ダンバイン
reboot



 小雨もやみ、雲の合間から月が青く光る。今夜は冷えそうだ。
 宮貴健司は痛む足を引きずり、路地に座り込んだ。ぐう、腹が鳴った。
 コートのえりを立て、首から冷気が入らないようにする。靴底に穴が開いて、足の裏から熱が奪われて行く。
 げほ、咳が出た。今日は朝から息が苦しく、とうとう炊き出しに並べなかった。空腹は慣れている、胸や足の痛みがつらい。
 いよいよ最期か・・・
 目の前に水たまりがあった。
 顔を映せば、生気の無い死にそこないがいた。
 年を数えれば、もう六十過ぎのはず。ずいぶん生きたものだ。
 ぼさぼさのひげ面で、ボロを身にして、雨水をすすり残飯をあさる。ついに、薄汚い路地裏のゴミ箱の陰で、誰にも看取られずに死ぬとは。自業自得ながら、悔いが残る人生。
 もしも、人生をやり直せるなら、どこからが良いだろう。
 宮貴は体を横にした。全身から力が抜けて行く。
 そして・・・夢を見た。


1日目


 バイストンウエルの物語を覚えている者は幸いである。心、豊かであろうから・・・


 オーラロードが開かれた。
 淡く光るオーラの流れのまま、宮貴健司は別の世界へと導かれた。
 ・・・
 目を開けると、そこは木の床だった。並んだロウソクの淡い光が揺らめいている。
「ううっ・・・」
 誰かのうめき。
 宮貴健司は起き上がり、声の方を見た。
 老人が胸を手でおさえていた。白いものが混じった長いひげが揺れた。けほ、セキをした。痰がつまったような、濁った音だ。
 ダンダン、戸が叩かれた。
「爺さま、奴らが来た。戦士様は、まだかね?」
「ここに・・・おわす」
 外からの呼びかけに、ひげの老人は答えた。
「ささ、戦士どの、こちらへ」
 老人は宮貴に歩み寄り、戸と反対側の奥へ導いた。像が鎮座していた。
 宗教的な意味を含む像ではない、すぐ分かった。背丈が5メートル以上の黒い甲冑だ。槍と刀も脇にある。顔にあたる所は、ハニワのように虚ろな目と口の面があった。
「お願いしもうす。我らには、ただの骸にすぎぬ物。なれど、裏世界のそなたはオーラを封じられてないゆえ、使えるはずじゃ」
「オーラが・・・おれには、使える?」
 訳もわからず、宮貴は甲冑の像に触れた。
 ゴン、甲冑が震えた。
 腹が開いた。中をのぞくと、人が入れそうだ。
「お願いしもうす」
 老人が宮貴の背を押した。甲冑の中は広くない、もっと身軽にしないと入れない。
 宮貴はコートを脱いだ。長年の汚れと埃を含んだコートは、どしりと床に落ちた。
 押されるまま、甲冑の中に入って、手と足の置き場を探った。甲冑の胸元の窓、そこに顔が出た。
 どん、腹が閉じた。
 その瞬間、宮貴は甲冑と一つになった。何を考えずとも、宮貴の手は甲冑の手であった。宮貴の足は甲冑の足であった。
 甲冑の目は宮貴の目となった。ふたつの赤い目が妖しく光を放つ。体に力が満ちてきた。
 足を踏ん張り、立ち上がる。甲冑の胸元、4メートル以上の高さから床を見下した。
「お願いしもうす」
 宮貴を見上げ、老人が言った。まだ、何をお願いされているのか分からない。答えは戸の外にある。
 槍と刀を手に踏み出した。
 手にした槍は、矛先の下に左右へも矛が出た十文字の槍だ。

 村の中央に位置する社、ダンバの戸が開いた。
 太陽は中天にあった。宮貴は目を細め、まぶしさに慣れるまで足踏みした。
 ギシッギシッ、甲冑がきしむ。いやな音ではない。宮貴は目を見開き、村の民を見た。異形の民だが、やや汚れた着物は好感がもてた。
 おーおー、歓迎の声だ。しかし、別の声もした。
 村の外れ、柵の向こう側に緑の巨人がいた。宮貴と同じく、甲冑を着けた敵だ。般若の面の下、胸元に窓があり、歯を剥くひげ面が見えた。 
「お願いしもうす、戦士さま」
「賊を討ってくだされ」
 竹槍の村人が口々に請う。彼らを従え、宮貴は柵へと進んだ。
 柵の外に陣取る甲冑の足元には、薄汚れた武具をまとう浪人どもがいる。賊の手下たち、彼らも敵だ。
 よおし、やってやるぜ・・・
 事の是非は問題ではない。今の宮貴には果たすべき役割があり、それを成す力がある。
 とおっ、宮貴は柵越しに槍を突き立てた。敵の甲冑の腹に刺さった。
 一息に柵を跳び越え、刀で甲冑の首をはねた。力無く、へなと甲冑は倒れた。ひげ面の顔は消えていた。
 ついでと、周りにいる浪人どもを刀で薙ぎ倒す。
 ひいっ、わわっ、悲鳴があがった。
 村人が柵の外に出て来た。竹槍で浪人たちを追い立てる。
「戦士さま、奴らが逃げる」
 騎馬の浪人が走り去るのが見えた。丘の方へ向かっていた。
 宮貴は走った。たちまち馬に追いつく。
 どっ、衝撃を感じて立ち止まる。甲冑の左腕に矢が刺さっていた。
 木の上に待ち伏せがいた。刀で枝を切り落とすと、待ち伏せは地面に落ちて、動かなくなった。首が折れたようだ。
 また走って追った。丘に馬を外した馬車がいた。
 騎馬の群れは丘を越えて去った。
 宮貴は追うのを止めた。
 馬車を見ると、その横に首の無い死体があった。腹にも血の跡がある。
 おーおーっ、声をあげて村人が追いついた。

 宮貴は馬車を引き、村にもどった。馬車には女が乗っていた。
 先月、盗賊は村を襲った。一家の男たちが皆殺しになり、娘がさらわれた。女は、そのさらわれた娘だった。
 生き残っていた母は娘と再会し、二人して泣いた。
 宮貴はダンバ院の奥に甲冑をもどした。盗賊の甲冑も横に並べた。
 甲冑から出て、床に大の字に寝た。脱ぎ捨ててあったコートの臭いに気づき、蹴飛ばして遠ざけた。
「戦士さま、ありがとうございました。何か、お望みはありますか?」
 村人が寄ってきて聞く。少し考え、大の字のまま答えた。
「風呂に入りたい」
「ふろ!」
 大樽一杯の湯を沸かしてもらった。全身を湯につけ、まったりする。肌をこすると、垢がはがれ落ちて、たちまち湯が白く濁った。
 カミソリを借りて、むさいヒゲを剃り落とした。ついでに、ぼさぼさの髪もバッサリ切る。
 仕上げに、新しい湯を頭からかぶった。何ヶ月ぶりかの入浴である。
 日が暮れてきた。夕飯は芋の粥だ。
 久しぶりの温かい食べ物を、宮貴は一口づつすすった。
 最初に会った老人が来て、また礼を言った。左手に怪我をしていた。
「なぜ、こんな所にいるのか・・・分からない事だらけでありましょう。これから、順を追って語ります」
 老人の名はハチエモン、村の長老であった。

 ここはバイ国ストン郷ウエル村、近隣では唯一のダンバ社を持つ所だ。
 そもそも、この世界にはオーラが満ちていた。オーラを操る術が見出され、戦のために甲冑が作られた。甲冑は着る者の力を、オーラを介して何倍にも増幅した。数知れぬ甲冑が地を駆け、空を舞い、町を焼き、人を殺めた。
 事態を憂えた魔道士ダンバは、自身を贄とする禁断の法を使い、この世の人のオーラを封じた。戦いは終わった。
 甲冑は骸となって大地に転がった。人々はダンバ社を建て、甲冑を納めてダンバを称えた。
 しかし、ほどなくして、裏の世界と道を開く法が見つかった。あちらの世の者はオーラを封じられていない。自身を贄として、裏の世から人を召喚すれば、また甲冑を操れる。戦の世が再来するか、人は憂えた。
 国々の王は話し合い、一国につき召喚者を三人と限る、と申し合わせた。これくらいの数なら、戦の世にはならないだろう。
 先月、このウエル村を盗賊が襲った。一家が惨殺され、女房は手籠めにされ、娘はさらわれた。
 何より、盗賊は甲冑を持っていた。この国にあってはならない第四の甲冑だ。
 ハチエモンは国王へ報せを出した。しかし、返事は来ない。報せに出した者も帰らない。
 王からの返事を待つ間に、他の村や郷でも、盗賊に襲われたと聞こえた。
 そして、また甲冑の盗賊が近くに来た。ハチエモンは自身を贄として、宮貴を召喚した・・・

「自分を贄にして・・・て、死んでないのに、贄なのか」
 宮貴は疑問を投げた。ハチエモンは笑みで答える。
「戦士は傷や痛み、死の心配をせずに戦える。それらは全て、贄が受けるのじゃ。この腕の傷も、甲冑が矢を受けた事による」
 振り返り、宮貴は甲冑を見た。左腕に矢が刺さったままだ。
「おれが死んだら、どうなる?」
「戦士の代わりに、贄たるわしが死ぬ。そして、召喚が解け、おぬしは裏の世界へ帰る・・・はずじゃ。盗賊の甲冑を討った時、馬車の所にいた贄が死んだ。甲冑の中にいた戦士は、この世から帰った・・・はずじゃが」
 宮貴は首を傾げた。
 村に帰って来た時、盗賊の甲冑を見た。中は空だった。しかし、彼が帰れたかどうか、確かめようが無い。
「今日にも帰りたいと願ったら?」
「わしを殺せ。それで召喚は解けるはずじゃ。まあ、焦らずとも、わしは老い先短い身。長く待つ事も無いじゃろう」
 ハチエモンは残り少ない歯をさらして笑い、げほと咳をした。
 やれやれ、と宮貴は椀を平らげた。
 夜も更けて、社の奥部屋に寝床が用意された。久々に布団で寝た。風と虫の音が眠りをさそった。


2日目


 木戸の隙間から光が射し込んで来た。
 宮貴が起きると、囲炉裏に火が入り、昨日の粥の鍋を温めていた。
「おはようございます」
 女が宮貴の目覚めを確かめ、窓の木戸を開ける。室内が明るくなった。
 ハチエモンが干肉を持って来た。
 女を紹介してくれた、名はタエ。昨日、賊から救い出された娘の母だ。礼を含め、戦士の世話をする役を買って出た。
「わたしのような年増は嫌いですか? もっと若いのをお望みなら、娘のミワを。どちらも賊に汚されて、傷物の女ですが」
「いやいや、わたしのような者に、もったいない事です」
 宮貴は素直に頭を下げた。あちらの世では、ホームレスの浮浪者だ。こんな待遇は望外の事である。
 腹の調子は良く、粥の残りを平らげた。鍋は空になった。
「何か、他に欲しいものは?」
「風呂かな」
「昨日も入ったのに?」
 宮貴は口をつぐんだ。
 村は貧しい。湯は貴重だ。湯で体をぬぐうのは、乳児か病人だけに許される贅沢なのだ。
「近くに温泉は湧いてないのか?」
「山の方に、デンガクと言う湯が湧いてる所があります。でも、半日かかる道のりです」
 タエが窓の向こうの山を指して言った。
 村の東側、緩やかにのびる稜線はカメ山、実は国境の山だ。その向こうはルガ国、小帝都を自認する豊かな国らしい。
 宮貴は頭の中で計算した。女の足で半日なら、男はもう少し早く着くだろう。甲冑を使えば、その半分で行ける。
「よし、行ってみよう」
 宮貴は立ち上がった。

 甲冑を着けて走れば、意外なほど近くだった。
 肩から案内のタエを下ろし、宮貴は湯気の方に近寄った。
 山の中腹、川のほとり、岩棚の上から湯が湧いて落ちていた。しかし、デンガクと呼ばれる湯だまりは小さく、座って腰の深さほど。
 ここは甲冑の力の使い時だ。川底を掘り、石を並べて堰き止め、湯が深く溜るようにした。
 ほどなく、川に面する立派な浴槽が出来た。幅は三人が並んで入れるほど、深さも十分。
 宮貴は甲冑から出て、着物を脱ぎ捨てた。大の字に手足を伸ばし、頭まで湯につけた。
 タエが前掛け一杯に木の実と山菜を採ってきた。湯につかって食べれば、もう極楽な気分。
 一緒に入れと誘った。タエは着物をたたみ、足先から注意深く湯に入る。入浴の経験が少ないようだ。
「はあ・・・」
 タエは大きく息をした。胸まで湯に入れば、体中が温まる。
 女の白い肌が上気して、幾条もの傷とアザが浮かんだ。盗賊にやられたにしては、赤い新しく見える傷もある。野良仕事の時の傷だろうか。
「戦士さま」
 タエが呼びかけた。宮貴は首を振った。
「さま、は止めてくれ。そんな上等な人間じゃない。宮貴健司・・・けんじ、と呼べばいい」
「じゃあ、けんじ様は・・・向こうの世では、何をしてらした方ですか?」
 まだ、様が付いていた。宮貴は苦笑いするばかり。
「能無し芸無しで、家無しの食い詰め者だったよ。あと少しで飢え死にするところを、こっちに呼ばれて来た」
「まあ・・・」
 タエはあきれ顔。
「屋根の下で、布団で寝られて、温かい飯が食えて、女と風呂に入れて・・・これ以上、望む事は無いな」
 はは、宮貴は笑った。
 目を落とすと、水面に男の顔が映っていた。自分と気付くのに、少々かかった。
 湯で垢が落ちただけではない。肌にシワや弛みが少なく、妙に若く見えた。年は六十を過ぎているはずだが、二十以上も若返ったかのよう。
 こちらの世に来てから、咳は出ないし、足も痛まない。召喚されたせいならば、それら全てを贄に負わせているのか、と考えた。 
 バシャバシャ、水をかく足音がした。
 振り向くと、大柄な三人が川を渡って来た。顔に見覚えがある。昨日、盗賊退治で先頭を走っていた男たちだ。
「戦士様、お楽しみでしょうが、そろそろ、あっしらにも回して下さいよ」
 一番体の大きい男が呼びかけた。ゴンゾーは、村で一番力持ちの木樵である。
「おお、今出るよ。さすがに、おまえさんたち三人では、狭いかもしれない」
 宮貴は湯から半身を出した。
「いや、風呂じゃなく、女の方です」
「賊が来たつーて、この数日やってねーし、溜まってます」
 女、と聞いて、タエを見た。口を一文字にむすび、泣きそうな顔である。
 宮貴は湯に体を沈め、タエの肩に手を回した。
「今日から、これは、おれの女になった。他をあたってくれ」
「戦士様、その女はねえ、おれらと遊ぶのが仕事なんでさ。先月、賊に汚され、傷物になってから、そうゆう事になったんで」
 ぶん、ゴンゾーが斧を振って迫る。
「でも、今日からは違う。そうゆう事だ」
 宮貴は自分の言葉に驚いていた。あちらの世にいた時は、自分の身を守るので精一杯だった。トラブルの場から、いつも身を小さくして逃げていた。それが今は、女を背にして、頑として譲らない。
「おう、下に出てれば、つけあがりやがって、このヨソ者があっ。甲冑無しで、このゴンゾー様に楯突こうてのか、えっ」
 ゴンゾーは斧を捨て、手招きした。
 宮貴は湯から出た。裸のまま、自分の倍はある巨漢の前に立った。不思議に恐怖は無い。
「そまつな物ぶら下げよって、オレ様の方が三倍でかいぞ」
 ゴンゾーの右の拳が顔に来た。
 ごん、衝撃を感じた。しかし、痛みは無い。
 続いて左の拳があごに来た。さらに蹴りが腹に当たった。
 ふっ、宮貴は軽く鼻で笑った。拳が当たったあたりをなで、目を丸くしたタエに手を振る。
「えっ?」
 ゴンゾーは手を止めた。なぜ、と自分の拳を見た。
 宮貴は間を詰めた。
 ちょん、と目つぶし。股間を蹴り上げ、ゴンゾーが前屈みになるところを、浴槽に突き落とした。着物の汚れが溶けて、湯が泥色になる。
 手招きして、タエを湯から上がらせた。
「で、おまえたちは?」
 宮貴は残る二人をにらんだ。と、そそくさと着物を脱ぎ始めた。
「おれらは、湯をいただきますで」
「体と着物をきれいにしてから、女に声をかけることだ。きっと、もてるぞ」
 宮貴は会心の笑み、タエが着物を肩にかけてくれた。

 村にもどると、昼過ぎだった。
 宮貴は甲冑を社に納めると、ハチエモンの家を訪ねた。いやな予感がしていた。
 ううー、ううう、弱々しいうめき声を上げ、ハチエモンは寝ていた。顔が青黒く腫れ上がっていた。
「おまえは・・・無事か」
 ハチエモンは自身より宮貴の身を案じた。
「ちょっと、ゴンゾーとやりあった。それだけだよ」
「なら、問題無い。あれは、恨みを残さぬ。ちと頭が弱い連中でな、説得には手間が要るが」
 力自慢を飼い慣らすのも長老の甲斐性、ハチエモンも苦労していたよう。
「甲冑を着けていなくても、こうなるのか」
「うむ、わしは贄であるからの」
 宮貴がうけるはずの傷や痛みは、すべて贄のハチエモンに行く。昨日、言った通りの事が起きた。
「おぬしが帰る日が、少し近くなったやもしれんな」
 けほっ、老人は咳をし、残りの命が縮んだのを感じた。

 日が暮れてきた。
 宮貴を世話する女が増えた。タエの娘、ミワだ。
 二人とも盗賊に犯され、汚れたとして、村の男たちは忌避している。よそ者の宮貴を世話するに、うってつけの女たち。
 宮貴の布団を敷き、女たちはムシロを土間に敷いた。おい、と声をかけ、板間に上がらせた。
 その夜は、三人で布団に入った。肌を添い合わせれば、暖かさは三倍だ。
「こんな汚れた女と、すみません」
「昼間、湯できれいにしたろ」
 タエとミワは、盗賊たちに犯された。まだ、その記憶に悩まされている。
「両手に花、極楽だな」
 女と肌を合わせる感触は何十年ぶりか・・・ずっと、ここにいる術は・・・などと考えながら、宮貴は眠りに落ちた。


3日目


 飯が終わると、また宮貴は甲冑を繰り出した。
 タエとミワを連れ、あの温泉に行った。三人で湯につかれば、また極楽な気分だ。
 木陰から視線を感じた。ゴンゾーらがのぞいているかもしれないが、それくらいは許してやろう。
 タエとミワは互いに体をふき、髪をすき合う。良い風景だ。
 と、首の後ろ側に何かある。普段は垂らした髪に隠れるところ、二人ともある。
「さすが、親子だな。同じようにアザがある」
 宮貴は湯から半身を出した。母娘のうなじを見る。同じ大きさ、同じ形のアザ・・・いや、何かの文様のようにも見える。
 はた、と甲冑を振り返った。胸元の窓の下にも、同じ形の文様があった。
「わたしの大祖母様は、魔道士ダンバの孫なんです」
 タエが言った。
「ダンバが自らを贄として、世の人のオーラを封じる法を発した時、その場にいたそうです。以来、わたしらの一族には、こんな印が体に表れる事があります。女だけ、ですけど」
 世の平和を願った魔道士の末裔の二人だった。宮貴は運命を感じた。
 たっぷり体が温まり、村への帰途についたのは昼前だった。

 村の手前で、宮貴は足を止めた。
 いつもの村ではなかった。屋根より高い槍の矛先が見えた。赤い甲冑が二体立ち、共の軍団が村を占領した状態だ。
 タエとミワを甲冑の肩から下ろし、自分だけで村に入った。
 ハチエモンが手を振って迎えた。まだ顔が腫れている。
「この方たちは、王城から来られたハシバ男爵様の隊。盗賊を追って来たのじゃ」
「今さら、かよ。とっくに事は片付いてるぜ」
 わざと大声で毒づいた。兵士たちの目が宮貴に向いた。
 ダンバ社の戸が開き、盗賊の甲冑が運び出される。
 軍配を手にした将が出て来た、ハシバ男爵だ。猿のように歯を剥く小男は、甲高い声で号令する。
「確かに、王城から盗まれた甲冑である。これは持ち帰る」
 ハシバは甲冑の宮貴を見やり、軍配で社を指した。
 ハチエモンも言うから、宮貴は社に甲冑を納めて降りた。
 ダンバ社の前に村の者が並んだ。ハシバがにこやかな顔で語りかけた。
「此度は、甲冑の回収に助力をいただき、このハシバ、礼を申す。しかし、今ひとつ、新たな事態が起きたと分かった」
 ハシバが軍配で宮貴とハチエモンを指した。兵が二人を捕らえて縛り、ハシバの前に引き出した。
「おまえたちは禁を破り、勝手に召喚をしたばかりか、甲冑を動かした。許しがたい事である」
「そっちが何もせず、盗賊を放置するから、やむを得ずやっただけだ」
 宮貴の反論に、ハシバは眉を動かしただけだった。
「申し開きは王の前でいたせ。召喚は大罪ゆえ、このハシバには裁けぬで」
 二人は木格子の牢車に押し込められた。暴れようとする宮貴を、ハチエモンが制した。
「王・・・て、城へ行くのか?」
「早馬なら、一日の所じゃ」
「そんな近くからの報せを、一ヶ月もほっかむりしてたのか、この無能どもは」
 無能と言って、宮貴は口をつぐんだ。元の世界で無能だったのは、他ならぬ宮貴自身だ。
 牢車の前の座席にハシバが座った。うききっ、得意げに声を上げ、また軍配を振る。
 ぐらり、牢車が揺れた。
 白い目を光らせ、二体の甲冑が両側から車を持ち上げた。と、そのまま飛んだ。
 たちまち村が小さくなった。草原の丘を越えると、ストン郷が一望できた。
 山の砦を越えて、平原の彼方に城があった。バイ国の王が住まう白亜のキヨス城だ。

 二体の甲冑は城の中庭に着地した。
 牢車がゆっくり下ろされた。兵が出張り、隙間無く囲んだ。
 ハチエモンと宮貴は牢から出された。まだ手は縛られたまま。ハシバに導かれるまま、兵たちの間の道を進む。
「ここで待て。すぐ、陛下がお見えになる」
 ハシバの指示があり、階段の手前で立ち止まった。
 どっ、宮貴は座り込んだ。足を放りだし、ふてた態度が丸出し。ハチエモンは恐縮して正座している。
 ちんとんしゃん・・・楽器の演奏が始まった。
 それが合図なのか、長い殿上の回廊に人が現れた。
 じゃん、銅鑼が鳴った。兵も人々も、一斉に頭を垂れた。宮貴は同調せず、正面を見据える。
「バイ国王陛下、おなーりーっ」
 正面の階段の上にある玉座に人が現れた。豪華なマントとは対象的な細い面立ち、国王オダである。
 ハシバが階段下に進み、王に一礼した。
「陛下、これなるはストン郷ウエル村の長、ハチエモン。となりは、それに召喚された戦士、ミヤキにございます」
 おおう、人々がどよめいた。
「村長ごときが召喚とは。即刻、首を刎ねよ」
 誰かが言った。同意の声が広がる。
 オダ王が右手を上げ、その声を抑えた。その手をハチエモンに向けた。
「お許しが出た。申し開きをいたせ」
 ハシバに言われ、ハチエモンが頭を上げた。
「村長として、召喚の禁は知っておりました。しかし、先月、甲冑をあやつる盗賊が村を襲いました。ただちに、こちらへ報せを出しましたが、未だに返事はありません。待つうちに、また甲冑の盗賊が現れました。村にはダンバ社があり、甲冑もあります。わたしは村を守るため、やむなく召喚をいたしました・・・」
「盗賊を放置して、誰の首を刎ねるんだ。そこらで無駄飯を食ってる連中の首を刎ねた方が、よっぽど国のためだろうに」
 宮貴が吠えた。
 ハチエモンがあわて、小声で制する。
「静かに、陛下の前であるぞ」
 ハシバも止めにかかるが、宮貴の口は止まらない。
「村からの大事な報せが耳に入らない、つんぼの前で静かにして、何になる。一ヶ月も盗賊を放置して、偉そうにするな。そんな所に座ってるだけで尊敬されるなら、猿でも務まるぜ。王と言うなら、盗賊の報せに即座に対応して、やつらを退治して、行動で尊敬されてみろ」
「不忠者めっ!」
 ガン、宮貴は後頭部に衝撃を感じた。
 振り向くと、ハシバが鞘ごと刀を取り、宮貴を叩いていた。しかし、痛みは無い。
 ああ・・・弱々しい声でハチエモンが倒れた。
 ハシバは訳がわからない。もう一度、と刀を振り上げた。
「待て」
 静かな声があった。ハシバの手が止まった。
 オダ王が立ち上がった。階段の前まで進んで、宮貴を見下ろした。
 むっ、宮貴も応じて、王を見上げた。
「死をも恐れぬ召喚の戦士・・・痛みも苦しみも、すべて贄が負うそうな。確かに、見せてもらったぞ」
 王の言葉に、ハシバは刀を下ろした。当人が痛みを感じないのでは、宮貴を打ち据えても意味が無い。
「甲冑を盗まれて、盗賊に使われた・・・は、我らの手落ちだ。甲冑の探索はハシバに任せたはず。サルよ、この一ヶ月、何をしておった?」
 突然、王の追求が来た。ウキッ、ついハシバは口癖が出た。
「他国に知られぬよう、民が騒がぬよう、秘密裏に探せ。そのように言われまして」
「わしは言ってない」
「陛下からではなく、そこのヒラテ様とシバタ様から、厳重に念を押されまして」
 オダの目が回廊に並ぶ重鎮たちに向いた。
「甲冑を盗まれたは、国の恥にて・・・」
「他国に妙な口実を与えるまいと・・・」
 老家臣のしどろもどろな言い訳を、オダは手で抑えた。
「順番からすれば、こちらの詮議が先であるな。ちと、時間がかかりそうだ」
 はあ、ため息がもれた。
「アケチ、ウエル村の客人をもてなせ。丁重に、な」
 階段下にいた将が応えて頭を下げた。
 オダは合図を送る。銅鑼が鳴り、王は退出した。
 宮貴はハチエモンを見た。口から泡を吹き、息は荒い。良い状態ではない。

 アケチに案内され、入った所は石牢だった。縄が解かれ、手は自由になった。
「豪華な部屋をいただき、感謝の言葉も無いぜ」
 宮貴は毒づいた。
 木の寝台にハチエモンを寝かせ、薄い毛布をかけた。ううっ、体を動かす度、うめき声が出た。後頭部だけでなく、首も痛めたようだ。
「年寄りの具合は?」
 アケチが水と食べ物を持って来た。
「良くないよ。あのサル野郎、思いっきり殴りやがった」
「それだけの事を言ったからだ」
 アケチは濡らした手ぬぐいを絞り、ハチエモンの首筋にあてた。ぞんざいな扱いではない。
「なあ、じいさんだけでも帰せないか。おれが城にいれば、それで十分では」
「この様子では、何を問うても答えられん・・・かもな」
 宮貴の物言いに、アケチは同調してくれた。
「上にかけあっておく」
 アケチは言い残し、牢を出て行った。


4日目


 朝もやの中、キヨス城の正門前に馬車がしつらえた。
 ハチエモンだけが乗客だ。柔らかい布団が敷かれ、けが人の旅を楽にする工夫があった。
 宮貴はアケチと共に見送りに出た。
「すまん・・・の」
 意識を取り戻したハチエモンは、わずかに言葉を出すと、また眠った。
 マエダ十人組に守られ、馬車は出発した。

 アケチの案内で城を散策した。
 石造り外壁に対し、内側は土壁が主体。建物は木造で、さして強固に見えない。攻められたら弱そうだ。
「人は石垣、人は城、と昔の言葉にもある。雨風の害より領民を守るのが城の役割、とオダ王は仰る」
 へえ、宮貴は説明を聞き流す。
 大きな倉の前に来た。扉は大きく、高さ5メートル以上ある。
「これは当城のダンバ社だ。三十四体の甲冑が納められている。いや、盗まれて、おまえが壊したので、今は三十三体だな」
「中は、見られるか?」
 アケチは肯いた。横の小さな戸をくぐって中に入れた。
 明かりは天窓からだけ。薄闇の中で、甲冑は列をなして鎮座していた。甲冑は手造りであり、それぞれに個性がある。
 扉の近くに開いている所があった。盗まれた甲冑があった所だ。
「あそこも空いてる。他にも盗まれたのか?」
 宮貴は奥の並んだ三座を指した。二つは甲冑が置いてあるが、真ん中が空いている。
「あれはダンバインの座だ。我が国には二体のダンバインがある。もう一体は探索中でな、そこが空席になっている」
「ダンバイン?」
 魔道士ダンバは、この世の人々のオーラを封じた。しかし、彼はテツローの一族を率い、腕の立つ甲冑司の頭領でもあった。ダンバの手になる甲冑はダンバインと称された。魔道士のオーラを帯びた甲冑は、戦場で恐れられた。
「甲冑司としてのダンバは、生涯に百八体の甲冑を造った。だが、その百八体目は造られた直後、行方知れずとなった。誰もが探したが、未だにわからない。戦乱の中で失われた、とする見方が強い」
 アケチの説明に、宮貴は首を振る。武器である甲冑を、宝石か芸術品のような言い方だ。
 コツコツ、足音が近付いた。
 振り向くと、オダ王だ。昨日とは違って質素なマント。二人の小姓を共に、こちらも散策の途中のよう。
「新参のアケチがのう、さほどに甲冑に詳しかったとは。いや、人は見かけによらぬものだ」
 アケチは恐縮して、王に腰を折って礼をした。宮貴は軽く会釈しただけで、またダンバインの方へ目をやった。
「ミヤキ・・・と申したな。戦士らしく、甲冑を見るのが好きか」
「いや、あの甲冑の胸元の刻印が、村の甲冑にもあった、と思ってね。もっと小さなやつだったけど」
 アケチがダンバインに目をもどした。二体の甲冑の胸元、窓の下に独特な文様が彫り込まれている。
「あれは、魔道士ダンバの印だ。ダンバが造った甲冑や武器に、必ずある刻印よ。しかし、おぬしのウエル村は、国境にほど近い。そんな所にダンバインがあるなど、あり得ない」
「つまり、我が国に三体目のダンバインがあるやも、と?」
 王が話しに乗ってきた。
 たたた、駆け寄る足音に、話しは途切れた。
「西の国境に、ミノ国の軍が現れました。ゼンショー砦より援軍の要請です」

 城の前屋敷、大広間に王と重鎮たちが集まった。
 宮貴とアケチも末席に顔を出した。皆の目が痛いほど集まった。
 銅鑼が鳴り、豪華なマントでオダ王が着席する。砦からの書状が開かれた。
「未明より集結したミノ軍勢、約二万余り。明け方、甲冑アメノミカヅチが出現。甲冑は総勢三体あり」
 広間にどよめきの声。
 続いて、敵方からの書状が開かれた。
「ミノ国侍大将ドーサンより、バイ国王に問う。貴国において、四人目の召喚戦士が現れたとの報あり。諸国との申し合わせを破る、真偽やいかに。返答を待つ」
 今度は沈黙が流れた。
「だから、やつの首を刎ねておけば」
「何を今更」
「あやつが来て、まだ一日と経っておらぬに、なぜ知っておるのか」
「城内に間者がいるのか」
 各所から声が出た。しかし、意見としてまとまる気配は無い。
 王は喧噪の中で頬杖をつくばかり。目配せして、まともな意見の出所を探した。
 と、末席に挙がっている手を見つけた。宮貴だ。
「新参は黙っておれ」
 重鎮の列から声があり、宮貴は手を下ろしかけた。しかし、王は宮貴を指し、意見を許した。
「向こうさんが問題にしてるのは、俺でしょ。なら、本人が行けば、話しが早いのでは」
 宮貴は言って、周りを見た。ざわざわ、まとまり無い声が響く。
 王が手招きした。宮貴は進み出て、背に重鎮たちの視線を浴びた。
「道理である。で、行って、どう話すか」
「どう・・・と言われても。ただ、俺の知ってる事実を話す、それだけです」
「お主に腹芸は無理かもな」
 オダ王は首を縦に振り、うむ、と咳払いのような声を発した。

 王は宮貴の出陣を許した。重鎮たちの異論を抑えての決断である。
 付き添いは城にいる戦士、アサイとノブカツ。二人とも王から名をもらったらしい。あの世の名は、この世で役に立たぬとの割り切りだ。
 宮貴は甲冑の使用も許された。ダンバ社に行き、入り口近くの灰色のやつを選んだ。
「アメノミカヅチ・・・か。甲冑にも名前があるのか」
 宮貴の疑問に、ノブカツが答えた。
「この世には、人より名を知られている甲冑がある。今、貴公が選んだのはテバサキと呼ばれている。冑の飾りが鳥の羽に見えるからだ。わたしのはシカヅノだ。アサイ殿のはクワガタと呼ばれている」
 宮貴は甲冑を見直した。頭部は、それぞれ独特な飾りがある。それが呼び名となっていた。
「アメノミカヅチは、どんな奴だ?」
「わたしは一度だけ見た、光る青い目が恐ろしい奴だ。もう、二度と会いたくないと思っていたが」
 ノブカツは口を閉じ、赤いシカヅノに乗り込んだ。どん、目が白く光った。
「あんたらの贄は、どこにいるんだ?」
「さあ、会った事は無い。城のどこか、奥御殿あたりでノンビリしてるんじゃないのかな」
 宮貴の問いに、ノブカツは首をふるばかり。
 これ以上はムダ口と割り切り、宮貴もテバサキに乗った。

 扉が開かれ、三体の甲冑が社の前に並んだ。赤い二体に挟まれ、灰色のテバサキが立った。
 宮貴はまぶしさに目を細めた。太陽は中天にかかっている。
「さあ、飛ぶぞ」
 アサイが誘った。しかし、宮貴は首を振る。
「実は、飛ぶのは初めてで」
「だから、我々が一緒に行くのだ」
 テバサキを両側から支えて、三体が飛び上がった。
「バランスくらい、自分でとれ。手を焼かすな」
 ノブカツが叱咤した。
 始めは吊られていたが、すぐ空中での姿勢を覚えた。まだ速度は出せないので、引っ張られるばかり。
 城の上空を出て、西の国境へと向かった。
 畑と放牧の牛を見つつ、木立より少し高いくらいで飛ぶ。
 なだらかな丘を越え、小さな川を二つ過ぎて、大きな川が見えて来た。川が国境だ。その中州に小さな砦が建っている、ゼンショー砦だ。
 西の対岸にミノ軍が集結していた。立ち並ぶ旗の中央に塔がある、高さは100メートル以上ありそうだ。
「あれだ、あれがアメノミカヅチだ」
 ノブカツが叫んだ。声が震えていた。
「あ、あれが甲冑なの?」
 つられて、宮貴も叫んでいた。
 塔と見えたが、それは人の形をしていた。右手に槍を、左手に盾を持つ白い巨人像だ。頭部で二つの眼が青く光を放っていた。
 遠いが大きいので、胸のふたつのふくらみ、くびれた腰が見えた。女の姿をした武人像だ。
 女巨人が動いた。立っていた槍が斜めになって、こちらに矛先が向いた。盾が右へスライドして、体の前面をかくす。
 砦を過ぎようという時、巨人の青い眼の光が強くなった。
 宮貴は目がくらんだ。まともに光を受けてしまった。痛みが脳天まで貫いて、まぶたが開けられない。
 キーン、風を切る音がした。上空から急降下の一撃が来た。
 ダンダン、背を叩く衝撃に三人はバラけた。
 バランスを崩して、宮貴は川に落ちた。水しぶきが上がった。
 アサイとノブカツは空中で体勢を立て直す。宮貴を助けようとするが、対岸から巨人像の大槍が横に薙ぎ払ってきた。
 槍をかわしたところへ、また上空から急降下で襲って来た。
 だめた、とアサイは水面すれすれを砦へ逃げた。ノブカツも背に一撃をもらいつつ、なんとか逃げおおせた。
 ごぼこぼ、宮貴は水の中でもがいた。が、苦しくはない。溺れているのはハチエモンの方と悟った。
 水面から顔を出し、ようやっと岸に上がった。
「じいさん、死ぬなよ」
 一息入れて、ハチエモンを思った。
 目の痛みが薄らぎ、物が見えてきた。
 前を見ると、盾が列をなしていた。槍衾で囲まれている。振り返ると、対岸に砦があった。西岸側に上がっていた。
 どしん、また背を叩かれた。踏ん張ってこらえる。
 左右から銀色な二体の甲冑にはさまれていた。
 とおっ、気合いで地面を蹴る。上に飛んで逃げた。
 が、飛ぶ速度が遅い。たちまち追いつかれ、左右から指叉の槍で挟まれた。空中で身動きならなくなった。
「おお・・・おれは話し合いに来た。剣は抜いてないし、戦う気は無い」
 宮貴は両手を上げ、降参のポーズをとる。
 左右の甲冑を見た。胸元の窓にある顔は、口に紅をさした女のよう。
 女巨人の左手が動いた。盾は上腕の方へ移動していた。
 巨人の手がテバサキをわしづかみ、握り潰す気は無いようだ。二十倍も大きな相手では、抵抗もできない。
 指叉が外れた。左右の甲冑は飛び去り、女巨人の両肩に降り立った。
 女巨人の首飾りに見える部分に窓がある。あそこに戦士がいるのだろう。窓の下に、城のダンバインと同じ刻印があった。
 胸元が開いて、水平のデッキがせり出て来た。大きいだけあり、色んな設備がある。
 槍をかまえた兵が出て来た。一人、将と見える者も出て来た。
 テバサキがデッキに降ろされた。宮貴は甲冑の胴を開き、自分の足でデッキに立つ。とたん、のど元に槍が突き立てられた。
「お、おれはストン郷ウエル村の長に召喚された、宮貴健司だ。話し合いに来た」
 宮貴の口上は、声が滑ってしまった。槍の矛先が喉をかすめているせいだ。
「話し合いとな・・・いきなり川を飛んで越えようとすれば、奇襲と思って対処するも、これは当然であろう」
「戦場のマナーとか、儀礼とかには詳しくなくて、ごめんよう」
 将は指図して、槍を離させた。息が楽になり、宮貴は息をついた。
「わしはミノ国侍大将ドーサンである。ミヤキ・・・と言ったな。我々が把握しているバイ国の三戦士とは違う名だ。貴公が、噂に上がる第四の戦士であるか?」
ドーサンは冑を取れば、髪一本無い頭がまぶしい親父だった。銀色の鎧が頭の輝きを強調する。ついでに、ぎょろりとした眼が宮貴を圧した。
「いや、数えるなら、おれは五番目だ。四番目のやつは、おれが討った」
「討った?」

 アサイとノブカツは砦にいた。
 甲冑から降り、対岸の巨大甲冑アメノミカヅチを見上げていた。
「失敗、と伝令を出すか?」
「まだ早い。もう少し様子を見よう」
 水と昼食の握りをもらい、口の前で手が止まる。歯だけがカチカチ音をたてた。

 宮貴は鎧を脱ぎ、着物をしぼった。川に落ちて、ずぶ濡れだ。
「さような話し、信じると思うか?」
「おれは、おれの知ってる事を言いに来た。それを信じるかは、そっちの問題だ」
 ふふっ、ドーサンが鼻で笑った。
「問題は・・・バイ国では、盗賊や村長が召喚の法を知っており、行える事であるな。キヨス城に三十四体、バイ国全体では四十六体の甲冑があると聞く。いや、貴公が一つ壊したので、今は四十五体か。一斉に召喚をして、四十五の甲冑が戦に出て来る・・・やも知れぬ。また、戦国の世が来るのか・・・」
 侍大将は未来を見ていた。現在だけを見る宮貴との差だ。
「いや、四十五人召喚しても、全員が優れた戦士になるとは限らないし」
「貴公のように、か」
 ぎろり、ドーサンは宮貴をにらんだ。
「あの世から呼び寄せる法だけ、と言うのは不便であるな。いっそ、この世の甲冑を全て、あの世へ送ってしまえば。さすれば、この世も少しは平和になりそうだ。あの世の人は、オーラを封じられてないのであろう」
「そう、らしいね」
 ドーサンは首をひねり、ああ、と声を上げた。
「ミヤキ・・・とやら。帰って、王に伝えよ。諸国との申し合わせ通り、一日も早く、バイ国の戦士が三人にもどる事を期待する、と」
「いやあ、おれの贄の爺さんは、昨日からケガだらけだ。今にも、おれは消えるかもね」
「それはどうかな。意外と、しぶとい御仁かもしれんぞ」
 宮貴は着物を身につけ、鎧は甲冑の中に放り込んだ。
「じゃ、ね」
 宮貴は手であいさつ、テバサキに乗った。

 キヨス城にもどると、宮貴は石牢に入れられた。無事にもどったのが、逆に疑われたようだ。
 夕刻、大広間で軍議が開かれた。宮貴も牢から出されて、末席に並んだ。
「ミノ軍は撤退を開始。甲冑三体は、すでに無し。歩兵一万が駐留継続」
 ゼンショー砦からの書状が開かれた。しかし、否定的な意見が相次ぐ。
「退くと見せかけ、我らを誘い出す腹かも」
「次は、四体の甲冑で来る。そのための言質を取られた」
 末席の宮貴に、視線が痛いほど浴びせられた。
「こやつ、どんな裏取引をしたか、知れたものではない」
「おれは・・・おれが知ってる事を話しただけ。信じるかどうかは、みなさんのする事だし」
 宮貴にとり、言葉の戦いは得手ではない。腕っ節のケンカも得手ではないが。
 冑を脇にかかえ、武将が現れた。
「ヤナダより報告いたします。東の国境に動きがあります。ルガ国が兵を集めているもよう。まだ、規模は不明でありますが」
 おおう、重鎮たちの声が上がった。いよいよ意見はまとまらない。
 王は口を開かなかった。


5日目


 その夜も、宮貴はぐっすり眠れた。
 路上生活が長い者にとり、石牢の床は寝心地の悪い所ではない。屋根の下だから、温かいとさえ感じていた。
 ごとん、音がした。牢の戸が開いた。
 音に敏感なのは路上生活のゆえ。宮貴は眼を開き、入って来た者を見上げた。
「起きろ、出るんだ」
 アケチだった。問答無用で牢から引き出す。窓の外は、ようやく明るくなりかけた頃。
 ダンバ社の前でアサイが待っていた。簡素なマントのオダ王と小姓たちもいる。
「これよりウエル村に行き、甲冑を確かめよ。ダンバインであれば、良し。二体では不足、三体目が欲しい」
 王は足踏みを繰り返し、苛立っていた。大広間では見せない仕草だ。
「昨日、アメノミカヅチを見てきたであろう。魔道士ダンバが造った百七番目のダンバインだ。ダンバインに勝つには、ダンバインが要る」
 おう、とアサイは呼応した。社に入り、出発の支度をする。
 わたしも、と小姓の一人が進み出た。
「よし、ランマルも行けい」
 オダ王は気が落ち着いてきたのか、足踏みが止まった。
 ごごん、音がして、社の扉が開いた。出て来たのはテバサキより大きな甲冑だ。
「ベンケイで行きます」
 胸元の窓にアサイの顔があった。甲冑の肩幅は広く、頭部の飾りが無しで丸いだけ。むしろ力強さを感じた。
 ベンケイは大きな篭を背負った甲冑だ。物や人を運ぶに適していた。
 アケチに続き、宮貴も乗る。吊り縄の輪をつかみ、飛行中の揺れに備えた。ランマルも乗った。
 どおっ、気合いと共にベンケイは飛んだ。
 城壁を越え、東へ向かう。高度をとり、山を越える頃に日の出が来た。

 ベンケイはウエル村の柵の外に降り立った。
 宮貴が篭から降りると、後ろから馬車が来た。マエダ十人組が守るハチエモンの馬車だった。空飛ぶ甲冑が追い抜いてしまったのだ。
 ハチエモンは家に帰った。
 しかし、体の状態は悪い。背中と腹に打撲の痕が浮かんでいた。
 ランマルは医術の心得があり、道具を持って来ていた。しかし、老人の体力は衰えが明らかだ。
「おれのせいだ、すまない」
 布団に寝るハチエモンに、宮貴は頭を下げた。
「これが贄の仕事よ」
 痛みをこらえ、ハチエモンは言葉を絞り出した。そして、目を閉じた。
 丸一日、馬車に揺られて来た。それだけでも、老人には苦労だ。さらに、昨日、宮貴が戦った時のダメージが加わっていた。
 世話をタエとミワにまかせ、宮貴はダンバ社に赴いた。

 ダンバ社の前では、マエダ十人組がそれぞれに休憩していた。
 中に入ると、アケチが甲冑を調べている真っ最中。アサイは腕組みで見守っていた。
「小さいが、確かにダンバの印だ。隠すように、何かを貼っていた跡もある。見逃されたのも、頷ける事だ」
 アケチは書を開き、対応する記述を探す。
「魔道士ダンバはテツローの一族を率い、生涯に百八体の甲冑を造った。現存が確認されているのは二十三体、我が国に二体だけ。さて、二十四体目のダンバインであるとして、造られて何番目の物であろうか」
 真面目に調べるアケチに、アサイは薄笑いで甲冑を見上げていた。
「すっとぼけた面だよなあ。戦いのためでなく、祭りで踊るためのようだ」
 宮貴も同意する。
「この面を見た敵が笑ってしまって、戦意を無くすのが目的だとか」
「そいつは、強力な武器かもしれん」
 つられて笑った。
 アケチが手にした書はダンバインの目録だ。特徴、寸法などが一番目から詳しく記載されていた。
「へえ、あのアメノミカヅチは百七番目だったのか」
 宮貴は横から書をのぞき、昨日の事を思い出した。
「魔道士ダンバは百七番目にして、究極の守りを造った。その対極として、百八番目は攻めの究極を目差した。しかし、できあがって、その威力に恐怖した。そして、百八番目のダンバインは封印された・・・と伝説がある」
 アケチはページをめくる。百八番目は、ほとんど空白だ。
「赤い目・・・マガタマの封印・・・これだけ?」
「これだけだ」
 目前の甲冑に対応する記述は、ついに見つからなかった。アケチは書を閉じた。
「マガタマと言うのは、あのダンバの刻印の形だ」
「そうなんだ」
 宮貴は甲冑に寄り、胸元の印を見上げた。と、手が触れて、甲冑の胴が開いた。
「おっ、ちょうど良い。乗って、動かしてみてくれ」
 アケチが言うので、宮貴は中に入った。
 ぶん、音がして、胴が閉じた。甲冑の顔で目が赤く光った。
 あわてて、アケチは書を開いた。百八番目を読んだ。
「赤い目・・・マガタマの封印・・・」
 アケチとアサイは言葉を失った。

 アサイはダンバ社を出て、扉前でたむろするマエダ十人組を叱咤した。
「おまえら、もっと気合いを入れろ。しっかり守れ」
 何を守るのか、彼らは訳も分からず目を丸くする。
 ふと、アサイは足を止め、振り返った。宮貴とアケチが扉のところまで出て来ていた。
「甲冑を盗んだ奴ら、この村だけ、二度も襲おうとしたらしい。その理由が分かった気がするよ」
「なるほど。ダンバインと気付いたから、かもしれないな」
 アケチも首を縦に振る。アサイはベンケイに乗り、一気に上昇、西の空へ飛んだ。
「魔道士・・・変な奴だね。造って、怖くなったのなら、壊してしまえば良いのに。封印しただけ、なんてさ」
 宮貴は社の中を見返し、甲冑をくさした。
「ロクロを回して、器を作った事があるか?」
「無いけど」
「どんなに歪んでも、不細工な出来でも、壊し難い時があるものだ。ダンバも、きっと同じ気分になったのだろう」
 アケチが言った。へー、宮貴は口を歪めて応えた。

 夕方になり、宮貴はハチエモンの家に行った。
 母屋は村長の看護で手一杯、宮貴は納屋に寝床を取った。
 ガラクタを除けて、一人分の幅の床を確保した。布団を敷けば、りっぱな寝所だ。
 布団にもぐり込むと、虫の音が止んだ。雨が屋根を叩く音がした。
 足音がして、目が覚めた。温かいものが布団に入って来た、タエだ。
「けんじ様、お城に行って、もう会えないかと思った。帰って来て、よかった」
 タエは子供のような仕草で、宮貴に抱きつく。布団の中に熱がこもってきた。
「爺さん、良くなるかなあ」
 宮貴はハチエモンを案じた。老人が死ねば、この世から消える身である。
 タエの背に手を回した。指先が首筋に行き、アザに触れた。色だけでなく、少し盛り上がっていた。
 ああん、くすぐったいと声が出た。
「今日、聞いたのだけど、この形はマガタマと言うそうだ」
「知ってます。人の魂の形だそうですよ」
 へえ、宮貴はうなった。
 この女のために何ができるのか、思いを巡らした。でも、答えは見つからない。
 温かさに、また眠気が来た。雨の音が強くなってきた。


6日目


 雨上がりの朝は、少し寒かった。
 宮貴は起きて、すぐハチエモンを見舞った。
「爺さん、まだ死ぬなよ」
「なに、憎まれっ子世にはばかる、と言うぞ」
 軽口をたたけるのは回復の証しだ。少し安心できた。
 飯の後、宮貴はマエダ隊の半数を率い、デンガクに行った。湯につかり、身を清めた。
 山中にしては人の足跡が多い、マエダはいぶかしんだ。ゴンゾーらが湯を使っているのだ、と宮貴は気にしなかった。
 村に戻ると、もう昼過ぎだった。

 村には新しい兵が来ていた。柵の外には赤いシカヅノの甲冑が佇んでいる。
 鉄貼り四頭立ての馬車があった。王族専用の馬車だ。
 馬車を警護してきたのは、ヤナダの兵五十騎。マエダ十人組と合わせ、村は兵隊で一杯だ。
 ダンバ社の戸が開き、甲冑が出て来た。赤い目が光を放つ。
 一緒に出て来たのはアケチとオダ王である。甲冑に乗っているのはノブカツだ。
「何と呼ぶべきか。エボシか、それともヒョットコと呼ぶべきか」
「とりあえず、アカメでは」
 王とアケチは甲冑の呼称で言葉を交わした。
 ノブカツは柵を跳び越え、槍を振るう。ぶんぶん、風を切る音が響いた。
 宮貴はじっと見ていた。甲冑を使い慣れた者らしい、軽々とした動きは見応えがあった。
 柵を跳び越え、ノブカツがもどった。
「よく分からんなあ。どこがダンバインなんだか」
 甲冑の胴を開き、ノブカツは降りた。宮貴を見つけ、にっと笑った。
「返すぜ。おれはシカヅノの方が良いや」
 ベテランの評に、素人は言葉を返せない。宮貴は、ただ肯いた。
「実は、偽物であるとか」
「甲冑の能力は、遣い手に依るところも大きいので。特別なダンバインであれば、遣い手には、特別な何かが必要でありましょう」
 王が首を傾げた。アケチは甲冑を弁護する。
 ハチエモンの家の前にいたタエとミワを見つけ、宮貴は手招きした。二人を連れて、オダ王へ進み出た。
「王様、特別な人を紹介するよ。ダンバの子孫で、タエとミワだ。首の後ろにダンバの印があるんだ」
 宮貴はタエを王の前に押し出した。後ろ髪をめくって、うなじのアザを見せた。
「ほう、珍しい物を見せてもらった」
 王は言葉を返したが、それ以上の興味を示さない。宮貴は失望した。
 ゴンゾーがやって来た。タエを押しのけ、王に胸を張る。
「王様、こんな汚れた女を近寄らせちゃいけねえ。この村には、もっときれいどころがおるでよ」
 タエは唇をかみしめ、王に背を向けた。
 宮貴は追った。肩をたたいて声をかけようとすると、タエは首を振り、王の方へ戻れと勧めた。

 日が暮れて、ウエル村の広場は大きなたき火で明るい。
「なにやら、にぎやかなようだ・・・」
「オダの王様が来てるから」
 広場の騒ぎも、家の中では遠い。ハチエモンは聞こえてくる歌に耳を傾けた。
 タエが手ぬぐいで額の汗を拭いてくれた。
「王様か・・・ミヤキが、な。キヨス城で、ミヤキは王に啖呵を切りよった。皆に聞かせたかった」
「まあ」
「ミヤキは良い奴よ。村にも、国にも、良い事を成してくれるじゃろう。が、わしがいかん。わしの奉公も、そろそろ終いのようじゃ」
「爺さまが死んだら、けんじ様が消えてしまう・・・」
「無念じゃ・・・」
 ハチエモンとタエ、二人の間に沈黙が流れた。
「爺さま、けんじ様の贄、このタエに務まりませんか」
「なってから後悔するやもしれんぞ。贄は・・・覚悟が要りようだ」
「けんじ様は、こんな汚れた女でも大事にしてくれます。あの人のために、役に立ちたいのです」
 ハチエモンは布団の中から右手を伸ばした。タエが両手でうけた。
 この時、タエのうなじで、垂らした髪に隠れたマガタマのアザが光った。それを見る者は無い。

 あ、ああ・・・
 宮貴はへなと倒れた。手の杯から酒がこぼれた。
「戦士さま、情け無えな。もう酔ったんかね」
 ゴンゾーが顔をのぞき込んで来た。赤ら顔が寄って、臭い息がかかった。
 宮貴は起き上がり、深呼吸して首を回す。
「ちょっと、ね。気が遠くなった」
 杯の匂いをかぎ直した。飲みつけないを飲んだせいかもしれない。
 たき火前の輪を外れ、ダンバ社の柱に寄りかかった。
 柵の所で、アケチとノブカツが何やら話している。身振りからすると、二人は甲冑の比較をしている様子。柵の外には、たき火の淡い明かりの中、シカヅノが仁王立ちしていた。
 女が立ち上がり、たき火の前で踊り始めた。
 王に向かって着物のすそをめくり、太ももを露わにして腰を振る。やんや、と男たちが合いの手を叩いた。


7日目


 ダンバ社の隅で、宮貴は寝ていた。
 路上生活が長いと、地面から来る振動に敏感になる。地鳴りのような、大勢の足音のような、妙なものが聞こえて、宮貴は目を開けた。
 外から誰かが入って来た。奥の甲冑前には、オダ王が布団で寝ていた。
 報を受け、王は起きた。宮貴も起きた。
 連れ立つかたちで、外に出た。ヤナダがいて、東の山を指した。
 夜更けである。カメ山の稜線に沿って松明が揺れていた。北から南へ、火が長く延びている。
 山の上では星がまたたいていた。月は雲に隠れている。まだ、日の出は遠い。
「火が、さらに増えました」
「何と見るか」
「これで、太鼓や木が鳴らされれば、火牛戦法となりますが」
 ふむ、王はヤナダの具申に同意した様子。
「着替える。皆を起こせ」
 王は社に入り、夜具を脱ぐ。小姓に用意させるのは鎧と冑だ。
 宮貴は柵の外の闇を見た。どこへ行ったのか、シカヅノの姿が無い。
 だんだん、おーおーっ、だんだだん・・・太鼓が鳴る。声が上がる。山に反響して、千頭の牛が突進して来るかのように感じた。
 オダ王が鎧姿で出て来た。はね起きた兵たちも、山を見て驚く。
「始まりましたが、これは陽動です。敵本隊が近くに来ていて、その足音を消しています」
 ヤナダの説明に、王も肯く。
 だんだん、おーおーっ、だんだだん・・・音は続いた。目覚めた村人は、何事かと窓や戸から外をうかがう。
 いたたまれず、村人が家々から出て来た。兵に向かって何かと問い、恐怖を表した。
 ゴンゾーが斧をかつぎ、たき火を周回した。柵の外は闇、何かいても見えない。
「静まれ。敵の狙いは、我らが慌てて柵の外へ逃げ出す事。それを狙い撃ちする計略である。まずは落ち着け」
 ヤナダが叫ぶ。兵は落ち着きを取り戻すが、村人はそういかない。
「待ち伏せているとすれば、西への街道だ。城へ向かう道筋か」
 王の冷静な状況分析。とすれば、敵は村を挟んで陣を組んでいる事になる。
 宮貴は賊と戦った時を思い出した。
 だんだん、おーおーっ、だんだだん・・・音が小さくなり、止んだ。
 静寂の中、月が雲間から出て来た。柵の外、木や畑が見えてきた。
 どろどろ・・・本物の足音が近付いた。
 ずし・・・ずし・・・人以外の足音もある。
 タエとミワに支えられ、ハチエモンが家から出て来た。長老に村人が寄り集まり、不安の声が小さくなる。
 松明の群れが柵の外に現れた。いよいよ来た。
 ずし、ずし、屋根より高い巨人が現れた。ルガ国の甲冑は、やや横に広く太い造り。力が強そうだ。
「あちらにも来た」
 兵が叫んだ。村を左右から挟み、二体の甲冑が立つ。足軽の隊が柵の外に並び、村を囲んだ。異国の鎧を着た兵の数は千を超えるか。
「甲冑が、もう一体来た」
 村の柵の正面に、見覚えのある赤い甲冑が現れた。シカヅノだ。
「ノブカツめ、寝返ったか」
 王がうめくように言った。声を低くして、兵に動揺を悟られまいとする。
「村の者に申す」
 よく通る声が柵の外から来た。
「寄せ手はルガ国、率いる大将はイ・マガワなり。我は先手、アケチである」
 ルガの鎧を着込んでいるが、声は確かにアケチだった。
 ヤナダが王に言おうとするが、それを手で抑えた。
「ここに至って、是非に及ばず」
 オダ王は口を一文字に閉じた。裏切りではなく、始めからルガ国の間者だったのだ。
「我らが望みは、オダ王のみ。村の者ども、王を差し出せ。さすれば、戦いは無い。むしろ、大将より多大の恩賞があるであろう」
 こりゃ、とゴンゾーが石を投げた。が、柵に当たって落ちた。
「王様は村の客人でえ。誰が馬の骨に渡すかよ。尻を洗って出直して来やがれ」
 斧を振り上げ、ゴンゾーが吠えた。お尻をぺんぺんとたたき、さらにアケチを挑発した。
 村人から笑いがもれた。
「では、戦もやむなし。しかし、戦は男の祭りである。女子供、老人は来るしからず。柵より出て、丘から戦を見物するが良し」
 アケチは兵に命じ、柵を少しだけ開いた。
「さあ、一人づつ、ゆっくりと出よ」
 ハチエモンが同意した。村人に、出よと手で促した。男たちは立ち上がり、出て行く女と子供らを見送る。
 ミワを送り出し、ハチエモンを支えるのはタエだけになった。
「女は早く行け」
 宮貴はタエに言った。しかし、首を振った。
「わたしは、ここにいます。けんじ様、あなたと一緒に戦います」
 決意を込めた目で見つめられ、宮貴は反論できない。ランマルが来て、タエに言った。
「女連れで戦っては、オダの名に傷が付く。陛下のためだ、出なさい」
 タエはオダ王を見た。ズカズカ歩み寄り、王を見据えたまま髪に手をかけた。
 まとめていた髪をほどき、左手でひっぱり上げるや、右手の釜で切り落としてしまった。首の後ろにあるマガタマのアザが露わになった。
「タエはここにいて、一緒に戦います」
 うむうむ、オダ王も肯くしかない。
「皆の者、ウエル村より勇士が参じたぞ。魔道師ダンバの末裔、タエどのである。見知りおけ」
 兵から笑いがもれた。王はタエを背に誘った。
「タエどのには、我が背を守ってもらおう。背後から来る敵を討て。背をしっかり守ってもらえば、わしは前面の敵に集中できる」
「はい」
 言われて、タエは王の背に回った。
 宮貴は王に一礼した。初めて尊敬できる行動を見た。
「王様、おれもおるでよ」
「おおっ、ゴンゾーであったな。頼りにしておるぞ」
 王に声をかけてもらい、いよいよゴンゾーは意気軒昂だ。
 ダンバ社の横で三人が顔を突き合わせていた。
「おれは、昔、ルガ国に行った。イ・マガワの顔を知っとる」
「敵の大将を討ち取りゃあ、一番の手柄だぜ」
「多勢に無勢だが、大将を取っちまえば、こっちのもんでい」
 捕らぬ狸のなんとやら、である。ジンナイ、コヘイタ、シンスケの三人は声を潜めて笑った。
「爺さま」
 ゴンゾーが振り向いて声をかけた。柵の外へ向かう列は残り少ない。
「わしは長だ。村におらんと、な」
「村の者は柵の外にもおるぞ。お主が行かねば、だれがあれを率いるのか」
 オダ王が言った。
 ハチエモンは頷き、杖をつきながら歩きだした。彼が最後尾となった。ゴンゾーが柵まで付き添う。
 アケチは無言でハチエモンに近付き、腕を引き寄せた。
 あっ、ゴンゾーがあわてても遅かった。柵は閉じられた。
「オダ王よ、ダンバインをあてにしておるのか。しかし、贄が我が手にあるぞ」
 ちっ、オダ王は歯がみした。言葉はもらさない。
「放せ、返せ、ひきょーものー」
 ゴンゾーが吠える。しかし、アケチは聞く耳を持たない風だ。
 ハチエモンが手を上げた。ゴンゾーを抑える仕草。
 そして、皆に別れを告げるかのように笑い、手を振った。
 アケチの小刀が老人の首にかかった。
 しゅっ、のどが切られた。血が吹き出し、ハチエモンは倒れた。

 終わった・・・
 宮貴は目を閉じた。
 贄のハチエモンが死んだ。召還が解けて、宮貴は本来いるべき世に帰る。
 またホームレスになるのだ。ボロを身にまとい、薄暗い裏路地に寝て、残飯をあさり雨水をすする生活。
 時折来る町の自警団はホームレスを敵視する、逃げなくてはならない。
 ・・・
 恐る恐る・・・宮貴は目を開けた。
 まだ、ウエル村にいた。
 オダ王が柵の外を見つめていた。その背で、髪を無くしたタエが、赤く泣きはらした目で口をつぐんでいた。
 城から来た兵と村の男たちを合わせても、こちら側の数は百に満たない。
 対して、囲むルガ国の兵力は一千以上。甲冑も、向こうは三体ある。
 ふう、宮貴は深く息をついた。一人、ダンバ社に入る。
 王がヒョットコと称した甲冑を見上げた。
「行くぞ、ダンバイン!」
 自らを鼓舞して言った。宮貴が甲冑に触れると、胴が開いた。中に入ると、すぐ胴は閉じた。体に力が満ちる。
 ぶん、赤い目が光を放った。

 ダンバ社の戸を押し開き、宮貴は外に出た。
 おお、兵から声が上がった。オダ王は目を見開く。タエは笑みで迎えた。
「そんな・・・なぜ?」
 アケチは訳がわからず、足元の死体を見た。間違い無くハチエモンは死んでいる。
 だん、槍を持ち直し、シカヅノは戦闘態勢を取った。
「場所を空けろ。奴は、おれが取る」
 ノブカツが大音声を発した。ルガ国の兵を柵から下がらせ、甲冑同士が戦える場を作る。
 東の山向こうの空が、ほんのりと白み始めた。夜明けが近い。
 宮貴はキヨス兵の声に押され、柵を跳び越えた。
「贄をうまくしたらしいが、小細工は無用よ。さあ、勝負だ」
 赤と黒が対峙した。
 ノブカツは槍をかまえながら、少し後退した。左右にルガ国の甲冑が間を詰めている。三体で挟み撃ちの算段だ。
 宮貴も後ろの左右に気付いた。敵に囲まれる前に、手早くノブカツと決着をつけねばならない。
 ノブカツが槍で手先と足先を叩いて来た。矛先を払い、こちらも槍で突きかけると、ひょいとバックする。
 宮貴は焦れた。えいっ、思い切って踏み込み、槍を突き込んだ。
 しかし、身を屈めて外された。ノブカツの槍がカウンターで来た。
 がん、宮貴は面で受けてた。衝撃を感じた。
 ぎゃっ、小さな声でタエは倒れた。オダ王が振り返ると、タエの額が割れ、血が流れていた。
「まさか・・・贄を入れ替えて・・・今は、おまえが贄か」
 王は手でタエの傷をおさえた。贄が死ねば、宮貴が乗る甲冑は骸と化す。
 ノブカツは槍を押した。このまま面を貫けば、贄は頭を貫かれては死ぬ。そして、乗り手を失った甲冑は倒れる。
 宮貴は槍の柄をつかんだ。
 腕に力を込め、えいっ、柄をへし折った。
 一瞬、たたらを踏んで、ノブカツは体勢を立て直した。相手を見れば、矛先は面に刺さったまま。その面には、縦にひびが入っていた。
 宮貴は矛先を面から抜いた。かあっ、顔が熱くなった。
 パリパリ・・・さらに面が割れた。
 ついに、パキンと音をたて、ヒョットコ面は砕けて落ちた。その下に違う面があった。
 目だけでなく、面全体が赤い・・・赤鬼の面が現れた。
 顔ばかりか、体中が熱い。この熱を外に出さねば、自分が焼け死にしそうだ。
 宮貴は手の矛先を投げた。シカヅノの足に刺さった。
 鬼面の口が開いた。怒りの炎が吹き出し、シカヅノを包んだ。
 宮貴は踏み出し、大上段から槍を振り下ろした。
 シカヅノは縦にふたつに割れて倒れた。ノブカツの姿は消えた。
 村を振り返った。
 柵の手前に、数百のルガ兵がいた。左右にルガの甲冑が立っている。
 またも、鬼の口から火を吹いた。兵の列が炎に包まれた。
 よく見れば、左の甲冑は槍を縦にしたままだ。
 宮貴は左に向かって突っ込んだ。燃えるルガ兵を踏みつぶし、ルガの甲冑の胴に槍を突き込んだ。
 槍を押し込みつつ、腰の刀を抜いた。さらに踏み込んで、甲冑の首を刎ねた。
 ルガ兵は隊列を崩して逃げる、壊走状態だ。
 逃げる背に向かい、さらに炎を浴びせた。まだ怒りは治まらない。
 また振り返る。右にいた甲冑が背を向けて逃げて行く。
 宮貴は追った。足元のルガ兵は眼中に無く、虫ケラのごとく蹴飛ばし、踏みつぶして走る。
 と、敵の甲冑が足を止め、振り返った。
 そのとたん、宮貴に矢と石つぶてが降り注いだ。
 伏兵の攻撃だ。痛みは無いが、うっとうしい衝撃が続く。

 がつがつ、ゴンゾーは斧を打ち付け、閉じられた柵をこじ開けた。
「爺さまっ」
 亡骸に駆け寄り、触れようとして、手を控えた。
 死の直前、笑って手を振ったハチエモン。その顔が忘れられない。
「アケチ、どこにおるぎゃー」
 ゴンゾーは立ち上がり、焼け野原を歩き始めた。半焼けのルガ兵たちが、苦しんでうめいている中を進んだ。
 オダ王は深呼吸をし直した。百八番目のダンバインの威力に絶句していた。
「魔道士ダンバが恐れ、封印した訳だ・・・」
 何かの条件が変わり、ノブカツが乗った時とは違う力が現れた。宮貴の力か、それとも別の何かか。
 あっあっ、タエが悲鳴を上げた。
 顔に手足に、小さな傷が無数に現れた。アザができ、血が吹いた。
 ダンバインが攻撃され、贄が傷を負っているのだ。

「じゃまだ、どけ」
 宮貴は叫んだ。またしても怒りの炎を吹いた。
 火を浴び、ルガ兵が総崩れとなる。が、煙の向こうから迫る者があった。
 ぶん、甲冑が槍を振り下ろして来た。
 踏み込み、矛先をかわした。柄の打撃が背に来た。
 そのまま体当たりして、横から押し倒した。左手をねじり、もぎ取った。
 が、敵はひるまない。下から蹴り上げ、宮貴は倒れた。
 片腕となった敵甲冑が逃げる。東の山へ向かっていた。ルガ国へ帰るつもりのよう。
 山の向こうが明るい。日の出が近い。
 水しぶきを上げ、川沿いを走る。デンガクの温泉を抜けた。
 敵がよろけた。味方を踏み潰すまいと歩を乱したのだ。
 宮貴は槍を背に突き込んだ。矛先が胸まで突き抜け、敵は倒れた。もう動かない。
 後ろの方で声が上がっていた。
 敵の甲冑がよろけた原因は、敵の大将がいたからだった。村から逃げて来る途中で、甲冑に追いつかれたのだ。
「あれじゃ、大将のイ・マガワじゃ」
 ジンナイが指した。兵は散り散りになり、甲冑に踏み潰され、大将が一人でいた。
 コヘイタが竹槍を横腹に突き込んだ。しかし、浅い。
 イ・マガワは刀で竹槍を切り落とし、コヘイタの足を切った。川の中に倒れるコヘイタ。
 逃げるイ・マガワは石の上に上る。と、踏み外して湯の中に落ちた。そこは宮貴が作った浴槽だった。
 シンスケが後ろから組み付いた。
「爺さまの仇じゃ」
 鉈がイ・マガワの首を切った。湯が赤く染まった。
 宮貴は山を見上げた。
 稜線に沿ってルガ国の兵がいる。あれを撤退させなければ、戦は終わらない。
 とおっ、気合いを入れ、宮貴は飛んだ。
 山の頂上近くに森は無く、岩と低い灌木に草ばかり。その合間にルガ兵が待機していた。すでに、麓の異変は察知していた様子。
 後詰めの甲冑もいた。
 上から槍を振り下ろした。向こうも槍の柄で受けた。
 ルガの甲冑の胸元、窓の中に若い顔が見えた。まだ子供のようでもある。
 年は関係無い、敵は敵だ。
 十文字の横矛で甲冑の首を刎ねた。横矛が折れて飛んだ。窓から子供の顔が消えた。
 ぷちぷち、小さな衝撃が来た。
 また矢と石つぶての攻撃だ。
「うるさいっ」
 鬼の口から炎が放たれた。たまらず、ルガ兵は逃げ出した。
 宮貴は稜線から東の斜面を焼いた。逃げ切れず、焼け死んだ敵を数える気は無い。
 怒りが治まってきた。顔の熱が下がる。片釜になった槍を地面に突いた。
 胸元の窓からは見えないが、赤鬼の面から色が抜け、白い色の面になっていた。
 斜面を逃げ下る敵兵の背を見て、ただ悲しくなってきた。ハチエモンを救えなかった、その思いが胸に重い。
 東の平原から太陽が顔を出した。
 まぶしさに、宮貴は西を向く。山の上から村を見下ろした。
 ウエル村とストン郷に朝日が差した。

 村の柵は開け放たれていた。
 柵に死体が縛られ、さらされていた。アケチの死体は鎧が半分焼けていた。
 他のルガ兵の死体は村の外に積まれていた。薪と枯れ草をかけられ、燃す支度が進んでいる。
 村の中ほどにはハチエモンの亡骸が置かれて、ゴンゾーが泣いていた。丘から女と子供らが帰り、少し賑わいが戻ってきていた。
 宮貴が中に進むと、オダ王が手を挙げて呼んだ。甲冑から降り、近寄ると怒られた。
「ばかもの。痛みを感じぬからかも知れんがの、もっとうまく戦え」
 王の横にタエが寝ていた。ランマルが手当している。
 傷だらけ、血まみれの姿を見て、今はタエが贄と知った。
 宮貴は傍らに跪き、タエに手を伸ばした。あまりに痛々しい有様で、触れるのをためらった。
 タエが薄目を開けた。宮貴を見つけ、口に笑みを浮かべた。
「おかえり・・・なさい」
「ああ、ただいま」
 その先、言葉にならなかった。
 宮貴はタエに頭を垂れた。幼子が母にすり寄るように、胸に額を寄せた。つい、涙が出て来た。


20年後・・・


 ウエル村のダンバ社は石造りになり、大きく拡張された。
 村はバイ国の東を守る砦となり、ストン郷では最も大きな所になった。
 砦の主はヤナダである。その客分として宮貴はいた。甲冑遣い戦士は別格の存在だ。
 宮貴はタエと夫婦になり、砦の中で館をもらっていた。ゴンゾーは好々爺となり、館の庭木いじりで暮らしている。
 庭の池に顔を映し、年をとった自分に宮貴は笑った。
 この世に来る前、これくらいの年頃だった。来て、若返り、戦で手柄を立てた。
 時が経ち、来る前の年頃に返った。おかしな気分だ。
 振り返って、部屋を見た。タエが布団で寝ている。ここ数日は気分が良いらしく、笑顔が続いていた。
 カンカン、木槌が鳴った。砦の門を見た。
 鉄貼りの馬車と護衛の騎士団が到着したところ。馬車は王族専用の物だ。
「キミョウ王子、おなーりー」
 門番の号令が砦に響いた。ヤナダが早速に出迎えた。
 王子が下車、次いで下車したのは母親のミワ。あの事件後、オダ王の側室となり、王子を三人も産んで、今や国母の存在となった。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
 宮貴は王子に頭を下げた。王子は父に似て背が高く、見るからに凜々しい若者だ。
 二人をタエの部屋へ案内する。娘を見て、母の顔は笑みが満ちた。
「母様、今日はお菓子を持ってまいりました」
 ミワは箱から皿に菓子を盛り、布団の脇に置く。かすかにタエの唇が動いた。
 宮貴は菓子のひとつを取り、一つまみをタエの口に入れた。かすかに口が動いて、新しい笑みが浮かんだ。
 おい・・・し・・・
 母が小さな声で応えた。娘は子供にもどり、身をおどらせて喜んだ。
 タエが頭を動かした。窓の外を見ているよう。
 きれ・・・い・・・
 宮貴は視線の先を見た。庭木に白い花がある。ゴンゾーが手塩にかけた花だ。
「ひとつ、取ってまいりましょう」
 キミョウ王子が庭に行く。ミワも一緒に行った。母と子が一緒に花を愛でる図ができた。
 タエが笑みで娘と孫を見ている。
「また食うか」
 宮貴は菓子をつまみ、またタエの口に持っていった。しかし、今度は口が動かない。
 顔をのぞき込んだ。瞳も動かない。手を鼻にやり、息をみた。
「ミワ、王子」
 宮貴は呼んだ。手に花を持ち、ミワと王子が部屋に帰ってきた。
「母様、きれいよ」
 ミワが花をタエの目の前に差し出した。でも、笑顔は動かない。
 宮貴は布団の中から、タエの手を引き出した。握っても、反応は無い。ミワに手を渡した。
「母様・・・母様・・・」
 両手で母の手をにぎり、娘は呼ぶ。けれど、返事が来ない。
 宮貴はタエの頭に、そっと手を置いた。
「タエ、おつかれさん」
 何か気の利いた言葉を探すが、何も浮かばない。思い出ばかりが先行して、口が動かない。
「みんな・・・みんな、おまえのおかげだ・・・ありがとう」
 宮貴の体を淡いオーラの光が包んだ。タエが死ぬ、それを悟った。
 贄が死ねば、召還は解ける。
 再度、オーラロードが開かれた。
 淡く光るオーラの流れのまま、宮貴健司は導かれて行った。

 マグライトの光を顔に当てられた。
「あんた、こんな所で寝てたら、かぜひくぞ」
 手で光を遮り、痛いほどの光を弱めた。
「ああ、すまん」
 宮貴健司は言葉を返した。逆光でよく見えないが、向こうは警官のようだ。
 壁をたよりに立ち上がり、手を振った。何かの通信が入り、警官は去って行った。
 足音が遠くなり、路地は静かになった。空には雲間に青い月がある、今夜は冷えそうだ。
 頭を振って、眠気を飛ばす。
 夢を見ていたようだ。
 長い・・・長い夢だった。異世界へ行き、若返り、戦った。嫁をとり、家をもらい、孫と幸せな家庭・・・そして、妻の最期を看取った。
 ホームレスの身の上には、正に夢のまた夢だ。
 屋根の下に寝床を確保しなければ、今夜は凍えそうだ。宮貴は路地を歩いた。
 ふと、ガラス窓に映った自分を見た。
 髪も髭も整えられている。服も・・・タエを看取った時のまま。
 夢ではなかった・・・全て、事実だった。
 どーん、どーん、路地の向こう側、大通りの方で音がした。
 宮貴は歩いて行った。
 路地から出て、それを見た。
「ああっ!」


 バイストンウエルの物語を覚えている者は幸いである。心、豊かであろうから・・・




< おわり > 





後書き

アニメ「聖戦士ダンバイン」の歌は好きです。
でも、あの物語には途中で挫折しました。ザブングル路線のままで突っ走ってりゃ・・・

そんな訳で、本作はファンタジーに徹してみました。
次に、日本人に馴染みやすい世界を考えました。やっぱり、戦国時代ってファンタジーだよね。
さらに、主人公は私的に使いやすい60過ぎの爺いです。こちらの世界から何かを引きずらないために、世捨て人なホームレスにしました。


2015.11.7
OOTAU1