ククール
ピピピ、何かの警報が鳴る。 ククールは待機モードから通常モードに復帰し、辺りを見渡した。 通信器が電波を受信していた。恒星間宇宙船が使う標準デジタル信号だ。 「博士、ロバート博士。地球からの宇宙船が接近中です」 構内回線で主人を呼んだ。 「ああ、そう。わかった。ついに来たか」 眠そうな言葉が返ってきた。研究室のテーブルに向かいながら、また寝ていたようだ。 ククールはレーダーと誘導装置を点検する。地球との連絡船を迎える準備を始めた。 ベースの外は明るい、天候は晴れ。気温セッシ22度、湿度58パーセント、気圧は978ヘクトパスカル。窒素78パーセントと酸素19パーセント、二酸化炭素は2パーセント以下、他に不活性ガスが少々の大気。まあまあ、人間には良好な状態のはず。 「登録番号NCC−2017、船名はベレロポン、船長はニールセン・・・」 信号から船の情報を引き出した。まだ距離があるので、内容は最低限度のもの。 「ニールセンが船長か、偉くなったもんだ。ククール、対応していてくれ」 ロバート・キノシタはモップのような顎髭をなで、立ち上がる。爆発したような頭髪を後ろで束ねた。 ついでにテーブルの上を片付け始めた、1年ぶりの作業だ。 ここは惑星ヨモツWと呼ばれている。ペガスス星系の端で4番目に発見された人間が居住可能な星だ。 22世紀後半、光を超える速度で星から星へ飛ぶ技術が実用化された。23世紀、人類は新たな地球を求めて銀河を探索している。 発見当時、惑星は重力・気圧・気温が適正であると判断された。大気に二酸化炭素が多く含まれていたが、無菌状態と考えれば、むしろ住むには好都合である。残る問題は、経済的に見合う資源が存在するか、否か。 3年前、この星に、居住実験として3人が降り立った。 今、第2次居住実験の要員を乗せ、宇宙船ベレロポンが来た。 1日目 ロバートが風呂から出て、管制室に来た。腰にバスタオルを巻いて、上半身は裸、モップ髭は前のままだ。 ククールはイスを回し、主人に向かう。 「宇宙船が衛星軌道に入りました。映像音声の通信が可能です。呼んでいます。出ますか?」 「つないでくれ」 ククールはカメラをロバートに向け、通信器のスイッチを入れた。 「こちらヨモツW、ミサカ高原のベースキャンプ。ベレロポン、応答願う」 ロバートが誘うので、ククールは彼の後ろに回った。カメラの視野に入る所に立つ。 ベレロポンが応答した。通信画面に出たのは若い通信士官、すぐカメラは船長席に切り替わった。 「事故と言うか、事件の報告をして2年になる。いや、2年半か。見捨てられた、と思ってたよ」 ロバートは背を丸め、モップ髭を突き出して言う。 「報告は知っている。こちらにも都合があるので・・・後ろの女は誰だ? 実験で居残った3人は、男だけのはずだが」 画面のニールセンが眉間にしわを寄せた。男の性で、つい女に注目してしまったようだ。 「これはククールだ。降りて来たら紹介するよ。通信終わり」 ロバートは一方的に通信を切った。 「女か・・・女ねえ・・・」 立ち上がり、ロバートはククールを見直す。 長めの黒髪を後ろに垂らし、来ているのは黒のワンピース。20世紀初頭の服飾家、ココ・シャネルが自分のためにデザインした服、リトルブラックドレスを模したもの。虚飾を廃した容姿はロバートが望んだ。服はククールが自分で作った。 ごろろ、腹が鳴って、ロバートは前屈みに腹をおさえた。 「宇宙船が降下して来ます。着陸まで10分と27秒」 ククールがレーダーを見て言った。 「対応しててくれ。おれは、トイレだ」 ロバートはバスタオルを引きずり、前屈みのままトイレへ行く。 ククールは窓から外を見た。上空から接近する物がある。 着陸スポットに照明を点けた。 宇宙船は誘導電波に従い、着陸スポットに降りた。機体が若干はみ出た。 ククールはベースのエアロックで待った。 しかし、30分ほどしても、彼らは宇宙船から下りて来ない。出迎えに切り替え、外に出て、宇宙船の方へ歩いた。 湿度が低いので雲はほとんど無く、空の青は濃い。 宇宙船のドアが開いて、タラップが出た。 よたよた、頼りない足取りで異形の3人が現れた。気密服のせいで、人間の体型になっていない。 「ようこそヨモツWへ。皆様の到着を歓迎いたします。エアロックで服を脱ぎ、中へお入り下さい」 ククールの語りかけに、3人は顔を見合わせる。何かを相談する様子だ。 「言葉は通じていますか。必要なら、英語、ロシア語、中国語に切り替えます」 「いや、言葉はわかる」 3人の1人が返事をした。船長のニールセンだ。 「きみは誰だ? なぜ、ここにいる?」 通信で画を送った時にも、同じ質問を受けた。彼らが納得する説明をするべく、ククールは少し考えた。 「わたしの事はククールと呼んで下さい。わたしはロバート博士に造られたロボットです」 「ロボット!」 3人はククールを囲んだ。 ニールセンが手に触れた。手袋越しだが、人間の女と変わらぬ感触に頭をひねる。 「むさい男が出迎えるより良い、と思ってたけれど、混乱させたかな」 ロバートが出て来た。スーツに着替えているが、気密服ではない。 「彼女が・・・ククールがロボットとは。こんな高度な物を作る設備は無いはずだ」 ニールセンが抗議するように問う。ロバートはモップ髭をなで、うんと肯いた。 「3年分の疑問がある事は理解している。でも、わたしには口がひとつだけだ。説明は順を追ってする」 ロバートは3人をベースに招き入れた。 エアロックで気密服を脱ぐ。ククールが手伝った。 直にククールに触れて、またニールセンは首を傾げた。 「温かい・・・語りも自然だし・・・いよいよ、人間としか思えない」 「ありがとう、褒め言葉と受け取らせてもらうよ。この2年半は無駄じゃなかった」 ロバートはモップ髭をなで、眉を少し動かした。 3人は船長のニールセンと設営士官のケイローン、第2次居住実験隊長を務めるウォーレンだった。 管制室に入り、ケイローンとウォーレンは3年間のデータを呼び出す。見守るロバートとククール。 ピッピッ、電子音を発し、大きめのゴミバケツのようなロボットが飲み物を配った。 「アルタは、わたしが初めて作ったロボットだ。機能は限られているが、工夫を重ねて能力を拡張した。とても面白い体験だった」 へえ、ニールセンが首を傾げて見つめる。ククールとアルタを見比べ、完成度の差に首を傾げた。 「20パーセント以上あった二酸化炭素が激減し、酸素と入れ替わっている。それも、たった3年で」 「理由を聞かれても、わたしには答えられない」 ケイローンが気候変動のデータを見て疑問を呈した。ロバートは首を振るだけ。 「しかし、気密服無しで外を歩けるのは朗報だ。テラフォーミングの必要が無い。人が住むに相応しい星だよ、想像以上だ」 ウォーレンが手をたたく。 続いて、ケイローンは研究データを呼び出した。ロバートの同僚、レスリーとフランシスの顔が画面に出た。 高原に置かれたベースは、宇宙船の離着陸や地球との通信ため。居住のための実験は、ベースから見おろす谷の底で行われていた。 実験を始めて半年、事件は起こった。レスリーとフランシスのデータは、そこで途切れている。 がたっ、アルタがテーブルにぶつかり、トレー上のコップが倒れた。ククールがコップを拾い上げ、床にこぼれた飲み物を掃除する。 アルタとククールを見ながら、またニールセンは首を傾げた。 「さあ、ここでレスリーとフランシスに会ってもらおう」 ロバートは皆を冷凍庫へ誘う。 そこは、本来は食料貯蔵庫だった。今も部屋の半分は食料が積まれていた。 空いている床に2枚のパネルが列んでいる。 「またロボットだ」 ニールセンが言った。 パネルを見おろすように、2台の大柄なロボットが立っている。黒い卵形の胴体、太い手と足。 「力仕事をさせたんだ。今は用も無いし、スイッチを切ってる」 ロバートは簡単にロボットの用法を言い、パネルの方を見ろと言う。それはレスリーとフランシスの死体だった。 「事故の現場から、地面を凍らせて、切り出して来た」 医師でもあるウォーレンが死体を診た。 パネルは幅1メートル長さ2メートルほど、どちらも霜で白く薄化粧していた。 レスリーの死体は何かに踏みつぶされていた。太腿骨が楕円につぶれている、何トンもの重しが乗ったよう。 フランシスは焼かれていた。土の表面は炭化し、骨の一部が青や紫に変色している。衣服の金属が溶け、骨に混じったのだ。炎の温度はセッシ600度以上、あるいはアルミも融ける800度くらいか。 「真夜中に、どーんどーんと大きな音がした。朝、彼らのトレーラーに行ったら、こうだった」 ロバートは言って、ごくり唾を呑んだ。恐ろしい出来事を思い出し、身震いが来た。 「事件の現場を実際に見ないと、何とも言いようが無い」 ニールセンは振り返り、黒いロボットを見直した。死者を守る番人のようだ。 車庫に移動した。谷の研究拠点を見るためだ。 「違う」 ニールセンはバギーを見るなり言った。3年前に置いていった車と、全く違う物がある。 「ククールが作った乗り物だ。あれこれ要求は出したけど、ね」 「作った、ククールが?」 うん、とロバートは軽く肯いた。 ウォーレンは残る事にした。 谷へ行くのはニールセンとケイローン、そして案内役のロバートだ。ククールがバギーを運転する。 「シートベルトをして下さい」 ククールが要請した。スイッチを入れると、バギーは小さくモーターをうならせて走りだした。 なだらかな坂を下った。 谷の底は広い。盆地と表現しても良いくらい。 崖の下端、地層が露出した所にレスリーのトレーラーがあった。 「地質学者らしい選択だ」 バギーを降りて、ニールセンは周囲を見渡す。すぐ、地面の異常を見つけた。 窪みの列がある、大型動物の足跡か。どこからともなく始まり、トレーラーを囲むように続き、突然に消えていた。 2台のトレーラーの片方はグチャグチャに破壊されている。ゾウに体当たりされたかのよう。 トレーラーの横に四角く地面を切り出した跡があった。 「レスリーは、ここで死んでいた」 ロバートが説明した。 ニールセンは足踏みしてみた。地面は固い。 レスリーを踏みつぶした怪物を想像した。足跡の深さからして、体重は何トンもあるだろう。 報告によれば、あれ以後、怪物は現れていない。 「あれは何だ?」 ケイローンが崖下に穴を見つけた。楯に数メートル掘り下げてある、数十メートル離れた所でも同じように掘っていた。 レスリーは地質学者だ、この惑星の歴史を研究していた。 タブレットで彼の報告を開いた。 約20万年前、この惑星は大災害に襲われた。惑星の表面がセッシ800度から1000度に達する炎で焼かれた。焦げて融けた地層があり、惑星全土で確認できる。 この結果、惑星の表面から微生物の痕跡も消えた。ただし、隕石や彗星が衝突した跡は未発見である。 「大災害を生き残った大型動物がいて、突然現れ、レスリーを襲い、また消えて・・・以来、姿を見せない」 納得いかない事だらけ、ニールセンは腕組みで現場を見た。 「船長、これを」 ケイローンが呼んで、壊れていないトレーラーのドアを開いた。 箱が積み上げられていた。中身は金色の砂だ。 「砂金・・・ですか?」 「わたしは地質学者じゃない」 ケイローンが唾を呑む。本物の砂金なら、大金持ち間違い無しの量がある。 レスリーの報告に、金の項目は無かった。 奥にシートをかぶせた物がある。シートを取ると、金の延べ棒が積み上げられていた。 19世紀から20世紀にかけ、アメリカ西部でゴールドラッシュが起きた。しかし、金の採掘は大仕事。1トンの土から1グラムの金が採れれば、十分に効率が良かった。山を崩し、谷を掘るように、金は採取された。 時間的にも人数的にも、採掘された金とは思えない。この惑星のどこかに金塊が貯蔵されていた、と判断する方が簡単だ。 ニールセンはドアを振り返る。 ロバートとククールがいた。金に驚く二人を見る目は冷ややかだ。 またククールが運転するバギーに乗り、フランシスのトレーラーを目指した。 谷の中央に池がある。直径は100メートルほど。その周囲、半径1キロほどが草原になっていた。草の背丈は膝まである。 池のほとり、まっ黒に焦げた所があった。トレーラーの燃え残りが哀れな姿をさらしていた。 「前回、動物や植物は持ち込んでいないはずだ」 ニールセンは草の上に立ち、苛立ちを隠さない。規則違反が明らかな状況だ。 ケイローンがフランシスの報告を開いた。 この草原は3ヶ月ほどで成長させた。土に有機成分が不足しているが、肥料を足さずとも、惑星を緑化する事は可能である・・・ 「フランシスが育てた草は、すべて地球由来の物らしい。どこで種を入手したか、これが問題だ」 四角く切り取られた地面の跡を見た。フランシスの死体があった場所だ。 トレーラーは金属の骨組みが融けていた。セッシ1000度を超える熱を受けた証拠だ。 どんな武器を使えば、こんな風に融けるのか。爆弾ではない、それは確かなようだ。 「この先に、わたしのトレーラーがある。洞窟の前だ」 ロバートが谷の先を指差した。 「あれは何だ?」 ニールセンは背伸びした。 谷の端から白い煙が上がっていた。と、煙の噴出は勢いを増し、ジェット噴射のようなった。 ドドドド、少し遅れて地響きが音と共にきた。 「間欠泉だよ。噴出時間は不ぞろいだけど、1日に1度はあるなあ」 ロバートが解説した。何度見ても、見飽きない光景である。 噴出するジェットは高さ100メートルを超えていた。煙が流れて来て、辺りが白く霞んだ。 薄く硫黄臭を感じたが、呼吸を害するほどではない。ほぼ水蒸気のようだ。 「大気の組成が変わったのは、これのせいかな?」 「そうかも知れないね」 ケイローンは気候変動のデータを見つつ、間欠泉をカメラに納めた。 白い煙が薄れ、間欠泉の噴出が終わった。 3人はククールが運転するバギーに乗り、ベースへもどる事にした。 坂を上りつつ、草原を見た。フランシスの死後、草原の面積はほとんど増えていないようだ。 宇宙船ベレロポンからコンテナが下ろされた。貨物の搬出が始まっていた。 ベースには大勢の人が出て、街ができたような賑わいだ。 気密服は無し。普段着で外へ出られるとあって、皆の顔がよく見える。 管制室で作業を指揮するのは、居住実験隊長のウォーレン。ここも隊員でごったがえしていた。 ケイローンは持ち帰ったデータを開示した。画面に目が集まる。 金の延べ棒の山を見て、おおお、声が上がった。 「きちんと鑑定してからでなければ、何とも話が進まない。ぬか喜びに終わる可能性もある」 ニールセンが歓声にクギを刺した。 遅れてロバートが帰って来た。騒々しさに耳をおさえる仕草。 ぴゅー、だれかの口笛。 ククールを見た男たちがざわめいた。 ベレロポンにも女の乗組員が数名いる。それでも、新しい女を見て、つい男の本能が疼いたよう。 ニールセンが振り向き、ロバートと目を合わせた。 「ロバート博士、あなたを逮捕します。レスリーとフランシスを殺害した容疑です。あなたは、あの金を独り占めするため、ロボットを使って二人を殺した・・・そうでしょう」 ポカンと口を開け、ロバートは聞いていた。やがて腕を組み、頭をかかえた。 「ずいぶんと、まあ、通俗的な解釈だね。そうか、わたしは金の亡者に見えるのか」 はあ、と息をついて、壁にもたれた。 「ケイローン、ロバートを逮捕しろ。地球へ連れ帰り、裁判を受けさせる」 ニールセンの命令を受け、ケイローンは部下の一人とロバートに歩み寄る。腰の拳銃を抜き、警戒の構えをとった。 と、ケイローンの拳銃をつかむ手が。 ククールが間に立った。 「は、放せ」 ケイローンはうめいた。手から拳銃が落ちた。 ククールは腕を逆にねじり上げ、床の拳銃を踏みつぶす。動きに無駄は無い。 部下がククールにつかみかかった。が、片手で投げ飛ばされた。ぐえ、と声をもらして倒れた。 わおっ、ククールを応援するような声も出た。その男は周囲から睨まれ、身を縮めた。 「抵抗するな、おとなしくしろ」 ニールセンも銃を抜き、ククールに向けた。 ククールがケイローンの首を折るか、ニールセンがククールを撃つのが早いか、管制室が凍り付いた。 「待て、ククール。ロボットは人を傷つけてはいけない」 今度はロバートが間に入る。 「これは敵です、ロバート博士。あなたに銃を向け、危害を加えようとしました」 「いや、彼がやろうとしたのは、法の執行だ。暴力や危害とは違う。銃の安全装置だって外れていなかったはずだ」 主人の言葉に、ククールが素直に反応しない。なぜ、と思いつつ辺りを見て、ニールセンの拳銃に気付いた。 「ククールは複数の人間と同時に対応する経験に乏しい。もう大丈夫だから、銃をおろしてくれ」 言われて、ニールセンは銃の安全装置を入れた。ゆっくり銃口を下ろした。 ロボット・・・事の成り行きを見ていた者たちが、口々につぶやいた。 見かけは華奢な女ながら、大の男を二人も手玉に取った。その剛力に感嘆するばかり。 「同意します」 ククールの手から力が抜けた。 ケイローンは肩をおさえて、倒れるように座り込んだ。 床の銃を見て、拾おうとした。それは半分、床にめり込んでいた。取り上げると、銃身が曲がっている。 「船長、あなたの判断は正しい。この力があれば、何でもできる」 ケイローンが痛みをこらえ、毒づいた。ウォーレンが救急セットの箱を開く。 「多くの疑問があるのは知っている。順を追って説明する、と言ったはずだ。まだ、説明は途中だ」 「わたしも同意します」 ニールセンは銃を腰のホルスターにもどした。 「疑いが晴れた訳ではありませんが、逮捕は保留します」 ふう、ロバートが安堵の息をもらした。ぴたり、ククールは守るように寄り添う。 「ククールにとって、守るべき人間はロバート・キノシタ博士、あなた一人だけのようだ」 ニールセンはククールを嫌み半分に評した。 2日目 第2次の居住実験では、人数が10人以上になる。ベースの居住棟が大急ぎで拡張されていた。 と同時に、医療棟も大きくなった。隊長のウォーレンが主な仕事場とするところだ。 設置されたのは医療用全身スキャン装置、体に入り込んだ虫も見つけられる能力がある。ロバートが試験をかねて、スキャンを受けた。 「よし、おおむね健康だ」 「どっちが? わたしの方か、それとも機械の方かい」 ウォーレンの言葉に、ロバートが異論をはさんだ。 「頭蓋骨の内側に、妙な突起があるな。でも、特に問題無さそうだ」 頭部の画を見た。専門外であり、ロバートは口をつぐむ。 「さあ、次はこれに座って」 看護師のジュリアが指示する。第2次隊の中で、数少ない女の一人。 言われるまま、イスに腰をおろした。3年ぶりに女と対すると、無意味に緊張した。 横のワゴンに剃刀とハサミが列んでいた。隊員の衛生管理は看護師の仕事だ。 ばちばち、かしゃかしゃ、たちまちロバートの髪が切り落とされた。髭もバッサリと剃り落とされた。 「うん、きれいさっぱりね」 モービアスは立ち上がり、鏡に向かった。髭の無い自分を見て、なつかしく思った。 「首の後ろが涼しい、頭が軽いし、あごが変な感じだ」 体のバランスが変わった、ふらつくような気がした。 鏡越しに、ククールは主人を見ていた。2年ぶりに見る主人の顔に、デフォルトデータの設定変更をしなければならない。 「ククールは笑わないのね」 ジュリアがいぶかる。 「ロボットだよ。感情は必要無い。理性と論理で動くんだ」 「わらった方が、ぜったいに良いって」 むむ、女の主張に反論は重ね難い。ロバートは言葉を選び直した。 「笑う、泣くなどの感情表現は、言葉を使えない幼児がするものだ。ククールは初めから言葉が使えるので、感情表現は必要無かった」 「この先、ククールが人間の中で生きていくのには、ぜひ必要な事です」 「そ、そうかなあ」 ころころと色を変えるジュリアとロバートの顔を、ククールは冷徹に記録していた。 顔の表面を動かす機能はあった。これまで求められなかったから、使わなかった。 「問題は、言語外言語と言うやつだな。そっちの方は不勉強でね。わたしは口語より文語の研究が主だったから」 「言い訳ね。それじゃあ、言語学を学んだとして、まだ半人前でしょ」 はい、とロバートは頭を下げた。口のケンカは、昔から苦手だ。 ロバートは管制室へ行った。 ククールが続いて入る。もう口笛は鳴らない。 面相の変わったロバートに、誰もが戸惑っていた。 「お早う、さっぱりしたね」 ニールセンが握手を求めて来た。船長の態度を見て、他の者も胸をなで下ろす。 「今日は洞窟を案内する。ククールを作った所もある」 「ククールを作った?」 うん、とロバートは肯く。ケイローンが寄って来た。 「それは、ぜひ見たい」 ケイローンは部下のチェ・スンマンも同行させる、と言う。またククールとやり合うつもりか。 「洞窟に入ったら、わたしの指示に従って動いてほしい。でないと、危険な場合がある」 いいね、とロバートは念を押した。 「ケガ人が出るなら、わたしも行きます」 背後から聞こえたのは、ジュリアの声だった。 車庫に移動した。 バギーに運転のククールを加えて、6人が乗った。定員いっぱいだ。 ウォーレンが見送りに出て来た。彼の足もとにアルタがいた。 ピピ、電子音を出し、アルタが何かを語った。 「行ってくるよ」 ロバートはアルタに手を振った。 坂を下り、草原の横を通り、谷の端へ来た。 トレーラーが1台、ぽつんと崖下にある。ククールはバギーを並べて止めた。 「間欠泉が近いな」 ニールセンがつぶやいた。1キロほどの距離で、地面から湯気が上がっていた。 「ここで見ると、大迫力だよ。でも、今日は、こっちへ」 ロバートは崖の方へ皆を誘う。崖に縦の亀裂があり、そこが洞窟の入り口だった。 「レスリーとフランシスが、先に見つけた。でも、道を整備したのは、わたしだ」 壁にロープが張られ、手すりの代わりになった。照明もあり、洞窟の中は明るい。 10メートルほど進むと、周囲が変わった。岩や地層ではなく、壁が平らになった。 「これは・・・柱か。こっちは梁だ。古代の建物か?」 ケイローンが驚きの声を出した。 やがて、洞窟は行き止まりになった。平らな壁の中に、黒い五角形の部分がある。 ニールセンは黒い部分に触れてみた。磨かれたように滑らかだ。 「鉄みたいだ」 ロバートは笑みをうかべ、横の円盤に触れた。何か紋様が描かれている。 黒い五角形が音も無く開いた。 その奥は、同じ五角形が連なる通路だった。 「ようこそ、宇宙の古代文明に」 ロバートは言い、皆を招いた。 ベースの管制室より広い部屋である。一方の壁には小さな時計のような物が列んでいる。もう一方の壁は黒一色で何も無い。部屋の中央にはテーブルが二つ、大きなイスが付属していた。 ニールセンは壁に触れ、床を靴でこする。ホコリは無い。 「古代なんとかと言うから、もっとホコリっぽい物を想像したが」 「これは遺跡ではない。古代からの物だが、今も生きている。だから、古代文明と言った」 ケイローンと部下のチェ・スンマンはテーブルに触れた。ボタンとレバーがある。 「ゲーム機みたいだ」 「大昔、20世紀後半に流行ったゲーム機のコントローラーが、こんな風にボタンが並んでいました」 二人の感想に、ロバートは答える。 「ちょっと違うけど、使い方次第では、そう言えるかもしれない」 ケイローンを押しのけ、ロバートはイスに座った。両手でレバーを握ると、壁の端の時計が少し動いた。 テーブルの上に何かが現れた。 やがて、それは小さな人の形となった。 「ククール!」 ジュリアが見て言った。振り返り、入り口に立つククールを見た。 小さなククールはテーブルの上を歩き、ジュリアにおじぎした。ぐるりと一回りして、真ん中にもどる。 あう、ロバートが小さな声を出し、レバーから手を離した。と、小さなククールが消えた。 「わたしは苦手でね、集中力が続かない」 ひたいの汗をぬぐい、ロバートは肩で息をした。 「じゃあ、今度は、わたしが」 チェ・スンマンが嬉しそうにイスに座る。ぽきぽき、指を鳴らしてレバーへ手をのばした。 「わたしが初めてやった時は、一昼夜も意識を無くして、フランシスに助けられた。気をつけてくれ」 え、とチェの手が止まった。 「レスリーとフランシスも、この機械を使っていた?」 「彼らは・・・苦労しているように見えなかった」 ニールセンの疑問に、ロバートは思い出しながら答えた。 ジュリアがレバーに触れようとして、手を引っ込めた。リスク覚悟のトライは、まだ出来ない。 スロープを下り、奥へ進んだ。 広い通路に出た。 「ここは、言わば図書館だ。全宇宙の知識がある、まだ途中までしか調べてないけど。さっきの部屋でも見られるが、アクセスが面倒なので、ここで見る方が簡単だ」 ロバートは壁に触れた。音も無く本棚のようなパネルが出て来た。 「これを見つけた時は嬉しかった。見たまえ、太陽系と地球だ」 ロバートが触れると、パネルに画が浮かんだ。 木星から火星へ、内惑星を映し、白い惑星が現れた。大陸の半分以上が雪と氷河におおわれている。 「氷河時代か・・・なら、1万年以上前だな」 「いや、レスリーのデータでは、この惑星は20万年前に大災害に襲われている。それ以上前でしょう」 ニールセンとケイローンが歴史談義。ロバートは画を進め、地表面で動く生物を映し出した。 「ほら、原始人だ。まだ石器時代だ」 猿的な風貌の人間が現れた。不器用に石を割り、石器を作っている。旧石器時代の生活だ。 わー、だー、ままー、幼児のような言葉を交わす原始人たち。 突然、鉄の棒やハンマーを振り回す彼ら。宇宙から来た文明の利器だ。理解はできないが使える物を得て、喜ぶ顔は人間そのままだ。 さらに奥へ進んだ。 「ここが、ククールを作った工場だ」 棚にロボットの完成品と部品が並んでいた。ベースの冷凍庫にあるロボットもある。 「出来合いの部品を組み合わせて、望むロボットを作れる。ここでアルタを作ったよ。素人向けの工程だ。あちらが、ククールを作った所だ」 最初の部屋にあったテーブルと同じ物がある。その向こう側には、原子炉の炉心かとも思える巨大な装置があった。 テーブルの横にガラスケースがある。等身大の女が入っていた、裸だ。 「これはククールの試作品。身体的特徴を強調し過ぎて、ちょっとね、3日で止めたよ」 裸の女は、細い首と大きな乳房、くびれた腰としぼるように細くなる足首。映画から飛び出したような体型だ。 ジュリアは見て、ひくと頬を動かした。入り口で見守るククールと見比べた。 「確かに、今のククールの方が実用的ね」 ロバートは笑みを返し、イスに座る。 「ロボットばかりでなく、色んな物が作れる」 むん、とレバーを握る手に力を入れた。 パチパチッ、テーブルの上に火花が飛んで見えた。 ガラスのワイングラスが現れた。 ロバートは手に取り、ジュリアに渡した。よく見れば、ガラスが厚かったり薄かったり、曇りが入っていたり。 「人間の思考には多くのノイズがあって、それも実体化してしまう。ノイズを除いて作るのは、けっこう時間と手間がかかる」 ロバートが自慢げに言った。 「レスリーは、ここで金塊を作った?」 「作ったかもしれないが、わたしには分からない」 ニールセンの疑問に、ロバートは首を振る。 がたっ、チェ・スンマンが棚の部品に触れ、落としてしまった。 するする、物陰から黒いムカデのような物が現れた。 うわっ、悲鳴を上げ、チェは銃を抜いた。 「待て、撃つな!」 ロバートが叫んだ。チェの手が止まる。 ムカデは部品を拾い、棚の元の位置へもどした。 ざわざわ、壁の隙間から、天井から、無数のムカデが現れた。囲まれてしまった。 「彼らは、ここの管理者だ。日常の掃除もしている。我々を異物と思ったようだ」 ロバートの解説に納得しても、部屋にあふれるムカデへの恐怖は消えない。 ニールセンはククールを見た。一匹のムカデが体を這い上がり、降りて離れた。ククールは静かに佇んでいる。 「さあ、ゆっくりと、静かに帰ろう」 ロバートの指示に従い、6人は固まって歩く。ククールが先導するかたち。 最初の部屋にもどった。 ムカデが一匹、奥への通路前に陣取る。警戒しているようだ。 「この星の住人は、本当に滅びたのか・・・何らかの形で、誰かが生き残っていて、この施設を維持している。そうも考えられる」 ニールセンがテーブルに触れながら、あれこれと推測する。 「レスリーとフランシスは先住民と接触して・・・事件が起きた」 「先住民がいるとして、友好的な接触にならなかった」 ケイローンが推測を補強した。ロバートへの疑いが、少し晴れたようだ。 「ここから、さっきの図書館にアクセスできる?」 ニールセンがイスに座って聞く。 「できるけど、気をつけて」 「1日気を失う、でしたね。先住民のデータが欲しい。生き残っているなら、ぜひ」 ロバートの注意に、ニールセンは肯いた。が、決断は変えない。深呼吸して、レバーを握った。 壁の端の時計が動いた。ロバートが操作した時より、倍以上も大きく振れた。 皆の目がテーブルの上に集まる。しかし、何も出て来ない。 「これはゲーム機じゃない。この星の中枢までつながっている。あらゆる事が可能になる・・・」 ニールセンの額に汗がにじんだ。 対する黒い壁に何かが現れた。銀河系の映像だ。 「これがイブヤ文明の全盛期だ」 「いぶや?」 ロバートが知らない言葉、それがニールセンの口から出た。 輝く惑星が現れた。大きな宇宙船が行き来している。そびえる摩天楼、地上は見えない。 「人は? この星の人は?」 ジュリアが言う。映像にあるのは機械ばかり、人の姿が無い。 はっはっ、ニールセンは肩で息をする。全力疾走しているかのよう。 宇宙船が火を噴き、墜落した。稲妻が走り、都市が炎上する。映像は炎に包まれた。 ああっ、ニールセンが声を上げ、倒れた。 映像は消えた。 ジュリアがニールセンを床に寝かせた。顔が赤い、激しい呼吸だ。指先が硬直し、細かに痙攣している。 救急箱を開き、酸素ボンベを出して吸入する。 「ベースへ帰ろう」 ロバートはククールを呼んだ。ニールセンを横抱きに持ち上げさせた。 3日目 ニールセンはベッドで寝ていた。酸素吸入は続いている。 「脳死状態だ」 ウォーレンがつぶやいた。全身スキャンの画を見て、弱い脳波も思わしくない。 「いったい、何をしたんだか。電子レンジで脳を焼いたみたいだ」 ニールセンの頭部を透視した画像は、脳の前頭葉が白く塗りつぶされたようだ。 人間の脳で、特に前頭葉の部分は、この20万年ほど間に急激に発達した。発達の過程で、脳細胞は数倍にも増えたが、血管は以前と同程度の太さのままだ。血管だけでみれば、現代人と原始人の脳の差は小さい。 このため、脳の前頭葉は血行障害の影響を受けやすい。傷害を経る度、人格が少しずつ変わっていく。その果てに認知症が起きる。 電磁波がウォーレンの脳を焼いた時、先に血管がやられ、血流が止まった。脳細胞は酸欠状態になり、オーバーヒートして壊死した。 「もう、助からない?」 ロバートが聞いた。ウォーレンは首を振る。 「ここの設備では、あとしばらくの間だけ、人為的に心臓を動かしてやるのが精一杯だ。その内、腎臓か肝臓がやられて、感染症になって終わりだろう」 医師として、自分にできる事を言った。 ジュリアが爪を噛んで、動かぬニールセンを見つめる。 「あらゆる事が可能になる・・・と、彼は言ってた。なら、この状態から助ける事だって」 まさか、とロバートは振り返り、また首を振った。 ポーン、館内放送のチャイムが鳴った。 「副長のニクラウスである。船長が事故で倒れた。これより、わたしが長として全権を掌握する。臨時に、ケイローンを副長に任命した」 勇ましい声の放送だ。 ふう、ロバートは息をついた。つい、息を止めて聞いていた。 ロバートは管制室に呼び出された。ククールを廊下に待機させ、一人で入った。 臨時に船長へ昇格したニクラウスがいた。いかつい肩幅で、周囲を圧倒している。 「あの洞窟は、我々が管理して、しばらく立ち入り禁止とします。地球に応援を要請し、専門の調査団の到着を待とうと思います」 船長の事故は重大だ。ロバートも拒否できない。 がっかりして、管制室を出た。 と、ククールに言い寄る男がいた。チェ・スンマンだ。 「ククール、おまえは人間だよ。あのロバートに、ロボットだと思い込まされているんだ。いや、二人で仕組んで、ロボットの芝居をしてるんだろう。正直に言えよ、わたしは人間です、と」 「わたしはロボットです。ロバート博士に作られました」 チェは懸命に口説いている。 ククールがどう対応するか、と興味がわいた。あえて距離を置き、二人を見守った。 「あんな爺いの、どこが良いんだ。若い俺の方が似合ってるぜ、そうだろ」 「ロバート博士は、わたしを作りました」 ぎりっ、チェが歯ぎしりして銃を抜いた。銃口を顔に突き付けた。 「答えろ、俺はイヤか!」 ククールは動かない、静かに立っている。 ロバートは進み出た。これ以上、黙って見ていられない。 「ククール、聞いているだけでは、解決は無い。きちんと自己防衛をすべきだ」 「銃の安全装置は外れていません」 ククールの答えに、ロバートは満足した。一昨日の件から学んでいたのだ。 チェはバツが悪そうに銃をしまう。 「ピグマリオン症候群は自分の創造物に向けるものだ。ククールが欲しければ、きみが自分で作れば良い」 「自分で作る?」 チェは目を丸くした。そして、きつい目をロバートに向けた。まだ疑ってる様子。 ポーン、インターホンが鳴った。 ロバートは自室にいた。ベッドに寝たまま受話器を取る。 「これから洞窟を閉鎖します。手伝って下さい」 ケイローンの声だ。 「わかった」 寝たまま受話器を置き、ふう、と一息入れて起き上がる。部屋の隅にいたククールとアルタが、待機モードから起きた。 車庫に行って待つ。 小型のバギーが無くなっていた。 そこへ、ウォーレンが来た。きょろきょろ、誰かを探す様子。 「ジュリアを見かけなかったかい?」 携帯しているはずの通信器でも、応答が無いらしい。通信器が壊れたのか、ベースの外にいるのか。 「ベースの外だとすれば」 ロバートに思い当たる場所は、ひとつだけだ。ニールセンの言によれば、あらゆる事が可能になる・・・かもしれない、あそこだ。 ケイローンが部下を引き連れて現れた。 「すまん、先に行ってる」 ロバートはククールが運転するバギーで出た。ピピッ、アルタの電子音が見送りだ。 全速力で坂を下る。 両足で踏ん張るが、シートベルトが腹に食い込んで痛い。 洞窟前に着いた。小型のバギーがある。 ロバートはククールを連れ、洞窟に入った。一番奥、黒い五角形の扉に来た。ジュリアはいない。 横の円盤に触れた。扉は音も無く開く。 「これは、単なる開閉スイッチか。鍵がかかるように工夫しないと」 これまで気にもしなかった。 ここは今、誰でも出入り自由な状態。今のままでは、閉鎖しようにもできない。 肩を落として、五角形の通路を奥へ進んだ。 部屋に出た。 ニールセンが倒れたテーブルで、ジュリアがイスに座り、突っ伏していた。 ゆっくり近寄った。まさか、と肩に触れた。 「あっ」 小さな声をあげ、ジュリアが起き上がった。その額に汗がにじんでいる。 「よかった」 ロバートは汗を拭いてやる。ジュリアの顔は安らかに見えた。 「この機械を使ったんだね」 「はい。でも、残念な事に、今回は、船長を救う方法は見つけられませんでした」 ふうう・・・深く息をつく。疲れているようだ。 「ここは閉鎖される事になった。出られるかな」 ロバートが言うと、小さく肯いた。だだをこねるかと思いきや、素直に従う。 ククールが支えて、ジュリアは立ち上がる。 「他には、誰か?」 「いえ、わたしだけです」 奥の方を振り向き、とりあえず安心した。 ジュリアの足がおぼつかない。彼女に歩調を合わせ、五角形の通路を外へと歩いた。 ケイローンと部下たちが到着した。五角形の扉の所で鉢合わせだ。 洞窟の閉鎖は彼らにまかせ、外へ出た。 ジュリアをバギーに乗せた。座ると、眠るように目を閉じた。 ケイローンから許可をもらい、先に帰る事にした。 ククールはバギーをゆっくり走らせた。急ぐ必要は無い。 ギシッギシッ、車体のどこからか音がする。 「サスペンションと車体のつなぎに異常が出たようです。ベースに着いたら修理します」 ククールが異音を分析した。こういう場合、ロバートはククールに任せるだけだ。 「待って、ここで止まって」 ジュリアが言った。 ククールはバギーを止めた。フランシスが作った草原の前だった。 風が吹いた。草が波打つように揺れた。 ジュリアは草原に踏み込んだ。何かが誘うのか、池のほとりまで進んだ。 ロバートは追った。 ぱしゃ、池で水音がした。同心円の波紋が広がる。 彼女は踊るように回り、手を振った。口元に、うっすらと笑みがある。 ざわざわ、風も無いのに草が揺れた。 草は身をよじりながら、背丈を伸ばした。たちまち腰の高さまで来た。穂が出て、花が咲いた。 「ジュリア!」 ロバートは呼んだ。 草の背は、さらに高くなった。もう胸まで伸びた。 彼女の姿を見失った。背伸びしても、草がじゃまで見えない。 「ジュリア!」 草をかき分け、ロバートは探した。肩より高く伸びた草で、ククールの姿も見失った。 静かになった。草は踊るのを止め、成長も止まったようだ。 風が吹いて草を揺らす。 地面が黒く焦げた所に出た。ここでフランシスが死んだ。 トレーラーの残骸にジュリアは佇んでいた。 「船長の助け方は分からなかったけど、フランシスの研究には近付けました。大事なのは土です。岩を砕いただけの砂は、ただの鉱物です。草木は育ちません。土こそ、生物です。草木は土の表面に寄生している、と言っても過言ではありません」 ジュリアは悟りを得た顔で語った。今朝とは、面相が違う。 ロバートは聞くだけだ。もとより、生物学は専門ではない。 バリバリ、タイヤが草を踏む音。ククールがバギーで乗り込んで来た。 4日目 ゆさゆさ、体が揺さぶられた。 ロバートは薄目を開けた。アルタの目覚ましだった。 「おはよう」 ロバートはベッドで体を起こした。ピピッ、アルタが電子音で応えた。 部屋の隅で、ククールが待機モードから復帰した。 「車庫で修理の続きをします。午前中に終わります」 「たのむよ」 ロバートは任せるだけ。ククールはアルタを連れ、部屋を出て行った。 ふああっ、大きなあくびが出た。 廊下を行き来する足音が続く、数日前とは大違いだ。 ロバートは拡張なった食堂で朝食をとった。 食器をもどして、コーヒーを飲む。専任の調理担当がいるので、食器を洗わずにすむようになった。 つい数日前まで、一人きりで黙々と食事していた。大勢と一緒の食事に慣れてきた。 コーヒーカップを片手に、医療棟へ行く。病室に入り、カップを落としそうになった。 植木鉢が棚に並び、花が咲いていた。ニールセンのベッドが花に囲まれている。 ジュリアが新しい鉢を持って来た。棚に置いた。 手で何やらおまじないのような手振りをした。 鉢の土が動き、芽が出た。 芽は伸び、葉が出て、ついに花が咲いた。 ふう、ジュリアは額の汗をぬぐい、一息ついた。 「魔法使いになったんだね」 「花は咲くけれど、船長は助けられません。所詮、人がやれる事には限りがあるし」 ロバートの言葉に、彼女は薄い笑みで応えた。 あらゆる事が可能になる・・・とニールセンは言った。でも、限りがある・・・とジュリアは言う。 ロバートは二人のような悟りに触れた事が無い。ぐっと言葉を呑み込んだ。また、あのテーブルで挑戦したい気になる。 ポーン、インターホンが鳴った。 ジュリアが取ると、ロバートを探していた。 「車庫で事件だ。ククールが殺された!」 飲みかけのコーヒーカップを置き、ロバートは走り出した。 車庫には人の輪ができていた。 輪の中で座り込んでいる男、チェ・スンマンは青ざめた顔だ。ケイローンが銃を取り上げた。 チェの視線の先、バギーの横にククールが倒れていた。 「人間じゃない・・・人間じゃなかった・・・」 震える口から、言葉が漏れる。 ロバートは輪の中に入り、ククールの傍らにひざをついた。胸から煙が出て、白いオイルがこぼれている。細かく指先が震えていた。 ピピッ、バギーの陰にアルタがいた。こちらは無事だ。 手招きして、近くに呼んだ。 接続端子のポケットを開き、コードを出して、ククールの頭につないた。非接触の通信線を作ったかたち。 「ククール、聞こえるかい?」 「はい・・・ロバートはかせ・・・」 アルタがしゃべった。ククールの信号を受信し、代わって発声した。 「調子はどうかな?」 「体の機能が不全です・・・任務を果たせません・・・」 「そうだね。記録は保存されているかい?」 「記録は完全に・・・保存しています」 よし、とロバートは肯いた。 「では、保存を最優先にして、休止モードに入りなさい」 「休止モード・・・に、入ります・・・」 ククールの動きが止まった。 ロバートはククールからコードを外して、立ち上がった。 「修理はできますか」 ケイローンが聞いてきた。即答しかねる質問だった。 「ここでは修理できない。あの洞窟の施設を使わないと、ね。元々、あそこで全部作ったんだ」 昨日から、洞窟は閉鎖されている。ロバートはお手上げ、とジェスチャーした。 「掛け合ってみます」 ケイローンはチェを立たせた。まだ、顔に色がもどらない。 「良かったな、殺人罪にならなくて。だが、器物破損の罪にはなるぞ」 チェは小さく肯き、ククールを振り返った。 車庫は静かになった。 バギーの修理は終わっていた。工具の片付けだけが残っていた。 ククールをバッグに入れて閉じた。本来は死体を入れる物だ。 バッグをバギーの荷台に載せ、ロバートは運転席で考えた。ピピッ、アルタが電子音で何かを訴える。 3年、この星にいて、形になる成果がククールだった。それを失い、この星に居続ける理由を無くした。早く地球へ帰りたい、そんな思いがわいて来た。 昼は軽くコーンフレークとミルクですませた。 この1年ほど、食事はククール任せだった。栄養管理プログラムを元に、献立スケジュールを立てさせた。 自分で食べる物を決める習慣を無くしかけていた。 食堂の隅でコーヒーを飲む。皆、遠巻きにして近寄らない。 ロバートは管制室に呼び出された。ニクラウスが部下の不始末をわびてくれた。 「ククールを修理するため、あなただけ、洞窟への立ち入りを許可します。ただし、作業にはケイローンが立ち会います」 あっさり許可がおりた。拍子抜けして、かえって迷いが出た。 「立ち入りは、修理の間だけです。どの程度かかりますか?」 「2年前、あの施設を使って・・・1週間ほどで作った」 「1週間で!」 ニクラウスは驚いた様子。 ロバートは答えつつ、あの当時を思い出した。 「見かけを作るのは簡単だった、たくさんの写真を参考にして、ね。身振りや、言葉のなめらかさを出すのに、2年かけたんだ。映画のシーンを切り出して、動きのデータベースを作った。しゃべりの方も、同じ作業を延々と・・・ね」 「では、1週間ですね」 ニクラウスの念押し、ロバートは首肯した。 バギーを洞窟の前に止めた。 一緒に来たはケイローンと部下のチェ・スンマン。 ロバートのトレーラーを詰め所に、警備の者がいた。彼らにあいさつし、ククールが入ったバッグを折りたたみの台車に下ろす。 アルタが台車を引いて、洞窟へ入った。 「ククールを作った時、アルタに手伝ってもらった。それ以来だな、アルタにとっては」 ロバートが思い出して言った。ピピッ、アルタが電子音で応えた。 ケイローンが封鎖のテープを持ち上げた。それをくぐって、五角形の通路を行った。 最初の部屋に入った。 おや、とロバートは足を止めた。 壁に並んだ時計の内、端の1つが動いている。見渡すが、他に誰もいない。 奥へ進んだ。図書館を越え、工場へ来た。 「ひえっ」 チェが悲鳴を上げた。掃除のムカデが足もとを通り過ぎた。 奥のテーブルにバッグを上げ、ジッパーを開いてククールを出した。静かに眠っているような顔だ。 ロバートはイスに腰掛け、レバーをにぎる。ぶん、と小さな音があって、設備が動き始めた。 「ククール、休止モードを解除」 「・・・はい・・・ロバート博士」 製造データが開かれ、ククールが映像として現れた。服のデータは無い、一糸まとわぬ裸の姿。 ごくり、チェは唾を呑んだ。 「修理の前に、記録をバックアップしなさい」 「・・・記録は・・・全て保存されました」 報告を聞き、むうと考えた。 「どうしました?」 ケイローンが聞いてきた。 「少し、迷っている。このまま、前の通りに直すのは芸が無い。何か機能を追加するか、能力を拡張するか、てね」 「何をしても、1週間の内に終わらせて下さい」 ケイローンの許可が出た。しかし、何をどうするか、それが思い付かない。 「ククール、記録の中で、この機能があったら・・・とか、この能力があれば・・・とか、そう考えた事はあったかな」 「わたしは、与えられた機能と能力の範囲内で任務を行ってきました。足りない時は、手順を増やしたり、外部の機器を使って補いました」 へえ、とロバートは感嘆した。思っていた以上に、ククールの思考と行動には柔軟性があったようだ。 ロボットとしての基本プログラムは、この施設に存在していた。ロバートは2年がかりで微調整を施した。 「もしも、新しい機能や能力を追加するとしたら、どんなのが良いかな?」 「内蔵できるなら、わたしの任務が早く簡単になる場合はあります。けれど、内蔵するには体積を増やす必要があり、体型を変更しなくてはなりません」 「うん、いいよ」 軽く答えた。 体積が増える・・・とは、太めになるのか、背が高くなるのか、筋肉ムキムキになるのか・・・想像するだけで楽しくなった。 「ククールは仕事の必要に照らして、体型を含めた全てを自分で選び、決定できる。そう言う事にしよう。できるね?」 「・・・わたしは、わたしを自分で変える事ができる・・・」 ククールが新しい命令得て、色々考えている様子。反応が少し遅くなった。 「新しい体・・・設計が完了しました」 早過ぎる報告に、ロバートは脱力した。もう少し時間をかけて悩んでくれたら、より人間らしく思えたのに。 「外観の概念図を表示します」 「いや、出来上がってからの、お楽しみにしておこう。向こうの部屋で待ってるよ」 ロバートは立ち上がった。 「アルタ、ククールを手伝ってあげなさい」 ピピッ、アルタが電子音で応えた。 「1時間、お待ち下さい」 「・・・1時間!」 ククールが予告した。思わず、3人は同じ声で驚いた。 最初の部屋に戻った。 おお、ケイローンがうなった。壁に並んだ時計が、端から4個も動いていた。 「これは、一種のパワーメーターですね。大きな仕事をするから、大きなエネルギーを使う。それを表示している」 「単位が分からないけどね」 ロバートは床に座り、ランチボックスを開く。おやつと飲み物を用意しておいた。 「4個動いているので、4桁大きなエネルギーを表しているのかな。いや、10進法とは限らない。地球にも、古代には12進法や20進法の例があった」 ケイローンは数学的知識を動員し、メーターの表示を読み解こうとする。 イブヤ文明・・・ニールセンが発した言葉を思い出した。 レスリーが明らかにした事では、この星の表面からは、20万年前に文明が失われた。しかし、この地下施設は20万年以上前から存在し、今も稼働し続けている。自らを整備し、修理する能力があるようだ。その能力の一部を借りて、ロバートはロビーを作り、今日は修理している。 「修理工場の奥に、さらに先へつながる通路がありました」 ケイローンが施設を鋭い目で観察していた。 「わたしは、あまり奥へ行った事が無い。この辺だけでも、調べる事は山とあるし。レスリーとフランシスは、ずいぶん奥まで知っているみたいだった」 「問題は、あのムカデたちですね。ちょっと怖い」 チェが肩をすぼめた。 ピピッ、電子音を上げ、アルタが現れた。 その後方、大きな黒い姿の物が。ゆっくりと近付いてくる。3人は立ち上がった。 「ロバート博士、新しい体が出来ました」 「え、ククールかい?」 見た目、完全なロボットだ。金属とガラスの表皮、黒い卵型の胴体に取って付けたような腕と足、冷凍庫に置いたやつに準じる外観である。 「そういう選択をするとは思わなかった・・・」 ロバートは深呼吸し、目の前の現実を再認識する。 「新しい機能を内蔵して、多くの能力を拡張しました。必要な体積に対して、できるだけ小さな外寸です」 ククールが新しい体を解説した。 頭部には複数のアンテナが突き出している。カメラユニットも複数ある。どうやっても、人間の外観にならない理由が知れた。 「数日前まで、ロバート博士は、この星でたった一人の人間でした。わたしが人間と同じ外観を有する最大の理由と考えました。でも、今は本物の人間が多くいます。わたしが仕事をする上で、ロボットと確実に認識できる外観を持つならば、人間との共同作業がスムーズになる・・・と判断しました」 へえ、ケイローンが感心した。 「ずいぶん社会学的な考察をしたんだね。へたな人間より論理的だ」 ケイローンはチェを手招き、新しいククールを指差した。 「さあ、また口説いてみなよ」 「いいや、わたしは・・・ちょっと」 あわてて否定するチェ、ケイローンは笑った。 「お気に召さないようでしたら、前の体を修理します」 「いや、必要無い。きみの判断は尊重するよ」 ロバートは首肯した。 作ってから2年、ククールは想像以上に成長していた。この判断を否定すれば、それはククールの成長を否定する事だ。 ロボットは簡単に体を交換できる。人間には不可能な成長の仕方だ。将来、人間と同じ外観の方が良い、と判断する時が来るかもしれない。それを待つのも、楽しい事だろう。 「ロバート博士、お願いがあります」 え? 3人はククールを見た。 「アルタが新しい体を欲しています。もっと多くの機能と能力を求めています。よろしいでしょうか」 「そうなの、アルタが?」 ロバートはアルタを見直す。ピピッ、小さく電子音が出た。 2年半前に作り、いくつかの機能は追加したが、外観は変えていない。その後にククールを作り、その動きや語りの微調整ばかりしてきた。人間であれば、ククールに嫉妬していたかもしれない。 しかし、ここへ入る許可はククールの修理のためだ。ロバートはケイローンを振り返った。 「一応、1週間の許可です。そっちの小さいのも、修理の範囲内であれば、良いのでは」 よし、とロバートはアルタを見た。 「アルタは自分の体と能力を、自分で選んで決められる、ククールと同じように、ね。ああ、でも、ククールとは一目で違うと分かる外観である事。これが条件だ」 ピピッ、アルタが電子音で応えた。 「・・・設計が完了しました。2時間、お待ち下さい」 「2時間、ね」 アルタとククールはくるりと背を向け、奥へ行った。 2台を見送り、モービアスは不思議な気分。 今、アルタとククールはロバートの手を離れた。彼らは自分たちの力で成長を始めた。我が子の成長を見守る親の気持ちだ。 「あなたが1週間かかるところを、ククールは1時間2時間で済ますんですね」 ケイローンが首をひねりながら言った。 「ククールの思考と記録には、人間と違って、ノイズが少ないはずだから」 人間とロボットは違う・・・ロバートは改めて思った。 よく人間は思い違い、勘違い、記憶違いをする。それが脳のノイズだ。しかし、ノイズは閃きの元でもある。ノイズがあるから、人間は試行錯誤を当然の事と受け止める。 おおっ、ケイローンが声を上げた。 壁に並んだメーターが動いた。4個を越え、7個まで動いた。 しかし、壁には何十ものメーターがある。これが全部動くとしたら、何が起きるのか。 夕刻、ベースにもどった。 バギーから降り立つククールの黒い巨体に、誰もが目を見張った。 のっしのっしと通路を歩き、管制室に入った。ニクラウスも、ただ目を丸くした。 「修理で、そこまで変わりますか」 「外見は少々変わったが、記録は全て引き継いでいる。これは確かにククールだ」 ロバートの説明は、やや苦しかった。 しかし、すぐ皆の注目は別の物へ移った。ロバートとククールの後ろで、ちょろちょろ動く小さなやつだ。 「これは、アルタだ。時間が余ったので、ついでに修理した」 「修理・・・した?」 それは、人間の子供だ。背丈はロバートの胸まで、10才以下の年頃の女の子に見えた。 「ベレロポンに乗ってきた方々と年代を外し、一目で違う外観にしました。以前のわたしは、表情が無いと言われました。アルタは基本50種、組み合わせで2050種の表情をデータベースに持っています。体の動かし方も、ビデオからデータベースを作りました。モービアス博士が、わたしを作る時にした手法を踏襲しております」 ククールが解説した。 ロバートは口が閉じなかった。ククールに越えられた・・・それが実感だ。 ぎゅっ、アルタの小さな手が、ロバートのズボンを掴んで放さない。 ニクラウスはケイローンをにらんだ。 「すでに洞窟は閉鎖しました。許可の7日以内の事で、1日で済みましたし」 こちらも苦しい言い訳だった。 5日目 ゆさゆさ、体が揺さぶられる。 ロバートは薄目を開けた。 「博士、朝です、起きて下さい」 いつものアルタの目覚ましだ。昨日までと違うのは、アルタが言葉を使うようになった事。 ククールは良い仕事をした・・・そんな事を思いながら、またまどろんだ。 ぼこっ、腹に衝撃がきた。アルタがなぐった。 息がつまり、痛みに身をよじってアルタを見つめた。にっ、幼子の笑みがあった。 「おはようございます」 バケツのアルタなら蹴ったのに、この笑みには反撃できない。 「もう少し、手加減してくれ」 腹をおさえながら、ベッドから起き上がる。部屋の隅で、ククールが待機モードから起きた。 ポーン、インターホンが鳴った。 「洞窟で何か起きたようです。一緒に来て下さい」 ケイローンの声は緊張していた。 アルタをジュリアに預け、ロバートはロビーと車庫に向かった。 ククールが運転するバギーで谷へ走る。ケイローンも一緒だ。 後ろから、もう1台のバギーが追走する。アダムス軍曹率いる武装小隊が乗っていた。 洞窟前に着いた。警備していたはずの者たちは、姿も見えない。 ククールを先頭に、洞窟へ入った。アダムス軍曹の部隊が続く。ロバートはケイローンと共に、最後尾に付いた。 「レーダーには反応ありません。危険はありません」 ククールが言った。各種のセンサーを増やし、頭部が大きくなっていたが、早くも役立つ時が来てしまった。 封鎖のテープは昨日のまま。五角形の扉は開いていた。 五角形の通路を奥へ進んだ。 「生存者がいます」 ククールの報告に、皆が色めき立つ。 部屋に入った。テーブルの横に、1人が倒れていた。チェ・スンマンだ。 衛生兵が駆け寄り、脈と息を診た。酸素ボンベを口に当てた。 ロバートも顔を寄せて見た。ジュリアやニールセンの時と同じ容態のようだ。 「これを使ったね?」 聞くと、チェは小さく肯いた。 「他の者は、どこだ? 昨夜は、4人で番をしていたはずだ」 ケイローンが詰問する。チェは気怠そうに口を開いた。 「みんなは奥に行きました、金を探しに」 「金を!」 アダムスは奥への通路を見て、首を振った。暗くて、赤外線スコープでも人は見えない。 夜、洞窟の前で、守番の4人はレスリーの金の話をした。チェがテーブルの機会を操作し、星の中を探った。金の貯蔵庫を見つけた。3人は動けぬチェを部屋に置き、彼らだけで奥へ向かった。 「金の置き場とすれば、あそこだな」 ロバートはテーブルに向かい、レバーを握る。映像が壁に出た。 各種の金属が種類ごとに分別されている倉庫区画、その中に金の保管場所があった。だが、3人の姿は無い。 別の場所を探した。倉庫の手前、ゴミの集積場を映し出す。瓦礫に混じり、人が倒れていた。 「3人ともいる。でも、動かない。生きているのか?」 ケイローンが安堵と不安を口にした。 「どうすれば、あそこまで行ける?」 アダムスが求めたので、地図を表示した。ゴミ集積場はフロアを何階も下った奥だ。 「よおし、助けに行くぞ」 アダムスが号令を発した。隊員たちは武器を再点検、装備を少し下ろして身を軽くした。 「警告します。今は危険です」 ククールが言った。頭部のレーダーが忙しく動いている。 チェが体を起こした。 「3人は、たぶんムカデにやられた。ゴミあつかいされて、あそこに放り込まれたんだ」 「ムカデ? 危険があるのは分かってる。我々は助けに行く、君らは残ってろ」 アダムスは部下に前進を命令した。 武器を水平にかまえ、腰を低くし、戦闘態勢のままだ。 部屋に残るのはククールとロバート、ケイローンとチェの4人。奥の通路に消える後ろ姿を見送った。 気が付くと、壁に並んだメーターの一つが動いていた。 「博士、ここは危険です。外に出ましょう」 ククールが新たな警告をした。さっきより差し迫った様子。 パン、パパン・・・音が響いた。発砲音だ。 メーターが5個6個と動いた。ムカデが1匹、奥から現れた。 「よし、出よう」 ケイローンはチェを立たせる。ククールが抱き上げた。 タタタッ、タタン、また音が響いた。機関銃の連続発射か。 足早に五角形の通路をもどる。扉の所で振り返った。 ムカデが大挙して現れ、部屋を埋め尽くしていた。 「閉めよう。でも、鍵が分からない」 「こうすれば、鍵がかかる」 チェが円盤を操作して、扉を閉めた。ガシンガシン、聞いた事も無い音が響いた。 洞窟の外に出た。 ケイローンはバギーの通信器に付いた。スイッチを入れると、ガガガ・・・雑音が出た。 チャンネルを切り替え、ベースを呼ぼうとするが、どれも繋がらない。 チェはバギーに座り、静かに目を閉じた。何か悟りを得たような顔は、ジュリアの時と同じだ。 ククールが谷の奥を見ている。ゆっくりと頭を回し、頭部のレーダーが動きっぱなしだ。 「どうした、何か見つけたか?」 ロバートはククールと同じ方を見てみた。 「いえ、こちらには何もありません。危険は無い状態です」 ククールは平然と答えた。それにしては、周囲への警戒を解こうとしない。 がすっ、ケイローンが通信器をなぐった。 「だめだ、一度ベースにもどって、応援をたのもう」 ケイローンはバギーに乗り、ロバートにも乗れと促した。洞窟内に人を残したまま、後ろ髪を引かれる思いだ。 「アルタより発信」 ククールが受信を報告した。予想外の通信だった。 「ベースで火災です、医療棟が燃えています。規模、死傷者は不明」 ロバートはバギーに駆け乗った。 坂を登り、高原の上に建つベースが見えてきた。 黒い煙が上がっている。アルタからの報せの通りだ。 ポーンとチャイムが鳴って、通信器が復活した。 「今、どこにいるか? 早く帰って来い!」 「間も無く着きます」 管制室からの怒鳴り声、ケイローンは冷静に答えた。 バギーはベースに近付いた。通信塔が倒れていた。谷の底と通信できない訳だ。 煙は医療棟から出ていた。近寄れば、壁が倒れて、黒焦げの室内が見えた。 バギーを止めると、ケイローンは管制室へ走った。 ロバートはククールと火災現場へ行く。すでに火は消え、白い煙が立ち上る。 焼け跡の隅で、座り込んだジュリアを見つけた。並んで座るちびっ子はアルタだ。二人とも顔が黒く煤けていた。 「アルタちゃんに助けられました」 ジュリアが言う。えへっ、アルタが笑みを投げてきた。 あれは何だ、と声があった。 地面に足跡のような窪みが二列に並んでいた。谷の方から来て、医療棟の周囲で暴れ、忽然と消えていた。 体重が何トンもある怪物のようでもあるが、誰も姿を見ていない。残っているのは足跡だけだ。 ロバートは知っていた。レスリーのトレーラーの周囲にも、同じような足跡がある。 そして、炎だ。フランシスのトレーラーも焼かれていた。 ニクラウスとケイローンが外に出て来た。足跡を確認し、異常事態を認識した。 「ニールセン船長が行方不明だ、昏睡状態だったのに!」 ウォーレンの報告が、混迷に拍車をかけていた。 正体不明の怪物に襲われた。瓦礫を片付けたら、重病人が消えていたのだ。 ベースを囲むバリケードの設置が決められた。直ちに作業が始まった。 洞窟の再捜索と救助は明日以後に回された。 太陽が沈むと、薄暮は続かず、一気に暗くなる。この星独特の気候である。 焼け跡整理の手伝いから上がり、ロバートは洗面台に向かった。冷たい水で顔を洗うと、頬が引き締まった。 簡単に夕食をすませ、ベッドに倒れ込んだ。ここ数日の疲れで関節が痛む、体が重い。 部屋の隅で、ククールが待機モードに移った。ロボットも休憩をとる時間だ。 6日目 未明、ふとロバートは目が覚めた。暗い部屋の隅でククールが起動していた。 「どうした、何かあるのかい?」 ククールは頭部のレーダーを忙しく動かし、何かを警戒していた。 「いえ、何もありません。危険要素は去りました」 「去る?」 窓から外を見た。照明が点けられ、バリケードの設置作業が続いている。その向こうには闇があるだけだ。 あきらめ、またベッドに身を横たえた。 朝、食堂でコーヒーを飲む。 ククールがベーグルとサラダを勧めた。しかし、食欲がわかない。疲ればかりではない。 ポーン、館内放送があり、食堂へ集合と告げた。ざわざわ、皆が集まると、さすがに座るイスが足りなくなった。 ジュリアはアルタと一緒だ、まるで母と娘のよう。 アルタは人間の言動を記録し、コピーして自分の動きにするプログラムを持っている。一応、女の子と言う設定なので、女の日常を強くコピーする。そのため、女であるジュリアにくっついているのだろう。 以前のククールも同じプログラムを持っていた。が、相手が男のロバートだけでは、ほとんど機能しなかった。 ニクラウスとケイローンが現れた。静粛に、と号令がかかった。 「昨日までの事件は、皆が知っているはずだ。この星には、想定外の危険が存在すると分かった。よって、第2次居住実験は中止する。明日までに荷物を片付け、ここより撤収する。谷の洞窟については、今日、もう一度だけ探索と救助を行う。成否にかかわらず、明日は地球へ帰還だ」 ごくり、皆が息を呑んだ。 はい、と手を上げる者がいた。チェ・スンマンだ。 「わたしは帰りません。ここに残ります」 「許可できない。例外は無し、全員撤収だ」 ニクラウスは間髪入れない否定。 「わたしは、船員である事を辞めます。よって、わたしが何をしようと、船長の責任ではありません」 チェは言うだけ言うと、ぷいと上官に背を向けた。 ふと、ロバートと目が合った。笑っていた。 ついでに、ククールにも笑みをかけ、食堂を出て行った。 「何て奴だ、逮捕しろ!」 ニクラウスの檄が飛ぶ。ケイローンが足早に追った。 ピピッ、ククールが警告音を発した。頭部のレーダーを動かし、窓から外を警戒する。 つられて、ロバートも窓の外を見た。 チェが歩いて行く。食堂から出たばかりなのに、もうバリケードの近くにいた。 ふわり、風のようにバリケードをすり抜け、チェは遠くへ行く。 「あそこへ行く気ね」 ジュリアが見て言った。 アダムス隊の救助には、フレッド軍曹が2人の部下と出る事になった。 ロバートとケイローンが案内役を勤める。傷病者が想定されるので、看護師のジュリアも同行する。 ククールが運転するバギーを先頭に、2台で向かった。 洞窟前では、何も変わっていない。静かなのが不気味なほどだ。 ロバートが黒い五角形の扉を開けた。 ククールを先頭に、五角形の通路を進んだ。 「一人、います」 ククールのレーダーが人間を捉えた。 チェ・スンマンがいた。ニールセンが倒れたイスに座り、テーブルに向かっている。 「残念ながら、もう誰も生きていません。ゴミ処理機が動いた後でした」 フレッド軍曹とケイローンの顔色が変わった。疑いの眼差しで近付く。 チェが手をかざした。レバーに触れず、機械は動いた。 ゴミ集積場の映像が出た。昨日あった瓦礫が消えていた。 「あそこの機械は、すべてを原子のレベルまで分解します。人間の体なら、ほとんどは水素と酸素、窒素に炭素です。他、微量の金属。それらは安定な状態で保管されます、あの金のように。そして、再利用されます。ククールを作ったり、アルタを作ったり、と」 「ずいぶん物知りだな、3年過ごしたわたし以上だ」 チェの解説に、ロバートは疑義をはさむ。 「昨日以来、色んな知識が頭に流れ込んで来るのです。今朝になって、ようやく整理がついてきました」 「どこから流れて来ると?」 「わたしの頭が、この星の中枢につながっているのです」 まさか、とケイローンは疑いの目を変えない。 「イブヤ文明の心髄を少し語りましょう」 「いぶや?」 ニールセンが倒れる直前に、イブヤ文明と言った。ロバートは何度も機械に触れたが、そんな知識にたどり着いた事は無い。 「彼らは道具を使わぬ文明を目指していました。ロバート博士は、言わばレベル1の人、ここの道具を使いこなせます。わたしはレベル2、触れなくても道具を使えます。レスリーやフランシスも、同じレベル2でした。そして、ニールセン船長は・・・もしかすると、さらに上のレベルへ行ったかもしれない」 「上のレベル?」 「この肉体すら、道具とみなすレベルです。肉体を捨て、精神だけの存在へと昇華します」 「体が無いなんて、不便だろうに」 ロバートは常識論を振ってみた。にやり、チェは笑う。 「どうしても必要なら、肉体など、いつでも具現化できる。ククールなんてレベルの低い物を作って満足しては、科学者として失格でしょう。材料は余るほどあるし、エネルギーは十分だ。常時、肉体を維持する方が、実は不経済と言う事もある」 ジュリアが首を振った。 「地球へ帰ったら、精神科医の鑑定をうけるのね」 「あなたの記録を見ました。フランシスと同じく、なかなかの趣味人ですね。この星の事は、わたし以上に知っているはずだ」 ジュリアとチェの視線が交わる。 「誰も生きていないのなら、おまえを逮捕して帰るだけだな」 フレッド軍曹が部下に目配せした。 チェは立ち上がり、数歩逃げるように下がった。 「帰らない、と言ったはずです」 「連れて帰る、それが命令だ」 ガチャ、銃の安全装置を外し、フレッドの部下がチェに迫る。 「こんな芸でも見せなくては、信用してもらえませんか」 チェが手をかざした。 壁のメーターが一斉に動いた。 指先が光った。ドドン、電光が走り、部下たちの手から銃が吹っ飛んだ。 床に落ちた銃は衝撃で曲がり、一部が融けていた。鉄をも溶かす熱が発生したのだ。 フレッドが銃を抜いた。チェが手を向ける。 「止めなさい!」 ジュリアが2人の間に入った。 チェは手をおろす。壁のメーターが止まった。 ケイローンは壁のメーターを注目する。また、少し動くのに気付いた。 「掃除が始まる。みんな、外へ出ましょう」 ジュリアが言った。ざわざわ、奥から音が聞こえてきた。 「単に、掃除だけじゃない」 メーターが次々と動いていった。1段目が全て動き、2段目が動いた。 ケイローンがチェを睨む。 「何をする気だ?」 「いや、わたしは何もしてない」 黒いムカデが壁を這って現れた。 皆、駆け足で外へ急いだ。 洞窟の外に出た。 ククールがレーダーで周囲を警戒する。とりあえず、ここに危険は無いよう。 フレッド軍曹が通信器を使ったう。背の高いアンテナを付けているので、谷底からでも通信できるはずだ。 ガガガ・・・雑音ばかりだ。 チャンネルを切り替え、何度も呼ぶ。応答は無い。 「まさか、また?」 ケイローンの顔が不安に歪んだ。 バギーを走らせた。 坂を上ると、黒煙が見えた。ベースで火災だ。 「まただ、やられた!」 ケイローンが歯がみした。 ベースは壊され、燃されて、跡形も無い。人は焼け焦げ、瓦礫と見分けがつかない。 宇宙船ベレロポンが無傷に見えるのが、むしろ異常に感じた。 ああっ、ジュリアが焼け跡を前に、息を詰まらせた。ケガなら治せるが、死んだ者は生き返らない。 チェも意外と言う顔を隠さなかった。 「アルタより発信があります。機能に不全あり、瓦礫に埋もれて身動きできず」 ククールの報告に、ロバートは胸をなで下ろした。ロボットなら、壊れた体は直せば良い。 フレッドの部下が宇宙船から出て来た。ケイローンと中を点検していたのだ。 「こいつは異常無し、いつでも離陸可能です。荷物は積み込んでありました。あの金も、です」 「よし、仕方無い。我々だけで帰ろう」 軍曹の決断は早い。ロバートとジュリアを手招きした。レスリーの金塊と砂金があれば、手土産は十分だ。 「金はだめだ、下ろして行け」 チェが言った、命令口調だ。 「金を持ち帰ったら、金を狙って、地球から大勢が来る。彼らが怒ったのは、そのせいだ」 「かれら?」 ロバートはチェを見つめた。 と、ククールがレーダーを動かし、周囲を警戒し始めた。 何者かが近くにいる。その何者かと、チェは通じているらしい。 「おかしな事を言う。この星の文明は20万年前に滅びた。だから、この星の表面は荒廃している」 「イブヤ文明は滅びていない。今も厳然としてある。上辺を飾る必要が無くなったから、放置されただけだ。3年前、久しぶりの客人が来て、彼らのために大気を変えた。その恩も感じず、この星で我が物顔に振る舞うなら、それなりの罰を覚悟すべきだ」 チェはメッセンジャーになっている。地球人の立場より、イブヤ文明の方に足を置いた言い方。 「さあ、帰るなら、金は置いて行きなさい」 チェは手をフレッドに向けた。また、電光が走るのか。 どーん、突風が起きて、チェが吹っ飛んだ。 風を起こしたのはジュリアだった。 「止めなさい」 「邪魔するか!」 チェが手をジュリアに向けた。 風の壁が走り、またチェを突き飛ばした。しかし、ふわりと立ち直る。 道具を使わず風や雷をあやつるのは、イブヤ文明の粋に触れた者の特権。チェとジュリアが対峙した。 「この星の表面が荒廃したのは、これが原因か」 ロバートは気付いた。20万年前、この星の上で起きた事に。ニールセンが見せてくれた映像だ。 この星の人々は手に入れた力に酔い、互いに殺し合い、破壊し合ったのだ。 だが、違うとも考えた。あれほどの施設を造ったイブヤ文明だ。人々は高度の知性を持っていたはず。ならば、同等に高い理性も持ち合わせただろう。それなら、チェとジュリアのような、野蛮な戦いを好むはずがない。 ゴロゴロゴロ、雷鳴が聞こえた。 黒雲が頭上に迫って来た。乾燥した星では珍しい気象だ。 「警告、危険です。避難して下さい」 ククールが言った。 「金を下ろすんだ。そうしたら、地球へ帰れる」 また、チェが言った。フレッドは首を振る。 ジュリアが目を据え、踏み込む。 頭上で黒雲が渦を巻いた。昼のはずが、夜のように暗くなった。 ロバートは腰を低くし、ククールの足にしがみつく。 一瞬、目がくらんだ。 まばゆい雷光があり、耳をつんざく衝撃波が襲った。 ロバートはその場に倒れた。ククールが楯になり、吹き飛ばされずにすんだ。 痛む目と耳を手でおさえ、しばらく這いつくばった。口に入った砂を吐き、頭の痺れがおさまるのを待つ。 静かになったのを感じた。 薄目を開けると、空は明るかった。黒雲は消えていた。 ブン、ククールが小さく電子音を発した。至近距離の落雷で緊急シャットダウンしてから、再起動に入ったようだ。 ロバートはククールを手がかりに、なんとか立ち上がる。軽い目眩が残っていた。 ジュリアとチェの姿が見えない。風と雷に吹き飛ばされたのか。 宇宙船の脚の陰で、フレッドが立ち上がる。向こうもふらついていた。 「危険はありません、避難の必要を認めません」 ククールが復帰した。周囲を走査して、安全を確認したようだ。 地面の色が変わっているのを見つけた。 黒く、焦げたようになっている。それは人の形をしていた。 少し離れた所にもあった。やはり、地面が黒く焦げた人の形だ。さっきまで、ジュリアとチェが戦った痕跡だ。 おーい、呼ぶ声に振り返る。 フレッドが手招きした。ブーン、低い音で宇宙船のエンジンが起動した。 帰れない・・・ロバートは首を振った。 もう一度手招きして、フレッドはタラップを上がる。ギーン、エンジン音が大きくなった。 タラップが引き込まれ、閉じた。 宇宙船は土煙を巻き上げ、地面から浮き上がった。少し揺れている。 キーン、エンジン音が高くなる。加速度をつけて上昇し、小さくなった。 ふう、ロバートは息をつき、ベースの焼け跡を見た。アルタを探さなくてはいけない。 「警告、異常事態発生!」 ククールが歩み寄り、ロバートの背に付いた。何かからかばう体勢だ。 ガッガガガッ、上の方から音がした。見上げると、離陸したはずの宇宙船が降下して来た。 思わず、ククールの陰で身を屈めた。 宇宙船はふらつきながら、頭の上をかすめて通り過ぎた。どどーん、谷の向こう側に落ちて、黒いキノコ雲が上がった。 なぜ、と問う相手も無い。 ロバートは立ち上がり、ベースの焼け跡へ行く。 ククールが発信源を探して、ほどなく、瓦礫の下からアルタを探し当てた。 人間ならば、二目と見られぬ姿だった。しかし、ロボットは修理できる。焦げた毛布にくるみ、それ以上の汚損を防いだ。 日が暮れてきた。 冷凍庫は壊れていたが、夜の寒さをしのぐには都合が良かった。一人分とすれば、食料は余るほどある。 7日目 夜が明けた。 ロバートはまた、この星でただ一人の人間になった。 ククールが運転するバギーで谷へ下る。洞窟の前に来た。荷台には、毛布にくるんだアルタがいた。 五角形の黒い扉をくぐり、五角形の通路を奥へ。どこもきれいだ。掃除が行き届いている。 図書館を通り、工場に来た。 棚の部品も何もかも、すべて元通り。ここで、初めてアルタを作った。 難しい事ばかりだった。でも、その難しさを越える喜びがあった。 今回、アルタの修理は、ククールが作った設計データを呼び出し、機械にまかせて完了だ。簡単この上ない。 簡単過ぎる・・・退屈を感じた。 あらゆる事が可能になったイブヤ文明。それを創った人々も退屈しただろう。 そして、彼らはこの星を捨てた。もっと別の何かを求め、この星にいては思いつきもしない何かを探して、他の宇宙へ旅立ったのだ。 残された星は、奉仕すべき者が現れるのを待った。20万年後、地球人が降り立った。それを新しい主人と見なし、星は活動を再開した。 ロバートはアルタをテーブルに置いた。汚れた毛布を取ると、無残な姿が現れた。 イスに腰をおろす。レバーに手を伸ばして、止めた。 ニールセンが言ったように、本当にあらゆる事が可能だろうか。ひとつ、試してみたい事があった。ジュリアだ。 彼女を復活させられるか・・・ チェは言った。肉体は何時でも具現化できる・・・材料もエネルギーも十分ある・・・と。 自分にもできるだろうか、ロバートは逡巡した。 やってみよう、そう決めた。レバーを握り、目を閉じて念を込めた。 キン、頭に衝撃があった。 体が浮き上がる感覚が来て、重力を感じなくなった。息が苦しい・・・ 恐る恐る目を開けた。 ロバートは何も無い空間にいた。いや、弱い光は感じた。 星だ。頭の上から、足の下まで星がある。宇宙に浮いていた。 ひとつ、強い光があった。その近くに、他と違う光を放つ星がある。 恒星ではなく、惑星だ。夜の側が蜘蛛の巣を被せたように光っている、文明の輝きだった。 見覚えがある。ニールセンが見せてくれたイブヤ文明の最盛期だ。 巨大な宇宙船が忙しく行き来していた。その横を通り過ぎ、星へと降りて行った。 雲を抜け、摩天楼をかすめ、地上に立った。 誰もいない・・・ すでに、文明を築いた人々は星を捨てた後だろうか。 これは現実ではない。ロバートは確信した。 惑星の地下に建設された巨大施設、その機械の中に構築された仮想の世界だ。ロバートも仮想の存在となって、その世界を歩いていた。 視線を感じた。誰かいる。 建ち並ぶ摩天楼の窓から、ロバートを見つめる目があった。でも、外には出て来ない。 チクチク背を刺すような視線を感じつつ、街を歩いた。 ベンチがある。地球の公園にもある、二人がけの長いすだ。誰かが座っていた。 「ニールセン!」 ロバートが声をかけると、ニールセンは振り向いた。そして、首を振った。 「きみは、ここに来てはいけない。さあ、そこから帰りなさい」 ニールセンは右手を挙げて指した。その方に、ドアが開いていた。 ドアの向こう側は光があふれていた。その光の中に黒いククールの姿があった。 「わたしはジュリアを探しに来ました。彼女を連れて帰ります」 ニールセンは眉をひそめた。 「あの場合、二人の戦いを止めるには、あれしか無かった。あまり良い方法ではなかったが」 「あの黒雲は、あなたか! ジュリアは、どこにいるんです。知っているんでしょう?」 ロバートはベンチの背をつかみ、ゆするように問う。 「さて、あの子は、どう言うだろうか」 ニールセンは首を傾げた。 と、ベンチが動いた。逃がすか、としがみつくロバート。 風が顔をたたいた。 たちまち街を抜けて、草原へ来た。 見渡すかぎり、花が咲いていた。しかし、ロバートは花に詳しくない、種類は分からない。 草原の中に池があった。水辺に大きな木が陰を落としている。 人がいた。二人だ。 一方には見覚えがあった。フランシスだ。 もう一人は背を向けていた。ゆっくりと振り向いた。 「ジュリア!」 ロバートは駆け寄り、その手を握った。 「迎えに来たんだ。さあ、一緒に帰ろう」 ジュリアはキョトンとしている。ロバートは手を引いた、重い。 振り向けば、すぐそこに出口のドアがあった。向こう側は光あふれる生者の世界だ。 ロバートは左手でジュリアを引く。右手をドアへ伸ばした。足が進まない。 あと、もう一歩。それでドアへ手がとどく。 不安になり、ロバートは振り返って見た。後ろは闇だけだった。 草原は消えていた。 左手はジュリアをつかんでいる。でも、手だけしか見えない。他は闇の中だ。 足を踏ん張り、右手を伸ばす。あと半歩・・・でも、とどかない。 と、光の中から手が出て、ロバートの右手をつかんだ。 まぶしい、目を閉じていても、視界は光ばかりだ。 「お帰りなさい、ロバート博士」 聞き慣れた声に目を開けた。しかし、暗さに目がくらんだ。 はあはあ、自分の息が聞こえる。目が慣れてきた。 ロバートはテーブルの上にいた。服は着てない、裸だ。 仮想の世界から現実へ戻ったのだ。ククールを作った工場にいた。 「心拍、呼吸、血圧、体温、ほぼ正常値」 ククールがセンサーを働かせ、ロバートの身体チェックをした。前の体には無かった機能だ。 周囲を見直した。ジュリアはいない。 呆然として、テーブルを降りた。 夢を見ていたような気がした。それにしては、はっきりとした記憶がある。 本当にジュリアに会った、と思いたかった。 バチッ、衝撃と閃光。 驚いて振り返ると、ククールがテーブルの上からローブを取るところ。機械を操作して作ったのだ。 「これを着てください、体が冷えます」 「あ、ありがとう」 ククールに言われて、ロバートは裸の自分を思い出した。 あらゆる事が可能になる・・・ニールセンは言った。でも、今のロバートには、できない事ばかりだ。 バチバチッ、また閃光が起きた。 「アルタの修理が終わりました」 ククールが報告した。 テーブルの上に、小さな女の子がいた。ぴょん、と床に降りた。 にっ、アルタが笑みを投げる。ロバートも応えて笑った。ククールには無い機能だ。 ククールは工場にある全ての部品を使い、ロボットの一団を作った。 ベースの焼け跡を整理し、遺体を掘り出し、墓に納めた。宇宙船の墜落現場も同様にした。 次いで、洞窟前に家を造る。今後の事を考えると、その方が便利だ。 あらかた事が終わると、ロボットの一団は工場にもどる。また部品に分解され、棚に並べられた。 ロバートとアルタは、ただ横で眺めているだけだった。 高望みしなければ、あらゆる事が可能になる・・・ロバートは、今の自分のレベルを納得した。 もっとレベルが上がれば、ジュリアを連れ戻せる。一縷の望みだ。 でも、どうすれば上のレベルになれるか、それが分からない。 今は一人だ。何者もジャマは無い。ゆっくり考えよう。 イブヤ文明を造った人々は、退屈さゆえに、この星から去った・・・と、ロバートは推測した。逆に考えれば、最後に残った人は、あらゆる事ができるレベルに達していない人だった。今のロバートと同じだ。 ジュリアが復活するまで、わたしは退屈しない・・・ロバートは自分に確信していた。 < おわり > 後書き なんだかんだで・・・4年かかった。 表題の「ククール」は日本の神話、菊理媛(くくりひめ)から名を取っています。 イザナギが黄泉の国から現世へ帰る途中、黄泉比良坂で会う女?です。ククリとすると少女みたいな名前。なので、年上の堅物女で、ククールとしました。 宇宙船ベレロポンの名はギリシャ神話から。「ベレロスを殺した者」の意でベレロポンらしい。 天馬ペガサスを駆り、神々の世界を目指して空高く飛びますが、途中で落馬、天から落ちて死んだ・・・とか。 他、登場人物の名前は多くを映画「禁断の惑星」のスタッフ・キャストからもらっています。 ロバート・キノシタ氏は有名なロビー・ザ・ロボットをデザインしたお方。
2015.8.13
OOTAU11 |