#本によく載っている「心に響く、タメになる名言」は、扱う価値すらありゃしません。(悪例1:私をホメてあげたいですぅ! Byマラソンねえちゃん)(悪例2:桜の木を切ったのはボクです By半端な悪ガキ)
「世の中には、お願いだから働かないでくれ、社会に出ないでくれという人もいるんですよね。
もし彼がやる気を出して働いてしまったら、彼自身も周囲も間違いなく不幸になってしまうぞ、っていう。
そういう事を考えると、ニートや引きこもりっていうのも一概に悪いとは言い切れないんですよね。」
(管理人の一言)
ニートや引きこもりに自信を与えるこの発言。オレは働いちゃいけない人間なんだ!
全国のニートの皆さん、胸を張ってニートしましょう。
のび太「僕は、大人になったら断然ガキ大将になる!!」
ドラ「ええっ!」
ドラ「でもガキ大将って、子供がなるものだよ。」
のび太「子供のうちになれないから、大人になってからなるんだ。」
ドラ「……。」
のび太「グウ」
(管理人の一言)
最近、のび太が映画版で妙に格好良いのでヤキモキさせられますが、あんなのはのび太と認めません!藤子氏の描くのび太は、上記のように凡百のダメ人間では到底思いつかぬ境地に達したスケールのデカいヤツでした。藤子氏没後の中途半端に勇ましいのび太を見るたび、歯軋りをせずにいられません。ドラえもんの脚本を書いてるヤツよ、少しはカツオ@サザエさんのウィットを見習ってくれ。
←もはや悟りの境地に至ったのび太氏。素敵。
「お前、空気、読まなすぎ。テレビでみているけど、お前のコメントで 笑いが流れることがいっぱいある!」
(管理人の一言)
江頭2:50の秀逸な名言。その後「江頭、橋田レイプ」として語り継がれる一連の暴挙(=強制キス)も多くの賞賛を呼んでました。確かに、死んだサカナの目をしたスガコは最高でした。ただし、そんな江頭にマジでダメ出ししてた香取慎吾に激しく幻滅。貴様のような凡庸な人間がスガコを増長させるんだ。お前は江頭じゃなくて稲垣メンバーに突っ込んでろ。
「視聴者の方が当然それを見ればですね、これはどうしようもないヘタレだなと思うと思うんですけど。
多分あんまり私のことをご存じじゃない方なのかもしれないけど、じゃ逆にこの方に聞きたいんですけれども。
私がこういう場面で――――過去に色んな映像を撮ってきましたけれども――
危ない所に行って、ただの一度でもヘタレじゃなかったことがあったのか、と。
いついかなる場面でも私は土下座をし、いついかなる場面でも常に私はこの芸歴15-6年の間に土下座外交してきたわけです。
あとこの人に一言言いたいのは――――『鳥山実』って書いてあるんです。」
(管理人の一言)
右翼ネタ池田犬作ネタで知られるカルト芸人、鳥肌氏の発言。
そうか、ヘタレでいいんだ!
「Nietzsche is dead.」
(管理人の一言)
「神は死んだ」でお馴染みのニーチェさんです。というか、発言者は神ということになってますwww
最近はヴィトゲンシュタインやらハイデガーが人気のようですが、ニーチェさんも忘れてもらっては困ります。ニーチェが好きという人と、ニーチェなんか名前も知らないという人を比べた場合、後者の方が幸せそうな人が多いのは気のせいでしょうか?
上記はドイツ産ネットゲームtibiaに出てくる場面。このゲームでは縛り首になった isaac brewton が出てくるなど、小ネタで笑わせてくれます。
書き残す事
平成十一年二月十一日
A医大病院五二五号室
現在病疾と一戦中の闘士としてこの
文を記すには時期尚早かと思っていたが
はて、今後期待する穏やかな小康状態に
至れるかどうか。より修羅場に突入して
いくのか判然としない。よって今この一文を
書き残すことも尚早とも言えない。
さて、これからの展開により私の状態が身体・
頭脳が回復不可能の場合はその疼痛処置は
是として延命策や生命維持装置は
不要に願いたい。出来る限り尊厳死に近い
終焉でありたい。
通夜は美味しいお酒とマイケルの音
でも流して明るくありたいものです。
当然当日の新聞提示には載せないで
初七日を過ぎた頃に道新のお知らせ
コラム(友やんの時の様に)に掲載して
下さい。
なお友人知人関係にはサヨナラ文
原稿を記しておく予定ですので印刷
郵送旁願いたい。
次に葬儀については一般的な葬儀は
行わなくても良い。ごくごく内輪の家族
にてお知らせは私の姉妹と○○○さん
友人知人の代表で△△郎さんと□介さん(みな香典お断り)
に我家四名とすると十名程度となる。
この人々で我家で行って貰えぬか。
通夜と葬儀の日には別院から僧の
出張を頼んで、院号は最下限ランクで
良い。まつわるあれこれは▽▽▽調理部
▽▽▽氏にその差配を依頼。
僧の読経と▽▽▽の支払いはケチらずに。
なお私の身体の上に稽古着と袴を
掛けて(着せずとも良い)焼場に連れて
いって下さい。身体を洗浄するナントカ師
は不要です。唯 所詮私は居ないので
あるから都合によってその変更は当然
ですが大要右記に近い形で願い
たい、です。
おわりに。妻へ
奇しくも不思議な縁で私にとっては
まことに過ぎた妻を得る事が出来た。
それは私の一生にとって唯一最大の
欣幸であった。彼女の真っ直ぐで
健気で優しい心根が嬉しかった。
又特筆すべきはこれ以上は無い
すばらしい二子を授かり至福であった。
妻にとって亡き父上の替わりが私に務まった
かはまるで頓着がなく又わが子等に
とって正しく良き父親であったかなどは
赤面の想いである。
われ凡夫の理わりにて妻に無数の我侭
勝手の振舞だったかと恐縮して
唯々感謝の念でいっぱいです。
ありがとう!
ありがとう!!ヨ
吾唯通知
□□ □□
私の財?
子孫の為 青田を残さずの諺があるが
残念乍ら私には借金が無いだけで畦すらも無い。
そのごく些少とは
二階わが部屋左の違い棚に○○のシールを張った
白い書類入
・□□と△△の普通預金の通帳とカード
・同じファイルに野村の株のカードと内訳
届け出印鑑は印鑑箱の白いケースに入った丸印である。
他に台場に土地150坪宅地が雑草地としてあるがハテ?
私は息子の●●、そしてコチラは母の■■さんです。
父は家族に対して剣道してみないか、稽古を見に来ないかと言う人ではなかったので
私達は剣道に関してド素人ですが、
父が10年ほど前に剣道連盟の事務局長をしていたときに、私は文書作成を手伝っていたので、
皆さんの名前を何度かパソコンに入力したことはあると思います。
今日、話をする機会を頂きましたので、ここでは簡単に-----1,2分ですが-----
家での、私が見た父と剣道との関わりについて紹介させて貰いたいと思います。
まず、ここ10年ほど父は 『剣道に力は要らないんだ』 と力説していました。
『左右の力のバランスこそが大事なんだ』という境地に至ったらしく、
暇なときにはよく、こうして両手を合わせて上下に振る動作を繰り返していました。
こうすることで、左右の力が均等になるよう鍛錬していたそうです。
…端から見ると、怪しい人のようにも見えますが…。
私が素人考えで父の考えに反論して、
「剣道に力が要らないなんていうのは、父さんがもう充分に筋肉をつけて力を持った立場だからこそ言えるんだよ。
僕のようなほっそい腕をしていたら、すぐに考えを改めるよ」
と言いますと、父は
「お前は何も分かっていないなぁ」
と言ってニヤリとし、旨そうに酒を飲んでいたものです。
このこと以外でも、父はーーーーー
人の話を聞くというよりは、
自分で色々と思考錯誤して、どうしたら剣道が上手くなれるか考えることが好きな人でした。
60を過ぎても70を過ぎても「剣道上手くなりたい」と言っていて、
そういう気持ちがあったというのが、70過ぎまで彼が剣道を続けられた要因の一つだったのかなと思います。
また、病状が進行してしまい、もう剣道の稽古をすることは無理だろうという状態になったときに
既に洗ってあった稽古着などをもう一度洗い直して
自分でゆっくりゆっくりアイロンをかけている姿を目にしましたが、
そのときにどんなことを考えていたのだろうかと思うと
息子の私としては感慨深いものがありました。
このように、父にとっては剣道は大切なものだったようで、
その大切なものを皆さんには長いことお付き合いいただきまして
私からは感謝の言葉しかありません。
特にここ1、2年は耳が大変遠くなってしまって
大声を出さなければ会話がなかなか成立しない状態だったので、
皆さんにご苦労かけたと思いますが、
そんな中でも父と剣道していただきまして
本当にどうもありがとうございました。
(2010年12月に行われた父の追悼稽古会にて、おおむね上記のような挨拶をさせてもらった。)
さて拙い私の足跡には剣道という趣味を超えた生き甲斐がありました。
“たどり来て未だ山麓”の不測の域でしたが楽しい思いも存分甘受できました。
私にとって剣道の竹刀は終生厳しい叱咤の鞭であり同時に支えの杖でもございました。
(父のお別れの辞より引用)
■2:東海林さだお 「ショージ君のぐうたら旅行」
・昭和52年。よく風呂に東海林さだおや開高健の本を持っていって長湯をする人だった。ハードカバー版の表紙を覚えているが、これは文庫版。一度手放して、後にまた購入したのだろうか。
■3:城山三郎 「男子の本懐」
・
■4:開高健 「洋酒天国」
・
■5:金泰生(きむ てせん) 「私の日本地図」
・1978年。おそらく古書購入。在日韓国人作家の半生記で、当時の在日集落の様子などが興味深く、なかなかに読ませる。
・「みなぼくの傍から居なくなってしまった。しかし、ぼくの記憶の中に生きている彼らや君は、ふしぎと少年の日の面影のまま今も生き生きと鮮やかだ。p.134」
・「Bのオモニの死は、一人の一世の老母の異国での死ということ以前に、10年前に世を去ったぼくのオモニを含めて、彼女たちの辛酸の歴史が、その死によって完全に時間の風化作用の彼方へ埋れて行ってしまうことへの哀惜の念を掻きたてたからだ。p.134」
・「O君。賢人は、死後数世紀を経ても後世にうやまれるだろう。それにひきかえ、凡人はたとえ昨日死んだとしても、今日はすでに人々に忘れ去られる習いだ。しかし、類は類を呼ぶというではないか。ぼく自身凡庸な友として、決して君を忘れないだろう。君は選ばれた人間ではなかった。だからこそぼくにふさわしい友だった。p.171」
・済州島(チェジュド)関連は知らないことが多かった。朝鮮最大の島。漢拏山(ハルラサン)。済州島の三多「石と風と女」。済州島の三無「泥棒」「乞食」「外部からの侵入を防ぐ門」。本土の西南端:木浦(モクボ)から定期船がある。1948「四・三事件」李承晩内閣時に島民大粛清。
・在日朝鮮人周りでも新知識多。猪飼野(いかいの):大阪市東成区・生野区にまたがる平野川岸の地域で済州島出身者が多い。1973年に地図上の地名からは消える。アボジ→父、オモ二→母。バタヤ部落:廃品回収業で在日の代表的な職業のひとつ。
■6:新・東京いい店うまい店1977年改訂新版 / 東京いい店うまい店2005-2006
前者はボロボロだが書き込みなし。後者は書き込み3箇所あり。
(1) 新亜(旧字)飯店:港区芝大門。父の字で『薄井恭一、豆沙鍋餅(とうさこうべ)あんこ入クレープ』、マーカーで『小龍包1400』
(2) 龍水桜:千代田区神田。父の字で『薄井恭一』、マーカーで『羊のしゃぶしゃぶ(要予約、5人より)5000〜10000』
(3) 本むら庵:荻窪。父の字で『薄井恭一』、マーカーで『そばがき945』