第5種補給品の女たち

 

 西暦1948年8月29日、ソビエトは最初の原子爆弾の爆発実験を行った。
 1950年6月、朝鮮半島を舞台に戦争が始まった。ソビエトが支援する中国共産党軍を主力とする北側と、アメリカを主力とする南側の連合国との戦いである。
 1951年5月、アメリカは最初の水素爆弾の爆発実験を行った。MIKEと呼ばれる水素爆弾は総重量60トン、正に怪物であった。
 しかし、同年10月、ソビエトは原爆の空中投下実験を行い、空中爆発を成功させた。爆発威力はTNT火薬40キロトン以上、ソビエトの原爆は実用段階に達した。
 朝鮮半島の戦闘では、両軍で100万を越える兵が38度線を挟んでにらみ合う状況。どちらが先に原爆を使うかが喫緊の問題となった。和平交渉が行われているものの、どちらも譲らず、まとまる気配は見えない。


ソウル・ヨンサン(龍山)1952年


 アケミはトラックの荷台から降り、辺りを見回した。
 キーン、空から金属音がした。見上げると、10月の澄んだ青空がまぶしい。
 青い空を引っ掻くように4筋の飛行機雲が伸びていく。
 が、よくよく見れば、それは戦闘機の編隊だ。B29のような4発の爆撃機ではない。
 大丈夫、と胸をなでおろす。少なくとも、今すぐ原爆が頭の上に落ちて来る心配は無い。
 視線を地上にもどした。
 また、軍隊の基地に帰って来た。アケミは30年に満たない自分の半生を思い出した。

 生まれ育った家は貧しかった。7才の時、女衒に売られた。貧しさ故の口減らしである。
 その夜は寂しさに泣いたが、すぐに慣れた。良い物が食べられたし、着物も良くなった。海を渡り、日本へ。
 日本風にアケミの名前を付けられた。そして、親からもらった名を捨てた。今は、故郷も親も思い出すのさえ難しくなった。
 広島県、呉の娼館に入った。そこで本を見つけた。先輩の女たちに読むのをせがむと、誰でも読んで聞かせてくれた。やがて、一人で読めるようになった。
 呉は海軍の街だ。娼館には海軍の将校も出入りしていた。その一人から古びた英語の辞書をもらった。帝国海軍はイギリスの支援で作られた歴史があり、士官には英会話が必須の科目なのだ。
 アケミは辞書を懸命に読んだ。15才、客を取る年になる頃には、片言の英会話ができるほどになっていた。アケミは朝鮮の生まれながら、上級士官を客にできる身分とされた。英会話の芸が役に立った。イギリスやアメリカの客が呉に来た時は、必ず接待の役が回って来た。
 戦争が始まった。請われて、アケミも戦地に行った。慰安所の開設に係わった。
 歌や踊りの芸が無くとも、戦地の慰安所でなら確実に稼げると、多くの女たちが海を渡った。アケミは半年で内地へ、呉に帰った。
 やがて、戦況は悪化した。呉の郊外には強力な高射砲があったので、B29の編隊も近寄らず、街は爆撃を免れていた。
 ある夏の朝、北の空で何かが光った。次に轟音があり、窓や戸がガタガタと揺れた。広島に原爆が落ちたのだ。
 戦争が終わると、アメリカ兵が大挙して来た。英語をあやつるアケミは通訳として忙しくなった。
 朝鮮が独立すると聞くと、アケミは海を渡り、祖国を目差した。しかし、今度は朝鮮が南北に割れて戦争になった。
 北側は中国共産党軍とロシア、南はアメリカ軍を主にする戦い。日本を負かしたはずの連合国が割れ、朝鮮半島で戦う図式。
 混乱の中で、女衒のキム・デジョンと会った。呉の娼館で培った手練手管と英会話の芸を生かし、連合軍の兵を相手にする娼婦を集めた。
 アケミは遣り手として女たちを束ねる。
 1948年の建国以来、法律の上では、韓国では売春が禁じられていた。しかし、戦時下であり、全ては黙認されていた。

 ふう、とアケミは息をついた。
 改めて周囲を見ると、実はアメリカ軍の基地フェンスの外側にいた。鉄骨と鉄条網が二重に基地を囲んでいる。カマボコの兵舎や戦車などは遠くに並んでいた。
 この龍山には、古くは清国の軍が駐留していた。日清戦争後は日本軍が駐留した。そして去年、ソウルを北の勢力から奪い返してからはアメリカ軍が駐留している。ここ数百年、常に朝鮮半島には外国の軍隊が居座っていた。
 トラックの荷台から女たちが降りた。今回は6人、アケミを入れると7人になる。
 釜山には古い娼館が多い。南の朝鮮海峡に面した街なので、今回の戦争の被害は少ない。そこへ、朝鮮各地から女が流れて来た。釜山で食い詰めた女たちを束ね、北のソウルへ稼ぎに来た次第。
 星のマークとカーキ色、アメリカ軍のトラックが来て停まった。
 助手席から降りて来たのは、韓国軍の軍曹だ。荷台の方からアメリカ軍の中尉が降りた。
「モンキーハウス帰りはいないか?」
 中尉がガムを口で噛みながら言った。キムが前に出て、首と手を大げさに振った。
「ノンノン、この女たちの体はクリーンよ。皆、セーフティね」
 アメリカ軍は性病患者の収容施設をモンキーハウスと呼んだ。アメリカ人や軍人の患者は正規の病院に行けたが、朝鮮人の患者は別の施設に集められた。そこを猿の家と呼んだ。
 中尉は女を一人づつ見た。小首を傾げる仕草が混じる、好みに合うのは無いもよう。
「ハウドユドゥー、ルテナン。トゥデイ、ナイストゥミーチュー」
 アケミが英語で話しかけた。
 中尉は驚きながら、笑顔で握手を求めてくれた。が、大きな手との握手は一瞬だけ、すぐ親指を立ててトラックの荷台を指した。
 日本人なら、何を指すにも人差し指を使う。親指と人差し指を使い別けるのは、アメリカの文化らしい。
 キムの息子、ジョンウが荷物を積み込み、自分も上がった。手を伸ばし、女たちを引っ張り上げる。キムは助手席へ乗る。
 アケミは最後に荷台へ乗った。ガチャリ、荷台の下側扉が閉じられ、幌が下ろされた。外の目から女たちを隠す。
「オーライ、ゴー」
 中尉の号令でトラックが走り出した。
 アケミは幌の隙間から手を振った。応えて、中尉と軍曹が手を振っていた。
 トラックは基地の正門前を通過した。正門と対面して英語の看板を掲げた店が並んでいる。基地村と呼ばれる場所だ。
 この基地村でも、多くの女たちが兵隊を相手に商売をしている。アケミたちは余所者、ここでは商売できない。なので、基地から離れた前線に近いキャンプへ赴く。


キャンプ・1日目


 がたごと、トラックは穴ぼこだらけの道を行く。
「おっとと」
 ジョンウが足を滑らせた。ぽて、アケミに寄りかかった。
「すい・・・ません」
 男の子が消え入りそうな声で謝る。アケミは笑みを返した。
 ジョンウは16才、まだ顔に幼さが残る年頃。体は細くて、横幅の広いキム・デジョンと比べると、親子とは信じられないほど違う。
「もうすぐ着くぞ、準備しろ」
 荷台をのぞく窓を開け、キムが大声で報せた。声を張り上げないと、運転席から声は通じないほど、エンジン音はひどい。この騒音に慣れる事ができれば、運転手が務まる時代だ。
 アケミは腰を上げた。座っていた木箱のフタを開けて、指差した。
「また、これに入るの?」
 女たちが不満をもらす。アケミはジョンウにも指図して、残る箱を開けさせた。
「アメリカ人って連中は、女をケーキの中やプレゼントの箱に隠すのが好きなのよ」
 ぶうぶう、ほおを膨らませながら、女たちは箱に入る。木箱は一人が入る大きさ、底にクッションが敷いてある。
 フタを閉じ、外側のラベルを読む。
 第5種補給品、U.S.ARMY、SOUTH-KOREA・・・の文字を確認した。
 最後、7つ目の木箱にアケミが入る。ジョンウがフタを閉じた。
 あたしらは補給品、人ではなく物なのだ。自分の立場を再確認して、アケミは息をついた。
 アメリカ軍はキャンプに娼婦を入れてない、それがアメリカの建前だ。韓国軍は女衒の手引きはしていない、こちらは韓国のメンツ。
 日本軍は慰安婦として人間あつかいしてくれた・・・アケミは昔を懐かしく思った。

 トラックの速度が落ちた。山道に入っていた。坂を登り、また下り、右へ左へと何度も曲がった。
 ゆっくりと荷台を揺らして、エンジンが間欠的にうなる。そして、トラックが駐まった。エンジンが止まると、人の声が聞こえた。大勢の男がトラックを囲んでいる。キャンプに着いたらしい。
 ガシャリ、荷台の扉が開いた。木箱が引き出され、どこかへ運ばれて行く。
 アケミは両手で体を支えた。運ばれるうち箱が斜めになり、頭をぶつけそうになった。
 どん、と下から衝撃が来た。箱が揺れなくなった、地面に置かれたようだ。
「さあ、開けるよ。みんな、笑顔であいさつだよ」
 キムが号令をかける。ジョンウが順に箱のフタを開いた。
「ドリス、ジュディ、アン、サラ、ジェーン、リンダ・・・そして、アケミ。開店は午後7時、よろしく」
 箱の中から女たちが立ち上がると、兵隊たちは拍手と口笛で迎えた。
 キムが紹介した6人は英語風の名前だが、顔は普通に朝鮮女。アケミだけが日本風の名前を貫いていた。
 白人の顔は横幅が狭く縦に長いので、妙に口や目が大きく見える。幅広な朝鮮顔のキムと、つい見比べてしまった。
 腕時計を見れば、すでに5時を過ぎている。2時間以内に準備を終えて、男たちを相手にしなければいけない。のんびりする間は無い。
 振り返れば、そこはテントの前だった。これから商売をする拠点だ。
 中をのぞくと、入り口は狭いが奥の深いテントだ。一個小隊の半分が寝起きできる大きさ。
 女たちはキムに導かれ、テントに入る。外に並ぶ兵隊に手を振れば、歓声が返ってきた。
 空を見上げ、アケミは立ち止まった。
 中秋を過ぎて、冬が近い。夕焼けが雲に隠れて、わずかに西の空が明るいだけ。空気が冷えてきた。
 低い雲を見て、大丈夫とアケミは頷いた。原爆は快晴の時に最大の威力を出す、熱線が雲に吸収されては威力が半減してしまうから。この雲なら、ここに原爆は落ちて来ない、たぶん。
 アケミはテントの中に入った。今日は安心して商売ができるだろう。

 テントの中は地面がむき出しだ。
 カーテンで仕切りをして、それぞれに組み立てベッドを置いて電球も配した。小さなテーブルに衣紋掛け、灰皿に水差しも必須だ。
 ジョンウがバケツで水を運んだ。体は細くても、男らしく力がある。
 アケミはタバコを口にした。大きく吸い込み、ぷううっ、煙をベッドの毛布に吹きかけた。目に見えないダニやノミが逃げ出すはず、虫は煙に弱い。日本には香取線香があるけど、アメリカ人は吸うと頭が痛くなるらしい。葉巻の煙は平気なくせに、変な連中だ。
 それぞれの仕切りで、女たちが香を焚いたり香水を撒いたり。テントの中が娼館らしくなってきた。
 キムが外から帰って来た。
「予約の札は22番まで配った」
「それくらいなら、あたしは前で呼び込みだね」
「そうだね、いつものように頼むよ」
 アケミはベッドの用意を止め、テントの前に出た。キムがギターを借りてきていた。ボロン、弾くと音程に狂いを感じたが、気にするほどでもない。
「ここには200人ほどがいる。半分は戦車や大砲を整備する要員と、野戦病院の関係者。残りは最前線との交替の兵隊だ。戦ってるのは、ここから10キロちょっと先の陣地らしいよ」
「けっこう近くだね、音が聞こえないけど」
 キムに言われ、アケミは闇に落ちた稜線を探した。砲声も爆発も無く、風の音が聞こえる静かな宵の口。キャンプの灯りがまぶしく感じた。
 前線のキャンプに女を入れるのは、近々大作戦を予定しているからか。あるいは、敵が遠くに下がってしまったからか。民間人としては、商売の間の平穏を祈るだけだ。
 キムがテント前に看板を出した。
『第5種補給品・配給』
 あ〜あ、アケミは息をつく。女ではなく、補給品なのだ。その書き方に異論はあるが、抗議して直るものではない。
「ヘイ、ガール。キープ、インサイド」
 中尉の階級章を付けたのが来て、アケミに首を振った。軍人ではない女がテントの外に立つのはダメらしい。また、軍の建前を言ってきた。
 呼び込みを諦め、アケミはテントの中へ。受付のテーブルに着いた。
 ラジオのスイッチを入れた。
 陽気な音楽がテントの中に流れた。アメリカ軍の宣伝放送は賑やかだ。
「オーライ、ウエルカム」
 キムの声があって、2人のアメリカ兵が入って来た。まだ7時には少し早い。
「へーい、誰か準備できてる?」
 アケミが奥へ声をかけた。ドリス、アン、リンダの3人が出て来た。しなをつくり、男を誘う仕草。
 予約の番号札と料金を受け取り、女を選べと手で合図する。ドリスとアンが選ばれ、それぞれの仕切りの中へと消えた。
 アケミは売り上げ帳を開いて、ドリスとアンにチェックを入れた。ドル札は手提げ金庫に入れる。
 客が入ったと知り、残る3人の女たちも仕切りから出て来た。時計が7時を回った。
「ジャスト、ア、タイム。エブリバディ、ハブアグードワン」
 キムがなまった英語で客を呼ぶ。女、と声高に言えないのは看板の通り。

「サンキュー、バーイ」
 ジュディが2人目の客を帰した。早い女は3人目の客としている最中だ。
 ジョンウがバケツを手に忙しく出入りする。客ごとに、女たちは体をぬぐう。そのために水が要るのだ。
「何人入った?」
「今、16人。あれから、新しく札を出してるの?」
「いや、22番で終いだ」
 キムが人数を確認した。アケミは帳簿の書き込みを見て、念を押す。
 時計は9時半過ぎ、疲れて眠気がきた。
「ヘイ、ボーイ。ハウマッチ、アーユー?」
 テントの入り口でジョンウをつかまえたのは、筋肉隆々たるグレン軍曹だった。英語が分からぬジョンウは、肩を抱かれて呆然としている。
「ああ、サージェント・・・ヒーイズ、えーと」
 キムもどう対処すべきか悩む。商売人としては、売れる物は何でも売る。しかし、求められても売れない物だってある。
 そう言う趣味の男もいたのか・・・アケミは席を立つ。テントの入り口から顔を出し、軍曹を見た。
 チチチ、グレンは人差し指でアケミをけん制した。女に興味は無い、その仕草だ。
 アケミは歩み寄り、グレンの耳元でささやく。と、グレンはジョンウの肩から手を放した。
「オーライ、シーユーネクストナイッ」
 グレンはスキップで去って行った。
 ふう、息をついて、アケミはテントの中にもどる。キムが追いかけた。
「おい、何て言って帰したんだ?」
「坊やは自分の仕事で忙しい、明日の夜に来て・・・と言ったのよ」
 むむむ、キムは口を閉じた。とりあえず今夜は穏便に追い返したが、また明日の夜に来てしまう。
「あの、姉さん」
 ジョンウが心配げな目をする。明日の夜、どうすれば良いか、助言を求めている。
「まあ、あんたもね、この世界に足を踏み入れた訳だし。明日は体を張って、お小遣いを稼いでみなよ」
「稼ぐ?」
 体を張る・・・まだ、少年のジョンウは意味が分からないようだ。明日になれば分かる、と捨て置くしかない。
 きゃああっ!
 テントの奥から悲鳴が轟いた。リンダが仕切りから逃げ出して来た、下着1枚、上は裸だ。
 アケミが自分の上着をリンダにかける。テントの奥を見やると、仕切りから顔を出す兵がいた。
「あんた、黒人は初めてなの?」
「こくじん・・・て、上から下まで真っ黒けよ、あれは人間なの?」
 リンダは狼狽えている。トラブルを収めるのは遣り手の仕事、アケミの出番である。
 キムにリンダをあずけて、アケミはゆっくり奥へ。笑顔を黒人の兵に向けた。
「ごめんなさいね。あの子、まだ慣れないところがあるの。あたしが相手するわ、よろしいかしら」
「お、おう」
 黒人兵は口をへの字にしながら、こくりと頷いた。
 キムにオーケーサインを出し、アケミは仕切りの中へ入った。
 黒人兵は名をルイスと言った。背丈は6フィート以上、隆々たる筋骨である。肌は濃いブラウンより、さらに黒に近い。
 アケミは呉にいた頃、外国の客をもてなす事が多かった。帝国海軍の客はフィリピン、シンガポール、タイやインドまで肌の色も様々。そんな経験があっても、ルイスほど黒い肌は初めてだ。
 400年前の日本、織田信長は黒人奴隷を宣教師から譲り受けた。ヤスケと名付けられ、本能寺の変の直前まで側に置いた。体を洗えば洗うほど、肌が黒光りしたと云う。
「黒人の兵隊は珍しいわ。わざわざ志願して、こんな危ない所に来たの?」
「おう、徴兵じゃなく、志願兵さ。いっぱいチャイニーズやロシアンの兵隊をぶち殺して、勲章を胸にして帰るんだ」
 アケミはゆっくり服を脱ぐ。焦らすようにルイスを見れば、腹の筋肉が波打ち、ズボンの下から黒い肉の棒が鎌首を持ち上げていた。
「勲章より命が大事でしょ」
「いや、黒人のおれには勲章が必要なんだ。黒人は読み書きもできない低脳ばかり、と白人どもは決めつける。だから、軍隊に入った。勲章を取って、おれを侮辱した白人どもを黙らせるんだ」
「へえ、アメリカでも、そんな事があるんだ」
 アケミはアメリカの国内事情には疎い。白人と黒人の対立、その他の有色人種がうける迫害は遠い噂にすぎない。
 けれど、呉にいた頃、似たような話は聞いた。
 大日本帝国が大韓帝国を併合して、多くの朝鮮人が日本に渡った。が、日本軍は朝鮮人に兵役を課さなかった。兵隊になれない低能者、と一般の日本人は評価した。それをはね返すように、軍へ志願する朝鮮人は多くいた。
 総じて、志願兵は徴用兵より戦闘意欲が高いのだ。日中戦争が始まると、勇猛な朝鮮兵は高麗棒子と呼ばれて恐れられた。将校に出世した者もいた。
 しかし、太平洋戦争の末期、人手不足から朝鮮人にも徴兵がかけられた。すると、意欲の乏しい者が兵隊になってしまった。ソビエト軍が満蒙国境を越えると、駐留していた関東軍の戦線はあっけなく崩壊した。高麗棒子は武器を捨てて逃げ出した、と現地の人は嘲り笑った。朝鮮兵への評価はひっくり返った。
「まあ、無理はしないでね。戦場で背伸びばかりしてたら、敵の弾に当たるよ」
「戦場じゃ匍匐前進が基本だ。けどよ、這ってばかりいちゃ、勲章は手に入らねえ」
 裸になったアケミはベッドに仰向けに寝ていた。ここにルイスが覆い被さると、まんま匍匐前進の形だ。
「じゃ、勲章を取るためには、腰だめで機関銃だね」
 アケミは体を返し、四つ這いの姿勢で尻をルイスに向けた。敵を見すえて機関銃を撃つなら、こっちの体位だ。
「おおう、やってやるぜ」
 ルイスはアケミの尻にがぶり寄る。


キャンプ・2日目


 夜に雨が降ったらしい。
 朝、キャンプの地面は濡れていた。
 アケミはテントの窓から空を見た。薄曇り、白い雲が低いところにある。原爆の心配は要らないだろう。
 スピーカーが軍の宣伝放送を流している。雑音が混じり、音が歪んでいるのは相変わらずだ。
 女はテントから出られない。簡易トイレもテントの隅にある。ジョンウがトイレの始末で出入りする、甲斐甲斐しい姿が微笑ましい。
 キムが鍋を持って来た。アメリカ軍の朝食だ。
 皿に盛られたシチューの味は濃厚、具の野菜や肉は大きくゴツゴツしている。パンが固い、噛みちぎるのに一苦労だ。
「今日は8時から始める。予約の札は81番まで出た。夜までかかるかなあ」
「じゃ、あたしもだね」
 キムの予告に、アケミは応えた。
 女7人で平均11人以上の仕事になる。1人こなすのに何分かかるか、考えただけで腰が重い。今日は重労働になる、と覚悟を決めた。
 アケミは自分の仕切りにもどり、ベッドを整えた。汗を吸った毛布を入れ替え、枕カバーも交換する。タバコの煙をテントの生地に吹き付け、昨日からの臭いを消した。
 ジョンウが新しい水の入ったバケツを持って来た。乾いたタオルをたたんで、枕元に置く。
 耳をそばだてると、テントの外に男たちの声が集まったいた。もう行列ができたよう。
「グッモーニン、ジェントルメーン」
 キムの声が響いた。
 第5種補給品の配給が始まる。

「お疲れさま、サンキュー」
 アケミは兵隊のシャツのボタンをとめ、ズボンのベルトを締めた。GIカットの短い髪に櫛をあて、お別れのキスをすれば、ビジネス完了。
 テントの出入り口まで送り、外を見た。行列が消えている。
「あたし、何人やった?」
 腰をもみながら、受付のキムを振り返った。
「君は、ね・・・もう12人もしてる。残る予約は10人だけだよ」
「じゃ、あたしは終いで。後は、あの子たちにまかせるわ」
 キムは台帳を見て、さすがベテランと笑みをこぼす。
 アケミは深呼吸で背伸びした。男を早くこなすのは長い経験のなせる術だ。
 時計は午後6時に近い、腹がグウと鳴った。ジョンウがシチューの鍋を持って来た。朝も食べたやつ。
 アケミはイスに腰掛けて、スプーンを手にした。GI向けの食べ物は固くてアゴが疲れるけど、無いよりは良い。
 ジョンウが新しい水のバケツを運んだ。バケツを置いて、ふうと肩で息を入れる。
「サンキュ」
 サラが客を送り出した。そして、腰に手を当てて背伸びする。ぐっ、痛そうに顔をしかめた。 
「あたし、今夜は、ちょっと、もう」
「おいおい、まだ10人やっただけだろ」
 キムが首を振る。とは言え、だめと言う女に無理強いはできない。
 サラはテーブルでシチューを食べた。食べる間も腰をひねりひねり、かなり痛そうだ。
「ハロー」
 と陽気な声が入って来た。予約の札を示さず、バドの小瓶を3本持っている。昨日、ジョンウに粉をかけたグレン軍曹だ。
 最前線での飲酒は厳禁だが、後方のキャンプでは購買で手に入る。ここの兵士たちの半分は酔っ払いである。
 あ、とアケミは思い当たった。冗談ではなく、今夜は本気で対応しなければ。
「ヘイ、ボーイ」
 グレンはジョンウにバドの小瓶を渡す。飲め、と笑顔でジェスチャー。
 ううっ、飲み着けないビールを口にして、ジョンウの顔が歪んだ。がははっ、グレンが愉快そうに肩を揺らす。
 アケミはやさしくジョンウの肩を抱いた。その耳にささやく。
「どうする、ミスターとしてみる?」
 やるか、やらぬか、自分で決めろと促した。
 呉の色町に入り、アケミは大人の女たちがする商売を見て覚えた。男と女が何をするか、見て知った。ジョンウも手伝いをしながら、男と女の商売を知っているはずだ。そして、男と男の商売も・・・
 アケミはグレンに肩を寄せた。
「この子、初めてなのよ。やさしくしてちょうだいね」
「ミー、ジェントル」
 グレンは右手を上げ、宣誓のポーズをとる。背筋を伸ばし、真顔で応えた。
 あとはジョンウ次第だ。バドを手にしたまま、口をつぐんでいる。

 時計は9時を過ぎた。キャンプが静かになる。
「サンキュー、グッバイ」
 ドリスとアンは最後の客を送り出し、大きく背伸びした。キムからタバコをもらって火をつける。
 腰を痛めたサラは自分の仕切りで寝ている。
 あっあっ・・・仕切りの中から声が漏れて来る。3人が最後の仕事中だ。周囲が静かになって、声が響くようになった。
 仕切りのカーテンをめくり、グレン軍曹が出て来た。ふう、と小さく息をもらす。
「エッブリバディ、グッナイッ」
 グレンはスキップな足取りでテントを出て行く。フンフフン、鼻歌が後に残った。
 はて、とアケミは仕切りのカーテンを見た。ジョンウが姿を見せない。
 静かにカーテンをめくり、中に入った。
 ジョンウは横向きに寝ていた。ちゃんとパンツは着けている。
「気分、どう?」
 やさしく尻に触れた。ううっ、ジョンウは小さく声を出し、うつ伏せになる。
「軟膏を塗ってあげる、痛みが早く引くから」
 耳元で言うと、声も無く頷いた。
 アケミはジョンウのズボンに手をかけた。ゆっくり膝まで下ろす。可愛い尻が出てきた。
 尻にはアザがあった。グレン軍曹の手形だ。指がくい込んだ痕が赤黒くなっいてた。
 少し足を開かせ、左手で尻の肉を左右に分ける。右手の人差し指で、軟膏を肛門の周囲に塗った。切れてはいないようだ。
 もう一度、軟膏を指に取り、肛門に寄せる。ずぶ、と指先を中に入れた。
 ひいっ、ジョンウが声をもらして、体を硬直させた。
 指を肛門の中でクルリと回す。軟膏が粘膜のひだにしみ込んで、ジョンウは息をついた。
 アケミは指を抜いた。乾いたタオルを股間に入れ、パンツを上げた。
「じゃ、ゆっくりね、お休みなさい」
 電球を消し、仕切りを出た。あそこは大人だった、と思わぬ大物の感触が手にジンと染みた。
 ジョンウは明日の朝までに回復してくれないと困る。明日はまた、男の力が頼りの重労働が待っているのだ。

 アケミはテントを出て、両手を広げて深呼吸した。冷えた空気が体に入り、のぼせ気味の頭がすっきりした。
 見上げると、空は暗いが星は見えない。雲が高いようだ。
 これなら原爆の爆撃機は来ない。少し安心して、鼻で息をつく。
 どどど、トラックが来て、列を成して停まった。荷台から担架が下ろされる。ううっ、ぎゃあ、悲鳴も響く。最前線から負傷兵が着いた。
 日中、砲声を聞いた記憶は無い。大砲の撃ち合いではない戦闘があり、それで負傷したのだろう。
 第5種補給品・配給のテントの隣は、野戦病院のテントだった。昼より明るくランプを灯し、処置と治療が始まった。
 血は見たくない、アケミはテントにもどろうとした。
「まだできるかい?」
 振り返ると、金髪のニール上等兵がいた。
「よいですよ。予約票はお持ちですか?」
「いやいや、今さっき退院したばかりでね」
 上等兵は大騒ぎの野戦病院を指した。ベッドを空けるため、軽傷者は強制退院させられたらしい。
「ちょうど、二人が空いてます。どうぞ」
 アケミは上等兵をテントの中へ招き入れた。
 ドリスとアンが立ち上がり、腰をひねって出迎えた。キムもウエルカムと満面の笑みだ。
 が、ニール上等兵はアケミの顔をまじまじと見つめる。
「あんた、どこの生まれだい? どこで、その言葉を?」
「わたしは朝鮮で生まれて、日本の呉で育ちました。それだけですよ」
「そうなのか・・・なんか、高貴な言葉遣いしてるから、もしやと思ったけれど」
「あらら、ありがとうございます」
 アケミは帝国海軍の士官たちから英語を習った。海軍の士官は英語が必修科目。帝国海軍はイギリスの支援で成り立ったので、イギリスの上流階級の言葉を士官は習っていた。当然、アケミの英語もイギリスの上流階級的な発音と文法だった。
 ニールはアケミを選んだ。
「あなたは、どちらから?」
「エリーから」
「ペンシルベニアの?」
「よく知ってるね」
「地図で見ただけです」
 ニールの言葉遣いが他の兵隊と違う、とアケミは気付いた。士官ではないが、古い家の出かもしれない。客の出身地を言い当てるのは、色町の話芸では初歩の内である。
 アメリカの住所は、町の名前が州や国名より前に来る。言葉遣いから古い家系と推測できれば、町の場所もアメリカでは古い所だろう。独立時の13州で東海岸の北部なら、アメリカの最も古い場所だ。
 アケミは笑みで服を脱ぐ。
 アメリカは移民の国であり、その言葉はイギリスの下町言葉をベースに発達した。建国から百年、豊かになったアメリカ人たちはイギリスやフランスの貴族と縁を結んだ。イギリス的な言葉遣い、フランス語的な発音は高貴な言葉とされるようなった。反対に、遅れて来た移民のスペインなまりやイタリアなまり、ドイツ語なまりは下品とされる場合があった。
 プロレスの世界チャンピオンに上り詰めたルー・テーズは、ハンガリー移民の家に生まれた。家の言葉はドイツ語なまりである。その言葉が原因で、小学校ではいじめられた。一時は登校拒否になった。レスリングでは天才であっても、言葉の壁を越えるのは容易ではなかった。
 ニールは裸になると、あちこちに縫った痕や包帯が残っていた。
「今日の午後、やっと抜糸したんだ。明日には最前線に復帰だ」
 にやり、体の傷を誇らしげに言った。女には理解できない価値観だ。
 よく見れば、体の前側が傷だらけ。顔はかすり傷だけなのが不思議なほど。背中側は無傷に等しい。
「至近距離に爆弾が落ちてね、いっぱい破片やら石ころを浴びたのさ。破片が骨に達していれば、ソウルに帰ってのんびりできた。あいにく、どの破片も浅くて、ここで治療が完了したよ」
 ニールはベッドに身を横たえた。アケミは素肌を重ねて寝る。
「あいつが間に入って、おれは爆発と直に逢わなかった。あいつの体はバラバラになって・・・あいつが死ぬなんて・・・おれの方こそ、死んでも惜しくない人間だったのに・・・」
 戦闘で友が死んだ。明日は戦闘にもどり、友の後を追う。ニールの気持ちが伝わって来た。
「人には果たすべき使命があるわ。死ぬべき時に死ねたなら、それは幸運な方。生きているかぎりは、生き続ける努力をすべきよ」
「難しい事を言うなあ・・・」
 ニールの下半身は反応しない。体の外側は直ったように見えて、まだ体の内側で傷が癒えてないのかもしれない。
 こういう時は話芸の出番である。客の用意が調うまで、時をかせぐのも芸の内だ。
 アケミは呉の色町で育った。色町の女には、大きく分けて三つの身分があった。一番上等なのが話芸を駆使する女だ。古今の詩吟や事物に通じて、深い教養が必要とされる。アケミは英会話の芸を身につけ、この身分に片足を入れていた。
 中ほどは歌や踊りの芸を披露する女、一般に芸妓と呼ばれる。そして、一番下は男と寝る、枕を男と一緒にする女たち。枕芸者などと卑下される女たち。
 年が長じてから来た朝鮮女たちは、言葉が違うので話芸は無理。日本人好みの歌や踊りも上手にできない。結局、枕芸者ばかりになった。
 時が変わって、アメリカ兵が来た。でも、朝鮮女に求められるのは枕芸ばかりだ。アメリカ兵が好む歌や踊りや話芸なら、アメリカ本国から芸人たちが大挙して来ている。アメリカ兵が相手でも、日本兵が相手でも、朝鮮女は股を開いて寝るだけ。これは悲しい現実だ。


キャンプ・3日目


 ごごご、どどど・・・テントの外が騒がしい。
 アケミは毛布から顔を出して時計を見た、やっと6時だ。ベッドから抜け出し、入り口のカーテン越しに薄暗い外を見た。
 戦車やトラックが朝の暖機運転をしている。珍しくもない風景だが、昨日より1時間ほど早い。
 カンカン、キムが鐘を鳴らした。
「はい、レデイース、今日は早起きだよ。ソウル行きのトラックが10時じゃない、8時になった。ハリアップ、準備してね」
 ええー、なんでー、と女たちが仕切りから顔を出した。皆、寝不足で不満が表に出てる。
 昨夜、最前線で多くの負傷兵が出た。重傷者をソウルの病院へ送るため、トラックが速く出る事になったのだ。
 最前線の兵員は手薄になっている。補充の兵がキャンプを出る準備も進んでいた。
 ジョンウが水を運んで来た。女たちは朝の身支度を始める、まだ目が半分しか覚めてないけれど。
 アケミは洗面器で顔を洗い、タオルでぬぐって髪をまとめた。海軍の街、呉で育った女には5分前が習慣となっている。予定が繰り上がるのはいつもの事、問題にもならない。
 しかし、大方の朝鮮人には弱い状況だ。いつも時間ぎりぎりで動くのが習慣だから、予定が2時間早くなっただけでも大慌てになる。
 昨日と同じ固いパンとシチューを腹に入れ、またあごが疲れる朝食だった。のろのろテントの中を片付ける。女たちは仕切りのカーテンを外して、毛布をたたんで集める。ジョンウが男らしい力仕事、ベッドを隅に移動して重ねた。やがて、がらんと大きな空間ができた。 
「レディース、来てちょうだい。給料を払うよ」
 キムが女たちを呼んだ。帳簿を見ながら、札束を数える。
「サラ、頑張ったね。13人も仕事した」
「わーい」
 ぶ厚いドル札の束を手にして、サラの顔がほころんだ。
「ちょっとお、たったこんだけえ?」
 リンダが不平をもらした、手の札束は薄い。
「釜山で先払いしてる。それを差し引くと、それだけだ」
「でも、だってさあ・・・」
 キムは首を振る。リンダは口を尖らせたまま引き下がるしかない。
 アケミの順番は最後になった。
「きみは14人、ご苦労様」
 眉も動かさず、アケミはドルの札束をバッグに入れた。ぽん、とバッグをたたいて仕事にけりを付けた。
「姉さん、さすがだわ。いつの間に、そんなに仕事してたのさ」
 ジェーンが感心する事しきり。まあね、とアケミはベテランの笑みを返した。
 アメリカ兵がテントに入って来た。ソウルで会った中尉だ。
 抱えていた段ボールの箱をキムに渡し、すぐ出て行った。箱の中に紙袋があった。
「レディース、中尉さんからプレゼントよ。一人に一つだよ」
 アケミは袋を受け取り、中を見た。コーラにサンドイッチ、タバコとチョコレート、ソウルまでのおやつと言った内容だ。
 ひゅう、口笛でドリスは袋を大事そうにカバンへ入れた。
「子供にね、良い土産ができたわ」
 えへっ、えくぼで笑う。
 アケミに家族は無い。彼女の笑顔をうらやましく思った。

 テントの前にトラックが来た。まだ8時の10分前だ。
「へい、レディース、乗車準備よ」
 キムが号令をする。もうなの、と不平をもらしながら女たちが立ち上がった。
 入り口のカーテンをくぐると、すぐトラックの荷台があった。帰りは箱に入らなくて良いらしい。しかし、キャンプの兵たちへのあいさつは抜きだ。
 第5種補給品の配給は終わっていた。
 ジョンウが先に荷台へ上がり、女たちの手を取って引き上げる。
 荷台には先客がいた。右側にベッドがあり、負傷兵が寝ていた。左の反対側の長いすに女たちは並んで座る。
 アケミはテントから出て、ふと空を見た。雲の切れ間から青空がのぞいている。
 北の青空をバックに何か飛んでいた。
 飛行機雲は引かず、ゆっくりと小さな飛行機が飛んでいる。低空のようで、ジェット機ではなさそうだ。大きく重い原子爆弾を運ぶなら、高空を飛べる大型の爆撃機が必要になる。
 アケミは苦笑いした。とりあえず、余計な心配だった。
 視線を地上に戻すと、となりの野戦病院のテント前にもトラックが駐まっていた。二人がかりで大きな長い袋をテントから運び出し、よいしょと荷台へ上げていた。
 直感した、あれは死体だ。
 昨日の戦闘で死んだか、昨夜のうちに治療のかい無く死んだか、すでに荷台は袋が山積みである。こんな前線では、死体の丁寧な扱いにも限度がある。ソウルの基地へ運んでから、改めて葬儀となるはずだ。
「さあ、きみも乗って」
 キムに促され、アケミは女たちの最後で乗った。
 荷台のベッドの負傷兵と目が合う。まだ若い兵だ。右手右足は添え木で固定してある、骨折していた。これでは前線に置く理由が無い。
 名札を見れば、ロバート二等兵と読めた。
「グッドモーニング、ボブ。ウイ、ゴーバックトゥソウル、トゥギャザー」
「あ・・・あい」
 アケミの声かけに、ロバートの声はかすれた。彼は一瞬笑みを浮かべ、目を閉じた。傷に痛みがあるのだろう。
 キムが最後に乗り込み、荷台のドアが上げられた。
 トラックが動いた。車体を揺らして、キャンプの玄関口へ行く。
 先導のジープが待っていた。それに続いてトラックが隊列を作る、合わせて5台がソウルへ向かう。

 ごとごと、トラックは山道を行く。
 ソウルまでの道は、ほとんどが未舗装だ。馬が足を痛めないよう、あえて幹線道路を舗装しない時代が長く続いた。道は穴ぼこだらけ。
 おかげで、トラックは時速20キロ以下でしか走れない。馬車とすれとがう時は、道が狭い事も相まって、人が歩くより遅くなる。
 アケミは袋からタバコを出した。
 マッチで火を付け、一息吸った。煙を吐いて、ガソリンの匂いを払う。
「あ・・・」
 足元のベッドで、ロバートが左手を差し出した。
 気付いたアケミは笑みで、もうひと吸い。そのタバコをロバートの口にやった。
 ふう、美味そうな笑顔。人種は違えど、若い男の笑みは良いもの。
 ロバートは二口吸って、タバコを返してきた。アケミは受け取り、短くなったタバコを口にした。
 ききっ、ブレーキが鳴って、トラックが停まった。運転手が窓から乗り出し、外を見ている。
 アケミも幌を開け、外へ顔を出した。
 まぶしさに目を細めると、白い雲と青い空がまだら模様を作っていた。ついでに、口のタバコを地面に捨てた。
 どーん、どどーん、どこからか衝撃音が響いてきた。
 音は後方からだ。黒い煙も上がっていた。
「あれは、キャンプの方か?」
 キムが唇を震わせた。アケミは見るのを止め、また席に座る。動かないトラックが焦れったい。
 どどーん、また爆発音が響いた。
 ひっ、思わず声を漏らした。またタバコを吸おうとしたが、指が震える。あきらめてバッグにもどした。耳を手でおさえ、体を屈めた。呉の防空壕では、いつもこの姿勢だった。
 敵の攻撃であろうが、ここからでは爆撃か砲撃か分からない。早く静かになれ、と願うしかできない。
 ロバートが腕時計を見た。アケミがのぞくと、まだ午前10になっていない。出発が予定通りだったら、あれに巻き込まれていた。
 まだキャンプから近い所にいる。もしも、あれが原子爆弾なら、爆風でトラックが転覆していたかもしれない。熱線で幌が焼け、この荷台で焼き肉になっていたかも。ぐぐっ、胸が痛んだ。
 ぶおおん、エンジンがうなった。またトラックが動いた。引き返さず、ソウルの方へ向かっている。
 ほう、アケミは一息ついた。
 広島に原爆が落ちて、数日ほど現場の手伝いに行った時を思い出した。
 焼け野原と山積みの焼死体、石と鉄が焼ける匂い、肉が腐る臭いが・・・馬糞のほうが香ばしく感じた。
「俺らには運がある。今日も生き延びられた」
「そう・・・だね」
 キムのつぶやきに、アケミは頷いた。

 正午前、トラックはソウルに着いた。女たちは基地の正門前で降りた。
 固まって道路を渡り、反対側の基地村へ歩く。
「レディース、今回はご苦労さん。次は年末、クリスマスは大忙しよ」
「稼げるのは良いけど、また箱に入るの?」
「まあ、たぶん、そうかもね」
 キムの頭の中は、もう次の仕事で一杯だ。アケミは笑いながら並んで歩く。ジョンウが微妙な腰つきで追いかける。
 前線で戦うアメリカ兵にとり、また後方で支援する韓国軍にとっても、女は補給品のひとつに過ぎない。口を尖らせても現実は一つだけだ。
 皆は基地村のホテルで一泊して、釜山行きの便は翌日の予定である。


 1953年7月27日、中朝連合軍と国連軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至った。大韓民国は署名に加わっていない。
 同年8月、ソビエトは最初の水爆実験を実施した。爆発威力はTNT火薬400キロトンと推定される。広島型原爆、リトルボーイの20倍以上の威力だった。
 翌、54年4月、ビキニ環礁にて、アメリカは最初の実用水素爆弾の爆発実験を行った。爆発威力は15メガトン、広島の1000倍にも達した。
 1962年6月、朴正熙政権が性取引の合法化を承認し、韓国の各地に売春の合法地帯が設けられた。すべてが在韓米軍近くに作られた。女性たちが稼ぎ出す外貨は毎年1000万ドルになった。



< おわり >




後書き

タイトルにある「第5種補給品」とは、1950年代の韓国陸軍後方戦史に出て来る用語です。
ただし、1952年の時点で使われていたかは定かではありません。

当時の彼女らが値段がわからないので、作中では金額の話題を避けました。
参考になる値段としては・・・1960年代、韓国軍がベトナム戦争に出兵して、サイゴン(現在はホーチミン)に造ったトラキッシュバスがあります。現地のベトナム女性が多く働いていました。38ドルでお泊まりできたそうです、女付きの値段です。

2017.3.4
OOTAU1