ベムラー
BEMLAH

 
 もう生き飽きた・・・死のう。
 河辺村一郎は大きく息をついた。布団から体を起こすのさえ辛い、全身が倦怠感に包まれている。
 のどが渇いた。けれど、台所まで行くのがしんどい。
 このまま渇いて死ぬのも・・・と思ったが、やはり乾きに勝てない。一郎は布団から這い出た。
 なんとか蛇口にたどり着き、コップで水を飲んだ。立て続けに三杯飲んで、腹がくるしくなった。シンクにもたれ、そのまま座り込んだ。
 去年あたりから始まった症状だ。
 歳は六十過ぎてるし、髪は薄くなり腹も出た。目のかすみや耳鳴りも感じる。何かが体の中で起こっている。でも、病院で確かめるのは怖い。
 行ったところで、単に気のせいと言われそう。それで、ずるずると一年経った。
 いっそ、ここで包丁を手に、喉を切って死ぬか。台所の下の戸棚に、サビかかったのが何本かあるはずだ。
 広くもないアパートの部屋を見渡し、はあ、ため息をついた。
 染みの入った天井、黒く汚れた壁、踏むと音が出る床。どれもこれも、今の河辺村一郎を表していた。
 この街は北海道の北の都を自称する旭川。その街外れの続き長屋のアパート。築四十数年と言うだけに、建物の傷みは細部におよんでいる。
 死ぬにあたり、何か思い出そうとするが、何も思い出せない。自分はどこで生まれ、どう生きてきたのか・・・親は、兄弟は? 脳みそが動かない。過去がどこかへ行ってしまった。


1日目


 どかどか、足音が近付いた。
 ピンポーン、ドアチャイムが乱暴に鳴った。
 立ち上がる気力は無い。いないふりを決め込もうとした。
 どん・・・がきがき、木製ドアの鍵が外から壊された。ぼきっ、ドアが枠から外れた。
 外の風と光が部屋に入る。
 まぶしい、一郎は目を細めて、ドア枠の向こう側を見た。
 細いの太いの、不思議な格好の一団がいた。着ている服が変、白衣のように見えて、手足は頑丈な鎧のようだ。白いヘルメットにゴーグルとマスクで、防疫部隊を連想した。
 手にライフルのような物を持っている。こちらに先端を向けてきた。
「ベムラーか?」
「確かにベムラーだ」
「覚醒しているか?」
「ベムラーは覚醒している」
 ライフルに見えたのは、何かのアンテナのよう。一郎に向け、先を上下に左右に振って何かを調べている様子。
「あの、わたしは河辺村と言います。どこかの誰かと間違えているのでは、と思いますが」
 がっき、両側から腕を強力で抱え込まれた。身動きできない。
 はたと彼らの手に気付いた。手袋の指が四本だ。仕事でしくじったヤクザが指を落とす、そんな伝説は知っていた。
「河辺村です。わたしは河辺村一郎です」
 選挙のように名前を連呼した。
 ずるずる部屋から引き出された。外には大きなバンが駐まっていた。大きめの救急車のよう。
 ストレッチャーに寝かされ、拘束バンドで手足と頭を固定された。ついでに、口にもバンドを貼られた。声も出せない。
 救急車の後部ドアから載せられた。すぐに発車、揺れる車内に乗り物酔いを感じる間は無い。
 ついさっきまで、死にたいと思っていた。でも、全く予想外の死が迫っている。
 人違いで誘拐され、果てはコンクリ詰めで土の中か、あるいは海の底で魚のエサか。どちらにせよ、まともな死に様ではない。
 どん、軽い衝撃があって、車は止まった。恐ろしいほどの静かさ、キンと耳鳴りがした。

 車のバックドアが開いて、ストレッチャーが引き出された。
 口を塞ぐバンドが外された。ふう、と深呼吸した。頭のバンドも外されて、周囲を見渡せるようになった。
 壁も天井も鉄製だ、船底だろうか。そう長く走ってないはずだが。
 カチリカチリ、杖を鳴らして老人が寄って来た。
「ベムラー、ひさしぶりだ。お互い、見かけは変わったな」
 カチン、杖が床を叩く。冷たい反響が耳に来た。
「わわ、わたしは河辺村一郎です。誰かと間違えて、とか思います。もっと良く確認を、人違いですから」
 一郎の主張に、老人は目配せする。ライフルのようなアンテナが、また一郎に突きつけられた。
「間違いなく、お前はベムラーだ。わたしはジッグラの鍵を欲している。さあ、言え」
「じ・・・ぐら?」
 一郎は答えられない。知らない言葉を投げかけられ、反応しようがない。
「ベムラーよ、わたしは議論などしたくない。鍵を渡したくないなら、しかたない。今度こそ、お前には消えてもらうぞ」
「知らない・・・できない・・・河辺村一郎ですよ。人違いだよ・・・」
 カン、老人が杖を鳴らした。
 アンテナが引っ込み、ワゴンテーブルが近くに来た。注射器やら薬の小瓶やらが載っている。
 殺される・・・一郎の背に悪寒が走った。
 昔の映画で、若きアーノルド・シュワルツェネッガーは力まかせに拘束バンドを引きちぎった。六十過ぎの爺いな一郎には不可能だが、満身の力で手足のバンドに抗う。
 ぶちぶち、右手に感触があった。バンドが裂けてきた。
 うおおおっ、雄叫び一発、バンドを引きちぎった。自由になった右手で、左手のバンドも外す。
 押さえ込もうとする男たちを殴り返し、蹴り返した。ストレッチャーから脱出、さらに男たちを突き飛ばす。
「さすがベムラーだ」
「河辺村一郎だ」
 あきれ顔の老人に、また怒鳴り返した。
 また男たちが組み付いてきた。風船を飛ばすように跳ね返した。
 どこにそんな力があったのか、一郎は首をひねる。今は考える間が無い、まずは脱出路を探す。
 救急車の向こう側にドアを見つけた。
 ドアノブは腕ほどもある大きなレバーだ。右か左か、渾身の力で動かす。
「やめろっ」
 また男が組み付いてきた。
 どん、その時、ドアが外れて吹き飛んだ。
 一郎は男と一緒に外へ吸い出された。ドアの向こうに地面は無かった、雲の上だった。

 すぐ男とは離ればなれになった。
 一郎は落ちた、どこまでも。風圧で口も目も開けてられない、息もできない。ごごご、聞こえるのは風の音ばかりだ。
 息ができず、意識が遠くなりかけた・・・
 どん、激しい衝撃に体がもまれた。
 くええっ、ようやく息をして、辺りを見回す。木と草、森の中か。
 ぱた、折れた木の枝が落ちて来て、顔に当たった。ちょっと痛い。でも、生きていると実感できた。
 息を整え、身を起こす。と、下着も無い裸になっていた。
 風圧で脱げたか、木の枝で裂けて無くなったか。立ち上がり、さらに体を見る。不思議にケガは無い。
 股のものがブラブラしては、どうにも動きにくい。原始人になった気分。
 かさ・・・かさ・・・草を踏む音が近い。
 熊か、狼か、猛獣と遭遇しては命の危機だ。木に身を寄せ、音の方を探った。
「ベムラーか?」
「河辺村一郎だ!」
 問われて、つい答えてしまった。
 一郎は木の陰から顔を出し、声の方を見た。赤い長袖ジャケットの女がいた。やはりライフルのようなアンテナを向けていた。
「来るな。今のおれは、裸だぞ」
 言うと、女はアンテナを降ろした。ジャケットを脱ぎ、投げてよこした。
 長袖だが女物だ、男が着るには小さい。袖を腰に巻いてしばり、赤褌にして前を隠した。
「向こうに車がある。乗るか?」
 女は問いかけてきた、命令ではない。一郎は木の陰から出た。
「気を付けろ。さっき、もう一匹落ちた。破片が散らばっている」
 言われて、足元を見直した。赤い滴が垂れている。上を見れば、木の枝に何かある。すぐ目をそらした。
 女は白樺の林を抜け、クマザサの斜面を下る。後ろについて行くと、道路に出た。黒いミニバンが駐まっていた。
 スライドドアからリアシートにもぐり込む。ドアを閉じて、やっと息をついた。尻丸出しでは、外を歩くのもままならない。
 女は外で立ったまま、携帯電話を取りだした。
「ベムラーを確保した。でも、様子が変だ」
 また、ベムラーと呼んでいる。質の悪い冗談にしても、仕掛けが大事に過ぎる。
 女は運転席に座り、エンジンをかけた。シート越しに振り向く。一郎は褌代わりの赤いジャケットを手でおさえた。
「とりあえず、メフィスの別荘へ行く。明日は、病院で精密検査だ」
「家へ、おれのアパートへ帰る」
 一郎は首を振った。ニッ、女は笑みを返してきた。
「あんな所より、よっぽど物がそろってる。風呂もあるし、きれいになれるぞ」
 車は走り出した。
 女がペットボトルの茶をくれたので、一気に半分を飲んだ。体が渇いていた。
 林を抜けると、湖が見えた。ダムでせき止めた人工湖だ。
 ダムの横を通り、長い坂を下って行く。後ろを見ると、谷を右から左に塞いだ大きなダムである。忠別ダムだ。さっきの林は大雪山の麓だ。
 いつの間に、そんな距離を移動したのか。旭川の街中にいたはずなのに、空から落ちたら、大雪の山の中にいた。時間の感覚が狂った、と感じた。
 車は旭川へ向かう道からはずれ、また細い坂道を上る。林の中の道に入った。
 道をはずれ、舗装の無いところに入った。がたごと、少し揺れて、車は止まった。
 小さな三角屋根のログハウスだ。となりに大きな納屋がある。林の中で近くに人家は見えない、尻丸出しで歩いても騒動にならない場所だ。
「げん・・・だ」
 一郎は表札を読んだ。金属板に文字を彫り込んで、金のかかった表札だ。
「源田哲夫、メフィスの地球での名前だ。大学病院の理事長もして、けっこうなご身分さ」
 女は含み笑いで答えた。
「おまえは?」
「わたしはギャンゴ。こちらでは、原めぐみ。今年二十歳、それくらいだ」
 二十歳と言われて、一郎は女を見直した。確かに若い、と言う以上に、幼さすら感じさせる顔だ。
「で、テツとメグの関係は?」
「昔は、ジェロニーとメフィスの間のメッセンジャーみたいな事をしてた。ここしばらくは、もっぱらメフィスの側にいるな」
 また変な名前が出た。外国人同士の争いに巻き込まれたようだ。
 くわしい事は風呂の後にしよう。一郎は口を閉じ、それ以上の問いを止めた。

 風呂は半地下の源泉掛け流し湯。ただし、源泉のままでは、湯温は三十度と少しの濁り湯。
 沸かした湯を足し、適温にしてから入浴するスタイルの風呂だ。しかし、いくら湯を足しても、なかなか温度が上がらない。
 待ちきれず、ぬるいけれど入った。湯につかる内、体の方が温度に慣れてきた。
 日本人の熱い湯好きは世界一らしい。河辺村一郎は日本人と再確認する。
 ぬる湯でまったりしながら、海外の温泉事情のニュースを思い出した。摂氏三十七度以下の湯では雑菌が繁殖し易いらしい。低温の温泉で口や鼻を湯につけ、アメーバ状の病原菌に集団感染する事例が起きた。
 日本の熱い湯では起こりえない病気騒動に、へえーほおー、と唸ったものだ。
 気が付くと、窓の外は暗くなりかけていた。
 湯から出て鏡に向かう。あれ、と首をひねった。
 記憶にある自分と、どこか見かけが違う。どこが、とは具体的に言えないが、何か違う。
 下着とバスローブが着替えに用意してあった。たぶん源田哲夫の物だろう。シャツは小さめだが、パンツはゆるかった。

 夕食は女の手作り。とは言え、実態は冷凍物とレトルトを皿に盛っただけ。量だけは豪勢だった。
 食い始めると、口が止まらない。どんどん一郎は食べ続けた。
 腹八分目と言うのを思い出し、箸を置いた。すでにテーブルの半分以上を平らげていた。
 めぐみの方は、食が進まない。気分が悪そうだ。
「食わないのか?」
「うん、もういいや」
 めぐみは席を立ち、ソファにごろんと身を投げた。
 もったいない・・・一郎は箸を取り、めぐみの皿にのばす。ちょっと一口のはずが、たちまち皿を平らげた。
 げふっ、ゲップを出すほど食べたのは何年ぶりか。記憶を探るが、何も思い出せない。
 ちらと、めぐみを見た。唇を噛んで、何かに耐えている。
「病気か? 病院へ行くか、薬でも飲むか?」
「クスリはいらない。これはクスリの禁断症状だから」
「きんだん?」
 聞いてはいけない事を聞いてしまった気分。
 首を振り、一郎は皿をかたづける。一人暮らしが身についているから、こういう事に苦労は感じない。
 皿の表を簡単に水で流し、食器洗浄器に入れて、かたづけ終わり。金持ちの家は装備が違う。
 ソファを見ると、めぐみはまだ寝ている。肩を大きく上下させ、息が荒い。
「ここにいるのは、おれとおまえだけ。女が一人で悶えてると、犯されるぞ。助けも来ないぞ」
「犯す・・・ああ、セックスの事か。この辛さがまぎれるんなら、それも・・・好いな」
 嫌み半分に投げた言葉へ、予想外の返事が来た。ずきっ、股間がうずいた。
「ほうほう、では合意を得た。そう言う事にしよう」
 一郎はソファの隅に腰掛け、めぐみの短いスカートに手をかけた。
 女の体に触れるのは何年ぶりか、思い出せない。よけいな考えを振り切り、スカートを足から抜いた。
 二十歳の素肌がまぶしい。が、太ももの内側に花の画があった。タトゥーか入れ墨か、せっかくの肌がもったいない。
 小さなパンツに手をかけようとすると、へその左右にもタトゥーがある。
 がば、とパンツを下ろした。陰毛は無い、脱毛したのか天然か。股の肉の割れ目の左右にも、小さなタトゥーがあった。
「おまえ・・・なあ、変な物で肌を汚すなよ」
 少し気力が萎えた。一郎が文句をたれると、めぐみは薄笑い。
「去年、前の体が心臓麻痺を起こした。近くにいたので、この体に移った。ところが、歳のわりに、とんでもない傷物で中古品だったのさ」
 また訳のわからない事を言う。しかし、自分を中古品と言った。処女ではない、と言う事で遠慮は無用だ。
 むん、気合いを入れ直し、一郎もパンツを下ろした。


2日目


 どっ、どっ、どっ・・・何度目かの射精が体を揺らす。
 数えてないが、抜かず三発はしたはず。六十過ぎていながら、こんな事ができた。自分を誉めてやりたい気分。
 いったい何時間つながったままなのか。窓の外では、東の空が明るくなり始めている。
 一郎の腹の下では、めぐみが寝息をたてていた。男にやられていながら、器用なものだ。少なくとも、禁断症状は無くなったのだろう。
 少し体を浮かし、女の裸を見る。やや太め、ぽっちゃりの形容詞が似合う。
 しかし、左のおっぱいの上に花のタトゥーがある。菊だろうか、花には詳しくない。右肩にも、尻や背中にもある。あたら若い肌が興醒めだ。
 渇きを覚えた。
 手近に飲み物は無い。めぐみから離れなければ、水を手に入れられない。
 3秒考えて、腰を引いた。膣からペニスを抜き出す。なまめかしく濡れていた。
 冷蔵庫を開けて飲み物を探す。それらしいのは缶ビールだけだ。しかたなく小さめの350缶を取る。
 ビール片手に姿見の鏡に向かって立った。
 じっと見るうちに、昨日の風呂上がりの違和感を思い出した。
 わき腹の肉をひとつまみ、何か違う。
 胸の肉が、腹の肉が、もっとたるんでいたはずなのだ。河辺村一郎は六十過ぎの爺いなのだから。
 顔も同じように違和感がある。両の目尻、口元は垂れて下がっていたはず。髪の薄さは相変わらずだが、ひたいのシワは、もっと深いはずだ。
 若返った・・・?
 まさか、と首を振った。
 起きがけ、めぐみと一発。
 一緒に風呂に入り、またもよおした。後ろから抱きつき、浴槽の中で一発する。
「底なしだな」
 バックから突かれながら、めぐみが悪態をついた。しかし、男には褒め言葉だ。何十年かぶりの女を、たっぷり楽しんだ。

 また冷凍物とレトルトの朝飯をとり、めぐみの運転で出かけた。
 東神楽の森林公園を通る、すぐ近くだった。温泉施設の横を走り、別荘の温泉風呂が理解できた。
 一郎はアパートへ先に寄るのを望んだ。源田哲夫のスーツは上等だけど借り物、どうにも肌にシックリこないのだ。
 旭川の街中へ向かう真っ直ぐな道を行く。
 白い塔が見えて来た。川をまたぐ斜張橋の塔だ。
 車は環状線に入り、橋を渡る。たった1日しか経っていないのに、風景が懐かしく感じた。
 新しい建物が並ぶ通りから、一本道を外れると、古びた建物が多くなる。一郎が住むアパートも、そんな中のひとつだ。
「まだあった・・・」
 一郎は声をもらした。何十年かぶりに帰って来た、そんな感覚におそわれた。
 玄関のドアは外れたまま、通路に放置されていた。やれやれ、とドアを抱え、土足で部屋に入った。
 中もひどかった。あの連中が大勢で入り込み、一郎を拉致した時の惨状が残っていた。
 後片付けは置いておき、引き出しを開けて捜し物だ。運転免許証と国民健康保険証、預金通帳とカードを発掘した。
 ふと、壁の向こうが気になった。誰かが倒れている、それが見えた。
 まばたきして、考えた。河辺村一郎が見たのか、ベムラーが察したのか、答えは無い。
 壁の向こう側はアパートの隣室、法律的には別人の家だ。住んでいるのは若い女、一郎から見て若いだけ。めぐみから見れば、十分におばさんな年頃だろう。
 ドアの無い玄関を出て、隣のドアの前に立つ。猪上菊子の表札があった。
 ノックしてみるが、応答は無い。
 ドアノブに手をかけ、開けと念じた。カチ、と小さな音がした。ドアを開いて中に入った。
 居間の真ん中、確かに女が倒れていた。壁越しに見たままだ。
 細身で長身、めぐみとは正反対の体型。何度か顔を合わせた時、やさしく挨拶をくれた。
 肩で細かく浅い息をしている、虫の息というやつ。額に小さな傷があり、少し血が流れている。肩を揺するが、反応が無い。
 床に大きなガラスの灰皿があった、吸い殻が散らばっている。
「病院を・・・救急車だ」
 一郎は振り返る。
「これからメフィスの病院へ行くところだし、ついでの手間だなあ」
 めぐみが携帯電話を出した。やる気無しの顔でダイヤルする。
 結局、119番で救急車を呼んだ。一郎は付き添いで同乗した、隣の住人と言う事で近親者に次ぐ立場だ。
 救急車は橋を渡り、緑が丘の坂を上がって、大学病院に駆け込んだ。

 怪我人は病院にまかせ、一郎とめぐみは理事長室へ行った。
「ベムラー、元気そうだな」
「河辺村一郎だ」
 またベムラーと言われ、つい言い返す。
 理事長の源田哲夫の歳は70過ぎか。頭に毛はわずか、顔のしわも深い。
「全身レントゲン、頭部CT、血液採取・・・等々、予約は入れてある。順次、検査を受けたまえ。昼前には終わるよ。結果は昼食後だな」
 にやり、源田は親しげな態度をとる。
 猪上菊子の容態も気になるが、自分の体に起きている何かも気になる。一郎は検査を受ける事にした。
 病院内の食堂で昼飯をとる。
 カツカレーの大盛り、カレーは甘めだった。肉も米も柔らかめ、噛む力が弱い入院患者向けだ。
 食後、猪上菊子の病室を見舞った。
 目は開いたり閉じたり、意識がもうろうとしている。脳震とうで、しばらく安静が必要と診断されていた。
 喫茶コーナーへ行き、コーヒーを飲んで時間をつぶした。と、めぐみの携帯が鳴った。一郎の診断ができたようだ。

 ずらり、全身レントゲンの写真、頭部CTの輪切り画像が裏照明の壁一面に並んだ。
 一郎は口を開けて見るだけ。素人には何が何だか分かるものではない。
 源田が写真の前に立ち、むっとした顔で解説を始めた。
「河辺村一郎くんは・・・はっきり言って、とても健康とは言い難い。つい最近、大きな脳梗塞をやってしまった。この半月から一ヶ月ほど、ずいぶん苦しんだはずだ。頭痛、吐き気、発熱・・・そして、めまい」
 言われて、一郎は頷いた。
 風邪が長引いている、そう思っていた。医者には行かず、市販の風邪クスリを飲んで、苦しさをまぎらわせた。
「部位からして、命にかかわる所だった。昔の事が思い出せない・・・とか、記憶障害を自覚しているようだが、それで済んで幸運だったと考えるべきだな」
 風邪クスリを飲み、布団の中で苦しみながら、色々な気力を無くしかけた。病院へ行く気力、助けを呼ぶ気力・・・そして、生きる気力を。
 源田はニヤリと口元をゆがめた。
「しかし、これこそがベムラーの覚醒を促した。やつも死にたくなかったのだな。脳梗塞の部位にコロニーを作って死滅した脳細胞を補完し、河辺村一郎の命を救い、さらに能力を拡張した。高度1万メートルから落ちても傷ひとつ無く、めぐみと一晩中やり続けて、なお元気が余る」
 はあ、めぐみがため息をついた。
「ベムラーが何をどうした、と言うんだ」
 一郎は納得いかない。自分の中の何かが目をさました、そこまでは理解できた。
 源田はパネルの端の写真を指した。細胞の拡大写真だ。染色されて、細胞核などの構造がわかる。
「これは、君の細胞の一つを拡大したものだ。丸い大きなのが細胞核、右の空豆みたいのはミトコンドリア。そして、これがベムラーだ」
 核の左側に細胞核と同じくらいの大きな物があった。ミドリムシのように見えた。
「ベムラー・・・てのは、バクテリアの事かい?」
「今は、そうだ」
 一郎が問うと、源田は頷いた。そして、また語り始めた。
「昔、地球時間で五十年ほど前、ベムラーとジェロニーはジッグラの所有をめぐって争った。ベムラーは逃げて、地球まで来た。そこでジェロニーに捕まり、ついに殺された。しかし、死ぬ直前、近くにいた河辺村一郎の体に乗り移った。受けた傷はとても大きく、自身をバクテリアのレベルまで退化させて体に入り込んだ。我々は河辺村一郎の体を調べ、ベムラーの復活には長い時間が必要と知った」
「ベムラー・・・は、宇宙人か?」
「元は、そうだ。しかし、今は地球人の体に同化している」
 一郎は目の前の源田を見た。振り返り、めぐみを見た。今の見た目は地球人だが、以前は宇宙から来た別の生き物・・・だったらしい。
「おれはベムラーなのか、河辺村一郎なのか?」
「今は河辺村一郎の方が優位にある。ベムラーは細胞の中で、まったりと河辺村一郎と共生しているようだ。細胞をブーストする能力はミトコンドリアの数倍ある、すでに体験しているはずだ」
 一郎は自分の体を見直す。手で触れて、感触を確かめた。普通の人間としか感じない。
「細胞を出たベムラーは脳の中で小さなコロニーを作った。しかし、脳を乗っ取り、ベムラーとして思考するには小さ過ぎる。もっと大きなコロニーを作るようになれば、ベムラーの方が優位になるだろう。いつになるか、まだわからない」
 一郎は頭をかかえた。
 自分の頭の中で何かが増え続け、いつか、河辺村一郎は別の何かになってしまう。年を取り、認知症になってボケてしまうのと、どれほどの差があるのだろう。
 インターホンが鳴った。源田が受話器を取り、少し話して置いた。
「君らが連れて来た怪我人だが、状態が悪いようだ。脳出血が確認された。死にはしないまでも、このままでは植物状態になる可能性がある」
 植物状態・・・意識不明で寝たきりの事だ。
 ごっ、一郎はテーブルに頭をぶつけた。もしも、ベムラーが完全に覚醒したら、河辺村一郎はどうなるのか。植物状態の人間の脳とおなじように、河辺村一郎の脳も眠っている状態になるのか。
 科学者でも無い一郎には、これ以上の推測は不可能だ。考えるのも無駄、と断ずるしかない。
 午後の回診時間が来た。源田は院長と一緒に猪上の病室へ行く。
 一郎は喫茶コーナーで、また呆然とコーヒーを飲んだ。

 夕刻になった。
 めぐみの様子がおかしい。源田が診察した。
 昨日の同じ時刻、めぐみは禁断症状に苦しんだ。今日も同じらしい。
 めぐみは病院に泊まる事になった。
 一郎は車を借り、一人で源田の別荘へもどった。
 暗くなった。静かな所だ。森の中ゆえ、かすかに風が木を揺らす音が聞こえるだけ。
 冷凍庫に真空パックされた牛肉を見つけた、解凍してステーキにする。体がタンパク質を欲していた。インスタントラーメンと合わせて夕食とした。
 腹が満たされて、風呂に入るか迷う時間。
 ピンピロリ〜ン、女の子らしい可愛い着信音、めぐみから借りたピンクの携帯電話が鳴った。出ると、源田からだ。
「あの猪上さんだが、いよいよ悪い。本人とは話せないし、近親者の了解を得ないと、今後の治療方針が立てられない」
「おれは、となりに住んでただけだ」
 インフォームドコンセントと言うやつ。ただの隣人でしかない一郎に、彼女のための決断はできない。
「明日、またアパートに行って、大家か不動産屋に聞いてみよう」
「頼む。そうしてくれると、ありがたい」
 それで携帯は切れた。
 はたと考えた。自分のアパートの大家がわからない。不動産屋も覚えてない。またも、記憶が欠けている。
 まず、自分の部屋にもどる。アパートの契約書を見れば、それに全て書いてあるはずだ。


3日目


 夜明けの街を車で走った。
 アパートに着き、一郎は古びた建物を見上げた。
 何年ここに住んだのか、記憶があいまいだ。日を追うごとに過去が消えて行く感じ。
 いつまで河辺村一郎でいられるのか、考えても答えは無い。なるようになる、と納得するしかない。
 車を降り、いざ行こうとしたら、男の声がした。聞いた事のある声だ。
「きくこー、きくこーっ」
 猪上菊子の部屋に出入りする男の声だ。顔を合わせたのも何度かある。
 ゆっくり歩を進め、部屋の方へ行く。猪上菊子の部屋は、どうせ隣りである。
 ドアを開き、男が顔を出した。歳は三十代前半くらいか、一郎からすれば若造の部類。
 彼は一郎の顔を見て、ぷいとふて顔になった。足音を勘違いしたのか。
「菊子さんは病院だ。ケガをして、重体だよ」
「びょ・・・け・・・」
 男はうろたえたように顔を左右に振る。
「昨日は救急車を呼んだけど、ケガの原因には不審点もある。警察を呼んでおいて方が良かったかもしれない」
「警察・・・て、おれは何も知らねえよ」
 一郎の誘導に、男は自白に近い物言い。目をそらすそぶりも、犯人まがいだ。
「あの血の付いた灰皿、それと吸い殻を調べれば。それこそ、誰が何をしたか、たちどころだろう」
 一郎は横目で男を見つつ、笑みで推理するそぶり。
「てめえ、よけいな事をすると」
 男が殴りかかって来た。腹に右のゲンコツだ。
 ごっ、あえて一郎は受けた。たいした衝撃も傷みも感じない、ベムラーのせいか。
「これで、今日は暴行罪だ。昨日は傷害罪。いや、死にかけているらしいし、殺人未遂の方かな」
 一郎は男のゲンコツを包むように握り、背中へねじり上げた。
 ひっ、ひでっ・・・男が情けない声をもらした。
 こんなにケンカに強かったのか? ふと、自分の力に疑問を感じた。これもベムラーのせいだろうか。
 一郎が手から力を抜くと、男は逃げない。振り向き様、左手を突き出した。
 きらり、その手に刃物が光る。
 普通の人間ならば、慌てるほどの一撃になるはずだった。しかし、今の一郎には、その動きがノンビリとすら見える。
 がつん、一郎の拳がカウンターで男のあごにヒットしていた。かちーん、短刀が床に落ちた。
「これで、今日も殺人未遂だな」
 一郎は短刀を蹴飛ばし、男の首根っこをつかまえて引きずる。ずるずる、アパートの外へ引き出した。
 と、新たな客に気付いて、一郎は男から手を放した。
 かちかち、杖が鳴った。一昨日の、あの老人だ。
 その後方には、大型のセダンとミニバンも駐まっていた。ガラスがスモークされて中が見えないが、いかつい男たちがひしめいて乗っているはず。車内が汗臭そうだ。
「さすがベムラー、こんな奴は相手にならんか」
「河辺村一郎だ」
 またベムラーと呼ばれた。反射的に言い返していた。
「おまえの監視に付けていたのだが、仕事を忘れ、女に入れあげよった。無能めが」
 老人は男を一瞥。その眼差しに、男は身を縮めた。
 本来、その男は一郎の監視をしていた、となりの猪上菊子に声をかけるふりをして。任務を偽装していたのだ。しかし、何時しか、任務と偽装工作は比重が逆転していたらしい。
「で、おれを殺しに来た、と?」
「いや、今はよそう。ジッグラが来る、もうすぐ。あれの前で、このジェロニーが主人にふさわしい事を、今度こそ証してやろう」
「ジッグラ?」
 昨日も聞いた言葉だ。でも、一郎には訳が分からない。
 ジェロニーは男の尻を杖でたたき、バンに乗せた。自身はセダンの後席へ入った。
 どろろろ、低いエンジンのうなりを残し、車は走り去る。路面に光る物が、短刀が忘れられていた。
 ピンピロリ〜ン、ピンクの携帯が鳴った。源田からだ。
「猪上さんの事は、もういい。急用だ、病院へ来い」
 何があって、もういいのか。訳が分からないが、一郎は車に乗った。

 病院の裏口、従業員用玄関から入る。理事長室は階段を上がってすぐだった。
「やあ、お早う」
 源田は机に着いていた。山と積まれた書類を片付けている。
 ソファに女がかけていた。めぐみと思って近くへ寄って、目を見張った。
 それは猪上菊子だった。しかし、感じるのは原めぐみだ。
「今日からは、この体を使う。名前は猪上・・・菊子だったな」
 菊子も自分の名前に慣れていない風だ。
「めぐみは死んだ。昨夜、肝不全だった。麻薬中毒の患者にありがちな、突発的な出来事だったよ」
「嘘だっ!」
 源田の説明に、一郎は否定の言葉を返した。
「地球の医学レベルに合わせた死亡診断書では、こう書くしかない。宇宙人ギャンゴが原めぐみから猪上菊子に乗り移った、とは書きたくても書けないのだよ」
「乗り移る?」
「そう、宇宙人ベムラーが死にかけ、河辺村一郎の体に乗り移ったように、ね」
 一郎には、乗り移った時の記憶が無い。今の体から他の体へ乗り移るなど、まるで幽霊か妖怪の仕業だ。
 ポーン、インターホンが鳴った。
「間も無く緊急会議です」
「ありがとう、今行くよ」
 源田は立ち上がり、ネクタイを締め直す。
「何の会議だい?」
「理事長を退任するための会議だ。ジッグラが来る。病院と仕事の掛け持ちはできない」 
「ジッグラ?」
 一郎の問いには答えず、源田は部屋を出て行った。菊子がリモコンを手に、テレビを入れた。
「ほら、あれがジッグラだ」
「ジッグラ?」
 画面はニュースだ。地球と月の図面が示されている。
 風邪クスリを飲んで寝てた頃から、長らくテレビなど見た事が無い。世の動きから疎くなっていた。
「・・・お伝えしてます、接近中の小惑星は直径約2キロメートル。秒速20キロ以上、時速にして7万2000キロの速さで接近中です。地球に最接近するのは、明日の早朝と見られます。大気圏をかすめただけでも、地上に大きな影響がおよぶ危険があります・・・」
 アナウンサーは冷静に原稿を読む。明日の事だけに、まだ現実味を感じていないよう。
 巨大な小惑星が月の軌道に接近し、地球へ向かっているらしい。
 ロシアの空を隕石が横切り、地上の建物や人を衝撃波で吹っ飛ばした映像は、一郎にしても記憶に新しい。あの隕石は直径が10メートルから20メートルくらいだった。今、地球に近付いているのは直径2キロメートル、体積で100万倍以上の大物だ。
「ベムラーが覚醒したので、宇宙の彼方から飛んで来たんだ。かすめなどしない、必ずここに来る」
「直径2キロなんて、近所迷惑だろ」
 あはは、菊子は口を開けて笑った。
「ジッグラにご近所の迷惑など関係無い。主人たるベムラーの安全は考慮してくれるだろう」
 一郎は口を閉じて頷いた。自分が無事なら、近所への影響は小さいだろう。
「いや・・・やっぱり、なあ。直径2キロじゃ、地上に置いたら迷惑だよ。せめて海の上に・・・でも、海の真ん中じゃあ、行き来が大変だ。海岸から見える所なら、まあ良いかも」
 冗談まがいに考えるふりをした。旭川は内陸の街だ。直径2キロの空き地は無い。畑や森を踏み潰せば、人家の無い場所は作れるだろうが。
 菊子は聞きながら頷く。
「ベムラーが望めば、ジッグラはそのようにするだろう」
 ピンピロリ〜ン、ピンクの携帯が鳴った。一郎はピンクの携帯を菊子に渡した。
「会議は長引きそうだ。先に帰っていてくれ」
「わかった。では、別荘で待ってる」
 源田の指示は簡単だ。菊子は携帯を閉じ、一郎へ目をくれた。

 アパートに寄り、猪上菊子の部屋を物色。服を、主に下着の類をカバンに詰めた。
 そして、また森林公園の先の別荘へ走った。
 冷蔵庫の中を見て、奥の食料庫へ行く。とさどさ、段ボール箱をカートに載せた。
「ジッグラには地球人向けの食料が無いはずだ。当座の分だけでも、持ち込みが必要だ」
 菊子は鼻歌まじりに遠足の準備をする。
「こんなに必要なのか?」
「少なくとも3人分が要る。ジェロニーが加われば、4人になる」
 4人と言われ、一郎は量に納得した。あと数回はカートを使うだろう。
 カートを押して納屋へ行く。中を見て、一郎は目を疑った。
 それはキャンピングカーではなかった。何と形容すべきか、マイクロバスのサイズだが、自動車と言うにはタイヤが無い。飛行機のように見えて翼が無い。
「これって、もしかしたら・・・空飛ぶ円盤?」
「地球時間で30年ほど飛んでないけど、宇宙へ行く訳じゃない。ジッグラで整備はできる」
 おれは宇宙人か、やっぱり・・・半信半疑だった事が、いよいよ事実として迫ってきた。
 次に積み込むのはテント、寝袋、マット・・・等々のキャンプ用品、冬山仕様だ。
「ジッグラの中が地球人向けの環境になるには、少し時間がかかるだろう。それまでは、こちらが合わせるしかない」
 一郎にはジッグラに関する記憶が無い。すべて菊子に任せるだけだ。

 暗くなってきた。
 菊子は台所で料理する。そんな後ろ姿が似合う年頃だ、めぐみとは違う。
 一郎は力仕事を終え、長いすに身を横たえる。テレビを入れると、例のニュースをやっていた。
「・・・お伝えしている小惑星は、日本時間で明日の早朝、地球に最接近します。軌道が不規則に変化する状況が見られ、最接近の時刻などは未確定のままです。もし、建物の中にいて、空に輝く物を見たら、ただちに窓から離れて下さい。ドアの近くも危険です・・・」
 画面はロシアの隕石を映し始めた。窓ガラスが割れ、ドアもろとも人が吹っ飛ぶシーンが繰り返された。
 一郎は菊子を見た。鼻歌で尻を揺らしている。大災害の予感は無用そうだ。
 車の音がした。
「お、メフィスのお帰りだ」
 菊子は振り返り、テーブルに皿を置く。昨日とは違い、手料理感あふれる盛り付けの皿が並んだ。
 ふう、源田が疲れた顔でテーブルに着いた。一郎も対面に座る。
「理事長ともなると、簡単には退職させてくれない。とりあえず、休養と言う事になった。たまってる年次休暇を取り、その間に退職手続きを進める。まあ、そう言う事だ」
「30年間も、よく勤めたね。拍手だ、ピューピュー」
 菊子が手をたたいた。源田は苦笑いでワインの栓を抜いた。
 一郎は酒をやらない。ひたすらナイフとフォークで皿の物を腹に詰めた。胃腸の消化力も、明らかに若返っている。
 源田は皿を一つ空けると、もうフォークを置いた。70過ぎ、歳相応の食事量だ。ご馳走様と手を上げた。
 げふっ、一郎もフォークを置いてゲップした。
 もう何も腹に入らない気分。ゲップは出たので、他に何か出る物は、と考えた。
 一つだけ、思い付いた。
 立ち上がり、ワイングラスを揺らす菊子の手を取る。
「来い」
「どこへ?」
 一郎は答えず、菊子の手の引いてベッドルームへいく。女をベッドに放り出した。
 あらがう女の手足をはらい、ぱっぱっと服を剥ぐ。たちまち下着も取れて、すっぽんぽんの出来上がり。
 手を止め、一郎は菊子の体を見た。おっぱいは小さく見えて、つかむと量感たっぷり。全身との比較で小さく見えてただけのよう。
 両足を開かせ、股をのぞく。黒い密林が三角を作っていた。剛毛は割れ目の中ほどで無くなり、濃い桃色の肛門までは産毛も見えない。
「ううむ、彫り物は全く無し。とても自然で、きれいな体だ」
 菊子から手を放し、一郎は腕組みで頷いた。
「ああ、めぐみの体と比較してたのか。見て満足したか? もう、服を着るぞ」
「何を言うか。きれいな物を見て、俄然やる気が出て来た。さあ、行くぞ」
 一郎は自分の服を脱ぎ捨てる。股間にそそり立つ逸物は、60過ぎの男の物ではない。こちらも確かに若返っている。
「ああん、メフィス、たすけて」
 菊子は手を伸ばして助けを請う、ちょっと気の抜けた声。源田は首を振って応えた。
「ベムラーはジッグラのマスターだ。私らはマスターのサポーター。そのようにジッグラが定めた。マスターの我が侭に付き合うのも、サポーターの勤めだ」
「人ごとだと思って・・・あうっ」
 逃げる菊子を抱きとめ、ひしと肌を密着させた。亀頭は目があるかのように入り口を見つけ、ずぼと中に潜り込む。
 まだまだ宵の口だ。ジッグラが着く朝まで、時間はたっぷり。
 おとといは抜かず三発だった。あれを越えてやる、一郎は腰を動かし始めて思った。


4日目


「来た、きたーっ」
 菊子が嬌声をあげた。
 何度目かの射精が一郎の体を揺すった。
 いつの間にか、一郎は下になり、菊子が上になっていた。騎乗位と言うやつ。年増女の手練手管に、男の一郎は為す術無し。
 菊子は枕元に手を伸ばす。各種ドリンク剤が並んでいた。一本をラッパ飲み、そのまま口移しで飲ませてくれた。
「おれの知ってる菊子さんは、もっと清楚で・・・」
「実は、夜の顔があったのさ。この歳で一人暮らしだし、ジェロニーの手下のヤクザ者と付き合ってたし」
 ううむ、一郎は口をつぐんだ。
 体の乗り移り・・・等々を含め、納得いかない事ばかり。しかし、ここは慣れるしかない。
 一郎は両足に力を入れ、がばと体をひっくり返した。菊子の足を抱えて体を二つ折り、屈曲位で上をとる。
「今は、おれの女だ」
 ギッシギッシ、ベッドがリズミカルに揺れた。

 窓の外が明るくなってきた。
 一郎は目を開け、ゆっくり体を起こした。掛け布団はしてなかった。エアコンの効いた部屋は、裸でも快適な温度湿度だ。
 左側には菊子が盛大にイビキをかいていた。両手両足をだらしなく広げ、あじの開きのような寝相だ。
 裸のまま、トイレに入った。
 便器に腰掛け、ふんと力んだ。どどど、じょじょーっ、大と小が一気に出た。若々しい噴出である。
 腹が軽くなって、半地下の温泉に行く。ぬるい湯につかり、明るくなる窓からの景色を見た。
 わずかな河辺村一郎の記憶を探れば、女と縁薄い人生だったと思う。
 今は、女とやり放題。ベムラーも悪くない・・・一郎は現状を認め始めていた。
 腰にバスタオル一枚だけ巻き、居間にもどる。ソファに腰掛け、テレビを入れた。
「・・・中国上空を通過する小惑星です。すさまじい衝撃波が地上を襲い、上海の摩天楼のいくつかが倒壊しました。現場は大混乱・・・」
「明け方の朝鮮半島を、巨大な火の玉が上空を通過します。衝撃波で橋が連続して倒壊、車と人が水にのまれて・・・」
「・・・九州、福岡市です。どどーん、と大きな衝撃が街をつつみました。気象庁は空振現象と説明しており・・・」
 ほえ、一郎は画面に見入った。源田と菊子も起きてきた。
 暗い空を太陽よりも強く輝く物が通過する。直後、カメラは衝撃波に吹っ飛ばされる。そんな映像が幾つも幾つも流れた。
「やっぱり近所迷惑が起きたじゃないか」
「まだまだ、小さな出来事だ。こんなのは迷惑の内に入らない」
 一郎が言葉をもらすと、源田が含み笑いで答えた。
 菊子は台所へ行く。朝食の準備を始めた。
「まず、飯だ。食ったら、出発の準備だ」
 テレビの画面が変わった。国内からの中継映像だ。
「・・・ここは北海道、留萌です。留萌港から西の空に巨大な物体が浮かんでいます」
 水平線の上に、黒っぽい何かがあった。大きなドングリのようにも見える。
「あれがジッグラ?」
 一郎が問う。源田は黙して頷いた。
「・・・増毛港から北よりの空に、巨大な物が浮いてます。高度は1000メートル以上、距離は海岸から約30キロほどです。少しづつ高度を下げているようです。接近しないよう、海上保安庁は警報を出しています」
 ううむ、一郎は息をのむ。
 直径2キロの巨大なUFOが宇宙の彼方からやって来た。その主人が、他ならぬ河辺村一郎らしい。
 テーブルの上に、お握りが、巻き寿司にちらし寿司が並んだ。ラップでくるみ、タッパーに入れた。遠足の弁当が出来上がり。
 全てを円盤に積み込んでいたら、昼が近かった。
「さあ、行こう」
 源田が操縦席で気合いを入れた。
 菊子が納屋の扉が開く。30年ぶりの光が中に差した。ぶん、にぶい音と共に円盤が地面から浮いた。
 ゆっくりと外へ出る、全部出るのに10分以上かかった。
 納屋の扉を閉めて、菊子がドアから駆け込んだ。源田のとなりに席を取る。
「ここ、もどって来る事があるかな」
「縁があれば」
 源田が感傷を含めて言った。菊子はドライに答えた。
 一郎は奥の席で、お握りをつまみ食いしていた。

 ぶおおん、エンジンの音が高くなった。
 機内では加速を全く体感しない。窓の外の景気が高速で飛んで行く。
 たちまち円盤は山を越え、谷を抜けて、留萌の街の上空に。前方は海になった、日本海だ。
「あれ、ジッグラはどこ?」
 一郎はお握りを口にしつつ、窓から海を見ていた。海にあるのは白い雲と水平線上の霧ばかり。
「あれがジッグラだ」
 源田が指差した。
 その先にあるのは霧だった。海面から、もくもくと霧が湧いて出て来る。霧がジッグラの本体を隠していた。
 霧は上昇して、上空で雲となっていた。上空の気流に沿い、いくつかの段になって流れていく。雲のピラミッドか、ピサの斜塔か。
 崖のようにそびえる霧の手前、白い船がいた。海上保安庁の巡視船だ。霧の向こう側にはグレーの船がいる、海上自衛隊か。
 低空にはヘリが、高空には飛行機がいた。霧と雲を観測しているのだろう。
「昔、嵐の雲に突っ込むアニメを見た気がする。題名は何だったか・・・」
 白い壁が迫って来る。一郎はごくと喉をならした。
「ジッグラの信号を確認、真っ直ぐだ」
 菊子が機器を見て言った。
 巡視船の上を通過すると、海面が茶色に変色している所がある。霧が湧いて壁を作る手前の海面だ。
「ジッグラは海底に達している。必要に応じ、ジッグラは周囲の水と空気と土を取り入れ、自身を拡張する事ができる・・・と、命令したのはベムラー、君だ」
「おれが?」
 源田が言った。でも、一郎には記憶が無い。
「必要に応じて、ジッグラは何時でも何所へでも移動できる。そうも命令した。まあ、そうした能力はあった訳で。実際には、許可した、と言うべきだな」
 ベムラーとジッグラの関わりを菊子が解説した。二人とも科学者の顔になっている。
 窓の外が真っ白になった。霧の中に入ったのだ。
 程なく、霧は薄くなり、黒い山が見えてきた。ジッグラの頂部に接近しつつあった。
 それは複雑な多面体の集合、輪となって何層にも重なっている。霧の中、ピラミッドのようにそびえていた。
 頂部は正六角形のピラミッド、その下の平地に円盤は着地した。
 ドアを開け、外に出た。むっ、と蒸し暑い。
「気温は摂氏28度、この辺にしては暑い。大気圏に突入時の摩擦で、外郭が熱をもったままなんだ」
 源田が現状を解説する。一郎は手うちわで汗を払うのに忙しい。
「帰って来たな。我々4人は、この古代遺跡の調査隊だった・・・まだ思い出さないか?」
 菊子が問うて来た。一郎は首を振る。
 パラパラパラ、ヘリコプターの音に振り返る。
 霧の中からグレーのヘリが現れた、海上自衛隊のSH−60だ。
「おれらを追っかけて来たのか?」
 つい、一郎は手を振った。
「彼らに付き合ってるヒマは無い。さあ、動くぞ」
 源田が言うと、カツンと小さな音で足元が揺れた。
 円盤はエレベーターの上に着地していた。するすると床が降りて行く。
 どれほど降りたのか、床が止まった。上を見ると、空は見えない。ヘリの音も聞こえない。すでに閉じていた。
 急にひんやりして、一郎は肩をすぼめた。
「気温2度、冷蔵庫の中と同じだ。宇宙を長く旅して来たにしては、まあまあ温かいほうだろう」
 源田が温度計を手に言う。
 薄暗い倉庫のような空間、体育館のように天井も高い。だだっ広く、何も無い所にいた。
「奥の院の広間・・・てところか」
 菊子が円盤の中からコートを持って来てくれた。ついでに、ポットから温かい麦茶もいただく。
 壁の一部が光った。そのとなりも光り始めた。
「マスターがいると反応が早いな。私らだけの時は、眠ったように反応が鈍かった。で、あきらめて、ベムラーの復活を待つ事にした」
 菊子が光る壁に近寄る。何かの図が示されていた、ジッグラの見取り図のようだ。
 手にタブレットを持ち、菊子は壁とタブレットを交互に見やる。
「これは、宇宙の古代語かい?」
「我々はウェルトゥーラと呼んでいる、翻訳は初期段階だ。ジッグラが我々の言葉を覚える方が早かった」
 すっかり菊子は科学者してる。近寄りがたく感じて、一郎はその辺をブラブラ歩いた。
 壁の一角が開いて、見ると小部屋だった。とは言え、10メートル四方ほどもある。真ん中に楕円形の小テーブルがあった。
「そこは、以前に調査した時のねぐらだ。ベッドもあるはずだ」
 源田が声をくれた。
 見渡せば、部屋の四方にベッドらしき物があった。テーブルに近寄ると、天板が自動で開いた。
 開いた天板の下は穴になっていた。底が見えない、深い穴だ。
 少し考え、トイレと結論した。ちょうどもよおしていたので、ズボンの前を開いた。高さもちょうどだ。
 じょぼじょぼ、小水を出してすっきりした。一歩離れると、天板が閉じた。
 部屋のど真ん中にトイレがある、不思議なレイアウトに首を傾げた。菊子がトイレをする時、たっぷり見てやろう、と悪戯心がうずいた。
 部屋を出ると、源田が円盤から物を降ろしていた。
 折りたたみテーブルとイスを展開した。ボンベ式のガスコンロで湯を沸かす。キャンプの気分が出て来た。
 熱い湯でカップラーメンを作る。お握りと寿司で昼弁当とした。
 源田が思い出話を始めた。彼らが初めてジッグラに入った時の話しだった。

 その遺跡は地元の者も出所を知らぬ物だった。
 中に入ったら気が狂う、出てこられない、と悪い噂があった。
 ジェロニーをリーダーに調査隊が内部へ入った。メフィスとギャンゴは助手、ベムラーは下働きの荷担ぎだった。
 深部にたどり着くと、ジッグラは起動した。ジェロニーは質問するが、言葉が通じないのか、反応が鈍い。メフィスとギャンゴの言葉にも、同じように鈍く反応するだけだ。
 気が付くと、出口が無くなっていた。隊は出口を探し、内部を巡った。やがて、疲れ切り、歩く気力も無くなった。
「まったく、どこもかしこもホコリだらけだ。ちゃんと綺麗にしろ、できる範囲でかまわないから」
 ベムラーがやけくそ気味に叫んだ。
 と、ジッグラは反応した。たちまち通路からチリやホコリが消えた。
「色々壊れているぞ。直せる所は直しとけ」
 ベムラーが命令すると、またジッグラは反応した。倒れた柱が、崩れた壁が直った。ジッグラは命令を待っていたのだ。
 しかし、改めてジェロニーが命令してもジッグラは反応しない。ジッグラが応答するのはベムラーの命令だけだ。
 不便を感じ、ベムラーは新しく命令した。
「ジェロニー、メフィス、ギャンゴの言葉も聞いてやれよ、頼む」
 そうして、ようやく4人全員の言葉にジッグラは反応するようになった。
 ある程度、調査がまとまった。
 リーダーのジェロニーを先頭に、調査隊は外に出た。
 わずか数日と思っていたのに、外では長い年月が経っていた。4人の調査隊も忘れられていた。
 ジェロニーは狂った。3人を殺し、自殺した。
 だが、4人は死ななかった。長い年月の間に、ジッグラは4人の体を改造していた。
 小さな傷は簡単に治る。大きな傷をうけると、傷ついた体を捨て、別の体に乗り移るようになっていた。
 ジェロニーは目標を変えた。ジッグラの主となるべく、ベムラーに狙いを付けた。
 ベムラーは逃げた。逃げて、地球へ行った。
 ジェロニーは追った。追いついて、ついにベムラーを殺した。
 ジッグラにもどり、命令しても反応してくれない。ジェロニーを主と認識してくれない。
 ベムラーは死んでいなかった。ただ、復活には時間がかかる。
 3人は地球人の体を得て、地球に住んで待つ事にした。

「わかんないなあ。まるで、おぼえてないし・・・」
 一郎はカップラーメンをすすりながら言った。
 源田と菊子は笑みをこぼした。
「ベムラーは平和主義者だな」
「争いに介入するな、とジッグラに命じた。ジェロニーが攻撃しても、反撃せず逃げるだけ」
 褒め言葉と受け取ろう、一郎は笑みで海苔巻きを口に入れた。
 壁のスクリーンに外が映し出された。グレーのヘリコプターが接近して来る。
 海上自衛隊のヘリだ。着地すると、素早く数人が降り、また飛び立つ。
 降りた数人は2隊に別れ、低姿勢で陣を組む。手に自動小銃を持っていた。
「おいおい、鉄砲の持ち込みはイヤだなあ」
 一郎は舌打ちして立ち上がる。
 ヘリが高度を下げて、ホバリングに入った。横のドアから何か物資を落とすと、また高度を上げた。

 吉井2等海尉は手を上げ、戦闘態勢を解除した。89式小銃の安全装置をかけ、背に負う体勢とした。
 降りた全員を呼び寄せ、投下されたテントを展開する。
 通信機のテストも優先課題だ。通信担当の桜井1等海曹がアンテナをのばし、本船を呼ぶべくスイッチを入れた。
 未確認地帯への一番乗りはやり甲斐もあるが、手柄には結びつきにくい。今回の作戦では、まだ本船にいる小林3等海佐が手柄を取るだろう。
 海尉など、まだまだ自衛隊の中では下っ端だ。与えられた任務を一つづつこなし、階段を上がるだけだ。
 ヘリが霧の中へ消えた。本船にもどり、次のヘリボーンに備える。
「かっ、海尉!」
 部下の声に、吉井は顔を上げた。人の気配に、銃をかまえ直した。
「誰だっ?」
「河辺村一郎だ」
 一郎は名乗って、ゆっくり彼らに近付いた。蒸し暑い、コートは脱ぎ捨てた。
 自衛官はそれぞれが自動小銃と拳銃で武装している。手榴弾は持っていないようだ。
「わたしは、この小隊の指揮官、吉井2等海尉です。ここは未確認地帯ゆえ、一般人は退去していただく」
「この河辺村一郎は一般人ではない、このジッグラの主人だ。ま、飼われている・・・と言う気分もあるけどね」
「これが、ジッグラ? あなたは、この主人?」
 吉井が問い直す、一郎はいちいち頷いた。
「主人として言うが、部外者は退去願いたい。特に、そうゆう物騒な物を持っている人たちは、ね」
 銃の所持を指摘され、吉井は少し身構えた。しかし、相手は丸腰だ。
「ここは日本の領海を少し外れている、公海上だ。あなたの言い分にも利はある。だが、我々が駐留していなければ、外国の部隊が来る。特に中国政府は、今回の事態でいきり立っている。これが隕石でなく人工物で、今朝の事態が自然災害でないとなれば、武力行使も辞さない・・・かもしれない」
「ああ・・・そう言う事ね」
 一郎は腕組みで考え込む。けれど、政治的な動きには対処の仕方がわからない。
「河辺村さん、この物体の主人である証拠を出して欲しい。それによっては、日本の国民と、国民の財産を護る仕事は、我々がする」
 うん、一郎は頷く。しかし、首を傾げて、納得はしてないポーズをとる。
 吉井は口を閉じ、反論を待った。銃を使わずとも、口先で勝てる相手と判断できた。
「証拠・・・か。少し、時間が要るな。テントを張るのは良いけど、あんまり傷つけないでね」
 じゃね、と一郎は自衛隊に背を向けた。帰りついでにコートを拾う。
「どこへ行くんだ?」
「帰る、中へ」
「我々も一緒に」
「だめだ。物騒な物を持つ男は、入れてやんない」
 吉井は躊躇した。行動規定があり、勝手に武器を手放す事は禁止されている。
「女が来たら、ちょっと考えるけど、ね。こんな所で、女に野宿や野ぐそはさせられない」
 一郎は語りながらエレベーターの上に立った、一人用の小さいやつ。
「基本的に、学術調査の人は受け入れるよ。このジッグラが何んたるか、それは知りたい、と思うし」
 言うだけ言って、一郎は手を振った。吉井への別れのあいさつ。
 しゅっ、とエレベーターは動いた。一郎の姿はかき消すように無くなった。
 吉井は駆け寄り、一郎が立っていた場所を確認する。
 すでにエレベーターは閉じていた。パネルの継ぎ目のような線だけは見つけた。

「やあ、どうだった?」
 源田が声をかけた。
 奥の院にもどった一郎はコートを着て、ただ頭を横に振った。キャンピングテーブルのイスに座り、茶を飲んで、ふうと息をつく。
 スクリーンを見ると、ジッグラが海底に腰をすえた図が示されていた。
「現在、周囲から毎時100トンの物質を取り込んでいる。主に海水だが、海底の土も含まれている。その内、少なくとも99トンは吐きだしている。体勢が整えば、もっと増えるだろう」
 ジッグラの底面から枝のような物が海底に刺さっている。タマネギが土に根を張るかのような図。
「1時間に1トン、増えている。宇宙を長く旅して来たんだ、腹も減っているだろうな」
 上空から見た時、ジッグラの周囲で海面が土色に変色していた。それを証明する図だった。
 菊子が一郎に巻き卵焼きをすすめた。砂糖が入っていて甘い、青のりが卵の黄色を強調している。
「何を悩んでいる、らしくないぞ」
「これから、色んなのが大勢来るらしい。物騒な物をぶら下げて、さあ」
 ふーん、鼻で笑って、菊子は茶を飲む。
「こちらの調査のジャマにならなければ、何が来てもいいけれど」
「おれらを追い出す気、満々だったぜ」
「それは困るな」
 源田が振り向いた。菊子も口をへの字にする。
「ジッグラは害意を持って近付く人や物に、自衛的な行動をすべきだ・・・」
 一郎がつぶやくと、天井や壁に光が走った。
「ジッグラがベムラーの新しい命令に反応した」
 源田が光の意味を解説した。
 ふーん、一郎は光を見ながら頷く。
「でも、大砲やミサイルは無粋だな、ジッグラに似合わない。もっと優雅な方法が良いな」
「優雅・・・とは?」
 菊子が問う。一郎は首を振った。何か具体的なアイデアがあった訳ではない。
 天井に別の光が走った。何か優雅な方法を模索しているかのよう。


5日目


 暑い・・・
 一郎は寝袋を蹴飛ばして起きた。
「お早う」
 菊子はTシャツでモーニングティーを飲んでいた。
「室温は摂氏18度だ。ちょうど頭が冴える気温だな」
 源田が言う。すでに朝食を終えたよう。
 一郎は寝汗のしみた下着を脱ぎ、着替えた。もうコートは要らない気温だ。
「100ボルトの電気が使えるようになった。湯沸かしポットと電子レンジを出したよ」
 へえ、一郎は床に置かれた機械を見た。ジッグラが居住環境を作りつつある。
 源田はティーカップを持ったまま、壁のスクリーンを見た。朝早くから飛行機が何機も近くにいる。
「真上、高度2万メートルに1機いる。アメリカ軍の無人偵察機だろう。1万メートル付近では、ロシアの偵察機と空自の戦闘機がじゃれ合っている。低高度のヘリは多いな、主にマスコミだろう」
 ひええ、一郎は嘆息した。
 画面に新たなヘリが現れた。真っ直ぐ接近して来る。
 霧の壁を抜け、ヘリはジッグラの上空に来た。海上自衛隊のSH−60だ。
 吉井海尉の誘導で、キャンプ近くの平地に着地する。数名の隊員、少々の補給物資を降ろすと、すぐ離陸した。
「いよいよ、駐留を本格化するつもりのようだ」
 源田がうなる。
 出て行け、と言って従う者たちではない。一郎は頭をかかえるばかり。
 ピピッ、何かの警報が鳴った。菊子が画面に向かい、警報の意味を検索する。
「ジッグラが誘導電波を出している。ジェロニーが来たようだ」
「来たか、ジェロニー」
 源田も対応した。
 離れつつあるSH−60と入れ替わりに、接近する物体が表示された。
 物体を拡大表示する。ヘリではない、円盤だ。
「じぇ・・・」
 一郎は顔を上げ、画面を見た。振り向き、部屋の奥を見れば、接近中のと同型の円盤が鎮座している。
 円盤は霧の壁を抜け、たちまちジッグラの上空に達した。速度をゆるめ、誘導電波に沿って降下して来た。
 吉井ら自衛隊員が見守る中、円盤は着地した。
 そこはエレベーターの真上だ。すぐに動いて、円盤はジッグラに吸い込まれる。
 吉井が駆け寄ると、もうエレベーターは閉じていた。ガツガツ、靴で蹴るが、扉は反響すら返さない。

 奥の院が揺れた。
 天井の隅が開き、エレベーターが降りてきた。かたん、小さな音で止まる。前からある円盤のとなりに止まったので、円盤が2機並んだ。
 一郎は立ち上がり、源田と菊子を制して進み出た。
 新たに到着した円盤のドアが開いて、ぞろぞろと人が出て来た。全部で20人以上、黒いスーツが半分に白く長い特攻服とやらが半分。それぞれに刀やバットなどを持っている。懐に短刀か拳銃を忍ばせている奴がいるかもしれない。
 最後に、杖をついて老人が現れた。
 源田が手を振り、老人に挨拶のかわりとする。
「久しぶりだな、ジェロニー。いや、地球での名前は八尾浩治だった。広域暴力団、山田組傘下で北海道を束ねる黄道会八尾組の組長で・・・そうそう、八尾と言うのは日本名で、韓国名はパク・ガンスだっけか」
「八尾さんか・・・八百屋さんだったら、もう少し仲良くできたかも」
 一郎が毒づいた。
 八尾は笑みを返す。口元とひたいのシワが深く動いた。
「ついに、ついに時が来た。わしの方が、より良くジッグラを使える事を証明する時だ」
「より良く、と言うところに少しひっかかるけど」
 一郎の嫌みに八尾は答えず、カン、杖で床をたたいた。彼の手下たちが迫って来た。
 ごおっ、風が起きた、突然だ。
 一郎は身を低くして退いた。
 さらに風は強くなる。八尾の手下たちは抗えず、壁に押しつけられた。身動きできない。
 がたん、壁が開いた。手下たちが吸い込まれて消えた。
 風が止み、静かになった。
「さすがジッグラ、優雅な解決法だ」
 一郎は薄い髪のあばれを手でおさえ、立ち上がる。八尾を見れば、たった一人になって呆然としていた。
「安心しろ、連中は死にやしない。あれはダストシュートだ、ゴミをまとめて外に捨てるだけだ」
「外に捨てるのね」
 源田の説明に、一郎は納得。八尾だけが唇を震わせていた。
 八尾の手下たちは上に落ちていた。外に出た所は、最初に着地した所。
 吉井を含め、自衛隊員は現れたヤクザに自動小銃で警戒を隠さない。ヤクザの戦闘部隊とは言え、刀とバットを捨て、自衛隊に無抵抗を表すしかなかった。

「ジッグラが我々の争いに介入するとは・・・」
 まだ、八尾は事態に納得しかねていた。
「してないよ。あんたが連れ込んだ妙な奴らを排除しただけだ。これで、おれとあんたの直接対決だ」
 一郎は満足げに言った。源田と菊子も胸をなでおろしていた。
 かた、音がして、円盤から一人出て来た。
 まだいたのか、と一郎は円盤のドアを見すえる。さらに出て来る気配は無い。
 八尾と並んで立ったのは女だ。きつい目で一郎を威嚇してきた。
 行け、と八尾が杖を振った。
 女が間を詰めて来る。苦手な雰囲気だ。
 一郎は菊子を振り返り、八尾の女と比べた。胸は小さめ、アスリートっぽい体型だ。思わせぶりな長袖、何か隠している。
 女が両手の手のひらを隠して、甲をこちらに向けた。
 目を細め、女が突進して来た。
 右の拳を突き出す、指の間から針が突き出ていた。長さ10センチ以上、千枚通しのような針だ。刺さったら痛いではすまない。
 しかし、今の一郎には人間の動きがゆっくり見える。難なく、女の右手を捕らえた。
 と、女は左の拳を突き出す。やはり、指の間から針が出ていた。
 一郎は女の左手もつかんだ。両手を封じて、二人は睨み合う。
 女の口がすぼまった。何かする気だ。
 一郎は両手を放し、女の顔面に頭突きを入れた。
 女はよろけ、咳き込んだ。げふっ、何かを吐きだした。
 見ると、短い筒のよう。針か矢を吹き出す仕掛けだろう。
 ひょっ、女が気合いをかけて右拳で突いてきた。
 一郎は余裕で針の突き出た拳をとらえる。そのまま腕をひねり、針を女の足に突き立てた。
 女は左の拳も突いてきた。しかし、速さが無い。
 一郎は女の左手をとらえて、背の方へ逆にひねる。針が女のわき腹に刺さった。
 あっあっ・・・声にならぬ悲鳴をもらし、女は倒れた。手を針に伸ばすが、抜けない。手が震えて、力が入らない様子。
 ふう、一郎は息をついて女から離れた。振り向き、八尾を見すえた。
「そんな・・・ベムラーが相手を傷つけるような反撃をするとは・・・」
 八尾は記憶の中のベムラーを探す。いつも逃げ足ばかり、反撃はあっても軽いものだけだった。
「河辺村一郎だ、おれは!」
 一郎は歩を詰めた。八尾に近付くにつれ、怒りがわいてきた。
「つまり、反撃しない相手だから、強く出たと言う事か。弱いからと見下してきた、と」
 怒りの表情を丸出しに、一郎は迫る。八尾は腰が引けてしまった。
 源田が女に駆け寄り、傷を診た。医師ならではの行動だ。腹の針を抜こうとしたが、手を引いて止めた。
「いかん、な。足の傷は小さいが、腹が深い。すぐ病院へ運ばないと、致命傷になりかねない」
 はっ・・・はっ・・・女の息は痙攣のよう。虫の息に近い。
 一郎はゲンコツを老人の顔に叩き込んだ。八尾がふっ飛んで倒れる。
「おれは怒ったぞ。女の子に妙な芸を仕込みやがって、ったく」
 倒れた八尾の腹に、ズン、蹴りを入れた。ううっげえ、老人の口から息とも声ともつかぬものが出た。
「た・・・たすけて」
 八尾は手を伸ばし、震える声を上げた。
「ジッグラは介入しないよ。これは、おれとおまえだけの事だ」
 一郎は八尾の杖を奪った。その杖で、頭と言わず、肩から腰まで叩きに叩く。
 ぼきっ、ついに杖が折れた。
 ひっひっ、八尾は声も出せず、小さく息をもらすばかり。
「つまらねえな。自分じゃ何もせず、痛い事は全部部下まかせだったのかい。たまには、自分で痛みを味わってみる事だ」
 一郎は足を振り上げ、八尾の腹に蹴り込んだ。ぼきっ、老人の体がくの字に曲がった。
「止めろ。それ以上やっては、死んでしまうぞ」
 源田が忠告してきた。
「死なないよ、ジェロニーとか言うのは。ああ、韓国名のパクなんとかは死ぬかもね」
 一郎は源田に笑みを返した。八尾の腕をつかむと、ずるずる引きずった。
 すでに八尾は虫の息だ。腕を放したのは、腹に針が刺さった女の横である。
「で、どうすんの?」
 一郎は源田に問うた。何を、と源田は意味を少し考えた。
「ああ、体の乗り移りか。こうして、肌を接しておけば良い」
 源田は女の左手をとり、八尾の右手と重ねた。どちらも虫の息、死にかけている。
「傷を負っていても、若い方が復元力は高いだろう。うむ、ジェロニーも同じ考えのようだ。ほら、始まった」
 八尾の右手がうねる。肩の方から何かが腕の中を移動していた。
 じわ、八尾の手首あたりから何かがにじみ出てきた。それは動き、女の手へ移動した。アメーバーのようにも見える。
「人間の体は、けっこう穴だらけだ。そこから呼吸したり、汗を出したりしてる。その穴から出て、穴へ入る。全部で3キロから4キロの分量が移動する」
「3キロから4キロ、ね」
 はっ・・・はっ・・・八尾の息が間欠的になってきた。
「人間の体は、あちこち隙間だらけでね。皮下脂肪とか内臓脂肪なんかが溜まるところに、我々はコロニーを作る。そこから枝を伸ばして神経系を奪い、支配する。今回は、その前に傷を治さなくてはならないが」
 女の面立ちが変わってきた。ほおがふっくらとし、胸も少し大きくなってきたよう。
「よし、もう良いだろう」
 源田は女の体に刺さった針を抜いた。針は血にまみれているが、傷から血は出ない。
 はあ・・・八尾が息をついて、胸の上下が止まった。
 源田は八尾の手をとり、脈を診た。目を見て、瞳孔の反応を確かめる。
「八尾浩治、韓国名パク・ガンス、死亡。終わった・・・」
 源田は八尾の右手を見た、新たにアメーバーのような物が出て来る様子は無い。
「せっかくジッグラの中で死んだんだ、資料として保存してやろう」
 源田は八尾の体を目測して寸法を採った。壁のコンソールに向かい、いくつか操作すると、棺が出て来た。
 棺に八尾を納める、寸法はぴったりだ。
「我々の本来の体も保存してある。見るか?」
 源田が壁のスクリーンを指した。人物のような写真が並んでいる。
 一郎は少し興味を持ったが、首を振った。写真にあるのはベムラーの姿のはずだ。
「おれは河辺村一郎・・・だ」
 口の中で、自分だけに聞こえるように呪文を唱えた。

 ジッグラの奥の院では時刻がわからない。
 壁のスクリーンで外の風景を見る。今は夕刻のようだ。
 外に出した八尾の手下たちは、自衛隊のヘリで運び出されていた。上で駐屯しているのは、吉井らの部隊のみ。
 夕食はレトルトのカレーだ。付け合わせは缶詰、保存食ばかりになった。
「ジッグラは食べ物を作る事はできないのかな」
 ぼそり、一郎がもらす。
 天井に光が走った。でも、弱々しい。すぐ消えた。
「何でもジッグラにやらせるな。自分でやれる事は、自分でやるべきだ」
 源田の忠告に、一郎は口をつぐんだ。
 食事に関して、自分でやれる事は買い出しくらい。ジッグラの外へ買い出しに行くなら、あの空飛ぶ円盤を使うしかない。
 スーパーの駐車場に円盤で乗り付け、買い物をする自分を想像した。笑い話以下だ、頭が痛くなった。
 腹が満たされ、振り返る。ベッドに行き、寝ている女を見た。
 ゆっくり腹が上下し、おだやかな息をしている。ほおがふっくらして、可愛い寝顔だ。
 おーい、と源田に声をかけた。
「乗り移りは、どれくらいかかるんだ?」
「早ければ1時間くらいだ。めぐみから菊子への移動はスムーズだった。すぐ目を開けたし、3時間ほどで歩いた」
 なるほど、と納得。十分に時間は経っている、乗り移りはできているはずだ。
 ぺし、一郎は女のほおをたたいた。
 女が目を開けた。きょとん、として一郎の顔を見る。
「気分はどうかな。おれは河辺村一郎だ。きみの名は?」
「れ・・・さく・・・まい・・・」
 途切れ途切れの声、腹の傷のせいだろうか。
 女の上着がベッド横にたたんである。ポケットを探ると、財布が出て来た。
 開けようとすると、ぴょん、小さなナイフが飛び出た。危ない仕掛けだ。
 札入れの中からカードを出す。玲佐久舞以の名前が読み取れた。
「まい・・・舞以さん、か。覚えてるかな、君はおれを殺そうとしたんだ」
 一郎が言葉で責める。だが、舞以は反応しない。
「と言う訳で、おれは君にお仕置きをする。覚悟するように」
 ふん、一郎は鼻息を鳴らした。舞以は相変わらず、夢うつつな感じで一郎を見ている。
 舞以のスラックスに手をかけた。ファスナーを下ろし、現れた小さな下着ごと足から引き抜いた。
 へその下に、小さな三角の茂みがあった。薄く見えたが、入念に手入れしているようだ。
 Tシャツをめくり、ブラごと頭から抜いた。
 舞以の抵抗は無い。これでスッポンポンになった。細いけれど、しっかり筋肉の付いたアスリートな体。
 一郎は自分の服も脱ぐ。パンツの中ではペニスがいきり立ち、すでに爆発寸前だ。
「お仕置きを始めるぞ。さあ、今日から・・・いや、たった今から、舞以はおれの女になるのだ」
 一郎は舞以の両足を肩に担いだ。亀頭を股の間にすり合わせると、にゅる、ペニスが勝手に膣へ潜り込んだ。
 ひいっ、ああ・・・
 舞以が小さな悲鳴を上げた。
 ぐいぐい、一郎は腰を押し進める。堅めの肉をかき分け、亀頭が奥の奥を目差して行く。
 ついに下腹と股が密着した。一郎が腰を揺すれば、舞以の腰も合わせて揺れた。
 めぐみにしたし、菊子にもした。今日は舞以に抜かず3発をする、一郎は決めていた。


6日目


 一郎は朝から大食漢だ。缶詰もレトルトも気にせず、何でも食う。
 舞以はバスローブだけで食卓に加わった。疲れた顔で、茶をすする。
 乗り移りは完了し、舞以の中身はジェロニーだ。昨日までと違い、一郎へ敵意の目を向けては来ない。
「ベムラーは、とても攻撃的になった。あの攻撃性の源は、やはり下半身のペニスだろうか」
 舞以はつぶやいた。ローブの胸元が開き、乳房が半分あらわに見えた。
「確かに、それは言える」
 菊子が同意の言葉を続けた。同じように一晩中犯された女、すでに気が合っている。
「ジッグラは長い時間をかけ、我々を改造した。けれど、我々の中でも、ベムラーは特別な改造をうけていたようだ。昨日から、それを実感させられた」
「我々の身体能力は、基本的に乗り移る相手の身体能力に依存する。でも、河辺村一郎の身体能力は、ベムラーによって大幅に拡大、増強されている」
 舞以と菊子が科学者の顔で議論する。一郎は付いていけない。
 源田が議論に加わった。
「我々は肉体から肉体へ乗り移り、寄生している。基本的には、臓器の隙間にコロニーを作り、そこから神経系を支配している。だが、ベムラーは細胞の中に寄生し、細胞の活動を直接ブーストしている。これが大きな差だ」
「細胞外寄生と細胞内寄生の違いか。ジッグラはマスターの一人と、サポーターの三人に明白な差をつけたのだな」
 科学者3人の議論が続く。
 一郎は難しい言葉に耳をそむけ、壁のスクリーンに目をやった。
 ジッグラを中心に、半径30キロの範囲が映っている画面を見た。東には留萌の港があった。西の端に、昨日までは無かった船がある。かなり大きな船を含む船団のよう。
 子画面に駐屯している自衛隊が映っていた。吉井が深刻な顔で通信機と向かい合っている。
「別の奴らが来た」
 一郎は立ち上がり、画面に歩み寄る。
 源田が、菊子と舞以も一郎を目で追う。
「ジッグラは害意を持つ相手を、実力を持って排除すべきだ。でも、やっぱり・・・大砲やミサイルは優雅じゃない」
 一郎の言葉を受け、天井に光が走った。
 海上自衛隊の艦が西へ向かっていた。西から迫る外国の船団を警戒している。
 何も無かった壁の一つが光り始めた。テレビの画面を映し始めた。画面は分割され、それぞれが違うチャンネルを映していた。地上波、衛星放送、AMとFMラジオ・・・ジッグラは地球の文化を学び、解析している。
 テレビ放送で、ジッグラを映す中継画面があった。
「一昨日、この増毛港の北海上に現れた物体は、今は霧に包まれ、その姿を見る事はできません。霧の直径は4キロほど、高さは3000メートルにも達します。自衛隊のヘリが出入りしてますが、行動の詳細は公表されていません」
 ヘルメットのアナウンサーが絶叫調のしゃべり、聞いていて耳が痛くなりそうだ。
 画面の中に海上保安庁と自衛隊の通信があった。軍隊の通信は暗号化されているはず、ジッグラが暗号を解読したのか。
 さらに日本語ではない通信も入って来た。英語の通信、これはアメリカ軍のものだろう。ロシア語と中国語もある。
 中国語の通信には興味を引かれた。西から来る船団の通信だ。
 日本近海に1万トンを超える大型の漁船団をよこす国、それが中国だ。だが、留萌沖に現れたのは漁船団ではなく、海軍の艦艇だった。
 ジッグラがあるのは、日本の領海をわずかに外れた場所だ。外国の軍隊が手を出せる公海上である。
 自衛隊が警告を発している。中国側は公海上として無視の姿勢だ。
 ブオオー、何かの警報か、音の院に音が鳴り響いた。
 画面に新たな影が出現した。すでに自衛隊の警戒ラインを越え、海上保安庁の巡視船より近い所に何かいる。
 海上ではなく、水中だ。2隻もいる。さすがのジッグラも、水中の物体を捕捉するのは苦手だったらしい。
「海上の艦隊はオトリ、と言う訳だ。ジッグラへの上陸部隊は水中から来る、と」
 源田が状況を分析した。
 潜水艦が司令塔を海面に出した。微速で接近して来る。
「中国は自衛隊の駐屯を知っている。安全とわかった上での上陸だ」
 源田が苛立つように言った。一郎は小首を傾げ、じっと画面を見つめた。
 壁に新しいスクリーンが現れた。表示しているのは怪物のよう。巨大なサメか、古代の甲殻魚のような物だ。
「ジッグラがガーディアンを作った。さすが、優雅な選択だね」
「いや、マスターであるベムラーの選択だ」
 一郎がジッグラを誉めると、源田が補足した。確かに、ガーディアンの姿は一郎の好みに合っている。が、選択した覚えは無いので、ちょっと返答に困った。
「名前が欲しいな。うむ、モビィディック・・・では、頭にモビィと付くのがダメだ。ポセイドン・・・よりはクラーケンが良いなあ」
 勝手に命名で盛り上がる一郎。
 G2と言いかけて、源田は口をつぐんだ。

 ジッグラの海中に現れたガーディアン・クラーケンは、1億年以上前に存在した巨大魚リードシクティスをベースにした外観だった。全長は20メートル以上もある。背びれを海面に出し、悠々泳ぐ様は巨大なサメを思わせた。
 クラーケンは潜水艦の正面から接近した。
 潜水艦はセイル浮上で微速前進中、セイルには海上警戒のために数人がいた。すぐ巨大なヒレに気付いた。
 どん、クラーケンは横腹を潜水艦に当てた。サメなどでも、よくある行動だ。
 少し離れるように動き、巨大な口で尾部の水平舵に噛みついた。舵はもげなかったが、大きく曲がってしまった。
 続いて、下の舵にも噛みついた。
 潜水艦を何度か揺さぶり、クラーケンは悠々と離れた。
 獲物はもう1隻いる。身動きならなくなった潜水艦を捨て置き、クラーケンは新たな獲物へと頭を向けた。

 ははは、奥の院で笑い声がこだました。一郎が通信を聞きながら笑ったのだ。
「やあやあ、混乱してるね。まあ良し、グッドだ」
 舞以が画面を見ながら、西の新たな動きに注目していた。
「潜水艦は上陸を諦めた様子だが、あっちから新手が来るぞ」
 中国艦隊の中で最大の艦は、排水量2万トンを超える揚陸艦だった。その左右を護衛の駆逐艦が固めていた。
 空挺部隊を乗せた3機のヘリが次々と離艦、ジッグラに向かって来る。
「武装ヘリが3機か、元々が二方面からの上陸作戦だったのだろう。法律上、自衛隊は手出しできない」
「ここは日本の領海の外だっけ」
 源田が中国側の動きを解説した。むむ、一郎は笑いを封じられた。
 ブブブ、天井に光が走った。ジッグラが何かをしようとしている。
 壁のスクリーンに新しい画が表示された。クラーケンと並んだ怪物は、古代の翼竜に似ていた。しかし、よく見れば4本足だ。
「これはロプロス・・・いや、手足があるし、ドラゴンの仲間か。グリフォンとでも呼びたいなあ」
 新しいガーディアンに一郎は満足げだ。

 揚陸艦を離れたヘリは、Z−9型汎用ヘリの3機編隊だった。
 ヘリは、それぞれ武装兵士を8人づつ乗せていた。合計で24人、ジッグラに駐屯している自衛隊に倍する人数だ。上陸するや、すぐに自衛隊を制圧して占領できる計算である。
 操縦士は慎重に操縦していた。ほとんどフル重量なのでパワーに余裕が無い。速度は時速100キロが限界だった。
 と、前方から何か来る。
 飛行機ではない、鳥にしては大き過ぎる。
 グリフォンが襲いかかるには、それは手頃な獲物だった。
 狙う所はヘリのテール部、翼をにつかんで、内蔵のローターを鉄の爪で引っ掻いた。
 爪が触れた一瞬、バリッ、火花が飛んだ。
 高速回転していたテールローターは、わずかなバランスの狂いも破壊的な衝撃で、ガツンと止まってしまった。ヘリはメーンローターの回転反動で、胴体がきりもみに回転しだした。
 グリフォンは編隊で飛ぶとなりのヘリを狙った。
 同じようにテールに食いつき、爪でテールローターを壊した。
 2機のヘリがきりもみで墜落する。残る1機は旋回して逃げ出した。
 グリフォンはヘリを追う。
 ヘリは逃げて、揚陸艦の上空に来た。が、甲板上に着艦スペースが無いと気付いた。次発のヘリ2機が離艦準備をしていた。
 追いかけて来たグリフォンは身をひるがえし、揚陸艦に襲いかかった。マストに取り付き、アンテナとレーダーをぐちゃぐちゃに壊した。
 甲板要員は武装していない。自身の艦が壊されるのを、ただ見守るだけ。
 がおっ、グリフォンは吠えると、悠然と揚陸艦を離れた。
 低く飛んで、今度は平行して航行している駆逐艦を襲った。またマストに組み付き、アンテナをぶち壊す。
 と、駆逐艦の乗組員は別の理由で艦が揺れているのに気付いた。クラーケンが水中から舵にかじりついていた。
 アンテナを失って、本国との通信ができなくなった。舵を失い、駆逐艦は漂流状態に陥った。
 クラーケンは揚陸艦へと向かう。グリフォンは残るもう1隻の駆逐艦を目差して飛んだ。

「誰も死なずに、これにて解決。実に優雅、さすがジッグラだ」
 一郎はスクリーンを見ながら、満足げに頷いた。源田と舞以は、ややあきれ顔。
 浮上して漂流中の潜水艦には、自衛艦が横付けしている。墜落したヘリには、保安庁のヘリが救助に向かっていた。
 揚陸艦を含む艦隊も、すぐ漂流状態になる。日本の領海へ一寸でも入れば、自衛隊が有無を言わせず拿捕できる。非武装の民間船舶と違う扱いは仕方ない。
 人を殺した事は無いが、助けた事は数え切れない自衛隊と保安庁。うまくやるだろう。
「あの中国軍、早過ぎる。本国からではなく、おそらくロシアのウラジオストクから来たのだろう。次はロシアが来るかも」
 舞以が政治の話しをした。彼女の前の体、八尾はヤクザの組長だった。ロシアや中国に詳しいのは、その頃からの事だろう。
「まあ、ジッグラの力をもってすれば、こんな地球くらい、征服するのは容易いが」
 舞以は一郎に顔を向け、にっと笑った。征服を誘ってきた。
 そんな面倒には付き合えない、一郎は首を振った。

 自衛隊と中国軍のドタバタを見ていたら、いつしか日が暮れた。
 夕食後、舞以が一郎を寝屋に誘った。
 舞以は自ら上をとる体位、騎乗位で一郎の腹に乗った。昨日まで男だったのに、すっかり女の体に馴染んだよう。あるいは、過去に女であった時期があるのか。
「力尽くではベムラーに勝てない、これは認めよう。ならば、せっかく女になったのだ。女の武器で男を支配してみるか」
「そう来られては、こちらも反撃のしようが無い・・・かも」
 ずんずん、舞以が腹の上で踊るよう。
 一郎は堪らず、たちまち達してしまった。どくどく、舞以の中に精を出して脱力した。
 はあ、互いに息が切れて、二人は汗ばんだ胸を合わせた。
「だめだ・・・な。わたし一人では、ベムラーの精力を受けきれない」
「女なら、菊子もいる」
「二人では足りない。もっともっと多くの女が必要だ」
「ジッグラに作らせるのは無しだぞ。人造女とはやりたくない。女は天然の生、それに限る」
 ははは、舞以が胸の上で笑った。
「八尾組にもどれば、訳ありで頭の悪い女なら、いくらでも調達できる。ここにハーレムを作ろう」
 ハーレムと聞いて、一郎は口を歪めた。男なら誰でも夢見る理想郷だ。
「ここに大奥を作って、おれは女三昧の生活をする。舞以の局様は大奥を取り仕切り、おれ代わって世界に号令を発する・・・と」
 うん、と舞以は頷いた。
 天井に光が走った。一郎の言葉を、ジッグラが新しい命令として受け取ったのか。
 面倒な事は、すべてサポーターの3人とジッグラにまかせきり。一郎はマスターとして、贅沢三昧の日々を送る。
 想像する限り、良い未来だ。しかし、何かが足りない。
 何が足りないのか、何が真の望みなのか・・・考えても答えは出ない。
 考えるうちに、睡魔が来た。


7日目


 ブオオオー、何かの警報が鳴った。
 奥の院の天井に光が走る、ジッグラが異常な動きを示していた。
 一郎は寝ぼけ眼で体を起こした、まだ未明の時刻だ。源田はスクリーン前に走っていた。
「中国とロシアの偵察機に、上空からの退避が命令された。何か起こりそうだ」
 レーダーの画面が変わる。水平線の彼方まで、直視できる限り映る範囲が広がった。真上は高度500キロ以上の人工衛星まで表示している。
「何だ、あれ?」
 南西方向から、何かが高速で近付いて来た。速度は毎秒6キロから7キロだ。それが2つも来る。
「弾道ミサイルではないのか。もう加速は終わって、落下に入っているようだ」
 舞以が画面を見ながら言う、冷静だ。
「もし、核ミサイルなら・・・やばいよね。上にいる自衛隊、避難の時間はあるかな」
 やや狼狽える一郎に、舞以が首を振る。着弾まで数分と残っていない。
「弾道ミサイルなら、自衛隊で撃ち落とせるだろう。どこで何をしてる」
 菊子が茶を煎れながら愚痴をこぼした。また、舞以が首を振った。
 弾道ミサイル迎撃システムを載せたイージス艦は、ずっと南方にいた。基本は首都である東京を護っている。日本の端、北海道は弾道ミサイル迎撃の守備範囲から外れていた。
 ブオオオー、天井に光が走った。まぶしいほどだ。
 ミサイルの飛行コースが計算され、画面に出た。10秒ほどの差を置き、2発がジッグラの至近に落ちる、と予測された。
「核ミサイル、決定だ。爆発威力がどれくらいか、それが残る問題だな」
 源田が事態を解説する。冷静な顔は、ここが安全と信じきっている。
 画面に新しい表示が出た。何かの武器、大砲のようだ。
 むむ、一郎のまゆが動く。大砲は優雅な武器と言えない。が、相手は核ミサイルだ。
「中性子砲がスタンバイした。今、照準している」
「ちゅうせい・・・何、それ?」
 源田の言葉に、一郎は反応できない。普通の大砲ではない、それだけは理解した。
 ブッブブ・・・天井の光が変わった。
 接近するミサイルの1発目、直線距離は50キロを切った。あと数秒で着弾する。
「中性子砲、起動・・・発射」
 源田が静かに言った。強調する言葉は無く、とても事務的な声だ。
 ミサイルはジッグラに命中したかに、画面上は見えた。しかし、何の衝撃も音も感じない。
「次発、照準・・・発射」
 うん、源田は頷いた。
 2発目のミサイルが画面から消えた。天井の光が落ち着き、薄暗くなった。
「高度3万メートル付近で爆発を確認。極めて小規模なので、核爆発に至らなかったと推定できる。周辺に被害は無し」
 ふう、源田は胸をなで下ろした。
 舞以は顔をしかめ、まだ画面を見ている。
「方角から見て、ミサイルは中国からだな。よくやる、近海に自国の艦隊が漂流中だと言うのに。いや、本来の標的はジッグラではなく、彼らだったのかも」
「自国の兵隊を殺すためのミサイル・・・てか」
「日本とアメリカに軍事機密を渡したくない、そう思えば、な。もとより、戦術核兵器の運用は、ある程度は自国の兵を巻き込む事を前提にしにければ、とても成立しないものだ」 
「限定核戦争だな」
 源田と舞以の政治談義、一郎はついていけない。菊子から茶をもらい、ひと息に飲むと、布団に駆け込んで寝たふりを決めた。

 味噌汁の匂いに誘われて、一郎は布団から出た。
 壁のスクリーンには朝のテレビニュースが映っていた。ジッグラへのミサイル攻撃はニュースになっていない。
 テーブルに着くと、炊きたてのご飯に味噌汁、焼き魚があった。
「クラーケンは漁がうまい。当分、魚には不自由しないわ」
 菊子が笑って言った。
 なるほど、と一郎も納得して魚に箸をつけた。魚に詳しくないので名前は知らないが、スーパーの売り場で見た事のある魚だ。
 源田が茶をすすりながら、円盤の横を指した。台が二つあって、何か乗っている。
「クラーケンが魚を捕るついでに、海底から拾って来た」
 飯を食いながら、遠目に何かをながめた。一方には円筒形の物があり、表面は焼けて黒いまだらだ。直径は50センチ以上、長さは1メートルほど。もう一方にはサザエのような物がいくつかあった。
「何、あれ?」
「不発の原子爆弾、あとは未熟爆発で散らばった原子爆弾の破片だ」
 言われて、箸が止まった。
 ポーン、音がして、壁のスクリーンに新しい画面が現れた。
「解析ができたようだ」
 源田が画面に見入る。舞以も箸を置いて、画面を注視した。
 それは原子爆弾の透視図だった。前方側に球体の構造がある、起爆用の小型原爆だ。その後方に爆弾の本体、重水素化合物の多層構造がある。
「原子爆弾と言うより、古い言い方では水素爆弾だな。今日のアメリカ軍では、多段式強化原爆などと言う場合がある」
「水爆・・・なの?」
 がりっ、つい箸をかじってしまった。
 爆弾が不発となった原因は、小型原爆の内部構造が壊れた事にあった。
「中性子砲が命中して、原爆の中のウラニウムかプルトニウムの一部が核分裂反応を始めた。ウランなどの原子核は大きい、水素の原子核の100倍以上もある。なので、中性子が当たりやすいんだ。核分裂の際に電子も飛び出すので、高圧電流が流れる。それが起爆回路に逆流して、起爆装置を壊してしまった・・・そんなとこだろう」
 源田の説明に、一郎は頷くだけ。実のところ、チンプンカンプンで分からない。
「そっちのは起爆火薬の一部だけが爆発した。ウランの一部が核分裂を起こし、流れた高圧電流が起爆回路の一部だけを起動したのだろう。起爆火薬全体が100万分の1秒以下と言う誤差で働かないと、球対称の圧縮衝撃波はできない。爆弾のケースが壊れただけで、核爆発は起きなかった」
 ふーん、一郎は説明を理解するのをあきらめ、また飯を食うのに専念した。
 ポーン、また音がした。3つ目の台が現れた。そこに円筒形の物が乗っている。
「解析を元に、ジッグラが完全に動くレプリカを作ったぞ」
「つまり、原子爆弾・・・なの」
 一郎が問うと、源田は大きく頷いた。
 よくよく見れば、レプリカの側面に漢字がある。天槍5型・・・表面は焼ける前を再現していた。
 箸を止め、少し考えた。でも、やっぱり使い道は頭に浮かばない。
「いらない、どれも要らない。ちゃい、しちゃって。とっとと、どこかへ!」
 一郎は子供のような言葉遣い。あははっ、舞以が笑った。
 おっ、源田が声をあげた。
 画面は上に駐屯している自衛隊を映していた。
 ヘリが着地して、人と物資を降ろしている。定期便化している風景だ。
「ベムラーが要らないと言うなら、自衛隊に譲るかい?」
 舞以がにじり寄り言った。
 一郎は頷く。良きに計らえ、と手を振った。

 ベッドで大の字に寝る。
 一郎は目を開けた。起きたばかり、眠れない。
 ベムラーはジッグラのマスター、ジッグラはあらゆる災難からマスターを守り、マスターの願いの全てを実現する・・・らしい。
 しかし、河辺村一郎にとり、身に降りかかる災難は何だろう。願う事は何があるだろう・・・それが思い付かない。
 菊子が茶と焼いたクッキーを持ってきた。
「どうした、元気が無いな」
「マスターと言われても、なあ。何をすれば、マスターにふさわしいのか分からない」
「昔も、そうしてボーッとしてた。その内、ジェロニーがマスターになると言い出した」
「そっか・・・」
 クッキーをつまんだ。魚を生地に練り込んだ味がした。
「ジッグラを作ったのは誰なんだ?」
「確認されていない。今は滅んだ文明、としか言いようがない」
「なぜ、滅ぶ・・・病気は、あり得ない。おれたちを、こんな風に改造して、不死に近くできるくらいだ。他の理由だろうな」
「それも含めて、未確認の文明だ」
 地球でも、東南アジアやアメリカには、放棄された古代都市がある。アンコールワットやテオティワカンなど、素晴らしい都市を建設しておきながら、人々は去ってしまった。砂漠化ではなく、生い茂る森の中に都市は捨てられた。ジッグラも、同じように放棄されたのだろうか。
「おれたちの前に、マスターやサポーターはいたのかな?」
「ジッグラには多くの記録があるが、わたしらが読めるのは、わたしらが調査に入って以後の事だ。それ以前の出来事は、未解読の古代文字で記されている。残念な事に、古代文字の解読や翻訳にジッグラは協力的ではない」
「ジッグラにもプライバシーはあるかも、な」
 一郎の言に、菊子は笑みをこぼした。
 マスターが古代文字の解読を望めば、ジッグラは応えるかもしれない。しかし、今のところ、ベムラーがそれを望む様子は無い。
 ジェロニーが指揮したジッグラの調査では、ベムラーは下働きで荷運びが仕事だった。学術云々には興味が薄かったが、今の河辺村一郎も同じようだ。
 考えるなら、なぜジッグラは調査隊の下っ端をマスターとして選んだのか。単なる偶然か、あるいは、何か必然的な要素があったのか。
 一郎は茶を飲み、口に残る魚の味を消した。

 少しまどろんだ。
 近付く足音に、はたと目が覚めた。足音の主は舞以だった。
「自衛隊に原子爆弾を渡して来た。上の彼らは、ミサイル攻撃を知らなかったようだ」
 ふーん、と一郎は手を振って応えた。
「客人を連れて来た」
「客を?」
 一郎は起き上がり、ベッドの上であぐら座りになった。 
「女なら中に入れる、と彼らに言ったらしいな。自衛隊が要望に応えた」
 舞以が手招きすると、三人が姿を現した。海上自衛隊の女性用制服を着て、見た目にも女とわかる。
 大高のり子二等海尉、中田真弓一等海曹、小宮和恵二等海曹と敬礼で自己紹介してきた。一郎は小さく頭を下げて応える。
「中に入れても良い、とは確かに言った。でも、出入り自由、とは言ってない。帰るなら、今のうちだぞ。本来、おれが求めたのは学術調査の人だし」
「我々は、そのために来ました。我々がここの安全を確かめ、その上で、本格的な調査隊が組まれます」
 のり子海尉が毅然として言う。
「じゃ、適当に調べてくれ。何が起きても、自己責任で頼むよ」
「それでは、調査にかかります」
 のり子は敬礼して、部下の2人と共に寝室を出た。
 ふえぇ、一郎は頭をかかえた。押しが強く、苦手な雰囲気の女たちだ。
「良かったな、大奥に入る女の候補が来た」
 舞以が笑みを浮かべて言った。まさか、と一郎は首を振る。
「ああいう身持ちが堅い女ほど、大奥の中核に置くのは適した人材だ。軽い女に手綱を付けて、組織を引き締めてくれる」
「本気で、ここに大奥を作る気?」
 また一郎は大の字に寝た。
「もしも、おれが死にたいと願ったら、ジッグラはどうするだろう?」
 暗い天井を見上げ、一郎は忘れかけていた事を言った。
「あいにく、我々は簡単には死ねない体だ。河辺村一郎として死ぬ事ができても、ベムラーとしては生き続けるだろうな」
「ああ・・・それが、あった」
 舞以の指摘に、一郎は落胆した。
 過去、ベムラーは何度か死んでいるらしい。その度、新しい体に乗り移り、別の人生を歩んだ。河辺村一郎になったのは、今から50年ほど前の事だ。
「次は女になってみるか、わたしのように?」
 舞以は笑みを残して出て行った。

「ベムラーが情緒不安定だ」
「以前と同じか。ジッグラを積極的に活用できず、手に入った大きな力に狼狽している」
「ベムラーの腰が据わってくれないと、我々も安心して調査を続けられない」
 舞以の報告に、源田は頷き、菊子は首を振った。
「また、どこかへプイと逃げられるかも。マスターが不在となると、ジッグラの反応は弱くなる。サポーターの悲しさだ」
「とりあえず、良い物を食わせて、ご機嫌をとるか」
「地球人の生理として、強力な権力を持った男は、数多くの女を欲しがるらしい」
 はあ、と菊子がため息。毎夜のように抜かず三発で責められては、調査に身が入らなくなる。
 三人はマスターのサポーター、ジッグラとの関わりには制約が多い。制約を越え、ジッグラを深く知り、マスターのように積極的な関与ができる途を探している。
 舞以は周囲をうかがう、自衛隊の三人を探した。自分に代わって、マスターの精力を受けてくれる候補の女たちだ。
 たすけて・・・よろよろ現れたのは、小宮二等海曹だ。
「何事だ?」
「あ・・・あれ・・・あれ」
 源田が問いただすが、二曹の答えは要領を得ない。
 やむなく、現場を見ようと歩き出す。このような時は平静が肝心だ。
 しかし、現場へ案内するはずの二曹の足取りがすくんでいた。腰が抜けた状態だ。
 かつてジッグラを調査した時、源田は恐怖など感じた事が無い。二曹の態度に不信感の方がふくらんだ。

 そこは源田たちが彫像の間とか、レリーフ回廊などと呼んだ場所だ。
 奥行き20メートルほど、四方の壁が彫像で埋め尽くされていた。極めて立体的な彫像から、平面的なレリーフ、彫り込みの無い線だけの画もある。全て源田が知っている宇宙人の姿だ。
 不思議に、彫像のひとつひとつに表情がある。手の仕草から顔の表情まで、すべて違う表情。共通点があるとすれば、恐怖の表情である事か。
「おや」
 菊子が異変に気付いた。壁の近くに自衛官の制服が落ちている。靴と靴下、下着まで脱いであった。
 振り向くと、壁の低い位置に大高のり子海尉が裸で半身めり込んでいた。
 顔がこちらを向いている。が、まだ彫像になっていない、生きている。後頭部は壁の中だ。手足も半ば壁と一体化している。
 制服はもう一組落ちていた。近くの壁に、背と尻をこちらに向けて中田真弓海曹が裸でめり込んでいた。
「我々が調査に入る前、ジッグラには行方不明者の噂があった。実は、こう言う事だったのか」
「ひとつ間違えば、我々もなっていたのだな。謎がひとつ解けた、ありがとう」
 源田は彫像を改めて調べる。
 壁と一体化しながら、まだ大高と中田は生きている。それより以前の物は、壁と同質化して彫像となった。さらに時間が経つと、それは平面化し、ついには画となってしまうのだろう。
「この二人は、何かのタブーに触れて、壁に吸い込まれようとしている。我々がこうならなかったのは、何が理由なのだろう」
「マスターのサポーターだから・・・かな?」
 舞以も疑問を掲げながら、事態の改善を考えた。せっかく大奥の候補者が来たと言うのに、これでは構想が潰れてしまう。
 菊子は腰を落とし、のり子に身を寄せた。頬を叩いたら、目が開いた。まだ意識があるよう。
「た・・・たすけ・・・て」
 弱々しい声で、のり子は助けを求める。
 しかし、菊子には何をすべきか見当もつかない。
 舞以が一郎の手を引き、連れて来た。この事態を動かせる者は、ジッグラのマスターだけだ。
 むむっ、一郎は低くうめいて、のり子と真弓を見た。少し考えると、笑みになった。
「何が起きても自己責任で、と言ったはずだ。でも、これはこれで、良いかも。見て良し、触って良しの見事なオブジェだよな」
 一郎はのり子に手を寄せた。足に触れた、柔らかく温かい。歳は40過ぎだろうが、鍛えた肉体は触れて楽しい。
 股間の三角の茂みは幅広だった、特に手入れしていないよう。乳房は乳首の大きさに目が行った。女の乳首は男の数倍も大きいが、女の舞以の倍はある。子供を母乳で育てて、大きくなったのか。そう思えば、いっぱい働いた乳首が神々しく感じられた。
「たす・・・けて」
 のり子が言った。聞き取れるのがやっと、小さな声だ。
「どれほどか分からないが、時間が経つと、こっちの様になるだろう」
 源田が彫像を指した。指ではじくと、キンと固い音がした。
「た・・・す・・・けて・・・なんでも・・・する・・・から」
 のり子が懇願して来た。
 言われたところで、どうすべきか知らない。一郎は腕組みで頭を回した。
 と、ひとつ思い付いた。
「何でもする・・・だね。とりあえず、これをしてもらおうか」
 一郎はズボンの前を開いた。すでにギンギン固くなっていた逸物を出した。
 のり子の顔は腰の高さ、ほど良い位置にある。亀頭を口に押しつけ、ぐいと腰を押し出した。
 ふごご・・・のり子の悲鳴か、声が漏れた。ペニスは根元まで口に入っていた。喉の内壁がうごめき、亀頭をなめ回すようだ。
 源田と菊子は背を向け、失望のポーズをとった。
「確かに、そういうイタズラをするなら、今のうちだろうな」
 舞以も顔をふせ、ため息をもらした。
 一郎は腰を回すように動かす。女の体なら膣のぬるぬる、と思っていたが、口の中のぬるぬるも良い感じだ。頭が壁に固定されているので、その反力がまた心地良い。
 さらにペニスが喉の奥へ吸い込まれて行く感覚がきた。が、すぐ違うと気付いた。のり子の頭が壁から出て来ている。
 肩が、胸も壁から出て来た。
 のり子の頭を手で支え、一郎は足を踏ん張った。彼女の体重がペニスにかかってきた。
 ついに、のり子の全身が壁から出た。一郎は彼女の頭を両手で支え、なんとかペニスが抜けるのを防いだ。
 腰の奥から高まるものが来た。
 どっどどっ、亀頭が震えて、のり子の口中で暴れる。炎のように熱い精を喉へ注ぎ込んだ。
「なるほど・・・マスターと関係がある、とジッグラに認定されたようだ。サポーターに準ずる立場を得たかもしれない」
 舞以が呆れ顔でつぶやいた。こんな簡単に救出できるとは、想像もしていなかった。
 のり子は自由になった両手をペニスに添えた。精液を飲み干して、ゆっくり口から亀頭を離した。
「あれ・・・あれも、たすけて・・・」
 のり子が上を仰ぎ、一郎に懇願する。あれ、と言われて、壁にはまっている別の一人を思い出した。
 ペニスをズボンから出したまま、真弓の方に歩く。
 彼女は背を外に向けているが、顔は横向き、右半分が壁に入っていた。のり子と一郎が何をしたか、ずっと見ていたはずだ。
「さて、助けてやるからな」
 一郎は真弓の耳元でささやいた。目玉が動いて、一郎を見た。
 手をうなじから背に這わせる。ずっと下ろして、尻をなでた。鍛え上げて筋肉質な尻だ。
 背骨のラインに合わせ、指を尻の下へと行かせる。指先が肛門に触れると、きゅと動いた。可愛い動きだ。
 さらに下へ指を送る。ぬぶっ、肉のすぼみに指先が入った。ぬるぬるとして、指を吸い込むように動く。処女ではない、決定だ。
 尻の角度を考えると、ズボンがじゃまになる。下着ごとズボンを膝まで下ろした。ペニスは天を向いてそそり立っている。
 壁に近付き、ペニスを尻の下へ導く。
 亀頭を肛門の向こう側へ合わせた。腰を押し込むが、なかなか膣に入らない。
 へそを尻に押しつけ、両足で踏ん張り、えいっ、と腰を突き上げた。ずぼっ、亀頭が入った。
 先っちょが入れば、あとは力任せ、踏ん張るごとにペニスが入って行く。
 ついに全部入ったかと思うと、尻が一郎の腹を押して来る。亀頭が奥の奥へ入ったまま、腰の前後動がままならない。
 真弓の体が壁から出始めていた。
 頭が壁から抜けて、肩と胸も抜けた。彼女の体重がペニスにのしかかる。
 ついに、壁から足も抜けた。
 真弓の全体重を支えきれず、一郎は尻餅をつく。その勢いで腰を回し、わんわんスタイルの体位になった。
「もう、助かったから・・・」
 のり子が言い寄る。しかし、一郎は首を振った。
「途中で止められるか、これは!」
 腰を強く尻に打ち付けながら怒鳴った。声に押され、のり子は手を引いた。
 あっあっあっ、真弓の嬌声が響く。
 ちょっと息が切れて、一郎はのり子を振り返った。
 自分の服を拾い抱えているが、着ようとはせず、裸のまま一郎と真弓の行為を見ていた。部下が裸で犯されているから、上官としても服を着れないのか。なかなか部下思いだ。
「このような危険があっては、次の調査団には、女性は入れられない」
 冷静になった海尉は、調査報告を頭の中で組み始めたよう。
「どうでも良いが、男とはやらないぞ。俺には、そんな趣味は無い」
 一郎が反論した。腰の動きを再開して、パンパンと真弓の尻を鳴らした。
 のり子は考え直す。
 女は犯しても助ける、男は助けない。マスターはホモでもゲイでもない、そう断言してきた。内部調査を進める上で、危険を排除する他の方法を探らねばならない。
 おおっ、一郎が吠えた。どっどっ、精を真弓の体の奥深くに注ぎ込んだ。

 夕飯は魚の煮付け、エビも皿に乗った。
 一郎は食欲旺盛、口に詰め込むように食っていく。
 舞以が壁のスクリーンを見ろと誘った。テレビのニュースが映っている。
 街のど真ん中、グリフォンが雄叫びを上げていた。背景には六本木ヒルズのタワービルがある。
 すぐ近くに赤い旗を掲げた建物があった、中国大使館だ。
「東京の都心に怪物が現れました。怪物はすぐ去りましたが、何かを残していきました。表面に漢字が読めます。日本の漢字ではなく、中国の字のようです」
 化粧の濃い女子アナが叫ぶ。ジッグラが作った原子爆弾のレプリカが大写しになった。
 にっ、舞以が会心の笑み。
「おまえのイタズラか?」
「我々の力を示すためだ。北京に運んでも良かったが、あの国では、すぐ隠されてしまう。日本ならば、隠しようが無いはずだ」
 ふーん、一郎は箸で椀をたたき、また食べ始めた。
 東京のど真ん中に置かれたドラム缶のような物体。それを原子爆弾と知っているのは、自衛隊と中国大使館の一部くらいだ。
 今は、何も知らない警察がバリケードを築き、原子爆弾の周囲を警戒している。なんだか滑稽な図だ。
 自衛隊の特殊車両が数台到着、搬出の準備を始めた。まず、ブルーシートで爆弾を覆ってしまった。
 場所が場所だ。一千万人を越える人々に、避難を呼びかける事は不可能である。
「これにて、日本は核保有国だ。自分で作った原子爆弾ではないが、持っている事に変わりは無い」
 源田が茶をすすりながら言った。
「こういう事は、今後は自重して頂きたいですね」
 のり子が椀を置いて言った。部署は違えど、同じ自衛隊員が危険な任務をこなしている。見ていられない。
 一郎は答えず、箸を置いて立ち上がる。のり子の後ろに回ると、背後から乳房をわしづかみにした。
「君は、言わばオブザーバーの立場にある。おれたちに意見する権利は認めない。でも、もっともっと親密な関係を築けたら、友の意見は無視できなくなるかもね」
「友の?」
「友では不満か。では、恋人か、愛人になるかい?」
 一郎は指で大きな乳首を探り当てた。のり子は抵抗せず、されるままになっている。
「一度やったくらいで、いちいち亭主面しないでくださ・・・いっ」
 ぎゅっ、乳房をつかむ手に力を入れた。と、乳房から手を離した。
 一郎はのり子を横抱きに抱え上げる、お姫様だっこと言うやつ。
「そうかそうか、一度では不満か。では、今夜は寝かさないぞ。両手で数え切れないほど、やってやりまくってやろう」
 にやり、一郎は笑いかけた。のり子の顔は少し緊張気味ながら、無抵抗に抱えられている。
 一郎は女を抱え、大股でベッドへ歩いた。真弓と和恵も立ち上がり、上官を追う。
「ベムラーは攻撃的になった」
「活力が表に出るのは、むしろ良い傾向だ」
「あの女たちに飽きないうちは、我々は安心して調査を進められる」
 源田はあごをなでる。菊子と舞以は立ち上がった。調査再開だ。

 どさ、のり子をベッドの上に置いた。目を閉じて、据え膳を覚悟している。もしくは、期待しているのか。
 一郎は振り返り、真弓と和恵を見た。無言でベッドを指差した。二人はおずおずとベッドに腰掛ける。
 三人は仲間意識が強い、さすが自衛隊員だ。しかし、この場合は据え膳が増えただけ。
 服を脱ぐ手を止め、一郎は少し考えた。
 今、女を抱こうとしているのはベムラーであろうか、河辺村一郎であろうか。
 どこからがベムラーの行動で、どこまでが河辺村一郎の行動なのだろう・・・わからない。
 どちらでも良い。俺は、俺だ。そう決めた。



< おわり >




ベムラーと言えば、テレビ「ウルトラマン」の第1話に登場する宇宙怪獣。あれの場合、アクセントが頭の「ベ」にあるのが普通。
本作では、アクセントは後ろの「ラー」に置いてほしい。ベム・ラーと言う感じて読んで頂けると幸い。


12016.10.1
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