りて来た。正しく、空が落ちて来た。
 キロメートル級の宇宙船は高度3万メートルほどで降下を止め、世界各地に散らばった。地球側に為す術は無い。ただ、向こうの出方を見守るだけである。


1日目


 急に陽が陰り、窓の外が暗くなった。カタカタ、ガラスが震えた。
 久麗均一こと久麗爺は湯飲みをちゃぶ台に置いた。天井や壁は振動しているが、床の畳は静かである。地震ではない、突風であろうか。
 窓の外を見れば、特に草木が揺れている様子は無い。風は強くないようだ。
 よっこらしょ、と気合いを入れて久麗爺は立ち上がる。七十才を過ぎた隠居の身には、急な姿勢変化は堪える。
「爺ちゃん!」
 孫の太郎が来て、窓から空を指した。何かあるらしい。怪しい物事に対し、踏み出して探ろうとする姿勢は、さすが男の子。中学生になり、太郎の背丈は均一に迫っていた。
 宇宙船が北海道へ接近する状況下、政府は全道の学校を臨時休校としていた。子供は親と一緒にいろ、と言う配慮。旭川のような地方都市では共稼ぎも多くない、家族が共に宇宙船を見上げる状況になるだろう。
 久麗爺は裏玄関に来た。壁の鏡を見て、薄くなった頭髪を再確認する。扉を開け、外に出た。つっかけの足で空を見上げる。太郎も並んで見上げた。
 隣の家では、二階の窓から空を見上げる顔があった。でも、すぐにカーテンを閉めてしまった。怖い物は見たくない、そんな心理か。
 南の空、太陽を隠して巨大な物体があった。噂の宇宙船が十勝岳から大雪山を圧し、旭川の上空に差し掛かっていた。北海道の中央を南から北へ縦断中のよう。
 指を使って視野角を測る、前後左右とも60度弱といったところ。ニュースでは、宇宙船の高度は30キロほどなので、その大きさは長さ幅とも30キロ以上と推定できた。先端が旭川上空なら、最後尾は富良野あたり。
 目をこらすと、宇宙船の前方に薄い雲が膜状に発生している。衝撃波面であろうか。ならば、宇宙船の速度は音速を超えるくらい、秒速300メートル以上だ。一般の旅客機より3倍も高いところにいるので、ゆっくり動いて見える。
 ずんずずん、また空震が家の屋根をたたいた。宇宙船の先端で発生した衝撃波が空震となり、地上まで達していた。
 上空を行く宇宙船は凸凹した形、衝撃波が機体の各所で発生している。ずずずん、空震は繰り返し来た。高度30キロでも、けっこう近所迷惑なのであった。
 長さ30キロの物が超音速で動くならば、100秒ほどで通り過ぎるはず。もう少しの我慢だ。
 日陰で風もあって、少し肌寒い。年寄りには苦手な状況、家の中へ戻ろうと思った。
「あれ、何だろう?」
 太郎が久麗爺の袖をつかんだ。
 言われて、太郎と同じ方を見た。
 屋根の高さに何かがあった。1メートルほどの大きさ、鳥ではない、機械のよう。
 少し考え、久麗爺は機械に向き、左手を腰に、右手でVサインをした。顔にはスマイル、定番のポーズ。
「爺ちゃん、何してんの?」
「たぶん、あれは宇宙人のドローン、地上の物を調べているんだ。当然、カメラ付きのはず。写真かビデオに撮られているなら、やっぱり」
「で、Vサインするの!」
 太郎は祖父の行動に呆れた様子。しかし、久麗爺は大まじめである。
 ドローンが高度を下げ、2メートルほどの高さに降りて来た。均一と太郎をクローズアップで撮る様子だ。
 均一は肘鉄を太郎にした。何かしろ、との指示だ。太郎は頷き、ぎこちない笑いで右手を上げた。アメリカインディアンなど、世界的にありふれた挨拶の仕草である。

 同時刻、家の台所では、嫁の美智がご飯を炊いていた。宇宙船接近の非常事態に備え、まずは食料の準備。とても女らしい発想。
 居間では、長女の美優がニュースで接近中の宇宙船を見ていた。女の子ゆえ、高校生になっても、宇宙船を窓から直接見るのは怖いよう。次女の美佳は小学生、姉の不安を我が身の不安として感じ取り、ひたすら姉の腕にすがりついている。
 と、テレビの画面がブラックアウトした。時計やファックス電話機は動いている。電気が落ちたのではない、他の家電は正常だ。
『これは、あなたの家のテレビ受像器が故障したのではない。我々が放送電波を制御しているのだ』
 不思議なテロップが黒い画面に現れた。
「我々・・・?」
 美優は字幕を復唱した。我々が何を指すのか、意味が理解し難かった。
 首をひねっていると、画面がもどった。でも、映っているのは素人っぽい二人、普通の放送ではない。
「あ・・・太郎? と・・・お爺ちゃん?」
 正しく、それは久麗均一と太郎。美優の祖父と弟だった。ぎこちない笑いと仕草でカメラに向かっている。背景を見れば、場所は自宅の裏庭のようだ。

「やあ、こんにちは」
 大男が現れた。小首を傾げて会釈してきた。ちょっと無愛想だが、敵対的な態度ではない。
「はい、こんにちは」
 久麗爺はオウム返しで応えた。2メートルを超える身長の男は、肩と腕の筋肉が全盛期のアーノルド・シュワルツネガーかハルク・ホーガン以上。口元に牙がのぞき、頭の左右には大きな角がある。上下つなぎ、黄色い地に黒の虎縞模様の服装。鬼か悪魔か、相撲取りにしては髪型と扮装が違うし、迷い込んだプロレスラーだろうか。
「宇宙人だよ!」
 太郎がささやいた。
 空震が止んで、静かになっていた。宇宙船が頭上で停止している。
「わしは久麗均一と申す。この家の前の主、今は隠居だ。久麗の爺と言う事で、久麗爺(くれいじい)などと呼ばれておる」
 久麗爺は勤めて冷静に言った。こくり、宇宙人は頷いた。
「わたしはイム・ベーダーと言う。アスタータ惑星侵略委員会の序列2位にいる理事だ」
 宇宙人にしては流暢な日本語であった。
「アスタータ惑星侵略委員会は、当該惑星に対しヘリオセ・スベータ型侵略を行う事になった。現在は本格侵略前の調査中である」
「侵略さんの2位の理事さんですか。お偉い方のようですな。あいにく、わたしは学級委員や町内会でも長の付く立場は苦手なもので、地球の代表のような事は、ちょっと」
「わたしは何かを交渉するために来たのではない。それに、もう生放送をしている」
 イム・ベーダーはドローンを指した。
「放送?」
 言われて、久麗爺はドローンを見た。つい、またVサインを出していた。

 イム・ベーダーと久麗爺の対話はドローンから宇宙船へ送られ、全地球に生配信されていた。それぞれの国の言語で字幕が入り、同時通訳サービスも手抜きは無い。
 アメリカのワシントン、ホワイトハウスは宇宙船対策で不夜城となっていた。無論、テレビ放送も欠かさずチェックしていた。その電波がジャックされ、日本からの中継放送になった。
「ガッデム!」
 宇宙人が地球の代表にアメリカを選ばなかった、一部の将官は激怒した。しかし、大統領補佐官は冷静を保った。宇宙人との交渉役に立つ機会は別にあると確信した。

「お爺ちゃん・・・たら」
 今のテレビの前で、美優は恥ずかしさに顔を伏せた。美佳は祖父が映るテレビを喜んでいる、小学生らしい反応。
 主婦の美智は作りかけたお握りを、手の中で握り潰してしまった。
 義父と長男は裏玄関にいる、美智は気付いて台所を出た。床は古い本だらけ、踏み場もとぼしい義父の部屋に入れば、窓の外に二人の姿があった。背の高い宇宙人もいる。

 がんがん、窓ガラスの音。
 久麗爺は自室の窓を振り返る。中から、嫁が手招きした。うん、と頷きを返す。
「外で立ち話もなんなので、中で続きをどうかな?」
「お世話になろう」
 久麗爺の誘いに、イム・ベーダーは簡単に同意した。妙な仕掛けが無い事など、とっくに調べがついているのだろう。
 虎縞つなぎの大男が背を屈めて玄関をくぐる。中継のドローンが続いた。
 太郎はドローンの後をつけながら、あれこれ探る。
「プロペラによる飛行じゃないんだ。やっぱり重力制御とかいうやつなのかな。でも、重力をなんとかしてるなら、周囲の空間に影響が出て、光が屈折するんじゃないのかな。でも、何も見えないし」
 うーむうーむ、未知の機械を目の前にして、少年の好奇心は尽きない。
 美智は居間のテーブル上を急いで片付け、来客用に茶菓子の盆を置く。主婦の習慣的行動だ。
 久麗均一と対面でイム・ベーダーがテーブルに着いた。太郎が横に着き、男三人でテーブルを囲む。ドローンが居間の風景を撮れば、テレビに三人が映っている。デジタルテレビなので、0.1秒ほど遅れた画だ。
 茶を入れた湯飲みをテーブルに出し、美智は台所へ下がる。下がったところで、美智は顔を手でおおった。
「なんて事を! お化粧してない、スッピンでテレビに出ちゃった・・・」
 娘の美優と美佳は同じく台所に下がっていた。が、母にかける言葉は無かった。

「落ち着いたところで、もう一度、なんとか侵略の事を聞いて良いかな?」
 久麗爺の問いかけにイム・ベーダーは頷く。
「アスタータ惑星侵略委員会は第17854の3号決議を行い、この地球にヘリオセ・スベータ型侵略を行う事になった」
「へりお・・・何とか侵略と言うのは、具体的に何をする侵略なのか。説明してもらうと有り難い」
「ヘリオセ・スベータ型侵略は・・・ここの言葉に訳するなら、暇つぶし・・・又は、退屈しのぎ」
「退屈? そんな、ひどいよ!」
 太郎が声を上げた。
「たかが侵略である。他に何か、御大層な理由が欲しいのかな」
 イム・ベーダーはギロリと目を向けた。太郎は口を締めて閉じた。
「君らにとって、地球はその程度の星かもしれない。それで、その侵略の結果、地球をどのようにする気なのかな?」
 久麗爺は冷静を装い、問いを続けた。
 うむ、イム・ベーダーは頷くと、テーブルの茶菓子を見た。
「これは壺屋の『き花』と言うクッキーだ。おいしいよ」
 太郎が菓子の袋を一つ取り、封を切った。ぱく、と丸ごと口に入れた。
 久麗爺は眉をひそめたが、あえて言葉にはしない。客人より先に茶菓子に手を付けるのは、日本的慣習に合わない。が、世界的に見れば、家人が先に口を付け、安全である事を示す習慣もある。
「侵略して、もしも・・・地球がおもしろい星と感じれば、以後、それなりの関係を築けるかもしれない。だが・・・」
 イム・ベーダーはクッキーをかじり、その甘味に舌鼓をうった。残りを口に放り込み、もぐもぐと呑み込む。
「もしも、つまらない星と感じたら、消去する」
「消去?」
「いくつかのレベルがある。表面消去では、惑星の表面をセッシ1000度ほどに加熱し、地表面から100メートルくらいの深さまでを無生物化する。惑星消去では、この惑星を砕き、直径100キロ以下の微惑星まで分解する。完全消去では、惑星を構成する物質をガス化し、天体としての存在から消去する」
「つまらない・・・と、ガスにする」
 太郎は息を呑んだ。つまらないなら皆殺し、と宣言された。
 だが、希望もある。単なる戦争ではない、勝ち負けだけが生き残りの条件ではない・・・かもしれない。
「今は下調査の段階なんだよね」
 久麗爺も茶をすすりながら考える。調査で来た宇宙船が長さ30キロ級だ。本格侵略ではどんな怪物的なのが来るか。それに対抗して、地球側にできる事は何だろうか。
 ピピッ、何かが鳴った。イム・ベーダーは首輪に手を当て、何事かをつぶやいた。通信機だったようだ。
「23号機が攻撃を・・・たぶん、意図的な攻撃を受けた。被害は特に無いが・・・はて、つまらん反応だ」
 つまらん・・・イム・ベーダーのつぶやきに、久麗爺は胸をおさえた。地球が消去される危機に瀕している。
 イム・ベーダーは腕輪で何かの操作をする。こちらも何かの通信機的な物のようだ。
「これは外から見た23号機。ドローンが撮った、距離は200キロほど」
 テレビの画が変わった。
 今、旭川の上空にいる宇宙船の同型機を地上付近から撮った画。機体の前半分は海上に出ている。各宇宙船は単独で飛んでいない、地上の情報を収集するドローンを数多く伴っているよう。
 地上には見た事の無い街があった。日本国内ではなく、どこか外国のよう。ヨーロッパのような豊かさを感じさせる風景ではない、貧しい国を連想させた。
 と、光が地上のどこからか飛び出した。ぐんぐん上がって、宇宙船の下面に迫って行く。
 ピカッ、小さな光の玉が起きた。衝撃波らしいのが球状に広がり、消えた。宇宙船は揺れる事も無く、そのまま飛び続けている。
「もしや、核ミサイルかな。標的が大きいから、爆発が小さく見えただけで」
 久麗爺は軍事マニアでもある。脳内の知識を総動員して、この事態を分析する。つまらん反応をした国はどこか、テレビの画から推測する。イランか、パキスタンか、インドか、核ミサイルを保有しつつ、庶民が豊かではない国を探した。
「他の機からの画だ」
 衛星軌道から地球を見下ろす画になった。日本列島から中国、フィリピンも映っている。23号機をズームアップで映せば、下の地形に見覚えが、北朝鮮の日本海側の海岸線だ。
 ちかっ、宇宙船23号機の端で小さく何か光った。
「宇宙からだと、いよいよ小さいな。北朝鮮の原爆ミサイルなら、せいぜい爆発力は10キロトン程度、火球の直径は200メートルほどか。長さ30キロの物が相手では、あんなものかもしれない」
 はあ、久麗爺はため息をもらし、つまらん反応と言ったイム・ベーダーに同意していた。
「北朝鮮は水爆も持っているはずだよ」
 太郎が言った。前に、ニュースで北朝鮮の地下水爆実験を報じた事があった。
「100キロトンくらいの小型水爆だろ、結果は変わらんよ。昔、ソビエトが100メガトンの水爆を作ったが、作っただけで、爆発実験まではやらなかったようだ。最大の大気圏内核実験はアメリカがやった、第5福竜丸が被爆した20メガトン級のだった」
「100メガトンの爆発なら、どんな事が・・・」
「昔、ツングースで起きた爆発が、約100メガトン級と言われてるなあ。高度20キロから30キロで大きな隕石が空中爆発した事件だ。チェリャビンスクで起きた小さな隕石の空中爆発と同じで、水爆でやっても、地上に大きな被害が出るのは確実だ」
 ふふっ、イム・ベーダーは不敵な笑いをもらした。
「それくらいの覚悟でやってくれたら、少しはおもしろくなったのに」
 ぎくり、久麗爺は胃を抑えた。原爆の分析に夢中になり、地球が消去の危機のあるのを失念しかけていた。
 ぴぴっ、イム・ベーダーの通信機が鳴った。ふむ、通信を受けて、眉間にしわが寄る。
「攻撃をした国が、何か放送したがっているようだ。彼らの電波を中継してやろう」
 ぴっぴっ、イム・ベーダーは通信機を操作する。と、テレビの画が変わった。
 じゃじゃーん、勇ましい行進曲が流れる。揺れる旗をバックに何かの銅像が立つ画になった。北朝鮮国営放送のスタート画面だ。
「ああっ、いつものおばさんだ」
 太郎が声を出してテレビを指した。よくテレビを見るので、ピンクと青の民族服を着た年増女アナウンサーを知っていた。
「本日、偉大なる我らの金将軍の命により、我が国の空を侵す物へ正義の鉄槌を下した。このような攻撃をしたのは、世界で我が国だけである。今こそ、世界人民は朝鮮の先見的な存在に気付かねばならない」
 同時通訳の字幕が画面にあり、何を言っているか分かる。いつもと同様、しゃべりはハイテンション、北朝鮮式ラップミュージックな感じ。
 こきこき、イム・ベーダーは首をひねって鳴らす。つまらない・・・を態度に出していた。
 ぴぴっ、通信機が信号を発した。
「許可する」
 イム・ベーダーは独り言のようにつぶやいた。何かが始まる、久麗爺は歯を鳴らした。
 テレビの画面が変わった。23号機を地上付近から撮っている。ぐるり向きを反転し、内陸方向へ進み始めた。もちろん超音速だから、ものの数分で黄海まで達してしまう。
 イム・ベーダーは無言でテーブルの旭川名菓のクッキーを手にした。ぱり、口で砕く。湯飲みの茶を一気飲みに飲み干した。
 23号機は高層ビルが建つ街の上で停止した。北朝鮮の首都、平壌を機体の影30キロ四方で包み込んだ。
 これからだ、久麗爺は息を呑む。
 23号機の尾部が降下する。全体が縦に立つ、機体の一部が分離して変形を始めた。それは巨大な二本足の人型ロボットへ姿を変えた。
 おおおっ、久麗爺は歓声を上げていた。
 身長30キロの巨大ロボットが平壌の街を踏み潰して立った。膝、腰、と何層もの雲を貫き、頭部は青くかすんでいる。
 足元には薄い茶色の雲がある。街をつぶした土煙だ。実際には高さ100メートルを超える煙だろうが、身長30キロからすれば落ち葉のように薄く見える。
「たた、太郎、見ろ、ロボットだ! くっそおうっ、この手があったか、やられたあ!」
 久麗爺は両手を握りしめて興奮する。太郎は恥ずかしさに孫を辞めたくなった。
「これぞ、正しく男のロマン! 操縦機を小脇に抱えて、行けっ鉄人、と叫んだ子供の頃を思い出す。いや・・・まて、あの大きさなら、その重さは・・・なぜ、足が地面に沈まない。地面に立っていると言うより、重力制御で浮いていると言うべきか。あの腕も、肩からぶら下がっているのではなく、重力制御でその位置にあるのだろう」
 少し興奮が冷め、久麗爺はロボットを分析する。
「なかなか科学的な見方だ。実に、その通り。脚部が地面にかける圧力は、1平方メートルあたり1トン程度だ」
 イム・ベーダーは静かに答えた。
「1平米あたり1トンね。それくらいの荷重なら、普通の道路のような地面なら耐えられる」
 ふむふむ、久麗爺は指を使って巨大ロボットとなった23号機を測る。注目したのは足のサイズ、片足側で長さ4キロ半、幅は2キロくらい。足の裏の面積は片足で9平方キロとして、両足で1800万トンの重量圧力を平壌の地面に与えていると推測できた。北朝鮮の建物は1800万トンを支えられたか、真っ平らにプレス整地されてしまったか、知りたくもあり知りたくもなし。
「乗ってみたいかね?」
「えっ、乗れるの!」
 イム・ベーダーの申し出に、久麗爺の首がのびた。太郎が袖を引くと、逆に腕をつかんで引きつけた。

 裏玄関から外に出た。久麗爺と太郎、イム・ベーダーの三人で並んだ。
 イム・ベーダーが腕輪をいじると、急に風景が変わった。いわゆる転送と言うやつか、ややショックがあったが、気分は悪くない。あまりに簡単に移動できて、それが非現実的な感覚だ。
「ううむ、いよいよSF空間に入ってしまったか」
 金属質の部屋を見渡し、久麗爺はうなった。転送室と言うべき部屋なのだろうか。高鳴る胸を押さえ、転送メカを探るが、つるんとした壁しか見えない。
 カチリ、金属音がして、扉が開いた。
 やや細身の虎縞つなぎな宇宙人が出迎えだ。若く見える、その頭には少し小ぶりな角があった。角の形や大きさには個人差が出るようだ。
「その角、どうしたのだ?」
 イム・ベーダーが若いのに問う。よく見れば、彼の角は左右で形が違っていた。
「実は、さっき抜けてしまって、右は付け角です。左も少しぐらついております」
「良くないな。直ぐ診断書を取り、休暇を申請したまえ」
 はは、若い宇宙人は頭を下げた。上官の命令に従う。
 久麗爺は首をひねった。たかが角くらいで、と思うのは地球人の感覚。彼ら宇宙人たちには、頭の角は特別な意味があるのだろう。
 小部屋に案内された。エレベーターのような感じ。
「ブリッジ、サード」
 イム・ベーダーが言うと、部屋がゴトゴト揺れた。軍事施設だけに、乗り心地は二の次か。
 しゅっ、エレベーターのドアが開いた。明るい部屋があった。しかし、他に誰もいない。
 丸い壁に囲まれ、真ん中にテーブルとイスがある。付属している機器を見れば、何かの操作をする席のようだ。テーブルの前方には窓と多目的ディスプレイ、外の風景と23号機の見取り図が映っている。
「ここは来客用の部屋だ。そこで、この23号機を操縦できる」
「ここで!」
 久麗爺はイスに手を置き、テーブルのスイッチを見た。
 来客用と言ったので、本来の操縦室は別にあると判断できた。戦艦大和には操舵室が3カ所もあり、戦闘の状況に応じて使い別けていた。それと同じだろう。
 前方ディスプレイには外の景色が映っていた。高度30キロともなれば、水平線の上は暗い。宇宙が目前の高度である。雲は高度10キロくらいまで、23号機の腰部より低い。
「操縦してみるかい?」
「ええっ、できるの!」
 イム・ベーダーが誘う。久麗爺には願ったり叶ったりだ。
 太郎が顔を引きつらせ、袖を引っぱる。その手を振りほどき、久麗爺は席に着いた。
 肘掛けの先に大きな2本のレバー、その頭部には大小のボタンが並んでいる。左右対称ではないので、それぞれで役割が違うのだろう。
「左のレバーで速度を指示し、右のレバーで方向を指示する」
「なるほど」
 イム・ベーダーの助言に従い、久麗爺は左右のレバーを少し押した。微速で前進するはずだ。
 ぐらり、部屋が揺れた。23号機が動いたのだ。
「1歩あたり10秒、歩幅は1歩あたり3キロ」
「了解」
 イム・ベーダーが23号機の動きを解説した。10秒で3キロ進むなら、1秒では300メートル、音速寸前の速度。が、身長30キロのロボットからすれば、やはり微速前進である。
 宇宙人は侵略にあたり、地球の文化を徹底的に調べ上げている。秒やキロなどの単位まで知っていて使う。
 ディスプレイに足元の風景が映し出されていた。半歩づつ足が進む様子がわかる。
「おっと、いかん」
 久麗爺は右のレバーを左へ倒した。23号機は左へ旋回を始めた。
 ディスプレイに映る前方は海、黄海だった。23号機は西を向いていた。海岸線の直前で左へ回頭し、南東方向に向けて直進とした。これで朝鮮半島の南端まで地上を歩けるはず。
 ふう、息をついて、久麗爺はレバーから手を離した。23号機は足を止めた。まだ、38度線の北側である。

 南朝鮮こと大韓民国の首都、ソウルでも身長30キロの巨大ロボットは見えていた。なにせ、南北国境から40キロほどの都市である。
 山越しに見るロボットは、やや青くかすんでいた。ひざ、腰あたりに何層もの薄雲をまとう姿は、原爆のキノコ雲を連想させる。

「すごいぞ! 太郎、おまえも操縦してみんか!」
 久麗爺は誘うが、太郎は首を振った。ちっ、爺は孫の態度に舌打ちした。
「男のロマンを理解できんとは、まだまだの年頃だったかのう」
 孫を捨て置き、また久麗爺は操縦レバーに手をやった。目を閉じれば、進路クリア、行きまーす、のかけ声が耳に帰ってくる。
「気に入ったようだな」
「無論、もちろん、そーなんだもん!」
 子供のようにはしゃぐ久麗爺、七十才である。イム・ベーダーも笑みを絶やさない。
「どうだ、欲しいかね?」
「えっ、くれるの!」
「条件によっては、だ。この23号機と引き替えに、何をくれるのかな?」
「何かと引き替えで・・・」
 イム・ベーダーから、まさかの申し出だった。
 久麗爺は答えが思い付かない。こんな巨大ロボットと等価交換できる物は持っていない。が、それは地球人的な思い込みかもしれない。何かは分からないが、思いもよらぬ物が宇宙人には貴重かもしれない。
 太郎は口を手でおおった。地球をあげます、と祖父が言いそうに感じた。
「引き替えに・・・このロボットと・・・」
 うーむ、久麗爺は腕組みで考えた。手持ちのお宝から、『レインボー戦隊』の文庫本とか、『あしたのジョー』初版本セットとか・・・しょーもない物ばかり思い当たる。へたな考え・・・何やらに似たり、だ。
「わしの心臓! では、だめかな」
「心臓?」
「代わりの人工心臓も付けてもらわにゃならんが」
「23号機と心臓を・・・交換?」
 イム・ベーダーの唇が震えた。ほおの肉も震えていた。
 太郎は口に当てていた手を下ろした。とりあえず、地球の危機は去ったようだ。
 ううっ・・・う・・・イム・ベーダーは息を止めた。惑星侵略委員会序列2位の威厳を保つため、あまり感情を表にはできない。
 ふうう、深呼吸して、息を整える。
「あなたは実におもしろい。せっかく乗ったのだし、もう少し操縦してみたまえ」
「あ、そう」
 イム・ベーダーに勧められ、また久麗爺はレバーに手をやった。さっきより、もう少し力を込めた。
 ずずっ、ずずっ、操縦室が揺れる。重力制御をかければ、こんな部屋の揺れは感じなくできるはずだが、あえて揺れを残しているのか。
「1歩あたり8秒、歩幅は1歩約7キロ」
 イム・ベーダーが23号機の動きを言った。8秒で7キロなら、秒速800メートル以上、マッハ2プラスの速度だ。

 23号機は38度線を越え、南朝鮮こと大韓民国の領土に入った。すぐ、首都ソウルに達した。
 地上ではマッハ2を越える衝撃波が暴風となって吹き荒れていた。窓ガラスが割れ、屋根が吹っ飛び、自動車が宙を舞う。
 900万トンの地震動が8秒間隔で来れば、23号機の足から10キロ以内では震度5級の揺れ。手抜きのピロティ建築なビルは、たちまち積み上げたパンケーキのように潰れた。
 韓国には建築の耐震基準が無い。地震対策の無い建築はウエハースの建物のように崩れていった。
 朝鮮半島の南端まで来た。釜山市のタワービルをつま先で蹴飛ばし、23号機は足を止めた。

 操縦レバーから手を離して、久麗爺は腕組みした。ふう、興奮が冷めていく。
 ディスプレイに映る前方の景色は、間近に津島がある。薄い何層かの雲の下、小さな島が散らばっていて、水平線には九州があった。
「いかんな・・・こいつはロマンに欠ける」
「欠ける、とは? これがフルパワーを発揮すれば、この惑星の半分くらいは表面消去できる能力があるのだが」
「だろうなあ。しかし、そこがダメなのだ。こいつは大き過ぎる、強過ぎる。男のロマンとは、自分より大きな敵と、もっと強い敵と対する時にこそ最高調となる。こいつを貰っても、地球には戦う敵が無い。もしや、宇宙には、もっと凄い敵がいる・・・とか」
 イム・ベーダーは笑みを浮かべたまま答えない。が、その表情が答えのようだ。
 久麗爺は目を閉じた。宇宙の戦士となった自分を想像する。23号機を駆り、さらなる巨大な敵に立ち向かう・・・分を越える、と思った。
「わしが、あと十才若かったら」
 久麗爺は隠居の身である。事業も家も息子に譲った。現役で頑張っている人がいる年頃ではあるが、我が身の分を思い、身を退いた。今更何を・・・と、立ち止まってしまう。

 目を開けると、我が家の裏玄関前だった。転送は瞬時、気圧が違うせいか、ちょっと耳が痛くなった。
 久麗爺と太郎は、ほっと胸をなでおろす。無事、SFな空間から帰って来られた。
 ずずん、ずん、空震が家の屋根を叩いた。見上げれば、宇宙船が北へ動いている。もうすぐ、家は日陰ではなくなるだろう。
 おもしろい・・・イム・ベーダーは言った。今日は、地球が消去される事は無いかもしれない。
 けれど、もしも、他の国でも同じように訪問していたら。そこで、つまらないと感じたら。つまらないが、おもしろいを上回ったら・・・不安は尽きない。


1日目・夜


「父さん!」
 息子の久麗念努が帰って来た。まだ西の空に明るさが残る時刻。
「なんだ、今日は早いな」
「テレビに父さんが出て、それで店を早仕舞いにした。後片付けやってたら、こんな時間になったけど」
 息を切らす息子に、久麗爺は労いをいれる。小さな家具工場の代表を譲って、すでに10年近い年月が経っていた。作った家具のショールームを街中のビルのテナントに設けたのは昨年、週の半分は街勤めの息子だ。
「片付けくらいに、そんなに時間が要ったのか」
「いや、家の周りを警察の検問がね、それを抜けるのに時間がかかった」
「検問!」
 念努が言ったので、久麗爺は窓から外を見た。しかし、警察の姿は無い。
 検問は事実だった。ただ、警察は慎重に事を進めた。久麗家から見えない遠くに検問を張った。宇宙人を刺激しないように配慮していた。
 ピンポーン、玄関のチャイムが鳴った。嫁の美智が対応に出る。
「お、お爺ちゃん!」
 嫁が呼ぶので、久麗爺は玄関へ行った。二人、何やら屈強そうな男たちが来ていた。
「旭川署の広川です。今日の出来事について伺いたいので、ご同行願えますか」
「ああ、その事か」
 広川と名乗るのは、おそらく刑事であろう。任意同行と任意聴取と言うやつか。ベテランらしい凄味をきかせた声で、ノーと言わせない雰囲気を漂わせている。
「おーい、太郎、おまえも来い」
「ぼくも行くの?」
「一緒に宇宙船へ乗ったろう。面白くないかもしれないが、これも市民の勤め、けじめだ」
 広川は笑みで頷いた。未成年の方は予定していなかったが、事情聴取は人数が多いほど調書の正確度が高まる。
 ぴぴっ、となりにいた若手の刑事が通信機に対応した。
「来ちゃった」
「誰が?」
 広川は眉も動かさない。上司としての威厳を保つ。
 ききーっ、外で音がした。自動車が止まる。エンジン音が大きい、普通の乗用車ではなさそう。
 恰幅の良い男が入って来た。制服から自衛隊とわかる。
「陸上自衛隊、旭川方面本部所属、黒岩二等陸佐であります!」
 大きな声で自己紹介と敬礼をしてきた。久麗爺も脇の締まらない敬礼を返した。
「おっとと、自衛隊さん、今は遠慮して下さい。警察が事情聴取を行おうと言う時でして」
「すでに警察が対応できる問題ではない、国家の存亡がかかっている。我々にまかせて、警察は外で検問だけしていたまえ」
 なにおっ、と双方譲らず、火花を飛ばすにらみ合いとなった。
 わいわい、外で声がした。また誰か来たらしい。
「わたしは国会議員、衆議院議員の今津、今津弘だ。今津、今津、今津弘である!」
 選挙の街宣車よろしく、名前を連呼して腹の出た男が入って来た。どどど、さらに何かの音がした。
「旭川市市長の大山です、旭川の問題はまかせなさい。旭川の市民は旭川の市長と共にあります」
 また煩いのが入って来た。警察と自衛隊は政治に直接関与しないのが原則、広川と黒岩は口を閉じて見守る。
 がやがや、また声がした。市議会の議員に町内会の会長が来た。道議会の議員秘書が議員の代理で来た。
 久麗爺は頭を抱えて玄関に背を向けた。太郎も同じアクションで背を向ける。
「なんか、つまらん事態になって来た」
「宇宙人から見て、これは面白い事かなあ?」
 太郎のつぶやきに、玄関の騒動がピタリと止んだ。

 久麗爺の私室は四畳半、壁の二面を天井まで本棚が占める。あふれた本が床に山積みだ。
 そこへ大の大人が7人、誰も譲らずに入り込んだ。まるで、60年前のトキワ荘であった新漫画党の集まりのよう。
 とりあえず、真ん中に座るのは久麗爺。国会議員と市長が大きな顔で対面に座り、市議と道議の秘書は脇にいる。刑事と自衛隊は入り口付近で立ちだ。町内の会長は居間に下がった。
「みなさん、お茶を」
 美智が茶と茶菓子を持って来た。手渡しで部屋の中へ入れる。美智は部屋に入らず、すぐ居間へもどった。
 旭川名菓のクッキーが配られ、久麗爺が茶を煎れて7つの湯飲みを満たす。
「おもしろい星ならば、それなりの関係を。つまらない星ならば・・・消去!」
 久麗爺が問題の核心を言った。
「観光客なら、いつでもウエルカムです。しかし、我が国の伝統と法律を守ってもらわねば」
 大山市長は街の繁栄を第一に考える。外国からの観光客は大いに誘致の対象だが、宇宙人は想定外である。
「やつらは侵略戦争を仕掛けようとしている。つまり、やつらの法律を押し付けて来るのだ」
 今津は国会議員だけあって、国際問題として宇宙人の来訪を考える。侵略も国際問題の一つだ。
「地球や日本の法律を主張しても意味が無い、向こうが面白いと感じないかぎり・・・」
「つまらないと感じたら、北朝鮮と同じように踏み潰される・・・」
「やつらは、地球人の内紛を誘おうとしている。朝鮮半島を踏みつぶす時には、久麗さんを利用した。朝鮮人の事だ、地球の運命などほったらかしにして、千年恨むとか、また変な言いがかりをして来そうだ」
 ぎくり、久麗爺は指摘されて胸が痛んだ。巨大ロボットを操縦する喜びに夢中で、足元の人々に注意を払わなかった。

 太郎は居間のカーテンをめくり、夜の街を見た。そして、暗い夜空を見上げる。
 赤や黄色の点滅する光がある。警察の検問が家の近くになったせいだ。
「何してるの?」
 姉の美優が問う。太郎は振り返らず、じっと外を見続ける。
「昼間のドローンがね、まだ、ぼくらを監視してないか、と思ってさ」
 母と姉は、宇宙人が去って安堵していたところ。警戒を解かないのは、長男としての役割である。
 太郎の危惧は当たっていた。宇宙人のドローンは屋根に張り付き、久麗爺と家族を記録し続けていた。

 久麗爺の四畳半で行われた鳩首談合は、時間だけを浪費した。後に残ったものは、茶菓子の空き袋と床に落ちた菓子のクズ、部屋に立ち込めるポマードと汗の男臭。
 結局、何も結論を得ぬまま、未明に解散となった。


2日目


 東の空が明るくなってきた。大雪山がシルエットで空に浮かぶ。明けの明星、金星が山を見下ろすロマンチックな時刻。
 久麗爺は目覚めた。疲れていたが、早起きは習慣だ。
 タブレットを脇に抱え、裏玄関から庭に出た。表の方は警官やら自衛官やらで物々しいが、こちらは静かだ。
 裏庭の鳥エサ台にタブレットを置いて立てた。ちょうど、画面が目の高さになる。
 ビデオのアイコンをタッチして、再生ボタンをポチッと押した。じゃんじゃかじゃーん、ラジオ体操第一の前奏が始まった。
「お早う」
 突然、イム・ベーダーが横に立っていた。2メートル超えの大男ゆえか、土の地面に揺れを感じた。転送して来たのだろう。昨日と同じ黄色と黒の虎縞、上下つなぎの扮装、彼らの正装かもしれない。
「お早う」
 言葉だけ返し、久麗爺はタブレットを見る。画面の女は背伸びの運動、久麗爺も合わせて背伸びの運動をした。
「こういうのが好きなのか?」
「これも、男のロマンだ」
 久麗爺は画面の女に合わせ、手を左右に振る。イム・ベーダーも一緒に体操を始めた。
 ゆったりTシャツ、下を縛って、おへそ出し。ピチピチのホットパンツ、タブレットビデオの女の扮装である。同じ体操でも、他のコスチュームのビデオがタブレットの中に入っていた。フロントハイレッグカットにティーバック、上下ピチピチパンパンなレオタード体操。紐ビキニの水着、白シャツと紺ブルマな学校体操着、ミニスカートとブレザーのオフィスレディ・・・もちろん、全裸もある。
 ゆったりTシャツの中で乳が揺れる・・・これが男の煩悩を刺激するのだ。もろ見えでは、想像力も妄想力も働かない。七十才過ぎな久麗爺が求めるのは脳への刺激だ。
 深呼吸して、朝の体操は終わり。すっかり明るくなり、大雪山はシルエットの時を過ぎて、雪を頂きにした姿を現している。
 体を東に向け、日の出を浴びる。グッドデイの始まり。
 久麗爺は横目でちらり、イム・ベーダーを見下ろすドローンも確認した。もう生放送中であろうか、聞いても意味は無いと諦めた。
「お爺ちゃん、お早うございます。朝ご飯にします?」
 嫁の声だ。しかし、ずいぶん改まった言い方。そっと久麗爺は振り返り、ぎくり、固まった。
 早朝と言うのに、美智は化粧をして髪を整え、めったにしないピアスまで付けている。完全装備な出で立ち。もちろん、テレビ対策であった。
「そっ・・・そうだね」
 やっと声をしぼり出して答えた。
「そちら様は?」
「いただこう」
 イム・ベーダーは美智の誘いに応じた。

 今日の朝ご飯は黒米入り、黒米の量が少なめなので赤飯のような色合い。納豆は国産、十勝の大豆。大豆の大半が輸入の時代にあっては、国産大豆は貴重品で高級品である。
 味噌汁の出汁は利尻昆布、具のワカメは体内の塩分を調節する機能食品。卵焼きで動物性タンパク質を、大豆で植物性タンパク質を摂る。朝から完全栄養を目差した食事となった。
 食後にはカテキンたっぷり緑茶。イム・ベーダーは日本の風習に従い、ずずー、すする音をたてて飲む。
 テレビは朝の天気予報、アナのしゃべりはいらないので消音にしてある。
「どうした、何か悩みでも?」
 久麗爺が問いかけた。
「昨日から、我々に向けた地球側の発信が多くて・・・多いだけでなく、つまらないのばかりで。無視を続けるべきか、一発やって黙らせるか、判断を迷ってる」
「つまらないのが多い・・・」
「代表的なのを見るかね」
 イム・ベーダーは腕輪を操作した。ぴっ、反応があって、テレビの画面が変わった。
 テーブルを片付けていた美智、はたと手を止めてた。髪を整え背筋を伸ばして、また片付けを再開した。
 居間のテレビが宇宙船と接続した。データのアーカイブのようで、地球人の顔が並んでいる。イム・ベーダーは腕輪を操作し、その中から一列を選択、再生が始まった。テレビの音は通常にもどっていた。
「侵略者よ、オレ様が相手だ。貴様の首をオレのヘッドロックでへし折ってやるぜ!」
「しゅっしゅっ、オレのハンマーパンチで宇宙人は3ラウンド以内にノックアウトだ!」
 ・・・以下、同様な挑戦者の雄叫びが続いた。さすがに、地球人でも嫌気がさしてくる。
「昔々、チャーチルとヒットラーがボクシングで戦って、戦争の決着としよう・・・なんて冗談があったな。あれから、地球人の思考は進歩してないようだ」
 久麗爺は第二次世界大戦の前半に流れたブラックジョークを思い出した。あれから80年は過ぎている。
「プロレスラーやボクサーは、曲がりなりにも戦いを職業にしてる。しかし、スポーツとしての戦いだから、ルールの縛りは厳格だ。ルールが外れたら、見て楽しい戦いにはならない」
「やりようによっては、見て楽しい戦いもある?」
 久麗爺のつぶやきに、イム・ベーダーがのって来た。
「異種格闘技の戦いは、ルールのすり合わせが大事なのさ。アントニオ猪木対モハメッド・アリのプロレス対ボクシングは失敗例だ」
「ルールか・・・」
 イム・ベーダーは腕輪を操作し、猪木対アリのビデオを検索、再生した。ちっともプロレス対ボクシングになってない、奇妙な戦いである。
「地球と君らとの戦いも同じだ。持てる力が違い過ぎて、まるで噛み合わない。他所からは、一方的な虐殺としか見えないだろう」
「確かに問題の核心だ。どうすれば面白くなるか・・・何か、知恵があるかね?」
 久麗爺は首を傾げた。遙かに強力な力を持つ宇宙人から、戦いの方法についての知恵を求められた。
 昨日、巨大ロボットが朝鮮半島を縦断して踏み潰した時、それを操縦していたのは久麗爺だった。今度は何をさせようとしているのか、それが気になる。
「囲碁か将棋で決着を付けて・・・いや、わしは苦手だけど。血を流さない戦いの方法としては、究極かもしれない」
「ふむ、血の流れない戦いなら、見て楽しい場合もあるか」
「ローマ時代、剣闘士の戦いでは、血が流れないと、面白くないと観客がブーイングしたらしい。40年ほど前か、テレビのプロレス中継で、流血戦が流行った事があった。血を流すレスラーが持て囃された、ラッシャー木村とかアブドラ・ブッチャーとか」
「血を見て興奮するのも、人間の業かね」
 イム・ベーダーは興行師のような役割のようだ。地球侵略のイベントを通じて、何か面白い事を探っている。
 しかし、久麗爺は頭を抱える。何を提案しても、宇宙人が面白いと思うか分からない。
「戦争のロマンなど、所詮は、生き残った者だけが言える思い出話だ。あるいは、戦争をボードゲームのようにする将軍たちの茶飲み話しか。戦争の現場で、槍刀を交わし鉄砲を撃ち合う兵士は、泥を食み返り血を浴びながら、どんなロマンを語れるものか」
「戦場でロマンを語るか・・・」
 イム・ベーダーは腕輪を操作した。また、宇宙人に挑戦しようとするレスラーやボクサーの画になった。
「こいつらとは、どう戦ってもロマンは無い。やはり消去しよう」
「あっ、いや、それは」
「データを消去するだけだ」
 一瞬あわてたが、久麗爺は胸をなで下ろした。消されるのは録画データだけらしい。
 じゃね、とイム・ベーダーは居間から転送で姿を消した。ツーンと耳鳴りがきた。あの巨体の体積の分、部屋の気圧が下がったのか。
 ピンポーン、玄関のチャイムが鳴った。宇宙人が帰ったのを確認して、また警察や自衛隊や色々な面々が押し寄せた。面倒くさく、つまらない事だが、市民として無視はできない。

 家が静かになったら、もう昼だった。
 軽くお茶漬けを腹に入れ、久麗爺は四畳半の自室に籠もった。昨日からの疲れで、体を縦にしていられない。
 床に積んで広がった本を押しのけ、できた隙間に体を横たえた。睡魔が来て、そのまま目を閉じた。
 かたかた、何かが窓ガラスを叩く。しかたなく、右目だけ薄く開けた。
 窓の外に誰かいる。大型のカメラを室内に向け、久麗爺の寝姿を撮っている・・・爺いの寝ているところを? 体を動かすのもおっくうで、また目を閉じようとした。
 と、カメラの左右から警官が現れた。もみ合いになり、がたごと、薄い壁に男たちの体当たりが響いた。
「わたしは、アサヒのカメラで・・・」
 男が何か言った。どこかの新聞かテレビか、マスコミ関係の者が検問をくぐり抜け、家の敷地に入ったよう。
 警察の盗聴は違法と大騒ぎするマスコミだが、自分らのやるストーカー追跡や盗撮盗聴、家宅不法侵入などは正当行為と主張する。舌は何枚斬り落としても二枚ある連中だ。
 イム・ベーダーに頼んで、消去してもらおうか・・・そんな事を考えるうち、いつしか眠っていた。

 ずしっ、床が揺れて、久麗爺は目を開けた。
 四畳半の中央、大男が立っている。黄色と黒の縞模様なつなぎ、イム・ベーダーがいた。部屋に転送で来たのだろう。
「お休み中、失礼する」
 相変わらず礼儀正しい侵略者だ。他人の家をのぞき見するだけのマスコミと大違いである。
 久麗爺は起きて、あぐら座りになった。年のせいか、寝た状態から急に立ち上がるのが苦手になった。
「惑星侵略委員会は侵略方針を確定した。いよいよ、本格的にやるぞ」
「いよいよ・・・かい」
 具台的に何をどうするか、全長30キロの宇宙船を駆る連中の胸の内は計り知れない。
「いや、その前に・・・」
 イム・ベーダーが耳を押さえた。何か通信が入ったようだ。
「また、つまらない事を仕掛けようとする者がいる。さて、少しは考えた行動であろうかな?」
「つまらない・・・」
 久麗爺はイム・ベーダーの言葉を復唱していた。つまらない事が多ければ、地球は消去されてしまう。
「さて、生放送スタートだ」
 イム・ベーダーはテレビのスイッチを入れる。四畳半のテレビは20インチ、今時にしては小型な方。実は卓上パソコンの別機能だ。大小、二人の男が並んで小さな画面を見る。
 これは、あなたの家のテレビ受像器の故障ではない。こちらで放送電波を制御している・・・例の字幕が黒画面に流れた。
 ぱっ、画面に素人っぽいオヤジが二人映った。久麗爺とイム・ベーダーだ。いつの間にか、あのドローンも室内にいた。一緒に転送して来ていたのか。
 ぴぴっ、またイム・ベーダーに通信が入った。
「やれやれ、18号機が攻撃を受けてしまった。映像は1分前から流す」
 テレビの画面は地球を衛星高度から撮る図になった。
 どこか、茶色い砂漠地帯の上空を行く宇宙船。地上との間に雲が無く、30キロの高度を感じられない画だ。地上には、かすかに何本か細く白い線が見える、道路であろうか。
 東側から小さな光が上昇した。宇宙船の高度を超え、さらに高く行く。光が消えた。
 と、宇宙船の上面で大きな光が起きた。全長30キロの宇宙船と比較すれば、光の直径は1キロほどか。しかし、数秒で消えた。
 地上から宇宙船を見上げる画面に切り替わる。黒い影の向こう側で、何かが光る。しかし、地上は平穏そのもの。
「今回も核ミサイルか。いや、爆発の規模からすれば、水素爆弾だろうな。1メガトンくらいはあったかなあ。あそこでは地上より気圧が低いから、プラズマ火球の大きさより密度が問題だな」
 久麗爺が光を分析する。大き過ぎる敵に対して、地球側の兵器は小さ過ぎる。
「いや、しかし・・・ひとつの方法ではあるな。大威力の水爆を使うなら、あれの上側で爆発させれば、地上への影響を最小限にできる。いやいや、あれを本気で撃ち落とす気なら、上も下も関係無くなるか」
「芸の無い反応だ。つまらん連中は消去する」
 イム・ベーダーが静かに言った。まだ本格侵略の前だ、地球全体が消去される場面ではない。
「許可する」
 通信機を操作し、イム・ベーダーは言った。
 宇宙船は移動速度を上げた。砂漠地帯から、草原と思われる地帯へ入った。
 数機の飛行機が接近する、偵察機だろう。がんばって高度を上げても、1万メートルと少し。宇宙船には近づけない。
 ドローンが近寄って飛行機を撮れば、赤い星のマークがあった。中国の飛行機だ。ロシアのTu−16爆撃機をコピーした偵察機、さっきの攻撃の威力を偵察している。
「中国が持つ水爆なら、最大の物は3メガトンから4メガトン。だが、はたして、自国の都市近くで使う度胸があるか・・・文化大革命や天安門事件を考えれば、国民の犠牲より共産党の威厳の方が優先するかな」
 次の攻撃を予測すると、久麗爺は頬がひくと動いた。
 テレビは別のドローンからの画になった。高層ビルの並ぶ都会、上空に全長30キロの宇宙船が現れ、落とす影で町並みが暗くなって行く。
 また別のドローンからの画だ。日本人でも知っている場所、北京の中央、天安門前の広場だ。巨大な毛沢東の肖像画が門に掲げられ、共産党の威厳を現している。
 北京の空はスモッグで灰色が日常、共産党大会などが行われる時にだけ青空になると云う。そんな北京の空が急に晴れ渡り、青い空と白い雲が見えてきた。宇宙船からの衝撃波がスモッグを吹き払っているようだ。
 さらに低高度からの画、地上から数メートルで、道行く人の顔が見える。
 と、道に立つ兵士が画面に指差した。彼らはドローンを見つけた。ライフルを構えて、ドローンを狙う。急に高度を上げ、画面は地上から離れた。
「芸の無い連中だ」
「いや、地球では、あれが普通の反応だと思う。日本では、鉄砲を街中で持ってるやつは少ないけど」
 イム・ベーダーは口をへの字にする。なだめようとする久麗爺だが、内心は冷や汗ものだ。
「おじいちゃん、お茶とお菓子よ」
 嫁の美智が戸を開け、盆を差し出した。もちろん、化粧もバッチリしていた。今朝と同じく、完璧な主婦を演じようとしている。
 イム・ベーダーは頭を下げて礼をする。日本の習慣を熟知している様子だ。
 宇宙船が舳先を上へ、やがて垂直に立った。腕を出し、足が出て、また身長30キロの人型に変形していく。
 テレビでは、北京の天安門前の100メートル上空からでも、空にそびえ立つ巨大ロボットが見える。天高く雲を突いて立つ巨人を背景に、道路が渋滞し始めた。家へ急ぐ車が、巨大ロボットから逃げようとする車が、それぞれの思惑で鼻を突き合わせている。
 巨大ロボットの足が地面に着いた。もうもうと土煙が上がる。ビル群が煙に包まれてみえなくなった、高さは100メートル以上か。突風で自動車の列も乱れた。
 テレビを見ながら、イム・ベーダーの口元がほころんだ。地上の混乱が面白いようだ。
 また、操縦席へ誘われるかも、と久麗爺は身構える。今回は断るつもりだが、誘惑に勝てるか、その時にならなければ分からない。
「爺ちゃん」
 太郎が顔を見せた。ちょいイム・ベーダーに睨みをきかせ、久麗爺の横に座った。長男として祖父を心配しているのだ。
「また、向こうが動くぞ。同時映像に切り替える」
 イム・ベーダーが宣言して、テレビの画面が少し変わったように感じた。
 土煙は薄くなって、市街地の混乱が良く見える。市民の車はロボットから遠くへと動き、戦車が道を塞ぐように列を作っている。まるで、怪獣を迎え撃つ自衛隊のような図だ。
「来た」
 イム・ベーダーがつぶやくように言った。
 小さな光が巨大ロボットの背後に近付いた。ぽっ、大きな光になってロボットの頭部を覆った、核爆発だ。
 どどどん、衝撃波が北京市内を揺るがす。
「また、背中への攻撃か。街への被害を最小化する作戦、当然と言えば当然だな」
 久麗爺が中国軍を評した。
「戦争・・・だよね、これ」
 ごくりとのどを鳴らし、太郎がうめく。
 隕石の衝撃波ではない、原爆の衝撃波で起きた土煙が街を包んでいる。が、赤茶けた土煙が晴れると、ロボットは悠然と立っている。
 渋滞の列では、人々が車から降り始めた。車を捨て、走って逃げる。
「また、来るぞ」
 イム・ベーダーが言うのと同時に、小さな光が巨大ロボット目がけて飛んで行く。しかし、今度は北京の方から飛んで行く。
 ぱっ、一瞬、テレビ画面が白一色になった。核爆発が巨大ロボットの正面、北京側で起きたのだ。
 また街が映る。どどどん、画面が激しく揺れた。すでにチリは吹き飛ばされた後か、ごく薄い土煙が街をおおう。
 ドローンが高度を下げて、地上近くに来た。天安門に掲げられた毛沢東の肖像画が傾いている。
 動く物は無い・・・よろよろ、車と車の間を歩く人があった。他は、地面にうずくまり、あるいは倒れている。高度20キロ以上での核爆発とは言え、メガトン級衝撃波の威力だ。
 街のあちこちで黒い煙が上がる、火災が起きていた。衝撃波で家の中の電線がショートしたか、台所から出火したか。
 太郎はカチカチと歯を鳴らした。アフガニスタンやシリアの戦争をテレビで見たけど、ピンポイントで爆弾や砲弾が炸裂していた。面で街が被災する場面は、地震や津波でしか見た事が無い。原爆は普通の爆弾と違う、その思いを確かにした。
 そんな北京を見下ろして、巨大ロボットは泰然と立って・・・ぐらり、肩が揺れた。ひざが崩れ、体が斜めになっていく。
 ごごご・・・身長30キロのロボットがゆっくり斜めになりながら、不規則な衝撃波を発していた。だらりと両腕は垂れ、体が屈んでいく。
「よし、その状態を維持」
 イム・ベーダーが通信機に言った。
 太郎はテレビの傾いたロボットを見て、イム・ベーダーを見た。その顔は平静だ。指揮官ゆえ、何か予測不能な事態が発生しても、感情は表に出せないのか。巨大ロボットは不正常な状態になったが、沢山ある宇宙船の一機にすぎない。彼らと地球側の力の差は、まだまだ大き過ぎるほどある。
「北朝鮮は、攻撃の後、うれしそうに放送した。さて、中国はどうだろうか」
 久麗爺はあごの無精ヒゲをかき、下駄の裏側のような共産党主席の顔を思い出した。首脳外交の場では、笑ったり仏頂面だったりと感情を表に出す男である。
「それは確かに興味深いな。ふむ、彼らも放送したがっているようだし、中継してやろう」
 イム・ベーダーは通信機を操作する。小さな機械だが、とても多くの機能があるようだ。
 じゃっじゃーん、テレビ画面は赤地に白い星の旗になり、ファンファーレが鳴った。中国の国営放送らしい画面だ。
「あれえ、おばさんじゃない」
 太郎が声を上げた。最近は女性の報道官が政府発表をする事が多い国営放送、今日は胸に勲章を重そうに飾り付けた軍人である。
「中国人民、そして世界の人民諸君、今日の共産党が行った快挙を見よ。敵なる宇宙人のロボットに一矢を報いた。我々は犠牲を恐れない、あらゆる困難を排し、共産主義の旗の下、世界人民のトップとして宇宙人の侵略に立ち向かう!」
 もちろん、同時通訳のサービス付き放送だった。鼻の穴を大きくして、テレビの軍人はしゃべるしゃべる。となりの侵略者の方が、よほど好ましい人物に見えてきた。
 イム・ベーダーは聞きながら肩を落とした。感情を素直に表に出した、期待に反する内容の放送だったのは明らか。
「つまらん」
 一言もらし、イム・ベーダーは通信機を操作した。テレビは北京の風景に変わる。
 中国は消去される・・・久麗爺は首が痛くなった。他国ながら、中国は日本とつながりが深く長い。中国の混乱は、多くの場合、少しの時間を置いて日本に来る。秦氏の渡来、元寇、日清戦争・・・と、中国の戦乱が日本に影響した例は数え切れないほどだ。
「さて、BGMスタートだ」
 イム・ベーダーが言うと、テレビからビートの効いた音楽が流れた。明らかに地球の音楽、そう古いものではない。
「あ、マイケル・ジャクソンだ」
 太郎が曲に気付いた。
 巨大ロボットの腕が動いた。しかし、何やらぎこちない動きだ。
 体を起こし、肩が揺れる。けど、やっぱりギクシャクした動きの巨大ロボットである。何か変だ。
「スリラーだね、まだ明るいけれど」
「地球人になじみ深い曲の方が、何かと効果的と思った。見て聞いて、面白いだろう」
 太郎が曲名を言い当てる。にやりとして、イム・ベーダーが答えた。
 マイケル・ジャクソンの『スリラー』に合わせ、巨大ロボットが舞い踊る。ゾンビ踊りゆえ、ギクシャクがたがたと不規則な動きだ。

 ♪I'm gonna thrill ya tonight, ooh baby
 ♪I'm gonna thrill ya tonight, oh darlin'
 ♪Thriller night, baby, ooh!♪

 テレビで踊りを見る方は気楽なものだが、現地は大変だ。なにせ身長30キロのゾンビが手を振りステップを踏む。手足の先端速度はマッハ3以上、キロトン級の衝撃波が音楽に合わせて発生する。断熱圧縮が発生、手足の先端は炎をまとっているかのよう。そして、ステップごとに1800万トンの地震動が大地を揺るがす。
 足元の北京市内では、耐震基準の無い高層アパート群が将棋倒しに倒れていく。道路は波打ち、車が踊るように揺れる。天安門の毛沢東肖像画は壁から落ちて、地面でバラバラに砕けた。

 ♪The thriller〜thriller〜thriller〜ooh!♪

 じゃんじゃん・・・音楽がフェードアウトして、巨大ロボットの踊りも終わって元通りの直立姿勢となる。静かになった廃墟寸前の北京を見下ろす巨大ロボットの画面。
「電波を返してやろう。はてさて、今度はどんな顔で放送するかな」
 イム・ベーダーは通信機を操作した。テレビが日本のスタジオになった。緊張した顔のアナウンサーが席に着き、原稿をチェックしている。
 久麗爺はリモコンの消音ボタンを押した。連中のキーキー声は耳にやさしくない。
 胸をなで、気を落ち着かせる。今日、消去されたのは北京だけだ。今、本当に心配すべき事は地球全体の消去である。中国は日本に比べたら大きな国だが、地球全体からすれば、ほんの一部に過ぎない。
「そうそう、そちらの何とか委員会が方針を決めた・・・と言っていたが」
 何か別の話題を探した。で、この部屋にイム・ベーダーが現れた時の言葉を思い出した。
「うむ、明日だ」
「明日?」
 ひく、ほおが動いた。
「ヘリオセ・スベータ型侵略を本格的にやる。地球側の代表は、久麗均一氏になってもらおう」
「え・・・わし!」
「場所は、この街で一番大きな観客席のある所、スタルヒン球場。時は、明日の朝、8時から。動きやすい服装で来たまえ」
「明日の朝、8時から・・・スタルヒンへ、動きやすい服で」
 イム・ベーダーの言葉を、一々復唱してしまう久麗爺であった。
「戦いを本分とせぬ者が、意に反して戦いの最前線に立ち、全地球の運命を背負う・・・ドラマチックだろう」
 にやり、イム・ベーダーは笑みを投げてきた。口元から大きな牙がのぞき、頭の角が栄えて見えた。
 戦いを本分とせぬ者の戦いをドラマチックと感じるのは、勝って生き残った者だけだろう。あるいは、戦いの傍観者か。
 じゃね、と軽い言葉を残し、イム・ベーダーが消えた。
 きん、気圧の変化で耳が痛い。頭を両手でかかえ、久麗爺は床に身を投げた。
「爺ちゃん」
 太郎が声をかける。
 孫の声かけには、つい笑顔を返してしまう久麗爺だった。
「ヘリオセ・スベータ型侵略・・・地球の言葉では、暇つぶし。あるいは、退屈しのぎ・・・」
 久麗爺は記憶を探り、宇宙人の真意を考えた。狩りとか釣りとか、他の生物の死や苦痛を前提とする娯楽が地球にも存在する。今回の侵略も同じと考えられる。
 大事なのは生き残る事、消去されない事だ。
 こんな爺いが地球の代表・・・と、宇宙人から指名された。宇宙人の暇つぶしに付き合うのは命がけになる、それだけは確かなようだ。
 窓から指す陽が赤くなってきていた。

 その夜は、また色々な人が四畳半に集合した。深夜まで結論の出ない話し合いを続けた。


3日目


 夜明け前、久麗爺は布団を出た。昨夜は来客対応で遅く寝たが、結局、いつもの時刻に起きたのである。
 寝間着兼用のジャージを着たまま外へ、裏玄関前で朝の空気を吸う。風と鳥の声に耳をすませた。表通りから自衛隊か警察の声が聞こえてくるが、そちらは聞こえないふりをする。
 タブレットを鳥エサ台に置き、ビデオを再生した。
 タンターカタタタッ、調子の良いピアノの調べ。ラジオ体操の始まり、今日はピチピチのレオタード娘を選択した。
 男のロマンを味わいながら手足の運動。
 昨日は、ここでイム・ベーダーが来た。でも、今日は地面は揺れず、静かなままだ。
 最後の深呼吸をして、体操は終わった。
 朝日が大雪山の向こうから顔を出す。かあっ、顔が照らされて熱くなった。
 戦いを本分とせぬ者が、意に反して戦いの最前線に立ち、全地球の運命を負う・・・イム・ベーダーの言葉を反芻した。考えれば、それも確かに男のロマンである。
 むんっ、己の腹に力を入れた。ぷり、小さな音でガスが漏れたが、問題にするほどでもない。
 タブレットを手に家の中にもどった。
「お爺ちゃん、朝ご飯ですよ」
 嫁の声があった。テレビを意識しているのか、昨日からと同じく、礼儀正しい発音だ。
 居間へ行くと、いつもと違う風景・・・と言うか、光景があった。
 息子の久麗念努はスーツでネクタイを締めていた。嫁の美智は化粧を決め、着物の上に割烹着を着けて給仕をしている。長女の美優は高校生らしいセーラー服で、きっちり髪が梳かされていた。太郎は学生服の襟元をしっかり締めている。
 小学生の美佳以外は、顔も緊張した感じ。どこからドローンのカメラが撮っているか、それを意識しているのかもしれない。
 とにかく、全員がよそ行きの雰囲気だ。
「お爺ちゃんも、食べたら着替えて下さいね」
「いや、しかし・・・動きやすい格好で来い、と言われてるし」
「そんな恥ずかしい格好で出かける気?」
 ぎろり、嫁から殺意のこもった眼差し。久麗爺は言葉も無く同意するしかなかった。

「こんな事もあろうかと、捨てずにクリーニングしておいて良かった」
 嫁は満面の笑み。
「こんな事も・・・て」
 久麗爺は嫁の言葉を反芻しかけて呑み込んだ。一家の主婦ともあろう者が、宇宙人の侵略を予見していたはずは無い。
 さて、久麗爺がお仕着せられたのは、念努と美智の結婚式で着たモーニングであった。年数は経っているが虫食いも無く、体型が変わってないのでピタリと合う。
 モーニングスーツにステッキを持つ。かつては紳士のたしなみであった。現代の老人は体を支える杖としてステッキを想像するだろうが、ほんの百年前、道の事情は全く違っていた。ステッキは道に転がる馬糞や犬の糞をポイと除ける道具だった。靴を糞で汚さぬように歩くには必需品だったのだ。男が道をきれいにした後、女たちはスカートを引きずって歩いた。
 モーニングにどでかいボロなドタ靴を履き、小さめの山高帽をかぶれば、あのチャップリンの扮装になる。
 しかし、嫁が出して着たのはシルクハットだった。もちろん、結婚式でかぶった物である。これにマントと片眼鏡でも着けたらアルセーヌ・ルパンかモリアーティ教授か。
 とにかく、帽子を頭に乗せ、玄関へ出た。
 外には、右に警官隊、左に自衛隊が列を成していた。これでヒゲをたくわえれば、気分はハルピン駅へ向かう伊藤博文か、観劇へ出かけるエイブラハム・リンカーンだ。
 玄関で見送る家族に手を振り、久麗爺は市役所の車に乗った。前後左右を警察と自衛隊の車両が警備して、大名行列な感じになっている。
 旭橋を渡り、石狩川を越えた。ごつごつ、リベットだらけの鉄骨構造が、約90年前と言う建造時代を偲ばせる。
 右手に護国神社の鳥居と森を見て過ぎれば、いよいよスタルヒン球場である。
 球場と道路をはさんでいるのは陸上自衛隊の旭川駐屯地。国道を封鎖して戦車と装甲車を配置、球場を完全警護するに手間は無い。
 久麗爺を乗せた車の行列は球場の駐車場に入った。
 車を降りて、球場のスタンドを見上げた。わーわーっ、何やらにぎやかである。
 出迎えた大山市長は落ち着かないそぶり。わーっ、球場内から声が起きるが、耳を逸らしたがる様子。
「こんだけ警戒してるから、観客はゼロかと思ったのだが」
「今日は、市民に対して開放してる訳ではない。彼らは検問がきかない、勝手に入ってしまった」
「市民じゃないとすると、誰なの?」
 市長は口をつぐんだ。言いたくないらしい。
 国道沿いに建つスタルヒン像に片手で挨拶、投球フォームをまねてみた。ちょっと腰にきて、本来の目的を思い出す。
 スタンドへの入り口に向かって歩いて、息を飲んだ。鬼が入り口を塞いで立っていた。
 身の丈は3メートルほどもある、むき出しの山のような筋肉が鎧のよう、猛牛のような頭の角が猛々しい。あああっ、右の鬼は口を開き、牙をさらして、今にも噛み付きそうな形相。んんんっ、左の鬼は閉じた口もとに牙がのぞき、太い金棒を軽々と担いでいた。
「武器の持ち込みは認めない」
 鬼が角を振って言った。久麗爺の後ろに続く警官と自衛官に忠告だ。
 広川と黒岩は拳銃を懐から出し、部下にあずけた。警官隊と自衛隊は外に待機、広川と黒岩だけが代表として同行する事になった。
 鬼は左右に分かれ、通路を開けた。
 すでに、スタルヒン球場は宇宙人の手に落ちていた。この先は地球の法律も常識も通じない場所、と覚悟が必要だ。

 1塁側、直接グランドに通じるゲートをくぐった。
 グランドへ踏み入る前に、もう感じた。建物は以前のままでも、耳に入って来る声が、言葉が日本語ではない。かと言って、テレビで良く聞く英語や中国語でもない。あえて喩えるなら、旭山動物園のサルやペンギンたちが騒いでるいるかのよう。
 久麗爺と一行はグランドに入った。スタンドから背中へ声を浴びる。くえっくえっ、かーかーっ、どう解釈しても人語に聞こえない。
 顔を上げて対面のスタンドを見れば、人外の物の怪たちで埋まっていた。形容のしようが無い姿と形の生物らしき者たちが席に着き、触手か触角のような物を振り回している。
「お爺ちゃん!」
 突然、聞き慣れた声と言葉が耳に来た。
 声の方向を探ると、バックネット裏の最前列に久麗一家が、息子の念努、嫁の美智、そして三人の孫たちがいた。それを囲むのは、もちろん異形の宇宙人たちだ。転送でやって来たのだろうか。
 これは人質に等しい。何があろうと、ここから逃げ出せないようにされた。
 久麗爺は市長らを捨て置き、足早にダイヤモンドの中央へ、ピッチャーズマウンドへと歩を進めた。
 ひゅう、風を感じた。
「お早う」
 イム・ベーダーがマウンドのプレートを踏んで立っていた。いつもの虎縞なツナギである。転送して来たのだ。
「お早う」
 久麗爺も帽子に手をやり、あいさつを返す。
「それが、動きやすい服なのか?」
「いや、その、嫁が・・・ね」
 うむ、とイム・ベーダーは頷いた。
「地球側の代表は来たぞ。そちら側の代表は?」
「もうすぐ来る」
 イム・ベーダーは振り返り、南の空を仰いだ。すこし緊張して見えた、なんとか侵略委員会の理事ともあろう者が。
 久麗爺も南の空を見た。先日、旭川の上空に来たのと形の違う宇宙船が見えた。少し青白く霞んでいるが、まだ距離があるせいだ。
 手の指で上下左右の角度を測る。高度が30キロより上なら、この前のより確かに大きい。
 宇宙船の下面に垂れ下がっている物がある、ロッドか釣り糸のように見える。が、細く見えるのは宇宙船の大きさゆえと知った。
 どどどんどん、衝撃波が体を揺さぶる。スタルヒン球場が・・・いや、旭川が宇宙船の日陰に入った。近付くにつれ、垂れ下がっていた物が、実は幅数十メートルもある建造物なのがわかった。
 陰が濃くなり、夕暮れのようになってきた。天空の大部分を宇宙船が覆ってしまったせいだ。
 球場の照明灯が点いた。グランドが明るく照らされる。
 雲を割って、天空から垂れた塔の先端が近付いた。風が強くなった。
 塔の先端がスコアボードの上をかすめ、ついにグランドへ降りて来た。
 パパパッパパーッ、ラッパのような音が響いた。
 7人目の天使がラッパを吹くと、獣が地に放たれて・・・久麗爺は何かの本で読んだ一節を思い出した、何の本だったかは思い出せない。
 塔の先端が開いて、階段のような物が出て来た。人が乗っている。
 階段の下端がダイヤモンドの2塁ベース付近に接した。動く階段に乗り、人が降りて来た。
「諸君、我がアスタータ惑星侵略委員会筆頭理事、キミノヒ・トミ様である」
「とみ? おトミさんね」
 イム・ベーダーが降りて来た者を紹介した。筆頭と2位では、立場は天と地ほどの差、まるで執事のような言葉遣いと態度である。
 久麗爺は目をこらした。侵略者の筆頭の姿を目に納める。
 どう見ても女である、ナイスバディーでセクシーダイナマイツ。イム・ベーダーと同様な虎縞の上下を着ていながら、長い髪を風に巻いて、ビッグなバスト、締まった腰、グレートなヒップにワンダホーな太股だ。大きめなヒラヒラのあるピンクの扇子が女らしい。
「なにゆえか、わたしが出張る事になろうとは」
 キミノヒ・トミがつぶやくように言った。
「戦いを本分とせぬ者が惑星の運命を決する最前線に立つ、これが面白いかと」
 イム・ベーダーの答えにキミノヒ・トミは眉をうごかし、ゆるりとピッチャーズマウンドへ歩を進める。
 まさか、と久麗爺は半歩下がる。
「さて、諸君、地球側代表は久麗均一氏、侵略委員会側の代表がキミノヒ・トミ様。本来、二人は戦士ではないが、今日の戦いの主役である」
 イム・ベーダーの紹介に、くけけけっ、ぐわぐわっ、観客席が人外の声で沸いた。
 本気かよ・・・久麗爺は疑いの目を向ける。
「どのように戦うか、その方法を説明しよう。この星で、その中の小さな国で昔からある競技、相撲でいこう」
「相撲を、男と女が?」
 つい声を出し、久麗爺はキミノヒ・トミを見た。女なのは外見だけ、中身は別物かもしれない、宇宙人であるし。
「現代の相撲のルールでは面白くない。この競技が始まった原初のルールに立ち戻ろう」
「昔のルールでね」
 久麗爺は相撲の歴史を脳内で再現する。
 日本における相撲の期限としては、垂仁天皇7年(紀元前23年)旧暦7月7日 、野見宿禰と当麻蹴速の戦いがある。柔道や空手など、すべての格闘技の起源とされる。当時の戦いは、蹴る殴るが主体。最後は、倒れた相手の足を蹴り折って殺してしまった。現代ならデスマッチと呼ばれる決着の付け方。
「しかし、それでは地球側に不利である。なので、ハンディキャップを与えよう。久麗氏がキミノヒ・トミ様の頭の角に触れたら地球側の勝ち、とする」
「角に?」
 久麗爺はキミノヒ・トミを見た。
 細い首、9頭身はあろうかと言う小さめの頭、その左右に小ぶりな角があった。
「両国梶之助のごときハンデであるな、ありがたくって涙が出そうだ」
 ぼそり、久麗爺はつぶやいた。17世紀後半の横綱、両国梶之助は芝居「濡れ髪長五郎」のモデルとも言われる。色白の美男子で無双の怪力であったとか。強過ぎて、そのままでは戦う相手がいない。で、結った髷に櫛を差し、櫛が落ちたら負けにしてやると言った。土俵の外に出たら負け、足の裏以外が地に着いたら負け、等々の現代相撲につながるルールの元祖である。
「ひとつ、質問がある」
 久麗爺は手を上げ、イム・ベーダーに向き直った。
「他の国でも、同じような事をしてるの?」
「いや、ここだけである。この、たった一度の勝負で全てが決まるのだ。ドラマチックだろう」
 ふふふ、イム・ベーダーは口元から牙をのぞかせて笑った。
「さあ、始めよう。日没までに、この惑星の運命が決まる」
 言うだけ言って、イム・ベーダーの姿が消えた。グランドにいるのは、久麗爺とキミノヒ・トミの二人だけだ。
 久麗爺はシルクハットを捨て、髪の薄い頭を出した。モーニングの上着を脱ぎ、狭い肩幅を出す。しかし、体が軽くなり、動きやすくなった。
 キミノヒ・トミは手の扇子を捨てた。背をのばし、きつい視線で年寄りを責める。
 昔、少しは柔道をやった。脇を締め、両手を前に出してかまえる。足は右自然体である。
 と、ここで気付いた。敵は我の中にいる。男の煩悩が敵になっていた。
 目標はキミノヒ・トミの頭の角である。が、しかし、男の目はビッグなバストに、グレートなヒップにクギ付けだ。
「どうした、そちらが来ぬなら、こちらから行くぞ」
 キミノヒ・トミが歩を進めた。やや前傾姿勢になり、猛禽類が獲物を狙う体勢である。
 久麗爺は背を丸め、じりと後退した。自身の中の煩悩と格闘中なのだ。外敵と戦う状態にない。
「戦う気は無いのか? つまらんのう」
 キミノヒ・トミがつぶやいた。
 ぎくり、久麗爺は足を止めた。大事なのは勝ち負けではない、と思い出した。面白い、と宇宙人たちが感じる事が重要なのだ。地球が消去されず、人間が生き残るための条件だ。
 キミノヒ・トミが右手を出して来た。
 久麗爺の頭に閃いたのは、若い頃に習った柔道である。一本背負いで投げ、相手の体を支えて、さやしく着地させる。そして、右手を頭にのばして角に触れる・・・ジ・エンド。
 ここで注意したいのは、久麗爺が習った柔道は現代のものとは違う事だ。相手が出して来た右手の手首を左手でつかみ、ひねって逆に極める。こちらも身を沈めながら踏み出し、右手で相手の右脇下をつかみ、右肩を極める。そして、体を密着させて背負いに投げるのだ。ロシアのコマンドサンボでは似た技があるが、現代の柔道オリンピックルールでは完全な反則技である。よい子は決してマネをしてはいけない。
 キミノヒ・トミの手が20センチの距離に迫った。やや腰高、両の足がそろっている。
 久麗爺は身を低めながら踏み出した。右手と左手を同時に出し、相手を捉える作戦だ。
 手が触れようとした・・・その瞬間、バチッ、火花が飛んだ。
 全身の筋肉が意思に反して動き、久麗爺は倒れた。叩き付けられた、と感じるほどの衝撃だった。目の前が暗い、耳鳴りで何も聞こえない。
 腹筋が動かない、横隔膜も動かない、久麗爺は息が止まってしまっていた。しかし、数秒すると、大きく腹が動いた。あっあっ、なんとか息をして、全身の強張りを解こうとする。
 ゴロリ、仰向けから俯せになれた。深呼吸して、平衡感覚を取り戻す。
 両目を開き、視界に以上が無いのを確認して、ゆるりと久麗爺は立ち上がった。さっきの衝撃を自己分析、三船久蔵が試合で一度だけ使った幻の技、空気投げを考えた。しかし、何かが違う。
 呼吸を整えながら、久麗爺はキミノヒ・トミと対峙する。さっきより低い姿勢で距離を詰めた。
 空気投げの原理は、相手が踏み込む方向に引き込み、バランスを失わせて自ら転倒させる。重心位置が後方にあれば成立しない。
 ふと、さっきより心が落ち着いているのに気付いた。あの衝撃は強烈だったが、おかげで、男の煩悩が吹き飛んだようだ。
「目が覚めたか? さっきより、良い面構えであるぞ」
「ありがとう」
 キミノヒ・トミの言葉に久麗爺は笑顔で応えた。しかし、戦いは別だ。
 左足に体重をかけ、右足を前に出す。じりっ、やや変則な右自然体で間を詰めた。
 しゅっ、久麗爺は踏み込んだ。でも、重心は体の中央、空気投げをくう心配は無い。
 と、視界からキミノヒ・トミが消えた。右にも左にも姿が見えない。
 どん、首と肩にショック、同時に重さを感じた。前傾姿勢が制御不能で深くなる。このままでは前のめりに転倒しそうだ。
 実はキミノヒ・トミが久麗爺の頭に乗っていた。女とは言え、一人分の体重が頭にかかれば、プロレスラーでもなければ、普通は直立不能だ。
 ととと、久麗爺は両手をつき、四つ這いで転倒を堪えた。急に頭と肩が軽くなった。
 ふわあり、キミノヒ・トミは地面に降り立つ。
 久麗爺は陸上短距離走のクラウチングスタートの要領でダッシュした。あと数センチで手がとどく・・・その一瞬前に、キミノヒ・トミは跳んだ。
 手が空振りする。が、しっかり目は追っていた。
 それはジャンプではなかった。キミノヒ・トミは飛んで、あるいは宙に浮いているように見えた。
 地球の重力をキャンセルする物を身に着けているのか? いや、宇宙人であるし、彼らが持つ基本的な身体能力かもしれない。
 彼女は数メートル離れた所に着地。ふう、大きく息をついた。
 地球人より大きく跳ぶ力を持っているが、それなりに体力を使う能力のようだ。追い込むうちに、やがて跳べなくなる。その時に捕まえられるだろう。
 正統な柔道のように手をつかむのは諦め、足に狙いを変えた。三船久蔵十段がやった双手刈りで、まんぐり返しに倒してやる、と心の中で誓った。
 がるるる、久麗爺は歯を剥きだして、闘志を露わにする。見る人が見れば、発情した痴漢親爺そのものかもしれない。
 また前傾姿勢をとり、痴漢親爺は・・・・もとい、久麗爺はダッシュした。
 キミノヒ・トミが跳んだ。
 その足を狙い、久麗爺は手をのばす。あと数ミリで細い足首と脹ら脛をつかむ・・・と、その時! 
 バチッ、火花が飛んだ。
 どさっ、グランドに体が叩き付けられた。息ができない、目の前が暗くなっていく。
「この程度かえ、つまらんのう」
 キミノヒ・トミの言葉が聞こえた。しかし、久麗爺は反応できない。
 つまらん・・・その言葉の意味は重い。人間が、地球が消去の危機にあるのだ。だのに、体が動かず、地面に大の字だ。何もできない自分を恥じ入る事さえできない。
 回る・・・体が回る感覚。平衡感覚が崩れている。突然、地面が割れて、無限の闇に落ちて行くような気がした。

 その時、イム・ベーダーは観客席にいた。久麗家の席の並び、太郎のとなりに座っていた。大柄なイム・ベーダーと比べては、太郎の体格は半分ほどに見える。
「爺ちゃん、何がどうなって?」
「ふむ、キミノヒ・トミ様の電気ショックがあったようだ」
「電気ウナギみたいに?」
「地球の単位で測れば、最大で100万ボルトほどになる場合もある」
「100万ボルト!」
「しかし、電流にすれば0.1アンペアも無いはず。我々と地球人では、体の作りに大きな差がある訳ではない。健康ならば、ちっと痛い・・・いや、かなり痛い場合もあるだろう」
 悠然としてイム・ベーダーは事態を解説した。ひく、ほおが動いた。
「爺ちゃんは健康だとしても、年寄りだよ」
「老齢なのは、少し問題かもしれない」
 太郎に突っ込まれ、イム・ベーダーはグランドに注目した。久麗爺は倒れて動かない、立ち上がる気配が無い。
 びくり、イム・ベーダーは手首の装置をいじりる。とたん、太郎のとなりは空席になった。

 グランドの真ん中、久麗爺は大の字に倒れて動かない。
「来たか。なんとかせい、つまらんではないか」
 キミノヒ・トミは現れたイム・ベーダーに言った。
 確かに、戦いは始まったばかり。早々に終わったとあっては、セッティングしたイム・ベーダーの責任問題になりかねない。
 と、背後に虎縞のマントを羽織った男が、もちろん頭に角を生やした宇宙人である。
「おおっ、メッド・イシンか、来てくれたな」
「この現場をモニターしておりましたので。確かに、これで終わっては、侵略に来たかいも無い」
 顔に継ぎ目のある医師であった。彼ら宇宙人のための医師ゆえ、実は、地球人は専門外である。
「しかし、これは地球人だ。おまえに診られるのか?」
「ご心配はもっとも。しかしながら、若い時分、獣医の助手を務めた事もありますので」
「獣医の助手ね」
 イム・ベーダーの心配をよそに、メッド・イシンはカバンを開いて準備をする。
「高圧酸素よし、点滴よし」
 久麗爺の顔にマスクをかぶせ、左手に厚いベルトをした。頭にバンドをはめると、角が生えたように見える。
「準備良し。では、3・・・2・・・1・・・」
 メッド・イシンはカバンのスイッチを入れた。ぴぴっ、小さな音がした。
 はうっ、久麗爺が目を開けて息をした。はーっはーっ、大きく息をつきながら上体を起こす。
 ぜえぜえっ、肩で息をしながら、久麗爺は顔のマスクと頭のバンドを取った。医療器具なのだが、体に付いていると気持ちが悪くなる、無意識の内に外してしまった。
 メッド・イシンはマスクとバンドを回収して、カバンのモニターを見る。
「概ね問題無し。あとは、様子を見ましょう」
 久麗爺の左手からベルトを外す。皮膚に触れ、ひとつ頷いた。
「では」
 カバンを片付けるや、メッド・イシンは一礼して消えた。
 転送で行った先は観客席、太郎から二つ目の席。さっきまでイム・ベーダーが座っていた席のとなりである。
 グランドに座り込んだまま、久麗爺はキミノヒ・トミとイム・ベーダーを見上げた。呼吸は落ち着いてきた。
「できるか?」
 小声で尋ねるイム・ベーダーに、久麗爺は頷く。ちょん、と片膝を立てて座り直した。
「観客のみなさんへ、侵略者の方々へ、いやさ・・おトミ、待たせたな。さあ、試合再開だあ」
 ゆるりと久麗爺は立ち上がり、ひたいの汗を指で飛ばした。土で汚れたシャツを脱ぎ捨て、上はアンダーシャツだけになった。
 よし、とイム・ベーダーは転送で消える。スタンドの太郎のとなりの席へ移動した。
 ふんっふんっ、と鼻で気合いを入れ、久麗爺は軽くステップ。リズムを取りながら、グランドで踊るような仕草。
「今のオレは、さっきまでのオレではない。もう、貧弱なジジイとは言わせんぞ」
「そんな事、わたしは言ってない」
 キミノヒ・トミは冷静を装う。地球人を見下しているようでいて、対戦相手の分析は欠かさない態度である。
 体に力がみなぎる、こんな気分は何十年ぶりか。久麗爺の精神は高揚していた。やれと言われたら、天にまで駆け上れそうだ。

 観客席でイム・ベーダーは首を傾げた。
「おまえ、何をしたんだ?」
「点滴液の中に、興奮剤とか抗電気剤とか加速剤とか・・・なにぶん、地球人に処方するのは初めてなもので。相乗効果と言うか副作用と言いますか、その辺は未知の部分も大きいのです。やってみなきゃあ、わからない・・・てね」
 へっへへ、メッド・イシンは笑みで疑問をごまかす。
 横で聞きながら、太郎は頷いた。少なくとも、宇宙人の一人は面白いと感じているようだ。

 ラァァァイッズ・・・アァァァップ!
 奇妙な気合いで久麗爺はダッシュした。両手を下げ、頭から突きかける。
 ふわり、キミノヒ・トミは跳んだ。優雅に、白鳥の飛び立ちをスローで見るよう。
 さっきより近くに寄った、そう確信して久麗爺は手を前に出した。
 キャッチ! ついに女の細い足首をつかんだ。右手は空振りしたが、左手で右足首をつかんだ。
 女が落ちて来ると思いきや、落ちて来ない。左足で頭を蹴られた、ビシッバシッ、後ろから前から往復の蹴りだ。
 久麗爺は蹴りを堪え、両手でキミノヒ・トミの右足首をつかむ。体が浮き上がりそうになるが、両足で踏ん張った。
 と、上へ向かっているはずの足首が、どん、頭の上に落ちてきた。ぎりぎり、男の頭を踏みつける。
「こらあ、くせになったらどうすんだぁ?」
「ほう、そうか。くせになりそうかえ」
 脳天にかかっていた女の体重が抜けた、と思えたのも一瞬。どさっ、今度は肩に足がかかった。
 キミノヒ・トミは両足で久麗爺の頭と左手を挟んだ。空中の三角締めだ。
 ぎりぎり、首と左のひじが極まった。女の柔らかな太股の締めだけに、首を真綿で締めるような広い当たりの締めだ。
 立っていられない。バランスを崩して、久麗爺は倒れる・・・が、スローだった。キミノヒ・トミが支えて、倒れる速度をゆるめたのだ。
 どすん、地面に倒れて、さらに本格の三角締めになった。
「きょ・・・きょれしき・・・はしは・・・エパーひぷあっふ・・・」
 あごを締められ、久麗爺はまともに発語できない。が、意図は理解可能だ。
「そうか、なるほど。ならば、これでどうだ!」
 ばちっ、火花が飛んだ。100万ボルトの電気ショックが来た。
 ショックで久麗爺の足が引きつる、靴が脱げて飛んだ。体の末端から放電が起きて、靴下が燃えて穴が開く。ぽろり、親指が出た。
「きき・・・きっ、きもちんよかぁぁ・・・」
 もちろん強がりであった。
 整骨院へ行けば、電気治療と称して、筋肉に通電する療法がある。久麗爺も利用している。が、あれは局部的な通電だ。頭から足先まで、死刑用の電気イスのごとき通電は苦痛だけだ。
 自由な右手を泳ぐように振る。しかし、何もつかめない。せいぜい女の豊かな腰と太股をなでるだけ。
 足で腕を取られている。狙うべきキミノヒ・トミの頭の角が限りなく遠い。
 三角締めへの防御は体を抜くように逃げるのではなく、腕と頭を押し込むように相手の足を押すのだ。足を踏ん張り、ぎり、頭と腕を挟む双足を肩で押し上げた。
 ばちっっ、さらに電気ショックが来た。100万ボルトの衝撃に、両の足が引きつった。ああっ、思わず声も出ていた。
 ぶすぶす、体の末端で何かが燃える臭い、靴下の先だ。五本の指が丸出しになっていた。

「なかなか、である。電気ショックによく耐えている」
 観客席でイム・ベーダーが頷いた。
「抗電気剤の効果です。しかし、それだけではなさそうだ。ブレンドしていないのだが、覚醒剤的な効能が・・・いや、鎮静剤の方か。地球人はいったい、どの薬剤に反応しているのか」
 メッド・イシンは患者の様子を慎重に観察する。医師にとっては、戦いの勝ち負けより重要な事柄だ。
 太郎は二人の会話を聞いていた。宇宙人に薬を打たれて超人化するマンガを思い出した。

 キミノヒ・トミは焦り始めていた。
 強制的に復活させてから、妙にしぶとい。ついでに、粘る。電気ショックを与えても、弱音を吐かない。こちらが息切れしてきた。
 足の締めが弱くなった。その一瞬を突いて、手で足の膝裏を押し、久麗爺は頭を抜いた。息が楽になった。
 が、左手はつかまったまま、両足で締められた。プロレスならアームバーホールド、柔道なら腕ひしぎの状態。
 この技の防御は知っていた。三角締めの防御と同じで、腕を抜くように右へ動くのではなく、腕を押し込むよう左へ動くのだ。
 顔に女の太股が乗って、これはまた良い気持ちだ。けれど、ひじが伸びて、肩が極められそうになる。
 久麗爺は背を反らせ、ブリッジになる。腕への締めが緩んだものの、首と頭への圧力が苦しい。
 ばちっ、またしても電気ショックが来た。ブリッジが崩れて、久麗爺は背を着いた。しかし、体をひねり、足を振り上げていた。
 キミノヒ・トミは頭に何かを感じた。頭が引っぱられる、何かが引っかかっているようだ。
「と、と・・・取った・・・取ったあ」
 久麗爺が言った。顔を太股で押さえつけられ、発音は明瞭ではなかった。
 おおおっ、観客がどよめいた。
 久麗爺の右足がキミノヒ・トミに頭に届いていた。足の親指と人差し指で、頭の左の角を挟んでいた。
 日本人でよかった、日本人にしかできない技だった。下駄の鼻緒をつかむ要領で、頭の角をつかんでいた。
 観客席のイム・ベーダーは動かない。もとより、想定していたのは手で角をつかむ事だ。足の指は考慮の外である。
「放せっ」
 キミノヒ・トミは頭を振って足の指から逃げようとした。が、鍛えられた日本人の足の指は角を放さない。
 ばちちっ、電気ショックが来た。
 体のあちこちが焦げ臭い。ゴムが焼ける刺激臭が混じった、パンツのゴムが焼けたかもしれない。
「放せえっ!」
 もう一度、とキミノヒ・トミは電気ショックを仕掛けた。
 ぱっ・・・ショックは来なかった。
 あうっ、突然、足がすっぽ抜けた。久麗爺の右足が地面に落ちた。が、親指は何かを挟んでいる感覚がある。
 もう一度、と体を起こそうとした。しかし、手足に力が入らない。電気ショックを連続で受けたせいだろうか、手足は麻痺したように固まって動かない。
 声を出そうとした。が、声も出ない。久麗爺は少し悩んだ。もしかしたら、おれはもう死んでいるのか・・・と。
 ふくよかな女の太股が顔に乗っている。ちょっと至福な感じだ。これで死ぬなら、それも一興だろう。
 だが、自分の生死より気になる事があった。宇宙人たちはどう思っただろうか・・・人間は生き残れるのか、地球は消去されるのか。いや、全人類などと贅沢は言わない。せめて、息子と嫁と孫たちだけでも生き残る術はあるだろうか・・・
 キミノヒ・トミは久麗爺の手を放した。電気ショックを出せなかった、その原因に心当たりがある。両手で自分の頭をまさぐり、もしやの不安を確認しようとした。
「あ・・・あれえ?」
 ぽろり、右の角が落ちて手の中に。すでに左の角は無い。
 ひっ、ひいぃぃっっ、声にならぬ悲鳴であった。

「なんと言う事だ・・・」
 観客席で、イム・ベーダーは呆然としていた。
「あのう、何が起きたの?」
 太郎が問う。
 しかし、イム・ベーダーはグランドの二人を見つめたまま。ごくり、つばを飲んで答えた。
「我々の角は、一生の内、何度か生え替わるのだ。一時的に角が無い時期が発生する。まさか、それがここで起きようとは」
 ふうう、ため息のイム・ベーダーは腕の通信機を操作した。こうした事態に対し、やるべき事を確認するのだ。
 となりのメッド・イシンは合図すると、転送で消えた。行った先はグランド、キミノヒ・トミの横だった。
 次いで、イム・ベーダーも消えて、グランドに移動していた。
 太郎は空いた二つの席を見て、冷えた空気を感じた。
「お爺ちゃん!」
 姉が叫ぶ。母も父もグランドで大の字の祖父を心配していた。
 しかし、太郎はそれ以上の事を考えていた。人間は生き残れるのか、地球は消去されずに済むのか・・・その事が頭を過ぎる。

 イム・ベーダーは立ったまま、メッド・イシンの診察を待った。キミノヒ・トミは診られながらも、片方の角をにぎりしめて震えている。
「どうか?」
「通常の生え替わりです。皮膚の下には、新しい角の芽があります。少し時間がかかりますが、また生えます」
 うむ、イム・ベーダーは頷く。
 今日の戦いをセッティングした者として、対戦者の容態も気になった。久麗爺は大の字に倒れて動かない。
「おい、こっちも頼む」
 イム・ベーダーの求めに応じ、メッド・イシンは久麗爺を診る。
「ちょっと、心臓が細動状態ですね」
 カバンからマスクを出し、久麗爺にかぶせる。高圧酸素の供給が始まった。そして、胸にセンサーを当て、電気ショックの準備。首をひねり、電流を強めにセットした。
「3・・・2・・・1・・・」
 ぱん、小さな音がした。びく、と久麗爺の胸が動く。
「心臓は鼓動を再開・・・自発呼吸も再開・・・じきに意識も戻ります」
「ありがとう」
 イム・ベーダーの礼の言葉を受け取り、メッド・イシンはカバンを片付けた。そして、一礼すると転送で消えた。
「角が・・・角が無い」
 キミノヒ・トミが一本の角を手に泣き顔である。あるべき対の一本が行方不明だ。
 角は彼らにとり、プライドであった。母星では、最も美しい角、最も優雅な角・・・等々、色々な形で角の有り様を競う。最近は、角メークとか角アートとか称して、角を飾るのも流行っている。キミノヒ・トミは惑星侵略委員会に入る前、角の飾りに凝った時期があった。しかし、その肝心な角が頭から抜け落ちてしまった。
 角が抜けたら、カツラならぬ付け角をしてごまかす場合もある。目立たない付け角を標榜して、高級品な付け角もあるようだ。
 それは別として、キミノヒ・トミは周囲を見回す。どこかへ行ってしまった角の片方を探した。 
 ううーん、久麗爺が目を開けた。地面に寝たまま指を動かし、手を動かしてみる。さっき感じた手足の麻痺は無くなったようだ。
 深呼吸をして全身の具合を測る。目は回っていない、平衡感覚も大丈夫のよう。半身を起こし、座りに転じた。が、右足の先に違和感がある。
 はて、と破けた靴下の先を見た。親指と人差し指の間に、何か挟まっている。
「なんじゃあ?」
 手に取って見れば、手の親指ほどの円錐形の物であった。どこかで見たような記憶はあるが、どこだったか思い出せない。
「あっ、それっ!」
 キミノヒ・トミが駈け寄り、久麗爺の手から奪った。探していた角であった。
 自分の体の一部だった物を取り戻し、キミノヒ・トミは頬ずりした。女らしい、とても色っぽい仕草だ。
 ポーン、イム・ベーダーの通信機に着信があった。うむ、うむ・・と何度か頷いた。
「では、そのように記録し、直ちに実行する」
 冷徹な言葉だった。
 久麗爺は背筋に冷たい物が走った。実行・・・何を実行するのか、地球をどうするつもりか、息が詰まって言葉も出ない。
 イム・ベーダーはキミノヒ・トミに一礼した。
「惑星侵略委員会の規程により、角の無いキミノヒ・トミ様は理事の資格を失いました。これよりは、私が、このイム・ベーダーがアスタータ惑星侵略委員会筆頭理事の代理を務めます」
 こくり、キミノヒ・トミは抵抗する気も無い様子で頷いた。
 イム・ベーダーは右手を上げ、観客席を向く。
「アスタータ惑星侵略委員会の筆頭理事代理として宣言する。当該惑星へのヘリオセ・スベータ型侵略は、ただ今をもって終了とする。全員、撤収準備にかかれ!」
 その宣言に、観客席は人外のざわめきに揺れた。
 が、ざわめきも一瞬、宇宙人の姿が消えていく。転送で宇宙船に戻って行くようだ。
 ものの10秒しない内に、観客席は空になった。ぽつねんと久麗一家の5人が残っているだけ。
「よし」
 イム・ベーダーは空の観客席を見て頷いた。
「あの・・・」
 久麗爺は座り込んだまま、侵略者の筆頭を見上げる。足に力が入らず、まだ立てないのだ。
「久麗どの、お別れだ。面白かったぞ」
 にっ、イム・ベダーは口から牙をのぞかせて笑った。そして、消えた。
 ぶおおおっ、風が起きた。
 旭川の上空を占領していた宇宙船が上昇して行く。宇宙船に向かって上昇気流が起きていたが、すぐに止んだ。たちまち数千メートルの大気圏上層へ達したようだ。
 宇宙船の縁から太陽が顔を出した。グランドに天然の光があふれた。
「面白かったか・・・そりゃあ、良かった」
 空を見上げながら、久麗爺はつぶやいた。どうやら地球は消去されず、人類は生き残れたらしい。
 身長30キロの巨大ロボットが朝鮮半島を踏み潰し、中国の北京を踊りで壊滅させた。しかし、地球全体から見れば、小さな事である。
 指で宇宙船を測れば、全長30キロ以上の巨大な物体は30度の半分ほど。すでに高度は100キロ以上、大気圏の外か。ゆっくり西へ流れている。第一宇宙速などとは縁の無い飛行物体だ。
 大気圏外では、太陽の光は空気の散乱を受けない。強烈な直線の照射光だ。宇宙船はもう一つの太陽のように輝いて見えた。
 と、その宇宙船が消えた。転送か、ワープしたのか、地球人には想像もつかないテクノロジーの光景だった。


そして・・・


 大雪山のシルエットが朝焼けの空に浮かび上がる。
 今朝は静かだ。久麗家の周囲から警察や自衛隊が撤収したせいだ。
 久麗爺はタブレットを抱え、裏玄関から庭に出た。鳥エサ台に置き、メニューから体操を選んで再生する。タータッカタッタタン、調子の良いピアノが響いた。今朝のチョイスは長袖Tシャツとロングパンツ、肌の露出は控えめだ。
 数日前、旭川の上空に巨大な宇宙船が居座り、朝のラジオ体操に大柄な宇宙人がいた。
 そして今朝、となりではビッグなバストとグレートなヒップが手足の運動で揺れる、弾む。キミノヒ・トミが一緒に体操していた。
「なぜ、帰らないのだ?」
「角が無いのだ。乗る資格が無い、仕方無いのである」
「わしも角は無いが、乗ったぞ」
「いや、着地していたはずだ。角が無くても、乗って良い状況だった」
「あ、地面に着いていたから、乗れたのか」
 角の無いキミノヒ・トミは宇宙船に乗れず、とりあえず、久麗家の居候となった。
 ちら、久麗爺は屋根の上を見た。カラスのように偽装しているが、宇宙人のドローンがいた。もし、彼女に何かあれば、即座に宇宙船が現れるだろう。
 角の生え替わりには、少々時間がかかるらしい。それまでは、ビッグなバストとグレートなヒップを毎日おがめる、眼福な日々が続く。
 さて、孫の太郎はドローンの存在に気付くや、逆にドローンを追いかけ始めた。宇宙人の科学に興味が尽きない様子である。
 長女の美優は食事の量が倍になった。カルシウムとタンパク質を摂り、ダンベル運動を始めた。スリムさからビッグなバストとグレートなヒップへ、体作りの方針を転換したらしい。
 嫁の美智はテレビカメラを今も意識しているのか、完璧な主婦を演じている。ちょっと家の中が堅苦しく感じる。
 それ以外は、いたって平穏な町内・・・
 実は、表面上、警察と自衛隊は撤収していたが、監視の部隊を秘密裏に配していた。近隣の家に間借りし、家族を装って監視の任務を始めていた。
 そればかりではない。FBIが、CIA、MI6、KGB・・・・等々、地球のあらゆる組織のエージェントたちが、自衛隊と同様にして、ビッグなバストとグレートなヒップを・・・もとい、キミノヒ・トミの動静を監視していた。決して、のぞきではない・・・はずだ。
 そう遠くない日、地球の旭川の上空に巨大な宇宙船が現れるはずだ。新しい角が生えたキミノヒ・トミを迎えに来る。その時、今度は何が起こるのだろう。




< 終わり >





後書き

昔々、高橋留美子著「うる星やつら」の小説化にトライした事がありました。今回は、あれへのリベンジであります。


アスタータ惑星侵略委員会・ヘリオセ・スベータ型侵略
光瀬龍著「百億の昼と千億の夜」からもらった言葉です。もっとも、小説を読んだ事はありません。萩尾望都のマンガだけです、ごめん。


イム・ベーダー
「うる星やつら」のラムのとーちゃんとかーちゃん、名前が無いのよね。長い連載の中で、命名するタイミングを逸していたようです。
だがしかし、第1話「駆けめぐる青春」にて、わいはインベーダーや、と自己紹介しているではありませんか。なら、それを名前にしよう、と言う事です。

キミノヒ・トミは百万ボルト、地上に降りた最後の戦士〜♪
つい、テーマソングを口ずさみながら書いてました。
そんなはずない、おトミさん。地球にいたとは、お釈迦様でも知らぬ仏のおトミさん〜♪
なに、歌がちがう? 細かい事は気にせず、おおらかな気持ちで読んで下さい。

 2018.2.19  
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