セイント・フォース

 登場人物
沖 久留美(オキクルミ)
丹根 太志郎(タンネ タシロウ)
可児 三平(カニ サンペ)
志野茶 鈴瀬(シノチャ リンセ)
足利 西芭(アシリ ニシバ)





 日本の首都、東京から北へ1000キロ、ちょい高い山の麓ある街、それが旭川。
 でっかい工場がある訳でなく、唯一無二の名品がある訳でなもない、ありふれた街だ。
 よくある、少し寂れかけた地方都市のひとつ・・・・だった、これまでは。

 街の中心部、旭川駅前から伸びる歩行者専用道路、通称「買い物公園」がある。郊外に大型ショッピングセンターが相次いで開店し、最近は人出が少なくなった。駅から遠い4条通りから8条通りは、歩く人が疎らですらある。
 買い物公園通りに直角に交差する歩行者用道路がひとつ、旭川市役所と常磐公園を結ぶ7条緑道だ。年を経た大木が緑の影を作り、こちらの方が公園の雰囲気をかもす。
 ふたつの道路の交差点で、テレビカメラを構えるグループがいた。


第一日目


「よし、スタート」
 カメラを担ぐ可児三平は、録画をスタートした。
 志野茶鈴瀬が市役所の方から歩いて来て、ちょい立ち止まる。
「こんにちは。今日は買い物公園に来ています。この辺は、すこし静かですね」
 鈴瀬が長めのスカートを揺らせ、歩きながら街の紹介をしていた。カメラがフォローしてパンする。
 カメラの横で大きなレフ板を持つのは、沖久留美だ。カメラと一緒に方向転換して、鈴瀬に光を当て続ける。
「ああ、待って。志野茶さん、マイクが入ってない」
 丹根太志郎が画面に入ってストップをかけた。録音チェックが彼の仕事。
 太志郎の指摘に、鈴瀬は身をよじる。
 ポーチの肩ひもがマイクのコードを引っかけたようだ。腰の無線ユニットからマイクのプラグが抜けてしまっていた。太志郎が入れ直し、カメラのフレームの外に出た。
 彼らは旭川の西高等学校、ビデオ部の生徒だ。
 そんな4人を離れて見ているのは、顧問の教師、足利西芭。学校で一番背が低い、と変な自慢をする。ズボンがくたびれているけど、五十代の男やもめでは致し方なし。
 となりに立つのは、機材を貸したケーブルテレビ会社の星野。今日は見るだけなので、気楽な顔だ。
 そして、警官の輪塚巡査。
 はて、と足利は鼻を動かした。
「臭いますね」
「わたしは違います」
 星野が間髪入れずに答えた。
「土の臭いですよ。化石の発掘現場や、道路工事で地面を掘り返した時の、あの臭いです」
 足利は低い背を丸くして、臭いの元を探す。歴史の教師だから、つい発掘現場を連想してしまった。
「いやぁん、まいっちんぐぅ」
 鈴瀬のスカートがフワリとあおられた。
 おおっ、と輪塚巡査は口をおさえた。
「危ない、離れろ」
 足利が鈴瀬の腰にタックル、抱くようにして数メートル走った。
 道路の舗装に小さなひび割れが入っていた。そこから風が吹き出ている。
「ががっ・・・・ガス漏れか?」
 輪塚は警官の習性で、腰をかがめて現場に近付く。手をかざして、噴き出す風を確認。鼻をひくつかせ、風の正体を探った。
「いや、都市ガスではない」
 めりめり、亀裂が大きくなる。土煙が出始めた。
「こちら輪塚、異変発生。応援、願います」
 肩に着けた通信機に叫んだ。その間にも、土煙は大きく、濃くなっていく。
 ぶるぶる、地面が震えた。亀裂がクモの巣状に広がり、直径は10メートルを超えた。中心部が盛り上がり、小山のようになった。
 ぶぼぼん、土の山がはじけた。
 辺りが煙に包まれる。どどどどっ、不気味な地鳴りが響いた。
「離れろ、離れろっ」
 輪塚が皆に叫んだ。
 足利は鈴瀬を抱いたまま8条方向へ走る。太志郎と久留美が続いた。三平はカメラを土煙の方へ向けたまま、後ろ向きで走る。
 7条緑道と買い物公園の交差点は、数メートルの高さの土煙に覆われ、向こう側が見通せなくなっていた。
 どどどっ、地響きを轟かせ、煙の上に何かが突き出てきた。
「先生、あっちでも」
 8条通り、手の噴水まで逃げたところで、鈴瀬がロータリーを指した。
 異変は一カ所だけではなかった。

 買い物公園通りは8条通りで尽きる。そこから北へ斜めに、石狩川を渡る旭橋へ伸びる道路がある。その中間にロータリーがあった。
 50年前には、旭川でも路面電車が走っていた。ロータリーは路面電車の旋回場の跡だ。
 パリのような信号の無いロータリー交差点は、真ん中に丸い花壇がある。その土が盛り上がり、爆発したかのような土煙を上げた。
 周りを走っていた自動車は大混乱、追突し、接触し、あげく歩道へ乗り上げた。そこへ大小の石が降り注ぎ、窓ガラスを割った。
 三階建てのビルより高い土煙を突いて、銀色の塔が頭を出した。

  ロータリーに奇怪な塔が現れた  


「あれっあれっ、撮ってるか?」
 星野の問いに、おう、と三平は答えた。
 ロータリーに現れた塔は、たちまち十階建てのビルよりも高くなった。
「こっち、こっちも」
 久留美が肩をたたいたので、三平は振り返った。緑道の土煙の中から黒い塔が突き出て、こちらも周囲のビルを超えて高くなって行く。塔は高さを増しながら、先端の方で枝を生やし始めた。
 ロータリーから出現した塔は、先が花のように開いた。
 どれほど高くなったのか、少なくとも200メートル以上にまでなって、二つの塔が止まった。
 土煙がおさまり、街が静かになった。
「もしもし、今ね、大変な事が起きてる」
 星野が携帯電話で会社と連絡を取る。輪塚巡査も警察署を呼んでいる。
 鈴瀬もスマートフォンを出し、家にかけようとした。
 キーン、耳をつんざく音が響いた。たぶん、塔から出た音だ。
「あれれ」
 星野の携帯が、突然に電源が落ちた。鈴瀬のも落ちた。カメラの電源が勝手に落ちて、三平もうろたえた。
 久留美は静電気体質だ。ぱちぱちっ、髪が火花を飛ばし、ライオンのように広がった。
 噴水が停まり、街頭放送も止まって、街は静かになった。
 くのくの、星野は電源ボタンを押し、携帯を復帰させようとする。
「うわっちっち」
 星野は熱さに携帯を落とした。ぷすぷす、落ちた携帯は煙を吹いてしまっていた。
 最新の電子機器は、極端に電波の強い環境では回路の保護装置が働き、電源が自動的に落ちるようになっている。無理矢理、そんな場所で電源を入れると、回路は発熱し、バッテリーが爆発する事さえある。正に、その状態だった。
 星野の燃える携帯を見て、鈴瀬はスマートフォンを諦めてポーチに入れた。
 と、久留美は頭をおさえた。静電気が消えて、髪が垂れてきた。
 さっきまで響いていた音が無くなった。
 プーッ、遠くで自動車のクラクションが鳴っている。パトカーのサイレンが近付いてきた。
 もしや、と三平はカメラのスイッチを入れた。
 少し間があって、カメラはスタンバイになった。肩に担いで、撮影再開だ。
 股間が涼しい。
 足下を見れば、こちらの舗装路面でも亀裂ができていた。
「危ないっ、逃げろ」
 噴水の手の像が傾いた。天を仰いでいた手の平が、バッタン、横倒しだ。噴水の池の底が割れ、水が抜けた。
 地割れの広がりに沿って、後退する。
 地面が盛り上がって割れ、直径3メートルのステージが出て来た。上に白い板が立っている。
 ステージは地面より半歩の高さ。板は縦横1メートル、厚みは20センチほど。
 もっと大きな物が出てくるかと身構えたので、少し気抜けした。
「撮ってるね」
 星野の確認に、ああ、と三平は答えた。
「キャスター、行って」
「女の子に行かせるの」
 鈴瀬は星野の指示を拒否。代わりにと、太志郎の背を押した。
 渋々、太志郎はステージに上がる。三平はカメラで追う。
「こらこら、むやみに近付くな、触るんじゃない」
 輪塚巡査は通信機のスイッチを入れ直す。雑音がひどくて、うまく署とつながらない。
「おや?」
 板の端に、太志郎が見つけたのは、文字のようだった。
「先生」
 三平が呼ぶ。足利もステージに上がり、太志郎の指すところを見た。
 漢字のようだが、続け字で簡単に読めない。松ヤニに墨を入れて書いたようで、板の表面から少し盛り上がっていた。
「みついし・・・・なんとか、のすけ・・・・ぶん、九年・・・四月十五日・・・」
「間宮林蔵とか、松浦武史郎とかじゃないのか」
 足利が読み込む。有名人の名が出てこず、太志郎は肩の力が抜けた。
「いつの九年なの?」
 久留美がステージに上がった。
「文化年間なら19世紀の初めだ、間宮林蔵と近くなる。でも、なんとか文、だからなあ」
 年号は多すぎて、歴史教師と言えど、すぐに思い当たらない。
「ねえねえ、何よ何よ」
 鈴瀬がステージに上がってきた。西高ビデオ部の5人が板の前に並んだ。
 バン、突然にステージは閉じられた。
 周りから壁がせり上がり、5人ごとステージを包み込んで閉じた。
 ごごん、ステージは地面に没して消えた。
「かか、カメラが、マイクが。ああ、ビデオが」
 会社の機材が失われた。星野の顔は引きつった。
 跡に、大きな穴が残った。蒸気が噴き出す。
「危険だ、近付くんじゃない」
 輪塚巡査は、手遅れな指示を出すしかなかった。

「エレベーターですね、これ」
「下へ行ってますよ」
 そこで、5人は押し黙った。
 壁が出て来て、5人は閉じ込められた。ネズミ取りにかかった気分。
 ネズミ取りだとして、あのタイミングで動いた条件は。単に、時計が働いたからか。あるいは、体重の合計か。または、人数か。
 ごとん、エレベーターが止まり、壁の一部が開いた。
 太志郎は半身を出し、様子をうかがう。
 廊下は短いが、幅は広い。向こうに、大きな部屋があるようだ。
 足下に三角の機械がいた。くるり、頭を回して、何か音を発した。
「へい」
 太志郎は応えて手を振る。三角の機械は壁に沿って遠ざかった。
 もう1台、円筒状の機械がいた。こちらへ頭を回し、何か音を発した。
「へい」
 また、太志郎は応えた。円筒の機械は壁に沿って、何かの仕事を始めたようだ。
「何さ」
 久留美が背をつついた。
「あいさつのように聞こえたから、イアンカラプテ、と。アイヌ語だよ」
「おお、丹根の親父さんは、旭川アイヌ協会の人だったな」
「副会長です」
 足利が手を打って思い出した。歴史担任として、地域のアイヌ協会とは関わりがある。
「で、どうしますか」
 鈴瀬が不安げに言う。
「まあ、みんな一緒に動こう」
 背は一番低くても、足利は一番年上だ。彼の言葉に、4人の生徒は頷いた。
 5人は足下を確かめつつ、廊下へと出た。
 きれいな床だ、チリひとつ無い。さっきの三角や円筒な機械が掃除しているのかもしれない。
 壁に特別なスイッチは見当たらない。エレベーターを動かす仕掛けは、別の所だろう。
 廊下を進み、大きな部屋に出た。
 ドアが閉じて、廊下へもどれなくなった。
「アエヤム、アエヤム、ウエンペ・アフンルパル」
 声が響いた。たぶん、機械が発したメッセージだ。
 部屋の中央に六角形のテーブルがある。一辺に何かのボタンが並んでいた。
 久留美がボタンのひとつに触れると、別の辺の引き出しが開いた。
「あまり触るな」
 足利が注意する。
 部屋の壁を見ると、二つの面が何かを表示していた。
 画面のひとつで、黄色いシグナルが点滅している。
「ク・シエイエ、エン・イカメス」
 繰り返す機械のメッセージは、異常事態を示しているようだ。まさか、と太志郎は聞きながら首をひねった。
「先生、この画、あのタワーの略図みたい」
 もうひとつの画面を見て、鈴瀬が自信たっぷりに言う。
 二本の塔が、別の二本の塔へ、何かを送る様子が表示されている。塔の画の下に、何か並んでいる画がある。
「送り出しは三番目で、受け手は五番目か。惑星を表してるのかな。なら、地球から木星へ、よね」
 鈴瀬は画を読み解く。カメラの前ではお馬鹿キャラを演じるけれど、学年ではトップクラスの才媛なのだ。無論、弁も立つ。
「あじゃぱあ、男物だな」
 久留美が引き出しから腕輪らしき物を取り、右腕に着けてみた。ゆるゆるだ。元バレーボール部で、女としては大柄な久留美だが、やはり女の細腕なのだ。
 ガシャッ、腕輪が縮まった。腕にジャストなサイズになった。
「触るな、と言ったぞ」
 再度、足利が注意した。
 久留美は腕輪を外そうとするが、その手がかりが無い。
 別の壁が開いた。服が掛けてあった。久留美の腕輪と同じ文様がある。
 近づき、触れてみた。久留美より横に大きなサイズのコート、赤いラインがある。帽子と長靴、二本の剣が付属していた。
「ダサいよ」
「そうかな」
 鈴瀬は不評をこぼすが、久留美は気に入った様子。
 腰のベルトのバックルは銀色だ。表面に、文字にも見える彫り込みがある。
「S、A、N、T・・・・かな」
 久留美は無理矢理に読んでみた。
「真ん中の縦線をIとすれば、SAINTだね」
 太志郎が補足して読んだ。
「セイント! シルバーセイント、またはレッドセイントだ。いいなあ」
 ぽんぽん、久留美が服をたたいた。と、壁がどんでん返しに回った。久留美も一緒に壁の向こうへ。
 あっ、と思う間も無く、また壁はどんでん返しに回り、久留美が現れた。
「ありゃあ、自動で着せてくれるんだ」
 腰の左右に刀を差した侍風な装いに、久留美はご満悦だ。サイズも調整されていた。ちょん髷の代わりは、風変わりな帽子。赤のラインもお気に入り。
「シネプ、カパッチリ、オ・ヤン」
 機械のメッセージがあって、別の壁で新しい画面が開いた。
「おおっ、その帽子には、カメラが付いてるんだ」
 三平が画面を見て喜んだ。久留美の見る方が映し出されている。
 また首をひねる太志郎だ。
「今のも、アイヌ語かい?」
「たぶん」
 足利が問うと、太志郎は頷いた。
「ここの機械はアイヌ語を使うの。じゃあ、この画面の文字もアイヌ語?」
 鈴瀬の問いに、太志郎は首を振る。
「アイヌ語に文字は無い。昔はあったかもしれないけど、現代に伝わっていない」
 足利も首を振る。鈴瀬は落胆して肩を落とした。
「ゴート文字と一緒か。光と影、ひとつと成りてよみがえらん・・・なんて」
 画面の文字列を見直した。ユーカラ織りの紋様に似ている、と思った。
 気付くと、久留美の姿が無かった。画面を見ると、廊下とエレベーターが映っていた。
 ドアが開き、久留美が帰ってきた。
「みんな、出られるよ」
 手招きする久留美だが、太志郎が行こうとすると、ドアは閉まった。ドアの向こうへ行き来できるのは、服を着た久留美だけのようだ。
「腹へったなあ」
 三平が腹をおさえた。
 時計は12時を過ぎていた。カメラの撮影実習は午前中だけの予定だった。
「しかたない、お弁当を取って来ましょ」
 久留美が笑みで言った。
「じゃ、行ってきます」
 手を振り、部屋を出た。その先、どうするか。服の使い方が頭の中に流れ込んで来る、それに従えば良いだけだ。
 エレベーターに来た。壁をたたくと、壁が引っ込み、土の穴の底になった。
「大丈夫、わたしは飛べる」
 深呼吸をひとつ、しゅわっ、久留美は飛んだ。
 たちまち穴の外に出た。
 一気に30メートルほど上昇、近くのビルより高く上がった。
 上空から見下ろすと、穴はテープのフェンスで囲まれていた。警察のパトカーに、自衛隊も来ている。
 それは無視して、久留美は北東へ飛んだ。まず、お弁当の用事が優先だ。
 服の背に白い翼が生えていた。久留美は気にせず飛んだ。

 石狩川を飛び越し、護国神社の杜の上から自衛隊駐屯地の裏門の方へ向かう。半世紀前には、列車の線路が引かれていた道路。
 沖食堂が見えてきた。自転車なら30分かかる距離が、1分かからない。
「お弁当、6人前、大至急!」
 久留美は店に入るなり、叫んだ。翼は服の背中に格納されていた。
 カウンターを見れば、三人前が売れ残っている。あと三人前を作るだけだ。
「いらっしゃいませ」
 常連客の矛狩二尉と問田一曹にあいさつし、カウンターの奥に声をかけた。
 異形の娘に、両親は固まってしまった。久留美の背では、客の二人も固まっていた。
「三人前、お願いします」
 久留美は勝手にレジ袋を出す。味噌汁をパックに詰め、ペットボトルの茶も準備した。
 店内のテレビでは、手の噴水前の騒動を放送していた。穴から久留美が飛び出すシーンがあって、矛狩と問田が頭を右往左往させた。
「おまえ、そのかっこは、いったい」
 注文のまま、父は弁当をつくる。母はレジの準備。
「付けにしといて。後で払うから」
 6人前の弁当と味噌汁、ペットボトルをふたつの袋に入れた。服のせいだ、手にすると軽い。
 んじゃ、と店の外に出た。
 父と母は、追って出た。カツ丼を手にしたまま、矛狩と問田も出た。
 深呼吸をひとつ、でゅわっ、白い翼が左右に広がり、久留美は飛んだ。
「かっこいい」
 父は思わず拳を握り締めていた
「手か足を痛めて、バレーを辞めて、心配してたんだな。ついに飛行にはしったか・・・」
 矛狩が真顔で言い、またカツを口にした。
 4人が見守る中、久留美は南の空へ消えた。

 手の噴水の上に来た。
 弁当と味噌汁を気遣いつつ、久留美はゆっくりと降下した。
 噴水の横では、黄色と赤のテープが穴を囲み、臨時のフェンスとなっていた。
 オレンジの制服が穴の縁で何かしている。消防署のレスキュー隊員だった。
「20メートル、ケーブルいっぱいです」
 穴の底を探ろうと、ビデオカメラを降ろしていた。画面に映るのは白い蒸気と、滝のように落ちる地下水ばかりだ。
「うちには、もっと長いケーブルがありますよ」
 仁台三等陸左が消防隊員に声をかけた。士官服で現場を視察に来ていた。
「お願いします」
 現場の隊員は気軽に言うが、法的な手続きを踏まねば、自衛隊は動けない。
「まだ出動要請が、どこからも来てないようです。すでに、駐屯地では待機しておりますが」
「我々では、だめですか」
「できれば、署長や、首長の要請を」
 仁台は肩をすぼめて答えた。
 輪塚巡査は、また通信機に手をかけた。なかなか繋がらない。
「自衛隊だと? 君らだけで、何とかならんのかね。地震や津波でもあるまいに、簡単に出動要請などしてたら、市民の信頼はどうなるか、わしらの威信はどうなるか、少しは考えたまえ」
 やっと繋がったと思いきや、返答を許さぬ怒濤の言いぐさ。輪塚は口をつぐむだけだった。
 消防隊員を見ると、やはり通信機と格闘していた。向こうも、実情は同じだろう。
 ふわり、白い翼と赤いラインの服が空から降りてきた。
 仁台は目を見張った。穴から飛び出した物が、悠々と帰って来たのだ。さっきは何か分からなかったが、人間だったとは。
「やっほ」
 輪塚には見覚えのある顔だった。
「西高二年、沖久留美です。みんな、下で無事だから。詳しい事は、また後で、ね」
 久留美は後ろに踏み出し、フワリ、穴の中へ。
 あああっ、皆が悲鳴をあげた。
「ああ、カメラは、マイクは大丈夫?」
 星野は言うのが遅すぎた。
 テレビの画面に、ゆっくりと白い翼の久留美が降りていく姿が映った。
 キーン、耳障りな音が響いた。皆、手で耳をおさえた。
 また塔が電波を発信し始めた。
 ひゅんひゅん、変な風きり音が近付いた。
 ばん、塔に報道のヘリコプターが接触、逆さになって7条緑道に落ちた。強い電波で、操縦系の電源が落ちたのだろう。
 仁台は腹を決めた。要請の有無に関わらず、自衛隊は出動すべき時だ。
 
「お待たせ−」
 久留美が声を上げ、部屋に入った。時計は午後1時より前、まだ昼飯の時間帯。
 足利は床で横になり、鈴瀬はテーブルに腰掛けていた。太志郎は画面とにらめっこ中だ。
 袋を開き、弁当を出した。沖食堂が自慢のカツ丼弁当だ。
「カロリー多過ぎよ」
「連中が来たら、どうなるかね。今のうちに、食えるだけ食っとけ」
 鈴瀬は十代の女の子、油っこさが気になるようだ。一番背は低くても、足利は男だけに、胃袋は女より大きい。
「連中、て誰?」
「木星人、または宇宙人だ」
 太志郎が答えた。
 今、この施設は第5惑星へ電波を発信している。いつ応答が来るか、それが問題だ。
 この施設を作ったのは宇宙人だ、目的は不明だが。昔、アイヌが何かで関わり、施設はアイヌ語を覚えた。それが、最も簡単な見方だった。
 壁が開いて、三平が出て来た。
 その部屋はトイレだった。もよおして、久留美は入った。
 壁から、不思議な形の便器らしき物が生えていた。触れると、高さと角度が変わる。慣れればバリアフリーな便器かもしれない。
 しかし、大事な物が無い。トイレットペーパーが、どこを探しても無い。
「これ、大事に使ってね」
 鈴瀬がポーチからポケットティシューを出してくれた。
 弁当の袋には、手ふきのウエットティシューを多めに入れてある。何とかなるだろう。
「トゥプ、エサマン、オ・ヤン」
 久留美がトイレから出ると、機械がメッセージを発した。
 太志郎が着替えていた。久留美とは少し違う帽子、コートは緑のラインが基調だ。
「あんたも、その気になったかい。仲間が増えた」
「これを着れば、外へ出られるんだよね。ぼくのアイヌ語力じゃ、ここの機械とは会話できない。もともと得意じゃないし。アイヌ協会へ行ってくるよ」
 二人は一緒に部屋を出た。
 エレベーターの壁を開き、はるか上を見上げた。
「使い方は、わかるね」
 久留美に言われるまでもなく、頭に知識が流れ込んでくる。太志郎は頷いた。
 深呼吸して、床を蹴った。服の背から黒い翼が生えた。
 重力が消えて、太志郎は穴を上昇した。
「行ってらっしゃい」
 見送って、久留美は用事を思い出し、部屋にもどった。
「先生、上にさあ、いっぱい人が溜まってるのよ。あたしらの事を心配してるみたい」
「うん、それはそうだ」
 言われて、足利は地上と連絡を取る必要を考えた。しかし、電源を入れ直した携帯電話は、圏外で使えない。
「これを着て、みんな、外へ出よう」
「そんなダサいの、絶対にイヤですから」
 鈴瀬の感情的な拒否に、とりつく島が無い。
 やむなし、と足利はテーブルのボタンに触れた。一辺の引き出しが開いた。腕輪を付けると、ぴしっ、サイズは自動で調整された。
 壁が新たに開く。青いラインが基調のコートがかかっている、足利にはかなり大きい。触れると壁が回り、また回って、もう着ていた。サイズも合っている。
「レプ、エペレ、オ・ヤン」
 機械のメッセージがあった。順調なようだ。
「便利しょ。さあ、行きましょ」
 久留美が手招き。足利も部屋を出ようとした。
 ばん、ドアが閉じた。足利は出られない。
 鈴瀬が画面の表示に注目した。読めないが、何かのエラーを示している。
 久留美が部屋にもどった。
 今度は、足利が出てみる。が、久留美が出られなくなった。
「外へ出られるのは、一度に二人までみたいね。丹根くんが出てるし、あと一人だけなのよ」
 鈴瀬の解読は適切だった。
「あと一人だけ、なのか」
「あじゃぱあ」
 もどった足利は、久留美と一緒に頭をかかえた。

 遅い!
 穴を昇りながら、太志郎は焦った。
 部屋の画面で、久留美の飛びっぷりを見ていたから、よけい、あの速度を出せない事に腹がたった。
 やっと地上に出た。
 高度5メートルほどで失速した。人の頭の上をぎりぎりで飛び越し、路上にたたらを踏んで止まった。
 あわてて、また飛んだ。さっきよりは高いが、速度が出ない。警察や記者たちが走って追いかけて来る。振り切れない。
 服が壊れているのか、使い方が悪いのか、運動神経の差か。
 えいっ、えいっ、気合いを入れるうちに、高度と速度が上がりだした。
 ロータリーに突き出た塔の横を飛んだ。下では、土に半分埋もれた自動車、ひっくり返ったバス、消防車が漏れたガソリンに白い泡消化剤を撒いていた。
 図書館を飛び越え、常磐公園の木立を抜け、石狩川に出た。目指すは川端町の先、北門町にあるアイヌ協会だ。

 どったーん。
 太志郎は着地に失敗、はでに転んでころがった。
 ごつん、駐車していた車に頭をぶつけ、やっと止まった。翼は自動的に背中に格納された。
 頭をおさえて見上げれば、父のスカイラインだ。ドアが見事にへこんでしまった。他人の車でなくて良かった、と自分をなぐさめた。
 土をはらい、協会の建物を見た。
 1階は民芸品店、木彫りや織物が陳列されている。階段を上がると、伝統家屋の内部が再現されていた。中央の囲炉裏に民族衣装の会長と、背広姿の父がいた。
「アチャポ、ミチ」
 太志郎が呼びかけると、二人とも目を丸くした。着ている物が物だけに、我が子と気付くのに、ひとつ間が要った。
「おお、太志郎か。苦手なアイヌ言葉を使うとは、何の冗談かな」
 父、丹根六可郎は笑顔を作り直して答えた。
「助けてよ。アイヌ語のエキスパートが必要なんだ」
「エキスパート?」
 二人は顔を見合わせた。
 太志郎は、事の顛末を語った。
 旭川の街の地下に、宇宙人が造った巨大な施設がある。昔、アイヌが関わったらしく、施設ではアイヌ語が使える。施設に何かの異常が起きていて、宇宙へ助けを求めている、と。
「アイヌ語のように聞こえる・・・のではなく、確かにアイヌ語なのか?」
 会長の江樫は白いヒゲをなで、また首をひねった。
「宇宙人が来たら、和人は困るかもしれません。しかし、我らアイヌには朗報となるかも」
 父、六可郎は天井を見上げ、あご下をなでた。
「このまま行くと、良い報せは無い、と思う。恐ろしい事になりそうな気がするよ」
「予言者を気取るのは、ちと早いな」
 父は息子をたしなめた。
 だめだ、太志郎は首を振る。年寄りを説得する話術が無い、それを自覚した。
「ぼくは行くよ。その気になったら、来てよ」
 太志郎は二人に背を向け、窓へ行った。
 駐車場に多くの車が入ってきた、追いかけてきた警察と記者たちだ。
「アプンノ パイェ ヤン」
 会長と父に言葉を投げかけ、窓を開けた。
 深呼吸をひとつ、とおっ、背から黒い翼が出て、太志郎は飛んだ。
 ああっ、わわっ、下で記者たちが声を上げた。
 今度は、一気に20メートルほども上昇できた。慣れてきたな、太志郎は自分を誉めた。

 ふたたび、石狩川の上空に来た。
 新橋のたもと、河川敷公園の噴水で異変があった。地割れが起こり、蒸気を噴いている。
 川を越えて、常盤公園の上に来ると、千鳥ヶ池の端で蒸気の噴出が見えた。一帯で異変が広がっていた。
 手の噴水の上空に来た。
 高度を下げようとして、速度が制御できない。
 ほぼ墜落状態で、穴の縁にぶつかり、そのまま穴に落ちた。
 穴の壁に手をかけ、徐々に減速、エレベーターの上に降りられた。
 ふうふう、息を整える。練習もせずに飛んだのを後悔した。
「ただいま」
 太志郎は部屋に入った。成果無し、威張れた帰還ではない。
「おかえり」
 鈴瀬が気のない返事で迎えた。
 第5惑星の応答が無いのだ。地球から木星へ、電波なら往復1時間の距離。塔が地上に姿を現して、すでに3時間以上も経っていた。
 ポーン、テーブルの上のパソコンで呼び出し音が鳴った。
「今、丹根くんが戻りました。心配無しです」
 久留美がつないだ受話器で応えた。
 太志郎が出かけている間に、足利が外に出た。自衛隊と交渉し、連絡用のパソコンを持ち込んだ。太志郎は気付かなかったが、エレベーターの直前まで垂らしたケーブルの先に無線通信アンテナがあり、それでパソコン通信をしていた。残念にも回線はクローズドで、スマートフォンは使えない。
 他にも、色々な差し入れがテーブルの上にあった。トイレットペーパーも山盛りだ。
 久留美が箱からケーキを出した。手の噴水前のお菓子屋からの差し入れだ。
 太志郎もひとつ手に取った。口にすると、甘さが鼻にしみた。
「先生は? あれ、可児もいない」
「探検中です」
 久留美が壁の画面を指した。足利と三平の見た目の画だ。
 パソコンの画面に子画面が開いて、足利が映っていた。カメラを持っているのは三平だ。

 二人は大きな吹き抜けに出た。
 直径は20メートルくらいの丸い天井だ。下をのぞくと、立ち上る蒸気で底が見えない。
「深いなあ、百メートル以上ありそうだ。たぶん、この湯気は温泉ではないだろう」
 観察する足利を、三平が撮る。
 三平のコートは茶色が基調のライン。手には自衛隊の黒いビデオカメラ。
 四角い保護ケースに入り、無線のアンテナが突き出たカメラは、いかつい外観だ。大柄な三平だから、なんとか様になっている。
「先生、あれは?」
 三平が鳥かごのような物を指した。
「エレベーターかもしれない」
 出任せだったが、乗ってみると、正にそれだった。ボタンを押すと、下へ動いた。
 1層下へ、さらに2層下へ、壁には扉が並んでいる。ロッカールームか倉庫のようだ。
 最下層に来た。
 いや、もっと下があるのだが、沸騰した湯に沈んでいる。上を見れば、湯気でかすんでしまっていた。
「ここの異常は、この温泉だな」
「湯の温度が高くなり過ぎてる、とか」
「いや、本来、水が無いはずの場所だろうな」
 むう、足利は眉間のしわを深くした。
 ポーン、帽子の通信機が鳴った。
 太志郎の声が来た。
「先生、自衛隊のカメラが通信不能です。画が来ません。向こうに聞いたら、録画してるから、そのまま行ってくれ、と言ってます」
「了解した」
 足利は冷静に応えた。
 三平はカメラをチェックする。防水30メートルのマークを見つけ、さすが、と頷いた。
「沸騰しているのは、あっちの方だ」
 奥へ歩く。湯気が濃くなった。
 地獄の釜の上に来た。
 服が働いて、体は熱くない。むき出しの顔に熱気が来て、肌がぴりぴりと痛い。
 ピッ、帽子からバイザーが降りた。顔がカバーされて、暑くなくなった。
「便利だな。こんな事態も想定済みのようだ」
 三平が身を乗り出し、沸く湯面をのぞいた。
「先生、他とは違いますね」
 湯面から上に、木の枠が出ていた。
 湯の中へ、ずっと木組みがある。荒縄で木と木が組まれ、縄は松ヤニで固められていた。そこだけ時代がかっている。
「そこ、何か書いてあるぞ」
 足利が場所を指示した。木の表面に字のような物があった。クローズアップで撮る。
 二人は戻る事にした。エレベーターに乗り、上へ向かう。
 どん、ボタンを押して、足利はエレベーターを止めた。
 円筒の掃除ロボットがいた。並んだ扉のひとつ、角度が変だ。やや開いている。
 ついでなので、興味がわいた。
「イテキ、イテキ。ウエン、シュー」
 掃除ロボットが声を出した。
 へい、と太志郎にならって挨拶した。
 三平が力まかせに扉をこじ開けた。湯気が出た。しかし、冷たい湯気だ。
「冷凍庫だ。全部、そうなのか」
 中に入った。二つのケースがある。ガラスのように、中が透けて見えた。
 その一つの中には、大きな頭、細い手足、緑色の皮膚。人間ではない。
「宇宙人だな、これは。冷凍冬眠、とか言うのをしてるのか」
 三平が足利の肩をたたいた。
 もうひとつのケースを見た。開いていて、中は空だ。
 二人は出て、扉の角度を直し、しっかり閉めた。
「イアイライケレ」
 ロボットが言った。掃除はできるが、修理の機能は無いのだろう。
 へい、と挨拶を残して、二人は去った。

 部屋に戻り、カメラからメモリーカードを抜いて、パソコンのスロットに入れた。自動的に地上へファイルの転送が始まった。
 再生ボタンを押し、5人も見た。地上でも閲覧が始まっているはずだ。
「そこだ、停めて」
 足利の指示で、画面は静止した。木の書き込みのクローズアップだ。しかし、湯気で半分白くぼけた画面。
「バツ、バツ、バツ・・・?」
 三平が読んだ。違う、と足利は笑った。
「寛文九年十月十二日、三石麻里ノ介・・・と読めます。シャクシャインの乱の年です」
 仁台三佐が電話越しに答えた。
「西暦では1669年、約350年前です。当時の松前藩がシャクシャインと一緒に処刑した中に、三石麻里の介の名前もありました」
「アイヌの名前じゃない」
 太志郎が疑念を表す。
 入り口のエレベーターにも、同じ名前があった。
 シャクシャインの乱、と教科書にある戦いは、アイヌが起こした最期の独立戦争だった。結局、負けてしまったが。
 その戦いの中、和人がアイヌの側にもいて、こんな奥地に名を残した。これまで習ってきた歴史が、根底から覆った気分だ。
「沖久留美くん、きみのお父さんとお母さんが来ている。上がって来てくれ」
「あじゃぱあっ、来てるのお?」
 三佐の要請に、久留美は口を曲げた。
 昼の弁当をつけ払いで持ってきた。請求が来た、と思った。

  噴水前は大騒ぎ  


 穴を高速で上がる。勢い余って、一気に高度10メートルほどまで行ってしまった。
 久留美は白い翼を広げ、ゆるゆると降下、穴の縁に着地した。
 おおおっ、奇声が出迎えた。カメラのフラッシュが眩しい。
 翼が背におさまる。仁台三佐が拍手で来た。
「みごとな飛行、そして着地だ。マスコミが、ね。相手をしてやってくれ。あと、下で見た事は・・・頼む」
 三佐は口に人差し指を付けた。しゃべるな、の意味だ。
 父がいた。店の服装そのままに、両手に大きなレジ袋を提げている。
「晩飯の差し入れだ。金は要らないよ」
「近所中の評判だよ。あたしゃ、ねえ、嬉しくって、さあ」
 母はエプロンで涙をぬぐう。
 両親にはさまれ、久留美はマスコミのカメラの砲列を向いた。一斉にフラッシュ、眩しいが、まばたきする間も無い。
「みなさん、沖食堂自慢のカツ丼弁当、安くて栄養満点、おなか満足、間違いなし!」
 父の大げさな宣伝が始まった。
 自衛隊に協力する義理は無いが、家業には付き合わねばならない。久留美は引きつり気味な愛想笑いをうかべた。
「到着です」
 下士官の報を受け、仁台は手の噴水に背を向けた。
 78中通りにミニバンが来ていた。
 降り立つのは旭川アイヌ協会の会長と副会長、共にエムシを腰に差し、サパンペをかぶり、完全なアイヌの民族衣装だ。
「そんな目立つ格好で」
「アイヌたる我々に助けを求められました。まず、身形りから、と思いましてな」
 会長の江樫は白いひげを揺らし、かかと笑う。
 仁台に案内され、仮設テントの陰に行くと、六輪の82式装輪車が止まっていた。後ろのドアから入った。
 頭を低くして奥へ進む。歩くには低いが、座れば十分に天井は高い。片側の壁はパソコンの画面が並んでいた。
「これは移動指令車です。下と通信できるようになっています」
 仁台の説明を受け、席に着いた丹根六可郎はサパンペを取り、ヘッドセットを付けた。
「太志郎、エッイワンケヤァ」
 六可郎がマイクに言った。画面の中、太志郎が驚いて振り返った。
 うむうむ、江樫が頷いた。

 鈴瀬は腕輪を着けた。まだ服は着てない。
 腕輪があれば、画面を色々操作できる。それが重要だった。
 星図をいじくり、また戻して、しきりに首を傾げた。
 巨大なアンテナを地上に出し、第五惑星に向けて電波を発信しているが、未だに応答が無い。
「おかしい、絶対におかしい。どう見ても、木星は六番目だよ」
「でも、第五惑星と言うのは、木星の事だろ」
「ここの画面では違う、と言う事よ」
 鈴瀬は星の位置と並びに疑問をはさむ。
 かつて、それは天文学上の謎であった。第五惑星があるべき軌道には、星くずのような小惑星が分布するばかり。しかたなく、小惑星帯と呼ばれている。何かの事情で星が砕けた、と仮定して、全ての小惑星を集めても、火星ほどの天体にもならない。
 この地球と同等の施設がある星なら、大きさも同等だろう。そんな星が無いのだ。
「第五惑星、ただいま蒸発中ですか」
 ははは、三平が冗談めかして笑った。
「砕けたのではなく、蒸発の方が理にかなうかもね。岩がガスになってしまえば、太陽風で外軌道へ吹き飛ばされて、残ったのはカスだけ。理屈に合うじゃん」
 鈴瀬が真顔になった。
「第五惑星にあった、ここと同じ施設が・・・何かの事情で爆発して、星を消したのよ。でも、この施設は知らない。知らないから、いつまでも呼び続けている」
 三平の口がひくついた。失踪の意で、蒸発と言ったのだ。物理的な意味ではない。
「星を蒸発させる爆発となると、どんな爆発だい?」
 足利が素朴な疑問を言う。
「物質を蒸発させる爆発は、火薬のような化学反応では無理です。原子爆弾のようなものでないと。地球を消すとなれば、プラズマ火球の直径が1万キロくらい必要でしょ」
 あっさりと鈴瀬は言った。
 広島を破壊した原子爆弾は、TNT火薬17キロトンの威力とされる。プラズマ火球の直径は最大300メートルと推測されていた。
 原子爆弾の威力はプラズマ火球の体積に比例する。直径1万キロの火球は、広島の30万倍のさらに1億倍だ。
「水素爆弾でも、そんな大きいのは無いぞ」
「これを造ったのは、宇宙人よ」
 ごくり、太志郎はつばを呑んだ。
 久留美が帰って来た。手には弁当の袋、肩から下げているのはパソコンの外部バッテリーだ。
「腹がへっては、良い考えも浮かばないよ。さあ、食べよう」
 5人はテーブルを囲み、弁当を開いた。昼のより、カツが増量されていた。
 足利は腕時計を見た。もう午後6時を過ぎている。
「もう夜だ。女の子は、家に帰るべきだろう」
 太志郎と三平は頷いた。久留美は口を尖らし、抗議の顔だ。
「フェミニズムですね。本来、フェミニズムが守る女は、お腹に子供がいる妊婦です。拡張して、乳幼児を抱える母親ですね。あたしは、どちらにも当たりません。よって、ここにいます。出る時は、5人一緒に出ましょう」
 鈴瀬は弁が立つ。
 足利は反論できず、歯ぎしりして止めた。
 もうすぐ、あいつの所へ行くかもしれない。アパートで待つ妻の位牌を思い出した。
 頭を振って否定した。自分だけ逝くなら良いが、生徒と一緒はまずい。

「ウエンペ・アフンルパル・・・・どう解したものかなあ」
「刑務所と訳しては、どうでしょうね」
 ううむ、江樫は丹根六可郎の意見に、ひとつ頷いた。
 移動指令車の中、座り心地の悪いイスで尻が痛くなってきた。
 ぶ厚い鉄で囲まれた車は、塔が電波を発しても、電子機器がダウンしない。外にある機械が止まるので、その都度、つなぎ直すだけだ。
 この街の地下に、冷凍冬眠中の宇宙人が多数いる。これが大問題だ。
 この冬眠施設が、何らかの異常を起こしている。対処法が判らない。
 冬眠施設が地下100メートル以下ある理由は、ここが氷河期の前からあったからだろう。
 かつて、ここは深い谷間だった。氷河期の始め、大雪山が大規模な噴火で山体崩壊を起こし、谷は埋め尽くされた。この施設も埋まってしまったのだ。
 地球へ移民として来たのなら、到着と同時に冬眠を終えるはずだ。ウエンペ・・・悪人たちを地球へ流刑にしたとしても、冬眠を続ける理由には弱い。暖かくなるのを待っていたのなら、少し遅いが、目覚めるに良い頃合いである。
 ポーン、下からの呼び出し音が鳴った。
「死体だ!」
 足利の緊張した声が来た。

 三平は壁を調べていた。
 トイレの隣の壁が開いた。四角い台が二つ、茶色い布がかかっている。
 布をめくると、大きな頭があった。身長3メートルほどの宇宙人が寝ていた。肌は布と同じ色になって、ミイラ化している。
 カメラを持ち込み、改めて、なめるように撮る。
「ユーカラ織り、かな」
 久留美が布を手にした。酸化して色が抜けているが、わずかに緑や金の色が残っている。
 台は、もう一つ。こちらには身長1メートルほどの宇宙人の死体があった。同様にミイラ化している。
「文字だ」
 足利が身をかがめ、台の書き込みを見つけた。毛筆の続け字だ。
「寛文九年十月十一日・・・吾、遺す、友の言葉・・・三石麻里ノ介・・・」
 さらに文は続いている、おそらく漢文だ。足利は歴史担任だが、古文は苦手なのだ。
「宇宙人だけど、友だったんだなあ、麻里ノ介には」
 太志郎は呟いた。
「そっちの方にも、何かあります」
 三平がカメラを向けて言った。
 部屋の画面にあるのと、同じ文字が並んでいた。漢文と見比べて、はたと手を打った。
「たぶん、こいつはロゼッタストーンだよ」
 足利の顔が喜びで歪んだ。
「この宇宙人と麻里ノ介は協力して、何かをした。そして、ここの機械にアイヌ語を教えたんだ」

 仁台は指令車を降りた。
 ポケットからタバコを出し、火を付けた。車内は禁煙だ。
 ネオンも街灯も無く暗い空を見上げ、手の噴水付近を振り返った。そこだけ、照明で昼間より明るいくらい。
 国道が100メートル先にあるが、交通規制で走る車は無い。とても静かだ。
 二本の塔の足下の片付けは、全く始まっていない。電波が発信されると、重機が止まってしまうせいだ。危険防止のため、テープのフェンスで囲うくらいしかできない。
 腕時計を見ると、もうすぐ12時、深夜である。
 ヘルメットに迷彩服の下士官が来て敬礼した。こちらも敬礼を返す。
「準備、整いました」
 小声で報告が来た。
「よし、あとは判断をまかせる。民間人の保護が最優先、施設に破壊的な行為は慎んで、静かに行こう」
 下士官は敬礼して、ゆっくりと背を向けた。
 ほんの立ち話、そんな雰囲気で重大な命令を出した。
 仁台三佐の胸で心臓が高鳴る。つい、タバコを指でつぶしていた。


二日目


 はああああ、鈴瀬は大きくあくびをした。
 アンテナ表示の出ないスマートフォンを見た。午前1時過ぎ、生きているのは時計とカメラ機能だけだ。
 黄色の点滅をしている画面を撮った。角の方に、カウンターのような表示がある。
「これって、やっぱり、カウントダウンよね」
 20個ほどの種類の文字が順序正しく現れ、また列の一つが、同じ文字で止まった。全てが同じ文字になるのに、どれくらいの時間がかかるのか。それを知る術を探して、スマートフォンのカメラを起動した。
 ビデオモードでカウンターを撮る。
 ぴぴぴ、警報のような音が鳴った。別の壁で、画面が開いた。
 鈴瀬はスマートフォンを止めた。
 毛布をはねのけ、太志郎と三平が起きた。久留美は女だてらに高いびきをかいている。
「何だ、何だあ」
 足利も画面の前に立ち、意味を読み取ろうとした。
 この施設の見取り図のようだ。今の部屋に5ッのマークがある。行った事の無い場所から、いくつかのマークが現れた。マークはどんどん増えて、施設の中に散らばって行く。
「眠ってる宇宙人さんたちが、一斉に目覚めたの?」
 足利は首を傾げた。正体不明の何者か、としか表現できない。
 マークの一群が、この部屋に近付いて来た。
「仁台さん、いますか?」
 太志郎はパソコンの受話器を取り、地上を呼んだ。
「当直の礼樽三尉です。何か、ありましたか」
 冷静な声が来た。
「何かが、いっぱい現れて、こっちへ来ます」
 うまく状況を説明できない、自分がもどかしい。接近するマークは、すでに扉の向こう側にいた。
 ガンガン、扉を叩く音がした。
 あによ、ようやく久留美が薄目を開けた。
 ガチャンガチャン、扉の向こうで何かをしている。ガキン、扉が少し開いた。
 パッ、強力なライトが部屋に差した。
「陸上自衛隊旭川駐屯地所属、矛狩二等陸尉! 5人、いるな」
「じえいたい・・・なの?」
 予想外の声に、鈴瀬は口が閉まらない。
 ジャッキが差し込まれ、扉がこじ開けられた。ぞろぞろ、十人を超える黒い戦闘服の隊員が入って来た。
「こちらエコーファイブ、管制室に達しました。民間人、5人を保護」
「了解。引き続き、制圧を続行せよ」
 矛狩がヘルメットの無線で報告した。
 向こうで受けたのは、仁台だ。太志郎は直感して、受話器を置いた。
「いらっしゃいませ」
 久留美が寝ぼけ眼で言った。矛狩は笑顔で敬礼した。
「どこから入ったの?」
 鈴瀬が問うと、矛狩は肩を揺らした。
「何と言うか、裏口から、ですね」
「裏口!」

 矛狩の先導で、5人は部屋を出て、奥へ進んだ。
「エタルカ、エタルカ」
 ちょっとパニックな掃除ロボットの横を通る。床に泥靴の跡がいっぱいだ。
 廊下から排水パイプのような所に入った。
 縄梯子を登ると、洞窟に出た。
「ここは五年ほど前に見つかった空洞です。温泉のボーリング調査中の事でした。この深さで、水が無い空洞は変だった。ボーリングをしていた会社に陸自のOBがいて、訓練ついでに、我々も調査に加わりました」
 矛狩は淡々と説明する。
 建築現場にあるような簡易エレベーターに乗った。鳥かごと同じ、上も下も丸見えだ。
「5年前から知っていた?」
「いや、あそこが開いたのは、塔が地上に出てからです。なんせ、街中では地震波の調査もできなくて、施設の全貌は全く判らなかった」
 お手上げだった5年間を振り返り、矛狩は首を振った。
 ガシャン、無粋な音で、エレベーターは止まった。
 どこかのビルの地下室だった。
「あじゃぱあ」
 久留美は不満げだ。外へ出るのが簡単過ぎた。
 ドアをくぐると、地下駐車場に出た。陸自のバスが待機していた。
「しばらくは駐屯地にいて、調査に協力を願います。全て終わったら、最初に入った噴水の所から、5人そろって出ていただきます」
 バスは5人を乗せ、未明の街に出た。
「あっ、あのホテルか」
 風景を見て、足利が言った。
 街中に出来た最新の温泉ホテルだった。千メートル以上の深層ボーリングを行い、天然温泉が売りの所だ。
 資金トラブルがあったとか、工事が中断したとか、色んな噂を聞いた。あの空洞を掘り当てたせい、と今なら理解できた。

 ふあああっ、あくびをひとつ。
 太志郎が目覚めると、ベッドサイドの時計は6時を少し回っていた。
 ぐっすり眠ったような、眠り足りないような、変な感じだ。ベッドのせいだろうか。
 鋼線入りの防火ガラスの窓から外を見た。ダークグリーンの戦車がある。
 自衛隊駐屯地の中と、ようやく納得できた。
 白い壁、家具も白い、色の無い部屋だ。室内のユニットバスのトイレで用を足し、ついでにシャワーを浴びた。
 下着も寝間着も、自衛隊の支給だ。あそこで手に入れた物は全て没収されていた。手の腕輪は外せないので、身に残っている。
 ポーン、インターホンが鳴った。
「朝食の用意ができました、会議室へどうぞ」
 ガシャン、ドアで音がした。鍵が開いたようだ。軟禁が解かれた。

 廊下に出ると、奥が会議室だった。他のドアは施錠されていた。
 二人の女性自衛官が待っていた。
「おはようございます。お席へどうぞ」
 言われるまま、イスに座った。テーブルには5人分のトレーがある。
 コーヒーかお茶か、と聞かれ、コーヒーと答えた。
「おっはよーございっまーす!」
 天井を揺るがす声で、沖久留美が入って来た。元バレーボール部、体育会系のくせが抜けていない。
 三平、鈴瀬が現れた。足利がタオルを首に巻いたまま来た、朝の親父のまんまだ。
「やっぱ、大人は違うなあ」
 三平が女性隊員に見とれ、つい指でカメラのフレームを作った。
 ぷう、久留美のほおがふくらんだ。
 足利はほおがゆるんだ。近頃、きれいな女は、誰でも若い頃の妻に似ていると感じてしまう。
「おはようございます」
 矛狩二尉が大きなレジ袋を持って現れた。
「沖さん、お父さんの差し入れだ。自分で持って行きたかったようだけど、代行して来たよ」
 どさっ、袋の中は沖食堂の天丼弁当。エビ天は通常1尾を2尾に増量、大盤振る舞いで10人前以上ある。
「あたし、こちらのブレックファストが良いわ」
 鈴瀬は早々に辞退した。娘の久留美も鼻を手でおおった、匂いだけでゲップが来た。
「おれ、いただきます」
 三平は弁当をひとつ取った。大柄だけに、二人前で一食分だ。
「あとは、隊員の皆さんでわけてよ」
 久留美が苦笑いで矛狩に押し返した。
「食べ終わりましたら、こちらに着替えて下さい。8時からミーティングです」
 着替えを出してくれた。士官の肩章も鮮やかな自衛隊の制服だった。

 体育館を抜け、大会議室へ入った。
 大きなスクリーンが2面あり、一方には、地下の施設が映っている。
 5人は奥のオブザーバー席へ案内された。アイヌ協会の会長と太志郎の父が先に来ていた。
 軽く朝の挨拶を交わし、並んで座った。
「あたしのスマホ、返してくれないのよぉ」
 鈴瀬が斜めに座り、また不平をもらした。しっ、矛狩が注意する。
「駐屯地司令、入室」
 号令があり、部屋の全員が起立した。何事か分からないまま、太志郎も習って立ち上がった。
 誰やら偉そうな数人が現れ、スクリーン横の席に着いた。彼らの前にはノートパソコンが開かれている。
「始めよう。まず、現状報告から」
 偉そうな人の一人が言った。号令をかけた司会役が、スクリーンへ語りかけた。
「管制室です。ここの機械は、我々の操作を受け付けません。なので、画面の変化から分かった事を報告します」
 画面の問田一曹が言った。広角レンズのせいで、顔が歪んでいた。
 自衛隊が管制室と呼んだのは、5人がいた部屋だ。中央にテーブルがあり、壁に画面が並んでいた。
 第一の画面について、二本の塔は宇宙へ電波を発信し続けている。目標は第5惑星と推測されるが、発信開始から20時間以上経っているにもかかわらず、応答は無い。
 第二の画面について、これは施設の見取り図であり、リアルタイムの監視機構である。中央に20層以上の吹き抜けがある。各層には、10から15の扉があり、冷凍庫となっている。生死不明の宇宙人が冷凍状態にある。掃除ロボットが動いているが、我々の調査を妨げる物ではない。
 第三の画面について、この施設を動かす動力炉の状況を示している。6個の容器があり、仮に番号で呼んでいる。1番から4番までが稼働中の動力炉で、5番は動いていない。6番の容器は空である。2番の動力炉が暴走状態なのか、非常に加熱している。1番と3番が接続されて、2番を冷やしているように見える。4番だけが平常運転のようだ。
 第三の画面の隅に、カウンターのような表示がある。これまでの変化を計算すると、すべての文字表示が一つの文字で揃うのは、およそ午後8時前、約11時間半後である。
 人海戦術の調査は、さすがと言える内容だ。
 スクリーンの画が変わった。手術室のような部屋で、寝台に宇宙人のミイラがある。寝台横の医師らしき人が手と頭を振った。何かを報告する準備が出来ていないらしい。
 また画面が変わり、別の部屋へ。宇宙人が寝ていた台がある。カメラで側面の文を撮っている様子。
「台に書かれていた文を要約しました」
 司会役が手元の機械を操作して、訳文をスクリーンに出した。

 寛文九年十月十一日、吾友の言葉を遺す、三石麻里ノ介
 我らは欺かれた
 我らが皆目覚めると、ここは破裂する
 炉が皆停まると、ここは破裂する
 故郷へ帰る術は失われた
 モシリを守るためには、爆弾を枕に眠り続けるだけ
 麻里ノ介、心せよ

「この先は、まだ解読中です」
 司会役が言葉を結んだ。
 ごくり、太志郎は唾を呑んだ。
「第五惑星は、やっぱり」
 鈴瀬は直感を確信に変えた。
「これは、これまでの地底探査から得たデータを元に、地中にある施設の全貌を示します」
 旭川の地図が画面に出た。CGを重ねる。地中に眠るナマズのような影が現れた。
 幅1キロ、長さは3キロ、厚さは400メートル、巨大な宇宙船だ。地上に現れた塔は、まるで潜水艦の潜望鏡のよう。
「次は、地上の配置を」
 司会役が機械を操作し、画面が手の噴水前になった。
 ピピピ、腕輪が鳴った。太志郎のだけでなく、久留美のも、鈴瀬のも、5人全員の腕輪が鳴った。
「静粛に!」
 司会役が言った。
 音は止まったが、腕輪に何かシグナルのような紋様が出ていた。
「これ、何かな?」
 久留美が聞くけれど、太志郎に答えられるはずも無い。
 ポーン、チャイムが鳴り、画面に問田一曹が出た。
「管制室です。こちらの画面表示に変化がありました」
 第三の画面で、2番の炉へ稼働中の1番3番に続き、4番もつながった。管制室全体で、一時、照明が暗くなった。
 第二の画面で、冷凍庫の表示色が上層で変わった。
「了解。引き続き、監視を続行しなさい」
 司会役が冷静に答えた。
 太志郎は歯ぎしりした。
「まずいよ。宇宙人さんたちの冷凍が止まったんだ。みんな起きたら爆発する」
「炉が停まっても、爆発だ」
 うめくように久留美が言った。足利も首を振る。
「オブザーバーに発言は許可されていない。静粛を保てないなら、退席しなさい!」
 司会役が怒鳴った。彼は事態の深刻さに気付いていない。
「あじゃぱあ」
 両手を上げ、久留美は立った。ドアを蹴り開けて部屋を出た。

 ドアを蹴って、久留美は後悔した。
 右の膝にズキン、痛みが来た。まだまだ直ってない。
 体育館に出て、士官の上着を脱ぎ捨てた。転がっていたボールを拾う。
 ポンポン、軽くドリブル。
 壁に向けて、サーブを打った。バン、ボールは壁から床へ跳ね、戻ってきた。ポン、とトスを上げる。
 とおっ、ジャンプしてアタック。しかし、空中でバランスを崩してしまった。
 バーン、狙いが外れ、ボールはラインの外に落ちた。
 はあはあ、久しぶりの事で、息が切れた。
「まだまだ、やるもんだ」
 太志郎の声に振り返った。ぜんぜん、と久留美は首を傾げる。
 一年生でバレーボール部のレギュラーになった。試合中にスリップして転倒した。右足がしびれて、動かなくなった。
「根性無しは去れ!」
 顧問の教師は激高して叫んだ。
 試合後、久留美は入院した。膝靱帯の断裂だった。
 教師は試合中の暴言を謝罪してきたけれど、膝の痛みが和らぐ訳も無い。
 数ヶ月して、普通に歩くまでなら回復した。競技に復帰する目途は立たず、ぶらぶらしていたのを、太志郎がビデオ部に誘った。
「中学の頃から、カメラで追っかけてた。うちの部に来てくれた時は、天使が来た、と嬉しかった」
「へへへ、翼の折れた天使だけどね」
 カメラで撮れば、久留美は抜群の画になる。惜しむらくは、動きに優雅さが足りず、言葉はがさつだ。結局、ビデオ部のメインキャストは鈴瀬が勤めていた。
 おーい、三平が来た。足利と鈴瀬も来た。アイヌ装束の会長、太志郎の父も。追って、矛狩が来た。
「もう、素人にはつまんねー会議でさ。部隊の配備が、増援が、とかばっかりだ」
 三平は口を斜めにして、はあと息をついた。
「太志郎、やる気が出ないようだな」
 父に言われ、太志郎は横を向いた。
「だってさあ、麻里ノ介とか言う和人が宇宙人と何かした、なんて話しだろ」
「三石麻里ノ介はアイヌだよ」
 父は断言した。太志郎は返す言葉が出ない。
「アイヌは独自の文字文化が無い。でも、アイヌの周辺には文字文化を持つ民族がいた。彼らと付き合う時、アイヌは彼らの文字表記に適した名乗りをした。ロシアが相手なら、イワンと。中国が相手なら、ガイキと。和人となら、ハチロウザエモンと。中国の元と戦い、交渉した記録がある。漢文を使えるのは当然だ」
「中国の元て、元寇の元?」
「元の三代皇帝クビライ・ハーンの頃だ」
「麻里ノ介はアイヌだった・・・」
 和人の名を持つアイヌは、明治以後と思っていた。また常識が覆った。
「おまえの名前も同じだ。ただのタシロで終わるか、イペタムと並び賞される存在になるか。わたしは期待しているぞ」
 父の視線がまぶしい。太志郎は目を外したかった。
 ふんふん、久留美はストレッチで軽く汗をかいていた。
「さあ、行こう。9時になった、時間が無いよ」
 久留美は腕輪を確認した。あの紋様は継続している。
「どこかへ勝手に出かけられちゃ、わたしが困るんだが」
「自衛隊は何もできない。あそこで、画面をながめているだけ。地球が蒸発して無くなるのを防げるのは、あたしらだけだ」
 久留美は右腕を掲げた。知識が頭に流れ込んできた。
 ふう、息を整え、一度は言ってみたかったあの言葉を口にした。
「変身!」
 光が久留美を包んだ。
 太志郎が薄目を開けると、久留美は自衛隊に没収されたはずの服を着ていた。
「そんな、その服は、確か」
 矛狩は見ている事が信じられない。昨夜、駐屯地に着いて、確かに5人の服を預かった。今は、まさかと言うだけだ。
 久留美は帽子をチェック、腰の剣を確かめ、腰を振ってバックルと靴の締まりを見た。
「よし、行こう!」
 床を蹴り、久留美は飛んだ。
 バン、体育館の屋根を破った。
 天井の破片が舞い落ちた。穴から空が見える。
「本体はここです」
 太志郎は腕輪を指し、矛狩に示した。
 光が太志郎を包んだ。緑のラインの服が現れた。
 じゃ、と父に手を挙げ、床を蹴って飛んだ。
 バコン、二つ目の穴が開き、バラバラと破片が落ちた。
「かっこいいーっ、俺だって、やってやるぜい」
「しっかたないわねえ」
 三平が、鈴瀬が、光に包まれた。次々、飛んで、屋根を破って行った。
「生徒だけを行かせる訳にもいかん。修理費は付けといてくれ」
 足利は矛狩に言うと、自分も変身した。
 とおっ、気合いの割に、ゆっくりと飛び上がった。穴をくぐって外へ出て行った。
「アシリ・ウエペケレ!」
 江樫が白いヒゲを揺らして叫んだ。

 久留美は高く上がった。
 嵐山の頂きが下になり、滑るように高度を下げて行く。
 旭橋を真下に見て、銀色の塔を飛び越えた。
 黒い塔の先端近くに、ひょいと乗った。振り返ると、飛んでくる二人が見えた。
 ばきっ、三平が両手両足で塔にしがみついた。ひらり、鈴瀬は塔の天辺に降り立ち、くるりと回る。
「ダサい、とか言ってたのに」
「着こなし次第で、なんとかなる部分もあるわ」
 久留美の苦言に、鈴瀬はポーズをとって答えた。
 あと二人は、と久留美は目をこらした。石狩川の上あたり、飛んでくる二つがあった。
「ああっ、落ちる」
 ふらふら飛ぶ一つを見て、三平が声を出した。
 とおっ、久留美は塔を蹴って飛んだ。
 バランスを崩したのは太志郎だった。くるくる回って、きりもみ降下になった。
 もうだめだ、と諦めかけた時、久留美の手がベルトをつかんだ。
「下手くそだねえ」
「ごめん」
 太志郎は久留美の次に飛んだ。
 しかし、うまく高度がとれず、国道を越えて墜落した。スタルヒン像にぶつかり、危うく壊すところだった。また飛んだが、護国神社の木立に引っかかり、池に落ちた。そんな事で三平や鈴瀬より遅れてしまった。
 二人はゆっくりと降下し、手の噴水前に着地した。おおーっ、記者たちのカメラが奇声と共に出迎えた。
 三平と足利も降りてきた。穴の横に立つ。
 鈴瀬が舞うように降りてきた。久留美とカメラの間に割り込んで立った。
 昨日、人前で飛んだのは久留美と太志郎の二人だけ。今日は五人に増えた。
 鈴瀬はくるりと回り、ポーズをとって、一礼。笑顔を作り、フラッシュの集中砲火を浴びた。
 太志郎は穴を囲む陸自の隊員を見た。それぞれ通信機と忙しく会話している。ここでは、争いは起こらないだろう。
「挨拶はいいから、行くぞ」
 足利が穴を指差して、先に行く。三平が追って入った。久留美と太志郎はカメラに背を向け、飛び込んだ。
 鈴瀬は記者に手を振り、ふわり、回りながら穴に入った。

  セイント・フォース勢揃い  


 ドアが開き、5人は管制室へ入った。
「君たちは、ここへ入る許可を受けていない。速やかに、退去願おう」
 問田一曹が静かに言った。しかし、右手は腰のホルスターにかかっている。
「そりゃ、こっちのセリフだ。あんたらは、ここにいても画面を見てるだけ、他に何もできない。あたしらのジャマにならないうちに、とっとと出て行きな」
 久留美の物言いに、他の隊員が顔を見合わせた。そのものズバリの指摘だった。
 ピーピー、見取り図の画面に変化が出た。
「扉が開いた」
「宇宙人が中に!」
 通信機のスピーカーが叫ぶ。
「発砲は禁ずる。彼らの様子を監視しろ」
 問田は指示を出しながら、また久留美を見た。
 太志郎は久留美の背越しに、三平は肩越しに画面を見た。
「宇宙人さんたちが目覚めたんだ。全員起きると、爆発する」
「まだ1層と2層だけだ」
 通路に新しいマークが現れた。宇宙人たちが冷凍室から出て来たのだ。
 足利が前に出た。
「君らには、市民を爆発から守る義務がある」
 問田は答えられない。この管制室を守る、それが彼の今の任務だ。
 画面のマークは20を超えている。その一つは管制室に迫っていた。
 ダンダン、奥のドアを叩く音。
 ドアのロックは外れていた。ずるずる、緑色の手がこじ開けた。
「あああ・・・アシニ・・・アシニ、フナクァン」
 身長1メートルほど、小柄な宇宙人がよろけるように入って来た。
 問田が手で他の隊員を制止する。皆、拳銃に手をかけ、臨戦態勢だ。
 太志郎は前に立ち、手招き。トイレの壁を開けて、指差した。
 宇宙人が入って、壁を閉めた。と、ぎゃーっ、と悲鳴が出た。 
 うっうっ、歯を剥き、宇宙人が出て来た。
 太志郎はテーブルにあるトイレットペーパーのロールを取って見せた。100パーセント天然パルプ、お尻にやさしい二枚重ねの高級品だ。
 おおう、宇宙人はロールを抱き、またトイレに入った。
 はあああ、管制室に安堵のため息。
「あんたらが宇宙人に出来るのは、鉄砲を向ける事だけ?」
 久留美が嫌みったらしく言った。
 ポーン、パソコンのチャイムが鳴った。
 問田は受話器を取る。地上の仁台からの連絡だった。
「そちらの事情は、すべてモニターで見ていた。新しい命令を出す。問田一曹の隊は足利氏に協力し、事態の収束にあたれ。彼らの指示に従って行動せよ」
「了解。我々は足利氏に協力して、事態に対処します」
「とりあえず、午後8時まで、としておこう」
「午後8時まで、彼らの指揮下にいます」
 午後8時・・・画面のカウンターがゼロになる時間だ。何が起きるか、まだ未知である。
 問田は受話器を久留美に渡した。
「沖くん、上に来てくれ。お父さんとお母さんが見えてる。差し入れ、だそうだ」
「あじゃぱあ」
 自衛隊と話がついて、安心したのも束の間、久留美は頭を抱えた。
 足利は三平と鈴瀬を画面の前へ進ませた。
「昔、三石麻里ノ介が何をしたか。そのデータを探すんだ」
 鈴瀬が画面に触れた。画面は反応して、違う画が出た。
 おおう、隊員が感嘆の声をもらした。
 探索は生徒にまかせ、足利はテーブルの時計を見た。もうすぐ、午前10時だ。

 昼が近い。穴を昇ると、明るさが眩しかった。
 穴から出て、高度5メートルほどで静止した。おおお、記者の歓声が聞こえた。
 久留美は仁台を探した。仮設テントの下に姿を見つけて、そこへ降りた。
「市民の避難は? 爆発が迫ってるのに」
 しっ、仁台は指を口に当てた。
「爆発の規模も想定できてない。手配しているが、上層部の決断待ちだ」
「規模か・・・・第五惑星が蒸発して無くなる、くらい」
 そこまで言って、久留美も口を閉じた。
 地球が吹っ飛ぶ爆発では、避難すべき範囲も場所も無い。爆発を防ぐ、それだけが生き残る道だ。
「せめて、宇宙船の真上くらいは?」
「それくらいなら、確かに」
 仁台は久留美の提案に同意した。それでも、幅1キロ、長さ3キロの広大な範囲。しかも、30万都市のど真ん中だ。
 どこからか通信が入り、仁台は受話器を取る。空いた手で、久留美の両親を指し、会えと促した。
「おお、我が娘よ。忙しいのは知っているが、こういう時こそ沖食堂の焼き魚弁当だぞ」
 両手で握り拳をつくり、父は天に向かって吠えた。
「今日のお味噌汁は利尻昆布で出汁を取って、具はワカメとシジミよ。疲労回復と滋養強壮に最適」
 めったにしない化粧顔で、母が手を広げる。
 フラッシュの連発が親子を包んだ。娘は脳天気な宣伝に付き合うだけで、すでに疲労を感じていた。
 ぎゃあ、がしゃ、妙な音が聞こえた。
 まさか、と不安にかられ、久留美は飛び上がった。高度10メートルほどで、くるりと周囲を見渡した。
「久留美、かっこいいっ!」
「すてきよぉ!」
 両親の場違いな声援、現実を知らない記者たちのカメラが久留美を追う。
 帽子のカメラが起動した。右目にモニターが降りて、遠くをズームインして見た。
 7条緑道の黒い塔の根元だ。大小の扉が開き、異形の影が現れた。
 もしや、とロータリーの銀色の塔の根元を見た。扉が開いて、大小の宇宙人たちが出て来ていた。
「逃げて、逃げて、早く!」
 久留美は叫んだ。両親は目をパチクリするだけ。
「発砲はいかん、バリケードで抑え込め!」
 仁台は通信機で怒鳴っていた。
 久留美は降りると弁当の袋を手にした。ずしり、十人前くらいある。
「早く、早く、逃げるの!」
 叫ぶ娘の剣幕に、両親は異常事態を察知し、店のバンへ乗った。
 記者たちも右往左往、事態を把握しようとし始めた。我が身に火の粉がかぶるような仕事は絶対イヤ、と言って憚らぬ記者たちだった。

 両手に弁当の袋を下げ、久留美は管制室に戻った。
「宇宙人さんが、あちこちから出て来てる。どうなってんの?」
「パワーダウンだ」
 足利が一言で答えた。弁当をテーブルに置き、久留美は首をひねった。
「電子錠が無効化している。機械的に扉を開ける操作を知っていれば、出入り自由な状況だ」
 ざーっ、水の音。トイレの扉が開いて、緑の小さな宇宙人が出て来た。
 くんくん、鼻を鳴らすと、テーブルの弁当に飛びついた。
 ばくばくばく、意地汚い食べ方だ。食堂の娘としては、マナーのひとつも言ってやりたい気分。
「これだ」
「動力炉の修理法よね。パイプをつないで、補強して、木の枠で支えて」
 ついに、鈴瀬は目指す画面に行き着いた。図面は見て理解できるが、文字が読めない。
「この図と、現場を照らし合わせよう」
 三平が見取り図の方を見た。目覚めた宇宙人は外に出て、マークは少なくなった。炉までの障害は少ないだろう。
「わたしも行くぞ」
 足利も立ち上がった。問田が二人の隊員を指名し、同行を命じた。
「行ってらっしゃい」
 久留美は奥のドアから出て行く4人を見送る。その足下で、小さな宇宙人が見上げていた。
「マリノスケ?」
 宇宙人は記憶をたどっていた。麻里ノ介の服を着た者を見つけた。でも、違う。色々な違いの中で、胸のふくらみが気になった。
 ぷに、気になるふくらみを掴んでみた。
 バコッ!
 天井まで吹っ飛ぶ一撃。
 太志郎が落ちる宇宙人を受け止めた。
「落ち着けよ」
「宇宙から来た痴漢を退治しただけよ」
 ふんっ、鼻息荒く、久留美は仁王立ちで腕組みした。
 バレーボールを辞めて良かった事がひとつ、バストが急に成長した事。この1年で2サイズもブラを大きくした。しかし、スポーツをする体型から外れかけている、とも思い始めていた。
 太志郎は宇宙人をテーブルに上げ、介抱していた。呼吸は落ち着いてきたが、意識はまだだ。
 マリノスケ、と確かに聞いた。修理の手がかりが、ここにある。

 足利と三平は吹き抜けに出た。
 照明が前より暗い。エレベーターが動かず、下へ行けない。パワーダウンの影響だろう。
「飛ぶしかないか」
 自衛隊の二人を残し、足利と三平は飛び降りた。
「松前藩が三石麻里ノ介を処刑して、記録を何も残さなかった。それで、おれらが苦労する。なんてこったい」
「宇宙人とは誰も考えないさ。清の軍隊とは思ったかもしれない」
「しん?」
「日清戦争で戦った清だ」
 歴史担任である足利の頭の中で、歴史のパズルが組み上がっていく。それまで気にも止めなかったピースが、重要な位置にはまり込んだ。
 寛文年間は日本と清の間で、重要な時期にあたる。寛文三年、すでに薩摩藩が属国としていた琉球に、清の柵封師が来た。琉球を日本と清が重複して支配する奇妙な状態となった。
 寛文五年、水戸徳川家は朱瞬水を家臣に加えた。彼は清に滅ぼされた明の儒学者だ。本来は、清と戦うため、明に援軍を出すよう求めていた。要請は間に合わず、帰るべき国を失ってしまった。
 朱は大量の書を日本にもたらした。元の歴史を綴った国書もあった。源義経はチンギス・ハーンになった、と言う珍説が後に出る。
 元がアイヌと和睦していた事を、徳川幕府は知る。清は元に次ぐモンゴル系の王朝だ。
 アイヌが清と結ぶのを、幕府は恐れ、先手を打って圧迫した。それはアイヌの蜂起を呼んだ。
「寛文年間にシャクシャインが乱を起こしたのは、決して偶然ではない」
 あああっ、足利は声を上げた。真理に近付いた学者の喜びだ。
 蒸気が濃くなった。
 二人は降下を止め、近くの足場に立った。
「昨日より水位が上がってる」
 麻里ノ介が修理した炉は、完全に水没していた。
 
 ロータリーの塔から出て来た小さな宇宙人、彼らはオンネフチの一族だった。
 周囲を見れば、赤と黄色のテープでバリケードがあった。鉄の箱と緑の服を着た現地人が、わいわい声を上げている。歓迎の雰囲気ではない。
 甘い香りが流れて来た。香りを追って、一族は動いた。
 バリケードの隙間を抜け、道路一本先に、それを見つけた。
 そこは昭和前期の建物を使った甘味処。和服の女給が働く、レトロな風雅の店だ。
 ロータリー周辺は立ち入り禁止だが、住人は別だ。取材の記者や自衛隊が、店を休憩に使用していた。
「いらっしゃいませ」
 つい、女給はいつもの言葉で出迎えてしまった。
 わらわら、緑色の宇宙人が店内にあふれた。
 片付け前の椀をなめ、これをと要求した。
「お・・・お汁粉、十人前、お願いします。あ、あと十人前、追加です」
 半ば悲鳴にも似た声で、女給は失神寸前だ。
 ロータリーの塔から、3メートルを超す巨人が、一人出て来た。キムン族のカンナだ。
 木と草が生い茂る湿地帯のはずが、石と鉄ばかりの場所になっていた。現地人が警戒の目で見つめている。
 腰をおろし、何をすべきか考えた。また眠気が来て、あくびをした。
 七条緑道の黒い塔から、キムン族のホンク・ハーンが現れた。
 6条の方へバリケードを越えて行くオンネフチたちを見て、つい笑ってしまった。道を塞いでいる鉄の箱が、黒い煙を噴いた。エンジン音で威嚇のつもりか。
 塔の扉の奥から、おおん、吠える者が顔を出した。
 トンペ族のサマイクルだった。体長は10メートルにもなる。八本足と言う者もいるが、四本足と四本腕とも言える多能の一族だ。
 彼らは遺伝子工学が産んだキメラだった。失敗作として廃棄処分になりかけたが、法律家や宗教家が保護を訴えた。理由は別として、産まれた者には生きる権利がある、と。
 かつて、故郷の星では、共に戦った間柄だ。武運足らずに敗れ、辺境へ流された。以前、目覚めた時より、地元民は文明的になっている。
 ホンク・ハーンとサマイクルは共に笑った。今度こそ、この地を支配しよう、と。

「あっ、目を開けた」
 太志郎は、ほっと息をついた。
 管制室のテーブルで、小柄な宇宙人は身を起こした。きょろきょろと周囲を見て、はっと手を打つ。
 テーブルのボタンを押すと、引き出しが開いた。中から腕輪を取り、着ける。きゅん、腕輪はピタリのサイズになった。
「まだ、一個あったのか」
 管制室に詳しいようだ。この宇宙人との対話は大切になる。
「イアンカラプテ。カニ、アクネ、タンネタシロー、クネ」
 太志郎は一言づつ、確かめながら言った。
「おう、わしの事はジョウ・ニーと呼んでくれ」
 日本語が返ってきた。
 宇宙人が日本語を話した、と思った。
 が、違う。自衛隊員はジョウの言葉に反応していない。
 びっくり顔なのは、腕輪をしている久留美と鈴瀬だけ。腕輪が間に入り、宇宙人の言葉を翻訳したのだ。
「ジョニー?」
「違う、ジョウ・ニーだ」
 鈴瀬が首を傾げて聞いた。ジョウは人差し指を立て、切り返して答えた。
 追放移民団の中で、コロポッ族は技術職が多い。ジョウ・ニーは高位に属する宇宙船システム技術者だ。
「ジョウ・ニー、ここは今、とても危ない。爆発するかも」
「わしらが起きたからね」
 ジョウは画面の前に立ち、ぐぐ、と喉を鳴らした。
「この前より悪いな。時間も無いし、修理はできない。放出する方が良いな」
「放出?」
 太志郎が聞くと、ジョウは画面を切り替え、もうひとつの修理履歴を呼び出した。
 炉を切り離し、ロケットを接続して、宇宙へ打ち出す。ただし、切り離すと冷却が効かないので、手早く済ませなければならない。
「手間取ると、爆発する?」
 鈴瀬の問いに、ジョウはニヤと笑った。画面を見上げ、空の炉を指差した。
「もっと昔、修理不能で放出した事がある。あの時も、きびしかった」
 奥のドアが開いた。足利と三平が戻ってきて、やっ、とジョウに挨拶した。
「で、実際のところ、どうすんだ?」
「まず、水を抜かないと」
 うむ、ジョウは頷いた。
 ポーン、パソコンのチャイムが鳴った。問田が出ると、仁台だった。
「我々は撤退する。宇宙人が多過ぎて、噴水前を保持できない。地下の方は、君に全権を委ねる」
「了解。ここでの全権を移譲されました」
 問田は受話器を置き、全員を見渡した。
「この先は、我々だけで進めなくてはならなくなった。足利先生、地球を救いましょう」
 いい男じゃん、と久留美は問田を見直した。

 ホンク・ハーンは手の噴水前から自衛隊を排除し、拠点を得た。穴の下には管制室があるが、攻めるのは後回しだ。
 トンペ族が塔から武器を搬出し始めた。この星を手に入れるために、手持ちの武器を稼働状態にしなければならない。
 自衛隊を見た。バリケードを後退させて、向こうから攻める気は無いようだ。
 トンペたちにより、8条通りに四本のトーテムポールが建った。根元の直径は2メートル、高さ五メートル、小型防空兵器アイ・アンドームが設置された。先端の目玉がレーザー光線の発振機である。
 ホンク・ハーンは照準器をのぞき、あれこれ狙ってみた。今は、手動モードで操作できる。防空レーダーが起動すれば、自動モードが可能になる。
 と、黒服の現地人が近寄って来た。
 彼は市役所近くのキリスト教会に勤める見習い牧師、来栖だった。宇宙人と交渉し、彼らに布教できれば、と功名心の塊な男だ。
「吾は神の使いなり。神は偉大なり・・・・」
 右で金色の十字架を掲げ、左手に聖書を抱き、来栖は緑色の巨人の前に立った。
 認めたくないものだが、カクカクと膝が笑っていた。今年は新たな信者の勧誘がゼロだ。聖書の販売は、自分で買った一冊のみ。これでは、いつまで経っても見習いから進めない。
 ホンク・ハーンは人間の手にある光る物を取り上げた。一目見て、形以外の機能が無いと知り、捨てた。
「か、か・・・神を恐れよ」
 来栖は聖書を頭上に掲げ、呪いの言葉を宇宙人にかけた。
 ホンカンは人間が持つ物を取り、材質を見た。紙は機器の試験に適しているので、10メートルほど離れた路上に投げた。
 照準器を起動して、路上の紙を狙った。トーテムポールの目玉からレーザーが発射され、ぽんと火が上がった。
 あああっ、来栖は悲鳴を上げた。聖書が一瞬に灰と化した。
「い、イエス・キリストの・・・な、名において・・・そなたを」
 不信心者へ、来栖は声をかけようとした。しかし、相手が大き過ぎる。天を見上げて、神に祈る姿勢になってしまう。
 声が煩く思い、ホンク・ハーンは人間に照準器を向けた。
 ひいいいっ、来栖は背を向けて逃げ出した。彼の股間は濡れていた。
 ホンク・ハーンは照準器を下げた。防空兵器のアイ・アンドームは、地上の目標を狙うに適していない。
 一方、甘味処のお汁粉を平らげたオンネフチたちは、川沿いに流れる甘い香りに気付いた。それは、旭川の街でも数少ないお菓子工場からの香りだった。
 がががっ、奇声を上げ、一族は緑橋の方へと進み出した。

 時計が12時になろうとしていた。
 5人は沖食堂の焼き魚弁当を食べた、少し早めの昼食。
 地下の自衛隊は、全員が管制室に集まった。休憩を兼ねて、レーションを食べた。
 部屋の隅のゴミ袋には、昨日の弁当の喰い残りが入っていた。今朝の弁当も残っているが、電子レンジが無いので暖められない。
 足利は持ち込んだ一升瓶の栓を抜いた。旭川の銘酒、男山だ。口を付けようとして、止めた。匂いだけで我慢する。
「さあて、これから男の仕事だ」
 瓶に栓をして、足利は立ち上がった。しかし、一番背が低いから、座っている三平と頭は同じ高さ。
 太志郎が立ち、三平も立った。
 三人は奥のドアへ向かった。
「指示、よろしく」
 太志郎が言うと、ジョウ・ニーが手を上げて応えた。久留美と鈴瀬も手を振った。
 自衛隊は部屋の守りに徹して残る。
 吹き抜けに来た。下を見ると、冷凍庫の扉は第4層まで開いていた。
 ぐわぐわ、どこからか声がした。姿は見えないから、これからの作業に支障は出ないだろう。
「天井横の大扉を開けるんだ。動力は切れている。力づくで開けてくれ」
 ジョウ・ニーが通信器越しに言った。
 壁際のハシゴを昇る。薄暗い倉庫のような空間に出た。
 壁に幅10メートルほどの扉がある。
 レールに沿って押して開くと、光が差し込んだ。倉庫の奥に空飛ぶ円盤が並んでいた。
「これがロケットエンジン?」
「小型輸送艇だ。有人でも無人でも飛べる。押し出してくれ。レールにはまれば、重力で勝手に落ちて行く」
 ジョウ・ニーの指示に従い、三人は円盤を押した。
「これに乗れば、故郷へ帰れるんじゃ?」
「惑星と衛星を往復するくらいに使う。単独で故郷へ飛んだら、地球時間で何万年もかかる」
 太志郎の問いに、ジョウ・ニーは軽く答えた。
 服が体力を増幅している。押していて、さほど重さは感じない。
 ガシャン、軽い音で、円盤はレールにはまった。ゆっくりと下がり始めた。
 壁の隙間から、それぞれ飛び降りた。円盤を追い越し、先に下へ行く。
 第5層の扉が開き始めた。無視して、降り続ける。
 湯気が濃くなった。
「水が・・・お湯が抜けてないよ」
「よし、充電完了だ。排水ポンプを動かそう」
 ジョウ・ニーが言うと、湯面に新しい動きが出た。
 加熱した動力炉を冷やすため、他の動力炉はフルパワーに近い運転をしている。排水ポンプは大きなパワーを使うが、直接に動力炉からパワーをもらえない。なので、少しづつ、バッテリーにパワーを蓄えていたのだ。

 7・8中通りで、2機目のアイ・アンドームが組み立てられている。レーダーの設置は、当分先だ。
 ホンク・ハーンの手に新しい武器が来た。セントリー機関銃だ。
 長さ1.5メートルの筒にグリップと引き金がある。筒の中に銃身がジャイロで支えられ、体の揺れをキャンセルしてくれる。
 弾倉を着けた。弾丸は直径25ミリ、長さ70ミリほど。薬莢は無い。
 バッテリーコードをつなぎ、銃を起動した。銃身は電磁加速器だ。二段階で弾を加速する。低速部ではマッハ0.8まで、ほとんど無音だ。高速部ではマッハ8、大気との摩擦で弾丸が火の玉になって飛ぶ。
 試し撃ちに適当な的を探した。
 ロータリーの向こう側に、バリケードとなっている黒い鉄の車に目を付けた。距離は400メートルほど。
 それは陸上自衛隊の74式戦車だった。旭川駐屯地に配備されていた旧型だ。新型は富良野にあり、今はトレーラーで旭川に向かっている途中である。
 ホンク・ハーンは発射速度を最速にセットした。この距離なら弾道は直線に近い。スコープで直視したまま撃てる。
 引き金にかけた指に力を入れた。
 ポン、と小さな発射音。反動が無いのも、電磁加速銃の良いところだ。
 スコープの中で、74式戦車の砲塔に小さな炎がたった。弾が装甲にめり込み、高温で鉄を溶かしたのだ。
 もう一度撃った。
 また当たった。
 今度は命中部から白い煙が出た。次いで、戦車の後部、エンジンから黒い煙が吹き出た。弾が装甲を貫通し、内部で火災を起こしたのだ。
 乗員が戦車から脱出した。市内の出動なので、74式戦車には砲弾が積んでなかった。爆発は起きない。
 ホンク・ハーンは満足し、銃をトンペに返した。
 もっと多様な武器が必要だ。優先順位を考え、腕を組んだ。
 はたと、ロータリーのずっと先、建物の向こう側に白い煙があると気付いた。量は大きいが、真っ直ぐ上に上らない。火災ではないようだ。
 それは石狩川に立ち上る蒸気だった。
 新橋のたもと、河川敷公園の地割れから噴出した熱水が原因だ。白い熱い霧が橋を包んだ。視界不良で、接触する車が相次いだ。

「よし、炉が見えてきた」
 足利の声が管制室に響いた。
 三人の見た目が、画面に出ている。白い蒸気の中から、木の枠組みが現れた。
「上の方から、徐々に外してくれ。炉が傾くと危ない。気をつけて」
 ジョウ・ニーが簡単な指示を出した。
 その横で、問田は見取り図の方を注視していた。
「第6層まで開いた」
 眠りから覚めた者たちのマークが、施設内をうろついていた。管制室の近くにも数人来ている。
 ファイバースコープカメラをドアの隙間に入れ、向こう側をテレビに出した。
「隊列を作っている。組織立っているな」
「武器らしき物を携帯しています」
 良い報告は来ない。つい、指の爪を噛んでしまった。
「修理は、わしらにやらせるつもりだろう。終わったら、ここを乗っ取る気だな」
 ジョウ・ニーはため息で言った。
 修理完了が戦闘開始の合図だ。ふう、問田は深呼吸して次の手を考えた。
 バリバリバリ、木組みを外す音。ごとん、ざぶん、外れた木が浅くなった湯面に落ちた。
 画面に、炉の本体が姿を現した。
「わあ、炉が傷だらけ。あれって、修理の時に付けたの?」
「違う」
 鈴瀬の問いに、ジョウ・ニーは口ごもった。思い出したくない出来事だった。
「キムン族の一部が自暴自棄になってな、故郷へ帰れないと知って。それで、あちこちを壊した。その一つが、これだ」
「みんなを道連れに、自殺を図って・・・」
 うむ、ジョウ・ニーは口を一文字に結ぶ。
 多くの者が死に、傷ついた。あんな事は、もうたくさんだ。
 久留美が腕組みで部屋をぐるぐる歩く。
「あいつらが組織で動く・・・て事は、指導者がいるって事よね」
「たぶん」
 問田には、それ以上は答えられない。ジョウ・ニーに皆の目が向いた。
「キムン族ならホンク・ハーン、トンペ族ならサマイクル・・・だろう。中に姿が見えない。目覚めているなら、外にいる」
「よしっ。話し合えるものなら、話し合ってみようじゃん」
 どん、久留美は床を踏み鳴らした。
 踵を返して、入口側のドアに向かった。
「バリケードを作れ!」
 問田の号令で、隊員たちが動いた。ドアの両側に立って、少し開けた。
 じゃ、と久留美は手で挨拶。ドアを抜けた。ばむ、すぐにドアは閉じられた。
 宇宙人たちがいた。手に武器らしき物がある。壁に開いたドアがあった。そこから来たのだろう。
「マリノスケ・・・」
 ざわめき、通路の端に退けてくれた。
 赤いラインの服には、特別な意味がある。確信して、久留美は外を目指した。

 コロポッ族が新しい武器を出してくれた。
 自動小銃ポンアイを手にして、ホンク・ハーンは重みを確かめた。
 腰にバッテリーのベルトを着け、コードをつないだ。長さは1メートルほど、照準は肉眼でする。電磁加速銃身の他は原始的だ。
 百発入りの弾倉を着けて、かまえた。近くの建物を狙って撃った。
 ポンポン、と小さな音で連続射撃。
 バンバン、外壁が大きく吹っ飛ぶ。が、深い穴はできない。
 弾丸は直径12ミリの小口径、柔らかく軽いアルミ製。標的に当たると、くしゃと潰れて、直径が倍以上になる。有効射程は100メートル以内だ。命中率や貫通力より、弾幕を張って制圧する銃である。
 武器の種類は、これで一通り揃った。現地人の戦闘員数を考慮すれば、あとは量だ。
 サマイクルが鎧を持ってきた。将らしく装え、と言う。
 冬眠器用の寝間着を脱いだ。鎧に袖を通し、兜を頭にした。顎紐を締めれば、気も引き締まる。
 皆も甲冑に着替えた。ほぼ戦闘準備が整った。

 風を切り、久留美は一直線に穴を昇った。
 闇からら光の中へ、外に出た。高度10メートルほどで辺りを見下ろした。手の噴水前は一変していた。
 アイ・アンドームの塔が並び、コロポッ族が忙しそうに立ち回る。ロータリーへ向かう道で、大柄なキムン族とトンペ族が隊列を作っていた。
「レプ、トゥプ、シネッ、ダーッ!」
 奇声が上がった。
「太志郎、聞いてるね」
 久留美は通信器で呼びかけた。
「聞いてるよ」
「ちゃんと通訳してね」
「暇があれば」
 地下では、炉を動かす準備中だ。管制室のジョウ・ニーも頼れない。
 久留美が彼らの上へ行くと、誰もが振り向き、隊列が乱れた。
「マリノスケ!」
 隊列の先頭にいるキムン族の一人が、久留美を指して叫んだ。そいつの前に降り立った。
「あたしは沖久留美。三石麻里ノ介じゃないけど、話し合いに来たんだ。え・・・と、ホンク・ハーンさん、だよね?」
 久留美はリーダーに向かい、話しかけた。宇宙人だが、ホンク・ハーンの顔が引きつっているのが分かった。
「イカタイ、イカタイ」
 ホンクが両手を広げた。隊列が動いた。輪になり、久留美を囲んだ。
 話が通じてない、久留美は焦った。ホンク・ハーンが腕輪をしてないと気付いた。機械通訳は利かない、やばい雰囲気だ。
「クアニ、カムイサンテク、クネ。クアニ、パカシヌ!」
 ホンク・ハーンが久留美を指して言った。おおおおっ、囲んだ宇宙人たちが鬨の声を上げた。
「イオマンテ!」
「えっ?」
 久留美は首を傾げた。イオマンテの言葉は知っている、アイヌの祭りだ。
 イオマンテ! 囲んでいる連中も声を上げた。
「イオマンテって、何する気かしら、ねえ?」
 聞かれて、太志郎も首をひねる。
 古くは、男子が成人する祭司だった。この祭りを経て、山の神たるヒグマ狩りに参加する資格を得る。
「推測だけど・・・君をヒグマになぞらえ、ホンク・ハーンがマリノスケを討ち、大人の証を・・・この場合は、将の証を立てようとしている・・・と言う事じゃないかな」
「花の乙女を熊あつかいなんて、こっちが許さないからねっ」
「うわっ」
 久留美の怒鳴り声に、太志郎が悲鳴を上げた。
 四足四腕のトンペが大きな剣を抱え、ホンク・ハーンに渡した。身の丈が2メートル、物干し竿のような長剣だ。
 ホンクは鞘から剣を抜いた。二度三度振り、柄と握りを確認した。鞘を捨て、剣を縦にしてかまえた。
「小次郎、敗れたり」
 久留美は時代劇のセリフで最初の反撃。
 ちゃっ、腰の二刀を抜いた。身の丈は60センチくらい。
 剣を手にするのは初めてだが、包丁ならある。沖食堂の調理場で手伝いをしていた。両手に包丁を持ち、豚肉や牛肉を叩いて伸す。包丁のかまえのまま、剣を向けた。

「話し合いに行ったはずだろ」
 太志郎は、通信器から久留美の会話を聞いていた。通訳が入る余地は無さそうだ。
「聞いてたなら、少しは手を貸してよ」
「こちらは地球を救うのに忙しい。街の方は、まかせた」
「あによっ!」
 ぶちっ、乱暴に久留美が通信を切った。ふう、と息をつき、太志郎は炉を見上げた。高さは10メートル以上だ。
 水はほとんど抜けた。床に散らばる木組みを除け、炉を押し出すスペースを確保した。
 ジョウ・ニーから報せが来た。
「よし、炉の切り離しができた。パイプを切断して、中央に押し出せ。放出口を地上に押し出す」
「了解」
 三人は炉の上部に飛んだ。
 熱気の中、施設とつながるパイプとコードを引き千切る。時間勝負なので、とにかく力まかせにやる。
 バラバラ、破片が落下した。
 足利は下に行って、また床面の片付けだ。
「カウンターが一気に進んじゃったあ! いい、急いで、早く早くうっ!」
「急いでるよ」
 鈴瀬がヒステリックに叫んだ。三平が絞った声で応えた。
 外せる物は全て外した。壁と炉の隙間に入り、渾身の力で押す。
 服が力を増幅してくれている。ズズズ、炉がレールに沿って動き出した。
 汗でバイザーが曇る。服の冷房機能は、すでに限界まで達していた。
「ジョニー、今、午後3時よ。この調子だと、カウンターがゼロになるまで、あと3時間・・・いえ、2時間くらい」
「ジョウ・ニーだ」
「やってるから。落ち着いてくれ」
 鈴瀬の声が上擦っている。足利がなだめても、どうにも効果は薄い。
 どんな時も冷静に語るのがテレビキャスターのはずだ。しかし、テレビの世界では、放送中に笑いが止まらなくなって、番組から降ろされた女子アナがいた。
 残り時間が半分になった。その危機感だけは共有できた。
 暑い。いや、熱い。
 時に、太志郎は意識が朦朧とした。熱中症の初期だ。
 汗では体温を発散しきれない。舌を出し、犬のようにハアハアと息をした。過呼吸にもなりかけていた。
 ガッガガッ、炉は少しづつ中央へ動いていた。

「狙うだけだ。発砲はいかん」
 仁台はマイクで言った。
 各ビルの屋上には陸自の狙撃隊が待機している。長距離ライフルのスコープで、対峙する久留美と宇宙人を見ていた。
 仁台も双眼鏡で見ていた。
 二人の決闘が始まるようだ。自衛隊が介入するとすれば、久留美を囲む宇宙人たちが戦いに混じり、乱戦になった時だ。
 ぐああーっ、ホンク・ハーンが怒号で切りかけた。
 身の丈2メートルの剣を、ぶんぶん、右から左から横に薙いだ。
 風圧を受けながら、久留美は後退する。
 ロータリーへ押し出された。地中から突き出た塔のせいで、岩やら自動車やらが転がっていた。中央の花壇は塔の根元になって、ほぼ全滅状態だ。
 おおおっ、ホンク・ハーンが大上段から切り下ろした。
 ぽん、大岩が豆腐のように切れて、ふたつになった。
 久留美は余裕の笑み。バレーボールで鍛えた動体視力が、ホンク・ハーンの剣を見切っていた。
「そろそろ、こっちから行くよ!」
 久留美は二本の刀を平行にかまえ、たあっ、気合いで切りつけた。
 ひょいひょい、ホンク・ハーンがかわす。
 やはり素人の刀さばき。久留美の身振りは大きくて、また見切りやすいのだった。
 勢い余って、久留美は体勢を崩した。たたらを踏んで、右の刀を振り抜けば、そこにホンク・ハーンは居ず、岩があった。
 がきっ、刀が岩に食い込んだ。抜けない。
 素人刀術の悲しさ。刀を打ち込む向きと、刃の向きが一致していない時、刀のしなりで起きる現象だ。
 久留美が振り向くと、ホンク・ハーンは剣を杖に休みの体勢。
 がははは、囲む宇宙人たちから笑いがもれた。
 抜くのを諦め、左の刀を右へ持ちかえた。

「よし、真ん中に来た。離れろ」
 ジョウ・ニーの指示が来て、太志郎は腕から力を抜いた。足の力も抜けて、その場に座り込んだ。
 見上げると、真上にロケットエンジンになる円盤がある。
「円盤が降りないぞ」
「引っかかっているようだ。力づくでやってくれ」
 またか、足利がハシゴを昇る。飛ぶ気力が出ない。
「もうすぐ放出口が開く。焦らずにやってくれ」
「なんか、カウンターの進みが加速してる。早くしてっ」
 ジョウ・ニーと鈴瀬の言葉は真逆だ。聞くだけで混乱してしまう。
 レール横のストッパー爪が出たままだ。三平は叩いて、引っ込めようとする。
 太志郎は飛んだ。円盤の上に乗り、どん、と蹴りを入れた。
 がくん、円盤が動いた。炉にかぶさり、帽子のように上部と一体化した。
「よし、エンジンの充電を始めた。放出口を開くぞ。エンジンが動いたら、恒星へ向けて無人運転だ」
 ジョウ・ニーが以後の流れを説明した。
 太志郎は円盤の上に倒れた。全身から力が抜けてしまった。
 どどどん、どどどん、吹き抜けの上の方から大きな音が響いた。
「放出口を地上に出した。動力をつなぎ直すぞ。今度は、冬眠器を再起動だ」
 やった・・・太志郎はつぶやいた。
 これ以上、宇宙人は目覚めない。ここが爆発する要素が、ひとつ減った。
 ズズズッ、円盤が動いた。ゆっくり上昇する。
 降りようと思ったが、どんどん加速していた。うまく壁との隙間に入れそうにない。
 風圧が強くなった。円盤にしがみつく。
 上に光が見えた。出口だ。
 バン、衝撃波で吹き飛ばされた。
 太志郎は円盤から落ちた。どーん、と落ちたのは水の中。常盤公園の千鳥ヶ池だった。
 放出口は池に出ていた。
 熱い服が冷たい水に触れ、水蒸気を上げた。冷気が服の中に入ってきた。
 岸にたどり着き、這って上がった。はあっはあっ、息も上がっていた。
 地面で大の字になり、空を見た。
 円盤は炉をぶら下げ、さらに加速して小さくなって行く。

 ドドーン、衝撃波の轟音が街に響き渡った。
 反響で割れる窓ガラスが相次いだ。防火ガラスのため、ガラス片が飛び散るのは少なかった。
 空を見上げる人々は見た。白い笠をかぶった物が、白い尾を引いて昇って行くのを。
 白い笠は、超音速で飛ぶ物体が発する衝撃波だ。正確には、衝撃波の後ろ面に急減圧で生じる水蒸気である。白い尾も、物体の後ろに生じた水蒸気だった。
 雲に衝撃波で穴を開け、物体は彼方へと小さくなった。

 天に昇る物を見て、久留美は何か分からなかった。
 しかし、ホンク・ハーンは理解した。修理が終わり、システムは正常へ戻る。爆発の危険が去ったのだ。
「イワンケレ、イワンケレ!」
 ホンク・ハーンは振り向き、配下のキムン族とトンペ族、そしてコロポッ族に叫んだ。彼らも同じ言葉で応えた。
 また振り返り、久留美を見た。
「カムイ、ヘキリパ!」
 ホンク・ハーンは剣をかまえ、踏み込んで斬りかかった。
 ひえっ、久留美は逃げた。さっきまでとは剣の速さが違う、踏み込みの鋭さが違う。
 放置されていた自動車を真っ二つ、岩は三枚に下ろされた。ホンク・ハーンは剣を振りつつ追い回す。
 久留美は逃げる。逃げるうちに、ロータリーを一周した。
 がっ、踏み止まり、後ろ向きにジャンプ。
 これはバレーボールの技。バックにジャンプして、空中で体を反転させるフェイントだ。
 久留美は右手の刀を突き入れた。
 ホンク・ハーンは余裕ではじいた。
 ごん、久留美の左掌底打ちがホンク・ハーンの頭に当たった。兜がずれた。
 これもバレーボールの技、一人時間差攻撃だ。右で打つと見せかけて空振り、左で打ち込むのだ。
 よろめくところへ、蹴りを入れて着地した。
 顎紐がほどけ、ホンク・ハーンの兜が落ちた。3メートルの巨体が崩れて、膝が地に着いた。
 ガタン、2メートルの大剣が手から落ちた。
 久留美は剣を取ると、足で一撃。真っ二つに折った。
「そう言えば、あたしゃ、話し合いに来たのよね」
 むん、腰に手を当て、頭を清まして考えた。考えるのは苦手と思い出した。
「太志郎、聞いてる? 今、どこ?」
 通信器を入れて呼びかけた。
 呼ばれた男は、まだ千鳥ヶ池の岸で大の字になっていた。手も足も力が入らない。
 久留美の声は聞こえていた。しかし、応えようとしても、口が動くだけ。声が出てこない。

 一方、足利と三平は管制室の手前まで来ていた。
 なかなか服が冷えてくれない。熱で頭がボーッとしている。
 ドアの前に宇宙人が隊列を組んでいた。声をかけても、道を開けてくれない。じっ、睨み返された。
 体力は使い果たしていた。腕づくで通る気力は無い。
 壁に背をあずけ、通信器で鈴瀬を呼んだ。

 ピーッ、警報があって、円盤からの信号が途絶えた。
「ジョニー、どうなったの?」
「ジョウ・ニーだ。オーバーロードしたようだな。炉の熱でエンジンを駆動してたけど、熱が高くなり過ぎて、焼き付いた」
「また、ここに落ちて来る?」
「速度は光の100分の1くらいだった。今は慣性飛行で太陽に向かってる」
 百分の一、と聞けば遅いように感じた。でも、光の百分の一。秒速は3000キロ、地球を一周するのに13秒少々の速度だ。
 ガンガンガン、ドアを叩く音。
 鈴瀬もジョウ・ニーも、自衛隊員たちも振り向いた。
 奥のドアは静かなままだ。入り口側のドアで音がした。
 ガガーッ、轟音をたてて火花が飛んだ。モーターカッターがドアを切断し始めた。
「全員、戦闘用意!」
 問田の号令。隊員たちが89式小銃を出した。十丁以上の機関銃が、ドアに狙いを付けた。
「待って、ここで撃ち合いはダメ!」
「そうだ。ここの機械が壊れたら、せっかく落ち着いたシステムが、またダウンしかねない」
 鈴瀬とジョウ・ニーが隊員を制止した。
 渋々ながら、問田は銃を下ろさせる。
「銃剣、用意!」
 また問田は号令した。89式の銃口下に剣をセットした。昔ながらの銃剣戦闘のかまえ。
 ガガガガ、火花が進む。管制室に薄く煙が充満した。
 バーン、大きな音と共にパネルが落ちた。ドアに大穴が開いた。が、宇宙人たちは入って来ない。
 銃撃戦で施設を破損したくないのは、向こうも同じらしい。
「対ガス装備!」
 問田が号令した。隊員たちはガスマスクを出した。
 マスクをかぶって、問田は負けを覚悟した。マスクの使用時間は、せいぜい半時間だ。その間に、ガスの領域から脱出するための装備。立てこもり用の装備ではない。
 ジョウ・ニーは換気装置を回した。
 ドアの向こう側、通路の排気を駆動した。煙がドアの穴から出て行く、部屋の煙が晴れてきた。
 ぎゃわぎゃわ、ドアの向こうが騒がしくなった。

 俺は負けたらしい・・・
 ホンク・ハーンは痛む頭を手でなでた。
 マリノスケの服を着た敵は、奪った剣を折って、後は攻撃をかけて来ない。何か、考えがあるようだ。ならば、こちらも考えて応じるべきだろう。
 うおおおーっ、背後で雄叫びがあった。
 どすどす、地響きと共に進み出たのはトンペ族のサマイクルだった。3メートルの柄の先に2メートルの鉾先の大薙刀、四本の腕で立つ。
「なによお?」
 終わったと思っていた久留美は、新たな相手の出現に戸惑った。
 イオマンテの儀式で、新成人は第一の矢を射る。後は、狩りのベテランである大人たちが熊にトドメを入れる。サマイクルがしようとしているのは、正にそれだった。
 四本の腕と四本の足、10メートルの巨体が迫る。
 久留美は逃げた。ロータリーを出て、まだ煙を上げる74式戦車を飛び越えた。足の速さなら、こちらが上だ。
 サマイクルが大薙刀を振り回す。74式は砲身がふっ飛び、車体は三つ四つに分断された。
 ホンク・ハーンは立ち上がり、二人を追う。待て、と声をかける時期を失っていた。
 ゆるい坂道を上ると、橋だ。鋼鉄のアーチが橋桁を吊る旭橋である。
 とおっ、久留美はバック宙返りで逆襲。大薙刀の柄を蹴り折った。
 が、サマイクルは久留美の足を掴んでいた。薙刀を捨て、ぶんぶん、久留美を振り回す。
 遠心力を付けて、放り投げた。
 ごん、おおん、橋が揺れた。
 久留美は橋桁を吊る支柱にぶつかった。ぐにゃり、H型鋼が曲がった。
 服が装甲になって体を守ったが、思いっきり背中に痛みがきた。
「女の子に、何て事を。子供が産めなくなったら、責任取ってよ・・・」
 久留美は冗談にもならない悪態を返す。
 うおおおっ、サマイクルの四本腕が奇声で迫った。
 でやっ、久留美は上へ飛んだ。
 鉄の梁につかまり、橋のアーチの上に立った。川風を感じて、一息入れた。
 石狩川の真上だ。川面から20メートル近い高さ、街がよく見える。昨日、突然に出現した2本の巨塔が隣り合って見えた。
 サマイクルは吠えた。しかし、ジャンプしても手が届かない。
 アーチが橋の両側で低くなっているのに気付いた。そこから、アーチを登る。
 鎧の脛当てを、ひとつ引っかけて落とした。気にせず登った。
 ギシギシ、アーチが軋んだ。
 旭橋の頂点で。久留美とサマイクルは対峙する場面となった。
 薄い雲が切れて、低くくなった太陽が顔を出した。
 二人は真横から陽を浴びるかたち。
 その時、太陽の隣に、もう一つ、強い光が現れた。太陽が二つ、並んで光っているかのよう。
 ホンク・ハーンも戦いを忘れ、その光を見ていた。

   


「ジョニー、あれ、何?」
「ジョウ・ニーだ。炉が爆発したんだ。ま、安全距離で良かった」
 管制室で、鈴瀬とジョウ・ニーは胸をなで下ろした。
 爆発は月軌道をはるかに越え、地球と金星の軌道の間で起きた。直接的な影響は無いだろう。
 わいわいがやがや・・・安心して、背後の騒がしさに気をもんだ。
 前後のドアを破り、管制室になだれ込んだのはオンネフチ族だった。彼らは自衛隊員を蹴散らし、テーブルに残っていた焼き魚弁当に飛び付いた。今朝の天丼弁当の残りを見つけた。
 また、ゴミ袋を破って、昨日のカツ丼弁当を見つけた。ただし、こちらは賞味期限切れ。
 自衛隊のレーションがあった。これも彼らの腹に収まっていった。
 意地汚い食べ方の連中だ。ジョウ・ニーと違う種族らしいが、食べ方は一緒だ。
 さらに、一人が男山の酒瓶を見つけた。たちまち回し飲みとなり、酔っ払いたちの宴会状態となった。
 とん、鈴瀬の背をつつく指があった。
 振り返ると、オンネフチの一人が鎧の前を開けた。にへへへ、露出して笑っていた。
 ばこっ、鈴瀬の蹴り。変態オンネフチは天井まで飛んで、宴会の渦の中に消えた。
「酔っ払いは、あっちもこっちも、やる事が同じね」
「すまん・・・」
 怒る鈴瀬に、ジョウ・ニーは頭を下げた。
 奥のドアから、足利と三平が入って来た。疲れた足取りだが、目はしっかりしている。
「ここは大丈夫そうだな」
 足利は問田を見た。レーションの開封に忙しくしていた。
「外へ行きましょ。あっちは、危なそうよ」
 鈴瀬の提案に、足利と三平は頷いた。
 じゃね、とジョウ・ニーに手で合図し、三人は出口へと向かった。

 もう一つの小さな太陽は、1分ほどで輝きが弱くなり、やがて消えた。
 旭橋のアーチの上、久留美とサマイクルは改めて互いを見た。
 鉄骨をきしませ、サマイクルは間を詰めた。4本足とは言え、高所の足取りは慎重だ。
 久留美は飛んで逃げようとした。
「あれっ?」
 ちょんと跳んだだけだった。飛べない、危うく落ちそうになった。四つ這いで体を支えた。
 下を見て、足が震えた。梁の上から橋桁の路面まで、たっぷり10メートル以上ある。
 手で触れると、服の背は破けていた。壊れてしまった。
 4本の腕が迫った。
 つかまる、と思った時、その腕が引いた。
 太志郎がサマイクルに後ろから抱きついた。自分の腰回りほどもある首に手を巻き、力まかせに締めた。
 4本の腕が、太志郎の腕を振りほどきにかかった。
 服が筋力を増幅していても力は足りない。太志郎の腕から力が抜けて行く。
 久留美はサマイクルの足を見た。4本足の1本に鎧の脛当てが無い。
 がん、裸の脛を蹴った。
 わおおっ、巨体が揺れた。
 足場が細く狭い鋼鉄の梁の上だ。サマイクルは踏み外した。
 どしん、4本腕の上体を梁にぶつけ、真っ逆さまになって落ちた。
 ごごん、路面に頭から激突した。ぐにゃりと体がエビになり、ゆっくりと伸びた。
 太志郎は下敷きになる寸前で逃げていた。
 ホンク・ハーンが追って来た。
 ううう、サマイクルは低くうなる。4本の手が震えていた。息はあるが、頭と首に重度の傷を負ったのは確かだ。
「エ・・・エポタム、エポタラクル!」
 医者を呼ぼうとして、地上にいる者の中に、医療が欠けている事に気付いた。戦いの前衛にばかり目を向け、後衛を考えていなかった。
「仁台さーん」
 太志郎は旭橋の両側に呼びかけた。堤防の常盤公園側から、仁台三佐が手を振って出て来た。
 手招きしても、橋にまで来ない。太志郎が走って寄った。
「けが人が出ました。医者と救急車を」
「けが人・・・て、あれか?」
「まだ生きてます。お願いします」
「まあ、なんだ・・・武装解除してくれたら、我々に戦う理由は無い」
 太志郎は念を押し、ホンク・ハーンへ走った。
 仁台は通信器のスイッチを入れた。少し考えて、トレーラーとクレーンを手配した。あの巨体は救急車に乗るはずが無い。
 ホンク・ハーンはサマイクルの枕元で、どっかと座り込んだ。心を静め、性急な行動を恥じた。
 太志郎はホンク・ハーンの前に立ち、話そうとするが、言葉が頭に浮かばない。身振り手振りで、武装解除を申し込んだ。
 ホンク・ハーンは脇に抱えていた兜を置いた。空の右手を上げ、降参と了解の意を伝えた。
 太志郎がピョンと跳び、その手にハイタッチした。
 おおーっ、旭橋の両岸側で歓声が上がった。

  オキクルミ対サマイクルで支柱がグニャリ  


 旭橋のアーチの頂上で、久留美はぽつねんと座っていた。
 山の向こうの西の空に雲がある。
 太陽が雲に没すると、街は急に暗くなった。もう夕暮れだ。
 中心街は街灯が点かず、暗く見えた。いつもなら、夜空を照らすほど明るいのに。
 空に星がまたたき始めた。金星か、木星だろうか。星占いの本は読むけれど、実際に星を見る事は少なかった。
 下が騒がしい。クレーン車が到着した。
 自衛隊の医療班がサマイクルの緊急措置をしている。首と肩に添え木をして、包帯で固定した。手足の数は多いけど、酸素を吸って二酸化炭素を吐き、体の7割が水分。人間と同じ系列の生命だ。
「何してんの?」
 声に久留美は振り返る。太志郎がいた。
「降りて来ないから、みんな心配してるよ」
「降りられるものなら、とっくに降りてます」
 プン、と口を尖らせた。
 久留美のコートの背は、大きく裂けていた。飛べるはずはない。
 西の空で太陽の残光が減り、暗くなってきた。
 と、北の空で光があった。青や緑や、黄色が混じった光だ。
 風に揺らめくカーテンのように、輝きは上へ下へ動く。地平線の向こう側で、花火大会をやっているかのよう。
「オーロラだ」
 足利が上がって来て、言った。
 炉が宇宙で爆発した余波が、ようやく地球に到達したのだ。極地ではない北海道で、オーロラが見えるのは珍しい出来事。
 鈴瀬も来て、ひゅーと口笛を鳴らした。三平はカメラが無いと悔やんだ。
 オーロラは1分ほどで消え、北の空にも星がまたたき始めた。
「さあ、降りよう」
 足利が誘う。太志郎は久留美を横に抱えた、お姫様だっこの形。
 意外に軽く感じた。服が筋力を増幅している。
「一度、してみたかった」
「良きにはからえ」
 久留美は太志郎の首に手を回し、ほおにキスした。ナイトへのご褒美だ。
 太志郎は飛んだ。今回は優雅に着地できた。
 5人が揃って並んだ。仁台三佐が敬礼してきた。
「お疲れさま。ここらで、現場の指揮権を返して頂きます。足利先生、よろしいですね」
 うん、と足利は軽く頷く。
「あたしらは、セイント部隊よ」
 久留美がベルトのバックルを指して言った。かなりデザイン的に崩れた紋様だが、無理すれば「SAINT」と読めない事もない。
「ダサっ!」
 鈴瀬が吐き捨てるように言った。
「せめて、セイント・フォース、チーム・シックス・・・くらい言ってよ」
「チーム・・・6?」
 太志郎も久留美も首を傾げた。5人組だから、チーム・ファイブと言うべきだろう。
「はーい、わたし6人目ね。よろしく、チーム・シックス」
 ジョウ・ニーが現れて、手を揚げた。確かに、腕輪を着けているのは6人だった。
 そうじゃないよ・・・鈴瀬がため息をついた。アメリカ海軍の特殊部隊シールズの内で、最強と言われる隊がチーム・シックスなのだ。説明しようとして、通じないと諦めの心境。
「整列!」
 仁台が号令をかけた。橋の上で手空きの隊員たちが仁台の後方に並んだ。
「セイント・フォース、チーム・シックスに敬礼!」
 一斉に敬礼。
 6人は少しうろたえた。で、それぞれにヘタな敬礼を返した。ホンク・ハーンも真似て右手を揚げていた。


数ヶ月後 


 冬が来て、また春になった。
 旭川西高のビデオ部の4人は3年生になった。
 あの腕輪は外せるようになったので、管制室のテーブルの引き出しに戻した。他の者が着けても、全く機能しない。何かのロックがかかっているようだ。
 ジョウ・ニーは塔を地下に戻そうとした。でも、途中で止まり、地上に20メートルくらい残ってしまった。それで、特に問題も無く、塔は街の風景に馴染んでいる。
 手の噴水は直されて、手の彫像は天を仰いで建っている。
 エレベーターの穴も塞がれて、埋められた。その部分だけ舗装が新しいから、それと分かるくらい。
 目覚めている宇宙人たちは、自衛隊の旭川駐屯地にいる。キムン族やトンペ族は大柄なので、彼ら用の建物が急ピッチで工事中だ。
 ホンク・ハーンは自分たちが絶対的に少数だと自覚し、地球全土を直接支配するのは不可能と悟った。今は日本を盛り立て、世界を裏から支配しようと企んでいるらしい。
 あの事件以来、旭川の街では外国人の姿が目立つ。英語、ロシア語、中国語、世界中の言葉が聞ける街になった。リピーターが多いし、動物園だけが観光目的ではないだろう。

 石狩川の堤防を、丹根太志郎は歩く。いつもの通学路だ。
 少し後ろで、可児三平が小型ビデオカメラで何かを撮っている。あれだけ四六時中カメラを動かしていれば、いつか、隕石の落下すら撮れるかもしれない。
 ふと、空を見上げた。
 次の危機は空から、と志野茶鈴瀬は予言した。
 地下の施設は強力な電波を発信した。彼らの母星へ、施設の危機と回復を報じたはずだ。二度も危機を克服した事実を、どう母星は判断するだろう。
 彼らの母星が地球に接触を試みるとしたら、どんな方法だろうか・・・
 考えても、答えは無い。今の自分にできる事は、来年の進学の準備だけだ。まず、目の前の問題から片付けるしかない。
 また、太志郎は歩き始めた。
「あじゃぱあ、お先にっ」
 沖久留美が自転車で追い抜いて行った。
 置いて行かれてたまるか・・・太志郎は走った。あの暴走姫を守るナイトは、この丹根太志郎だけだ。




   

< おわり >

後書き

登場人物の名前は、基本的にアイヌ語に由来します(星野とジョウ・ニーは除く)
ホンク・ハーンは、ホンカンをモンゴルっぽく言い換えたものです。

正統ヒーロー物のつもりだったけど、敵も味方も、一人も死んでない。平和な話しになった。


2014,10.7