妖星ノストラダムス
その小惑星は海王星族と推定されていた。 土星と木星の引力摂動で軌道が変わり、内惑星軌道へと落ちて来た。 発見されてから、軌道の確定に1年以上の時間が費やされた。そして、地球と衝突コースにあるとされた。 人々は小惑星をノストラダムスと呼んで恐れるようなった。 さらに1年後、数十万キロの距離で地球を逸れる事が判明した。しかし、月との衝突が危ぶまれた。 半年後、月と数百キロの距離ですれ違う事がわかった。またしても、終末の予言は外れたようだ。 その年の初めての満月の夜、ノストラダムスは月の裏側をかすめて通る・・・はずだった。 20XX年1月 「いってらっしゃい」 妻の恵美子に送られ、平田明彦は玄関を出た。 出てすぐ、向かいの呼び鈴を押した。 「ぼんじゅー」 「オハヨゴザイマース」 不器用なフランス語となまった日本語が交差して、ジュール・ブリューネが出て来た。二人は並んで階段を降り、官舎のアパートを出た。 道を歩くと200メートルで正門に着いた。横の職員用通用口から入る。 「あけましておめでとう」 守衛と新年の挨拶を交わした。 ここは青森県下北半島の根元にある六ヶ所村、そこの原子力燃料処理施設だ。原子力発電所から出た使用済み核燃料を処理し、再濃縮して燃料として再生する施設。 着替えて詰め所へ行くと、すぐ声をかけられた。 「平田さん、いよいよ定年だね」 ブリューネが驚いた顔で見てきた。そんな年とは思ってなかったようだ。 平田は薄くなった頭をなで、笑みを返した。8月で60才になる、孫が小学校に通う年頃なのだ。 8時の10分前、講堂に集まり、芹沢所長から年始の訓話を聞いた。当たり障りの無い、官僚らしい言葉の羅列だった。 おれがいる間には、ついに平常運転にはならない。それを確信した。 六ヶ所村施設は試験運転が続いていた。出来てから、一度もフル操業になった事が無い。施設を維持するために、最低限度の運転をしているだけ。それが試験運転と呼ばれていた。 ここは政府が原子力を推進していた時代のなごりである。フランスの協力で作られた。ブリューネのようなフランス人技師がいるのは、そのためだ。しかし、2011年、あの震災で政策は転換し、原子力発電は安楽死へ向かっている。原発の新設は無く、寿命で運転を止める所が相次いでいる。いくら使用済み核燃料を再生しても、それを使う原発は少なくなるばかり。 同じ敷地内に、放射性廃棄物の貯蔵と埋設をする施設があり、そちらの方はフル稼働の状態である。 昼休み、詰め所で愛妻弁当を開いた。胃が小さくなり、女用弁当箱を使うようになって5年経つ。 テレビは接近する小惑星ノストラダムスの話題ばかりだ。 「いよいよ、今夜、ノストラダムスが月の裏側を通過します。予想時刻は、午後8時20分頃です。満月の夜の天体ショーに天文ファンは盛り上がっています」 画面が青白く光る小惑星の写真になった。 「昨日のノストラダムスです。周囲がぼやけているように見えます。これはノストラダムスから蒸発した水分など、実は彗星なんです。彗星の尾は後ろに隠れて、今はほとんど見えない状態です。とは言え、核の直径は200キロ、長さは300キロ以上。歪んだラグビーボールかピーナッツのような形をしています」 女性アナウンサーが語り、また男性のアナウンサーが語った。今時のニュースは漫才を見ている気になる。 「ノストラダムスは地球軌道を通過後、太陽に向かって落ち、消滅すると見られています。ただ一度の彗星と言う訳です」 ただ一度・・・平田の耳には、妙に残る言葉だった。 5時過ぎ、官舎に帰ると、ブリューネの細君シルビーが来ていた。名前のまま、金髪が美しい女性。 「今夜はノストラダムスを見ながら、ミニパーティしましょ」 恵美子がうれしそうにテーブルを準備する。ここはアパートの2階、東側の窓から、月の裏側を通るノストラダムスが見えるはずだ。 反論もできず、平田は窓を開けた。この季節、すでに東の空は暗い。星がまたたき始めていた。 六ヶ所村は太平洋に面している。高台にある官舎からは、直に東の水平線を臨めた。 7時が過ぎた。 テーブルの上には、田舎風の和食とフランス風のちゃんぽんな料理が並んだ。電灯を落として、燭台のロウソクの灯りだけにすれば、気分だけは豪華に感じた。 ブリューネはワインを持って来た。平田は酒に弱い、ソーダで割ってもらう。 「あ、お月さま」 恵美子が窓を指して言った。水平線の雲間からオレンジ色の月が顔を出した。 「ノストラダムス・・・て、フランス人だよね」 「ウイ、本名はミシェル・ノートルダム。敬虔なカトリックの人よ」 キリスト教は、厳密には予言や占星術を禁じている。なのに、ノストラダムスの預言が広く知られている。大いなる矛盾だ。 月の高度が上がって、色が黄色くなり、白くなってきた。同時に、水平線から明るい星が現れた。 「あれよ、ノストラダムスよ」 恵美子が言った。皆が東の窓へ行く。 平田は双眼鏡を出した。光が強いだけでなく、はっきり形を持つ天体が見えた。 ブリューネがタブレットを操作して、天文学論文を開いた。 「ヒラタ、こんな事を書いてる人がいる」 それは彗星ノストラダムスが分裂する危険を説いていた。 太陽、地球、月が一直線に並ぶ満月の夜、ノストラダムスは月の裏側を通る。強力な潮汐力が彗星にかかり、分解を促す。進行方向に分解した場合、シューメーカー・レヴィ第9彗星のように一列に並んだ彗星になるだろう。 しかし、進行方向に対し直角に分解すると事態は別だ。半分は地球から急速に遠離る。もう半分は月をかすめて、地球に落ちて来る場合が想定される。速度は秒速15キロ以上、分解して2日後、それは地球に衝突する。破滅の日が訪れる・・・と。 「確かに、でっかい塊のまま来たら、人類は終わりだ。直径は200キロあるし、恐竜の絶滅以上だな」 平田は首を傾げた。 「でも、彗星が分解するなら、もっと粉々になると思うよ。小さな無数の隕石が降るだろうな」 「どうなる?」 「君とぼくは、別々の隕石に当たって死ぬ。つまり、数秒か数分、時間差がある・・・かもしれない」 むむ、ブリューネは口をつぐんだ。 「イッキビン、ドゥム・・・」 フランス人のくせにドイツ語でうなった。彼の生地はフランス北東部、パリよりドイツとの国境の方が近いらしい。 「わあ、もうすぐ重なる」 恵美子の声に、二人は視線を窓へもどした。 シルビーがテレビを入れた。 画面一杯に月が映った。月は高度を上げ、次第に画面から外れて行く。追いかけるように、画面下からノストラダムスが入って来た。 平田は双眼鏡で月を見ていた。 「間も無く、ノストラダムスは月の裏側へ行きます。直径200キロ長さ330キロとは言え、直径3500キロの月と比べると小さい。隠れている時間は約4分です」 のんきなアナウンサーが天体ショーを語る。 ノストラダムスが月の陰に隠れた。テレビは屋外で天体望遠鏡を並べる人々に変わった。 ブリューネが月を見ながら、またワイングラスをかたむけた。 「ヒラタ、賭けるか?」 「何を?」 「一つのまま現れるか、二つになってるか、いっぱいになってるか」 あはは、笑いだけを返した。 「さて、もうそろそろ現れる頃ですが」 テレビの声。平田は双眼鏡を月に向けた。 月の陰から青い星が飛び出すように現れた。次いで、何か小さな星が現れた。小さな星が次々と出て来た。 「ヒラタ、いっぱいになった!」 「まず二つになって、地球側のやつが月の朝夕力で、さらに分解した・・・と言うところか」 あははっ、恵美子がテレビを見て笑った。小さな星は太陽光を不規則に反射し、宝石がきらめくように見える。 簡単に暗算してみた。直径200キロの天体が分解して、直径10キロの隕石になるとすると、その数は4000コ以上にもなる。恐竜が4000回絶滅しても、まだ隕石が余ってしまう数だ。一つだけ落ちただけで、人類は滅亡の危機に直面する。 窓を閉め、イスに腰を落とした。 そうだ、と手を打った。ノートパソコンを出し、スイッチを入れた。 「昔、対隕石用の爆弾を考えた事がある。この六ヶ所村で手に入る材料で作るんだ」 「どんな?」 ブリューネが画面をのぞき込む。平田はファイルを開いた。挿絵入りの文書だ。 六ヶ所村にある材料で作る爆弾とは、原子爆弾である。ここには使用済み核燃料を再処理、再濃縮する設備がある。発電用ウランの密度は5パーセント以下だが、爆弾用に50パーセントほどまで濃縮する。この密度で爆発的な連鎖反応を起こす臨界質量は、約50キロだ。六ヶ所村の施設をフル稼働して、3ヶ月ほどで得られる。 手っ取り早く作らねばならないので、構造が簡単なガンバレル式を選択。昭和20年8月6日、広島に落とされた原子爆弾、リトルボーイがガンバレル式原爆であった。 六ヶ所村には陸上自衛隊の駐屯地がある。120ミリ砲か155ミリ砲の砲身を借用する。どうせ使い捨てるので、中古の砲身で十分だ。砲身の砲底側3メートルから4メートルを切って、爆弾の本体とする。 砲弾を2コ用意する。先端を切り落とし、中の火薬は抜く。砲弾の底には中性子反射材を敷いておく。砲弾の頭には、爆発用ウランを二つに割って付ける。砲口側に溶接して固定する砲弾はターゲットと呼ばれる。砲底側に薬莢付きでセットする砲弾はプラグと呼ばれる。二つの砲弾が砲身の中で超音速で衝突して、核反応が始まる。大量の中性子が発生して飛び散る。砲弾の底の反射材が、中性子を核反応の中心へ反射し、核反応を促進する。 砲身の横方向にも中性子が飛ぶ。核反応中心から球状に反射材を配置しておく。球の直径は1メートル以内で十分。六カ所で最も大量にある中性子反射材は、使用済み核燃料ペレットだ。ペレットを配置した球は、放射線遮蔽材で覆う。 かくして、長さ4メートル、最大直径1.5メートルほどの原子爆弾が出来る。爆発力はTNT火薬で10キロトンから20キロトン。爆発力は反射材に強く依存するが、使用済み核燃料ゆえに品質は一定ではない。 数トンの重さの原子爆弾を日本のH-Ⅱロケットで打ち上げる。高度3万キロの静止軌道で隕石を迎え撃てば、地上へ核爆発の影響がおよぶ心配は無い・・・はずである。 ははは、ブリューネは足をたたいて笑った。 「中古品と廃物で原子爆弾が、フェアリュックト!」 またドイツ語が出た。しかし、すぐ真顔になった。 「隕石は2日で来るよ、間に合わない」 「こっちは作るのに3ヶ月もかかるんだけど、ねえ」 平田はため息をついた。 テレビでは、アナウンサーがヒステリックにわめいている。知識も対策も無く、ただ驚きと恐怖を口にしていた。 気がつくと、シルビーの姿が無い。帰った、と恵美子が言った。 「ヒラタ、このファイルを下さい。自分でも研究してみたい、あと2日だけど」 ブリューネが言った。平田はUSBメモリーにコピーして渡した。 「シルビーが心配、ボンソワー」 メモリーをポケットに、ブリューネが帰った。部屋が静かになった。 テーブルに残った料理を口にした。ガレットはそば粉を使うフランス料理、日本人の舌になじみやすい味だ。 「これからどうなるのかしら」 「まだ、何もわからないな」 妻の問いに、平田は平静を装って答えた。 テレビには月が大写しになっている。ノストラダムスの片割れが飛び去り、砕けた破片が雲のように月にまとわりついていた。見かけ上の相対位置が変わらないのは、こちらに向かって一直線に飛んでいるか、逆に遠離っているか。良い予想はできない。 翌朝、向かいのドアホンを押したが、反応が無い。郵便受けに書き置きがあった。 あの後、ブリューネは妻と成田へ走った。一番の飛行機でフランスへ帰るつもり、飛んでいれば。彼は職場放棄をした。 平田は一人で、いつも通りの時刻に出勤した。 詰め所でブリューネの帰国を知らせた。誰も驚かず、黙して納得した風だ。 8時前、芹沢所長の特別放送が流れた。 「本日の操業は中止、全施設の閉鎖準備にかかれ。何が起ころうと、放射性物質が外部に漏れ出ないよう、万全を期すべし」 ごくり、平田はつばを呑んだ。 いつもなら、施設閉鎖も訓練の内だ。しかし、今回は違う。 昼休み、詰め所で弁当を開いた。いつものように具沢山な盛りつけだ。 皆は食欲よりテレビにかじりついた。 「ノストラダムス彗星が砕けた破片は、月軌道を越えました。破片の群れは直径1000キロほどに広がり、秒速10キロで地球へ向かっています。あと3日で地球に来ます。これまでの観測では、わずかに地球を外れるようです」 おお、皆の声が出た。安堵の顔が広がった。 平田は首を振り、黙々と食べる。 「秒速10キロ・・・まずいなあ」 思わずグチが出た。 ノストラダムスは秒速15キロ以上で飛んでいた。砕ける時か、砕けてからか、大きく減速したようだ。 速度が第2宇宙速度を上回っていれば、破片は地球を通過して、宇宙の彼方へ飛び去る。しかし、秒速10キロでは第2宇宙速度に達しない。破片は地球周辺に留まる事になる。そして、月と地球の重力摂動を受け、いつか地球に落ちて来る。 「NASAでは、国際宇宙ステーションのクルーに退避命令を出しました。間も無く、ソユーズが帰還の途につきます」 ニュースは世界の反応を伝え始めた。 「政府は隕石の落下災害に備え、自衛隊に出動準備命令を出しました。予備自衛官の招集も検討されています」 翌日の夜、平田は恵美子と空を眺めた。 「あ、流れ星よ」 小さな星が流れたと思えば、また星が流れた。 「ノストラダムスの先駆けだな。秒速15キロのまま、減速せずに飛んで来たやつだ」 破片群は地球と月の重力で細長く伸び、夜空の一角を占め始めていた。 あと2日、直径10キロを超える大物が地球の上に来る。天を巡るロシアンルーレットが始まった。 2月 どどーん、雷のような轟音が官舎を揺らした。 平田は身を起こした。時計は午前4時過ぎ、冬と言うのに窓の外は明るい。 カーテンを開けると、東の空に光の柱が立って山と街を照らしていた。 光の柱に見えるのは輪だ。ノストラダムスの破片が地球周回軌道に入り、赤道付近に輪を作った。輪が水平線下にある太陽光を反射して、夜を短くしていた。 時折、輪から隕石が落ちて来る。燃え尽きずに高度1万メートルくらいまで来ると、隕石は大きな衝撃波を発生させる。 「あなた、さっきの音は?」 「たぶん隕石だ。近くには落ちなかったようだ」 恵美子が起きてきて、平田の背にすがりついた。接する肌が温かい。 新しい日常に、まだ慣れない。 6時、朝の天気予報を見た。 気象衛星の写真を前に、予報士が解説をする。いつもの放送だ。 「高度3万6千キロの静止衛星から写した地球です。赤道の下側に、うっすらと黒い帯があります。ニューギニアやインドネシアにかかり、幅は数百キロもあります。ノストラダムスの破片が作った輪の影です。影のさらに下の島や雲がボケて見えます。これが輪の本体です。今後、地球の気象や大気の運動に、影響が出て来ると思われます」 去年までは無かった要素を語り、予報士は首を振る。長期予報が難しいらしい。 ふう、平田は息をついた。 「定年は8月だけど、少し早く退職しようかな・・・」 ぼそりと漏らした。 「辞めて、どうするの?」 「旭川に帰る。いつ、頭の上に隕石が落ちて来るかわからないし。どうせなら、ね」 恵美子が顔を明るくした。 二人は北海道の大雪山の麓、旭川に育った。家は近く、兄と妹のような仲だった。 「お父さんとお母さんも喜ぶわ」 正月にも帰っていたが、定年後の事は特に話さなかった。親は弟と息子にまかせっきりだ。80才を過ぎて、両親は急に小さくなっていた。 朝食の後、トイレで時間をかける。出勤前の儀式だ。 新聞を読みながら、ゆっくり便意を待つ。NHKが放送衛星を断念、が一面の記事だった。隕石が衛星を壊したらしい。新規の衛星を打ち上げても、現状では安定した運用が不可能との判断だ。 気象衛星も危ない。いつまで保つやら。 今朝は快調に終えた。トイレを出ると電話が来た。芹沢所長からだ。 「今日は、わたしと東京へ出張だ。迎えに行くから、準備して待ちたまえ」 「わたしのような下っ端の技術職が、所長とですか?」 「向こうが君を指名して来た。これは職務命令だ」 電話を切り、恵美子と顔を見合わせた。 妻のスイッチが入った。カバンを出し、背広を用意し、チリ紙にハンカチを出した。出張だからと、歯ブラシとタオルも出す。 ワイシャツを着るのは久しぶりだ。ネクタイの曲がりが直らぬうちに、ドアチャイムが鳴った。 「車を待たせてある。行くぞ」 芹沢所長の命令で玄関を出た。恵美子も続いて階段を降りてきた。 官舎の前にあったのはカーキ色のジープ、自衛隊の車だ。敬礼でドアを開けられ、平田は恐縮した。 心配顔の妻に、平田は作り笑いで手を振った。 ガタゴト、固いシートで尻と腰に痛みが来た。 「なぜ、わたしが?」 電話で聞けなかった疑問を、また所長にぶつけた。 「君はネットで有名人だから・・・だろうな」 「有名人、わたしが?」 芹沢所長がカバンからタブレットを出した。少々検索して、渡してくれた。 平田は画面を見て、絶句した。自分の顔写真がカラーで出ていた。続く文章は、中古と廃品から作る原子爆弾だ。 「な、な・・・なぜ?」 「書いた覚えは、あるだろう。今朝、わたしも知った。たった3ヶ月で原爆を作る、とんでもない事を書きよって」 家のノートパソコンに同様の文書はある。しかし、ネットには接続していない。ウイルスで漏れるはずは無い。 他人に見せた事も、コピーを渡した事も・・・一度だけ、ジュール・ブリューネだけだ。 「あいつか!」 ああ、平田は口が閉まらない。 「身に覚えがあるようだな。ちゃんと責任を取れよ」 芹沢はタブレットを取り返し、カバンに入れた。 平田は頭をかかえた。国家機密漏洩の罪で逮捕されるか、と背筋に寒気が走った。 車は三沢基地に着いた。 航空自衛隊のゲートから入り、滑走路の横へ行く。待機していたのはC-2輸送機だった。 座席は貨物室の壁に据え付けられていた。横座りだ。シートベルトをすると、すぐに離陸した。 飛行高度は約5000メートルと説明があった。隕石の影響を避けるため、ジェット機が高度1万メートル以上を飛ぶのは禁止されている。 窓からは、太平洋の海岸線が間近に見えた。寄せる白波がわかった。 GPS航法衛星に障害が出ているらしい。常に地上を見て、自己位置を確認して飛んでいた。 茨城の百里基地に着陸、ヘリコプターに乗り換えた。 平田は落ち着きを取り戻した。こんな待遇なら、逮捕や刑務所行きは無いだろう。 ヘリの窓から東京が見えてきた。 と、上空に光が横切った。隕石の落下だ。衝撃波をうけたのか、ヘリが大きく揺れた。 地上にいれば、耳をつんざく轟音が聞こえたかもしれない。 降りたヘリポートは皇居の近く、首相官邸の屋上だった。 エレベーターで深い地下へ降りた。と、また金庫のような扉があった。 六ヶ所村の施設にも同じような扉がある。あれは防曝ドア、放射線や放射性物質が外部に漏れ出ないようにする。 こちらの扉はヒンジ部が大きく頑丈そうだ。衝撃に対する備えか。隕石の直撃を想定していたにしては、対策が早過ぎる感じがした。 会議室へ案内された。すでに大勢が着席していた。外国人の顔もある。 平田明彦の名札の席に座った。 「加藤総理大臣、入室」 号令があり、皆が立ち上がった。平田も遅れて立った。 加藤鷹士総理大臣、黒田なんとか防衛大臣、吉村なにがし文部科学大臣、島袋むにゃむにゃ外務大臣が現れた。4人とも生で見るのは初めて。 総理が軽く会釈して座る。皆が座った。となりの芹沢所長に袖を引かれ、平田も座る。 一人が立ち上がった。自衛隊の制服を着ている。 「航空自衛隊、藤田晋一等空佐です。本日は、日本スペースガードを立ち上げる予備会合にお集まりいただき、感謝いたします」 スペースガード・・・聞き慣れない言葉を、平田は口の中で復唱した。 「これは、我々がSG-1と呼んでいる物です。弾道ミサイル迎撃システムを拡張して作りました」 壁面にスクリーンが出て来て、映像が映った。 一緒に映る人間から、それは高さ5メートルくらい、直径は2メートルほどか。画面に説明の文字が出た。 一番上は誘導装置、複数のカメラとレーダーからなる。真ん中の三角コーンが衝突体、重さは約3トン。鉄とアルミの複合体で、固さと質量で目標を破壊する。一番下はロケットエンジンだ。SG-1の総重量は4トンあまりとなる。 「一昨年に完成しておりましたが、実験の機会も無く、倉庫の片隅に仕舞われておりました。今月、打ち上げ予定の衛星が中止となり、空いたH-Ⅱロケットが使える事になりました。標的の選定はNASAの協力を得て、誘導はJAXAとの共同作業になります」 藤田一佐が座り、別の者が立った。 「JAXAの弦川です。H-Ⅱは打ち上げ後、第2段が傾斜角40度の楕円軌道に入ります。ここからノストラダムスの輪をかわし、高度2万キロ付近の標的を目差します。H-Ⅱの第2段目には新たにカメラを設置し、SG-1の切り離しから命中までを監視します」 弦川が座る。少しの間、沈黙が流れた。 「で、効果はどれほどか?」 加藤総理が口を開いた。藤田が答えた。 「今回、標的とする軌道上の隕石は、直径3キロから5キロの物を予定しております。衝突時の相対速度は毎秒10キロです。どれほどの威力があるかは、当ててみなければ」 「3キロや5キロもの大きさの物に、あんな小さな物を当てるとは。やる前から、結果は知れているだろう」 総理のとなりから声が出た。 「まずは、当てられるか、と言う技術確認が第一です。SG-1衝突体が効果無しと判断されれば、平田氏の原子爆弾の出番です」 藤田が言うと、スクリーンの画は平田が描いた原爆になった。ブリューネに渡したファイルの挿絵だ。 「す、すみません」 平田は手を上げ、立ち上がった。皆の目が集まった。 芹沢所長が袖を引き、ネクタイを注意してきた。平田は背広の外に出ていたネクタイを中に入れ、総理に向かって言う。 「あれは・・・ですね、わたしは原子力施設に勤める者ですが、兵器は素人でして。そんな素人が空想で書いた物なので、本当に核爆発が起こるかは、全く保証できないので」 「大丈夫、きちんと爆発します」 テーブルにアメリカの国旗が立っていた。マーチン中佐が手を上げ、平田に笑みを投げた。 「我が国の技術部に問い合わせました。あの構想図でいけます。ただし、爆発力の下限は7キロトン程度、と修正があります」 平田は部屋を見渡した。テーブルにはアメリカ国旗とフランス国旗もある。 「原爆なら、アメリカもフランスも一杯持ってるはずです。使うのも慣れてるはず・・・では」 「こちらにも、色々と事情があります。法律や軍事情勢や国際条約の縛りで、動くに動けないのです。まずは、日本に先鞭を付けていただきたい・・・と思っています」 原爆の使用は、なにより政治が優先するらしい。アメリカは日本にババを引かせるつもりだ、疑いばかりが胸にふくらんだ。 藤田が立ち上がった。 「平田氏の原子爆弾は、今日的には非常識な作りです。重いし、大きいし、その割りに爆発力は小さい。どう運用すべきか、軍人は悩むはず。でも、それが良い所でもあります。軍事転用が不可能な爆弾なればこそ、対隕石用と胸を張れるのです」 非常識と言われた。たぶん、誉めてるのだろう。胸元がかゆくなった。 「六ヶ所村の施設で、ウランを50パーセントに濃縮する事は可能なのか?」 また総理が疑問を出した。芹沢所長が答えた。 「可能です。施設の計画当時から、原発用の燃料は濃縮度が上がる方向にありました。核燃料の交換時期を延長するためです。その備えとして、濃縮の上限は50パーセントと設定されていました。ただ、最近の兵器用とされる濃縮度は80パーセントから90パーセント以上です。こちらの濃縮度は、現在の設備では不可能です」 「どれくらいの時間が要るかな?」 「備蓄している5パーセント濃縮の燃料から行えば、施設をフル操業して、最短で3ヶ月です」 ほう、会議室の一同が息をもらした。 「SG-1の機能確認が第一です。原子爆弾は、あくまで第二案であります」 藤田が確認を求めて言った。総理も肯いた。 「もしも、SG-1が良しとなったら、原爆は中止ですね。計画そのものが、無かった事にしましょう」 加藤総理は両手の人差し指を重ね、小さなバツ印を作った。そこで会議は終わった。 芹沢所長はフランス人と話し合いに入った。ウランの濃縮度を50パーセントに上げるには、また細かい手順の調整が必要だ。 平田は別室に案内された。陸上自衛隊の士官が待っていた。 「村松一等陸尉です。爆発物処理第131小隊を指揮しています」 ていねいな敬礼で自己紹介して来た。アメリカ風に言えば大尉の階級、キャプテン・ムラマツだ。 今後、平田は村松隊と行動を共にする。その辞令を受け取った。 エレベーターで地上に出た。自衛隊のジープで首相官邸を後にした。 ジープを運転するのは、第131隊で最も若い星野二等陸曹。高速常磐道で茨城県に向かう。 「我々の部隊は東海村に駐屯しております」 「東海村なら、原子力研究所が」 「その敷地の一部を借りております」 村松は笑顔で言う。 爆発物処理第131小隊は日本で唯一、核不発弾を専門に扱う部隊だ。 冷戦の最中、ソビエトは日本を標的とする短距離弾道ミサイルを大量に配備した。彼らの技術水準を測り、ミサイルが発射された場合、かなりの確率で不発弾が発生すると予測された。ソビエトが倒れ、ロシアになっても、ミサイルは残った。中国が核武装し、北朝鮮も核武装に邁進している。不発弾の確率はソビエト以上と推測できた。戦争勃発時には、第131小隊の役割は大きいはずだ。 半世紀を超える時の中で、小隊が出動したのは一度だけ。東海村で起きた核臨界事故だ。 あの時、核物質が臨界に達して連鎖反応が起きた。しかし、液体だったので、核物質は瞬時に蒸発して四散した。それで反応は終わった。部隊は現場にいた被害者を救助し、連鎖反応が起きたバケツを回収した。 「2液混合式の液体原子爆弾を、それと知らずに作ってしまった事件でした」 村松は語り、口を閉じた。二度と原爆にかかわる出動は無い、と思っていた。 高速を降りて東へ走る。東海村へ入った。 原子力研究所の正門から中へ行く。 奥の四角い大きな倉庫が自衛隊だった。看板を見なければ、そうと気付かないだろう。 ブルドーザーやバックホーなどの土木機械があった。キャビンが鉛の板で囲われた防曝仕様、核不発弾処理部隊のための装備品。 「六ヶ所村の施設でも、事故を考えると、欲しい装備だなあ」 平田は機械をながめて言った。 おっ、壁に吊された防曝スーツを見て声が出た。爆弾処理隊の映画で見た事があったが、あれよりゴツい作りだ。 「頭から手足の先まで鉛入り、対放射線仕様です。総重量は40キロあります」 「40キロも。そんな重いのを着たら、歩けなくなる」 「あれを着てから、これを着ます。合わせて80キロ近くなりますよ」 村松が指す方を見ると、酸素ボンベに気密マスクがある。 そして、電動外骨格スーツがあった。着る者の手足をモーターアシストして、重量物を軽々と動かせるようにする。 介護やリハビリで使うところを、テレビでは見ていた。本物を見るのは初めてだ。 「マンハッタン計画と違い、我々の計画には予算の限りがあります。ある物、使える物は、何でも持ちだしてやらなくては」 翌日、第131小隊は六ヶ所村駐屯地へ移動が布告された。 3日間の出張から六ヶ所村に帰った。 以前とは景色が違って見えた。実際、変わったのは平田の方なのだ。 平田は意を決して、妻に言った。 「恵美子、君だけ、旭川に帰れ。ぼくは、まだ帰れない」 原子爆弾の事は口が裂けても言えない。 妻は黙して同意してくれた。兄と妹のように育った二人だ、言わずとも通じるところはある。 その翌日、平田は車で青森へ行った。助手席には妻の恵美子がいた。 新幹線のホームで二人は別れた。恵美子は北海道へ旅立った。 「くやしいけど、おれは男なんだな」 昔見たアニメのセリフを口にしていた。 また六ヶ所村へ一人で走った。ラジオがSG-1の種子島到着を報じた。 平田が通う先は、陸上自衛隊六ヶ所村駐屯地になった。 駐屯地外れの倉庫が、第131小隊の詰め所として割り当てられた。ガランとした中に、155ミリ砲の砲身がメンテ用の架台に乗っていた。 平田の目は砲身より架台の方に向いた。 「この上で、原爆を組み立てできそうだ」 「いいですねえ。専用の物をゼロから作るより、早いし安いし・・・うまく行きそうだ」 村松が平田の提案を受けて破顔した。 「でも、放射性物質を扱うから、こんなオープンな環境はまずいよ」 「心配はありません。あれを使います」 村松は東海村から持ち込んだコンテナを指した。中は、原爆解体室だった。 六面がぶ厚い防曝壁で作られていた。窓ガラスも鉛入りの防曝仕様だ。 核不発弾は地上に激突した時、ケースが壊れて、中の放射性物質が露出している危険がある。落下現場で回収した爆弾を、これに入れて解体するのだ。四人が八本のマジックハンドを使い、ネジを外し、ワイヤーを切る訓練を積んでいた。 「通常の爆弾と違い、原爆は爆破処分ができません。危険はありますが、手間をかけて分解するしかありません」 今は爆縮型原爆が主流だ。ケースを解体して、中身を出したら、液体窒素で凍らせる。爆縮レンズを構成する火薬を、中心のプルトニウムコアから丁寧にはがす。極低温で凍らせておけば、収縮率の差からプルトニウムと火薬は剥離しているはずだ。 「我々の分解技量を逆に使い、原爆を組み立てる事になります」 防曝壁の中には長崎に落とされたマーク3ファットマンの模型があった。ファットマンは史上最初のプルトニウム爆縮原爆である。長さ3メートル以上、最大直径は約1.5メートル、重量は5トン弱。平田が構想した原爆に近い寸法だ。 「口さがない人たちは、種子島が自衛隊にジャックされた、と言ってはばかりません」 アナウンサーが皮肉混じりに語る。 テレビは発射台のH-Ⅱロケットを映していた。 「海ではイージス艦が、空では空中レーダー機AWACSが飛んで、隕石を警戒しています。種子島が自衛隊に包囲されています」 自衛隊が守っているのか攻めているのか、分からなくなる言い方だ。彼らの心中がうかがえた。 「点火・・・3・・・2・・・1・・・離陸」 白煙を引いてロケットが発射台を離れた。たちまち雲間に消える。 人工衛星の追跡は日本独自には行えない。アメリカやフランスの協力が不可欠なところ。 1時間後、SG-1が衛星軌道にあると確認された。まだH-Ⅱの第2段目は付いたままだ。 3時間ほどして、第2段のエンジンが再点火、一気に高度を上げる。 第2段が燃料を使い果たし、エンジンが止まった。SG-1が切り離された。 JAXAは慣性飛行の第2段のカメラを操作し、離れるSG-1を追跡する。一方、SG-1の誘導は自衛隊の仕事だ。管制室は東京の防衛省内に作られていた。 構内電話が鳴り、村松が出た。 小隊の皆が注目する。村松は難しい顔で電話を置いた。 「諸君、SG-1は標的の隕石に命中した。しかし、標的に変化は見られない。我々の出番だ」 ふう、誰かが息をもらした。 いよいよ本当に原爆を作る事になった。 平田はテーブルで図面を開いていた。SG-1が隕石を砕いていれば、今ここで、破って燃やしてしまうはずの物だった。 3月 テレビに着陸する大型機が映された。ボーイング747型を改造し、機首にレーザー発射機が付いていた。 画面はアメリカ大統領補佐官の記者会見に変わる。 「3日にわたり、ABL-1がワシントン上空をパトロールしましたが、隕石はレーザーの射程内に入りませんでした。また、現在のミサイル防衛システムは隕石に対して有効に機能しない、との結論に達しました」 おお、会見場の記者から失望の声が出た。 第1の理由は、隕石とミサイルの速度差。 弾道ミサイルの弾頭は、秒速6キロから7キロで大気圏に再突入する。ミサイル防衛網のレーダーは、これを追跡するために作られた。隕石が大気圏に入る速度は秒速10キロから15キロ、速過ぎて追い切れないのだ。 第2の理由は、隕石とミサイルの質の差。 ミサイル防衛網のレーダーは金属製の飛来物を追跡するよう、周波数が選択されていた。落下する隕石が石質や金属質なら、今のレーダーで探知できた。が、ノストラダムスの輪から落ちて来るのは氷質隕石が多く、今のレーダー周波数では探知が難しい。 「隕石の速度に対応させるには、コンピューターのソフト変更だけでは無理と判明しました。レーダーの周波数を変えるのは、新たに作るのと変わりません。ほとんどゼロから再構築です。もちろん、構築の手は休めませんが、別の道を探す努力も開始しました」 記者が質問の手を上げた。 「別の道とは、具体的に何を指すのでしょうか?」 「今、言った通り、別の道です」 会見は終わった。 「普通のミサイルはダメなのか」 平田はテレビを消し、イスから立ち上がった。 ここ六ヶ所村駐屯地の倉庫は、ずいぶんと狭くなった。防曝壁のコンテナが増え、人員も増やされた。 使用済み核燃料ペレット用のコンテナ、改造砲弾用のコンテナ、改造砲身用のコンテナ、それらをつなぐ防曝壁の通路。まだ本物の放射性物質は運び込まれていないが、受け入れ体勢は整いつつある。 組み立て用コンテナでは、模擬原爆の組み立てが始まった。本番に備え、手順を確認する。ストップウオッチを手に、組み立て手順書を作成していた。放射性物質を扱う作業は、常に時間との闘いだ。 「よし、1分短くなった。良い調子だ」 村松はストップウオッチを止め、皆の労をねぎらった。 「ああ、肩がこる」 「よっぽど、解体の方が楽だぜ」 マジックハンドを操作する手を放し、隊員の口から冗談ともつかぬ言葉が出た。 「青森って、桜はいつ頃なの?」 東海村から来たばかりの隊員たちは、季節感がわからない。平田が答えるしかない。 「4月の末くらいだね」 「もしかして、組み立てが一番忙しい頃?」 爆発用ウランの濃縮が出来上がる時期が、ちょうど4月末と見積もられていた。 「今年は花見無しかねえ」 「原爆は待たせられるけど、桜は待っちゃくれねえぜ」 機密保持の厳しい現場にあっても、花見を話題に出すのは、心の余裕のなせる事。平田は隊員たちへの信頼を深めた。 翌朝、テレビが海外の事故を報じた。 「オーストラリア北部で大規模な森林火災です。深夜、上空に巨大な火の玉が現れ、木々を薙ぎ倒しました。送電線も倒れて、火花から引火したもようです」 家々の窓ガラスは割れ、つぶれた屋根もある。ショック死した家畜も多数にのぼった。幸いにも、死者は報告されていない。 解説の画面となり、隕石が原因と説明し始めた。 ノストラダムスの輪から、直径1キロあまりの氷質隕石が落下して来た。大気圏への突入速度は秒速10キロほど。高度3万メートルから5万メートルで爆発して、大きな衝撃波を発生させた。爆発力はTNT火薬で1メガトン級と推測された。 「1メガトンか・・・水爆なみの大爆発だな」 村松がつぶやいた。 「まだまだ、まだ小さいね。ツングースの大爆発は10メガトン級と言われてる」 隊員の一人が言った。20世紀初頭の1908年、ロシアのシベリアで起きた謎の大爆発の事だ。隕石の空中爆発が原因、と説明されたのは21世紀になってからだ。 地上からのレーダー観測で、ノストラダムスの輪には直径1キロ級の氷塊が数千個あると推測された。直径10キロの物は数百個だ。 「これから、こんな事が年中行事になるのかな」 「年に1度なら、むしろラッキーだろ」 ぐっ、言葉が詰まる。 「やるっきゃねえ」 誰かが言った。誰でもない、皆の心内の言葉だった。 4月 この年、春は遅かった。 東京で桜が咲いたのは4月になってから。季節が半月遅れている。 青森県六ヶ所村では、まだ雪まじりの雨が降っていた。 構内電話を置き、村松が笑った。 「模擬弾頭は合格しました。すべて正常に動作したそうです」 ほっ、平田も胸をなでおろす。 ここで完成した模擬弾頭はJAXAに送られ、真空チェンバーで試験を受けた。誘導装置とロケット部分はSG-1で確認済みだが、爆弾本体の試験は初めてだ。安全装置と点火装置は、電波の指令通りに動作した。 いよいよ、ウラニウムの濃縮完了を待つだけだ。 またテレビが隕石のニュースだ。 「これはエジプトのスエズ運河から北の空を映してします」 真昼の空を、まばゆい光が西から東へと海を照らして行く。 「隕石はイスラエル上空から、死海の南端を通り、ヨルダンへ抜けました。隕石が通過した下は、大災害になっています」 直径1キロを超える氷質隕石が、高度3万メートルから2万メートルで分解しながら飛行した。分解してから、それぞれが空中爆発した。1メガトン級の爆発が数回も起きたのだ。 衝撃波で多数の建物が倒壊、古い日干し煉瓦の建物は跡形も無く崩れた。絨毯爆撃を受けたかのような有様になった。 「死者は数百人、数千人が生き埋めになったと言われています。病院も手一杯です。長く内戦が続く土地柄ですが、もう銃を突きつけ合っている場合ではありません」 アナウンサーは平和を訴える。しかし、逆の映像も流れた。 「隕石だの災害だのを理由に、外国勢力が国に侵入しようとしている。アッラーの名において、異教徒の勝手は許さない」 機関銃を手に神を称える戦士たち。 勇ましいと見るか、狂っていると見るか。平田は口が開いたままになった。 芹沢所長からの連絡、平田が受けた。 「ウラニウムの濃縮は終わりました。1週間以内に個体化を完了の予定です。使用済み核燃料ペレットを移動できます。準備をよろしく」 本来は上司なのだが、同格の者への言葉遣いだった。 平田は自分の置かれた立場を再認識した。 翌日、トラックに載り、いかつい防曝コンテナが駐屯地に入った。 倉庫に搬入して、いよいよコンテナを開く。防曝スーツを着込んで、ロボットのような見かけの隊員が作業する。 平田は事務所に退避して見るだけだ。 アメリカのスティーブ・マーチン中佐が来て、一緒に作業を見守った。建前上、助言の権限が無いらしく、ただ黙して見つめていた。 まずは、中性子反射体の組み立てからだ。 「1時間経過、作業止め。交替!」 村松の号令が響いた。隊員がマジックハンドから離れる。 4人が休憩に入り、4人が作業に入った。3組が交替で組み立てを進める。防曝壁越しにも、僅かながら放射線は浴びているので、長時間の連続作業は厳禁だ。 「みなさん、お疲れでーす」 平田はコーヒーと菓子をテーブルに出した。これくらいが、年寄りにできる精一杯。 「1週間で終わるかなあ」 弱気な声が出た。 「長崎に落ちた原爆ファットマンは、組み立てに40人がかりで2日以上かかったそうだ」 平田の昔話に、皆が耳を傾けた。 「うちらの倍以上もいたんだ」 「さすが、アメさん。秘密計画でも、人数がたっぷりだったね」 皆から笑いがもれた。 「南シナ海に隕石が落ちたようです」 またテレビが聞きたくないニュースを長した。 夜、漁船から撮ったビデオが出た。巨大な火の玉が雲と海を照らし、水平線の向こうに落ちて消えた。 「フィリピンの西海岸やベトナムでは、高さ数十センチの津波が観測されました」 日中、飛行機からの画になった。転覆した船、波間にただようゴムボートが映る。 「中国が建設した人工島が津波に流され、元の暗礁にもどってしまいました。人工島には数百人がいたと思われますが、中国政府は何も発表していません」 海岸に漂着した死体を、現地の人が弔っていた。流れ着いた死体は、まだ幸運な方かもしれない。 ホバークラフトが水しぶきをまいて、砂浜に上陸した。 海上自衛隊のLACA揚陸艇が六ヶ所村駐屯地の浜に来た。エンジンを止めると、スカートがしぼみ、船体が着地した。 タラップを浜に降ろし、トラックの積み込みを始めた。積み荷は防曝コンテナ、その中には完成した原爆があった。 村松一蔚と131小隊の半数が同乗する。緊急作業に備え、作業用コンテナも持って行く。 洋上には母船・おおすみが待っていた。護衛のイージス艦も水平線に見える。 どどど、エンジンが起動して、LACAのスカートがふくらんだ。 平田は海風をうけながら、見守るだけだった。 艦隊は原爆を種子島に運ぶ。ロケットに積んで打ち上げだ。 青森気象台が桜の開花を宣言した。131小隊の留守番たちは花見を待ち焦がれていた。 5月 東京駅に降りたとたん、平田の顔に汗がにじんだ。青森との気温差を実感した。 迎えの者に案内されて行った所は、防衛省の宇宙局。日本スペースガードの本部だ。 SG-1の看板がある部屋に通された。防音ガラスの向こうはSG-1の管制室である。 壁の大画面には種子島のロケットが映っていた。頭部のカバーにはSG-1Bと書かれていた。今回打ち上げる衛星のコード名だ。 平田は管制室に入る資格が無い。このまま控え室で打ち上げを見守る。 長いすに腰掛け、テレビをつけてみた。 「またしても、種子島は自衛隊にジャックされました」 アナウンサーが悪意のある言い方。ちっ、と舌打ちした。 「今回打ち上げるのは、隕石に爆弾抱えて特攻する衛星です。はて、どうなります事か」 音を消して、画だけにした。センセーショナリズム丸出しのアナウンスには飽きていた。 あくびで背伸びしたら、構内放送がかかった。 「発射1分前、秒読み続行」 平田はガラス窓に張り付いた。大画面横のカウンターが順調に減っていく。種子島の空は青く晴れていた。 「警戒、隕石接近。秒読み、停止」 カウンターが31で止まった。 上空を監視するジェット機から報告が入った。はるか高空に、白く尾を引く物がある。 「隕石通過、警戒解除。秒読み、再開」 静かなアナウンスで、またカウンターが減りだした。 「メインエンジン点火・・・3・・・2・・・1・・・離陸」 ロケットは上昇を始めた。 平田は画面に見入る。思わず、息を止めていた。 SG-1Bが衛星軌道に乗って2時間、平田は控え室で仕出し弁当を食べていた。首都らしい豪華な弁当だ。 食べながら、持って来たノートパソコンを起動した。3Dマイホームと言うソフトを立ち上げた。自宅の見取り図を作るソフトだが、平田は原爆の概念図を作るのに使った。 実際に原爆を組み立てながら、不満な点が出て来た。一番は、使用済み核燃料ペレットを網目状に配した中性子反射体の密度。核分裂中心から見ると、反射体は視野の20パーセントだった。反射効率を上げるため、どんな配置にすべきか。このところ、そればかり考えていた。 「第2段、再噴射」 ロケットが隕石に向かって高度を上げた。 平田は目をパソコンにもどした。 反射体の高度も変えてみよう、と思った。爆発用ウランとは最短距離に限界があるが、反射体を2階建てにすれば、視野を大きくカバーできるはずだ。 「標的に接近。SG-1B切り離し、1分前」 平田はパソコンから手を離した。時間を忘れていじっていた。 パソコンを閉じて、防音ガラスから管制室をのぞいた。 「切り離し、確認。スラスター噴射、離脱」 ここからは防衛省がSG-1Bを制御する。JAXAは第2段を制御して、カメラでSG-1Bを追跡した。 壁の大画面には、第2段のカメラの映像があった。離れて行くSG-1Bが映っている。 「なんだ、ありゃあ」 画面のSG-1Bがヒモのような物を引きずっていた。 「パラシュートですね。切り離しのショックで、はずれたようです」 ロケットの打ち上げが失敗した時、SG-1Bを無傷で回収するため、弾頭にパラシュートを付けていた。用の無いところで作動したようだ。周りは真空なので、傘は閉じたままで抵抗も無い。 そのまま続行となった。 「レーダーで標的を捕捉。距離約100キロ、相対速度毎秒2キロ」 「減速、相対速度は秒速300メートル以下へ」 SG-1Bは爆弾だ。爆破信管の機械強度には限界がある。標的の固さが分からないので、できるだけソフトに着地したいもの。 中央の画面はSG-1Bの先端のカメラだ。直径5キロの隕石は、すでに画面の多くを占めている。 となりの画面には第2段の軌道が表示されていた。標的に対し、大きな弧を描いて通過する。今はSG-1Bと平行に飛ぶかたち。姿勢を制御し、カメラを標的に向けていた。 「距離20キロ。相対速度、毎秒280メートル」 「さらに減速、相対速度は秒速100メートル以下に」 減速指示が飛ぶ。秒速100メートルは時速360キロに等しい。六ヶ所村駐屯地の浜で、C-2輸送機から落下試験をした時の飛行速度だ。 いよいよ標的が近い。画面は柱状節理のような隕石の表面で一杯だ。 画面が切れた。SG-1Bからの発信が無くなった。 第2段のカメラが大きな光をとらえた。 すぐ光は消えた。光の出た所からガスが球状に広がる。隕石の各所からガスが噴出して、ゆっくりし分解し始めた。 ふう、平田は胸をなでた。確かに核爆発は起きた。 管制室の指揮官が平田に気付いた。向き直り、姿勢を正して敬礼してきた。平田は小さく頭を下げた。 大画面に日の丸が映った。首相官邸で記者会見が始まろうとしていた。 モニターの隕石が分解していく。 総理大臣加藤鷹士はひざをたたき、立ち上がった。 会見場へ出た。壇上に掲げられた国旗に一礼、記者席に顔を向けた。 「皆さん、本日、日本スペースガードが大きな仕事をしました。地球の周りにある隕石の一つを破壊し、人類にかかる脅威を、少だけ小さくしました。今回の計画には、アメリカとフランスから多大の助力をいただきました。両国と喜びを分かち合いたい、と思います」 質問の手が上がる。しかし、総理は手で待ったをかけ、また語り続けた。 「破壊の映像を見て、気付いた方もいるでしょう。今回使われたSG-1Bは原子爆弾です。前々から用意してあった物ではありません。今年の2月から作り始めました。新たに作った施設は無く、既存の設備を使い、中古品と廃品を寄せ集めました。ロケットすら、衛星打ち上げがキャンセルになって空いた物でした。この構想は、原子力施設で長く勤めた平田明彦氏の発案によります」 記者たちがざわめいた。 「我が国は、一貫して原子力の平和利用を訴えてまいりました。今日、原子爆弾と言えども、人類を守り、平和に貢献する道を開きました。この瞬間に立ち会えた事を、わたしは誇りに思います」 加藤は一礼し、すぐに会見場を出た。質疑応答は無かった。 同時刻、アメリカのチップ・デール大統領もテレビで国民に語りかけた。補佐官に任せなかった。 「本日、日本が原子爆弾で隕石の一つを破壊しました。我が国はフランスと共に、この計画に協力してきました。世界の平和に貢献できた事を誇りたいと思います。国民の中には、なぜアメリカが直接やらなかったのか、と疑問を感じる方もいるでしょう。これから、それに答えます」 デール大統領は語った。 第1の理由は、核実験禁止条約である。地上、地下、宇宙での広範囲の核実験を禁止する多国間条約だ。しかし、この条約には中国とフランスが参加しておらず、事実上はアメリカとロシアの紳士協定の域を出ていない。それでも、一方的に破棄する訳にもいかない。 第2の理由は、アメリカの国内法だ。核兵器を軍事目的以外への使用が、厳密に禁止されていた。 第3の理由は、核バランスである。隕石を破壊するため、アメリカだけが一方的に核爆弾を消費すれば、世界の核バランスが崩れる。軍事的緊張が崩れた世界は、戦争への道を進むかもしれない。 「日本が作った原子爆弾は、宇宙での運用に特化した物です。軍事目的の物ではありません。日本だけのためでなく、世界全体の平和に寄与する原子爆弾です」 フランスの大統領も同時刻に演説した。 朝一番の新幹線に乗り、北へと向かう。 平田は指定席であくびした。朝刊の1面には平田の顔がある、指名手配された気分だ。 「日本のサハロフ、オッペンハイマー・・・原爆の父、ですか。有名人の仲間入りですね」 隣席の岩本が駅弁を開きながら言った。内閣が直接原爆製造現場を指揮する、との名目で一緒に青森へ行く人物。痩せ体型のくせに、昨日会った時から食ってばかり。どこに食べ物を入れているのか、不思議に思うばかり。 六ヶ所村駐屯地には昼過ぎに着いた。また、暑さを感じた。 トイレがきたない、洗面所が臭い、と岩本は文句をたれた。施設の改善点をメモし、すぐ東京へ発信した。 彼がいる間に、駐屯地は少しきれいになるかもしれない。 2発目の原子爆弾は、すでに製造が始まっていた。 夕刻、平田が官舎に帰ると、電気が点いている。 ゴーゴー、恵美子が電気掃除機をかけていた。今朝、帰って来た、と言う。しかし、部屋はちらかりほうだいだった。 「まるで原爆が落ちたみたい、ひどいものね」 平田は部屋掃除の習慣を無くして久しい。妻にまかせっきりだった。 「臭いわ! さあ脱いで、お風呂にも入って、きれいになさい」 反論無用、平田は妻の言葉に従う。 風呂から上がって、折りたたまれた下着を身につけた。 食事のテーブルに着いた。家で温かい味噌汁を飲むのは何ヶ月ぶりか、腹の中がジンと熱くなる。 「昨日のニュースにね、あなたの顔が出て、家中パニックよ。大慌てで帰って来たの」 「ごめん」 何から答えて良いか、迷った。仕事上の秘密は明かせない、これまで通りだ。 「初めは、2月だけで終わると思った。今度も、これでお役御免と思った。でも、まだ続くらしい。8月では、まだ辞められないかも」 「楽できない?」 うん、と小さく肯いた。 食後、窓から夜空をながめた。 「あ、流れ星」 音も無く光が現れ、消えた。また光が現れ、すぐ消えた。 「昔は、流れ星は珍しい出来事だったのよね。だから、見えると幸運を感じたんだわ」 恵美子は流れ星を指折り数える。 ノストラダムスが地球に輪を作って以来、流れ星は日常になった。隕石の先触れとして、不幸を感じる人も多い。 平田の仕事は、流れ星が珍しい夜を取り戻す事だ。 テレビは、メキシコ湾上空に現れた大火球を報じた。 衝撃波で海上の石油掘削リグやガス井戸が壊れ、いくつかが炎を上げた。流れ出た石油が海面を漂い、海岸は油の泥が流れ着いき、臭くて近寄る事もできない。魚が大量死し、海鳥は油にまみれて震えていた。 6月 朝、平田は官舎を出てめまいを感じた。暑い・・・いや、熱い。 自転車で駐屯地へ向かう。ペダルをこぐ間に、背中が焼けるようだ。木陰を選んで走った。 春は遅かったが、気温は急に上がった。すでに真夏の陽射しが降り注ぐ。 気象衛星の写真では、ノストラダムスの輪の影は赤道より北側に落ちている。太陽と月の潮汐力のため、輪は地軸に対して傾いていた。北半球が夏の今、赤道付近の低緯度地域では日照が減り、低温傾向らしい。逆に、中緯度から高緯度の地域では輪からの輻射を受け、強い日照で高温傾向になってた。 駐屯地に着くと、アメリカからの報告が来ていた。 SG-1Bの爆発を解析すると、TNT火薬に換算して10キロトン未満であった。平田の予測の下限に近い。 第1の理由は中性子反射の不足。これは平田も予測していた。 第2の理由は砲身の耐熱強度不足。核分裂により、ウランが発熱する。熱でウランは個体から液体になり、液体から気体になる時に圧力が1000倍になる。さらにプラズマ化する時に圧力が増す。砲身は耐えきれず、途中で破れて、圧力漏れを起こした。 第2号原爆の設計変更は間に合う。 砲身全体を強化する必要は無い。核反応中心から、半径50センチあまりを補強すれば良い。補強ついでに、使用済み核燃料ペレットの配置を見直す。うまくいけば、使用するウランの量は同じでも、爆発力は倍加する。 村松がテレビを入れた。 中国がロケットを打ち上げるシーンが映った。かなり大型だ、有人ロケットかと思った。 「本日、偉大なる中国共産党主席の命により、衛星軌道上の隕石を破壊する作戦が実行された」 報道官が記者団を前に、自信満々の語りをした。 131小隊の皆がテレビの前に集まった。 「標的の隕石は直径4キロあまり、今回の原爆の威力は1メガトン級である。これを毎秒1キロの速度で打ち込む。爆弾は隕石の表面から100メートル以上も深く入り、隕石を瞬時に破壊、ほとんどを蒸発させるであろう」 むう、平田はうなった。 1メガトンの爆発は、地上なら直径2キロ近い火球を作る。直径4キロの隕石に使えば、直径の半分が蒸発する計算だ。 「宇宙の平和は、我が大中華が作る。日本は無謀なる核開発を、直ちに止めるべきである」 中国の自慢ついでに、日本へ忠告を発して来た。 ははっ、隊員から笑いがもれた。 会見場の横に大スクリーンが設置されていた。弾頭が切り離され、小さくなって行く。 これは生中継らしい、中国にしては珍しい事だ。 画面中央、闇の中に小さく標的の隕石があった。すでに核弾頭は見えない。 「10秒前・・・5秒前・・・2・・・1・・・」 ごくり、平田はのどを鳴らした。 「あっ、なに?」 隕石が小さくガスを噴出した。 すぐ噴出は止まった。しかし、隕石全体に変わりは見えない。次第にカメラが離れ、映る隕石は小さくなった。 報道官の顔色が変わる。スクリーンの映像が消えた。記者団がざわめく中、報道官は姿を消していた。 突然、中国から画が切れた。これは、今までの中国らしい対応だ。 中継していた日本側のスタッフが、黒い画面にあわてる様が放送され続けた。 「不発・・・かな、やっぱ」 「なら、おれら本来の仕事だな。けど、あんな所まで出張できないよ」 緊張が解け、隊員たちは大笑い。 数日後、アメリカから情報が提供された。 中国が使用した核爆弾は、本来は地上爆発または空中爆発用の物であった。衝突速度が速過ぎて、爆弾の外郭または本体が破損した。結果的に未熟爆発となり、爆発力は1キロトン未満と推定される。 むむ、平田は口を一文字に結んだ。原爆の入れ物は頑丈に過ぎる事は無いようだ。 夕食は蕎麦だった。ざるに盛られた蕎麦と天ぷら、暑さを吹き飛ばす献立。 テレビのニュースは国会前のデモを伝える。原爆反対、と連呼する人々が映った。野党の攻勢に、加藤総理の顔が歪んでいた。 次のニュースでは、沖縄の西に隕石が落ちた、と伝えた。中国の漁船団が横波をうけて転覆、海上保安庁が救助に出た。尖閣諸島の島にも何人かが流れ着いて、ヘリが救助に向かっている。今のところ、日本側に被害は無いもよう。 「今年は、梅雨が来ないわね」 恵美子が天気予報を見て言った。 天気図は、すでに真夏だ。 マーチン中佐が科学論文の和訳を持って来た。 ノストラダムスの輪がもたらす長期的影響、と題されていた。隕石の脅威を短期的影響に分類するレポートだ。 現在、地球の衛星軌道にある隕石の総量は、400万から450万立方キロと推定される。成分は9割が水、残りが岩石だ。 100年以内に、少なくとも半分が地球に落下する。全地球の海水位が5メートル上昇する。全量が落ちた場合は、10メートル以上も上昇する。隕石は太陽熱で徐々に溶けていくが、水分子になっても地球に落ちて来る事に変わりは無い。 太陽の紫外線は水分子を酸素と水素に分解する。そうなれば、地球の水位には無関係となる。けれど、その効率は低い。100年の時間をかけても、全水量の3パーセントほどである。 日本の原子爆弾は隕石を破壊し、大量の水を蒸発させた。また、強力な紫外線とガンマ線で水分子を分解した。海面上昇を約0.1ミリくい止めた、と推測される。 「0.1ミリですか・・・」 平田は頭をかかえた。 テレビの感情的な原爆批判は気にもならないが、こいつは腹にズンと来た。 海面が5メートル上がったら、日本の港湾施設は水没する。輸出入が無い状態では、江戸時代と同じだ。あの当時、日本の人口は2000万ほどだった。 10メートルも上がったら、平野の穀倉地帯まで水没する。縄文海進の再来だ。日本は国家の形を失うだろう。 7月 国会前は、今日もデモで大騒ぎだ。 2発目は打たせない、絶対阻止、とプラカードが勇ましい。 「日本人の原爆アレルギーは、想像を超えているなあ」 執務室の机にひじをつき、加藤総理は新聞を投げ出した。日本各地で気温が摂氏35度を超えた、と猛暑を伝えている。 「マスコミが煽ってますから」 「野党は便乗して、ずいぶん調子が上がってるようですね」 世論調査では、内閣支持率が20パーセントを切った。国会解散か内閣総辞職か、決断を求められる数字である。 「総理大臣とか、国会議員とか、いつ辞めても良いさ。今にも、頭の上に隕石が降って来るかもしれないし」 「ととと・・・総理、それを言っちゃあ、おしまいですよ」 渥美副総理が加藤をたしなめた。 その隕石は九州の中央、阿蘇山上空で大気圏に突入した。まだ小さな光で、気付く人は少なかった。 高度を落としながら北東へ進み、別府湾から瀬戸内海の上空に出て、光りながら尾を引くようなった。豊後水道から屋代島にかかる頃には、見上げない人は無いほどになった。 岩国の人々はまぶしさに目をそむけた。 そして、それは広島湾の上空で爆発した。 始め、気象庁は地震警報を出した。しかし、あまりにも揺れが広島近辺に集中して、範囲が極端に狭い。前震が無く、いきなり本震が来た。 衝撃波から発した轟音は海を越え、九州や四国でも聞こえた。 「ついに来たか、間に合わなかった・・・」 加藤は両手で顔をおおった。 「総理大臣を辞めるつもりなら、いくらでも泣いて下さい。もう少し続けるなら、ここは気丈にお願いします」 渥美副総理がコーヒーと菓子を机に置いた。 コーヒーの水面に湯気が舞っていた。顔を映し、百面相をした。どの顔を国民に向けるべきか、考えても答えは無い。 深呼吸を2度した。コーヒーと菓子を胃袋に放り込み、加藤は立ち上がった。 「内閣総理大臣、入室」 号令に、加藤は手を上げて応えた。災害対策室が立ち上がっていた。まだ人数も機材も揃っていないが、やれる事からやるだけだ。 「インターネットの映像です」 まばゆい隕石が空を飛ぶシーンが、ネット上にあふれていた。 加藤は手を振り、別の情報を求めた。 「岩国の自衛隊基地と連絡がつきました。ほぼ、全滅状態のようです。救援を求めています」 「誰か生きているから、連絡がついたんだね。良い報せです」 緊張して報告する顔に、笑みを返した。 「高速道路はトンネル火災で通れません」 「新幹線の1編成がトンネルで立ち往生しているようです」 悪い報せが次々と入る。もとより、衛星回線は使えなくなっていた。携帯電話の基地局も、現地は全滅に等しい。地下ケーブルは生きているようだが、現地からの反応が無い。 ネットの情報は、瀬戸内海の対岸や山を越えた所からばかりだ。 夏至が過ぎて間も無い時期、帰宅時間になっても日の入りは遠い。官舎の階段は、汗が噴き出る最後の関門だ。 平田は玄関の戸を開け、クーラーの風に至福を感じた。 暑さで風呂に入る気力が出ない。シャワーで、さっと汗を流し落とした。 熱い緑茶をすする。食事の前には、胃を目覚めさせる飲み物が良い。 「広島の方は大変みたいね」 「とうとう・・・」 恵美子は冷や麦をテーブルに出した。加えて、焼き魚と大根おろしが付いたが、平田は魚の種類に詳しくなかった。 テレビが広島上空に輝く隕石を何度も映した。 「情報によれば、隕石は直径1キロ以上、高度3万メートル以上で爆発しました。破壊力は1メガトンを超えて、かつてアメリカが投下した原爆の100倍です」 ヘリコプターが撮った画が出た。録画映像らしい。 瀬戸内海の島々は、海に向かって傾斜がきつい。いたる所で崖崩れが起き、海面が黄土色に濁っていた。 広島湾に入ると、転覆した数々の船が赤い腹をさらしていた。街は白と黒の煙を噴き、広範囲に火災が起きたのは明白だ。 煙が薄い川に沿い、ヘリは上流へ飛ぶ。橋脚を残し、橋が落ちていた。川面には花が流れているように見えた。ズームアップすると、それは花ではなく人だった。火を逃れて水に入り、力尽きて溺れたのだ。 川の中州にあるはずの建物、原爆ドームは崩れていた。瓦礫の山が上流側に伸びている。その逆方向が爆発の中心だ。 湾の外、厳島神社では、衝撃波で社殿が潰れた。有名な鳥居は、何事も無かったように水面に影を落としていた。 「5月に政府が原爆で隕石を破壊しました。その破片が軌道を変えて落ちて来た・・・とも、考えられます」 アナウンサーの言葉に、平田は頬が引きつった。何か起ころうとも、原爆反対を言いたいようだ。 「いっそ、青森の下北、六ヶ所村に落ちてれば良かった・・・とか」 つい、文句をテレビに向かって吐いた。 もし、そうなっていたら、このアナウンサーは何を言うだろう。 自業自得、天罰覿面、とでも言うだろうか・・・ 郵便受けに変なチラシが入った。 隕石は天の啓示である。人は心を静めて受け止めなければならない。ただひたすらに祈れば、願いは天に通じる・・・ 六ヶ所村にも新興宗教が来たようだ。隕石を語るあたり、なかなか流行に目ざとい。 平田は首をひねり、チラシをゴミ箱に捨てた。 彗星が来た、と集団自殺したヘブンズ・ゲートと言うカルトがあった。あれと似たような連中かと思うと、背筋が寒くなった。 8月 テレビが新しい隕石落下を告げた。 今度は南太平洋、ガラパゴス諸島の近海だ。大津波が島を襲い、イグアナやペンギンや、多くの動物が死んだ。 港は壊れたが、海岸からの避難が徹底したので、幸いにも死者は無かった。 8月の日本は鎮魂の月だ。広島と長崎に原爆が落とされ、太平洋戦争に敗れた。各地で平和への祈りが捧げられる。 しかし、いくら平和や反核とお題目を唱えても、隕石の脅威は減らない。地震や台風と同じ自然現象だから、人は甘んじてうけるべき、と言う人さえ現れる。 アメリカ議会では、寿命が近くなった弾道ミサイルで隕石を迎撃する提案が出た。しかし、直径1キロ級の隕石があるのは、主に高度5000キロ以上だ。弾道ミサイルの最大高度は2000キロ未満でしかない。軌道が乱れて低高度に迷い込む隕石を狙うには、隕石追跡用のレーダー網が必要になる。すぐには活用できない提案だった。 低軌道の隕石はぶつかり合い、どんどん小さな粒になって行く。大気圏に突入すると、上層で溶けて、ゆっくりと気流に乗って降下する。やがて雨となって地表面に達する。日々、1億トンを超える水が大気圏外から降って来ていた。 六ヶ所村駐屯地で原爆2号を組み立てながら、131小隊の隊員たちは口数が少なくなった。 JAXAの若い職員が奇妙な論文を書いた。JAXAでは無視されたが、自衛隊を経由して平田に届いた。 直径1キロ級の隕石を、既存のロケットブースターで破壊する内容だ。 H-Ⅱロケットの個体補助ロケットSRB-Aは、開発当初は胴体が四分割されていた。この古い設計を再使用し、四分の一大きさのロケットを最終弾頭として隕石にぶつける。頭頂部を地中貫通型に強化して弾頭重量は20トンあまり。H-ⅡAロケットにブースターを4本付けて、十分に打ち上げられる重量だ。 弾頭は秒速300メートルで隕石に衝突、着弾と同時にロケットに点火する。弾頭は隕石の中央に達し、深さ500メートルを超える穴を開ける。穴の直径は5メートル以上、最大で10メートルほどになる。 隕石が大気圏に入ると、この穴から熱風が内部に吹き込み、隕石は高々度で早期に分解する。地上におよぶ衝撃波の影響は最小限で済む。 「すばらしい・・・」 平田は嘆息をもらした。色々な知恵が対隕石に向いてきた。 もう少し経てば、原爆以外の方法で隕石に対する提案が形になるかもしれない。そうなれば、平田は元通りの中古で廃物な存在になる。ノストラダムスが砕けたりしなければ、今月で定年退職するはずだったのだ。 六ヶ所村の浜にLACAホバークラフトが上陸した。 完成した原爆2号のコンテナを積み込み、131小隊の半数も乗り込んだ。種子島へと行き、打ち上げの最終準備にかかる。 今回も、平田は浜で見送るだけだった。 平田は慣れないネクタイをしめ、蒸し暑い東京に来た。 首都は雨だ。黒い雲から降る雨は3日も続いていた。 防衛省の日本スペースガードへ入る。SG-1の扉をくぐり、管制室を見下ろす控え室から大スクリーンを見た。クーラーが効いている、背広のボタンをかけた。 種子島は小雨らしい。発射台上のH-Ⅱロケットがかすんでいた。 「点火・・・3・・・2・・・1・・・離陸」 白煙を噴き上げ、ロケットが発射台から飛び立った。すぐ雲間に消えて行った。 「ブースター切り離し・・・第1段燃焼終了・・・切り離し・・・第2段点火」 シークエンスを告げるアナウンスは冷静に続く。今回も打ち上げは順調だ。 平田は長いすに座り、ノートパソコンを開いた。3Dマイホームを立ち上げ、思いつきを図にして行った。 仕出し弁当が来た。相変わらずの豪華さ、味がくどく感じるので茶を多めに飲んだ。 「第2段再点火、5分前」 アナウンスと同時に、大勢が控え室に入って来た。VIPとガードみたいな雰囲気だ。 随行員が歩み寄り、平田に耳打ちした。 「内閣総理大臣です」 あっ、気付いて立ち上がった。半年前に会いながら、すっかり顔を忘れていた。 加藤総理は平田を見て、くすと笑った。またも、平田のネクタイは背広の外に出ていた。 「第2段、点火」 アナウンスに頷き、加藤は平田の横に座った。パソコンの画面を見て首を傾げた。 「何ですか、これは?」 「世界にある原爆のほとんどは、地上か空中で爆発するのを前提にしてます。それを使って、隕石を破壊する方法を考えてました」 「ああ、この前、中国が失敗してましたね」 隕石の表面に原爆が着地している図だ。原爆の後方、200メートルの距離で傘が開いている。表面は金箔貼りのミラー加工が施されている。傘の大きさは直径300メートルほど。 原爆が爆発する。後方の傘が放射を受けて蒸発する。蒸発する前に、放射を反射して隕石を蒸発させる。反射するエネルギーは、後方へ放射するエネルギーの2パーセントほど。隕石が大きければ、傘の形状は平面で良い。 「大気圏内と違い、真空の宇宙で原爆が爆発しても、プラズマの火球ができません。あれは、核爆発が空気を加熱して発生するんです。宇宙へ行く原爆は、自らプラズマの材料を持って行く必要があります。さもなくば、何か代わりになる物を、です」 ふむ、加藤は首を右に傾げ、また左に傾げた。 「以前に、日本が傘を開いた宇宙船を上げてました」 「ソーラーセール宇宙機です。あの傘を大きくしたのが、これです」 なるほど、と加藤は肯いた。 「SG-1B2号、切り離し」 アナウンスに、皆は防音ガラスの窓へ向いた。 大スクリーンは第2段のカメラの映像、離れて行くSG-1Bを映す。今回はパラシュートを引きずっていない。 「レーダーで標的を捕捉、距離約100キロ。相対速度、秒速約2キロ」 「減速、相対速度を300メートル以下に」 大スクリーンはSG-1Bのカメラからの映像になった。ゆっくり大きくなって来る。 「距離約10キロ、相対速度は秒速250メートル」 「コース、そのまま。減速、相対速度を200メートル以下に」 それ以上の減速指示は出ない。 内部が補強されたSG-1B2号は衝撃に強い。より高速で突っ込めば、より深く隕石の中へ入り込めるはず。 SG-1Bのカメラが子画面に、大スクリーンは第2段のカメラに切り替わった。 「距離1キロ・・・600メートル・・・400メートル・・・」 SG-1Bのカメラが切れた。大スクリーンの隕石がガスを噴いて揺らぎ、分解し始めた。破片がガスに覆われ、ガスが薄れると、さらに破片は小さくなっていた。 「前より、ずいぶん派手になった」 「それぞれに隕石は違います」 満足げな加藤に、平田は謙遜して言った。 「しかし・・・あと幾つくらい、原爆を作れるものかな」 「今のやり方で、六ヶ所村の在庫では、あと5発くらいでしょう。日本中の原発からウランを集めても、100発も作れるか」 低濃縮ウランを使うガンバレル式原爆は、ウランを多く必要とする。アメリカは早期に生産を諦め、少ない核燃料で作れるプルトニウム爆縮型原子爆弾へ移行した。後に作ったガンバレル式原爆では、兵器級の高濃縮ウランを使って小型化した。 「形式、設備、根本から見直しが必要か。これ以上やるなら・・・」 加藤は首を振った。平田と握手を交わし、部屋を後にした。 いくつかの会議に顔を出し、平田は新幹線で帰途についた。まだ雨は降り続いていた。 車窓から雨を見て、これはノストラダムスの輪から落ちて来る雨、と気付いた。海水位は100年で5メートル上がる。その先触れが雨だ。 これからは、天気予報で雨が増えるだろう。毎年5センチ、気付かぬうちに危機は迫って来る。 テレビは、ヒマラヤ山脈の上空を飛ぶ隕石を伝えた。 衝撃波で大規模な雪崩が起きた。山崩れで谷が埋まった。死者は数千人、被災者は数万人と云う。山間へは救助もたどり着けず、事態の把握は難航している。 9月 久しぶりの晴れ間、平田は自転車を駆った。 駐屯地へ出勤すると、アメリカから報告が来ていた。SG-1B2号の爆発解析だ。 爆発力は推定30キロトン、とあった。砲身の強化と中性子反射材の配置を見直した成果だ。しかし、爆発力の上限、と注釈が付いた。 あれ以上の破壊力はいらない。欲しいのはウランを節約する方法だ。でも、そこへの言及は無い。アメリカとしても、重要な軍事機密で国家機密なのだろう。同盟国と言えど、簡単に渡せる情報ではないはず。 テレビは国会の論戦を報じていた。 加藤総理の与党は原爆を推進する。隕石の脅威を減らし、災害を未然に防ぐ立場だ。 対する野党は原爆反対だ。2発目のSG-1Bを最後にする、と息巻いていた。 議論は熱く、国会の外ではデモが続いていた。内閣は決断を迫られている。 「選挙で野党が勝ったら、おれらは爆発物処理隊にもどるのか」 隊員の一人がつぶやいた。 「それも、国民の選択さ」 平田も返して言った。 与党が勝てば、より小型で高効率な原爆が計画されるだろう。 小型の原爆を真空の宇宙で使うには、ちと工夫が要る。熱線は氷を溶かし、紫外線で水分子を水素と酸素に分解する。核反応のガンマ線を熱線と紫外線に変換するには、プラズマの火球を作らねばならない。弾頭の前方は隕石を材料にプラズマを作れるが、後方の分はプラズマの材料を持って行く必要がある。 弾頭の後ろにドラム缶を付ける。中身は何かと考えて、地上で処分に困っている高レベル放射性廃棄物を思い付いた。プラズマの高温で原子レベルまで分解されると、高エネルギー状態の原子の大半は、地球圏を飛び出して外宇宙へ行くはずだ。 また、廃棄物の利用法を思い付いた。平田はにやりとして、報告書を閉じた。 日が暮れるのが速くなった。 平田は自転車で急いだ。雲行きが妖しい。天気予報は夜から雨と報じたけど、早く降りだしそうだ。 道ばたに軽トラックが駐まっていた。通り過ぎようとしたら、その陰から人が飛び出して、平田の行く手を阻んだ。 ぞろぞろ現れ、自転車の平田は囲まれた。 がつん、背に衝撃が来た。足を叩かれ、たまらず倒れた。 「原爆反対!」 「核廃絶!」 口々に叫びながら、バットや棍棒で平田を殴る。 ああ、そういう人たちか・・・ 痛みは感じない。平田は悲しくなった。 これで終わりなら、それも良い・・・体の力が抜けて行く。 原子力施設に長く勤めた。死ぬ時は放射線障害と覚悟していた。けれど、人生は思うように運ばないものだ・・・ ゴーッ、ジェット機の爆音が響いた。 平田は病室のベッドに寝ていた。三沢基地の中の病院だった。原爆製造に係わるVIPとして扱われていた。 体が動かない。打撲、亜脱臼、骨折、それぞれ複数箇所をやられていた。 「今度こそ、お役御免になるかな」 昨日も言ったような気がした。頭が回らず、同じ事ばかり考えてしまう。 「こんな事で楽できるほど、あなたの仕事は軽かったかしら」 傍らに座る恵美子が言った。 妻は笑みを絶やさない。夫として、返す笑みが無い。また落ち込んだ。 村松が見舞いに来た。新聞を恵美子に渡し、ぐっと拳を作った。 「連中、逮捕されましたね」 平田を襲った犯人と、隠れ家を捜索する警察の記事がトップだった。 いつぞや、官舎にチラシを入れた新興宗教の仕業であった。教祖が説教で平田の名を出し、神の敵と言い放った。信者たちは信仰の証を実行する。こうして、平田は襲われた。 日本の憲法は信仰と宗教の自由を詠う。けれど、宗教をする者たちは、他人が神を信じない自由を否定し、他の神を信じる自由を認めない場合が多い。神を信じぬ者は愚か者、と言って蔑む。自分が信じる神だけが本物であり、他は偽物だ。偽物を滅ぼすのは真の神への奉仕、と断じて破壊活動すらする。憲法と実際の宗教は対立していた。 「日本は平和だね。外国なら、機関銃で蜂の巣かな」 はは、平田は弱々しく笑った。 テレビがアメリカに落ちた隕石を報じた。 南部ミシシッピー川を直撃だ。雲間を破って現れた隕石は、川の上空で爆発した。衝撃波が川の水を叩き、直径1キロを超える水の壁が周囲の農場や街に崩れ落ちた。 川があふれ、大洪水となった。橋は落ち、街ごと川の中になったような地帯ができた。多数の溺死者が出たもよう。 収穫直前の穀倉地帯が洪水にのまれ、株式市場は大荒れの展開となった。 ワシントンにデモ隊が繰り出した。 「行けアメリカ、隕石を撃て!」 「世界を守れ、日本にまかせるな!」 過激な文句がプラカードや横断幕に書かれた。 窓が雨に濡れている。もう何日降り続いているのか・・・ 病院のベッドに寝ていて、時間の感覚が薄れて来た。入院して何日目なのか、記憶がおぼろだ。 「今日は何曜日?」 「月曜日よ」 平田は恵美子と何度も言葉を交わす。内容の無い、確認だけの言葉。認知症になったのか、と自分を疑った。 テレビは選挙を報じていた。いつの間にか、国会は解散していた。そして、昨日は投票日だった。 「与党の圧勝です。事前の世論調査とは、全く逆の結果となりました。広島の惨事が、原爆反対の声を吹き飛ばしたのでしょうか」 アナウンサーの声に、少し泣きが入ってるように聞こえた。対照的に、加藤総理が笑みで赤いバラを壁に付けていく。 記者会見が始まった。厳しい顔つきで、加藤はカメラに向かった。 「世界は今、無数のダモクレスの剣の下にあって、なお銃と刀を突きつけ合っています。愚かしいが、他国を笑っている場合ではありません。隕石の脅威除去は大事でありますが、その後に、海面上昇への備えが要求されています。どんな方法があるか、知恵を絞らなければなりません。反対ばかりしていては、海に呑まれてしまいます」 原爆だけでは、日本は沈没の運命から逃れられない。しかし、降り注ぐ隕石から生き残らなければ、その後の海面上昇へも備えられない。 為政者は二つの課題に、同時に取り組む必要があるのだ。 「おれに出来るのは原爆・・・だけか」 平田は天井を見上げ、つぶやいた。 10月 平田は退院した。杖をついて、六ヶ所村駐屯地へ出勤した。 岩本の指導で、新しい施設の建設が始まっていた。防曝壁を基本に、全ての出入り口は気密扉とし、放射線計を備え、吸排気口にはフィルターを入れる。原子力施設らしい造りの建物だ。 急作りのバラックで原爆を組み立てるのは、今やっている3発目で終わりだ。 専用の施設、専用の機材、訓練された人員で原爆を作る。平田にできる事は、どれほど残されているか。 東京に出張、平田は防衛省の会議に出席した。久しぶり、と芹沢所長と顔を合わせた。 新しい顔が多かった。日本の物理学の若い研究者が集まったらしい。 3号原爆の核燃料が議題になった。 ウラニウム球体の中心部を30パーセントくり抜き、プルトニウムと重水素の化合物をスポンジ状にして詰める。点火されると、プラグがターゲットに衝突して、スポンジの体積は半分以下となり、ウラニウム球体に閉じ込められる。核連鎖反応の立ち上がりは少し遅いが、ずれは百万分の1秒と言う単位で、最終的な爆発の効果は同じである。 物理学の難しい公式を並べて解説されたが、平田にはチンプンカンプンだった。 プルトニウムは六ヶ所村に在庫があり、重水素は東海村に在庫されていた。スポンジ化合物は、人の体重くらいでは潰れない固さ。元々は安全な保管法として作られた技術だ。 ウランを節約できる提案である。そのまま了承された。 使用済み核燃料ペレットを中性子反射材として使うのは、無駄が多いとの指摘が出た。薄板状に加工して使えば、同じ質量でも面積効率は上げられる。分かっていた事だが、駐屯地には加工する設備が無い。4号以後の課題とされた。 新しい知恵が原爆に集まって来た。 日本の原爆は、中古と廃品の寄せ集めから脱却しつつある。平田の手を離れようとしていた。 東京での用事が終わり、平田は駅に向かった。 新幹線のホームで列車待ちをする間、新聞を開いた。アメリカとロシアの宇宙交渉が記事になっていた。 双方が、年間に4機から5機のロケットを打ち上げ、隕石を破壊する。年明けからスタートで合意、と報じていた。 年間に5機づつと言うのは、ロケットの打ち上げ能力の限界に近い。高度1万キロ以上の隕石を狙うのは、並大抵の事ではない。ロシアにしてみれば、地中貫通型原爆を新たに作る必要もある。他の核保有国は動くのか、それも見極めなければならない。 ノストラダムスの輪から落ちる隕石は、正にダモクレスの剣だ。その下にあって、なおも原爆を手放せない核保有国は、すでに喜劇である。 列車が来て、平田は乗り込む。 広島に隕石が落ちてから、新幹線は最高速度を時速200キロに制限していた。走行中に衝撃波を浴びても、脱線を防止するためだ。 指定席に座り、テーブルに駅弁を置いた。食べる前にと、新聞を開いた。 中ほどの文化欄、メガ・メーザー砲の記事に目を止めた。 列車が動いた。かすかに揺れる中、記事を読んだ。 オーストラリアの砂漠に電波発信機を並べる。敷地の大きさは100キロ四方だ。発する電波はマイクロ波、電子レンジの波長。高度100キロより上、ノストラダムスの輪から落ちて来る水分子を、大気圏外で焦点を合わせて照射する。出力は1キロ四方あたり10万キロワット、総出力は10億キロワットになる。施設周辺への影響を考慮して、地上での電波密度は低くする。 大気圏突入直前の水分子を加熱する。熱くなった水分子は、太陽の紫外線を受けて水素と酸素に分解する。熱い水素は太陽風に乗り、地球圏から外へ出て行く。地球の海面上昇を、年間1ミリ以上抑えられるはず・・・ ふはは、平田は笑った。 ほら話しの類であるが、これくらいのスケールで語ってくれれば、むしろ真実味が出て来る。電波を発するマグネトロンの効率、必要な電力を確保する方法を、真剣に検討したくなった。やりようによっては、もっと効率が上がるかもしれない。 新聞をひざに置き、駅弁を手にした。 東京駅は日本全国の駅弁が買える。今日は仙台名物はらこ飯を選んだ。 割り箸を飯に差し、新聞の続きを開く。 一面が広告になってるページに来た。ひげ面の親父が手を上にのばす写真と、大きな字で奇妙なあおり文句があった。 「隕石は運命、海面上昇は宿命。人は、ひたすらに祈るべし。祈りの果てに、救済は来る」 思い出した。 六ヶ所村で、駐屯地からの帰り道、平田を襲った新興宗教の教祖の写真だ。 事件で逮捕されたのは、下っ端の信者だけだった。平田を神の敵と言った親玉は、今も堂々と布教活動を続けている様子である。 ずきっ、折れた肋骨の古傷が痛んだ。 平田は新聞をたたみ、駅弁に集中した。 昼前、やっと青森に着いた。のんびり走る新幹線も悪くない。 駅前に出て、ドン、と小さな衝撃を感じた。周囲を見回し、空を見上げた。薄雲のはるか上、1本の細い筋雲がある。小さな隕石だ。 「平田明彦さんですね」 声をかけられ、顔を地面にもどした。 「わたくし、こういう者です」 男が寄って来て、名刺を出した。名刺の男はボイスレコーダーを、もう一人はデジタルカメラを持っている。 「・・・新聞、政治部・・・」 新聞社と知り、列車内で読んだ新聞を開いた。メガ・メーザー砲の記事の記事を表にたたんでいた。 「これを書いた記者さんとなら、少し話したかったな」 「え、でも、文化欄ですよ」 記者は口を歪めた。 テレビで、新聞社を舞台にした番組を見た。事件や政治を扱うのは花形部署で、文化欄などはヒマネタと呼ばれる日陰者だった。 「日本の原爆の父、平田さんから何か言葉をいただければ、と思いまして」 「政治や人生を語るような高尚な人間じゃないよ。1+1とか、ネジの締め方なら、少し語れる」 また、平田は空を見上げた。細い筋雲は薄くなりながら、まだ形を残していた。 「こんな状況で、たまたま原子力施設で働いていて、たまたま少々の知識があって、たまたま空想を文書にしていて、たまたま文書が提案として通った・・・それだけさ」 この1年を振り返り、ずいぶん遠くに来た感じがした。新聞からインタビューをうける人種になるとは、全くの想定外だ。 「それで、原爆を作った・・・と。原爆が隕石の一部を蒸発させて、1発あたり、わずか0.1ミリしか海面上昇を抑えていない。たった0.1ミリでは、無駄と言って良い数字では」 来た、と平田は思った。結局、原爆反対の記事を書きたい記者、と断じえた。 「0.1ミリはゼロではない。それでも無駄か・・・無駄無駄無駄、また無駄とキリギリスさんはバイオリンを奏でます。わたしは地を這うアリさ。日々、0.1ミリを積み上げるのが仕事だ」 どどん、頭上からの衝撃に、平田は身を屈めた。記者は尻餅をついていた。 ゆっくり空を見上げた。 少し太めの筋雲が西から東へ伸びていた。石質隕石なら直径10メートル級か、氷質隕石なら100メートル級だったかも。もう少し大きくなると、地上で被害が出る場合もある。 ふううぅ、深呼吸した。この日常には、いつまで経っても慣れない。 ぷー、クラクションの合図を鳴らし、乗用車が来た。すぐ、我が家の車と分かったが、運転しているのは見慣れない男だ。 「おかえりー」 後席の窓から手を振るのは、妻の恵美子だった。 立ち上がれない記者に別れを告げ、助手席に乗り込んだ。そこで、運転は村松の部下、星野二曹とわかった。私服だから、気付くのに遅れた。 「今日は要人警護の訓練中です」 「一人で?」 「ちゃんとバックアップがいます」 星野はハンドルを切り、駅前を出た。後ろから来る車の面々に見覚えがある、131部隊の隊員たちが私服で乗っていた。 「たまには駐屯地の外に出ないと、息が詰まるよね」 平田は首を回し、駅前を見返した。 さっきの記者はカメラを空に向けていた。転倒をものともせず、新しい取材にいそしんでいる様子。 北の空に黒い雲があった。 今年の冬は雪が多くなる・・・それは予感ではなく、科学的な予測だった。 < 終わり > 後書き 東宝映画「妖星ゴラス」は好きです。死ぬ役ばかりしてた水野久美さんが、ついにヒロインとなった記念碑的作品でした。 語るとキリが無いので・・・止めます。 CS放送にて、直径1500キロの彗星が砕け、地球に落ちて来る話しをやりました。海水位が1万メートルも上がって、地球が水球になってしまいました。あれが本作の出発点となりました。 10年くらい前、日本が核武装する話しを途中まで書きました。中国や北朝鮮を相手に核武装は、やっぱり大人気ないのでした。 広島の惨状については、書いても書いてもキリが無いので、あっさり最低限度にしました。
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