アストロサルベージ

 


 21世紀後半、ついに人類は宇宙開拓時代を迎えた。

 技術のブレイクスルーは水素と酸素だった。液化水素と酸素の製造、貯蔵が容易になり、大幅に価格が下落した。
 水素と触媒による酸化還元反応を使い、新たな製鉄技術も立ち上がった。
 そして、低価格の液体水素でロケット打ち上げコストが安くなる。宇宙へ行く人々が増えた。


1.


 北海道砂川市の街のど真ん中に、ずんぐりしたタワーが建っている。高さは200メートルほど。
 でも、地下は3000メートル以上もある。かつては炭鉱の縦坑だった場所。
 今は宇宙ロケットの発射台である。
 城・アストロ(じょう・あすとろ)は気密エレベーターの端の席にいた。シートベルトで体を席に固定する。30席ほどある大型のエレベーターだ。
 足首を回した。まだ、クツと足がなじまない。
 カツカツと音をたてる固い靴底は、宇宙に履いていけない。足音の出ない新しいクツを用意しなければならなかった。
 ポーン、チャイムが鳴った。
「これより、搭乗機へご案内します」
 アナウンスの後、エレベーターが動いた。
 自由落下で、ほとんど無重力になる。4秒で100メートルも落下するエレベーターだ。
 シートベルトをにぎった。浮き上がりそうな体を席に押し付けて耐える。
 10秒と少し経って、新しいチャイムが鳴った。重力がかかり始めた。エレベーターが落下速度を調整している。
 重力は急に強くなった。エレベーターは減速に入った。体重が倍以上になる。
 血が足に落ちて、目の前がかすんできた。目を閉じ、両足を踏ん張る。
 重力が少し弱くなった。やがて、慣れた普通の状態となる。エレベーターが停まった。
 地上から2分とかからず、発射台の最深部に着いた。ロケットを地上で疑似体験するエレベーターだ。
 ポーン、チャイムが鳴った。
「ただ今、搭乗口に到着しました」
 アナウンスと共にドアが開いた。ロケットにつながる気密通路だ。
 地下3000メートルともなれば、かなり地上より気圧が高い。エレベーターと通路、ロケット内部は地上の気圧に合わされ、搭乗者の身体に負担をかけないようにしている。
 アストロは席から立ち上がる。ぎしっ、下半身に着けていたパワーアシスト装具がきしんだ。さっきの減速加重で歪んだのか。
 鼻息をひとつ、先行く人達に並んで歩いた。通路を渡り、ロケット搭乗口に行く。

「本機は2019便、砂川発SS−7シルバースター行き直行です」
 アナウンスの中、アストロは自分の席に着いた。離陸時は加速重力に備えてベッドの状態、無重力になったらイスになる。
 背にジェルマットが密着した。体にかかる加速重力を分散してくれるはずだ。
 アストロは目を閉じた。じっと発射の時を待つ。
  
 2年前、16才になった春、アストロは祖父を見舞った。病院のベッドで酸素吸入をうけていた。
「爺ちゃん、これ、良い具合だよ」
 アストロはベッド回りを歩いて見せた。
 先天性の腰椎異常で、5才の頃から歩行に難があった。10年以上、歩くのに杖が欠かせない生活をしてきた。完全な子供を望む両親からうとまれた。兄弟からも無視された。
 アストロに救いの手を差し伸べたのは祖父だけ。祖父はアストロの中の天才を目覚めさせた。
 祖父の会社の技術部に出入りして、下半身に着けるパワーアシスト補助具を作った。宇宙服の中で着けるパワーアシスト補助具を応用した。杖に頼らず、自由に歩けるようなった。
 そこは、本来は宇宙で使う器具を開発する会社である。宇宙服にパワーアシストを入れるのは古い発想。が、体温の維持、呼吸装置などの方が優先されてきた。
 見舞いついでに、今日は作った補助具をみせていた。
 祖父の城・キケロは肯き、枕元のケースを指した。
「それをやろう。うまく使え」
 アストロがケースを開けると、株券が出てきた。表記された会社名には見覚えがある。
「・・・アストロサルベージ?」
「お前の名前を付けたんだ」
 祖父は宇宙開発の会社を経営していた。若い時には、自らも宇宙船に乗ったアストロノーツだ。
 アストロサルベージとは、アストロが補助具を作るために通っていた会社の名である。
「18才の成人年齢になれば、経営にもタッチできる。しかし、株主に年齢制限は無いしな」
 会社を引き継げ、と祖父の命令だった。アストロは大きく息をした。
 その翌月、祖父は息をひきとった。
 そして、2年が過ぎた。城・アストロはアストロサルベージの筆頭株主であったが、さらに副社長の身分を得た。

「発進します。加速度と振動にご注意ください」
 アナウンスがあって、重力が増した。体重が倍になって、背中がジェルマットにめり込む。
 垂直に仕掛けられたリニアモーターがロケットを加速していた。地下3000メートルから縦坑の出口までに、2000トンの質量を秒速300メートル弱まで加速する。
 縦坑から出た。ロケットの加速が弱くなり、ほぼ1Gになる。無重力にも感じた。
 リニアモーターを内蔵したロケットの架台は、それだけで1000トンの質量がある。地上のタワーの中で減速回収されていた。
 ラムジェットがロケットの上昇速度を維持している。大気が濃い高度3万メートルまでは、ロケットは音速以下で上昇する。
 液体水素を燃料とするラムジェットは白いロケット雲を引きながら、南東へとロケットを導いていく。
 ドドドッ、ジェットがロケットエンジンに切り替わった。
 どん、衝撃波があって、ロケットは超音速で上昇した。加速重力で、また体が重くなる。最大加速は、特別な訓練を受けなくても耐えられる2.2Gと設定されている。
 数分後、エンジンが出力を絞った。加速重力が軽くなる。
 どっ、軽いショックがあって、下段ロケットが切り離された。
 すでに、高度は80キロを超えている。空気抵抗がゼロに等しいところなので、重い大出力ロケットは無用だ。下段ロケットは降下して、砂川にもどる。次のロケット発射に備える。
 ぽぽぽ、頼りなげな音で第2段の軌道用ロケットが起動した。ここからは0.1Gの低加速で衛星軌道を目差す。
「お席を直します」
 アナウンスがあって、平たいベッド状だった席が動いた。足部が折れて、イスの形状へ変わる。
 宇宙へ来た・・・アストロは目を閉じたまま、体にかかる低い重力を楽しんでいた。
 シートベルトをゆるめ、下半身に着けていた補助具を外した。パワーアシストが無用な世界に来たはずだ。


2.


 メーデー!
 緊急信号がメイン画面に現れた。
 SS−7宇宙ステーション、通称シルバースターにある惑星間航路管制室に緊張が走った。
「LP4ステーションより緊急信号!」
 メイン画面に地球と月、ラグランジュポイントLP4が表示された。惑星間宇宙船用の通信アンテナがある。月と結んで38万キロの基線長を成しており、超長基線アンテナは惑星間宇宙船を導く大事なインフラだ。
「生命維持システムが故障、機能停止。現場での回復は見通し無し。酸素残りは50時間弱」
 緊急信号の概要が表示された。
 室長ムナトモはコーヒーカップを口から離し、首をひねる。
「あそこのシステムは先月も故障してた。バックアップを準備しているはずだ」
 部屋の隅で手が上がった。
「準備はできています。ただ、運ぶ予定は来月でした」
 おおう、ムナトモは頭を抱えた。
 バックアップシステムは直径3メートル、長さ18メートルの大きさだ。これを月軌道と平行するラグランジュポイントへ運ぶのは簡単ではない。運ぶだけでなく、故障したシステムを外し、ステーションに取り付ける作業も必要だ。
 これができる宇宙船とクルーは限られている。
 コンソールを操作して、シルバースターの格納庫にいる宇宙船を検索した。
「アストロサルベージが空いてる」
 ムナトモは肯き、ヘッドセットのコードを電話機つないだ。キーボードで1967−416と構内回線の番号を入力する。急ぎの場合は、メールより直接通話の申し込みが一番だ。

 電話のコール音が社長室に響いた。が、部屋には誰もいない。
 排水レバーをひねり、中田博久はトイレを出た。何かの連絡を受けたくないプライベートな時間だった。
 テーブルに置いた電話を取る。416は社長への直通番号、知っている人は少ないはず。
 が、表示された番号を読めば、管制室の室長からと知った。つい、背筋をのばして応答していた。
「お待たせしました。アストロサルベージ、中田でございます」
 努めて丁寧に、落ち着いた声で応えた。
「緊急事態だ。そちらの艇を使いたい」
 中田はコンソールを操作した。管制室から緊急事態のデータは来ていた。
「いや、しかし・・・うちのは戻って来たばかりでして、まだ荷物も下ろしてない」
「故障の衛星を回収して来たのは知っている。壊れてかまわんから、とっとと荷台を空けろ」
 中田は絶句した。回収した衛星は修理診断へ回す手はずだった。修理できなければ、分解して部品リサイクルをする。壊したら、衛星の所有者から訴えられるし、リサイクル効率が大きく落ちてしまう。
 言っている間に、軌道と飛行時間を計算していた。地球から月へ最短で20時間、ラグランジュポイントまで同時間かかる。往復には大量の燃料が必要だ。
「補助燃料タンクを付けて、乗組員の休憩を入れて・・・7時間いただきます」
「5時間後に出発だ。急がせろ」
「割り増し料金が発生しますよ」
「人命がかかる緊急事態だ、免除条項を使う」
 中田は社長として歯ぎしり。シルバースターに間借りする民間会社は、緊急事態に無償協力する義務を負う。そこを突かれた。事後に燃料代くらいは請求できるが。
 これ以上の議論は無用と悟った。
「かしこまりました。努力いたします」
 中田は電話を切り、ドックへかけ直す。
「急ぎが入ったぞ! みんな、きばれっ!」
 社長として檄を飛ばした。

 アストロサルベージが所有する宇宙船SS1967Aは、大型気密ドックの一角にあった。
 遠心重力式ステーションにあって、そこは月面と同等の重力を体感できるフロアだ。重力のある方が、やはり人間の作業効率は高い。
 宇宙船の背は開放式の荷台、フラットベッドと呼ばれるやつ。そこに回収してきた衛星が2機あった。数年間、どちらも陽に焼かれて、表面は黒ずんでしまっている。
 修理のため、固定索を外し、架台へ移す準備をしていた。
「どけーいっ、急ぎだ急ぎだぁーっ!」
 技術主任、伊沢一朗の大声が響いた。この道25年のベテランが発するダミ声は、気密隔壁を揺るがす迫力がある。
 ホイストが衛星を吊り上げた。まだ固定索がかかったままだ。
 衛星のフレームが折れて、ぼきっ、外れてしまった。無重力の空間で使うよう設計された骨格は、なんとも脆弱だ。
 そのまま、ゴロリと床に落とされた。うまく修理すれば10億円以上になったはずの衛星が、スクラップで数千円の姿に。
「あああーっ、なんてこったい」
 パイロットの本郷が嘆息をもらした。
 伊沢は荷下ろしをしていた3人のパイロットを睨んだ。
「お前たちは飯くって、さっさと寝ろ。5時間後には次の仕事で出発だ」
「たった5時間?」
「月の向こうまで、特急の届け物だってよ」
 伊沢は手を払い、3人をドックから出す。ホイストを操作し、もう1機の衛星を下ろしにかかった。

 パイロットの本郷武司は軽く食事を済ませ、自室のベッドに体を横たえた。2畳ほどの部屋でも、久しぶりに、トイレ以外のプライベートな空間だ。読みかけのヒーロー漫画を手にしたが、1Gの重力が眠気を誘った。
 パイロットの城野アカネはシャワーを浴びた。メールをチェックすると、かつての同級生が子供を抱いた写真を送ってきていた。この仕事について5年になる。宇宙パイロットと響きは良いが、やっている事はトラックドライバーと変わりない。つい、古風な女の人生に思いをはせ、胸の乳房を子にあたえる自分を夢想していた。
 もう一人のパイロット、佐川治郎はベッドで親からのメールを見ていた。地球に帰って来い、また同じだった。今さら地球上でやれる仕事があるのか、考えるほどに首を横に振った。手鏡で自分の顔を見れば、白髪が増えたと実感した。

 3人がドックにもどると、アストロサルベージのブースは空だった。
「エアロックに行け。荷は積んだし、補助タンクも付けた。今は燃料の注入中だ。点検は済んでる、とっとと出ろ」
 伊沢は例のダミ声で3人の背を押した。
 エアロックはシルバースターの回転軸上にある。無重力な場所だ。
 ドックとの連絡通路は閉じられ、すでに空気の抜き取りが始まっていた。
 ここででやる事は出発前点検だ。本郷と佐川は気密服を着込み、宇宙船の外側を点検する。城野は細い気密通路から宇宙船に入り、内部から点検する。パイロットがするのは目視点検、最終チェックとなる。
 こんなに早く再度の出発とわかっていれば、回収した衛星だけをドックに運んだ。宇宙船用の大型エアロックに空気を入れて、また抜いて。二度手間だが、今回は緊急事態だ。
 しかし、真空の無重力では、補助タンクを付けるのに大きな手間を食う。やはり、中に入っていて正解と言うべきか。
 本郷は機体下で補助タンクを点検した。
「タンク内、圧力100パーセント。注入完了」
 操縦席の城野から報告がきた。
 パイプラインがタンクから外れた。注入口のバルブ閉鎖を目視で確認、手で触れてダブルチェックする。
 佐川は機体上面の荷台にいた。荷物の固定索をチェックする。全部で8カ所、長さが18メートルもあるから苦労する。
「エアロック内、外気圧と同等。アストロサルベージ、発進準備の完了報告を」
 管制室から催促がきた。
 本郷と佐川は機体の作業用エアロックへ行く。
 気密通路が外れた。

 作業用エアロックに入った本郷と佐川は、大急ぎで外側の扉を閉じた。
 本郷がレバーを動かすと、どん、体が衝撃に包まれた。エアロックに空気が満たされたのだ。
 佐川は外側の扉の空気漏れをチェック。合図を受けて、本郷が内側の扉を開けた。
 本郷は気密服のまま操縦室へ飛んだ。船内は無重力、通路の真ん中を飛んで抜ける。
 城野は左側操縦席で発進前点検を済ませていた。そこへ、本郷が来て、右の席に着いた。通信ケーブルと酸素パイプをつないで、準備完了。突発事態に備えて、パイロットの一人以上は常に気密服を着込んでいる。ステーションから出入りするのは、宇宙船にとって危険な状況だ。
 本来、アストロサルベージの機長は本郷である。普通、機長は左側の席だ。が、本郷は左目がメインアイなので右席に着くのを好む。
「アストロサルベージSS1967A、準備よし」
 本郷が宣言した。コクピットの表示が待機モードから飛行モードへ転換した。
「ゲートを開放する。開度、12メートル」
 管制室から通告がきた。
 今回、機体下に補助タンクを付けたため、SS1967Aは高さが3メートルも増していた。
 前のゲートが開いていく。
 星が回っていた。実際には、回っているのはシルバースターの方だ。回転は30秒で1周、じっと星を見ては目が回る。
 宇宙船が載っているステージが動いた。エアロックの外へとせり出て行く。
 ステージは40メートル出て停まった。次ぎに、逆方向へ回り始める。
 窓の外、回っていた星が止まった。
 宇宙船の回転がキャンセルされ、ステージは連結を解いた。倍の速度でエアロックの中へ戻っていく。
「発進前、チェック!」
 本郷が言った。
 姿勢制御ジャイロ・・・起動。
 太陽電池板、放熱板・・・展開。
 機体重心・・・確定。
 通信アンテナ・・・定位置。
 メインエンジン、トリム調整。燃料ポンプ・・・起動。
 数秒の間に、コンピューターは自動で宇宙船の発進準備を終えた。
 現在位置と予定航路がコクピットのメイン画面に出た。ジャイロの回転モーメントが機体の向きを変えていく。
 城野がエンジンのパラメーターを読み上げた。
「メインエンジン点火・・・出力上昇・・・最大出力まで、3・・・2・・・1・・・」
「ゴーッ!」
 本郷が発した言葉と同時に、宇宙船は加速した。たちまちシルバースターは後方へ小さくなっていった。

 さて、宇宙船が向かったのは地球である。
 高度3万6千キロから逆さ落としで高度2千キロまで行き、加速スイングバイで月へ向かう。さらに、月で再度の加速スイングバイを行い、ラグランジュポイントを目差す。
 ラグランジュポイントへ行く場合の問題点は、そこに引力を持つ天体が無い事だ。石ころのような微少な隕石は少々あるが。
 直接向かっては、加速と減速で、燃料がいくらあっても足りなくなる。スイングバイで燃料を節約しなければ、帰りの分が無くなってしまう。距離的には遠回りでも、最短の途である。
 普通は1ヶ月かけ、ゆっくり行く場所だ。


3.


 2019便シャトルはSS−7シルバースターのオープンポートに接近した。気密ドックの反対側にある開放ドックだ。
 ポートからステージがせり出てきた。
 シャトルは地上に着陸するのと同様に車輪を出した。
 ステージのマジックハンドが車輪をつかみ、力づくでステージに着かせる。燃料を節約し、電力でドッキングした。
 シャトルを載せたまま、ステージが回り始めた。シルバースターの回転と同期させる。
 ステージが引き込まれ、シャトルはポートに入った。
 アストロは客席の小窓から外を見ていた。ポートのフィルム状の扉が閉まるのを見とどけた。
 開放型ドックは常に外部と同じ真空だ。扉を閉じるのは作業員の安全のため。何かあっても、外に吹き飛ばされないようにしている。
 シャトルを載せたステージが中心の回転軸から外れ、外壁へ降りて行く。体に横向きの加重がかかった。
 小さなショックでステージが止まった。
「お疲れ様でした。当機はSS−7シルバースターに到着しました。ここでの体感重力は、ほぼ月面と同等であります。皆様、お気を付けて降りて下さい」
 アナウンスがあって、アストロはシートベルトを外した。
 二本の足で立ち上がる。パワーアシストの補助具は着けていない。ここなら普通に歩ける、と実感した。
 ごっ、音に振り返った。後ろの席で、勢い良く立ち上がった人が、天井に頭をぶつけた。地上の感覚で力んだら、床から足が離れてしまう低重力の場所である。
 気密の連絡通路からシルバースター側へ行く。
 窓からシャトルを見れば、後部の貨物ドアが開いて、コンテナを取り出す作業が始まった。今回のコンテナは気密式なので、エアロックに接続して荷を下ろすはずだ。貨物重量の半分以上は水だ。宇宙では、水は貴重な品である。

「やあやあ、やっと来たね」
 中田博久は両手を広げ、ゲートから出て来た城・アストロを出迎えた。地球上では、筆頭株主として何度か会っていたが、宇宙では初めて。
「はい、ついに来ました」
 アストロは背筋を伸ばした。それでも、背丈は中田社長の肩までだ。小児期からの下半身障害で、足は未発達で短い。
 中田はアストロが持つ紙袋を見た。中はシャトルの機内で外したパワーアシストの補助具だ。
「これは例の歩行補助具です。地球で着けてました。でも、ここでは使わないし」
「いやいや、ここでの生活の9割は、地上と同じ1Gの場所だ。それの予備が必要になると思うよ」
「そ・・・そうなんですか」
「うちの事務所と宿舎は1G区画にあるしね」
 アストロは中田を見上げ、落胆を隠さない。
 しかし、と考え直す。1割は低重力の場所であるらしい。工夫して、そこでの活動時間を長くすれば良いだけだ。
「悪い報せがある。実は、君が注文した宇宙服が出来てない。来月になりそうだ」
「来月!」
 中田の報せに、アストロはうめいた。
 簡易な気密服でも、ドックやエアロックの中なら活動できる。が、宇宙船の外へ出るには、ノーマルスーツと呼ばれる耐熱断熱で通信機を装備した宇宙服が必須だ。
 アストロサルベージが所有する作業用宇宙船SS1967Aに乗るには、規定の上でもノーマルスーツが求められる。
「しばらくはレンタルを使えば良いよ」
「レンタルがあるんですか?」
 悪い報せの後に、良い知恵が来た。
 中田の案内で、アストロはエレベーターに行く。乗る前に、また補助具を着けた。
「せっかく宇宙へ来たのに」
 アストロはブツブツこぼしながら、補助具を着け終えた。
 やっとエレベーターに乗る。奥行きが長い、ストレッチャーが入れるほど。
 他の人も乗ってきた。皆、一方の側の壁に寄り添う。
 アストロは皆とは反対側の壁に寄った。が、中田が指でダメを出した。皆と同じ方の壁に寄れ、と指示してきた。
「人間の体は1Gの重力を必要とするのさ。骨格、筋肉、心臓に腸、重力の中で正しく機能するようにできている」
 中田は下降ボタンを押した。と、横へ体が引っぱられた。壁に背が押し付けられる。
 ステーションの回転で加速度重力が発生している。
 遠心重力式ステーションでは、回転の中心から外側へ行く時、横向きのGを体感する。ただ、横向きGは常に一定の強さ。横向きに感じた加速度は、順次下向きのGとして積み上がっていく。エレベーターでは壁に背をつけ、横向きGを受け流すのが生活の知恵である。
 エレベーターは停まり、ドアが開いた。
 ずしり、体が地球上と同じ重力を感じていた。

「ふう」
 アストロは嘆息。補助具無しで歩ける所に来たはずが、また着けるはめになった。
 見ると、目の前はレンタルショップだった。短期の旅行者向け宇宙服が置いてある。
「ここで借りられる。1ヶ月くらいなら、ちょうどレンタルに良い期間だ」
 中田の説明に、アストロは頷く。
 メインの品が展示されていた。140センチの子供から2メートル超えの長身まで対応、セパレートの上下を個別に組み合わせ、体型差をカバーする。手袋と長靴も長さは各種、手足の長さの差も対応と表示されている。宇宙服の上からお気に入りのTシャツを着込むのが旅行者の流行とか。
 ショーウインドウの端を見ると、昔風の宇宙服が飾ってあった。
 ソビエト連邦の徽章を付けた服があった。1965年、史上初の宇宙遊泳を行った宇宙服のレプリカだ。しかし、これを着て宇宙へ出るのは、かなり勇気がいる。当時は服の生地が悪く、真空中で服がバルーン状にふくらんでしまった。外に出たレオーノフ飛行士は宇宙船に帰れない事態になりかけた。
 そのとなりは、アポロ計画の宇宙服のレプリカがあった。ずいぶんごつい、相撲取りのような服だ。狭い月着陸船内で補助無しで脱ぎ着するのが前提のため、腰のジョイント部が大きめに作られている。
 さらに、映画『2001年宇宙の旅』の宇宙服のレプリカがあった。赤い色はボーマン船長が着ていた物だ。
「これはフェイクでしょ」
「いいや、ちゃんと使えるらしい。旅行客には人気らしいよ、月のティコ・クレーターで記念撮影とか」
 中田の説明に、アストロは首を傾げた。
「レンタルは後にして、会社へ行こう」
 中田が手引きする。アストロは赤い宇宙服に未練を残しつつ、店を離れた。

 商業ブロックにはオープンカフェやコンビニエンスストアもある。
 と、通路を走る一団とすれ違った。タンクトップにバンダナをして、ランニング中らしい。ちょっと近所迷惑な感じだ。
 足音がしないと気づき、アストロは自分のクツを見直した。
 頑丈に見えても、ステーションの床は薄い。歩いたり走ったりで、ステーションの構造が振動しないように柔らかな靴底なのだ。
 アストロは壁の表示に気付いた。右向きの矢印には『Light』とあり、左向きの矢印には『Heavy』とある。
「ステーションの回転方向に走ると体感重力が増して、より負荷をかけた運動ができる。逆方向に走れば、負荷の軽い運動になるんだ」
 中田が説明した。
 見ると、右向きの矢印の先にポスターが貼ってある。女性が笑顔で走る写真に『秒速60メートルで走れば、体重は0g!』と書いてある。
「うそっぽいなあ・・・」
 アストロは首を振りつつ暗算してみた。
 秒速60メートルは時速200キロ以上の速度、人間が走れる速度ではない。仮にできたとして、空気抵抗は問題だ、空気はステーションと一緒に回っている。秒速20メートルの風でも、人間の体は浮き上がってしまう。足が床から離れて、それ以上の加速はできない。
 ランニングの一団を思い出した。走る速度は秒速6メートルくらいだろう。重力の変化は1パーセントか、それ以下。速く走れば、効果は二乗倍で現れる。オリンピック級のアスリートになれば、1パーセントの違いもメダルの色に直結する問題だ。
「ここはリハビリ施設でもある。運動は推奨されてるよ」
「リハビリなんだ」
「長い無重力生活から、いきなり大気圏突入の減速加重で、骨折とか心臓麻痺とか、いやだからね」
 中田の説明にアストロは頷くばかり。
 低重力の宇宙ステーションや月での滞在任務は、ほとんどが半年から1年におよぶ。筋肉や骨格は大きな影響をうける。直行で地球に帰れば、指を動かすのも難しいと聞いていた。

 ぶ厚い気密ドアをくぐり、会社のある区画に入った。持ち込まれた機械などの事故を想定して、会社ごとに気密ドアで仕切られている。
 でも、アストロサルベージの事務所に気密ドアは薄かった。ぶ厚いドアが必要な機械類はドックの方にある。
 5メートル四方ほどの狭いオフィスだ。宇宙ステーションの賃貸料は高い、事務に回す経費は最小限である。
「よう、来たな。ちょうど作業が始まるところだ」
 壁掛けの3面大型ディスプレイの前で、技師長の伊沢が手招きした。
 社長は隅の丸イスに座る。作業の見守りでは技師長の方が上役だ。
 アストロは軽く挨拶して、技師長のとなりに座った。
「1秒遅れの画だが、たいした問題じゃない」
 伊沢はアストロを見ず、画面を注視したまま言った。
 中央の画面はSS1967Aの操縦室から外を撮っている。
 LP4ステーションが映っていた。大きな太陽電池パネルがトンボの羽のよう。トンボの尻尾に見えるのがアンテナ、長さは200メートル以上ある。
 右の画面ではシルバースターと地球、月とLP4の位置を表示。左では、本郷と佐川が作業用エアロックから出るところだ。
 トンボの足の一本が故障した生命維持システム、じわじわと接近して行く。
 佐川の手元にはタブレットがあり、本郷と佐川の宇宙服カメラからの画があった。
「これより、故障ユニットのキャプチャーを始める」
「了解」
 城野の報告に、伊沢が応えた。言葉は付け加えない、簡潔な会話だ。
 アストロは壁の端に小さな額を見つけた。祖父、城・キケロの写真が入っていた。祖父、城・キケロはアストロサルベージの発起人の一人、最大株主だった。
 ふと、奇妙な安堵をおぼえていた。家にいても、なかなか味わえない安らかさだ。
 父も母も、足が不自由なアストロを嫌った。兄弟たちも敬遠した。祖父だけが救いの手をさしのべてくれた。
 ここは爺ちゃんの会社だ・・・なつかしさを感じた。次ぎに、副社長という責任が肩にかかってきた。

 城野の操作でSS1967Aの作業用アームが伸びていく。
 5メートルのアルミパイプを2自由度の関節で3本つなぎ、先端には3自由度の関節をはさんで固定用フックがある。前世紀末のアメリカ・スペースシャトルからの業界標準の長さ。
「キャプチャーポイントを確認」
 アーム先端のカメラが故障ユニットへの接続点を見つけた。城野はアームを自動に切り替えた。
 席をとなりに移し、城野はもう一本のアームを起動した。運んで来た新しいユニットを動かす準備をする。
 本郷はアーム先端近くにいた。フックが接続して、マーカーの色が変わるのを目視で確認した。SS1967Aとステーションが物理的につながった。
「オーケイ、キャプチャーを確認した」
「了解」
 本郷は報告してから、ユニット全体を見渡した。一部のパネルがめくれていて、事故の深刻さがわかった。
「上へ5メートル」
 本郷が命じると、乗っていたHACが動いた。
 Handwork−Assistant−Craftを略してHACと呼んでいる。長さ2メートル、直径1メートルのビヤ樽型。船外作業を補助するロボット、と言う位置付けの機械。音声命令を受け、ガスジェットで移動する。強力な姿勢制御ジャイロを内蔵して、上に乗った人が踊っても、揺れは瞬時にキャンセルされる。
 実は、アストロが提案して作られた物だ。当初、姿勢制御は1秒単位で行っていた。が、乗った作業者は不快な振動と感じた。10分の1秒を単位にしても解決せず、30分の1秒単位の制御にして治まった。半年がかりの改修だった。今では、アストロサルベージにかけがえのないツールである。
「キャプチャーして、位置を固定」
 本郷の命令で、HACは蛇腹カバー付きの腕を伸ばした。ユニットの各所にある手すりをつかみ、位置を固定する。無重力での作業では、自己位置の固定が第一の手順である。
「アクセスパネルを開く」
 本郷は作業手順を復唱しながら進める。宇宙に泥棒はいない、アクセスパネルに鍵はかかっていない。
 ステーションとユニットの接続部が目視できた。バイザーのディスプレイに目的のハンドルが示される。
「ロックピンを抜く」
 ハンドル横の小さなピンを抜いた、小指ほどの物だ。ピンは紐でつながれ、どこかへ飛んでしまうのを防いでいる。
「ハンドルを回す」
 本郷は右手をハンドルにかけた。
 ネジを回す、ハンドルを回す、無重力では難しい作業である。回転反力が全て体にかかる。HACが体を支えていなければ、ハンドルを1回回すごとに体が1回転してしまう。
 ハンドルを回していく。ユニットとステーションの連結を緩める。
 どん!
 突然の衝撃に身をすくめた。
「ガス漏れ!」
 本郷は叫んだ。が、続く衝撃は無い。
「ガス噴出を確認、微少回転が発生。すでにキャンセル」
 城野から冷静な報告がきた。
 数回呼吸して、作業を再開。ハンドルを回しきると、ユニットとステーションの接合部にすき間ができたのを目視した。
「ユニットは外れた。引き出せる」
「了解」
 本郷は腕を引っ込め、アクセスパネルを閉じる。
 ユニットはアームに引かれて動き始めた。ユニットとステーションの接続部には、二重の気密ドアがある。さっき漏れたガスは気密ドアの間からだろう。
「HAC、キャプチャーオフ」
 本郷の命令に、HACは腕をユニットから外した。
 ユニットが2メートル以上離れた。
 本郷はステーションの接続部に半身を入れた。ハンドライトで照らし、目視で、手で触れて確認していく。
「こちらには・・・問題は見えない。ここに入れて良いだろう」
「了解」
 城野の復唱に、本郷は足元を見た。故障したユニットが離れていく。替わって、新しいユニットが近付いて来た。

 ふう、伊沢はひたいの汗をぬぐった。
「ひと山越えた・・・」
 外した場所に新しいユニットを入れる、作業量が最小限で済む事になった。別の場所に入れるとなれば、ステーション内部で大掛かりな作業が発生して、大騒ぎになっていた。
 マグカップのコーヒーを飲み、伊沢はアストロに顔を向けた。
「ここから先は、素人さんには退屈だ。自分の仕事につきな」
「退屈?」
「新しいユニットを接続作業で壊したら、それこそ大問題さ。3倍の時間をかけて、ゆっくり進める」
「3倍・・・」
 中田がアストロの肩をたたいた。伊沢は笑顔で手を振った。

「この部屋を使ってくれ。荷物は運び込んだ。副社長だから、広めの部屋だよ」
 中田は案内したのは三畳ほどの部屋だ。宇宙ステーションでは、個人に割り当てられる部屋としては広いほうだった。
 折りたたみベッドを半分出すと、3人がけの長イスになる。全部出せば、小さめのセミダブルか。低反発マットレスは宇宙ステーションの標準装備、ついさっきまで無重力の空間にいた者への配慮だ。
 長イスの端に腰かけると、アストロの足は床から浮いた。腰の補助具を外して、やっと一息ついた。
 壁から折りたたみのテーブルを出す。トランクを開け、祖父の写真を出して置いた。


4.


 アストロは気密ドックにいた。ここならパワーアシストの補助具無しで歩ける、居心地の良い空間だ。
 伊沢らと共に、荷ほどきをする。地球から持ち込んだ新しい道具だ。
「あいつら、帰って来たってよ。ガス抜きには数時間かかるかな」
 伊沢が手元の通信機を見て言った。
 宇宙船がエアロックに入っても、すぐにはドックに移れない。エアロックに空気を入れる前に、タンクから燃料を抜いて不燃ガスを入れる。火災防止の手順だ。姿勢制御用ジェットのガスも抜く、ドック内で漏れたら事故につながる。
 LP4ステーションから持ち帰ったユニットからもガスを抜く。事故で損傷した物は特に要注意。真空から大気圧のある場所に入ると、バルブやパイプが歪み、そこからガス漏れが起きる場合もある。
 本郷と城野が来た。ガス抜きの立ち合いは佐川にまかせたらしい。
「よう、お帰り。城・アストロ副社長がご降臨だ。あいさつしときな」
 伊沢は二人にアストロを紹介した。
 スタイル良いなあ・・・本郷の立ち姿を見て、アストロは憧れに似た感情をおぼえた。体育会系の逆三角形、筋肉質な体だ。
 城野は首を傾げていた。アストロの短足なプロポーションが不自然に見えた。腰から上だけなら、普通の人と同じなのに。
「副社長は地上勤務だけと思ってた。まだ学校に通ってる年頃だろう」
 本郷がニヤニヤ笑いで語りかけた。
「大学なら卒業したよ、工学博士号も取った。HACの設計が卒論さ」
「はかせ・・・HACを?」
 本郷の口が開きっぱなしになった。
「今回は、こいつのテストが一番の目的。よろしく」
 アストロはほどかれた荷物をたたいた。
 MS−3は3本のマニピュレーターを備えているので、この名前を付けた。1本で衛星をキャプチャー、相対位置を固定する。あと2本で各種の精密作業を行う。1960年代アメリカのマーキュリーカプセルほどの大きさ、後部のドッキングベイから乗り降りする。内部には少し余裕の空間を作り、宇宙服に替わる長時間船外活動用を目差す。
 CD−1は無人機。遠隔操縦で衛星を回収したり、燃料を補充したりする。人工衛星の燃料補充は危険な仕事で、これまでは使い捨てされてきた。アストロサルベージは衛星の回収と修理に道筋をつけてきた。回収せずに、衛星軌道上で燃料だけを補充して、衛星の寿命を延ばそうとする試みだ。
「業務拡大ですか。さすが、副社長ですねえ」
 城野は新しい機械を見て、またアストロを見た。足は短く背も低いが、二十歳前ながら副社長で工学博士だ。

 本郷は1G区画にある事務所に行った。機長として、コンピュータに向かって報告書をまとめる。
「お前の文章は分かりやすいなあ」
 中田は途中まで書かれた報告書を評した。
「小学生の作文なみだ。これも才能かもしれないが」
 本郷は口を尖らせる。が、反論はしない。自分の価値は報告書の読みやすさではなく、パイロットの実力と割り切っている。
 エンターキーを押し、報告書の入力を終えた。ふう、と肩で息をつく。定型文ばかりながら、脳みそが筋肉痛を起こしかけた。
「回収したユニットは、どうなるんですか?」
「事故調査に回すよ。交渉中だが、赤字にはならないだろう。回収実績が1件積み上がったと思えば良い」
 本郷は肩を落とした。今回の仕事でボーナスは無いらしい。
「新しい機械だが、テストに立ち会いたい、と副社長が言ってる」
「立ち会う?」
 本郷は上を見て、首を回す。
「副社長が乗るのは良いとして、機長は俺ですね」
「もちろん、本郷武司が機長だ」
 中田の回答に本郷は頷く。
「副社長はどんな資格で乗るんです」
「現在、城・アストロ氏は宇宙空間における技術資格を何も持っていない。単なるオブザーバーさ」
「オブザーバー・・・」
 本郷は首を傾げて復唱した。
 どんな場面で新しい機械を使うか、その辺が想像つかない。現場の人間としては、すべて習うより慣れろでやってきた。今回も同様に対処するしかない。
 新しい機械を使ってみる、これは業務命令だ。ただし、以後も使えるか否か、判断するのは現場の者。

 城野はMS−3に乗ってみた。
 操作グローブを着け、マニピュレーターを動かす。足元のスイッチでグローブ操作をオンオフとできた。
「どう?」
「いいかも。これでなら、あたしも船外活動に出られるわ。ノーマルスーツなんか着ると、鼻がかゆくなっても、クシャミがでそうになっても対処不能だもんね」
 城野の答えにアストロは苦笑した。
 現状、アストロサルベージのパイロットは3人。1人が病気で欠けても、仕事に支障がでる。船外活動のハードルを下げられたら、より幅広い分野から人材を確保できるはずだ。
 城野は振り返り、アストロの足を見た。
「あんたの足、病気? 治らないの?」
「これは小学校に入る前からだから、今さら伸びないよ」
 そっかー、と城野は首をひねる。
「もし、宇宙船に乗るなら、重り入りのクツが必要かもね。無重力の中でも、体の姿勢を制御するのは足よ。足が軽過ぎると、腕が疲れてしまうわ」
「ぼくは上体に比べて足が軽い、それは確かだ。で、足に重りを・・・なるほど、モーメントをかせいで体を振るわけだ」
 城野のアドバイスを力学的に解釈、アストロは何度も頷いた。
「障害は足だけ?」
 城野は指でアストロの体をなぞる。胸から腹へ、へそ下へ。
 アストロは首を振り、自分で頭を指した。
「そうだね、あるとすればここだ」
「頭!」
「足以上に、ここが不自由と感じてます」
 アストロの答えに、城野は笑った。笑いながら、自分の胸を指した。
「あたしも、実はここが不自由と感じてます。役に立たない肉のかたまりが、左右で1キロ以上も」
「そんな事はないでしょ。役に立たないなんて、もったいない」
 アストロは懸命に首を振った。
 城野のバストは90センチを余裕で越え、1メートルに迫る大物であった。上下つなぎの作業服を着ていても、そのボリュームをかくす事はできない。

 アストロは宇宙服レンタルショップに行った。
 あれこれ試して、着られる組み合わせを見つけた。大人用の上半身と子供用の下半身、短めの手袋と長めのクツ。店員も初めての組み合わせに苦労の様子。
 しかし、ここは1Gの区画だ。全てを着込んだアストロは、イスから立ち上がれなかった。
「大丈夫、初めてで立ち上がれる方は多くありません。慣れが必要です」
 店員がなぐさめてくれた。
 座ったまま説明をうけた。胸のユニットからホースを引き出した。
「この服にはAE−3標準コネクターがあります、長さは60センチ。宇宙船では座席のコネクターにつなぎます。酸素と電気をもらい、通信もできます。他の宇宙服につないで、酸素と電気をやり取りできますよ」
 AE−3コネクターは、それ同士で連結可能だ。酸素を喪失した宇宙服へ、緊急補給にも使われる。
「二酸化炭素の吸収器は使い捨てですが、ゴミ箱へ捨ててはいけません。必ず専用のリサイクルボックスへお願いします」
「吸収器をリサイクルですか」
「二酸化炭素もリサイクルします。ステーションの農場で野菜を育ててます」
「野菜を作ってるんだ」
 アストロは見取り図を頭に浮かべ、農場があったのを思い出した。
 人間に比べ、植物は濃い二酸化炭素の中でも生きられる。適切な光源の下、濃い二酸化炭素は光合成の効率を高める。酸素と食料を同時に得ることが可能だ。ただし、農場へ入るには気密服を着る必要がある。農場の空気は二酸化炭素が濃い、人が吸うと瞬間的に失神するほどだ。
「外での活動は1時間以内です。30分目に1回目の警報が出ます」
 アストロは説明に頷いた。船から出て30分なら、もどるにも30分かかるとの計算だ。
「通信機は送るデータを設定できます。標準では呼吸と心拍、酸素残量と電池残量、宇宙服内の気圧と温度です」
 いろいろできるんだなあ、アストロは感心した。
 宇宙服は最小単位の宇宙船、と祖父は言っていた。布切れ一枚の向こうは真空の宇宙だが、つい人間は地球の野原にいるような気分になってしまう・・・らしい。

 会議が開かれた。
「次の飛行計画は、UFO分類からBM737AXの回収としたい」
 社長の中田が静かに言った。
「UFO?」
「アンアンデンティファイド・フライング・オブジェクト、帰属不明・・・又は所有者不明の飛行物体だ」
「所有者が不明・・・」
 アストロの疑問に、中田はていねいな説明。地上と宇宙では、言葉の使い方が違う場合がある。
 背後の壁の画面に、BM737AXの軌道が表示された。楕円軌道だが、最低高度は150キロ以下だ。
「確認されてから、半世紀も前から飛んでるやつだ。先月、デブリと衝突したのか、急に最低高度が下がってしまった。遠からず、墜落するだろう。大きさは直径2メートルの高さ4メートル、重さは1トン以上と推定される」
「でかいな・・・」
 本郷がつぶやいた。
「どこの依頼ですか?」
「まだ、来てない。これは当社が独自の判断で行う仕事だ」
「依頼が・・・無い?」
 城野が目を丸くする。
「破片が燃え尽きず、地上に達する危険性があるなら、そのうち依頼が来るでしょ」
「当社は零細企業だ。待っていても依頼は来ない。空いた時間に回収実績を積み上げて、次なる大仕事の依頼に備えるのだ」
「そうすね・・・」
 佐川は肩を落とした。今期のボーナスは期待外れに終わるだろう。
「まずは調査だ」
 伊沢がダミ声で活を入れる。
「それで危険なヤツと分かったら、公的機関から小遣いくらいは出るさ」
 本郷が立ち上がる。天井を指して、ゴーの合図をした。天井の先は宇宙船のある気密ドックだ。
「で、どんな装備を持って行く?」
「ありったけだ。向こうの状態がわからない。縄でくくるか、風呂敷に包むか、やり方は行って見て決める」
「そだね」
 現場作業員の会話は簡潔だ。
 アストロは胸が高鳴る。MS−3とCD−1の出番が早くも来そうだ。

 ドックへ行く途中、アストロはコンビニに寄った。遠足のおやつを買いに、そんなつもりだった。
 城野がいた。紙おむつの棚で物色中だ。
「おお、あんたも何枚か買っておきなよ」
「お爺ちゃんのオムツは、何回か買い出しに行ったけど」
 病院へ祖父を見舞った時、よく看護師からオムツの残り数を指摘された。その度、売店へ行って買った。
 地球から乗ったシャトルにはトイレがあった。アストロサルベージのSS1967Aにもトイレはある。宇宙でオムツの必要性が思い付かなかった。
「無重力の空間では、膀胱や腸の感覚が鈍くなるの。おしっこやウンチが腹に溜まっていても、体が気付かないのは日常よ。で、不意に暴発するのよね・・・それへの備えよ」
「暴発・・・するんだ」
 経験者は語る、城野の言葉には重みがあった。
「出発前に下剤を飲んだり、浣腸する人もいるみたい。あたしは、そーゆーのは、ちょっとねえ」
 へへへっ、城野は口を歪めて笑った。
 アストロは肯きだけを返す、女性の口からは聞きたくない話題だ。気を取り直し、棚のオムツを手に取る。
「カーダシアン? トイレの芳香剤みたいなブランドだな」
「下着メーカーとして有名だよ。ちなみに、トイレに置くのはシャルダンね」
 現代につながる紙オムツのルーツは、アメリカのジェミニ計画だった。その前、マーキュリー計画では、飛行士はオムツ無しでカプセルに乗った。乗って長時間待たされ、飛行服の中に放尿した飛行士の逸話は映画で取り上げられた。
 飛行時間が長くなるジェミニ計画、1週間以上かかる月着陸のアポロ計画では、下の問題は切実だった。逆流しない、臭いがしない紙オムツが開発されて、なんとか月着陸計画は実行できた。
 アストロは別のオムツも手にして見る。
「おなら吸収、ウンチポケット付き・・・臭い漏れ防止」
 大便は強酸性、長時間肌に触れるとかぶれてしまう。それを避ける工夫がなされたオムツのようだ。
 船外活動中に便意を感じても、トイレは遠い。宇宙服を脱ぐ手間は多く、時間がかかる。オムツの必要性は納得できた。

 小学校に上がる頃、アストロの足の障害は本格化していた。
 授業中に便意を感じた。がまんして、休み時間にトイレに行こうとして・・・早く歩けないため、廊下で脱糞してしまった。以後、臭いといじめられた。
 母は顔を赤くして怒った。兄弟は無視した。
 が、祖父は笑顔を崩さなかった。
「徳川家康は武田軍と戦って負けた。逃げ帰る途中、馬上で脱糞したとは有名な話だ」
 アストロに偉人伝を渡して、多くの話をしてくれた。
「脱糞して城に帰って、自分の情けない姿を絵にして残した。しかし、後に江戸幕府を起こし、日本の頂点に立った」
 祖父の勧めで、アストロは多くの伝記を読んだ。
 中でも感銘を受けたのは科学者の伝記だった。教会の天井のシャンデリアが揺れるのに着目したガリレオ、プリズムの分光に魅せられたニュートン、磁石とコイルの関係に注目したファラデー、スイッチと発生する電磁波の間に立つマックスウェル・・・科学の歴史にのめり込んだ。
 そして、科学の道へ進んだ。理論科学よりは実験科学の方が好きだった。実験装置を組むのが楽しくて、祖父の会社の技術部へ通うようになった。自分のための歩行補助具を作り、宇宙船の習作としてHACを作った。



5.



「アストロサルベージSS1967A、準備よし」
 本郷が機長として宣した。
「ゲート開放、開度10メートル」
 管制から応答がきた。前方の扉が振動も無く開いていく。
 今回、SS1967Aの荷台にはMS−3とCD−1が載っている。機会があれば、回収作業に使う。機体下面に補助タンクは無し、クリーンな見かけ。
 MS−3は荷台側の作業用エアロックに直結させた。外への扉は2カ所あるので、人の出入りに問題は無い。
 乗組員は4人、いつもの3人に城・アストロが加わった。乗り込む前にレンタルの宇宙服を着込んで、やる気は満々だ。
 宇宙船の全体がエアロックの外に出た。窓から見る星はほぼ静止している。
「姿勢制御ジャイロ、起動」
 城野がコクピットの表示を読んだ。
 予定航路が表示されて、それに向かって機首が向きを変えていく。ガスジェットでの方位変更ではなく、強力なジャイロによる姿勢制御だ。
「エンジン点火・・・出力上昇・・・3、2、1」
「ゴーッ!」
 本郷の声とともに、SS1967Aは加速した。地球へ向かい、一気に高度を下げる。

 他の衛星の軌道に合わせる・・・本来、これは楽な作業ではない。
 アストロサルベージは衛星の回収作業を繰り返し、ノウハウを積み上げてきた。かなり燃料を消費したが、地球を数周してBM737AXの軌道に合わせた。それでも、半日がかりだ。
 アストロは宇宙服を脱ぎ、楽な服装で過ごしていた。他の3人が食事らしい食事を取らないのに気付いた。時々、飲み物を口にする程度だ。
 無重力では筋肉の運動量が減る。それに合わせて、摂取する食事を調整していた。
 トイレを使い、なんとか小用をすませた。バキュームが心地良くない。大のほうは便意が来ない、無重力に腸が慣れてないせいか。
 一応、ウオッシュレットなのだが、水の勢いが弱い。無重力ゆえ、水が飛び散らないように配慮されていた。

「レーダーが目標を捕捉。方位12時、距離10キロ、相対速度は10メートル毎秒」
 城野がコクピットの表示を読む。
 本郷と佐川はトイレを済ませて宇宙服を着込み、船外活動の準備を始めた。
 アストロは空いた右側操縦席に座る。地球と宇宙の境目を見るけれど、長さ4メートルほどの目標を肉眼で確認できる距離ではない。
 光学カメラの望遠レンズが目標を捉えた。
「へんな形だな」
 アストロは映像を見てつぶやいた。
 ロッドアンテナは無いようだ、展開した太陽電池パネルも無い。長期に軌道上で稼働する衛星は、電力を確保するため太陽電池パネルを翼のように展開する物が多い。打ち上げて、アンテナや電池パネルの展開ができず、機能を停止した衛星の事例は数知れない。
 色は黒っぽい、やや赤みがかかっている。高度150キロ以上であるが、完全な真空ではない。時々、酸素原子や窒素原子が飛んでいる。強い紫外線で、衛星の表面はぶつかった酸素や窒素と化学反応を起こす。半世紀以上前と推測される衛星は、変色していて当然だ。
「距離100メートル、相対速度は10センチ毎秒、接近中」
 城野が表示を読んだ。
「あれは・・・」
 アストロは肉眼で目標を見た。
 高さ2メートルほどの円筒形を台にして、三角錐が並んでいる。片側から見える三角錐は3個だが、向こう側を合わせて5個ありそうだ。
「キャプチャーポイントを探して、次はガスチェックだ。アームを起動する」
 操縦席の後方で、本郷は作業用アームのスイッチを入れた。アームの先端にはカメラがある。機能を停止した衛星では、回収前にガスの残りを調べる必要がある。
 人工衛星の軌道用ロケットは、燃料に人体へ有毒なガスを用いてる場合がある。そんなガスを残したままでは、シルバースターに持ち帰りはNGだ。ガスが抜けない場合は、燃料タンクを外して気密コンテナにいれる。または、タンクを大気圏に落として燃やしてしまう。
「距離15メートル、相対速度は微速」
 城野が言った。微速とは秒速1センチ以下の事。
 目標の衛星は荷台の真上にある。
 アストロは操縦席を離れた。本郷と佐川の間に入り、作業用窓から目標を直で見た。
 本郷はレバーを操作し、アームを伸ばした。先端のカメラが目標をアップで撮る。
「標章らしき物があるけど、すっかり焼けてしまって・・・読めない。さすが半世紀前だ」
 表面の金属プレートは半分焼け、半分溶けたようになっている。文字を復元して、持ち主の特定は不可能そうだ。
「いかんなあ、キャプチャーポイントは見つからない。古いやつだし、しかたないか」
「あの梁に見えるところ、つかめそうだが」
「年季が入ってるし、もろくなってると思わなきゃ」
 佐川の指摘に、本郷は首を振った。
 三角錐が並ぶ反対の面は内部の機械がむき出しだ。カバーが脱落したのだろうか。おかげで、十字の梁が見えた。
 佐川がレバーを操作、もう1本のアームが接近する。2本のアームで目標をはさみ、X線カメラの準備ができた。
「内部スキャンを始める」
 本郷がX線カメラを起動した。
 アストロは操縦席にもどる。あらゆる機械に囲まれた席、訓練をうけたパイロットでもスイッチを探して右往左往する場合がある。
「作業のデータはシルバースターに行ってるよね」
 不安にかられ、城野に知っているはずの事を問う。
「会社で全部見張ってるよ」
「社長も見てるね」
「トイレに行ってなければ」
 城野は笑みをうかべている。仕事は相対位置を維持する、それに徹していた。

 シルバースターのアストロサルベージ事務所、伊沢は爪を噛んで画面の作業を見ていた。
 中田は管制室に電話を入れる。頭をかき、ムナトモの応答を待っていた。

 X線スキャンが終わった。
 2次元の画像データから3次元のデータを組む。医療用ほどの精密なデータではないが、目標の内部に見当はつけられる。
「少し奥だが、大きいのと小さいのと燃料タンクがあるぞ」
「泡がある。ガスが残ってるんだ」
 本郷と佐川は台に見える部分に注目している。
 アストロは三角錐の方に関心を向けた。丸い球形の構造の中、キラキラ、光っているような反応がある。
「何かのデータエラー? 内部からX線が出ているみたい」
 5本の三角錐、全てで同様の反応がある。アストロが見入る画面に、城野が興味を示した。
「原子力バッテリーかも。でも、変な構造だ」
 本郷も首をひねった。
 人工衛星に原子力バッテリーを積んだのは20世紀の末、ソビエトの軍事衛星だった。カナダに落下して、騒ぎになった。
 太陽電池が使えないは外惑星探査機に原子力バッテリーは必須だ。木星から海王星へ飛んだボイジャー、土星と衛星を調べたカッシーニなど、事例は多い。原子炉が放つ放射線から観測機器を守るため、原子力バッテリーは細くのばしたアームの先端に着けられた。
「模擬弾じゃない。全部・・・本物だ」
 アストロは自分の知識を総動員して考えていた。宇宙開発の初期の初期、それは兵器開発だった。
 原子力バッテリーよりも早く宇宙を飛んだ核物質入りの物体は・・・ICBM、大陸間弾道ミサイルの弾頭だ。
「みんな落ち着いて。ぼくらが見ているのは原子爆弾だ。あの三角コーンそれぞれが、独立して大気圏再突入して、地上の目標を狙うミサイルの最上段だよ」
「まさか・・・」
 アストロの言葉に、城野は即座に疑念を返した。
「色んな衛星を見てきたけど、確かに、こいつは変わってる・・・普通じゃない」
 本郷は半信半疑のよう。
「ミサイルなんてやつ、衛星軌道にのるなんて・・・あり得ないんでないかい」
 佐川が具体的な疑問をぶつけてきた。
「初期のミサイルはロケットのパワーがぎりぎりだった。でも、パワーが十分になると、単純な弾道軌道ではなく、1000キロ以上の最大高度をとったり、大気圏ぎりぎりを飛んだりする戦術が現れた。でも、そんなのが制御をミスれば、たちまち衛星軌道で行方不明になってしまうだろうね」
 アストロは真顔で主張した。回収作業の経験は無いが、歴史的な知識には自信があった。
 本郷は首を振る。通信機をオンにした。オフにしていても、こちらの会話は全て会社に行っている。会話を求める時、オンとする。
「社長、オブザーバーが何か言ってますよ」
「おう」
 中田の声が返ってきた。
「調査中だが、副社長の見解は当たりだろう。今、管制と協議してる。それで、どうするか決める。しばらく待機してろ」
「マジすか・・・」
 本郷はアストロを見直した。
「で、どうするの?」
 城野がため息で言った。
「どうもこうも無い。原爆なら、ここにいる必要は無い。爆弾の回収や解体だのは、おれらの仕事じゃない。原爆の間近で待機なんて、おれは御免だね」
 本郷の訴えに、佐川は耳に手をあてた。
「大声出すな、狭いところで」
 宇宙船の外は真空だ。内部で発生した音は外板に当たっても、外へ出て行くことができない。ほぼ100パーセントが内部へ反響する。

 I.C.P.O.(InterPlanet CosmoTraffic Patronize Organization)惑星間航路支援機構はオーストリアのウイーンに本部がある。地球軌道の人工衛星から惑星間宇宙船まで、宇宙で発生する各種の問題に対処する国際機関だ。
 緊急会議が招集され、各国の大使が会議室に集まっていた。
 議場の大スクリーンにはアストロサルベージが提供した映像があった。
 高度200キロの宇宙、地球を背に黒ずんだ衛星がある。
「本物かね、これは・・・」
「前世紀の遺物だな」
「このまま衛星軌道に捨て置く訳にはいかない。落下の危険がある。回収の手立てを考えなくては」
 会議室に沈黙が流れた。
 テーブルに赤い旗を立てた国の大使が口を開いた。にやにや笑いがアゴ下の肉を揺らした。
「多弾頭核ミサイルを開発、保有できた国は限られている。回収されては困る国があるんじゃないかね」
 星とストライプの旗の国の大使が応じた。
「その通り! 現に、某国が演習と称して弾道ミサイルを打ち上げ、その後、ミサイルを行方不明で放置した事を、我が国は把握している」
「ふんっ、どこかの国は、水爆搭載爆撃機が墜落しても、全ての水爆を海底から回収できずに放置した」
「どこの国とは言わないが、核ミサイル搭載の原子力潜水艦が修理ドックで爆発しても、放射線漏洩に対する適切な処置を怠った事例がある」
 丁々発止で火花が飛ぶ。が、議論があさっての方へずれていく。
「止めて下さい。ここは国家間の争いの場ではありません!」
 議長が悲鳴に近い声を上げた。

 アストロサルベージの事務所には、特別にI.C.P.O.議事の中継が許されていた。
 はあ・・・伊沢は首を振って息をついた。
「何か結論が出るのに、何年かかるかね」
「墜落するまで、何も決まらないかもな」
 中田も肩を落とした。
「連中、呼び戻したら?」
 伊沢の提案に、中田は首を振る。
「あれを発見したのはウチだからなあ。何もできません、はいサヨナラ、て訳にはいかんよ」

 誤って衛星軌道にのってしまった弾道ミサイルの最上段、とアストロは推測した。が、アメリカとソビエトが冷戦で対峙していた時代、もっと過激なプランがあった。衛星軌道上に核ミサイルを待機させておくのだ。大陸間弾道ミサイルは発射から着弾まで1時間かかる。衛星軌道から落とすなら、地球上のどこを狙っても30分以内だ。
 潜水艦発射弾道ミサイルが実用化されると、衛星軌道上待機ミサイルは立ち消えになった。当時の技術では、衛星軌道上のミサイルはメンテナンス不能だった。
 1983年、レーガン大統領がSDI構想を発表して、衛星軌道待機原爆は復活しかけた。様々なプランの中に、上昇してくる敵国の弾道ミサイルを、衛星軌道で待機している原爆で撃ち落とす計画があった。構想が実現する前にソビエトが崩壊した。原爆が衛星軌道に乗る事は無かった・・・はずだった。



6.


 SS1967Aは核弾頭から100メートルほど離れ、軌道を維持していた。
 無重力の中での待機、アストロは仮眠をとった。夢を見た・・・なつかしい祖父の顔がよみがえった。

 初めて着けたパワーアシストの歩行補助具には慣れる事ができなかった。ぎしぎし、妙な軋み音を発する機械もきらいだった。
 でも、贈ってくれた祖父への恩は感じた。
「お爺ちゃんは、昔、宇宙へ行ったんだね」
「おう、バリバリのアストロノーツだった。月へも火星へも行った」
「ぼくも行ってみたい」
「アストロは行くべきだ。宇宙では、そんな機械に頼らずに歩けるところがある」
 祖父の言葉は希望だった。
「アストロノーツにとって大事な事は、何だと思う?」
「確実な仕事とか・・・」
「何より大事なのは、生きて帰る事だ」
「生きて帰る・・・」
「宇宙は真空で無重力だが、人間は空気があり重力がある場所で進化してきた。環境に対する認識には誤差が生じやすい。任務の遂行は副次的な事だ。成功も失敗もすべて持ち帰り、次ぎに行く者のための教訓としなければならない」
「失敗を持ち帰るなんて、ちょっと・・・」
「その覚悟ができて、初めて宇宙へ行く資格を得られる」
 ぎしっ、補助具がきしんだ。
 アストロは祖父の会社へ行き、技術部で補助具の改良に着手した。

 アストロは目を開けた。操縦室の下の部屋、仮眠用ベッド・・・と言うより、寝袋の中。寝ぼけてもケガしないよう、周囲はクッションの壁で囲まれている。
 上半身を寝袋から出し、バッグの中から個人使用のコンピューターを取り出す。いくつかの計算を始めた。
 ブーン・・・トイレで鳴っていたバキューム音が止まった。ドアは薄く、中の音はだだ漏れだ。水と臭いの漏れを防いで良しとしている。
 城野がトイレから出てきた。
「何してんの?」
「ちょっと・・・ね。うん、いけるぞ」
 アストロは計算の結果に拳をつくった。
 寝袋から出て、操縦室へ行く。本郷と佐川がいた。城野も来た。
「聞いて、あの原爆を処分できる」
「しょぶん?」
 即座にネガティブな声が返ってきた。
「重量を計算した。CD−1を原爆にくくり付けて、 第2宇宙速度以上に加速できる。地球圏の外へ、太陽に向かって打ち出す」
「太陽に向かって・・・」
 本郷が目を剥いた。興味を引いたようだ。
「問題は、どうやって原爆をCD−1にくくり付けるか。しっかり固定できないと、加速もままならない」
 佐川は首を傾げた。城野は頭をかいた。
 ふむふむ、本郷は頷く。
「良いねえ、気に入った。さすが、アストロサルベージの副社長が出すプランだ。しかし・・・」
 本郷は笑うと、真顔になって通信機をオンにした。
「社長、聞いてたかい? オブザーバーが提案してくれたけど、機長として、実行しかねるプランなんだが」
「おう、聞いていたぞ。確かに、問題だらけのプランだ」
 中田の声に、アストロは胸をおさえた。
「最大の問題は、会社の財産を宇宙に捨てるところだ」
「捨てる・・・」
 アストロは言葉が返せなかった。原爆を処分する手段に集中して、会社が被る損害を考慮してなかった。作ったばかりのCD−1を原爆もろとも太陽に打ち込む・・・アストロサルベージは資産を捨てる事になる。保険はかかっているが、原爆の処分で使うのは契約外とされる可能性が高い。
「アストロサルベージは営利企業だ、ボランティアではない。こういう場合、特別損失として計上するのが普通だが。明らかに経営責任を問われる事態だ」
 社長は冷徹に語る。感情を廃して、機械の録音ようにも聞こえた。
 むむむ・・・反論すべきか、アストロは少し迷った。でも、腹にため込むのは良くない。
「そうです、これはボランティアです。でも、原爆を軌道上に残したら、地上に落ちて爆発したら・・・将来の顧客に損害が出ます。顧客がいなければ、仕事の依頼も来ません」
「将来の・・・か。もし、したら・・・と、たらればの話しばかりだな。会社経営からは不確実性を極力排除しなければならないのだが、時にはロマンを胸に抱く事も必要だ」
「ロマン・・・」
 社長の言葉が変わった。
「かつて、ニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着水する出来事があった。それを見たフェリーの船長は定期便の運行を放棄して、旅客機の救助に向かった。船長を動かしたのは心のロマンだった・・・ううむ、特別損失で悩むのは経営者の仕事だ。実際に処分が可能か否かは、現場の判断にまかせる。通信、終わり」
 通信が切れた。会話の必要が無いというだけ、マイクが拾う音声は会社に行っている。
「まかせる・・・よぉし、まかせられたぜ!」
 本郷が拳を奮わせた。
 今度はアストロが制止にはいる。
「だから、どうやってCD−1と原爆をつなぐかで」
「古い不定形の衛星を回収するのは慣れてる。ラップして、ネットでくくれば良いさ」
「ラップ・・・ネット?」
「古い日本語で表現するなら、風呂敷に包んで肩にかついで、ぽいってね」
 アストロは驚いた。本郷の回答があきれるほど簡潔だった。
「さあ、始めよう。しかし、非常事態に備え、全員が気密服を着るべきだ」
 機長の命令、全員が・・・4人が動いた。
 アストロはCD−1の操作盤に向かい、機能が完全なのを確かめた。メモリーカードを挿して、原爆を第2宇宙速度以上に加速するプログラムを転送した。
 このプログラムはシルバースターの会社にも送る。検証を受けなければ、処分作業は始められない。

 会社から応答があった。アストロのプログラムは、想定通りに原爆を地球圏の外へ出せる。
 管制は何も言ってこない。I.C.P.O.の本部からは、許可も不許可も来ない。となれば、あとは現場の判断だ。
 再度、SS1967Aは原爆衛星に寄った。
 城野は操縦席、原爆と10メートルの距離を維持する。佐川はアームを操作、その先端にはラップフィルムのロールがある。
 本郷はHACに乗って船外作業だ。
 アストロはアーム操作盤横で作業を見守る。
 本郷は原爆の三角コーンに触れてみた。
「おっとと、一つがグラグラだ。ラッピングは固めにしなくちゃ」
 本郷は手を離した。強く押しては、原爆が振動してしまう。真空と無重力の宇宙では、振動は減衰せずに続く運動だ。
 ラップのロールに手を伸ばし、フィルムを引き出した。
 佐川はレバーを操作する。アームがぐるりと原爆を一周した。
 本郷がフィルムの端をおさえていたので、ラップフィルムが原爆を一巻きした。
 くるりくるり、アームが原爆を回る。フィルムは原爆を包んで、白いのり巻き状になった。
「もういいだろう。フィルムを切る」
 本郷は手でフィルムをちぎった。ビリビリちぎって、ロールを原爆から離した。
 腰の袋から押し固められたネットを出した。足元のHACにネットの端をかけ、ゆっくりとネットを広げていく。
 佐川はもう一本のアームを起動した。荷台のCD−1のキャプチャーポイントにアーム先端のフックをかけた。
「CD−1の固定を解除する」
 スイッチを操作して、荷台の固定索を外した。
「CD−1を移動する」
 佐川は作業を復唱しながら、レバーを動かした。CD−1が荷台から浮いた。
 城野は操縦席で緊張していた。荷台から大きな質量が動けば、反動で宇宙船も動く。相対位置を保持するのは重要なテクニックだ。
 アストロは作業を見守る。宇宙での作業に必要な社内資格が無い。

 本郷はラップされた原爆にネットをかぶせた。二重にぐるぐるだ。
 ラップロールを付けたアームが遠くなり、CD−1が近付いてきた。
「あと1メートル、ゆっくり・・・ゆっくり」
 北郷の手信号に従い、佐川がアームを操作する。
「あと50センチ、もうちょい」
 佐川はレバー操作設定ダイヤルを小にした。センチ刻みの操作が可能になる。
 CD−1を原爆にぶつける事はできない。無重力の場では、大事な荷物を突き飛ばすだけだ。
「ストップ!」
 本郷は言った。HACからCD−1へ足場を移した。腰のベルトからフックをのばし、CD−1につないだ。HACは腕をのばし、CD−1の手すりをつかむ。
 ネットの端を引いて、CD−1のキャプチャーハンドの爪にかける。ネットの3カ所をCD−1につなぐと、原爆が密着した。
「結束バンドでネットを固定する」
 腰の袋から結束バンドを出す。ネットと爪を固く結ぶ。
「もう、いいだろう。起動してくれ」
「了解!」
 佐川はCD−1の操作盤の電源を入れた。安全のため、結束作業の間は電源を落としていた。
「そちらの操作盤で確認できるはずだ」
「了解」
 佐川の指摘に従い、本郷はCD−1のカバーを開いた。操作盤が表に出た。
「メイン電源、オン。姿勢制御ジャイロ、起動。現在位置、読み込み中。燃料バルブ、閉鎖。燃料ポンプ、起動・・・あれ、何か変だ」
 本郷は表示を読みつつ、手を止めた。奇妙な振動を感じた。
 佐川は異常を見つけていた。
「原爆の方だ、ラップがふくらんでる!」
「えっ?」
 佐川の指摘に、本郷は顔を上げた。CD−1の操作盤に集中して、原爆から目を離していた。
 ラップの腹がふくらんでいた。ネットがのびて、バルーンのようになっている。
「ガス漏れ!」
 本郷は叫んだ。フィルムのすき間からガスが出ている。原爆が大きく揺れた。
「キャプチャーオフ!」
 佐川はCD−1を放した。ガス漏れに対する標準的な避難法である。アームは無重力で使うよう設計されていて、ガス漏れのパワーを吸収しきれない場合がある。アームが折れたら、それが機体に当たる場合もある。
 城野の操縦でSS1967Aは原爆から離れた。衝突を避けるための手順だ。
「回転が始まった、かなり速い」
 本郷はCD−1にしがみつく。と、操作盤は姿勢制御中を表示していた。ガスの噴出は続いているが、さほど回転は加速しない。CD−1の姿勢制御が反力となっている。
 窓から見れば、原爆とCD−1は回転しながら小さくなっていった。
「なぜ放したの、助けないの?」
 アストロは叫んだ。佐川は冷静に肯きを返す。
「ちゃんと見てる。レーダーもある、見失ってない」
 佐川と城野には、こんな事態は経験済みの事。ガスの噴出が収まるのを待っているだけ。
 が、アストロはあわてていた。原爆とCD−1が失われるのは想定内として、社員の命が危機にさらされている。


7.


 アストロは作業用エアロックに行った。
 1番のハッチはMS−3がドッキングしている。制御盤を開き、ドッキング制御を自動にした。これでMS−3側からドッキングのオンオフができる。
 ハッチを開き、MS−3側のハッチも開く。
 深呼吸して、アストロはMS−3に入った。メイン電源を入れ、2枚のハッチを閉じた。
 窓から原爆とCD−1を見ると、さっきと同じあたりで回っている。城野の操縦で、相対位置が固定されていた。
 宇宙服のAE−3コネクターを座席横のコネクターに挿す。宇宙服の電源が入り、熱くなりかけていた服の内部が冷えて行く。
「城・アストロ、支援に出ます」
 ええっ、城野と佐川が声を出した。原爆と本郷に集中していて、オブザーバーの居所を把握していなかった。
「ドッキング、オフ」
 アストロは操作盤からドッキングを解除した。ぶしゅっ、小さなショックがあり、空気圧でMS−3は押し出された。
 2枚の気密ドアの間には、少ないながら空間がある。そこの空気がプッシュの元だ。
 目まいのような感覚におそわれた。上下の感覚が無い、宇宙では当たり前だが。
 地上の試験でMS−3を100時間以上も操縦したはずなのに、重力が無いだけで、全く操縦の感覚が違っていた。
 アストロは窓から目をそらし、計器に集中しようとした。バーティゴ空間識失調状態から脱するには、それしかない。
 全周レーダーで原爆の位置を確認して、そちらに向かってジェットをかけた。
 MS−3の最大速度は相対速度で1メートル毎秒だ。それ以上では衝突事故の危険が大きくなるとされていた。
 くるくる回る原爆と本郷は200メートルほど離れている。全速力でも3分以上かかる距離。落ち着きをとりもどすには有意義な時間になるはずだ。

 天空と地球の回転がゆっくりになった。
 本郷は呼吸をととのえ、原爆を見た。
 原爆をくるんだラップとネットがしぼんできた。ガスの噴出が小さくなった。
 CD−1の姿勢制御は続いている。間も無く回転は止まるはずだ。
「よしよし、おさまってきたぞ。次の段階に入る」
 本郷は復唱して、CD−1の操作画面に指をのばした。
「現在位置を確認して、加速後軌道設定の確認を・・・」
 とたん、画面はフリーズ。エラーの表示をした。
 エラーの理由もわからず、本郷もフリーズしてしまった。
「所詮はガキの工作かよ!」
 いらつきのあまり、CD−1に蹴りをいれた。反動で体が浮いた。
 CD−1の姿勢制御は終わっていなかった。まだ、わずかに回転していた。本郷は待つべきだったのだ。
 今回持ち込まれたCD−1は試作機、メインコンピューターは小容量の汎用品だ。機体の回転という重大事に、全力で対応していた。そこへ、本郷が新たな命令をした。コンピューターは計算容量オーバーでフリーズしてしまった。

 MS−3は接近速度を落とした。
 自動設定により、距離10メートル以内では相対速度は毎秒10センチだ。せっかちな人間に無重力空間の作業は合わない。
 アストロはキャプチャーアームを起動した。キャプチャーを自動に設定する。先端のカメラがCD−1のキャプチャーポイントを自動で探し、キャプチャーする仕掛け。
 CD−1と通信を試みた。操作画面にエラーが表示された。無線ではエラーを解除できない。キャプチャーして、有線で操作が必要だ。さもなくば、CD−1本体の操作盤を使うか。
 ピッピッピッ、キャプチャーアームの操作盤が警報を鳴らした。先端のカメラはキャプチャーポイントを大写しにしている。小さなショックでキャプチャーした。
 ぐらり、MS−3の機体が揺れた。
 CD−1の機体の回転が、キャプチャーアームを通して伝わったのだ。自動姿勢制御が働き始めた、10秒ちょっとで回転は収まった。
「オーケー、MS−3はCD−1をキャプチャーした」
 アストロは現状を報じた。
 本郷が気付いた。
「こらっ、このガキ! 何の資格で、ここまで来た!」
「救助や支援に資格はいらないはず。何も問題は無いよ」
 アストロは副社長なのだ、自分の作業資格は熟知していた。MS−3とCD−1を有線でつないだ。CD−1のエラーの正体を3秒考えた。
 1202とリセットコードを入力、エンターキーを押した。CD−1のコンピューターは再起動に入った。
 エラーを起こした入力を考えるより、再起動の方が早いと判断した。イベントレコーダーは1202リセットでもデータは消えない。原因究明は後でゆっくりできる。
「ぬぬぬ・・・」
 本郷はアストロの作業を見守る、口はへの字だ。作業の責任者であるし、途中で帰る訳にもいかない。
 CD−1のコンピューターが正常に再起動した。
「こっから先は、おれの仕事だ」
 本郷はアストロを制して、CD−1の操作画面に手をやった。
「現在位置確認、予定軌道確認・・・エンジンポンプ起動。噴射秒読み開始・・・よし、戻るぞ」
 本郷は腰のフックをCD−1から外した。HACにつかまり、原爆から離れる。
 アストロも離脱すべくキャプチャーアームのフックを操作した。が、外れない。
「あれ、どうして?」
 もう一度、フックの解除ボタンを押した。やはり、動かない。
 しまった・・・気付いたが遅かった。MS−3の地上試験では、キャプチャーしてCD−1と情報をやりとりするところまでした。が、そこからキャプチャーオフはしていない。
 キャプチャーの解除ボタンを押したとたん、キャプチャーアームのシステムはフリーズしてしまった。
「こっちもリセットして・・・」
 アストロは一瞬考え、頭を振った。MS−3は有人機だ。システムの複雑さはCD−1とは桁違い、再起動にかかる時間も長い。
 CD−1の操作画面を見た。カウントダウンが進んでいる。
「そうだ、全体ではなく、アームだけを再起動するんだ」
 アストロはシートの背を倒した。腰を支えるだけの小さな背もたれだが、体の位置を固定する大事な道具だ。
 背後の電源ボックスを開ける。並んだ電源スイッチの中から、キャプチャーアームを探した。
 シーソー型スイッチに指をかけ、3つ数えてオフにした。
 振り返ると、キャプチャーアームの操作盤の電源が落ちている。ほかのシステムに影響があるかもしれないが、今はMS−3とCD−1の連結を解くのが最優先だ。
 MS−3がつながったままでは重量オーバー、原爆を第2宇宙速度に加速できない。
 5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・
 5秒数えて、アストロはスイッチをオンにした。
 キャプチャーアームの操作盤に光がもどった。
 画面に現状が表示された。CD−1のキャプチャーを認識している。
 キャプチャー解除のボタンを押すと、ぽん、アームの先端が外れた。カメラはキャプチャーポイントを写している。
 原爆とCD−1が徐々に離れていく。わずかながらガス漏れが残っているのか。
 ぴぴっ、警報が鳴った。CD−1の最終カウントダウンが始まった。
 3・・・2・・・1・・・
 どん、衝撃があった。MS−3はCD−1のロケット噴射ブラストをもろに浴びた。くるくる、機体が回転した。
「だいじょうぶか?」
「回ってる・・・回ってる」
 本郷の呼びかけに、アストロは答えた。
 遠心力のせいで、頭と足が別々の方に引っぱられる。地上ではあり得ない感覚だ。
 自動姿勢制御が働いていた。少しづつ回転がゆるやかになっていく。しかし、遅い。
 MS−3の姿勢制御ジャイロはCD−1と同じ容量の物を使っている。有人機ゆえに倍も重いし、寸法も大きくて回転慣性も大きい。回転が収まるには数倍の時間がかかるだろう。
「姿勢制御は自動にまかせろ、素人が手を出すなよ」
「了解・・・」
 本郷の呼びかけに、アストロは肯くだけ。
 CD−1の操作盤の表示を見た。1度目の噴射は終わり、高度が上がっている。地球を4周ほどしながら、徐々に高度を上げて、月で加速スイングバイをする軌道に乗る手順だ。そして、太陽へ落ちて行く。作戦成功が最終的に確認されるのは1週間ほど後になる。


8.



 やった・・・アストロは自分の仕事に満足を得た。
 原爆を地球圏の外へ出す、その試みは成功しつつある。
 窓の外では、地球と星空がゆっくり回っていた。実は逆で、MS−3の機体が回転を続けている。回転が止まらないと回収してもらえない、今は待つだけだ。
 最初のアストロノーツとなったユーリー・ガガーリンを乗せたボストーク1号は、帰還のため大気圏再突入したとたん・・・機体が不規則に回転した。外れるべき部品が付いたままだったのだ。遮熱板の無い方が大気との摩擦で焼かれ、機内の温度は急上昇した。ガガーリンは危うく焼け死ぬところだった。

 かなり回転が収まってきた。あと、もう少しだ。
 SS1967Aのアームは無重力専用でやわい、もっと微速の回転にならないとキャプチャーできない。無理にキャプチャーしたら、MS−3の慣性に負けてアームが曲がったり、関節が折れてしまう。
 しかし、別の危機が迫っていると気付いた。下腹部の違和感・・・膀胱がはれていた。
 重力があるところでは、膀胱は上の内臓で圧迫されている。そのため、比較的少量が溜まっても尿意がくる。が、圧迫の無い無重力では、限界一杯にふくらむまで尿意を感じない事があるのだ。
 ただでさえ、男性の水代謝は活発だ。筋肉が多いせいでもある。
 MS−3に乗る前にトイレをするべきだった・・・と思っても、後の祭りだ。ペニス増大器のような男性用バキュームは気持ち悪いが、強制的に尿路を開く効果はある。無重力では、人の尿路は開きにくいのだ。
 女性用バキュームカップを手にしてみたが、その小ささにアストロは首を傾げた。ベテランのアストロノーツなら、あれで用が足せると納得するだけ。
 へそ下の筋肉がカチカチに硬直した。排尿をさせまいと、壁になっている。
 最期のおねしょはいつだったか・・・アストロは思い出せない。小学校の廊下で脱糞した時、ショックでオシッコも全部してしまった。廊下が洪水になって・・・涙が止まらなかった。同級生たちの声が響いて、津波のように体をつつんだ。
 あれから10年以上が過ぎていた。
「キャプチャーする」
 佐川の声がした。 こつん、小さな音。
 MS−3の機体が揺れた。尿意をがまんしてたら、姿勢制御は終わっていたらしい。

 窓の外、SS1967Aの荷台が見えてきた。
 あと少し・・・へそ下で小さな痙攣、尿道が開きかけている。肛門を締めて耐えた。
 ふう・・・ふう・・・ゆっくり息をする。へそ下に力を入れて・・・背中に何かが走るような感触、膀胱と腎臓をむすぶ尿管か。
 かしん、とん・・・機体が揺れた。
「MS−3へ、エアロックにドッキングした。ドッキングのロックを確認して、ドアを開けろ」
 佐川の通信がきた。
 アストロはAE−3コネクターを座席から外した。身をひねり、背後のドアをみようとした。
 と・・・爆発した。
 へそ下に生温かい液体がひろがった。出始めたら・・・どうにも止まらない。
 ふう・・・ううう、全部出た。背中が楽になった。が、へそ下と股間が温かくて・・・湿ってしまった。
 目が熱い。無重力のせいで、涙が眼球から離れてくれない。上まぶたと下まぶたの間に涙がたまり、視界がぼやけていく。
 がちゃ、音がした。佐川が顔をのぞかせた。
「どうした、何かあったか?」
 問われても、どう答えてよいものか迷った。
 オムツのジェルが尿を吸ってふくらんでいた。へそ下から股間に大きなナメクジが鎮座している。逆流無しなんて袋に書いてあったけど、しっかり湿っている。へそ下は湿度120パーセントな熱帯ジャングルの泥沼状態だ。
「と・・・トイレ」
 やっと言葉をしぼり出した。
「シャワーの方が良いだろう」
 佐川は小さく肯き、アストロをMS−3のドッキング通路から引き入れた。

 アストロは宇宙服を脱ぎ、体温調節水パイプが張り巡らされた上下つなぎのアンダーウエアを脱ぐ。やっと普段着な下着姿になれた。
 佐川がシャワーボックスを開けてくれた。直径1メートルほどのドラム缶風呂である。
 中に入って下着を脱いだ。オムツはパンパンにふくらんでいた。生温かいジェルは大きなウジのよう。洗濯物はビニール袋に入れ、チャックで密閉する。
 洗濯物の袋を外の佐川に渡すと、フェイスタオルをくれた。
「タオルを顔にあてろ。シャワーを鼻や口に入れるな」
 無重力空間では、コップ半分の水が顔面に張り付いただけで溺れる場合がある。それへの注意だった。
 佐川がシャワーボックスを閉じた。シャワーは危険を伴うので、必ず外で見守りが付く。
 アストロはタオルを顔にかけ、シャワーのボタンを押した。
 ぶわっ、噴き出す温水が全身をくるんだ。背中に股間に、強力なシャワーだ。四方からのシャワーで、体はシャワーボックスの中央に浮いている。無重力用のシャワーだ。
 シャワーは10秒で止まった。
 バキュームが始まって、空中にただよう水滴を吸い込んでいく。
 アストロはタオルで体をふいた。タオルを絞ると、水がタオルの表面に浮いただけ。タオルを振って水を払えば、大小の水玉が出た。それらはゆっくりと空中を漂い、バキュームの口に流れていく。無重力ならではの光景だ。
 シャワーボックスのドアが開いた。
 大きめのバスタオルをもらう。アストロは頭をふき、腰に巻いた。
「おお、いっぱ出たね。さすが若い男の子」
 城野の声にどきりとした。
 アストロはボックスから顔を出して見る。
 城野がオムツ入りの袋を手にしていた。たっぷり尿を含んでふくらんだジェルが、生ステーキ肉のように揺れている。細いホースをつないで、袋の中の空気を抜いた。腐敗防止の手順だ。
「おう、名前を書いとけ」
 本郷がマーカーペンを出した。
 アストロはペンを受け取り、自分のオムツが入った袋に名前を書き込む。空気が抜かれた袋はカチカチ、尿を含んだジェルも固めの生ゴムのようになった。
 祖父がいた病院でも、オムツに名前を書く事はあった。感染症の予防などが目的だ。
「よっしゃ」
 本郷がオムツ入りの袋を取り上げた。あまりの早業、アストロは空になった手を見つめてしまった。
 ガラスケースを開け、本郷はオムツ入りの袋をピン留めした。
 見れば、他に6個の袋がある。
 アストロは近寄り、袋を見た。それぞれ名前が書いてある。本郷武司・・・佐川治郎・・・城野アカネ・・・みんなの名前だ。
 さらに見ると、中田博久・・・伊沢一朗・・・そして城・キケロの名前があった。社長もこれに乗っていたらしい。そして、祖父も。
 オムツを展示するとは、名札代わりとしても変な趣味だ。ここだけの、何か儀式的な意味を感じた。
 本郷が右手を差し出して来た。
 アストロはうけて、握手を交わす。
「ようこそ宇宙へ。これで、きみもアストロノーツだ。まだ、半人前だが」
 にやり、本郷は笑った。
 アストロは唇を震わせながら、無理矢理な笑いを作って返した。
 半人前の言葉には同意するしかない。宇宙船の操縦資格、宇宙クレーン操作資格、船外作業資格・・・取るべき資格は山とある。
 成功も失敗もすべて持ち帰り、次ぎに行く者のための教訓としなければ・・・祖父の言葉が耳によみがえった。


 1週間後、CD−1が月軌道を越え、太陽へ向かったのが確認された。実際に太陽に落ちるのは数ヶ月後になる。

 I.C.P.O.(惑星間航路支援機構)はアストロサルベージにCD−1の費用補填を約束した。




< おわり >


本作の固有名詞の多くはTBS・東映「キャプテンウルトラ」から拝借しています。

BGMは富田勲の名曲を脳内再生して下さい。

2019/7.23
OOTAU1