セイント・フォース
登場人物 沖 久留美(オキクルミ) 丹根 太志郎(タンネ タシロウ) 可児 三平(カニ サンペ) 志野茶 鈴瀬(シノチャ リンセ) 足利 西芭(アシリ ニシバ) 日本の首都、東京から北へ1000キロ、ちょい高い山の麓ある街、それが旭川。 でっかい工場がある訳でなく、唯一無二の名品がある訳でなもない、ありふれた街だ。 よくある、少し寂れかけた地方都市のひとつ・・・・だった、これまでは。 街の中心部、旭川駅前から伸びる歩行者専用道路、通称「買い物公園」がある。郊外に大型ショッピングセンターが相次いで開店し、最近は人出が少なくなった。駅から遠い4条通りから8条通りは、歩く人が疎らですらある。 買い物公園通りに直角に交差する歩行者用道路がひとつ、旭川市役所と常磐公園を結ぶ7条緑道だ。年を経た大木が緑の影を作り、こちらの方が公園の雰囲気をかもす。 ふたつの道路の交差点で、テレビカメラを構えるグループがいた。 第一日目 「よし、スタート」 カメラを担ぐ可児三平は、録画をスタートした。 志野茶鈴瀬が市役所の方から歩いて来て、ちょい立ち止まる。 「こんにちは。今日は買い物公園に来ています。この辺は、すこし静かですね」 鈴瀬が長めのスカートを揺らせ、歩きながら街の紹介をしていた。カメラがフォローしてパンする。 カメラの横で大きなレフ板を持つのは、沖久留美だ。カメラと一緒に方向転換して、鈴瀬に光を当て続ける。 「ああ、待って。志野茶さん、マイクが入ってない」 丹根太志郎が画面に入ってストップをかけた。録音チェックが彼の仕事。 太志郎の指摘に、鈴瀬は身をよじる。 ポーチの肩ひもがマイクのコードを引っかけたようだ。腰の無線ユニットからマイクのプラグが抜けてしまっていた。太志郎が入れ直し、カメラのフレームの外に出た。 彼らは旭川の西高等学校、ビデオ部の生徒だ。 そんな4人を離れて見ているのは、顧問の教師、足利西芭。学校で一番背が低い、と変な自慢をする。ズボンがくたびれているけど、五十代の男やもめでは致し方なし。 となりに立つのは、機材を貸したケーブルテレビ会社の星野。今日は見るだけなので、気楽な顔だ。 そして、警官の輪塚巡査。 はて、と足利は鼻を動かした。 「臭いますね」 「わたしは違います」 星野が間髪入れずに答えた。 「土の臭いですよ。化石の発掘現場や、道路工事で地面を掘り返した時の、あの臭いです」 足利は低い背を丸くして、臭いの元を探す。歴史の教師だから、つい発掘現場を連想してしまった。 「いやぁん、まいっちんぐぅ」 鈴瀬のスカートがフワリとあおられた。 おおっ、と輪塚巡査は口をおさえた。 「危ない、離れろ」 足利が鈴瀬の腰にタックル、抱くようにして数メートル走った。 道路の舗装に小さなひび割れが入っていた。そこから風が吹き出ている。 「ががっ・・・・ガス漏れか?」 輪塚は警官の習性で、腰をかがめて現場に近付く。手をかざして、噴き出す風を確認。鼻をひくつかせ、風の正体を探った。 「いや、都市ガスではない」 めりめり、亀裂が大きくなる。土煙が出始めた。 「こちら輪塚、異変発生。応援、願います」 肩に着けた通信機に叫んだ。その間にも、土煙は大きく、濃くなっていく。 ぶるぶる、地面が震えた。亀裂がクモの巣状に広がり、直径は10メートルを超えた。中心部が盛り上がり、小山のようになった。 ぶぼぼん、土の山がはじけた。 辺りが煙に包まれる。どどどどっ、不気味な地鳴りが響いた。 「離れろ、離れろっ」 輪塚が皆に叫んだ。 足利は鈴瀬を抱いたまま8条方向へ走る。太志郎と久留美が続いた。三平はカメラを土煙の方へ向けたまま、後ろ向きで走る。 7条緑道と買い物公園の交差点は、数メートルの高さの土煙に覆われ、向こう側が見通せなくなっていた。 どどどっ、地響きを轟かせ、煙の上に何かが突き出てきた。 「先生、あっちでも」 8条通り、手の噴水まで逃げたところで、鈴瀬がロータリーを指した。 異変は一カ所だけではなかった。 買い物公園通りは8条通りで尽きる。そこから北へ斜めに、石狩川を渡る旭橋へ伸びる道路がある。その中間にロータリーがあった。 50年前には、旭川でも路面電車が走っていた。ロータリーは路面電車の旋回場の跡だ。 パリのような信号の無いロータリー交差点は、真ん中に丸い花壇がある。その土が盛り上がり、爆発したかのような土煙を上げた。 周りを走っていた自動車は大混乱、追突し、接触し、あげく歩道へ乗り上げた。そこへ大小の石が降り注ぎ、窓ガラスを割った。 三階建てのビルより高い土煙を突いて、銀色の塔が頭を出した。 「あれっあれっ、撮ってるか?」 星野の問いに、おう、と三平は答えた。 ロータリーに現れた塔は、たちまち十階建てのビルよりも高くなった。 「こっち、こっちも」 久留美が肩をたたいたので、三平は振り返った。緑道の土煙の中から黒い塔が突き出て、こちらも周囲のビルを超えて高くなって行く。塔は高さを増しながら、先端の方で枝を生やし始めた。 ロータリーから出現した塔は、先が花のように開いた。 どれほど高くなったのか、少なくとも200メートル以上にまでなって、二つの塔が止まった。 土煙がおさまり、街が静かになった。 「もしもし、今ね、大変な事が起きてる」 星野が携帯電話で会社と連絡を取る。輪塚巡査も警察署を呼んでいる。 鈴瀬もスマートフォンを出し、家にかけようとした。 キーン、耳をつんざく音が響いた。たぶん、塔から出た音だ。 「あれれ」 星野の携帯が、突然に電源が落ちた。鈴瀬のも落ちた。カメラの電源が勝手に落ちて、三平もうろたえた。 久留美は静電気体質だ。ぱちぱちっ、髪が火花を飛ばし、ライオンのように広がった。 噴水が停まり、街頭放送も止まって、街は静かになった。 くのくの、星野は電源ボタンを押し、携帯を復帰させようとする。 「うわっちっち」 星野は熱さに携帯を落とした。ぷすぷす、落ちた携帯は煙を吹いてしまっていた。 最新の電子機器は、極端に電波の強い環境では回路の保護装置が働き、電源が自動的に落ちるようになっている。無理矢理、そんな場所で電源を入れると、回路は発熱し、バッテリーが爆発する事さえある。正に、その状態だった。 星野の燃える携帯を見て、鈴瀬はスマートフォンを諦めてポーチに入れた。 と、久留美は頭をおさえた。静電気が消えて、髪が垂れてきた。 さっきまで響いていた音が無くなった。 プーッ、遠くで自動車のクラクションが鳴っている。パトカーのサイレンが近付いてきた。 もしや、と三平はカメラのスイッチを入れた。 少し間があって、カメラはスタンバイになった。肩に担いで、撮影再開だ。 股間が涼しい。 足下を見れば、こちらの舗装路面でも亀裂ができていた。 「危ないっ、逃げろ」 噴水の手の像が傾いた。天を仰いでいた手の平が、バッタン、横倒しだ。噴水の池の底が割れ、水が抜けた。 地割れの広がりに沿って、後退する。 地面が盛り上がって割れ、直径3メートルのステージが出て来た。上に白い板が立っている。 ステージは地面より半歩の高さ。板は縦横1メートル、厚みは20センチほど。 もっと大きな物が出てくるかと身構えたので、少し気抜けした。 「撮ってるね」 星野の確認に、ああ、と三平は答えた。 「キャスター、行って」 「女の子に行かせるの」 鈴瀬は星野の指示を拒否。代わりにと、太志郎の背を押した。 渋々、太志郎はステージに上がる。三平はカメラで追う。 「こらこら、むやみに近付くな、触るんじゃない」 輪塚巡査は通信機のスイッチを入れ直す。雑音がひどくて、うまく署とつながらない。 「おや?」 板の端に、太志郎が見つけたのは、文字のようだった。 「先生」 三平が呼ぶ。足利もステージに上がり、太志郎の指すところを見た。 漢字のようだが、続け字で簡単に読めない。松ヤニに墨を入れて書いたようで、板の表面から少し盛り上がっていた。 「みついし・・・・なんとか、のすけ・・・・ぶん、九年・・・四月十五日・・・」 「間宮林蔵とか、松浦武史郎とかじゃないのか」 足利が読み込む。有名人の名が出てこず、太志郎は肩の力が抜けた。 「いつの九年なの?」 久留美がステージに上がった。 「文化年間なら19世紀の初めだ、間宮林蔵と近くなる。でも、なんとか文、だからなあ」 年号は多すぎて、歴史教師と言えど、すぐに思い当たらない。 「ねえねえ、何よ何よ」 鈴瀬がステージに上がってきた。西高ビデオ部の5人が板の前に並んだ。 バン、突然にステージは閉じられた。 周りから壁がせり上がり、5人ごとステージを包み込んで閉じた。 ごごん、ステージは地面に没して消えた。 「かか、カメラが、マイクが。ああ、ビデオが」 会社の機材が失われた。星野の顔は引きつった。 跡に、大きな穴が残った。蒸気が噴き出す。 「危険だ、近付くんじゃない」 輪塚巡査は、手遅れな指示を出すしかなかった。 「エレベーターですね、これ」 「下へ行ってますよ」 そこで、5人は押し黙った。 壁が出て来て、5人は閉じ込められた。ネズミ取りにかかった気分。 ネズミ取りだとして、あのタイミングで動いた条件は。単に、時計が働いたからか。あるいは、体重の合計か。または、人数か。 ごとん、エレベーターが止まり、壁の一部が開いた。 太志郎は半身を出し、様子をうかがう。 廊下は短いが、幅は広い。向こうに、大きな部屋があるようだ。 足下に三角の機械がいた。くるり、頭を回して、何か音を発した。 「へい」 太志郎は応えて手を振る。三角の機械は壁に沿って遠ざかった。 もう1台、円筒状の機械がいた。こちらへ頭を回し、何か音を発した。 「へい」 また、太志郎は応えた。円筒の機械は壁に沿って、何かの仕事を始めたようだ。 「何さ」 久留美が背をつついた。 「あいさつのように聞こえたから、イアンカラプテ、と。アイヌ語だよ」 「おお、丹根の親父さんは、旭川アイヌ協会の人だったな」 「副会長です」 足利が手を打って思い出した。歴史担任として、地域のアイヌ協会とは関わりがある。 「で、どうしますか」 鈴瀬が不安げに言う。 「まあ、みんな一緒に動こう」 背は一番低くても、足利は一番年上だ。彼の言葉に、4人の生徒は頷いた。 5人は足下を確かめつつ、廊下へと出た。 きれいな床だ、チリひとつ無い。さっきの三角や円筒な機械が掃除しているのかもしれない。 壁に特別なスイッチは見当たらない。エレベーターを動かす仕掛けは、別の所だろう。 廊下を進み、大きな部屋に出た。 ドアが閉じて、廊下へもどれなくなった。 「アエヤム、アエヤム、ウエンペ・アフンルパル」 声が響いた。たぶん、機械が発したメッセージだ。 部屋の中央に六角形のテーブルがある。一辺に何かのボタンが並んでいた。 久留美がボタンのひとつに触れると、別の辺の引き出しが開いた。 「あまり触るな」 足利が注意する。 部屋の壁を見ると、二つの面が何かを表示していた。 画面のひとつで、黄色いシグナルが点滅している。 「ク・シエイエ、エン・イカメス」 繰り返す機械のメッセージは、異常事態を示しているようだ。まさか、と太志郎は聞きながら首をひねった。 「先生、この画、あのタワーの略図みたい」 もうひとつの画面を見て、鈴瀬が自信たっぷりに言う。 二本の塔が、別の二本の塔へ、何かを送る様子が表示されている。塔の画の下に、何か並んでいる画がある。 「送り出しは三番目で、受け手は五番目か。惑星を表してるのかな。なら、地球から木星へ、よね」 鈴瀬は画を読み解く。カメラの前ではお馬鹿キャラを演じるけれど、学年ではトップクラスの才媛なのだ。無論、弁も立つ。 「あじゃぱあ、男物だな」 久留美が引き出しから腕輪らしき物を取り、右腕に着けてみた。ゆるゆるだ。元バレーボール部で、女としては大柄な久留美だが、やはり女の細腕なのだ。 ガシャッ、腕輪が縮まった。腕にジャストなサイズになった。 「触るな、と言ったぞ」 再度、足利が注意した。 久留美は腕輪を外そうとするが、その手がかりが無い。 別の壁が開いた。服が掛けてあった。久留美の腕輪と同じ文様がある。 近づき、触れてみた。久留美より横に大きなサイズのコート、赤いラインがある。帽子と長靴、二本の剣が付属していた。 「ダサいよ」 「そうかな」 鈴瀬は不評をこぼすが、久留美は気に入った様子。 腰のベルトのバックルは銀色だ。表面に、文字にも見える彫り込みがある。 「S、A、N、T・・・・かな」 久留美は無理矢理に読んでみた。 「真ん中の縦線をIとすれば、SAINTだね」 太志郎が補足して読んだ。 「セイント! シルバーセイント、またはレッドセイントだ。いいなあ」 ぽんぽん、久留美が服をたたいた。と、壁がどんでん返しに回った。久留美も一緒に壁の向こうへ。 あっ、と思う間も無く、また壁はどんでん返しに回り、久留美が現れた。 「ありゃあ、自動で着せてくれるんだ」 腰の左右に刀を差した侍風な装いに、久留美はご満悦だ。サイズも調整されていた。ちょん髷の代わりは、風変わりな帽子。赤のラインもお気に入り。 「シネプ、カパッチリ、オ・ヤン」 機械のメッセージがあって、別の壁で新しい画面が開いた。 「おおっ、その帽子には、カメラが付いてるんだ」 三平が画面を見て喜んだ。久留美の見る方が映し出されている。 また首をひねる太志郎だ。 「今のも、アイヌ語かい?」 「たぶん」 足利が問うと、太志郎は頷いた。 「ここの機械はアイヌ語を使うの。じゃあ、この画面の文字もアイヌ語?」 鈴瀬の問いに、太志郎は首を振る。 「アイヌ語に文字は無い。昔はあったかもしれないけど、現代に伝わっていない」 足利も首を振る。鈴瀬は落胆して肩を落とした。 「ゴート文字と一緒か。光と影、ひとつと成りてよみがえらん・・・なんて」 画面の文字列を見直した。ユーカラ織りの紋様に似ている、と思った。 気付くと、久留美の姿が無かった。画面を見ると、廊下とエレベーターが映っていた。 ドアが開き、久留美が帰ってきた。 「みんな、出られるよ」 手招きする久留美だが、太志郎が行こうとすると、ドアは閉まった。ドアの向こうへ行き来できるのは、服を着た久留美だけのようだ。 「腹へったなあ」 三平が腹をおさえた。 時計は12時を過ぎていた。カメラの撮影実習は午前中だけの予定だった。 「しかたない、お弁当を取って来ましょ」 久留美が笑みで言った。 「じゃ、行ってきます」 手を振り、部屋を出た。その先、どうするか。服の使い方が頭の中に流れ込んで来る、それに従えば良いだけだ。 エレベーターに来た。壁をたたくと、壁が引っ込み、土の穴の底になった。 「大丈夫、わたしは飛べる」 深呼吸をひとつ、しゅわっ、久留美は飛んだ。 たちまち穴の外に出た。 一気に30メートルほど上昇、近くのビルより高く上がった。 上空から見下ろすと、穴はテープのフェンスで囲まれていた。警察のパトカーに、自衛隊も来ている。 それは無視して、久留美は北東へ飛んだ。まず、お弁当の用事が優先だ。 服の背に白い翼が生えていた。久留美は気にせず飛んだ。 石狩川を飛び越し、護国神社の杜の上から自衛隊駐屯地の裏門の方へ向かう。半世紀前には、列車の線路が引かれていた道路。 沖食堂が見えてきた。自転車なら30分かかる距離が、1分かからない。 「お弁当、6人前、大至急!」 久留美は店に入るなり、叫んだ。翼は服の背中に格納されていた。 カウンターを見れば、三人前が売れ残っている。あと三人前を作るだけだ。 「いらっしゃいませ」 常連客の矛狩二尉と問田一曹にあいさつし、カウンターの奥に声をかけた。 異形の娘に、両親は固まってしまった。久留美の背では、客の二人も固まっていた。 「三人前、お願いします」 久留美は勝手にレジ袋を出す。味噌汁をパックに詰め、ペットボトルの茶も準備した。 店内のテレビでは、手の噴水前の騒動を放送していた。穴から久留美が飛び出すシーンがあって、矛狩と問田が頭を右往左往させた。 「おまえ、そのかっこは、いったい」 注文のまま、父は弁当をつくる。母はレジの準備。 「付けにしといて。後で払うから」 6人前の弁当と味噌汁、ペットボトルをふたつの袋に入れた。服のせいだ、手にすると軽い。 んじゃ、と店の外に出た。 父と母は、追って出た。カツ丼を手にしたまま、矛狩と問田も出た。 深呼吸をひとつ、でゅわっ、白い翼が左右に広がり、久留美は飛んだ。 「かっこいい」 父は思わず拳を握り締めていた 「手か足を痛めて、バレーを辞めて、心配してたんだな。ついに飛行にはしったか・・・」 矛狩が真顔で言い、またカツを口にした。 4人が見守る中、久留美は南の空へ消えた。 手の噴水の上に来た。 弁当と味噌汁を気遣いつつ、久留美はゆっくりと降下した。 噴水の横では、黄色と赤のテープが穴を囲み、臨時のフェンスとなっていた。 オレンジの制服が穴の縁で何かしている。消防署のレスキュー隊員だった。 「20メートル、ケーブルいっぱいです」 穴の底を探ろうと、ビデオカメラを降ろしていた。画面に映るのは白い蒸気と、滝のように落ちる地下水ばかりだ。 「うちには、もっと長いケーブルがありますよ」 仁台三等陸左が消防隊員に声をかけた。士官服で現場を視察に来ていた。 「お願いします」 現場の隊員は気軽に言うが、法的な手続きを踏まねば、自衛隊は動けない。 「まだ出動要請が、どこからも来てないようです。すでに、駐屯地では待機しておりますが」 「我々では、だめですか」 「できれば、署長や、首長の要請を」 仁台は肩をすぼめて答えた。 輪塚巡査は、また通信機に手をかけた。なかなか繋がらない。 「自衛隊だと? 君らだけで、何とかならんのかね。地震や津波でもあるまいに、簡単に出動要請などしてたら、市民の信頼はどうなるか、わしらの威信はどうなるか、少しは考えたまえ」 やっと繋がったと思いきや、返答を許さぬ怒濤の言いぐさ。輪塚は口をつぐむだけだった。 消防隊員を見ると、やはり通信機と格闘していた。向こうも、実情は同じだろう。 ふわり、白い翼と赤いラインの服が空から降りてきた。 仁台は目を見張った。穴から飛び出した物が、悠々と帰って来たのだ。さっきは何か分からなかったが、人間だったとは。 「やっほ」 輪塚には見覚えのある顔だった。 「西高二年、沖久留美です。みんな、下で無事だから。詳しい事は、また後で、ね」 久留美は後ろに踏み出し、フワリ、穴の中へ。 あああっ、皆が悲鳴をあげた。 「ああ、カメラは、マイクは大丈夫?」 星野は言うのが遅すぎた。 テレビの画面に、ゆっくりと白い翼の久留美が降りていく姿が映った。 キーン、耳障りな音が響いた。皆、手で耳をおさえた。 また塔が電波を発信し始めた。 ひゅんひゅん、変な風きり音が近付いた。 ばん、塔に報道のヘリコプターが接触、逆さになって7条緑道に落ちた。強い電波で、操縦系の電源が落ちたのだろう。 仁台は腹を決めた。要請の有無に関わらず、自衛隊は出動すべき時だ。 「お待たせ−」 久留美が声を上げ、部屋に入った。時計は午後1時より前、まだ昼飯の時間帯。 足利は床で横になり、鈴瀬はテーブルに腰掛けていた。太志郎は画面とにらめっこ中だ。 袋を開き、弁当を出した。沖食堂が自慢のカツ丼弁当だ。 「カロリー多過ぎよ」 「連中が来たら、どうなるかね。今のうちに、食えるだけ食っとけ」 鈴瀬は十代の女の子、油っこさが気になるようだ。一番背は低くても、足利は男だけに、胃袋は女より大きい。 「連中、て誰?」 「木星人、または宇宙人だ」 太志郎が答えた。 今、この施設は第5惑星へ電波を発信している。いつ応答が来るか、それが問題だ。 この施設を作ったのは宇宙人だ、目的は不明だが。昔、アイヌが何かで関わり、施設はアイヌ語を覚えた。それが、最も簡単な見方だった。 壁が開いて、三平が出て来た。 その部屋はトイレだった。もよおして、久留美は入った。 壁から、不思議な形の便器らしき物が生えていた。触れると、高さと角度が変わる。慣れればバリアフリーな便器かもしれない。 しかし、大事な物が無い。トイレットペーパーが、どこを探しても無い。 「これ、大事に使ってね」 鈴瀬がポーチからポケットティシューを出してくれた。 弁当の袋には、手ふきのウエットティシューを多めに入れてある。何とかなるだろう。 「トゥプ、エサマン、オ・ヤン」 久留美がトイレから出ると、機械がメッセージを発した。 太志郎が着替えていた。久留美とは少し違う帽子、コートは緑のラインが基調だ。 「あんたも、その気になったかい。仲間が増えた」 「これを着れば、外へ出られるんだよね。ぼくのアイヌ語力じゃ、ここの機械とは会話できない。もともと得意じゃないし。アイヌ協会へ行ってくるよ」 二人は一緒に部屋を出た。 エレベーターの壁を開き、はるか上を見上げた。 「使い方は、わかるね」 久留美に言われるまでもなく、頭に知識が流れ込んでくる。太志郎は頷いた。 深呼吸して、床を蹴った。服の背から黒い翼が生えた。 重力が消えて、太志郎は穴を上昇した。 「行ってらっしゃい」 見送って、久留美は用事を思い出し、部屋にもどった。 「先生、上にさあ、いっぱい人が溜まってるのよ。あたしらの事を心配してるみたい」 「うん、それはそうだ」 言われて、足利は地上と連絡を取る必要を考えた。しかし、電源を入れ直した携帯電話は、圏外で使えない。 「これを着て、みんな、外へ出よう」 「そんなダサいの、絶対にイヤですから」 鈴瀬の感情的な拒否に、とりつく島が無い。 やむなし、と足利はテーブルのボタンに触れた。一辺の引き出しが開いた。腕輪を付けると、ぴしっ、サイズは自動で調整された。 壁が新たに開く。青いラインが基調のコートがかかっている、足利にはかなり大きい。触れると壁が回り、また回って、もう着ていた。サイズも合っている。 「レプ、エペレ、オ・ヤン」 機械のメッセージがあった。順調なようだ。 「便利しょ。さあ、行きましょ」 久留美が手招き。足利も部屋を出ようとした。 ばん、ドアが閉じた。足利は出られない。 鈴瀬が画面の表示に注目した。読めないが、何かのエラーを示している。 久留美が部屋にもどった。 今度は、足利が出てみる。が、久留美が出られなくなった。 「外へ出られるのは、一度に二人までみたいね。丹根くんが出てるし、あと一人だけなのよ」 鈴瀬の解読は適切だった。 「あと一人だけ、なのか」 「あじゃぱあ」 もどった足利は、久留美と一緒に頭をかかえた。 遅い! 穴を昇りながら、太志郎は焦った。 部屋の画面で、久留美の飛びっぷりを見ていたから、よけい、あの速度を出せない事に腹がたった。 やっと地上に出た。 高度5メートルほどで失速した。人の頭の上をぎりぎりで飛び越し、路上にたたらを踏んで止まった。 あわてて、また飛んだ。さっきよりは高いが、速度が出ない。警察や記者たちが走って追いかけて来る。振り切れない。 服が壊れているのか、使い方が悪いのか、運動神経の差か。 えいっ、えいっ、気合いを入れるうちに、高度と速度が上がりだした。 ロータリーに突き出た塔の横を飛んだ。下では、土に半分埋もれた自動車、ひっくり返ったバス、消防車が漏れたガソリンに白い泡消化剤を撒いていた。 図書館を飛び越え、常磐公園の木立を抜け、石狩川に出た。目指すは川端町の先、北門町にあるアイヌ協会だ。 どったーん。 太志郎は着地に失敗、はでに転んでころがった。 ごつん、駐車していた車に頭をぶつけ、やっと止まった。翼は自動的に背中に格納された。 頭をおさえて見上げれば、父のスカイラインだ。ドアが見事にへこんでしまった。他人の車でなくて良かった、と自分をなぐさめた。 土をはらい、協会の建物を見た。 1階は民芸品店、木彫りや織物が陳列されている。階段を上がると、伝統家屋の内部が再現されていた。中央の囲炉裏に民族衣装の会長と、背広姿の父がいた。 「アチャポ、ミチ」 太志郎が呼びかけると、二人とも目を丸くした。着ている物が物だけに、我が子と気付くのに、ひとつ間が要った。 「おお、太志郎か。苦手なアイヌ言葉を使うとは、何の冗談かな」 父、丹根六可郎は笑顔を作り直して答えた。 「助けてよ。アイヌ語のエキスパートが必要なんだ」 「エキスパート?」 二人は顔を見合わせた。 太志郎は、事の顛末を語った。 旭川の街の地下に、宇宙人が造った巨大な施設がある。昔、アイヌが関わったらしく、施設ではアイヌ語が使える。施設に何かの異常が起きていて、宇宙へ助けを求めている、と。 「アイヌ語のように聞こえる・・・のではなく、確かにアイヌ語なのか?」 会長の江樫は白いヒゲをなで、また首をひねった。 「宇宙人が来たら、和人は困るかもしれません。しかし、我らアイヌには朗報となるかも」 父、六可郎は天井を見上げ、あご下をなでた。 「このまま行くと、良い報せは無い、と思う。恐ろしい事になりそうな気がするよ」 「予言者を気取るのは、ちと早いな」 父は息子をたしなめた。 だめだ、太志郎は首を振る。年寄りを説得する話術が無い、それを自覚した。 「ぼくは行くよ。その気になったら、来てよ」 太志郎は二人に背を向け、窓へ行った。 駐車場に多くの車が入ってきた、追いかけてきた警察と記者たちだ。 「アプンノ パイェ ヤン」 会長と父に言葉を投げかけ、窓を開けた。 深呼吸をひとつ、とおっ、背から黒い翼が出て、太志郎は飛んだ。 ああっ、わわっ、下で記者たちが声を上げた。 今度は、一気に20メートルほども上昇できた。慣れてきたな、太志郎は自分を誉めた。 ふたたび、石狩川の上空に来た。 新橋のたもと、河川敷公園の噴水で異変があった。地割れが起こり、蒸気を噴いている。 川を越えて、常盤公園の上に来ると、千鳥ヶ池の端で蒸気の噴出が見えた。一帯で異変が広がっていた。 手の噴水の上空に来た。 高度を下げようとして、速度が制御できない。 ほぼ墜落状態で、穴の縁にぶつかり、そのまま穴に落ちた。 穴の壁に手をかけ、徐々に減速、エレベーターの上に降りられた。 ふうふう、息を整える。練習もせずに飛んだのを後悔した。 「ただいま」 太志郎は部屋に入った。成果無し、威張れた帰還ではない。 「おかえり」 鈴瀬が気のない返事で迎えた。 第5惑星の応答が無いのだ。地球から木星へ、電波なら往復1時間の距離。塔が地上に姿を現して、すでに3時間以上も経っていた。 ポーン、テーブルの上のパソコンで呼び出し音が鳴った。 「今、丹根くんが戻りました。心配無しです」 久留美がつないだ受話器で応えた。 太志郎が出かけている間に、足利が外に出た。自衛隊と交渉し、連絡用のパソコンを持ち込んだ。太志郎は気付かなかったが、エレベーターの直前まで垂らしたケーブルの先に無線通信アンテナがあり、それでパソコン通信をしていた。残念にも回線はクローズドで、スマートフォンは使えない。 他にも、色々な差し入れがテーブルの上にあった。トイレットペーパーも山盛りだ。 久留美が箱からケーキを出した。手の噴水前のお菓子屋からの差し入れだ。 太志郎もひとつ手に取った。口にすると、甘さが鼻にしみた。 「先生は? あれ、可児もいない」 「探検中です」 久留美が壁の画面を指した。足利と三平の見た目の画だ。 パソコンの画面に子画面が開いて、足利が映っていた。カメラを持っているのは三平だ。 二人は大きな吹き抜けに出た。 直径は20メートルくらいの丸い天井だ。下をのぞくと、立ち上る蒸気で底が見えない。 「深いなあ、百メートル以上ありそうだ。たぶん、この湯気は温泉ではないだろう」 観察する足利を、三平が撮る。 三平のコートは茶色が基調のライン。手には自衛隊の黒いビデオカメラ。 四角い保護ケースに入り、無線のアンテナが突き出たカメラは、いかつい外観だ。大柄な三平だから、なんとか様になっている。 「先生、あれは?」 三平が鳥かごのような物を指した。 「エレベーターかもしれない」 出任せだったが、乗ってみると、正にそれだった。ボタンを押すと、下へ動いた。 1層下へ、さらに2層下へ、壁には扉が並んでいる。ロッカールームか倉庫のようだ。 最下層に来た。 いや、もっと下があるのだが、沸騰した湯に沈んでいる。上を見れば、湯気でかすんでしまっていた。 「ここの異常は、この温泉だな」 「湯の温度が高くなり過ぎてる、とか」 「いや、本来、水が無いはずの場所だろうな」 むう、足利は眉間のしわを深くした。 ポーン、帽子の通信機が鳴った。 太志郎の声が来た。 「先生、自衛隊のカメラが通信不能です。画が来ません。向こうに聞いたら、録画してるから、そのまま行ってくれ、と言ってます」 「了解した」 足利は冷静に応えた。 三平はカメラをチェックする。防水30メートルのマークを見つけ、さすが、と頷いた。 「沸騰しているのは、あっちの方だ」 奥へ歩く。湯気が濃くなった。 地獄の釜の上に来た。 服が働いて、体は熱くない。むき出しの顔に熱気が来て、肌がぴりぴりと痛い。 ピッ、帽子からバイザーが降りた。顔がカバーされて、暑くなくなった。 「便利だな。こんな事態も想定済みのようだ」 三平が身を乗り出し、沸く湯面をのぞいた。 「先生、他とは違いますね」 湯面から上に、木の枠が出ていた。 湯の中へ、ずっと木組みがある。荒縄で木と木が組まれ、縄は松ヤニで固められていた。そこだけ時代がかっている。 「そこ、何か書いてあるぞ」 足利が場所を指示した。木の表面に字のような物があった。クローズアップで撮る。 二人は戻る事にした。エレベーターに乗り、上へ向かう。 どん、ボタンを押して、足利はエレベーターを止めた。 円筒の掃除ロボットがいた。並んだ扉のひとつ、角度が変だ。やや開いている。 ついでなので、興味がわいた。 「イテキ、イテキ。ウエン、シュー」 掃除ロボットが声を出した。 へい、と太志郎にならって挨拶した。 三平が力まかせに扉をこじ開けた。湯気が出た。しかし、冷たい湯気だ。 「冷凍庫だ。全部、そうなのか」 中に入った。二つのケースがある。ガラスのように、中が透けて見えた。 その一つの中には、大きな頭、細い手足、緑色の皮膚。人間ではない。 「宇宙人だな、これは。冷凍冬眠、とか言うのをしてるのか」 三平が足利の肩をたたいた。 もうひとつのケースを見た。開いていて、中は空だ。 二人は出て、扉の角度を直し、しっかり閉めた。 「イアイライケレ」 ロボットが言った。掃除はできるが、修理の機能は無いのだろう。 へい、と挨拶を残して、二人は去った。 部屋に戻り、カメラからメモリーカードを抜いて、パソコンのスロットに入れた。自動的に地上へファイルの転送が始まった。 再生ボタンを押し、5人も見た。地上でも閲覧が始まっているはずだ。 「そこだ、停めて」 足利の指示で、画面は静止した。木の書き込みのクローズアップだ。しかし、湯気で半分白くぼけた画面。 「バツ、バツ、バツ・・・?」 三平が読んだ。違う、と足利は笑った。 「寛文九年十月十二日、三石麻里ノ介・・・と読めます。シャクシャインの乱の年です」 仁台三佐が電話越しに答えた。 「西暦では1669年、約350年前です。当時の松前藩がシャクシャインと一緒に処刑した中に、三石麻里の介の名前もありました」 「アイヌの名前じゃない」 太志郎が疑念を表す。 入り口のエレベーターにも、同じ名前があった。 シャクシャインの乱、と教科書にある戦いは、アイヌが起こした最期の独立戦争だった。結局、負けてしまったが。 その戦いの中、和人がアイヌの側にもいて、こんな奥地に名を残した。これまで習ってきた歴史が、根底から覆った気分だ。 「沖久留美くん、きみのお父さんとお母さんが来ている。上がって来てくれ」 「あじゃぱあっ、来てるのお?」 三佐の要請に、久留美は口を曲げた。 昼の弁当をつけ払いで持ってきた。請求が来た、と思った。 穴を高速で上がる。勢い余って、一気に高度10メートルほどまで行ってしまった。 久留美は白い翼を広げ、ゆるゆると降下、穴の縁に着地した。 おおおっ、奇声が出迎えた。カメラのフラッシュが眩しい。 翼が背におさまる。仁台三佐が拍手で来た。 「みごとな飛行、そして着地だ。マスコミが、ね。相手をしてやってくれ。あと、下で見た事は・・・頼む」 三佐は口に人差し指を付けた。しゃべるな、の意味だ。 父がいた。店の服装そのままに、両手に大きなレジ袋を提げている。 「晩飯の差し入れだ。金は要らないよ」 「近所中の評判だよ。あたしゃ、ねえ、嬉しくって、さあ」 母はエプロンで涙をぬぐう。 両親にはさまれ、久留美はマスコミのカメラの砲列を向いた。一斉にフラッシュ、眩しいが、まばたきする間も無い。 「みなさん、沖食堂自慢のカツ丼弁当、安くて栄養満点、おなか満足、間違いなし!」 父の大げさな宣伝が始まった。 自衛隊に協力する義理は無いが、家業には付き合わねばならない。久留美は引きつり気味な愛想笑いをうかべた。 「到着です」 下士官の報を受け、仁台は手の噴水に背を向けた。 78中通りにミニバンが来ていた。 降り立つのは旭川アイヌ協会の会長と副会長、共にエムシを腰に差し、サパンペをかぶり、完全なアイヌの民族衣装だ。 「そんな目立つ格好で」 「アイヌたる我々に助けを求められました。まず、身形りから、と思いましてな」 会長の江樫は白いひげを揺らし、かかと笑う。 仁台に案内され、仮設テントの陰に行くと、六輪の82式装輪車が止まっていた。後ろのドアから入った。 頭を低くして奥へ進む。歩くには低いが、座れば十分に天井は高い。片側の壁はパソコンの画面が並んでいた。 「これは移動指令車です。下と通信できるようになっています」 仁台の説明を受け、席に着いた丹根六可郎はサパンペを取り、ヘッドセットを付けた。 「太志郎、エッイワンケヤァ」 六可郎がマイクに言った。画面の中、太志郎が驚いて振り返った。 うむうむ、江樫が頷いた。 鈴瀬は腕輪を着けた。まだ服は着てない。 腕輪があれば、画面を色々操作できる。それが重要だった。 星図をいじくり、また戻して、しきりに首を傾げた。 巨大なアンテナを地上に出し、第五惑星に向けて電波を発信しているが、未だに応答が無い。 「おかしい、絶対におかしい。どう見ても、木星は六番目だよ」 「でも、第五惑星と言うのは、木星の事だろ」 「ここの画面では違う、と言う事よ」 鈴瀬は星の位置と並びに疑問をはさむ。 かつて、それは天文学上の謎であった。第五惑星があるべき軌道には、星くずのような小惑星が分布するばかり。しかたなく、小惑星帯と呼ばれている。何かの事情で星が砕けた、と仮定して、全ての小惑星を集めても、火星ほどの天体にもならない。 この地球と同等の施設がある星なら、大きさも同等だろう。そんな星が無いのだ。 「第五惑星、ただいま蒸発中ですか」 ははは、三平が冗談めかして笑った。 「砕けたのではなく、蒸発の方が理にかなうかもね。岩がガスになってしまえば、太陽風で外軌道へ吹き飛ばされて、残ったのはカスだけ。理屈に合うじゃん」 鈴瀬が真顔になった。 「第五惑星にあった、ここと同じ施設が・・・何かの事情で爆発して、星を消したのよ。でも、この施設は知らない。知らないから、いつまでも呼び続けている」 三平の口がひくついた。失踪の意で、蒸発と言ったのだ。物理的な意味ではない。 「星を蒸発させる爆発となると、どんな爆発だい?」 足利が素朴な疑問を言う。 「物質を蒸発させる爆発は、火薬のような化学反応では無理です。原子爆弾のようなものでないと。地球を消すとなれば、プラズマ火球の直径が1万キロくらい必要でしょ」 あっさりと鈴瀬は言った。 広島を破壊した原子爆弾は、TNT火薬17キロトンの威力とされる。プラズマ火球の直径は最大300メートルと推測されていた。 原子爆弾の威力はプラズマ火球の体積に比例する。直径1万キロの火球は、広島の30万倍のさらに1億倍だ。 「水素爆弾でも、そんな大きいのは無いぞ」 「これを造ったのは、宇宙人よ」 ごくり、太志郎はつばを呑んだ。 久留美が帰って来た。手には弁当の袋、肩から下げているのはパソコンの外部バッテリーだ。 「腹がへっては、良い考えも浮かばないよ。さあ、食べよう」 5人はテーブルを囲み、弁当を開いた。昼のより、カツが増量されていた。 足利は腕時計を見た。もう午後6時を過ぎている。 「もう夜だ。女の子は、家に帰るべきだろう」 太志郎と三平は頷いた。久留美は口を尖らし、抗議の顔だ。 「フェミニズムですね。本来、フェミニズムが守る女は、お腹に子供がいる妊婦です。拡張して、乳幼児を抱える母親ですね。あたしは、どちらにも当たりません。よって、ここにいます。出る時は、5人一緒に出ましょう」 鈴瀬は弁が立つ。 足利は反論できず、歯ぎしりして止めた。 もうすぐ、あいつの所へ行くかもしれない。アパートで待つ妻の位牌を思い出した。 頭を振って否定した。自分だけ逝くなら良いが、生徒と一緒はまずい。 「ウエンペ・アフンルパル・・・・どう解したものかなあ」 「刑務所と訳しては、どうでしょうね」 ううむ、江樫は丹根六可郎の意見に、ひとつ頷いた。 移動指令車の中、座り心地の悪いイスで尻が痛くなってきた。 ぶ厚い鉄で囲まれた車は、塔が電波を発しても、電子機器がダウンしない。外にある機械が止まるので、その都度、つなぎ直すだけだ。 この街の地下に、冷凍冬眠中の宇宙人が多数いる。これが大問題だ。 この冬眠施設が、何らかの異常を起こしている。対処法が判らない。 冬眠施設が地下100メートル以下ある理由は、ここが氷河期の前からあったからだろう。 かつて、ここは深い谷間だった。氷河期の始め、大雪山が大規模な噴火で山体崩壊を起こし、谷は埋め尽くされた。この施設も埋まってしまったのだ。 地球へ移民として来たのなら、到着と同時に冬眠を終えるはずだ。ウエンペ・・・悪人たちを地球へ流刑にしたとしても、冬眠を続ける理由には弱い。暖かくなるのを待っていたのなら、少し遅いが、目覚めるに良い頃合いである。 ポーン、下からの呼び出し音が鳴った。 「死体だ!」 足利の緊張した声が来た。 三平は壁を調べていた。 トイレの隣の壁が開いた。四角い台が二つ、茶色い布がかかっている。 布をめくると、大きな頭があった。身長3メートルほどの宇宙人が寝ていた。肌は布と同じ色になって、ミイラ化している。 カメラを持ち込み、改めて、なめるように撮る。 「ユーカラ織り、かな」 久留美が布を手にした。酸化して色が抜けているが、わずかに緑や金の色が残っている。 台は、もう一つ。こちらには身長1メートルほどの宇宙人の死体があった。同様にミイラ化している。 「文字だ」 足利が身をかがめ、台の書き込みを見つけた。毛筆の続け字だ。 「寛文九年十月十一日・・・吾、遺す、友の言葉・・・三石麻里ノ介・・・」 さらに文は続いている、おそらく漢文だ。足利は歴史担任だが、古文は苦手なのだ。 「宇宙人だけど、友だったんだなあ、麻里ノ介には」 太志郎は呟いた。 「そっちの方にも、何かあります」 三平がカメラを向けて言った。 部屋の画面にあるのと、同じ文字が並んでいた。漢文と見比べて、はたと手を打った。 「たぶん、こいつはロゼッタストーンだよ」 足利の顔が喜びで歪んだ。 「この宇宙人と麻里ノ介は協力して、何かをした。そして、ここの機械にアイヌ語を教えたんだ」 仁台は指令車を降りた。 ポケットからタバコを出し、火を付けた。車内は禁煙だ。 ネオンも街灯も無く暗い空を見上げ、手の噴水付近を振り返った。そこだけ、照明で昼間より明るいくらい。 国道が100メートル先にあるが、交通規制で走る車は無い。とても静かだ。 二本の塔の足下の片付けは、全く始まっていない。電波が発信されると、重機が止まってしまうせいだ。危険防止のため、テープのフェンスで囲うくらいしかできない。 腕時計を見ると、もうすぐ12時、深夜である。 ヘルメットに迷彩服の下士官が来て敬礼した。こちらも敬礼を返す。 「準備、整いました」 小声で報告が来た。 「よし、あとは判断をまかせる。民間人の保護が最優先、施設に破壊的な行為は慎んで、静かに行こう」 下士官は敬礼して、ゆっくりと背を向けた。 ほんの立ち話、そんな雰囲気で重大な命令を出した。 仁台三佐の胸で心臓が高鳴る。つい、タバコを指でつぶしていた。 二日目 はああああ、鈴瀬は大きくあくびをした。 アンテナ表示の出ないスマートフォンを見た。午前1時過ぎ、生きているのは時計とカメラ機能だけだ。 黄色の点滅をしている画面を撮った。角の方に、カウンターのような表示がある。 「これって、やっぱり、カウントダウンよね」 20個ほどの種類の文字が順序正しく現れ、また列の一つが、同じ文字で止まった。全てが同じ文字になるのに、どれくらいの時間がかかるのか。それを知る術を探して、スマートフォンのカメラを起動した。 ビデオモードでカウンターを撮る。 ぴぴぴ、警報のような音が鳴った。別の壁で、画面が開いた。 鈴瀬はスマートフォンを止めた。 毛布をはねのけ、太志郎と三平が起きた。久留美は女だてらに高いびきをかいている。 「何だ、何だあ」 足利も画面の前に立ち、意味を読み取ろうとした。 この施設の見取り図のようだ。今の部屋に5ッのマークがある。行った事の無い場所から、いくつかのマークが現れた。マークはどんどん増えて、施設の中に散らばって行く。 「眠ってる宇宙人さんたちが、一斉に目覚めたの?」 足利は首を傾げた。正体不明の何者か、としか表現できない。 マークの一群が、この部屋に近付いて来た。 「仁台さん、いますか?」 太志郎はパソコンの受話器を取り、地上を呼んだ。 「当直の礼樽三尉です。何か、ありましたか」 冷静な声が来た。 「何かが、いっぱい現れて、こっちへ来ます」 うまく状況を説明できない、自分がもどかしい。接近するマークは、すでに扉の向こう側にいた。 ガンガン、扉を叩く音がした。 あによ、ようやく久留美が薄目を開けた。 ガチャンガチャン、扉の向こうで何かをしている。ガキン、扉が少し開いた。 パッ、強力なライトが部屋に差した。 「陸上自衛隊旭川駐屯地所属、矛狩二等陸尉! 5人、いるな」 「じえいたい・・・なの?」 予想外の声に、鈴瀬は口が閉まらない。 ジャッキが差し込まれ、扉がこじ開けられた。ぞろぞろ、十人を超える黒い戦闘服の隊員が入って来た。 「こちらエコーファイブ、管制室に達しました。民間人、5人を保護」 「了解。引き続き、制圧を続行せよ」 矛狩がヘルメットの無線で報告した。 向こうで受けたのは、仁台だ。太志郎は直感して、受話器を置いた。 「いらっしゃいませ」 久留美が寝ぼけ眼で言った。矛狩は笑顔で敬礼した。 「どこから入ったの?」 鈴瀬が問うと、矛狩は肩を揺らした。 「何と言うか、裏口から、ですね」 「裏口!」 矛狩の先導で、5人は部屋を出て、奥へ進んだ。 「エタルカ、エタルカ」 ちょっとパニックな掃除ロボットの横を通る。床に泥靴の跡がいっぱいだ。 廊下から排水パイプのような所に入った。 縄梯子を登ると、洞窟に出た。 「ここは五年ほど前に見つかった空洞です。温泉のボーリング調査中の事でした。この深さで、水が無い空洞は変だった。ボーリングをしていた会社に陸自のOBがいて、訓練ついでに、我々も調査に加わりました」 矛狩は淡々と説明する。 建築現場にあるような簡易エレベーターに乗った。鳥かごと同じ、上も下も丸見えだ。 「5年前から知っていた?」 「いや、あそこが開いたのは、塔が地上に出てからです。なんせ、街中では地震波の調査もできなくて、施設の全貌は全く判らなかった」 お手上げだった5年間を振り返り、矛狩は首を振った。 ガシャン、無粋な音で、エレベーターは止まった。 どこかのビルの地下室だった。 「あじゃぱあ」 久留美は不満げだ。外へ出るのが簡単過ぎた。 ドアをくぐると、地下駐車場に出た。陸自のバスが待機していた。 「しばらくは駐屯地にいて、調査に協力を願います。全て終わったら、最初に入った噴水の所から、5人そろって出ていただきます」 バスは5人を乗せ、未明の街に出た。 「あっ、あのホテルか」 風景を見て、足利が言った。 街中に出来た最新の温泉ホテルだった。千メートル以上の深層ボーリングを行い、天然温泉が売りの所だ。 資金トラブルがあったとか、工事が中断したとか、色んな噂を聞いた。あの空洞を掘り当てたせい、と今なら理解できた。 ふあああっ、あくびをひとつ。 太志郎が目覚めると、ベッドサイドの時計は6時を少し回っていた。 ぐっすり眠ったような、眠り足りないような、変な感じだ。ベッドのせいだろうか。 鋼線入りの防火ガラスの窓から外を見た。ダークグリーンの戦車がある。 自衛隊駐屯地の中と、ようやく納得できた。 白い壁、家具も白い、色の無い部屋だ。室内のユニットバスのトイレで用を足し、ついでにシャワーを浴びた。 下着も寝間着も、自衛隊の支給だ。あそこで手に入れた物は全て没収されていた。手の腕輪は外せないので、身に残っている。 ポーン、インターホンが鳴った。 「朝食の用意ができました、会議室へどうぞ」 ガシャン、ドアで音がした。鍵が開いたようだ。軟禁が解かれた。 廊下に出ると、奥が会議室だった。他のドアは施錠されていた。 二人の女性自衛官が待っていた。 「おはようございます。お席へどうぞ」 言われるまま、イスに座った。テーブルには5人分のトレーがある。 コーヒーかお茶か、と聞かれ、コーヒーと答えた。 「おっはよーございっまーす!」 天井を揺るがす声で、沖久留美が入って来た。元バレーボール部、体育会系のくせが抜けていない。 三平、鈴瀬が現れた。足利がタオルを首に巻いたまま来た、朝の親父のまんまだ。 「やっぱ、大人は違うなあ」 三平が女性隊員に見とれ、つい指でカメラのフレームを作った。 ぷう、久留美のほおがふくらんだ。 足利はほおがゆるんだ。近頃、きれいな女は、誰でも若い頃の妻に似ていると感じてしまう。 「おはようございます」 矛狩二尉が大きなレジ袋を持って現れた。 「沖さん、お父さんの差し入れだ。自分で持って行きたかったようだけど、代行して来たよ」 どさっ、袋の中は沖食堂の天丼弁当。エビ天は通常1尾を2尾に増量、大盤振る舞いで10人前以上ある。 「あたし、こちらのブレックファストが良いわ」 鈴瀬は早々に辞退した。娘の久留美も鼻を手でおおった、匂いだけでゲップが来た。 「おれ、いただきます」 三平は弁当をひとつ取った。大柄だけに、二人前で一食分だ。 「あとは、隊員の皆さんでわけてよ」 久留美が苦笑いで矛狩に押し返した。 「食べ終わりましたら、こちらに着替えて下さい。8時からミーティングです」 着替えを出してくれた。士官の肩章も鮮やかな自衛隊の制服だった。 体育館を抜け、大会議室へ入った。 大きなスクリーンが2面あり、一方には、地下の施設が映っている。 5人は奥のオブザーバー席へ案内された。アイヌ協会の会長と太志郎の父が先に来ていた。 軽く朝の挨拶を交わし、並んで座った。 「あたしのスマホ、返してくれないのよぉ」 鈴瀬が斜めに座り、また不平をもらした。しっ、矛狩が注意する。 「駐屯地司令、入室」 号令があり、部屋の全員が起立した。何事か分からないまま、太志郎も習って立ち上がった。 誰やら偉そうな数人が現れ、スクリーン横の席に着いた。彼らの前にはノートパソコンが開かれている。 「始めよう。まず、現状報告から」 偉そうな人の一人が言った。号令をかけた司会役が、スクリーンへ語りかけた。 「管制室です。ここの機械は、我々の操作を受け付けません。なので、画面の変化から分かった事を報告します」 画面の問田一曹が言った。広角レンズのせいで、顔が歪んでいた。 自衛隊が管制室と呼んだのは、5人がいた部屋だ。中央にテーブルがあり、壁に画面が並んでいた。 第一の画面について、二本の塔は宇宙へ電波を発信し続けている。目標は第5惑星と推測されるが、発信開始から20時間以上経っているにもかかわらず、応答は無い。 第二の画面について、これは施設の見取り図であり、リアルタイムの監視機構である。中央に20層以上の吹き抜けがある。各層には、10から15の扉があり、冷凍庫となっている。生死不明の宇宙人が冷凍状態にある。掃除ロボットが動いているが、我々の調査を妨げる物ではない。 第三の画面について、この施設を動かす動力炉の状況を示している。6個の容器があり、仮に番号で呼んでいる。1番から4番までが稼働中の動力炉で、5番は動いていない。6番の容器は空である。2番の動力炉が暴走状態なのか、非常に加熱している。1番と3番が接続されて、2番を冷やしているように見える。4番だけが平常運転のようだ。 第三の画面の隅に、カウンターのような表示がある。これまでの変化を計算すると、すべての文字表示が一つの文字で揃うのは、およそ午後8時前、約11時間半後である。 人海戦術の調査は、さすがと言える内容だ。 スクリーンの画が変わった。手術室のような部屋で、寝台に宇宙人のミイラがある。寝台横の医師らしき人が手と頭を振った。何かを報告する準備が出来ていないらしい。 また画面が変わり、別の部屋へ。宇宙人が寝ていた台がある。カメラで側面の文を撮っている様子。 「台に書かれていた文を要約しました」 司会役が手元の機械を操作して、訳文をスクリーンに出した。 寛文九年十月十一日、吾友の言葉を遺す、三石麻里ノ介 我らは欺かれた 我らが皆目覚めると、ここは破裂する 炉が皆停まると、ここは破裂する 故郷へ帰る術は失われた モシリを守るためには、爆弾を枕に眠り続けるだけ 麻里ノ介、心せよ 「この先は、まだ解読中です」 司会役が言葉を結んだ。 ごくり、太志郎は唾を呑んだ。 「第五惑星は、やっぱり」 鈴瀬は直感を確信に変えた。 「これは、これまでの地底探査から得たデータを元に、地中にある施設の全貌を示します」 旭川の地図が画面に出た。CGを重ねる。地中に眠るナマズのような影が現れた。 幅1キロ、長さは3キロ、厚さは400メートル、巨大な宇宙船だ。地上に現れた塔は、まるで潜水艦の潜望鏡のよう。 「次は、地上の配置を」 司会役が機械を操作し、画面が手の噴水前になった。 ピピピ、腕輪が鳴った。太志郎のだけでなく、久留美のも、鈴瀬のも、5人全員の腕輪が鳴った。 「静粛に!」 司会役が言った。 音は止まったが、腕輪に何かシグナルのような紋様が出ていた。 「これ、何かな?」 久留美が聞くけれど、太志郎に答えられるはずも無い。 ポーン、チャイムが鳴り、画面に問田一曹が出た。 「管制室です。こちらの画面表示に変化がありました」 第三の画面で、2番の炉へ稼働中の1番3番に続き、4番もつながった。管制室全体で、一時、照明が暗くなった。 第二の画面で、冷凍庫の表示色が上層で変わった。 「了解。引き続き、監視を続行しなさい」 司会役が冷静に答えた。 太志郎は歯ぎしりした。 「まずいよ。宇宙人さんたちの冷凍が止まったんだ。みんな起きたら爆発する」 「炉が停まっても、爆発だ」 うめくように久留美が言った。足利も首を振る。 「オブザーバーに発言は許可されていない。静粛を保てないなら、退席しなさい!」 司会役が怒鳴った。彼は事態の深刻さに気付いていない。 「あじゃぱあ」 両手を上げ、久留美は立った。ドアを蹴り開けて部屋を出た。 ドアを蹴って、久留美は後悔した。 右の膝にズキン、痛みが来た。まだまだ直ってない。 体育館に出て、士官の上着を脱ぎ捨てた。転がっていたボールを拾う。 ポンポン、軽くドリブル。 壁に向けて、サーブを打った。バン、ボールは壁から床へ跳ね、戻ってきた。ポン、とトスを上げる。 とおっ、ジャンプしてアタック。しかし、空中でバランスを崩してしまった。 バーン、狙いが外れ、ボールはラインの外に落ちた。 はあはあ、久しぶりの事で、息が切れた。 「まだまだ、やるもんだ」 太志郎の声に振り返った。ぜんぜん、と久留美は首を傾げる。 一年生でバレーボール部のレギュラーになった。試合中にスリップして転倒した。右足がしびれて、動かなくなった。 「根性無しは去れ!」 顧問の教師は激高して叫んだ。 試合後、久留美は入院した。膝靱帯の断裂だった。 教師は試合中の暴言を謝罪してきたけれど、膝の痛みが和らぐ訳も無い。 数ヶ月して、普通に歩くまでなら回復した。競技に復帰する目途は立たず、ぶらぶらしていたのを、太志郎がビデオ部に誘った。 「中学の頃から、カメラで追っかけてた。うちの部に来てくれた時は、天使が来た、と嬉しかった」 「へへへ、翼の折れた天使だけどね」 カメラで撮れば、久留美は抜群の画になる。惜しむらくは、動きに優雅さが足りず、言葉はがさつだ。結局、ビデオ部のメインキャストは鈴瀬が勤めていた。 おーい、三平が来た。足利と鈴瀬も来た。アイヌ装束の会長、太志郎の父も。追って、矛狩が来た。 「もう、素人にはつまんねー会議でさ。部隊の配備が、増援が、とかばっかりだ」 三平は口を斜めにして、はあと息をついた。 「太志郎、やる気が出ないようだな」 父に言われ、太志郎は横を向いた。 「だってさあ、麻里ノ介とか言う和人が宇宙人と何かした、なんて話しだろ」 「三石麻里ノ介はアイヌだよ」 父は断言した。太志郎は返す言葉が出ない。 「アイヌは独自の文字文化が無い。でも、アイヌの周辺には文字文化を持つ民族がいた。彼らと付き合う時、アイヌは彼らの文字表記に適した名乗りをした。ロシアが相手なら、イワンと。中国が相手なら、ガイキと。和人となら、ハチロウザエモンと。中国の元と戦い、交渉した記録がある。漢文を使えるのは当然だ」 「中国の元て、元寇の元?」 「元の三代皇帝クビライ・ハーンの頃だ」 「麻里ノ介はアイヌだった・・・」 和人の名を持つアイヌは、明治以後と思っていた。また常識が覆った。 「おまえの名前も同じだ。ただのタシロで終わるか、イペタムと並び賞される存在になるか。わたしは期待しているぞ」 父の視線がまぶしい。太志郎は目を外したかった。 ふんふん、久留美はストレッチで軽く汗をかいていた。 「さあ、行こう。9時になった、時間が無いよ」 久留美は腕輪を確認した。あの紋様は継続している。 「どこかへ勝手に出かけられちゃ、わたしが困るんだが」 「自衛隊は何もできない。あそこで、画面をながめているだけ。地球が蒸発して無くなるのを防げるのは、あたしらだけだ」 久留美は右腕を掲げた。知識が頭に流れ込んできた。 ふう、息を整え、一度は言ってみたかったあの言葉を口にした。 「変身!」 光が久留美を包んだ。 太志郎が薄目を開けると、久留美は自衛隊に没収されたはずの服を着ていた。 「そんな、その服は、確か」 矛狩は見ている事が信じられない。昨夜、駐屯地に着いて、確かに5人の服を預かった。今は、まさかと言うだけだ。 久留美は帽子をチェック、腰の剣を確かめ、腰を振ってバックルと靴の締まりを見た。 「よし、行こう!」 床を蹴り、久留美は飛んだ。 バン、体育館の屋根を破った。 天井の破片が舞い落ちた。穴から空が見える。 「本体はここです」 太志郎は腕輪を指し、矛狩に示した。 光が太志郎を包んだ。緑のラインの服が現れた。 じゃ、と父に手を挙げ、床を蹴って飛んだ。 バコン、二つ目の穴が開き、バラバラと破片が落ちた。 「かっこいいーっ、俺だって、やってやるぜい」 「しっかたないわねえ」 三平が、鈴瀬が、光に包まれた。次々、飛んで、屋根を破って行った。 「生徒だけを行かせる訳にもいかん。修理費は付けといてくれ」 足利は矛狩に言うと、自分も変身した。 とおっ、気合いの割に、ゆっくりと飛び上がった。穴をくぐって外へ出て行った。 「アシリ・ウエペケレ!」 江樫が白いヒゲを揺らして叫んだ。 久留美は高く上がった。 嵐山の頂きが下になり、滑るように高度を下げて行く。 旭橋を真下に見て、銀色の塔を飛び越えた。 黒い塔の先端近くに、ひょいと乗った。振り返ると、飛んでくる二人が見えた。 ばきっ、三平が両手両足で塔にしがみついた。ひらり、鈴瀬は塔の天辺に降り立ち、くるりと回る。 「ダサい、とか言ってたのに」 「着こなし次第で、なんとかなる部分もあるわ」 久留美の苦言に、鈴瀬はポーズをとって答えた。 あと二人は、と久留美は目をこらした。石狩川の上あたり、飛んでくる二つがあった。 「ああっ、落ちる」 ふらふら飛ぶ一つを見て、三平が声を出した。 とおっ、久留美は塔を蹴って飛んだ。 バランスを崩したのは太志郎だった。くるくる回って、きりもみ降下になった。 もうだめだ、と諦めかけた時、久留美の手がベルトをつかんだ。 「下手くそだねえ」 「ごめん」 太志郎は久留美の次に飛んだ。 しかし、うまく高度がとれず、国道を越えて墜落した。スタルヒン像にぶつかり、危うく壊すところだった。また飛んだが、護国神社の木立に引っかかり、池に落ちた。そんな事で三平や鈴瀬より遅れてしまった。 二人はゆっくりと降下し、手の噴水前に着地した。おおーっ、記者たちのカメラが奇声と共に出迎えた。 三平と足利も降りてきた。穴の横に立つ。 鈴瀬が舞うように降りてきた。久留美とカメラの間に割り込んで立った。 昨日、人前で飛んだのは久留美と太志郎の二人だけ。今日は五人に増えた。 鈴瀬はくるりと回り、ポーズをとって、一礼。笑顔を作り、フラッシュの集中砲火を浴びた。 太志郎は穴を囲む陸自の隊員を見た。それぞれ通信機と忙しく会話している。ここでは、争いは起こらないだろう。 「挨拶はいいから、行くぞ」 足利が穴を指差して、先に行く。三平が追って入った。久留美と太志郎はカメラに背を向け、飛び込んだ。 鈴瀬は記者に手を振り、ふわり、回りながら穴に入った。 ドアが開き、5人は管制室へ入った。 「君たちは、ここへ入る許可を受けていない。速やかに、退去願おう」 問田一曹が静かに言った。しかし、右手は腰のホルスターにかかっている。 「そりゃ、こっちのセリフだ。あんたらは、ここにいても画面を見てるだけ、他に何もできない。あたしらのジャマにならないうちに、とっとと出て行きな」 久留美の物言いに、他の隊員が顔を見合わせた。そのものズバリの指摘だった。 ピーピー、見取り図の画面に変化が出た。 「扉が開いた」 「宇宙人が中に!」 通信機のスピーカーが叫ぶ。 「発砲は禁ずる。彼らの様子を監視しろ」 問田は指示を出しながら、また久留美を見た。 太志郎は久留美の背越しに、三平は肩越しに画面を見た。 「宇宙人さんたちが目覚めたんだ。全員起きると、爆発する」 「まだ1層と2層だけだ」 通路に新しいマークが現れた。宇宙人たちが冷凍室から出て来たのだ。 足利が前に出た。 「君らには、市民を爆発から守る義務がある」 問田は答えられない。この管制室を守る、それが彼の今の任務だ。 画面のマークは20を超えている。その一つは管制室に迫っていた。 ダンダン、奥のドアを叩く音。 ドアのロックは外れていた。ずるずる、緑色の手がこじ開けた。 「あああ・・・アシニ・・・アシニ、フナクァン」 身長1メートルほど、小柄な宇宙人がよろけるように入って来た。 問田が手で他の隊員を制止する。皆、拳銃に手をかけ、臨戦態勢だ。 太志郎は前に立ち、手招き。トイレの壁を開けて、指差した。 宇宙人が入って、壁を閉めた。と、ぎゃーっ、と悲鳴が出た。 うっうっ、歯を剥き、宇宙人が出て来た。 太志郎はテーブルにあるトイレットペーパーのロールを取って見せた。100パーセント天然パルプ、お尻にやさしい二枚重ねの高級品だ。 おおう、宇宙人はロールを抱き、またトイレに入った。 はあああ、管制室に安堵のため息。 「あんたらが宇宙人に出来るのは、鉄砲を向ける事だけ?」 久留美が嫌みったらしく言った。 ポーン、パソコンのチャイムが鳴った。 問田は受話器を取る。地上の仁台からの連絡だった。 「そちらの事情は、すべてモニターで見ていた。新しい命令を出す。問田一曹の隊は足利氏に協力し、事態の収束にあたれ。彼らの指示に従って行動せよ」 「了解。我々は足利氏に協力して、事態に対処します」 「とりあえず、午後8時まで、としておこう」 「午後8時まで、彼らの指揮下にいます」 午後8時・・・画面のカウンターがゼロになる時間だ。何が起きるか、まだ未知である。 問田は受話器を久留美に渡した。 「沖くん、上に来てくれ。お父さんとお母さんが見えてる。差し入れ、だそうだ」 「あじゃぱあ」 自衛隊と話がついて、安心したのも束の間、久留美は頭を抱えた。 足利は三平と鈴瀬を画面の前へ進ませた。 「昔、三石麻里ノ介が何をしたか。そのデータを探すんだ」 鈴瀬が画面に触れた。画面は反応して、違う画が出た。 おおう、隊員が感嘆の声をもらした。 探索は生徒にまかせ、足利はテーブルの時計を見た。もうすぐ、午前10時だ。 昼が近い。穴を昇ると、明るさが眩しかった。 穴から出て、高度5メートルほどで静止した。おおお、記者の歓声が聞こえた。 久留美は仁台を探した。仮設テントの下に姿を見つけて、そこへ降りた。 「市民の避難は? 爆発が迫ってるのに」 しっ、仁台は指を口に当てた。 「爆発の規模も想定できてない。手配しているが、上層部の決断待ちだ」 「規模か・・・・第五惑星が蒸発して無くなる、くらい」 そこまで言って、久留美も口を閉じた。 地球が吹っ飛ぶ爆発では、避難すべき範囲も場所も無い。爆発を防ぐ、それだけが生き残る道だ。 「せめて、宇宙船の真上くらいは?」 「それくらいなら、確かに」 仁台は久留美の提案に同意した。それでも、幅1キロ、長さ3キロの広大な範囲。しかも、30万都市のど真ん中だ。 どこからか通信が入り、仁台は受話器を取る。空いた手で、久留美の両親を指し、会えと促した。 「おお、我が娘よ。忙しいのは知っているが、こういう時こそ沖食堂の焼き魚弁当だぞ」 両手で握り拳をつくり、父は天に向かって吠えた。 「今日のお味噌汁は利尻昆布で出汁を取って、具はワカメとシジミよ。疲労回復と滋養強壮に最適」 めったにしない化粧顔で、母が手を広げる。 フラッシュの連発が親子を包んだ。娘は脳天気な宣伝に付き合うだけで、すでに疲労を感じていた。 ぎゃあ、がしゃ、妙な音が聞こえた。 まさか、と不安にかられ、久留美は飛び上がった。高度10メートルほどで、くるりと周囲を見渡した。 「久留美、かっこいいっ!」 「すてきよぉ!」 両親の場違いな声援、現実を知らない記者たちのカメラが久留美を追う。 帽子のカメラが起動した。右目にモニターが降りて、遠くをズームインして見た。 7条緑道の黒い塔の根元だ。大小の扉が開き、異形の影が現れた。 もしや、とロータリーの銀色の塔の根元を見た。扉が開いて、大小の宇宙人たちが出て来ていた。 「逃げて、逃げて、早く!」 久留美は叫んだ。両親は目をパチクリするだけ。 「発砲はいかん、バリケードで抑え込め!」 仁台は通信機で怒鳴っていた。 久留美は降りると弁当の袋を手にした。ずしり、十人前くらいある。 「早く、早く、逃げるの!」 叫ぶ娘の剣幕に、両親は異常事態を察知し、店のバンへ乗った。 記者たちも右往左往、事態を把握しようとし始めた。我が身に火の粉がかぶるような仕事は絶対イヤ、と言って憚らぬ記者たちだった。 両手に弁当の袋を下げ、久留美は管制室に戻った。 「宇宙人さんが、あちこちから出て来てる。どうなってんの?」 「パワーダウンだ」 足利が一言で答えた。弁当をテーブルに置き、久留美は首をひねった。 「電子錠が無効化している。機械的に扉を開ける操作を知っていれば、出入り自由な状況だ」 ざーっ、水の音。トイレの扉が開いて、緑の小さな宇宙人が出て来た。 くんくん、鼻を鳴らすと、テーブルの弁当に飛びついた。 ばくばくばく、意地汚い食べ方だ。食堂の娘としては、マナーのひとつも言ってやりたい気分。 「これだ」 「動力炉の修理法よね。パイプをつないで、補強して、木の枠で支えて」 ついに、鈴瀬は目指す画面に行き着いた。図面は見て理解できるが、文字が読めない。 「この図と、現場を照らし合わせよう」 三平が見取り図の方を見た。目覚めた宇宙人は外に出て、マークは少なくなった。炉までの障害は少ないだろう。 「わたしも行くぞ」 足利も立ち上がった。問田が二人の隊員を指名し、同行を命じた。 「行ってらっしゃい」 久留美は奥のドアから出て行く4人を見送る。その足下で、小さな宇宙人が見上げていた。 「マリノスケ?」 宇宙人は記憶をたどっていた。麻里ノ介の服を着た者を見つけた。でも、違う。色々な違いの中で、胸のふくらみが気になった。 ぷに、気になるふくらみを掴んでみた。 バコッ! 天井まで吹っ飛ぶ一撃。 太志郎が落ちる宇宙人を受け止めた。 「落ち着けよ」 「宇宙から来た痴漢を退治しただけよ」 ふんっ、鼻息荒く、久留美は仁王立ちで腕組みした。 バレーボールを辞めて良かった事がひとつ、バストが急に成長した事。この1年で2サイズもブラを大きくした。しかし、スポーツをする体型から外れかけている、とも思い始めていた。 太志郎は宇宙人をテーブルに上げ、介抱していた。呼吸は落ち着いてきたが、意識はまだだ。 マリノスケ、と確かに聞いた。修理の手がかりが、ここにある。 足利と三平は吹き抜けに出た。 照明が前より暗い。エレベーターが動かず、下へ行けない。パワーダウンの影響だろう。 「飛ぶしかないか」 自衛隊の二人を残し、足利と三平は飛び降りた。 「松前藩が三石麻里ノ介を処刑して、記録を何も残さなかった。それで、おれらが苦労する。なんてこったい」 「宇宙人とは誰も考えないさ。清の軍隊とは思ったかもしれない」 「しん?」 「日清戦争で戦った清だ」 歴史担任である足利の頭の中で、歴史のパズルが組み上がっていく。それまで気にも止めなかったピースが、重要な位置にはまり込んだ。 寛文年間は日本と清の間で、重要な時期にあたる。寛文三年、すでに薩摩藩が属国としていた琉球に、清の柵封師が来た。琉球を日本と清が重複して支配する奇妙な状態となった。 寛文五年、水戸徳川家は朱瞬水を家臣に加えた。彼は清に滅ぼされた明の儒学者だ。本来は、清と戦うため、明に援軍を出すよう求めていた。要請は間に合わず、帰るべき国を失ってしまった。 朱は大量の書を日本にもたらした。元の歴史を綴った国書もあった。源義経はチンギス・ハーンになった、と言う珍説が後に出る。 元がアイヌと和睦していた事を、徳川幕府は知る。清は元に次ぐモンゴル系の王朝だ。 アイヌが清と結ぶのを、幕府は恐れ、先手を打って圧迫した。それはアイヌの蜂起を呼んだ。 「寛文年間にシャクシャインが乱を起こしたのは、決して偶然ではない」 あああっ、足利は声を上げた。真理に近付いた学者の喜びだ。 蒸気が濃くなった。 二人は降下を止め、近くの足場に立った。 「昨日より水位が上がってる」 麻里ノ介が修理した炉は、完全に水没していた。 ロータリーの塔から出て来た小さな宇宙人、彼らはオンネフチの一族だった。 周囲を見れば、赤と黄色のテープでバリケードがあった。鉄の箱と緑の服を着た現地人が、わいわい声を上げている。歓迎の雰囲気ではない。 甘い香りが流れて来た。香りを追って、一族は動いた。 バリケードの隙間を抜け、道路一本先に、それを見つけた。 そこは昭和前期の建物を使った甘味処。和服の女給が働く、レトロな風雅の店だ。 ロータリー周辺は立ち入り禁止だが、住人は別だ。取材の記者や自衛隊が、店を休憩に使用していた。 「いらっしゃいませ」 つい、女給はいつもの言葉で出迎えてしまった。 わらわら、緑色の宇宙人が店内にあふれた。 片付け前の椀をなめ、これをと要求した。 「お・・・お汁粉、十人前、お願いします。あ、あと十人前、追加です」 半ば悲鳴にも似た声で、女給は失神寸前だ。 ロータリーの塔から、3メートルを超す巨人が、一人出て来た。キムン族のカンナだ。 木と草が生い茂る湿地帯のはずが、石と鉄ばかりの場所になっていた。現地人が警戒の目で見つめている。 腰をおろし、何をすべきか考えた。また眠気が来て、あくびをした。 七条緑道の黒い塔から、キムン族のホンク・ハーンが現れた。 6条の方へバリケードを越えて行くオンネフチたちを見て、つい笑ってしまった。道を塞いでいる鉄の箱が、黒い煙を噴いた。エンジン音で威嚇のつもりか。 塔の扉の奥から、おおん、吠える者が顔を出した。 トンペ族のサマイクルだった。体長は10メートルにもなる。八本足と言う者もいるが、四本足と四本腕とも言える多能の一族だ。 彼らは遺伝子工学が産んだキメラだった。失敗作として廃棄処分になりかけたが、法律家や宗教家が保護を訴えた。理由は別として、産まれた者には生きる権利がある、と。 かつて、故郷の星では、共に戦った間柄だ。武運足らずに敗れ、辺境へ流された。以前、目覚めた時より、地元民は文明的になっている。 ホンク・ハーンとサマイクルは共に笑った。今度こそ、この地を支配しよう、と。 「あっ、目を開けた」 太志郎は、ほっと息をついた。 管制室のテーブルで、小柄な宇宙人は身を起こした。きょろきょろと周囲を見て、はっと手を打つ。 テーブルのボタンを押すと、引き出しが開いた。中から腕輪を取り、着ける。きゅん、腕輪はピタリのサイズになった。 「まだ、一個あったのか」 管制室に詳しいようだ。この宇宙人との対話は大切になる。 「イアンカラプテ。カニ、アクネ、タンネタシロー、クネ」 太志郎は一言づつ、確かめながら言った。 「おう、わしの事はジョウ・ニーと呼んでくれ」 日本語が返ってきた。 宇宙人が日本語を話した、と思った。 が、違う。自衛隊員はジョウの言葉に反応していない。 びっくり顔なのは、腕輪をしている久留美と鈴瀬だけ。腕輪が間に入り、宇宙人の言葉を翻訳したのだ。 「ジョニー?」 「違う、ジョウ・ニーだ」 鈴瀬が首を傾げて聞いた。ジョウは人差し指を立て、切り返して答えた。 追放移民団の中で、コロポッ族は技術職が多い。ジョウ・ニーは高位に属する宇宙船システム技術者だ。 「ジョウ・ニー、ここは今、とても危ない。爆発するかも」 「わしらが起きたからね」 ジョウは画面の前に立ち、ぐぐ、と喉を鳴らした。 「この前より悪いな。時間も無いし、修理はできない。放出する方が良いな」 「放出?」 太志郎が聞くと、ジョウは画面を切り替え、もうひとつの修理履歴を呼び出した。 炉を切り離し、ロケットを接続して、宇宙へ打ち出す。ただし、切り離すと冷却が効かないので、手早く済ませなければならない。 「手間取ると、爆発する?」 鈴瀬の問いに、ジョウはニヤと笑った。画面を見上げ、空の炉を指差した。 「もっと昔、修理不能で放出した事がある。あの時も、きびしかった」 奥のドアが開いた。足利と三平が戻ってきて、やっ、とジョウに挨拶した。 「で、実際のところ、どうすんだ?」 「まず、水を抜かないと」 うむ、ジョウは頷いた。 ポーン、パソコンのチャイムが鳴った。問田が出ると、仁台だった。 「我々は撤退する。宇宙人が多過ぎて、噴水前を保持できない。地下の方は、君に全権を委ねる」 「了解。ここでの全権を移譲されました」 問田は受話器を置き、全員を見渡した。 「この先は、我々だけで進めなくてはならなくなった。足利先生、地球を救いましょう」 いい男じゃん、と久留美は問田を見直した。 ホンク・ハーンは手の噴水前から自衛隊を排除し、拠点を得た。穴の下には管制室があるが、攻めるのは後回しだ。 トンペ族が塔から武器を搬出し始めた。この星を手に入れるために、手持ちの武器を稼働状態にしなければならない。 自衛隊を見た。バリケードを後退させて、向こうから攻める気は無いようだ。 トンペたちにより、8条通りに四本のトーテムポールが建った。根元の直径は2メートル、高さ五メートル、小型防空兵器アイ・アンドームが設置された。先端の目玉がレーザー光線の発振機である。 ホンク・ハーンは照準器をのぞき、あれこれ狙ってみた。今は、手動モードで操作できる。防空レーダーが起動すれば、自動モードが可能になる。 と、黒服の現地人が近寄って来た。 彼は市役所近くのキリスト教会に勤める見習い牧師、来栖だった。宇宙人と交渉し、彼らに布教できれば、と功名心の塊な男だ。 「吾は神の使いなり。神は偉大なり・・・・」 右で金色の十字架を掲げ、左手に聖書を抱き、来栖は緑色の巨人の前に立った。 認めたくないものだが、カクカクと膝が笑っていた。今年は新たな信者の勧誘がゼロだ。聖書の販売は、自分で買った一冊のみ。これでは、いつまで経っても見習いから進めない。 ホンク・ハーンは人間の手にある光る物を取り上げた。一目見て、形以外の機能が無いと知り、捨てた。 「か、か・・・神を恐れよ」 来栖は聖書を頭上に掲げ、呪いの言葉を宇宙人にかけた。 ホンカンは人間が持つ物を取り、材質を見た。紙は機器の試験に適しているので、10メートルほど離れた路上に投げた。 照準器を起動して、路上の紙を狙った。トーテムポールの目玉からレーザーが発射され、ぽんと火が上がった。 あああっ、来栖は悲鳴を上げた。聖書が一瞬に灰と化した。 「い、イエス・キリストの・・・な、名において・・・そなたを」 不信心者へ、来栖は声をかけようとした。しかし、相手が大き過ぎる。天を見上げて、神に祈る姿勢になってしまう。 声が煩く思い、ホンク・ハーンは人間に照準器を向けた。 ひいいいっ、来栖は背を向けて逃げ出した。彼の股間は濡れていた。 ホンク・ハーンは照準器を下げた。防空兵器のアイ・アンドームは、地上の目標を狙うに適していない。 一方、甘味処のお汁粉を平らげたオンネフチたちは、川沿いに流れる甘い香りに気付いた。それは、旭川の街でも数少ないお菓子工場からの香りだった。 がががっ、奇声を上げ、一族は緑橋の方へと進み出した。 時計が12時になろうとしていた。 5人は沖食堂の焼き魚弁当を食べた、少し早めの昼食。 地下の自衛隊は、全員が管制室に集まった。休憩を兼ねて、レーションを食べた。 部屋の隅のゴミ袋には、昨日の弁当の喰い残りが入っていた。今朝の弁当も残っているが、電子レンジが無いので暖められない。 足利は持ち込んだ一升瓶の栓を抜いた。旭川の銘酒、男山だ。口を付けようとして、止めた。匂いだけで我慢する。 「さあて、これから男の仕事だ」 瓶に栓をして、足利は立ち上がった。しかし、一番背が低いから、座っている三平と頭は同じ高さ。 太志郎が立ち、三平も立った。 三人は奥のドアへ向かった。 「指示、よろしく」 太志郎が言うと、ジョウ・ニーが手を上げて応えた。久留美と鈴瀬も手を振った。 自衛隊は部屋の守りに徹して残る。 吹き抜けに来た。下を見ると、冷凍庫の扉は第4層まで開いていた。 ぐわぐわ、どこからか声がした。姿は見えないから、これからの作業に支障は出ないだろう。 「天井横の大扉を開けるんだ。動力は切れている。力づくで開けてくれ」 ジョウ・ニーが通信器越しに言った。 壁際のハシゴを昇る。薄暗い倉庫のような空間に出た。 壁に幅10メートルほどの扉がある。 レールに沿って押して開くと、光が差し込んだ。倉庫の奥に空飛ぶ円盤が並んでいた。 「これがロケットエンジン?」 「小型輸送艇だ。有人でも無人でも飛べる。押し出してくれ。レールにはまれば、重力で勝手に落ちて行く」 ジョウ・ニーの指示に従い、三人は円盤を押した。 「これに乗れば、故郷へ帰れるんじゃ?」 「惑星と衛星を往復するくらいに使う。単独で故郷へ飛んだら、地球時間で何万年もかかる」 太志郎の問いに、ジョウ・ニーは軽く答えた。 服が体力を増幅している。押していて、さほど重さは感じない。 ガシャン、軽い音で、円盤はレールにはまった。ゆっくりと下がり始めた。 壁の隙間から、それぞれ飛び降りた。円盤を追い越し、先に下へ行く。 第5層の扉が開き始めた。無視して、降り続ける。 湯気が濃くなった。 「水が・・・お湯が抜けてないよ」 「よし、充電完了だ。排水ポンプを動かそう」 ジョウ・ニーが言うと、湯面に新しい動きが出た。 加熱した動力炉を冷やすため、他の動力炉はフルパワーに近い運転をしている。排水ポンプは大きなパワーを使うが、直接に動力炉からパワーをもらえない。なので、少しづつ、バッテリーにパワーを蓄えていたのだ。 7・8中通りで、2機目のアイ・アンドームが組み立てられている。レーダーの設置は、当分先だ。 ホンク・ハーンの手に新しい武器が来た。セントリー機関銃だ。 長さ1.5メートルの筒にグリップと引き金がある。筒の中に銃身がジャイロで支えられ、体の揺れをキャンセルしてくれる。 弾倉を着けた。弾丸は直径25ミリ、長さ70ミリほど。薬莢は無い。 バッテリーコードをつなぎ、銃を起動した。銃身は電磁加速器だ。二段階で弾を加速する。低速部ではマッハ0.8まで、ほとんど無音だ。高速部ではマッハ8、大気との摩擦で弾丸が火の玉になって飛ぶ。 試し撃ちに適当な的を探した。 ロータリーの向こう側に、バリケードとなっている黒い鉄の車に目を付けた。距離は400メートルほど。 それは陸上自衛隊の74式戦車だった。旭川駐屯地に配備されていた旧型だ。新型は富良野にあり、今はトレーラーで旭川に向かっている途中である。 ホンク・ハーンは発射速度を最速にセットした。この距離なら弾道は直線に近い。スコープで直視したまま撃てる。 引き金にかけた指に力を入れた。 ポン、と小さな発射音。反動が無いのも、電磁加速銃の良いところだ。 スコープの中で、74式戦車の砲塔に小さな炎がたった。弾が装甲にめり込み、高温で鉄を溶かしたのだ。 もう一度撃った。 また当たった。 今度は命中部から白い煙が出た。次いで、戦車の後部、エンジンから黒い煙が吹き出た。弾が装甲を貫通し、内部で火災を起こしたのだ。 乗員が戦車から脱出した。市内の出動なので、74式戦車には砲弾が積んでなかった。爆発は起きない。 ホンク・ハーンは満足し、銃をトンペに返した。 もっと多様な武器が必要だ。優先順位を考え、腕を組んだ。 はたと、ロータリーのずっと先、建物の向こう側に白い煙があると気付いた。量は大きいが、真っ直ぐ上に上らない。火災ではないようだ。 それは石狩川に立ち上る蒸気だった。 新橋のたもと、河川敷公園の地割れから噴出した熱水が原因だ。白い熱い霧が橋を包んだ。視界不良で、接触する車が相次いだ。 「よし、炉が見えてきた」 足利の声が管制室に響いた。 三人の見た目が、画面に出ている。白い蒸気の中から、木の枠組みが現れた。 「上の方から、徐々に外してくれ。炉が傾くと危ない。気をつけて」 ジョウ・ニーが簡単な指示を出した。 その横で、問田は見取り図の方を注視していた。 「第6層まで開いた」 眠りから覚めた者たちのマークが、施設内をうろついていた。管制室の近くにも数人来ている。 ファイバースコープカメラをドアの隙間に入れ、向こう側をテレビに出した。 「隊列を作っている。組織立っているな」 「武器らしき物を携帯しています」 良い報告は来ない。つい、指の爪を噛んでしまった。 「修理は、わしらにやらせるつもりだろう。終わったら、ここを乗っ取る気だな」 ジョウ・ニーはため息で言った。 修理完了が戦闘開始の合図だ。ふう、問田は深呼吸して次の手を考えた。 バリバリバリ、木組みを外す音。ごとん、ざぶん、外れた木が浅くなった湯面に落ちた。 画面に、炉の本体が姿を現した。 「わあ、炉が傷だらけ。あれって、修理の時に付けたの?」 「違う」 鈴瀬の問いに、ジョウ・ニーは口ごもった。思い出したくない出来事だった。 「キムン族の一部が自暴自棄になってな、故郷へ帰れないと知って。それで、あちこちを壊した。その一つが、これだ」 「みんなを道連れに、自殺を図って・・・」 うむ、ジョウ・ニーは口を一文字に結ぶ。 多くの者が死に、傷ついた。あんな事は、もうたくさんだ。 久留美が腕組みで部屋をぐるぐる歩く。 「あいつらが組織で動く・・・て事は、指導者がいるって事よね」 「たぶん」 問田には、それ以上は答えられない。ジョウ・ニーに皆の目が向いた。 「キムン族ならホンク・ハーン、トンペ族ならサマイクル・・・だろう。中に姿が見えない。目覚めているなら、外にいる」 「よしっ。話し合えるものなら、話し合ってみようじゃん」 どん、久留美は床を踏み鳴らした。 踵を返して、入口側のドアに向かった。 「バリケードを作れ!」 問田の号令で、隊員たちが動いた。ドアの両側に立って、少し開けた。 じゃ、と久留美は手で挨拶。ドアを抜けた。ばむ、すぐにドアは閉じられた。 宇宙人たちがいた。手に武器らしき物がある。壁に開いたドアがあった。そこから来たのだろう。 「マリノスケ・・・」 ざわめき、通路の端に退けてくれた。 赤いラインの服には、特別な意味がある。確信して、久留美は外を目指した。 コロポッ族が新しい武器を出してくれた。 自動小銃ポンアイを手にして、ホンク・ハーンは重みを確かめた。 腰にバッテリーのベルトを着け、コードをつないだ。長さは1メートルほど、照準は肉眼でする。電磁加速銃身の他は原始的だ。 百発入りの弾倉を着けて、かまえた。近くの建物を狙って撃った。 ポンポン、と小さな音で連続射撃。 バンバン、外壁が大きく吹っ飛ぶ。が、深い穴はできない。 弾丸は直径12ミリの小口径、柔らかく軽いアルミ製。標的に当たると、くしゃと潰れて、直径が倍以上になる。有効射程は100メートル以内だ。命中率や貫通力より、弾幕を張って制圧する銃である。 武器の種類は、これで一通り揃った。現地人の戦闘員数を考慮すれば、あとは量だ。 サマイクルが鎧を持ってきた。将らしく装え、と言う。 冬眠器用の寝間着を脱いだ。鎧に袖を通し、兜を頭にした。顎紐を締めれば、気も引き締まる。 皆も甲冑に着替えた。ほぼ戦闘準備が整った。 風を切り、久留美は一直線に穴を昇った。 闇からら光の中へ、外に出た。高度10メートルほどで辺りを見下ろした。手の噴水前は一変していた。 アイ・アンドームの塔が並び、コロポッ族が忙しそうに立ち回る。ロータリーへ向かう道で、大柄なキムン族とトンペ族が隊列を作っていた。 「レプ、トゥプ、シネッ、ダーッ!」 奇声が上がった。 「太志郎、聞いてるね」 久留美は通信器で呼びかけた。 「聞いてるよ」 「ちゃんと通訳してね」 「暇があれば」 地下では、炉を動かす準備中だ。管制室のジョウ・ニーも頼れない。 久留美が彼らの上へ行くと、誰もが振り向き、隊列が乱れた。 「マリノスケ!」 隊列の先頭にいるキムン族の一人が、久留美を指して叫んだ。そいつの前に降り立った。 「あたしは沖久留美。三石麻里ノ介じゃないけど、話し合いに来たんだ。え・・・と、ホンク・ハーンさん、だよね?」 久留美はリーダーに向かい、話しかけた。宇宙人だが、ホンク・ハーンの顔が引きつっているのが分かった。 「イカタイ、イカタイ」 ホンクが両手を広げた。隊列が動いた。輪になり、久留美を囲んだ。 話が通じてない、久留美は焦った。ホンク・ハーンが腕輪をしてないと気付いた。機械通訳は利かない、やばい雰囲気だ。 「クアニ、カムイサンテク、クネ。クアニ、パカシヌ!」 ホンク・ハーンが久留美を指して言った。おおおおっ、囲んだ宇宙人たちが鬨の声を上げた。 「イオマンテ!」 「えっ?」 久留美は首を傾げた。イオマンテの言葉は知っている、アイヌの祭りだ。 イオマンテ! 囲んでいる連中も声を上げた。 「イオマンテって、何する気かしら、ねえ?」 聞かれて、太志郎も首をひねる。 古くは、男子が成人する祭司だった。この祭りを経て、山の神たるヒグマ狩りに参加する資格を得る。 「推測だけど・・・君をヒグマになぞらえ、ホンク・ハーンがマリノスケを討ち、大人の証を・・・この場合は、将の証を立てようとしている・・・と言う事じゃないかな」 「花の乙女を熊あつかいなんて、こっちが許さないからねっ」 「うわっ」 久留美の怒鳴り声に、太志郎が悲鳴を上げた。 四足四腕のトンペが大きな剣を抱え、ホンク・ハーンに渡した。身の丈が2メートル、物干し竿のような長剣だ。 ホンクは鞘から剣を抜いた。二度三度振り、柄と握りを確認した。鞘を捨て、剣を縦にしてかまえた。 「小次郎、敗れたり」 久留美は時代劇のセリフで最初の反撃。 ちゃっ、腰の二刀を抜いた。身の丈は60センチくらい。 剣を手にするのは初めてだが、包丁ならある。沖食堂の調理場で手伝いをしていた。両手に包丁を持ち、豚肉や牛肉を叩いて伸す。包丁のかまえのまま、剣を向けた。 「話し合いに行ったはずだろ」 太志郎は、通信器から久留美の会話を聞いていた。通訳が入る余地は無さそうだ。 「聞いてたなら、少しは手を貸してよ」 「こちらは地球を救うのに忙しい。街の方は、まかせた」 「あによっ!」 ぶちっ、乱暴に久留美が通信を切った。ふう、と息をつき、太志郎は炉を見上げた。高さは10メートル以上だ。 水はほとんど抜けた。床に散らばる木組みを除け、炉を押し出すスペースを確保した。 ジョウ・ニーから報せが来た。 「よし、炉の切り離しができた。パイプを切断して、中央に押し出せ。放出口を地上に押し出す」 「了解」 三人は炉の上部に飛んだ。 熱気の中、施設とつながるパイプとコードを引き千切る。時間勝負なので、とにかく力まかせにやる。 バラバラ、破片が落下した。 足利は下に行って、また床面の片付けだ。 「カウンターが一気に進んじゃったあ! いい、急いで、早く早くうっ!」 「急いでるよ」 鈴瀬がヒステリックに叫んだ。三平が絞った声で応えた。 外せる物は全て外した。壁と炉の隙間に入り、渾身の力で押す。 服が力を増幅してくれている。ズズズ、炉がレールに沿って動き出した。 汗でバイザーが曇る。服の冷房機能は、すでに限界まで達していた。 「ジョニー、今、午後3時よ。この調子だと、カウンターがゼロになるまで、あと3時間・・・いえ、2時間くらい」 「ジョウ・ニーだ」 「やってるから。落ち着いてくれ」 鈴瀬の声が上擦っている。足利がなだめても、どうにも効果は薄い。 どんな時も冷静に語るのがテレビキャスターのはずだ。しかし、テレビの世界では、放送中に笑いが止まらなくなって、番組から降ろされた女子アナがいた。 残り時間が半分になった。その危機感だけは共有できた。 暑い。いや、熱い。 時に、太志郎は意識が朦朧とした。熱中症の初期だ。 汗では体温を発散しきれない。舌を出し、犬のようにハアハアと息をした。過呼吸にもなりかけていた。 ガッガガッ、炉は少しづつ中央へ動いていた。 「狙うだけだ。発砲はいかん」 仁台はマイクで言った。 各ビルの屋上には陸自の狙撃隊が待機している。長距離ライフルのスコープで、対峙する久留美と宇宙人を見ていた。 仁台も双眼鏡で見ていた。 二人の決闘が始まるようだ。自衛隊が介入するとすれば、久留美を囲む宇宙人たちが戦いに混じり、乱戦になった時だ。 ぐああーっ、ホンク・ハーンが怒号で切りかけた。 身の丈2メートルの剣を、ぶんぶん、右から左から横に薙いだ。 風圧を受けながら、久留美は後退する。 ロータリーへ押し出された。地中から突き出た塔のせいで、岩やら自動車やらが転がっていた。中央の花壇は塔の根元になって、ほぼ全滅状態だ。 おおおっ、ホンク・ハーンが大上段から切り下ろした。 ぽん、大岩が豆腐のように切れて、ふたつになった。 久留美は余裕の笑み。バレーボールで鍛えた動体視力が、ホンク・ハーンの剣を見切っていた。 「そろそろ、こっちから行くよ!」 久留美は二本の刀を平行にかまえ、たあっ、気合いで切りつけた。 ひょいひょい、ホンク・ハーンがかわす。 やはり素人の刀さばき。久留美の身振りは大きくて、また見切りやすいのだった。 勢い余って、久留美は体勢を崩した。たたらを踏んで、右の刀を振り抜けば、そこにホンク・ハーンは居ず、岩があった。 がきっ、刀が岩に食い込んだ。抜けない。 素人刀術の悲しさ。刀を打ち込む向きと、刃の向きが一致していない時、刀のしなりで起きる現象だ。 久留美が振り向くと、ホンク・ハーンは剣を杖に休みの体勢。 がははは、囲む宇宙人たちから笑いがもれた。 抜くのを諦め、左の刀を右へ持ちかえた。 「よし、真ん中に来た。離れろ」 ジョウ・ニーの指示が来て、太志郎は腕から力を抜いた。足の力も抜けて、その場に座り込んだ。 見上げると、真上にロケットエンジンになる円盤がある。 「円盤が降りないぞ」 「引っかかっているようだ。力づくでやってくれ」 またか、足利がハシゴを昇る。飛ぶ気力が出ない。 「もうすぐ放出口が開く。焦らずにやってくれ」 「なんか、カウンターの進みが加速してる。早くしてっ」 ジョウ・ニーと鈴瀬の言葉は真逆だ。聞くだけで混乱してしまう。 レール横のストッパー爪が出たままだ。三平は叩いて、引っ込めようとする。 太志郎は飛んだ。円盤の上に乗り、どん、と蹴りを入れた。 がくん、円盤が動いた。炉にかぶさり、帽子のように上部と一体化した。 「よし、エンジンの充電を始めた。放出口を開くぞ。エンジンが動いたら、恒星へ向けて無人運転だ」 ジョウ・ニーが以後の流れを説明した。 太志郎は円盤の上に倒れた。全身から力が抜けてしまった。 どどどん、どどどん、吹き抜けの上の方から大きな音が響いた。 「放出口を地上に出した。動力をつなぎ直すぞ。今度は、冬眠器を再起動だ」 やった・・・太志郎はつぶやいた。 これ以上、宇宙人は目覚めない。ここが爆発する要素が、ひとつ減った。 ズズズッ、円盤が動いた。ゆっくり上昇する。 降りようと思ったが、どんどん加速していた。うまく壁との隙間に入れそうにない。 風圧が強くなった。円盤にしがみつく。 上に光が見えた。出口だ。 バン、衝撃波で吹き飛ばされた。 太志郎は円盤から落ちた。どーん、と落ちたのは水の中。常盤公園の千鳥ヶ池だった。 放出口は池に出ていた。 熱い服が冷たい水に触れ、水蒸気を上げた。冷気が服の中に入ってきた。 岸にたどり着き、這って上がった。はあっはあっ、息も上がっていた。 地面で大の字になり、空を見た。 円盤は炉をぶら下げ、さらに加速して小さくなって行く。 ドドーン、衝撃波の轟音が街に響き渡った。 反響で割れる窓ガラスが相次いだ。防火ガラスのため、ガラス片が飛び散るのは少なかった。 空を見上げる人々は見た。白い笠をかぶった物が、白い尾を引いて昇って行くのを。 白い笠は、超音速で飛ぶ物体が発する衝撃波だ。正確には、衝撃波の後ろ面に急減圧で生じる水蒸気である。白い尾も、物体の後ろに生じた水蒸気だった。 雲に衝撃波で穴を開け、物体は彼方へと小さくなった。 天に昇る物を見て、久留美は何か分からなかった。 しかし、ホンク・ハーンは理解した。修理が終わり、システムは正常へ戻る。爆発の危険が去ったのだ。 「イワンケレ、イワンケレ!」 ホンク・ハーンは振り向き、配下のキムン族とトンペ族、そしてコロポッ族に叫んだ。彼らも同じ言葉で応えた。 また振り返り、久留美を見た。 「カムイ、ヘキリパ!」 ホンク・ハーンは剣をかまえ、踏み込んで斬りかかった。 ひえっ、久留美は逃げた。さっきまでとは剣の速さが違う、踏み込みの鋭さが違う。 放置されていた自動車を真っ二つ、岩は三枚に下ろされた。ホンク・ハーンは剣を振りつつ追い回す。 久留美は逃げる。逃げるうちに、ロータリーを一周した。 がっ、踏み止まり、後ろ向きにジャンプ。 これはバレーボールの技。バックにジャンプして、空中で体を反転させるフェイントだ。 久留美は右手の刀を突き入れた。 ホンク・ハーンは余裕ではじいた。 ごん、久留美の左掌底打ちがホンク・ハーンの頭に当たった。兜がずれた。 これもバレーボールの技、一人時間差攻撃だ。右で打つと見せかけて空振り、左で打ち込むのだ。 よろめくところへ、蹴りを入れて着地した。 顎紐がほどけ、ホンク・ハーンの兜が落ちた。3メートルの巨体が崩れて、膝が地に着いた。 ガタン、2メートルの大剣が手から落ちた。 久留美は剣を取ると、足で一撃。真っ二つに折った。 「そう言えば、あたしゃ、話し合いに来たのよね」 むん、腰に手を当て、頭を清まして考えた。考えるのは苦手と思い出した。 「太志郎、聞いてる? 今、どこ?」 通信器を入れて呼びかけた。 呼ばれた男は、まだ千鳥ヶ池の岸で大の字になっていた。手も足も力が入らない。 久留美の声は聞こえていた。しかし、応えようとしても、口が動くだけ。声が出てこない。 一方、足利と三平は管制室の手前まで来ていた。 なかなか服が冷えてくれない。熱で頭がボーッとしている。 ドアの前に宇宙人が隊列を組んでいた。声をかけても、道を開けてくれない。じっ、睨み返された。 体力は使い果たしていた。腕づくで通る気力は無い。 壁に背をあずけ、通信器で鈴瀬を呼んだ。 ピーッ、警報があって、円盤からの信号が途絶えた。 「ジョニー、どうなったの?」 「ジョウ・ニーだ。オーバーロードしたようだな。炉の熱でエンジンを駆動してたけど、熱が高くなり過ぎて、焼き付いた」 「また、ここに落ちて来る?」 「速度は光の100分の1くらいだった。今は慣性飛行で太陽に向かってる」 百分の一、と聞けば遅いように感じた。でも、光の百分の一。秒速は3000キロ、地球を一周するのに13秒少々の速度だ。 ガンガンガン、ドアを叩く音。 鈴瀬もジョウ・ニーも、自衛隊員たちも振り向いた。 奥のドアは静かなままだ。入り口側のドアで音がした。 ガガーッ、轟音をたてて火花が飛んだ。モーターカッターがドアを切断し始めた。 「全員、戦闘用意!」 問田の号令。隊員たちが89式小銃を出した。十丁以上の機関銃が、ドアに狙いを付けた。 「待って、ここで撃ち合いはダメ!」 「そうだ。ここの機械が壊れたら、せっかく落ち着いたシステムが、またダウンしかねない」 鈴瀬とジョウ・ニーが隊員を制止した。 渋々ながら、問田は銃を下ろさせる。 「銃剣、用意!」 また問田は号令した。89式の銃口下に剣をセットした。昔ながらの銃剣戦闘のかまえ。 ガガガガ、火花が進む。管制室に薄く煙が充満した。 バーン、大きな音と共にパネルが落ちた。ドアに大穴が開いた。が、宇宙人たちは入って来ない。 銃撃戦で施設を破損したくないのは、向こうも同じらしい。 「対ガス装備!」 問田が号令した。隊員たちはガスマスクを出した。 マスクをかぶって、問田は負けを覚悟した。マスクの使用時間は、せいぜい半時間だ。その間に、ガスの領域から脱出するための装備。立てこもり用の装備ではない。 ジョウ・ニーは換気装置を回した。 ドアの向こう側、通路の排気を駆動した。煙がドアの穴から出て行く、部屋の煙が晴れてきた。 ぎゃわぎゃわ、ドアの向こうが騒がしくなった。 俺は負けたらしい・・・ ホンク・ハーンは痛む頭を手でなでた。 マリノスケの服を着た敵は、奪った剣を折って、後は攻撃をかけて来ない。何か、考えがあるようだ。ならば、こちらも考えて応じるべきだろう。 うおおおーっ、背後で雄叫びがあった。 どすどす、地響きと共に進み出たのはトンペ族のサマイクルだった。3メートルの柄の先に2メートルの鉾先の大薙刀、四本の腕で立つ。 「なによお?」 終わったと思っていた久留美は、新たな相手の出現に戸惑った。 イオマンテの儀式で、新成人は第一の矢を射る。後は、狩りのベテランである大人たちが熊にトドメを入れる。サマイクルがしようとしているのは、正にそれだった。 四本の腕と四本の足、10メートルの巨体が迫る。 久留美は逃げた。ロータリーを出て、まだ煙を上げる74式戦車を飛び越えた。足の速さなら、こちらが上だ。 サマイクルが大薙刀を振り回す。74式は砲身がふっ飛び、車体は三つ四つに分断された。 ホンク・ハーンは立ち上がり、二人を追う。待て、と声をかける時期を失っていた。 ゆるい坂道を上ると、橋だ。鋼鉄のアーチが橋桁を吊る旭橋である。 とおっ、久留美はバック宙返りで逆襲。大薙刀の柄を蹴り折った。 が、サマイクルは久留美の足を掴んでいた。薙刀を捨て、ぶんぶん、久留美を振り回す。 遠心力を付けて、放り投げた。 ごん、おおん、橋が揺れた。 久留美は橋桁を吊る支柱にぶつかった。ぐにゃり、H型鋼が曲がった。 服が装甲になって体を守ったが、思いっきり背中に痛みがきた。 「女の子に、何て事を。子供が産めなくなったら、責任取ってよ・・・」 久留美は冗談にもならない悪態を返す。 うおおおっ、サマイクルの四本腕が奇声で迫った。 でやっ、久留美は上へ飛んだ。 鉄の梁につかまり、橋のアーチの上に立った。川風を感じて、一息入れた。 石狩川の真上だ。川面から20メートル近い高さ、街がよく見える。昨日、突然に出現した2本の巨塔が隣り合って見えた。 サマイクルは吠えた。しかし、ジャンプしても手が届かない。 アーチが橋の両側で低くなっているのに気付いた。そこから、アーチを登る。 鎧の脛当てを、ひとつ引っかけて落とした。気にせず登った。 ギシギシ、アーチが軋んだ。 旭橋の頂点で。久留美とサマイクルは対峙する場面となった。 薄い雲が切れて、低くくなった太陽が顔を出した。 二人は真横から陽を浴びるかたち。 その時、太陽の隣に、もう一つ、強い光が現れた。太陽が二つ、並んで光っているかのよう。 ホンク・ハーンも戦いを忘れ、その光を見ていた。 「ジョニー、あれ、何?」 「ジョウ・ニーだ。炉が爆発したんだ。ま、安全距離で良かった」 管制室で、鈴瀬とジョウ・ニーは胸をなで下ろした。 爆発は月軌道をはるかに越え、地球と金星の軌道の間で起きた。直接的な影響は無いだろう。 わいわいがやがや・・・安心して、背後の騒がしさに気をもんだ。 前後のドアを破り、管制室になだれ込んだのはオンネフチ族だった。彼らは自衛隊員を蹴散らし、テーブルに残っていた焼き魚弁当に飛び付いた。今朝の天丼弁当の残りを見つけた。 また、ゴミ袋を破って、昨日のカツ丼弁当を見つけた。ただし、こちらは賞味期限切れ。 自衛隊のレーションがあった。これも彼らの腹に収まっていった。 意地汚い食べ方の連中だ。ジョウ・ニーと違う種族らしいが、食べ方は一緒だ。 さらに、一人が男山の酒瓶を見つけた。たちまち回し飲みとなり、酔っ払いたちの宴会状態となった。 とん、鈴瀬の背をつつく指があった。 振り返ると、オンネフチの一人が鎧の前を開けた。にへへへ、露出して笑っていた。 ばこっ、鈴瀬の蹴り。変態オンネフチは天井まで飛んで、宴会の渦の中に消えた。 「酔っ払いは、あっちもこっちも、やる事が同じね」 「すまん・・・」 怒る鈴瀬に、ジョウ・ニーは頭を下げた。 奥のドアから、足利と三平が入って来た。疲れた足取りだが、目はしっかりしている。 「ここは大丈夫そうだな」 足利は問田を見た。レーションの開封に忙しくしていた。 「外へ行きましょ。あっちは、危なそうよ」 鈴瀬の提案に、足利と三平は頷いた。 じゃね、とジョウ・ニーに手で合図し、三人は出口へと向かった。 もう一つの小さな太陽は、1分ほどで輝きが弱くなり、やがて消えた。 旭橋のアーチの上、久留美とサマイクルは改めて互いを見た。 鉄骨をきしませ、サマイクルは間を詰めた。4本足とは言え、高所の足取りは慎重だ。 久留美は飛んで逃げようとした。 「あれっ?」 ちょんと跳んだだけだった。飛べない、危うく落ちそうになった。四つ這いで体を支えた。 下を見て、足が震えた。梁の上から橋桁の路面まで、たっぷり10メートル以上ある。 手で触れると、服の背は破けていた。壊れてしまった。 4本の腕が迫った。 つかまる、と思った時、その腕が引いた。 太志郎がサマイクルに後ろから抱きついた。自分の腰回りほどもある首に手を巻き、力まかせに締めた。 4本の腕が、太志郎の腕を振りほどきにかかった。 服が筋力を増幅していても力は足りない。太志郎の腕から力が抜けて行く。 久留美はサマイクルの足を見た。4本足の1本に鎧の脛当てが無い。 がん、裸の脛を蹴った。 わおおっ、巨体が揺れた。 足場が細く狭い鋼鉄の梁の上だ。サマイクルは踏み外した。 どしん、4本腕の上体を梁にぶつけ、真っ逆さまになって落ちた。 ごごん、路面に頭から激突した。ぐにゃりと体がエビになり、ゆっくりと伸びた。 太志郎は下敷きになる寸前で逃げていた。 ホンク・ハーンが追って来た。 ううう、サマイクルは低くうなる。4本の手が震えていた。息はあるが、頭と首に重度の傷を負ったのは確かだ。 「エ・・・エポタム、エポタラクル!」 医者を呼ぼうとして、地上にいる者の中に、医療が欠けている事に気付いた。戦いの前衛にばかり目を向け、後衛を考えていなかった。 「仁台さーん」 太志郎は旭橋の両側に呼びかけた。堤防の常盤公園側から、仁台三佐が手を振って出て来た。 手招きしても、橋にまで来ない。太志郎が走って寄った。 「けが人が出ました。医者と救急車を」 「けが人・・・て、あれか?」 「まだ生きてます。お願いします」 「まあ、なんだ・・・武装解除してくれたら、我々に戦う理由は無い」 太志郎は念を押し、ホンク・ハーンへ走った。 仁台は通信器のスイッチを入れた。少し考えて、トレーラーとクレーンを手配した。あの巨体は救急車に乗るはずが無い。 ホンク・ハーンはサマイクルの枕元で、どっかと座り込んだ。心を静め、性急な行動を恥じた。 太志郎はホンク・ハーンの前に立ち、話そうとするが、言葉が頭に浮かばない。身振り手振りで、武装解除を申し込んだ。 ホンク・ハーンは脇に抱えていた兜を置いた。空の右手を上げ、降参と了解の意を伝えた。 太志郎がピョンと跳び、その手にハイタッチした。 おおーっ、旭橋の両岸側で歓声が上がった。 旭橋のアーチの頂上で、久留美はぽつねんと座っていた。 山の向こうの西の空に雲がある。 太陽が雲に没すると、街は急に暗くなった。もう夕暮れだ。 中心街は街灯が点かず、暗く見えた。いつもなら、夜空を照らすほど明るいのに。 空に星がまたたき始めた。金星か、木星だろうか。星占いの本は読むけれど、実際に星を見る事は少なかった。 下が騒がしい。クレーン車が到着した。 自衛隊の医療班がサマイクルの緊急措置をしている。首と肩に添え木をして、包帯で固定した。手足の数は多いけど、酸素を吸って二酸化炭素を吐き、体の7割が水分。人間と同じ系列の生命だ。 「何してんの?」 声に久留美は振り返る。太志郎がいた。 「降りて来ないから、みんな心配してるよ」 「降りられるものなら、とっくに降りてます」 プン、と口を尖らせた。 久留美のコートの背は、大きく裂けていた。飛べるはずはない。 西の空で太陽の残光が減り、暗くなってきた。 と、北の空で光があった。青や緑や、黄色が混じった光だ。 風に揺らめくカーテンのように、輝きは上へ下へ動く。地平線の向こう側で、花火大会をやっているかのよう。 「オーロラだ」 足利が上がって来て、言った。 炉が宇宙で爆発した余波が、ようやく地球に到達したのだ。極地ではない北海道で、オーロラが見えるのは珍しい出来事。 鈴瀬も来て、ひゅーと口笛を鳴らした。三平はカメラが無いと悔やんだ。 オーロラは1分ほどで消え、北の空にも星がまたたき始めた。 「さあ、降りよう」 足利が誘う。太志郎は久留美を横に抱えた、お姫様だっこの形。 意外に軽く感じた。服が筋力を増幅している。 「一度、してみたかった」 「良きにはからえ」 久留美は太志郎の首に手を回し、ほおにキスした。ナイトへのご褒美だ。 太志郎は飛んだ。今回は優雅に着地できた。 5人が揃って並んだ。仁台三佐が敬礼してきた。 「お疲れさま。ここらで、現場の指揮権を返して頂きます。足利先生、よろしいですね」 うん、と足利は軽く頷く。 「あたしらは、セイント部隊よ」 久留美がベルトのバックルを指して言った。かなりデザイン的に崩れた紋様だが、無理すれば「SAINT」と読めない事もない。 「ダサっ!」 鈴瀬が吐き捨てるように言った。 「せめて、セイント・フォース、チーム・シックス・・・くらい言ってよ」 「チーム・・・6?」 太志郎も久留美も首を傾げた。5人組だから、チーム・ファイブと言うべきだろう。 「はーい、わたし6人目ね。よろしく、チーム・シックス」 ジョウ・ニーが現れて、手を揚げた。確かに、腕輪を着けているのは6人だった。 そうじゃないよ・・・鈴瀬がため息をついた。アメリカ海軍の特殊部隊シールズの内で、最強と言われる隊がチーム・シックスなのだ。説明しようとして、通じないと諦めの心境。 「整列!」 仁台が号令をかけた。橋の上で手空きの隊員たちが仁台の後方に並んだ。 「セイント・フォース、チーム・シックスに敬礼!」 一斉に敬礼。 6人は少しうろたえた。で、それぞれにヘタな敬礼を返した。ホンク・ハーンも真似て右手を揚げていた。 数ヶ月後 冬が来て、また春になった。 旭川西高のビデオ部の4人は3年生になった。 あの腕輪は外せるようになったので、管制室のテーブルの引き出しに戻した。他の者が着けても、全く機能しない。何かのロックがかかっているようだ。 ジョウ・ニーは塔を地下に戻そうとした。でも、途中で止まり、地上に20メートルくらい残ってしまった。それで、特に問題も無く、塔は街の風景に馴染んでいる。 手の噴水は直されて、手の彫像は天を仰いで建っている。 エレベーターの穴も塞がれて、埋められた。その部分だけ舗装が新しいから、それと分かるくらい。 目覚めている宇宙人たちは、自衛隊の旭川駐屯地にいる。キムン族やトンペ族は大柄なので、彼ら用の建物が急ピッチで工事中だ。 ホンク・ハーンは自分たちが絶対的に少数だと自覚し、地球全土を直接支配するのは不可能と悟った。今は日本を盛り立て、世界を裏から支配しようと企んでいるらしい。 あの事件以来、旭川の街では外国人の姿が目立つ。英語、ロシア語、中国語、世界中の言葉が聞ける街になった。リピーターが多いし、動物園だけが観光目的ではないだろう。 石狩川の堤防を、丹根太志郎は歩く。いつもの通学路だ。 少し後ろで、可児三平が小型ビデオカメラで何かを撮っている。あれだけ四六時中カメラを動かしていれば、いつか、隕石の落下すら撮れるかもしれない。 ふと、空を見上げた。 次の危機は空から、と志野茶鈴瀬は予言した。 地下の施設は強力な電波を発信した。彼らの母星へ、施設の危機と回復を報じたはずだ。二度も危機を克服した事実を、どう母星は判断するだろう。 彼らの母星が地球に接触を試みるとしたら、どんな方法だろうか・・・ 考えても、答えは無い。今の自分にできる事は、来年の進学の準備だけだ。まず、目の前の問題から片付けるしかない。 また、太志郎は歩き始めた。 「あじゃぱあ、お先にっ」 沖久留美が自転車で追い抜いて行った。 置いて行かれてたまるか・・・太志郎は走った。あの暴走姫を守るナイトは、この丹根太志郎だけだ。 |
< おわり >
後書き 登場人物の名前は、基本的にアイヌ語に由来します(星野とジョウ・ニーは除く) ホンク・ハーンは、ホンカンをモンゴルっぽく言い換えたものです。 正統ヒーロー物のつもりだったけど、敵も味方も、一人も死んでない。平和な話しになった。 2014,10.7 |